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第九話「金剛不壊」(1)
  「30秒前!」
 深夜の、明るい月が浮かんだ空に向けて、号令係の良く響く声が吸い込まれた。
 「20秒前! 第1詠唱、用意っ!」
 周囲に無数のかがり火が焚かれた、プロンテラ王城内の練兵場。
 等間隔で一列に並んだ5人のハイプリースト・プリーストが、一斉に手の中にブルージェムストーンを落とす。おなじみの空間転送魔法『ワープポータル』を使うための触媒石だ。
 「10秒前!」
 これまた一斉に印を結び、詠唱の準備を整えた術師。その全員が、両腕に手甲のような器具を装着している。その表面にはずらりと、青く光る触媒石。『ストーンホルダー』と呼ばれるこの器具は、大量の触媒石を素早く、かつ効率的に使うために考案されたもので、両腕合わせて200個の石を装着でき、かつ必要な時には手首のわずかな動きで石を手に保持できる。石がなくなれば、腰につけた『ローダー』と呼ばれる細長い器具から、中に収められた20個の石を一瞬で補充可能。そして作戦中はこのローダー50個を常に携帯する。
 それがウロボロス4・タートルチームの移動支援班『ウイングユニット』の基本装備だ。
 「5秒前! 4! 3! 2! 1! GO!」
 待ちかねた詠唱は一瞬。
 空間の『あちら』と『こちら』をつなぐ奇跡の光輪が5つ、地面に出現する。
 その輪の中心へ向って、詠唱者と同じハイプリースト、あるいはモンク、チャンピオンの装備を着けた『ウイングユニット』が一斉に駆け込む。一つの光輪につき、転送限界人数である8人ずつ、総勢40人。
 彼らは、光の中に姿を消したとと見るや、ほんのわずかの時間で全員が戻って来た。『あちら』で転送先を記録する『ポタメモ』を取り、すぐに帰還してきたのだ。と同時に、力の限り走って最初の5人の両翼に等間隔で整列。
 「第2詠唱! 5、4、3、2、1、GO!」
 やはり詠唱は一瞬。鮮やかに並んだ奇跡の光輪は、最初の5人に戻って来た40人を加えた、計45個に増えている。そこに再び、別の『ウイングユニット』が数十人が駆け込み、帰還し、さらに光輪の列を伸ばす。
 「第3詠唱!」
 カウントダウン。やはり光輪は一瞬で起動した。
 完璧に等間隔で並んだワープポータルの光輪の列はついに、広い練兵場の端から端まで届いた。『芸術』と讃えられるタートルチームの移動支援を象徴する輝き。その鮮やかな展開ぶりに、居並ぶウロボロス4の他チーム、総勢七千近い兵からも声にならない感嘆が漏れる。
 「出撃準備よし!」
 号令係の声にその指揮官、タートルリーダー・一条流が小さく、しかし重くうなずいた。その巨体にふさわしい豪壮な鎧姿が、やたらと似合っている。
 「よし。ウロボロス4、総員出撃」
 「総員出撃!」
 待ち受ける光の輪を目指し、七千の軍団が一斉に動き出す。その足音は地響きとなり、軽度の地震の如く王城の窓ガラスを細かく身震いさせる。
 「相変わらず見事なもんだがね、流や。でも一応、総司令官はアタシなんだけど……まさか忘れちゃいないだろうねえ?」
 流の後ろから響いた苦笑混じりの声はマグダレーナ・フォン・ラウム。
 王国の秘密組織・ウロボロスの『第4団』を牛耳る女戦士。首都防衛を担う『四季将軍』を始め、軍・王室の深部にまで影響力を持つ『影の女』であり、『戦前種(オリジナル)』を模して作り出された『完全再現種(パーフェクト・リプロダクション)』でもある。
 今、その彼女が掌握するウロボロス4の総出撃が行われたわけだが……。
 「お義理にでも総司令官様の許可取るとかさ、少しぐらい愛想があってもよかないかい?」
 「失礼しました、マム」
 流が丁寧に頭を下げて謝罪するが、その声や態度には反省の色など薬ほども無い。
 「作戦スケジュールはご覧の通り、問題なく遂行されていますので、あえて許可を頂く必要はないと存じまして」
