2009.10.09 Friday
第六話「Flash Memory」(1)
一条流とユークレーズの二人が、例の東屋から出たのは、もうすっかり朝日も昇り切った時間だった。
さすがの流も正直、『やっと解放された』という気持ちが強い。
流でさえそれなのだから、ユークレーズと来たらもう立っているのもやっとという有様だ。
昨夜の作戦から一睡もせず、ほとんど食事もなしで立ちっぱなしだった疲労も当然ある。
が、あの東屋で聞いた、というか『聞かされた』話のあまりの重大さに、精神の方が参ってしまっている。
特にユークレーズの場合、常人よりもこのダメージが大きい。
「…ユーク…さっきの話だが…」
王宮の暗い廊下を歩きながら、流が声をかける。
「は、はいっ! リーダー…大丈夫です。全部憶えています。決して忘れませんから」
よろけそうになる身体を懸命に真っ直ぐにする。
「いつでも言って下さい。一字一句、全て再現できます」
ユークレーズの目にわずかながら、光が戻る。
心身の疲労を、意志の力が支えていた。
「…そうだったな…。だが、正直忘れた方がいいかも知れないぞ、アレは」
ヤバい話だ、と流がつぶやく。
だが、ユークレーズは激しく首を振る。
「でも、でもリーダーにとっては重要な情報のはずです! 絶対忘れません! その…う、嬉しいです。お役に立てて…」
「十分役に立ってるさ。お前がいないと正直困る」
「!」
いきなりの褒め言葉にユークレーズが目を白黒させるが、流の言葉はお世辞ではなかった。
話の流れで分かる通り、このユークレーズはただの少年ではないのだ。
あの東屋での長い長い会話。ユークレーズはそれを一字一句、一つも漏らさず記憶できる。
『瞬間記憶(フラッシュメモリー)』
そう呼ばれる天性の能力は、単に『記憶力が良い』というものとはそもそも次元が違う。
脳と精神の強化という点では、流の従姉妹である一条香もかなりの力を持っているが、ユークレーズの力はその香をも凌いでいた。
『憶えよう』という意志がなくても、ほとんど無意識にあらゆる事物を記憶する。と同時に、その記憶を完璧に整理し、索引をつけ、流の要請があれば瞬時に検索して引き出すことができる。
また、ただ憶えるだけではなく、部隊の編制や複雑なワープポータルの経路など、常人では数人掛かりでも相当の時間を費やすような事務作業を、ほぼ瞬時に片付けてしまう。
それは単に『超人的能力』と表現するよりも、現代人にとっては『コンピューター』と言った方がイメージしやすいに違いない。
この少年が側にいる限り、流は細かい事務作業を一切する必要がなかった。これは流のような、システムを重視するタイプの指揮官にとっては天佑に近い事である。
廊下をしばらく歩いたところで、二人の姿を見つけた数人の男女が、書類の束を抱えて走って来た。
流とユークレーズの前で立ち止まって敬礼し、即座に二人の歩調に合わせて歩き出す。
タートルチームの事務特化『ペンユニット』のメンバー。彼らはリーダーの流ではなく、ユークレーズの方を取り囲む。そう命令されているし、実際その方が効率的だからだ。
「…ファルコン、イーグルの残存兵をウチに組み込む。準備はできているな?」
「はい。併合メンバーの負傷程度、能力など把握済みです」
流の質問に、ユークレーズが答える。
短い指示で、自分より年上の部下から書類を受け取り、ぱぱっと目を通しただけで返す。
「いつものようにポタ持ちを優先。ポタメモ先を整理させて、手薄だったゲフェンルート…G-Dラインの強化に回します」
「ん。…青ジェムの備蓄は?」
「順調です。王国内各都市の最低5カ所に5万個ずつ、備蓄を完了しました」
ブルージェムストーン、通称『青ジェム』は、ワープポータルの魔法を使う時に欠かせない触媒だ。
「ん。備蓄場所の隠蔽工作は?」
「モロクを除き、先週中に備蓄場所を2度変更しています。それぞれ別の部隊を使いましたので、漏洩は最小限と思われます」
「よし。これで国内の転送ルートのインフラはほぼ完成したな」
「はい。王国内のポタメモ可能地域であれば、チーム総員が15分以内に、あらゆる場所で作戦行動が可能。撤退も5分で完了します…あ、これには撹乱転送1回を含みます。他チームの移動支援ならば1チームにつきプラス5分。…ですが、ポタメモ持ちのクセに、移動ルートを憶えきれない人が…」
「ヨシアか」
「…あ、あの人はいい加減過ぎます! いつも聞いてくるんですよ!?『ユークぅ。次の行き先どこだっけ?』って! 昨夜なんか一番簡単なA-A-Aルートだってのに!」
「ああ。オレも考えてはいる」
真剣に目を吊り上げるユークレーズに、見えないように流が苦笑する。
ユークは部隊内のワープポータル保持者と、そのポタメモ先を完全に把握している。
そして部隊の異動先が決まると、即座に目的地のポタ持ちを招集して術を発動、そこへさらに別のポタ持ちを送り込んで現地でメモを取らせる。そして彼らが戻って来たと同時に、数十個のワープポータルを並列で並べる事が可能となり、部隊は一気に目的地へ殺到できる。
退却も同様だ。
その整然たる移動システムは見る者に、無骨な軍隊のシステムを越えた『芸術性』さえ感じさせるという。
ポータルによる部隊移動一つとっても、このように徹底的にシステム化して速さと正確さを研ぎすます。それが、一条流という青年指揮官の変わらぬ流儀だ。
そこにユークの能力が加わったことで、天臨館の仲間のような『膝を突き合わせた』相手でなくても、効率的に組織化できるようになっている。
ウロボロス4の他のチームも当然、流のこの移動システムを真似ようとしているが、どこも成功していない。
だがそれは無理もないことで、正直なところユークの存在無しには、流でさえここまでエレガントなシステムを構築する自信がない。まして他のチームが一朝一夕で真似できる物ではなかった。
ただ、どんなシステムにも欠点はある。
効率と速度を極限まで追い求めるこのやり方には、必ず馴染めない人間が出てくる。
能力的に付いて来れない者は論外だが、能力はあるのにこれを窮屈に感じ、システムそのものにストレスを感じる者がいるものなのだ。
(…無代のヤツみたいにな)
流の脳裏に、友の顔が浮かぶ。
ああいう人材は、むしろ組織の外に出してやる方が力を発揮することもあると、流は経験で知っていた。
(…ああいうヤツを上手く使いこなしてこそ、オレの流儀は完成する)
それは遠い事ではない、という自負もある。
「…でもリーダー。これでリーダーをバカにするヤツはもういませんね。とうとう『コンドル』…ウロボロス4のトップチームに肩を並べましたよ!」
事務方に一通りの指示を終えたユークレーズが、やっと調子を取り戻した様子で目を輝かせる。
「元々、バカにされていたワケではないさ」
「そんなことありません! ファルコンリーダーなんか、リーダーのレポートを読んでもいなかったじゃないですか! それを自分から暴露しちゃって、ザマありませんでしたよ!」