 「あー、まあいいんだけどね」
 マグダレーナがヒラヒラと掌を振ってみせた。彼女にしても実際の所、流の言うことに嘘はないと分かっている。出撃の準備から始まって、出撃、展開、撤収に至るまで分単位、秒単位で完璧に整えられたスケジュールは、マグダレーナをして全く口を挟む余地のないものなのだ。
 (ホント、こんな茶々でも入れてなきゃ、アタシのすることがないじゃないか)
 どこまでも苦笑まじりで、マグダレーナは内心ボヤく。
 「……では我々も参りましょう。マム」
 流が軽く手で促した先に、既に彼ら専用の光輪が2つ用意されている。タートルチーム・ウイングユニットから選抜された2人のハイプリーストによるものだ。
 2つあるのは、流とマグダレーナそれぞれのためである。マグダレーナは『月影魔女』と呼ばれる女戦士達(彼女らは全員が幼少時からマグダレーナの養女であり、忠実な『私兵』である)を引き連れているし、流もまた専属の『旗本隊』を持っている。先の『ウイングユニット』選抜の2人と同様、防御班『ウォールユニット』、攻撃班『ハンマーユニット』、支援班『メロディーユニット』から選抜された少数の腕利きが、タートルリーダーたる流の周囲を固めている。この精鋭集団は『タートルコア』と呼ばれ、各ユニットとは別行動で常に流に付き従う。ちなみに、最初に紹介したウイングユニットのハイプリースト2人は、治療班『ヒールコア』を兼務する。
 さすが精鋭だけあって『ユニットコア』達の動きは機敏だ。先に『ウォールコア』の2人がワープポータル内に突入し、それに『ハンマーコア』2人が続く。その後に『ヒール(ウイング)コア』が1人だけ光の輪をくぐる。万一、転送先に敵が待ち構えていた場合の用心だ。先に突入した前衛4人と支援1人が場を支えている間に、後続は即時退却できる。
 ここで一端、呪文を詠唱し直して新しい光輪が出され、『メロディーコア』、そしてリーダーたる一条流、最後に『ヒール(ウイング)コア』が輪に入る。
 (……ホント、見事なもんさ)
 マグダレーナも『娘達』に続いて、専用に用意された光輪をくぐった。すると、転送された先の目の前にもう、既に新しい光の輪が用意されている。
 タートルチーム得意の『多段転送』。タートルリーダー・一条流が考案した、ワープポータル越しの追跡を振り切るシステム。ウロボロス4のメンバーの間では、天津の貴族達が行うという呪術的な移動法になぞらえて、『方違(かたたがえ)』とあだ名される。
 『方違』の中継地には、一条流によれば海岸などが選ばれることが多いと言うが、マグダレーナにはそれを確かめる時間はない。単なる中継地にかがり火などは用意されていないから、周囲は闇。ただその闇にも明るく輝く、目の前の二段目の転送光輪を、間を置かずにくぐっていく。
 その頬に一瞬、確かに海風の匂いが掠めるのを感じた。
 (……やはり海が近い)
 そう思った次の瞬間には、彼女の身体はもう光輪を抜け、彼女を包む匂いも別な匂いに変わる。
 乾いた草と、土の匂い。
 高地の痩せた土地に、乾燥に強い灌木と背の低い草が生い茂る土地。今は闇に沈んだそのフィールドの真ん中に、そこだけが宝石を積み上げたように輝く大都市が浮かび上がる。
 『企業都市リヒタルゼン』。 
 東側の高台にスラムを従えたその大都市は、高度な科学技術と豊富な資金力を背景に、シュバルツバルド共和国の経済活動の中核を成す一大拠点だ。
 その巨大都市の間際、その闇の中に、ウロボロス4の軍勢が整列している。
 無音。
 「……マム。予定通り作戦に移ります。目的はリヒタルゼン市内の『カルファレン社』の強制捜査と、脱走した元コンドルリーダー、テムドール・クライテンの発見・捕縛。まず斥候部隊を都市内の目標施設へ。同時に別働隊が郊外の空港を急襲して停泊中の飛行船を奪取。本隊を飛行船にピックアップした後、上空と地上から時間差による奇襲をかけます」
 「任せるよ、流」
 先ほどのマグダレーナのクレームに対する配慮だろう、流がわざわざ確認を求めてくるのへ、マグダレーナはまたひらひらと手を振る。その作戦内容に関しては、計画段階から耳にタコが出来るほど聞かされていて、マグダレーナでさえ空で暗唱できるほどだ。実行手順はまさに秒刻みの緻密さで組み立てられており、空と陸から敵を立体的に挟撃する大胆さと独創性はまさに『一条流ならでは』だろう。
 それにしても、民間の飛行船を奪取して使用するという作戦は、いささか乱暴と言うかテロすれすれ。いや、見方によっては立派なテロだ。
 そもそもターゲットとなるこの都市は、ウロボロス4が所属するルーンミッドガッツ王国ではなく、隣国のシュバルツバルト共和国の都市。つまりここは「他国」であり、事によっては「敵国」である。そのど真ん中で、共和国側に何の連絡もしないまま軍事行動を起こすわけだから、政治的にも極めて危険な行為である事は言うまでもない。
 しかし、だからこその『ウロボロス4』なのだ。
 彼らは確かにルーンミッドガッツ王国に属しているが、正規軍ではない。言うなれば『外人部隊』である。その構成員も、兵士はともかく士官達は全員、王国の人間ではないのだ。
 王国にしてみれば、もし露見したとしても直ちに切り捨てる事ができる。『そんな部隊は存在しない。我が国の名を騙ったテロ組織である』と。
 超法規的な外人部隊。それを率いる影の権力者マグダレーナ。それが『ウロボロス4』の強さであり、同時に危うさでもあるのだった。
 「……信頼しているよ、流。以降、異常事態を除いては報告も確認もいらない」
 「ありがとうございます、マム」
 流が一つ頭を下げると、静かに命じた。
 「状況開始」
 七千の精鋭部隊が音もなく、一斉に動き出す。
 元々が徹底的に訓練されたエリート揃いとはいえ、一条流の手腕によってほとんど一夜で、ここまで完璧に組織化された軍団を前に、さすがのマグダレーナも微かな戦慄を憶える。実際、この一条流という男の能力から言えば、この七千の精鋭部隊の指揮でさえ全くの役不足だろう。この男の指揮下に入る軍勢が数万、数十万、数百万に膨れ上がった時、この世の誰が対抗しうるのか。
 マグダレーナの脳裏に、部下であるクルトの進言が蘇る。
 (……一条流を、天津に帰すべきではない)
 あの夜、彼女自身が言下に退けた進言。それが今、彼女の内心にさえ微かな迷いを生んでいることも確かだった。
 だが、今は作戦中だ。余計な事を考えるべき時ではない。
 「……さて、リヒタルゼンか。鬼が出るか蛇が出るか」
 マグダレーナが呟くのへ、
 「鬼や蛇なら可愛いものです」
 傍らの流が即座に受ける。こういう受け答えもできるところなど、決して真面目一辺倒でもない。その一方で伝令を次々に走らせ、報告を受け、指示を飛ばすことも怠らない。そのため伝令の数も通常の部隊を遥かに上回り、下手をすると戦闘部隊より多いのではないかと疑うほどの規模だ。
 落ち着いているが鈍重ではなく、機敏だが焦ってはいない。まったくもって、『指揮官』というものの見本のような男だった。
 (……クルトには悪いが、こっちのがやりやすいのは事実だね)
 マグダレーナの脳裏に、今は不在の副官の生真面目な顔が浮かぶ。
 と、同時に、

 『「あァ? 作戦だァ? んなもんお前、向こうより先にばーッと行ってよ、んで先にガツーンとやったモンの勝ちよ勝ち!」』

 遠い昔、戦場で聞いたドラ声が、彼女の脳裏に蘇る。
 頼もしくもあり、同時に頭痛のタネでもあった、その懐かしい声。かつて不敗の伝説と共にウロボロス4を『シメていた』あの男。
 『クレイジーアイアン』・一条鉄。
 今、彼女の隣に立つ一条流の叔父であり、同じ一条家直系の血を引く男だが、とてもそうは思えないほど行動・性格ともに正反対。しかし、こうして共に戦場の風に吹かれてみると、マグダレーナには別の感慨もある。