「よせ」
「…す、すいません」
流が軽くたしなめると、ユークレーズが目に見えてへこむ。
とはいえ、流とて本気で怒ってなどいない。ユークレーズの言っている事は、おおむね正しい。
『ウロボロス4』、正式名称は『ルーンミッドガッツ王国軍特務・外部教導部隊』。
『完全再現種(パーフェクト・リプロダクション)』マグダレーナ・フォン・ラウムを頂点とするこの秘密部隊の最大の特徴は、その構成員だ。
彼らはルーンミッドガッツ王国の『外』から招集される。
つまり、王国の軍隊であるにも関わらず、王国の国民以外の者たちで構成されるのだ。
一条流を例に取ろう。
流はルーンミッドガッツ王国の人間ではない。天津・瑞波の国の世継ぎ、つまり王子の立場である。
瑞波と王国とは表向き友好関係にあり、決して属国でも植民地でもない。が、その国力には無論、歴然たる差がある。
その流にある日、マグダレーナの名前で招待状が届くのだ。
『ルーンミッドガッツ王国の秘密部隊に、身分を隠して参加されたし』
世界最強の軍事国家からの招待は、事実上の招集である。これを断ることは、王国に無謀なケンカを売るに等しい。
では、なぜ王国はそんなことをするのか。
主な目的は3つある。
一つは、流のような国外の若者達に王国の進んだ軍事技術を叩き込み、それを『輸出』することで、友好国に新たな『戦力』を作り出す事。これは将来の敵を作るかもしれない諸刃の剣でもあるが、上手く使えば王国にとって新たな同盟戦力を確保できる。
二つ目は、王国の人間にはさせられないような高度に政治的な、早い話しが『汚い仕事』をさせるためである。王国内で超越的な権力を与えられているマグダレーナの手足となり、時には王国そのものの組織・制度とも戦う。
そしていつでも使い捨てにできる。
三つ目はずばり、『人質』だ。流のような『世継ぎ』を王国に差し出すことは、瑞波にとっては国の命運を握られるに等しい。様々な意味で、王国には逆らえなくなる。
王国の『外』の力を取り込み、これを鍛え、利用し、そして王国の支配下に『繋ぐ』。
それが『ウロボロス4』という組織の本質だった。
無論、招集された若者達にも利益はある。
世界最高の軍事技術に触れ、それを学ぶ機会を与えられることは、それぞれの故郷にとって計り知れない利益となる。
実際、自国がウロボロス4に呼ばれず、反対に隣国だけが呼ばれて技術が与えられた、という事態を考えれば、その深刻さが分かろうというものだ。
また、マグダレーナを筆頭に、多くの王国要人とつながりができることも大きい。
いわゆる「コネ」。
結局の所、ルーンミッドガッツ王国とのつながりの深さこそが、この世界に点在する小国にとっては『命綱』なのである。
となれば、参加する若者達もそれなりに意識の高い者が集まる。
有名、無名に関わらず王族や貴族の子弟、大企業のエリート社員に大寺院の修行僧、はては学び舎の俊英まで。
その規模はおよそ200人。
彼らの中から15人のリーダーが選ばれ、その下に数人のサブリーダーがつく。
だが当然、それだけでは軍隊の体裁にはならない。彼らを『士官』とし、その下に『兵隊』が配置される。
この兵隊には、ルーンミッドガッツ王国の正規軍兵から選りすぐられた兵が当る。
例えば、昨夜行われたファルコンチームの戦いで、静やフール、速水らと実際に剣を交えたのは彼らであり、死んだのも彼らだ。
ちなみに士官であるウロボロス4の構成員は、ファルコンリーダー以下全員が生還していた。
なお、そのファルコンリーダーは、リヒタルゼンに本社のある巨大企業の重役の息子。
彼らの素性は基本的には隠され、部隊内では階級以外の上下関係は存在しないことになっている。
が、自然とそういう話は漏れる、というか、高位の者ほど漏らしたがる。ファルコンリーダーは当初から自分の立場を隠そうともせず、逆に遠い天津出身の流らを『田舎者』と蔑んでいた。
外の世界の微妙な序列感情。それを超えて頭角を現した一条流。
大企業の重役の息子という地位に最後まで固執し、流を侮り続けた『ファルコン』もしかし、今回の件で失脚した。
その原因が流の許嫁である一条静、というのは皮肉だが、ユークの言う通り、これで流の力を認めない者はいなくなるだろう。
そして、掌を返したような態度を取る者も増えて来る。
流ら『御一行様』が、流の部屋の前まで来た時だった。
「…お待ちしておりましてよ? 流様」
柔らかい声がかかった。見事な金髪がさらり、と揺れる。
「…ロビンリーダー。失礼ですが、リーダーは本名で呼ばれるのがお嫌いです」
眉間にしわを寄せたユークレーズが、流の前に出て抗議する。
が、抗議された方は涼しい顔。
「あら、これは失礼致しました、スヴェニア卿」
ユークの『姓』の方を尊称で呼びつつ、わざとらしく頭を下げた女性は、ヒールの分だけユークレーズよりも背が高い。
眉を奇麗に整え、唇を艶やかに、しかし品良い色に塗っており、そして肌もあらわなダンサーの衣装が反則級に似合っていた。
『ロビンリーダー』。本名をジュリエッタ・クライテン。
昨夜、流が指揮するタートルチームと共闘したロビンチームのリーダー。
職業はダンサー。早くからバイオリンの天才少女として鳴らした腕前で、その演奏術には定評がある。
何やら豪華な飾りのあるバスケットを、両手で身体の前に下げているのは、そうるすると自然に腕の間で、豊かな胸が強調されるからか。
若い女性の魅力を十分に備え、そしてそれを最大限に活用する術を知り尽くしているらしい。
「タートルリーダー、とお呼びした方がよろしいでしょうか? 流様?」
「できれば」
流が短く応えるのに、形の良い眉を微かに寄せて、
「でも、貴方をタートル、などと呼ぶのは失礼な気がして…」
「いえ。私の国では逆に、亀は長寿の動物としてむしろ縁起が良いのです」
もの凄くどうでもいい答えなのだが、ロビンリーダーは素晴らしい笑みで受ける。
「そうなのですか! では私も、誇りを持ってそう呼ばせていただきますわ、タートルリーダー。…昨夜は本当にありがとうございました」
「任務を果たしただけです、ロビンリーダー。賞賛されるべきは、実際にモンスターを撃破した貴女のチームだ」
「いいえ」
ロビンリーダーがす、と流に近づく。何と言うか実に様々なニュアンスを含ませた前進に、ユークでさえちょっと鼻白んで後退する。
微かに上気した肌の熱と、これまた上品な香水の香りが同時に男に伝わる、絶妙の距離。
「タートルチームの盤石の支援のお陰です。私たちはただ、子供のようにスキルを撃ちまくるだけでよかった。…まるで、太古の父神の胸に抱かれているような安心感でした…」
「さすが、詩人でいらっしゃる」
流が苦笑する。
「ま…」
首を傾げて微笑む仕草。
ちなみに彼女、朝の会議で流の味方をした『コンドルリーダー』ことテムドール・クライテンの実の妹。
そして、一条静にこてんぱんにされた『ファルコンリーダー』ことマレル・キタナダの恋人でもある。
この3人はいずれもリヒタルゼンの出身。
ファルコンリーダーが大企業の重役の息子なら、『コンドルリーダー』と『ロビンリーダー』の2人はその会社の社長の子息、という間柄
『ファルコン』が『コンドル』を異常に恐れていたのはそのせいである。
だがジュリエッタと言えば昨夜、タートルチームと組むまでは、流の事を田舎者扱いする一派だったはずである。まあ、実兄である『コンドル』が流を高く買っているため、表には出していなかったが…。
どうやら、一夜で鞍替えしたらしい。
「タートルリーダー、朝食はお済みなのですね…マグダレーナ様と…?」
「ええ、ご相伴に預かりました」
「まあ、羨ましい! でも貴方だからこその光栄ですね」
一言ごとに、流との距離を微妙に縮めて行くのも、何かの技術の一つなのだろうか。
「…あの…ロビンリーダー? 失礼ですが、タートルリーダーはお疲れなのですが…」
ユークレーズが、何か未知の生物にでも声をかけるように、おっかなびっくりの様子で抗議する。
が、効果無し。ユークを取り巻いている事務方の連中も、どうしたらいのやら、という様子だ。
「お着替えも、身体のお清めもまだなのでしょう? お手伝いしようと思って参りましたの」
ひょい、と両手に下げたバスケットを挙げてみせる。わざわざ肩をすくめるようにするのも視覚効果の一種か。
「子供ではありませんので、貴女のお手を煩わせるまでもありません」
「まあ、貴方を子供だなんて、思ってもおりませんわ。…色々な意味で」
くすり、と笑ってみせる。逃がす気なし、ということらしい。
「あー、こほん」
わざとらしい咳払いが、流の部屋の中から響いたのはその時だ。さすがのジュリエッタが一瞬、そちらに気を取られる。
「失礼」
その隙を付くように、流がジュリエッタの脇から太い腕を伸ばして、自室のドアを押し開けた。結果、彼女が流の胸に肉薄する結果になったのだが。
「お疲れさまです、リーダー」
ドアの向こう、流の自室では5人の男女が、敬礼しつつ流を迎えていた。スキンヘッドのモンクに、流を凌ぐ巨漢の鎧武者、逆に重装甲ながらユークよりも背の低い女戦士と、なかなかにユニークな顔ぶれだ。
流の部下、タートルチームの小隊長、『ユニットトップ』達である。
「ご苦労。待たせてすまんな」
「いえ、リーダーこそ色々ご苦労なことで。…ロビンリーダーも、色々お疲れさまであります!」
『色々』の発音に妙に力を入れつつ、ニヤリ、と笑ってみせたのはスキンヘッドのモンクだ。
「ありがとう…ヨシア、でしたね? 昨夜はお疲れさまでした」
ジュリエッタが、皮肉なぞ全く感じていない笑顔で敬礼を返す。
「皆、せっかく集まってもらったが…ミーティングはオレ抜きで行ってもらう。朝飯でも喰いながら、詳細をユークに聞いてほしい。以上だ」
「了解!」
全員が再び敬礼し、ドアの前から身体をよけた流とジュリエッタの横を抜け、部屋から出て行く。
「ああ、ヨシア」
最後になったスキンヘッドのモンクを、流が呼び止めた。
「イエス、リーダー?」
「例の件、お前の望むようにしよう。その代わり…」
「分かってます。そっちはリーダーのご希望通りに。…ワガママ言ってすんません」
「構わん。今後ともよろしく頼む」
「こちらこそです。…では、失礼します」
やはりニヤ、と笑って部屋を後にする。
「ロビンリーダー。手伝い云々はともかく、立ち話も何ですので。どうぞ」
「ありがとうございます、タートルリーダー。では」
流の胸板を軽く押すようにして身体を放し、部屋の中に滑り込む。
続いて流が巨体を部屋に入れ、ぱたん、とドアを閉じた。
ウロボロス4のチームリーダーに与えられる部屋は、このちょっとしたミーティングも可能なリビングと、ドアで仕切られた寝室兼書斎の二間だ。
「…部下の方々にはご迷惑だったかしら?」
「事務連絡だけですので、ユークがいれば十分です。…で、本来の御用向きは?」
流がジュリエッタの荷物を預かり、椅子を引いてテーブルにつかせる。
「兄からの伝言を。午後、お茶をご一緒にと…『例の件』だと存じますわ」
「承知した、とお伝え下さい」
「はい。…で、ここからは私の用向き。お手数ですが、バスケットを開けて頂けます?」
「喜んで」
豪華な飾りを持つバスケットを開けると、
「…ワイン、ですか」
「実家から持って参りました取って置きですの。貴方と味わいたくて」
流がワインの瓶とグラス二個、それにレースのクロスを取り出したところで、ジュリエッタがバスケットを取り返す。
「でもその前に、どうぞお着替えを。本当に清めの道具も持ってきましたので、お手伝いしますわ」
さすがに流が苦笑する。
「繰り返しますが、私は子供ではありませんよ」
「私も子供ではありませんわ」
ジュリエッタがふ、と立ち上がると、その身体を流の巨体に預けた。
今度こそ邪魔者はいない。
「これでも、下心満載で押し掛けておりますのよ? お分かりでしょう?」
「私には婚約者がいます」
「存じております。…でも気にしませんわ。『今』貴方の側にいるのは私なのですもの」
バイオリンの弦を操らせれば、歴代のウロボロス4でも最高と謳われたその指が、流の頬から首筋を撫でる。
そして、その甘い身体をそのまま注ぎ込むような、何かの魔術にも似たキスが流の唇に贈られる。
「ジュリア、って呼んで? 流…」
「かーっ、いいねえ! やっぱいい男にゃいい女が付くねえ! おい!」
一方、流の部屋の外。
ある意味『お邪魔虫』扱いで放り出された、ユニットトップ連とユークレーズ達。
ぞろぞろと食堂の方へ歩きながらの話題は当然、彼らの若き指揮官だ。
「お着替えのお手伝い、と来たもんだ。男の部屋に夜ばい…ってかもう昼だけどさ。にしたって言う事が違うわな」
ニヤニヤ笑いで大声を上げているのは、ヨシアと呼ばれたスキンヘッドのモンク。
元はラヘルにある大寺院に口減らしのために入門させられた農民の子で、修行の末に金剛モンクとして大成したものの、どうにも聖職者にしては性格が荒っぽすぎて、厄介払い半分でウロボロス4に来た。
どこのチームも持て余し気味だったのを流が引き抜いて、移動支援特化『ウイングユニット』のユニットトップに据えた経緯がある。
「な…! もう、ヨシアさん! 変な事言わないで下さい! リーダーがあんな破廉恥な誘惑に引っかかるワケありません!」
ユークレーズが真っ赤になって反論する。だが、それを冷静な女性の声が遮った。
「…甘いね、ユーク。アンタにゃまだ分かんないだろうけど…あの女、できるよ…」
飾り気のない、しかし滑らかで機能的な重装甲をまとった女性は、サリサ・ゾシマ。何とタートルアイランドを拠点とする海洋民出身のクルセイダーだ。
恐らく、ウロボロス4の前衛職中最も背が低い。が、巨大な盾と片手斧を武器に、敵の腰より下の空間をホームグラウンドとして戦う『甲撃術(ビートルアー ツ)』の使い手であり、その局地的な阻止力と耐久性、そして意外な機動性を武器に、耐久型遊撃特化「ハンマーユニット」を率いる。タートルチームの数少ない火力職は全員、彼女の指揮下だ。