 (……この存在感はやはり、同じ『戦人(いくさびと)』の血かね)
 戦場という『鉄火場』に生を受け、乳を飲み、飯を食って育った男の匂い。ルーンミッドガッツ王国の貴族どもからはとうの昔に失われた剣呑で、しかし頼もしい匂い。
 腕一本・頭一つで国を分捕り、あるいは守り抜いてきた『戦人』の血が、天津にはまだ脈々と生きているのだろう。
 『頼むに足る男達』。そのまぎれもない本物の風格に、マグダレーナの血さえ微かに熱を帯びる。
 「脱走した元コンドルリーダー『テムドール・クライテン』の発見と身柄確保が優先だ。決して殺すな。自害もさせてはならん」
 一条流の指示が飛ぶ。
 この内容は当然、事前に全員に叩き込まれている。が、改めてこうして念を押すのもまた『戦人』・一条流らしい配慮である。なぜなら、戦場に出た兵士というものは、往々にして作戦や目的を見失うものだからだ。どれほど訓練を積んだ者でも、現実に敵を目の前にした途端に『戦うこと』しか頭に浮かばなくなることは珍しくない。本能としての闘争心や生存欲の方が勝ってしまうのだ。
 もっとも、この戦闘本能のない兵士など戦場では物の役に立たない。そのため、そこら辺のさじ加減こそが指揮官の腕の見せ所、ということになる。
 『いいか、くれぐれも殺すな。身柄の確保だ。特にコンドルチームのメンバーは、元リーダーを視認したら即、知らせろ』
 テムドール・クライテン。
 一条流によって造反を暴かれ、王宮の留置場へ拘置されたはずのテムドールが、ほとんど即座に脱走した事実は、ウロボロス4にとっても大きな衝撃だった。
 テムドールの拘置直後、面会に行ったクルトが既に拘置所が空であることを発見した(実際に脱走させたのがクルト自身であるなど、誰も想像さえしていない)のが昨日のこと。
 その報告を受けたマグダレーナは激怒し、クルトを叱責した上で直ちに捜索を指示した。が、ウロボロス4だけでなく、マグダレーナの影響力の及ぶ王国の組織が総動員されたものの、テムドールの行方は未だに分からない。 
 こうなってはもう、残る手がかりは彼の実家・リヒタルゼンでも有数の企業である『カルファレン社』しかない。実際テムドール自身も、一条流を自らの謀略に勧誘する際に、その野望の一端を実家の会社が担っていることを匂わせている。
 『ウロボロス8』。
 『次の聖戦の必勝』を目的に組織されたウロボロスの中でも、『生命操作』によってより強力な人間、あるいは魔物を作り出すことを目的とした組織。『戦前種』を模して作られたマグダレーナ自身がその組織の『作品』であり、自らの会社がそれに手を貸したと、テムドールは流に明かしている。
 テムドールがその言葉通り『ウロボロス8』の復活を目論むならば、母体である会社に何らかの手がかりを残している可能性は高い。いやむしろ『世界を手に入れる力』と彼が豪語した企みの、その本体さえそこにあるかもしれない。
 そう考えればこの作戦の意味は、単なる組織の裏切り者の逮捕、というだけに止まらない。下手をすれば王国、いや世界の存亡に大きく関わる作戦となるかもしれなかった。
 (しかし、何をしようと言うんだろうね、あの若造。……いや、恐らくバックには『あの連中』がいる)
 マグダレーナの脳裏に、かつて『ウロボロス8』を構成した科学者達の顔がよぎる。その中にはあのテムドールの祖父もいた。
 (アタシを作り出した『神様気取り』の技術屋ども)
 その顔の中でも、まだこの世に残っている者は多くない。彼らの後を継いだ『ウロボロス8・速水厚志』は死んだ。しかしマグダレーナは、残された彼らが今も『神様気取り』の実験を繰り返している事を疑わない。
 例えば彼らがまた、自分のような『再現種(リプロダクション)』を作り出したとしたら。あるいはそれを量産でもしたら。
 (連中を放置するんじゃなかった。とっとと潰しておけば……!)