「…女のアタシにゃわかるがね。あのツヤっツヤの肌にサラっサラの髪。朝のミーティングから1時間ちょっとの間に髪洗って肌整えて…。しかもあのメイク。塗ってるって感じさせない技量と来たら、ちょっとしたもんさ。我がリーダーといえどもわかんないよー?」
「…そ、そんな…!」
ユークレーズが本気で顔色を変える。が、そこにもう一つの声がかぶさった。
「ありえん。我がリーダーに限ってそのようなことはな」
その声はあくまで低く、太い。広大な森の中で最も大きな巨木が喋り出したような、聞く者に畏怖さえ感じさせる声。
「そうです! そうですよね! ダインさん!」
味方を得て急に元気になったユークが声の主を見上げる。遥かに高く。
身長2メートル15センチ。ウロボロス4で唯一、流を凌ぐ巨体を持つこの男は、ダイン・アングロル。
フィゲルの田舎貴族の長男で、職業はこれもクルセイダーだ。が、抜群の耐久性を誇る肉体を持つ代わりに、反比例して運動能力が余り高くなく、どこの部隊で も独活の大木扱いされていた。それだけに、自分を引き抜いて定点防御特化「ウォールユニット」のユニットトップに抜擢してくれた流への心酔は深い。『リー ダーのためならこの身は砕けても本望』と公言してはばからないこの巨漢は、ユークレーズと並んで『流びいき』の二大巨頭だった。
「そういうけどよ。ウチのリーダーがロビンリーダー喰っちゃったからって、何か不都合あるか? どっちも独身じゃね?」
「だよね〜。リーダーには婚約者がいらっしゃるらしいけど、まだ16歳のお姫様だそうじゃないか。あのリーダー乗っけるのは大変じゃないかね〜。その点、ロビンリーダーは根性入ってるよ、ありゃあ」
「…お前達は下世話に過ぎる。『喰った』『乗せた』と…少しは言葉を選べ」
「そうですよ! くっ、喰うとか! ヨシアさん下品すぎです! …サリサさん…乗せる…って何ですか…?」
ダインが重々しくたしなめ、ユークレーズが首を傾げる。
ちなみに、昨夜ファルコンチームを壊滅させた『化け物女剣士』こそが流の婚約者、という事実はユークしか知らない。余計な遺恨や先入観をバラまく必要はない、という流の判断だ。
それを知っていたら、サリサの評価もかなり変わっていることだろうが…。
残る治癒特化『ヒールユニット』を率いるパラディンのモーリス・リンが静かに苦笑。治療特化のトップがパラディンとは意外だが、これはタートルチームにおいて僧侶・モンクが全員、優先的にウイングユニットに編入されているのが原因だ。
『一秒でも速く行動地点に到達し、一秒でも速く退却する』
チームの存在意義の第一をそこに置いた、指揮官である流の指示である。
『どんなに強力なチームも、戦うべき時に戦うべき場所へ到達できなければ意味がない』
そう断言する流はとにかくワープポータルを使える人員を最優先に、かつ完璧に組織している。
ゆえに『芸術』。
その部隊移動システムが起動すると、まずダイン率いるウォールユニットが送り込まれて核となる陣地を確保。続いてサリサのハンマーユニットが敵を駆逐しつつ、制圧地を広げて行く。
その後方から、ウイングユニットの仕事から解放された僧侶勢が、ヒールユニット兼務として支援を行う。そして退却の時は再び、ウイングユニットに戻るのだ。
最も人数の少ない強化支援特化『メロディーユニット』のオーロフ・ミシマギは、彼らのおしゃべりには我関せず。それもそのはず、このモスコビア出身のバードは王国語をほとんど理解しない。彼の半歩後ろに控えた少年従者のヤミンが通訳しない限り、会話に加わることはないのだ。
が、その代わりさっきから途切れる事無く、ご機嫌で軽妙な口笛を吹き鳴らしている。
彼らが秘密部隊のメンバーだということを一瞬忘れるほど、個性的でにぎやかな一団。
ふと、ユークレーズが思い出したように、
「…あ、ヨシアさん。さっきリーダーがおっしゃってた『例の件』って…」
「ああ、アレな。オレ、ユニットトップ降りるんだ。つーかウイングユニットからも追ん出て、一人でやらしてもらうんだわ」
「ええ!?」
ユークレーズが目を剥いてヨシアに食って掛かる。
「何勝手な事言ってるんですかヨシアさん! 駄目ですよ! ウチで一番重要なウイングユニットのトップがそんな…」
「だってなー。毎度毎度、移動経路とか憶えらんないしよ〜。いっつもお前に怒られてばっかじゃん、オレ? お前に迷惑かけすぎだって、リーダーからも言われてるしな」
「それは…ヨシアさんが真面目に憶えないからです! だからって…ユニットトップ降りるなんて…僕、そんなつもりじゃ…」
「いやいや、お前のせいじゃないって」
ヨシアが筋肉質の腕を伸ばし、ユークのプラチナブロンドをがしがしと荒っぽく撫でる。
「やっぱオレ、このやり方馴染めないんだわ。努力とかの問題じゃなくてさ。で、リーダーに相談したら、好きにさせてくれるって言うからさ」
「アンタぐらい硬けりゃ、ハンマーでも大歓迎だよ? その気があったら来な」
「…ウォールでも使えん事はない…少し静かにしてもらうが」
サリサとダインはさして慌てもせず、呑気に自ユニットに誘ったりしているが、ユークレーズはずっと憂い顔だ。
「でも…ヨシアさん、ホントはできるのに…」
「この方がいいんだって。後任はジルだから、そっちのが絶対向いてるべ」
ジル・ソービニアはヨシアと同じ、ラヘルの出身の女モンクだ。だがヨシアが育った寺院より遥かに戒律の厳しい名門寺院で育ったためか、ヨシアとは正反対に生真面目で几帳面。ただ戦闘能力と戦場での勝負勘、という点でどうしてもヨシアに分があるため、ナンバー2に甘んじていた。
正直、ヨシアとは折り合いが良いとはいえず、組織を優先するならばむしろ当然の人事なのだ。
「ジルならきっちりやるさ。ちと融通は効かないけど、その辺は上手く頼まあ」
ユークレーズの頭から手を離し、今度はがっちりと肩を組む。
「…で、ヨシアさん、これから何を?」
「内緒だ」
「ええええ!?」
わっはっは、と笑いながら自分のスキンヘッドをつるり、と撫でる。
「リーダーの特命、とだけ言っておこう!」
「…」
ユークレーズの眉間のしわが取れない。が、何を言っても駄目だということは彼にも分かっている。
ふう、とため息。
「じゃもう、勝手にして下さい。でも、行動のレポートとお金の清算はちゃんとしてくださいね!」
「へいへい。…さーメシだメシ。もう昼になっちまうよ。今日の朝飯何だっけ」
「トーストとスクランブルエッグ。スペシャルは鹿肉のハム。スープはミネストローネ。飲み物はいつものコーヒーとミルクとオレンジジュースです! 献立ぐらい憶えて下さいよ!」
「んなもん一週間分もその先も憶えてんの、お前ぐらいのもんだって、ユークよぉ」