 だが後悔してももう遅い。
 「斥候部隊より報告! 建物外観より目視する限り、カルファレン社は無人の可能性大。侵入して捜索します」
 「よし」
 「飛行船奪部隊より報告。全チーム配置に付きました。予定通り、管制塔と飛行船を制圧します」
 「うむ」
 流も、もう細かい指示は出さない。作戦は順調。
 ……そう思われた時だった。
 ばしゃあっ!!
 いきなり猛烈な閃光が、真夜中のフィールドを貫いた。光源は空港。管制塔やドックといった施設全体が一瞬、影とになって浮かび上がるほどの光量。
 「何が起きた?! 伝令急行しろ! 予備班も行け! ロビンチーム、急行して状況把握。戦闘があるかもしれん!」
 「サー・イエス・サー!」
 流の指示で伝令班が、さらには強行偵察を任務とするロビンチームが急行する。『ロビン』はあのテムドールの妹、ジュリエッタがリーダーを務めていた部隊だが、ジュリエッタの脱走(流がわざと逃がしたとは、これも公には知られていない)により、今はリーダー不在のまま流の直接指揮下にある。専門の斥候部隊がアサシン・ローグといった盗賊系の職業で固められているのに対し、ロビンチームにはペコペコに乗った騎士系の兵士や、僧侶・歌吟系の支援職もバランスよく配置され、いざという時にはかなりの軍事制圧能力を持つ。
 「マグダレーナ様、異常事態のようです」
 「ああ。今の光、アタシにも見覚えがないね。……何だ、一体?」
 流の報告を聞くまでもなく、マグダレーナも異常を感知している。流もそれは承知だが、改めて『総司令官』の顔を立てただけだ。
 そんな2人の所に、息せき切って伝令が戻って来る。
 「報告! 先ほどの光は『飛行船』です! ですが『飛行船ではありません』!」
 「何を言っている?!」
 伝令の言葉に、流が顔をしかめる。この手の要領を得ない言葉を、最も嫌うのが流という男だ。
 「落ち着いて正確に話せ! でなければ見たままを、そのまま全部言え!」
 「申し訳ありません、サー! 飛行船奪取班が、停泊中の飛行船に接近しようとした瞬間……飛行船が突然発光し、その光で奪取班は消失! 一瞬で蒸発したものと思われます! 改めて後方から確認したところ……飛行船と見えた物は飛行船ではなく、何か別の物体です!」
 「何っ?」
 さすがの流が、全身に鬼気をみなぎらせた。ウロボロス4の襲撃班を一瞬で消滅させるほどの『未知の物体』。
 それが脅威でないはずはない。
 『全軍臨戦態勢! 市内偵察中のオウルチームを呼び戻せ! スワローチームも空港へ向え! 作戦変更、未知の脅威の把握を優先する!』
 流の決断は速い。オウルは盗賊系の職業で構成された隠密斥候専門、スワローは弓手・銃手を揃えた狙撃チームだ。
 しかし状況は、流の指揮すら超えて動いた。
 「……! 何だいありゃあ!」
 マグダレーナが思わず声を上げた。
 閃光の後、再び暗闇に落ちた空港から、何かが浮上してくる。全長80メートルほどの葉巻型。それは飛行船のようだが、しかしプロペラも何もない。
 ただ、音も無く浮上して来る。
 ばしゃあっ!!