タートルチームのにぎやかな食事は、ウロボロス4の名物の一つなのだが、今日はまた一段と賑やかになりそうだった。
さすがの流も正直、『やっと解放された』という気持ちが強い。
流でさえそれなのだから、ユークレーズと来たらもう立っているのもやっとという有様だ。
昨夜の作戦から一睡もせず、ほとんど食事もなしで立ちっぱなしだった疲労も当然ある。
が、あの東屋で聞いた、というか『聞かされた』話のあまりの重大さに、精神の方が参ってしまっている。
特にユークレーズの場合、常人よりもこのダメージが大きい。
「…ユーク…さっきの話だが…」
王宮の暗い廊下を歩きながら、流が声をかける。
「は、はいっ! リーダー…大丈夫です。全部憶えています。決して忘れませんから」
よろけそうになる身体を懸命に真っ直ぐにする。
「いつでも言って下さい。一字一句、全て再現できます」
ユークレーズの目にわずかながら、光が戻る。
心身の疲労を、意志の力が支えていた。
「…そうだったな…。だが、正直忘れた方がいいかも知れないぞ、アレは」
ヤバい話だ、と流がつぶやく。
だが、ユークレーズは激しく首を振る。
「でも、でもリーダーにとっては重要な情報のはずです! 絶対忘れません! その…う、嬉しいです。お役に立てて…」
「十分役に立ってるさ。お前がいないと正直困る」
「!」
いきなりの褒め言葉にユークレーズが目を白黒させるが、流の言葉はお世辞ではなかった。
話の流れで分かる通り、このユークレーズはただの少年ではないのだ。
あの東屋での長い長い会話。ユークレーズはそれを一字一句、一つも漏らさず記憶できる。
『瞬間記憶(フラッシュメモリー)』
そう呼ばれる天性の能力は、単に『記憶力が良い』というものとはそもそも次元が違う。
脳と精神の強化という点では、流の従姉妹である一条香もかなりの力を持っているが、ユークレーズの力はその香をも凌いでいた。
『憶えよう』という意志がなくても、ほとんど無意識にあらゆる事物を記憶する。と同時に、その記憶を完璧に整理し、索引をつけ、流の要請があれば瞬時に検索して引き出すことができる。
また、ただ憶えるだけではなく、部隊の編制や複雑なワープポータルの経路など、常人では数人掛かりでも相当の時間を費やすような事務作業を、ほぼ瞬時に片付けてしまう。
それは単に『超人的能力』と表現するよりも、現代人にとっては『コンピューター』と言った方がイメージしやすいに違いない。
この少年が側にいる限り、流は細かい事務作業を一切する必要がなかった。これは流のような、システムを重視するタイプの指揮官にとっては天佑に近い事である。
廊下をしばらく歩いたところで、二人の姿を見つけた数人の男女が、書類の束を抱えて走って来た。
流とユークレーズの前で立ち止まって敬礼し、即座に二人の歩調に合わせて歩き出す。
タートルチームの事務特化『ペンユニット』のメンバー。彼らはリーダーの流ではなく、ユークレーズの方を取り囲む。そう命令されているし、実際その方が効率的だからだ。
「…ファルコン、イーグルの残存兵をウチに組み込む。準備はできているな?」
「はい。併合メンバーの負傷程度、能力など把握済みです」
流の質問に、ユークレーズが答える。
短い指示で、自分より年上の部下から書類を受け取り、ぱぱっと目を通しただけで返す。
「いつものようにポタ持ちを優先。ポタメモ先を整理させて、手薄だったゲフェンルート…G-Dラインの強化に回します」
「ん。…青ジェムの備蓄は?」
「順調です。王国内各都市の最低5カ所に5万個ずつ、備蓄を完了しました」
ブルージェムストーン、通称『青ジェム』は、ワープポータルの魔法を使う時に欠かせない触媒だ。
「ん。備蓄場所の隠蔽工作は?」
「モロクを除き、先週中に備蓄場所を2度変更しています。それぞれ別の部隊を使いましたので、漏洩は最小限と思われます」
「よし。これで国内の転送ルートのインフラはほぼ完成したな」
「はい。王国内のポタメモ可能地域であれば、チーム総員が15分以内に、あらゆる場所で作戦行動が可能。撤退も5分で完了します…あ、これには撹乱転送1回を含みます。他チームの移動支援ならば1チームにつきプラス5分。…ですが、ポタメモ持ちのクセに、移動ルートを憶えきれない人が…」
「ヨシアか」
「…あ、あの人はいい加減過ぎます! いつも聞いてくるんですよ!?『ユークぅ。次の行き先どこだっけ?』って! 昨夜なんか一番簡単なA-A-Aルートだってのに!」
「ああ。オレも考えてはいる」
真剣に目を吊り上げるユークレーズに、見えないように流が苦笑する。
ユークは部隊内のワープポータル保持者と、そのポタメモ先を完全に把握している。
そして部隊の異動先が決まると、即座に目的地のポタ持ちを招集して術を発動、そこへさらに別のポタ持ちを送り込んで現地でメモを取らせる。そして彼らが戻って来たと同時に、数十個のワープポータルを並列で並べる事が可能となり、部隊は一気に目的地へ殺到できる。
退却も同様だ。
その整然たる移動システムは見る者に、無骨な軍隊のシステムを越えた『芸術性』さえ感じさせるという。
ポータルによる部隊移動一つとっても、このように徹底的にシステム化して速さと正確さを研ぎすます。それが、一条流という青年指揮官の変わらぬ流儀だ。
そこにユークの能力が加わったことで、天臨館の仲間のような『膝を突き合わせた』相手でなくても、効率的に組織化できるようになっている。
ウロボロス4の他のチームも当然、流のこの移動システムを真似ようとしているが、どこも成功していない。
だがそれは無理もないことで、正直なところユークの存在無しには、流でさえここまでエレガントなシステムを構築する自信がない。まして他のチームが一朝一夕で真似できる物ではなかった。
ただ、どんなシステムにも欠点はある。
効率と速度を極限まで追い求めるこのやり方には、必ず馴染めない人間が出てくる。
能力的に付いて来れない者は論外だが、能力はあるのにこれを窮屈に感じ、システムそのものにストレスを感じる者がいるものなのだ。
(…無代のヤツみたいにな)
流の脳裏に、友の顔が浮かぶ。
ああいう人材は、むしろ組織の外に出してやる方が力を発揮することもあると、流は経験で知っていた。
(…ああいうヤツを上手く使いこなしてこそ、オレの流儀は完成する)
それは遠い事ではない、という自負もある。
「…でもリーダー。これでリーダーをバカにするヤツはもういませんね。とうとう『コンドル』…ウロボロス4のトップチームに肩を並べましたよ!」
事務方に一通りの指示を終えたユークレーズが、やっと調子を取り戻した様子で目を輝かせる。
「元々、バカにされていたワケではないさ」
「そんなことありません! ファルコンリーダーなんか、リーダーのレポートを読んでもいなかったじゃないですか! それを自分から暴露しちゃって、ザマありませんでしたよ!」
「よせ」
「…す、すいません」
流が軽くたしなめると、ユークレーズが目に見えてへこむ。
とはいえ、流とて本気で怒ってなどいない。ユークレーズの言っている事は、おおむね正しい。
『ウロボロス4』、正式名称は『ルーンミッドガッツ王国軍特務・外部教導部隊』。
『完全再現種(パーフェクト・リプロダクション)』マグダレーナ・フォン・ラウムを頂点とするこの秘密部隊の最大の特徴は、その構成員だ。
彼らはルーンミッドガッツ王国の『外』から招集される。
つまり、王国の軍隊であるにも関わらず、王国の国民以外の者たちで構成されるのだ。
一条流を例に取ろう。
流はルーンミッドガッツ王国の人間ではない。天津・瑞波の国の世継ぎ、つまり王子の立場である。
瑞波と王国とは表向き友好関係にあり、決して属国でも植民地でもない。が、その国力には無論、歴然たる差がある。
その流にある日、マグダレーナの名前で招待状が届くのだ。
『ルーンミッドガッツ王国の秘密部隊に、身分を隠して参加されたし』
世界最強の軍事国家からの招待は、事実上の招集である。これを断ることは、王国に無謀なケンカを売るに等しい。
では、なぜ王国はそんなことをするのか。
主な目的は3つある。
一つは、流のような国外の若者達に王国の進んだ軍事技術を叩き込み、それを『輸出』することで、友好国に新たな『戦力』を作り出す事。これは将来の敵を作るかもしれない諸刃の剣でもあるが、上手く使えば王国にとって新たな同盟戦力を確保できる。
二つ目は、王国の人間にはさせられないような高度に政治的な、早い話しが『汚い仕事』をさせるためである。王国内で超越的な権力を与えられているマグダレーナの手足となり、時には王国そのものの組織・制度とも戦う。
そしていつでも使い捨てにできる。
三つ目はずばり、『人質』だ。流のような『世継ぎ』を王国に差し出すことは、瑞波にとっては国の命運を握られるに等しい。様々な意味で、王国には逆らえなくなる。
王国の『外』の力を取り込み、これを鍛え、利用し、そして王国の支配下に『繋ぐ』。
それが『ウロボロス4』という組織の本質だった。
無論、招集された若者達にも利益はある。
世界最高の軍事技術に触れ、それを学ぶ機会を与えられることは、それぞれの故郷にとって計り知れない利益となる。
実際、自国がウロボロス4に呼ばれず、反対に隣国だけが呼ばれて技術が与えられた、という事態を考えれば、その深刻さが分かろうというものだ。
また、マグダレーナを筆頭に、多くの王国要人とつながりができることも大きい。
いわゆる「コネ」。
結局の所、ルーンミッドガッツ王国とのつながりの深さこそが、この世界に点在する小国にとっては『命綱』なのである。
となれば、参加する若者達もそれなりに意識の高い者が集まる。
有名、無名に関わらず王族や貴族の子弟、大企業のエリート社員に大寺院の修行僧、はては学び舎の俊英まで。
その規模はおよそ200人。
彼らの中から15人のリーダーが選ばれ、その下に数人のサブリーダーがつく。
だが当然、それだけでは軍隊の体裁にはならない。彼らを『士官』とし、その下に『兵隊』が配置される。
この兵隊には、ルーンミッドガッツ王国の正規軍兵から選りすぐられた兵が当る。
例えば、昨夜行われたファルコンチームの戦いで、静やフール、速水らと実際に剣を交えたのは彼らであり、死んだのも彼らだ。
ちなみに士官であるウロボロス4の構成員は、ファルコンリーダー以下全員が生還していた。
なお、そのファルコンリーダーは、リヒタルゼンに本社のある巨大企業の重役の息子。
彼らの素性は基本的には隠され、部隊内では階級以外の上下関係は存在しないことになっている。
が、自然とそういう話は漏れる、というか、高位の者ほど漏らしたがる。ファルコンリーダーは当初から自分の立場を隠そうともせず、逆に遠い天津出身の流らを『田舎者』と蔑んでいた。
外の世界の微妙な序列感情。それを超えて頭角を現した一条流。
大企業の重役の息子という地位に最後まで固執し、流を侮り続けた『ファルコン』もしかし、今回の件で失脚した。
その原因が流の許嫁である一条静、というのは皮肉だが、ユークの言う通り、これで流の力を認めない者はいなくなるだろう。
そして、掌を返したような態度を取る者も増えて来る。
流ら『御一行様』が、流の部屋の前まで来た時だった。
「…お待ちしておりましてよ? 流様」
柔らかい声がかかった。見事な金髪がさらり、と揺れる。
「…ロビンリーダー。失礼ですが、リーダーは本名で呼ばれるのがお嫌いです」
眉間にしわを寄せたユークレーズが、流の前に出て抗議する。
が、抗議された方は涼しい顔。
「あら、これは失礼致しました、スヴェニア卿」
ユークの『姓』の方を尊称で呼びつつ、わざとらしく頭を下げた女性は、ヒールの分だけユークレーズよりも背が高い。
眉を奇麗に整え、唇を艶やかに、しかし品良い色に塗っており、そして肌もあらわなダンサーの衣装が反則級に似合っていた。
『ロビンリーダー』。本名をジュリエッタ・クライテン。
昨夜、流が指揮するタートルチームと共闘したロビンチームのリーダー。
職業はダンサー。早くからバイオリンの天才少女として鳴らした腕前で、その演奏術には定評がある。
何やら豪華な飾りのあるバスケットを、両手で身体の前に下げているのは、そうるすると自然に腕の間で、豊かな胸が強調されるからか。
若い女性の魅力を十分に備え、そしてそれを最大限に活用する術を知り尽くしているらしい。
「タートルリーダー、とお呼びした方がよろしいでしょうか? 流様?」
「できれば」
流が短く応えるのに、形の良い眉を微かに寄せて、
「でも、貴方をタートル、などと呼ぶのは失礼な気がして…」
「いえ。私の国では逆に、亀は長寿の動物としてむしろ縁起が良いのです」
もの凄くどうでもいい答えなのだが、ロビンリーダーは素晴らしい笑みで受ける。
「そうなのですか! では私も、誇りを持ってそう呼ばせていただきますわ、タートルリーダー。…昨夜は本当にありがとうございました」
「任務を果たしただけです、ロビンリーダー。賞賛されるべきは、実際にモンスターを撃破した貴女のチームだ」
「いいえ」
ロビンリーダーがす、と流に近づく。何と言うか実に様々なニュアンスを含ませた前進に、ユークでさえちょっと鼻白んで後退する。
微かに上気した肌の熱と、これまた上品な香水の香りが同時に男に伝わる、絶妙の距離。
「タートルチームの盤石の支援のお陰です。私たちはただ、子供のようにスキルを撃ちまくるだけでよかった。…まるで、太古の父神の胸に抱かれているような安心感でした…」
「さすが、詩人でいらっしゃる」
流が苦笑する。
「ま…」
首を傾げて微笑む仕草。
ちなみに彼女、朝の会議で流の味方をした『コンドルリーダー』ことテムドール・クライテンの実の妹。
そして、一条静にこてんぱんにされた『ファルコンリーダー』ことマレル・キタナダの恋人でもある。
この3人はいずれもリヒタルゼンの出身。
ファルコンリーダーが大企業の重役の息子なら、『コンドルリーダー』と『ロビンリーダー』の2人はその会社の社長の子息、という間柄
『ファルコン』が『コンドル』を異常に恐れていたのはそのせいである。
だがジュリエッタと言えば昨夜、タートルチームと組むまでは、流の事を田舎者扱いする一派だったはずである。まあ、実兄である『コンドル』が流を高く買っているため、表には出していなかったが…。
どうやら、一夜で鞍替えしたらしい。
「タートルリーダー、朝食はお済みなのですね…マグダレーナ様と…?」
「ええ、ご相伴に預かりました」
「まあ、羨ましい! でも貴方だからこその光栄ですね」
一言ごとに、流との距離を微妙に縮めて行くのも、何かの技術の一つなのだろうか。
「…あの…ロビンリーダー? 失礼ですが、タートルリーダーはお疲れなのですが…」
ユークレーズが、何か未知の生物にでも声をかけるように、おっかなびっくりの様子で抗議する。
が、効果無し。ユークを取り巻いている事務方の連中も、どうしたらいのやら、という様子だ。
「お着替えも、身体のお清めもまだなのでしょう? お手伝いしようと思って参りましたの」
ひょい、と両手に下げたバスケットを挙げてみせる。わざわざ肩をすくめるようにするのも視覚効果の一種か。
「子供ではありませんので、貴女のお手を煩わせるまでもありません」
「まあ、貴方を子供だなんて、思ってもおりませんわ。…色々な意味で」
くすり、と笑ってみせる。逃がす気なし、ということらしい。
「あー、こほん」
わざとらしい咳払いが、流の部屋の中から響いたのはその時だ。さすがのジュリエッタが一瞬、そちらに気を取られる。
「失礼」
その隙を付くように、流がジュリエッタの脇から太い腕を伸ばして、自室のドアを押し開けた。結果、彼女が流の胸に肉薄する結果になったのだが。
「お疲れさまです、リーダー」
ドアの向こう、流の自室では5人の男女が、敬礼しつつ流を迎えていた。スキンヘッドのモンクに、流を凌ぐ巨漢の鎧武者、逆に重装甲ながらユークよりも背の低い女戦士と、なかなかにユニークな顔ぶれだ。
流の部下、タートルチームの小隊長、『ユニットトップ』達である。
「ご苦労。待たせてすまんな」
「いえ、リーダーこそ色々ご苦労なことで。…ロビンリーダーも、色々お疲れさまであります!」
『色々』の発音に妙に力を入れつつ、ニヤリ、と笑ってみせたのはスキンヘッドのモンクだ。
「ありがとう…ヨシア、でしたね? 昨夜はお疲れさまでした」
ジュリエッタが、皮肉なぞ全く感じていない笑顔で敬礼を返す。
「皆、せっかく集まってもらったが…ミーティングはオレ抜きで行ってもらう。朝飯でも喰いながら、詳細をユークに聞いてほしい。以上だ」
「了解!」
全員が再び敬礼し、ドアの前から身体をよけた流とジュリエッタの横を抜け、部屋から出て行く。
「ああ、ヨシア」
最後になったスキンヘッドのモンクを、流が呼び止めた。
「イエス、リーダー?」
「例の件、お前の望むようにしよう。その代わり…」
「分かってます。そっちはリーダーのご希望通りに。…ワガママ言ってすんません」
「構わん。今後ともよろしく頼む」
「こちらこそです。…では、失礼します」
やはりニヤ、と笑って部屋を後にする。
「ロビンリーダー。手伝い云々はともかく、立ち話も何ですので。どうぞ」
「ありがとうございます、タートルリーダー。では」
流の胸板を軽く押すようにして身体を放し、部屋の中に滑り込む。
続いて流が巨体を部屋に入れ、ぱたん、とドアを閉じた。
ウロボロス4のチームリーダーに与えられる部屋は、このちょっとしたミーティングも可能なリビングと、ドアで仕切られた寝室兼書斎の二間だ。
「…部下の方々にはご迷惑だったかしら?」
「事務連絡だけですので、ユークがいれば十分です。…で、本来の御用向きは?」
流がジュリエッタの荷物を預かり、椅子を引いてテーブルにつかせる。
「兄からの伝言を。午後、お茶をご一緒にと…『例の件』だと存じますわ」
「承知した、とお伝え下さい」
「はい。…で、ここからは私の用向き。お手数ですが、バスケットを開けて頂けます?」
「喜んで」
豪華な飾りを持つバスケットを開けると、
「…ワイン、ですか」
「実家から持って参りました取って置きですの。貴方と味わいたくて」
流がワインの瓶とグラス二個、それにレースのクロスを取り出したところで、ジュリエッタがバスケットを取り返す。
「でもその前に、どうぞお着替えを。本当に清めの道具も持ってきましたので、お手伝いしますわ」
さすがに流が苦笑する。
「繰り返しますが、私は子供ではありませんよ」
「私も子供ではありませんわ」
ジュリエッタがふ、と立ち上がると、その身体を流の巨体に預けた。
今度こそ邪魔者はいない。
「これでも、下心満載で押し掛けておりますのよ? お分かりでしょう?」
「私には婚約者がいます」
「存じております。…でも気にしませんわ。『今』貴方の側にいるのは私なのですもの」
バイオリンの弦を操らせれば、歴代のウロボロス4でも最高と謳われたその指が、流の頬から首筋を撫でる。
そして、その甘い身体をそのまま注ぎ込むような、何かの魔術にも似たキスが流の唇に贈られる。
「ジュリア、って呼んで? 流…」
「かーっ、いいねえ! やっぱいい男にゃいい女が付くねえ! おい!」
一方、流の部屋の外。
ある意味『お邪魔虫』扱いで放り出された、ユニットトップ連とユークレーズ達。
ぞろぞろと食堂の方へ歩きながらの話題は当然、彼らの若き指揮官だ。
「お着替えのお手伝い、と来たもんだ。男の部屋に夜ばい…ってかもう昼だけどさ。にしたって言う事が違うわな」
ニヤニヤ笑いで大声を上げているのは、ヨシアと呼ばれたスキンヘッドのモンク。
元はラヘルにある大寺院に口減らしのために入門させられた農民の子で、修行の末に金剛モンクとして大成したものの、どうにも聖職者にしては性格が荒っぽすぎて、厄介払い半分でウロボロス4に来た。
どこのチームも持て余し気味だったのを流が引き抜いて、移動支援特化『ウイングユニット』のユニットトップに据えた経緯がある。
「な…! もう、ヨシアさん! 変な事言わないで下さい! リーダーがあんな破廉恥な誘惑に引っかかるワケありません!」
ユークレーズが真っ赤になって反論する。だが、それを冷静な女性の声が遮った。
「…甘いね、ユーク。アンタにゃまだ分かんないだろうけど…あの女、できるよ…」
飾り気のない、しかし滑らかで機能的な重装甲をまとった女性は、サリサ・ゾシマ。何とタートルアイランドを拠点とする海洋民出身のクルセイダーだ。
恐らく、ウロボロス4の前衛職中最も背が低い。が、巨大な盾と片手斧を武器に、敵の腰より下の空間をホームグラウンドとして戦う『甲撃術(ビートルアー ツ)』の使い手であり、その局地的な阻止力と耐久性、そして意外な機動性を武器に、耐久型遊撃特化「ハンマーユニット」を率いる。タートルチームの数少ない火力職は全員、彼女の指揮下だ。
「…女のアタシにゃわかるがね。あのツヤっツヤの肌にサラっサラの髪。朝のミーティングから1時間ちょっとの間に髪洗って肌整えて…。しかもあのメイク。塗ってるって感じさせない技量と来たら、ちょっとしたもんさ。我がリーダーといえどもわかんないよー?」
「…そ、そんな…!」
ユークレーズが本気で顔色を変える。が、そこにもう一つの声がかぶさった。
「ありえん。我がリーダーに限ってそのようなことはな」
その声はあくまで低く、太い。広大な森の中で最も大きな巨木が喋り出したような、聞く者に畏怖さえ感じさせる声。
「そうです! そうですよね! ダインさん!」
味方を得て急に元気になったユークが声の主を見上げる。遥かに高く。
身長2メートル15センチ。ウロボロス4で唯一、流を凌ぐ巨体を持つこの男は、ダイン・アングロル。
フィゲルの田舎貴族の長男で、職業はこれもクルセイダーだ。が、抜群の耐久性を誇る肉体を持つ代わりに、反比例して運動能力が余り高くなく、どこの部隊で も独活の大木扱いされていた。それだけに、自分を引き抜いて定点防御特化「ウォールユニット」のユニットトップに抜擢してくれた流への心酔は深い。『リー ダーのためならこの身は砕けても本望』と公言してはばからないこの巨漢は、ユークレーズと並んで『流びいき』の二大巨頭だった。
「そういうけどよ。ウチのリーダーがロビンリーダー喰っちゃったからって、何か不都合あるか? どっちも独身じゃね?」
「だよね〜。リーダーには婚約者がいらっしゃるらしいけど、まだ16歳のお姫様だそうじゃないか。あのリーダー乗っけるのは大変じゃないかね〜。その点、ロビンリーダーは根性入ってるよ、ありゃあ」
「…お前達は下世話に過ぎる。『喰った』『乗せた』と…少しは言葉を選べ」
「そうですよ! くっ、喰うとか! ヨシアさん下品すぎです! …サリサさん…乗せる…って何ですか…?」
ダインが重々しくたしなめ、ユークレーズが首を傾げる。
ちなみに、昨夜ファルコンチームを壊滅させた『化け物女剣士』こそが流の婚約者、という事実はユークしか知らない。余計な遺恨や先入観をバラまく必要はない、という流の判断だ。
それを知っていたら、サリサの評価もかなり変わっていることだろうが…。
残る治癒特化『ヒールユニット』を率いるパラディンのモーリス・リンが静かに苦笑。治療特化のトップがパラディンとは意外だが、これはタートルチームにおいて僧侶・モンクが全員、優先的にウイングユニットに編入されているのが原因だ。
『一秒でも速く行動地点に到達し、一秒でも速く退却する』
チームの存在意義の第一をそこに置いた、指揮官である流の指示である。
『どんなに強力なチームも、戦うべき時に戦うべき場所へ到達できなければ意味がない』
そう断言する流はとにかくワープポータルを使える人員を最優先に、かつ完璧に組織している。
ゆえに『芸術』。
その部隊移動システムが起動すると、まずダイン率いるウォールユニットが送り込まれて核となる陣地を確保。続いてサリサのハンマーユニットが敵を駆逐しつつ、制圧地を広げて行く。
その後方から、ウイングユニットの仕事から解放された僧侶勢が、ヒールユニット兼務として支援を行う。そして退却の時は再び、ウイングユニットに戻るのだ。
最も人数の少ない強化支援特化『メロディーユニット』のオーロフ・ミシマギは、彼らのおしゃべりには我関せず。それもそのはず、このモスコビア出身のバードは王国語をほとんど理解しない。彼の半歩後ろに控えた少年従者のヤミンが通訳しない限り、会話に加わることはないのだ。
が、その代わりさっきから途切れる事無く、ご機嫌で軽妙な口笛を吹き鳴らしている。
彼らが秘密部隊のメンバーだということを一瞬忘れるほど、個性的でにぎやかな一団。
ふと、ユークレーズが思い出したように、
「…あ、ヨシアさん。さっきリーダーがおっしゃってた『例の件』って…」
「ああ、アレな。オレ、ユニットトップ降りるんだ。つーかウイングユニットからも追ん出て、一人でやらしてもらうんだわ」
「ええ!?」
ユークレーズが目を剥いてヨシアに食って掛かる。
「何勝手な事言ってるんですかヨシアさん! 駄目ですよ! ウチで一番重要なウイングユニットのトップがそんな…」
「だってなー。毎度毎度、移動経路とか憶えらんないしよ〜。いっつもお前に怒られてばっかじゃん、オレ? お前に迷惑かけすぎだって、リーダーからも言われてるしな」
「それは…ヨシアさんが真面目に憶えないからです! だからって…ユニットトップ降りるなんて…僕、そんなつもりじゃ…」
「いやいや、お前のせいじゃないって」
ヨシアが筋肉質の腕を伸ばし、ユークのプラチナブロンドをがしがしと荒っぽく撫でる。
「やっぱオレ、このやり方馴染めないんだわ。努力とかの問題じゃなくてさ。で、リーダーに相談したら、好きにさせてくれるって言うからさ」
「アンタぐらい硬けりゃ、ハンマーでも大歓迎だよ? その気があったら来な」
「…ウォールでも使えん事はない…少し静かにしてもらうが」
サリサとダインはさして慌てもせず、呑気に自ユニットに誘ったりしているが、ユークレーズはずっと憂い顔だ。
「でも…ヨシアさん、ホントはできるのに…」
「この方がいいんだって。後任はジルだから、そっちのが絶対向いてるべ」
ジル・ソービニアはヨシアと同じ、ラヘルの出身の女モンクだ。だがヨシアが育った寺院より遥かに戒律の厳しい名門寺院で育ったためか、ヨシアとは正反対に生真面目で几帳面。ただ戦闘能力と戦場での勝負勘、という点でどうしてもヨシアに分があるため、ナンバー2に甘んじていた。
正直、ヨシアとは折り合いが良いとはいえず、組織を優先するならばむしろ当然の人事なのだ。
「ジルならきっちりやるさ。ちと融通は効かないけど、その辺は上手く頼まあ」
ユークレーズの頭から手を離し、今度はがっちりと肩を組む。
「…で、ヨシアさん、これから何を?」
「内緒だ」
「ええええ!?」
わっはっは、と笑いながら自分のスキンヘッドをつるり、と撫でる。
「リーダーの特命、とだけ言っておこう!」
「…」
ユークレーズの眉間のしわが取れない。が、何を言っても駄目だということは彼にも分かっている。
ふう、とため息。
「じゃもう、勝手にして下さい。でも、行動のレポートとお金の清算はちゃんとしてくださいね!」
「へいへい。…さーメシだメシ。もう昼になっちまうよ。今日の朝飯何だっけ」
「トーストとスクランブルエッグ。スペシャルは鹿肉のハム。スープはミネストローネ。飲み物はいつものコーヒーとミルクとオレンジジュースです! 献立ぐらい憶えて下さいよ!」
「んなもん一週間分もその先も憶えてんの、お前ぐらいのもんだって、ユークよぉ」
タートルチームのにぎやかな食事は、ウロボロス4の名物の一つなのだが、今日はまた一段と賑やかになりそうだった。