 再び、あの閃光が閃いた。それは今度は消えることなく、葉巻型の『船体』の後部から吹き出す光の翼となって。夜のフィールド全体を照らし出す。
 真夜中の太陽。
 光の翼の数は『12枚』。
 それはかつて『ここではない遠い世界』で、最も優れた神の御使いに与えられた翼の数。
 そして、神を裏切って闇に堕ち、黒く染まった翼の数。
 エネルギーウイング・『ルシファー』。
 あの『ヤスイチ号』の同型艦であり、そして今やヤスイチ号を凌ぐ力を持つ、最強の『戦前機械(オリジナルマシン)』の証し。
 『飛空戦艦セロ』。
 その恐るべき力が今、一条流とウロボロス4をターゲットした。
中の人 | 第九話「金剛不壊」 | 17:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第九話「金剛不壊」 (2)
  「……おーい、そろそろ起きねえ?」
 のんびりした、しかしちょっと困ったような声が、余り広くない室内に響いた。
 「……」 
 応えはない。
 「そろそろ起きた方がいいと思うんだけどなー」
 やはり、応えはない。代わりに返ってくるのは、すー、すー、という健康的な寝息だけだ。
 「……起きねえか。困ったなー。しかし、寝顔だけ見てりゃ、まるっきりガキだねー。……畜生、可愛いなあ」」
 声の主は、小柄だが鍛え抜かれた頑強な体躯、そして奇麗に剃髪されたスキンヘッド。この特徴ある外見を見間違える者はない。ウロボロス4・タートルチーム『ウイングユニット』の元トップ、ヨシアだ。
 ここはウロボロス4の宿舎、士官に与えられる個室の一室。だが、部屋の主はヨシアではない。
 「……むにゃ……」
 その主は現在、ヨシアの目の前のベッドで絶賛就寝中である。ヨシアはその寝顔をしばらく眺めていたが、意を決したように一つ息を吸い込むと、
 「……ユークレーズ・スヴェニア中尉! 起床っ!」
 「!! い、イエッサー!!!!」
 すっかり安眠しきった状態から、号令と同時にがばあっ! と起き上がったのはさすが軍人教育を受けただけのことはある。が、実際には『起きた』というだけで、急には状況が飲み込めていない。
 「?!?!?!?!?」
 パジャマ姿のままベッドの上でわたわたするユークレーズに、ヨシアがにっ、と笑いながらラフに敬礼。
 「お早うございます、スヴェニア中尉殿」
 「?!?? ……ヨシア……さん?」
 「おう。良く眠れたかい? しかし、そろそろ起きないと晩メシ喰いそびれるぜ。メシ抜きじゃ身体が持たねえよ?」
 「はあ……」
 ユークレーズがヨシアの顔をぼけ、と見ながら脱力する。
 ちなみにユークレーズは、一条流の副官として中尉の地位にあり、対するヨシアは少尉であるから、軍人の位としてはヨシアが下だ。が、この色々型破りな金剛モンクにかかっては、堅苦しい階級もママゴトの一種みたいなものらしい。
 「ほい、さっさと着替えろよ。食堂閉まっちまうぜ」
 「あ……ありがとうございます、ヨシアさん」
 ぽん、と放られた軍服(それは軍服であると同時に、彼の職業であるプリーストの意匠も盛り込まれたものだ)を両手で受け取ると、のろのろと着替え始めるユークレーズ。
 だが、その手がはた、と止まった。
 「ヨシアさん……今、何時ですか……?」
 「ん?」
 「食堂閉まる、って、今何時なんですか?」
 「11時ちょっと過ぎかな」
 「夜の?」
 「朝のわけないだろ、窓の外見ろよ。真っ暗じゃん」
 ヨシアの言葉をいちいち反芻したユークレーズの顔色が、見る見る真っ青になり、続いて真っ赤になった。

 「ち、ち、遅刻だあああ!!!!!作戦んんんん!!!!」
 
 ぎゃあああ!!!! と、ユークレーズの喉から絶望の叫びがほとばしる。
 脱ぎかけのパジャマを引き千切る勢いで脱ぐと、軍服のズボンに下半身を放り込む。そのまま上半身裸でベッドから飛び出そうとして、中途半端に身につけたズボンに足を取られ、ずでぇん! と顔から床にダイブ。
 「! 痛った……くないっ!」
 それでも、ぶつけた鼻っ柱を真っ赤にしながら、がば! と起き上がると、上着を掴んで駆け出そうとする。そこへ、
 「オッケー、まあ落ち着けユーク」
 がしっ、とユークレーズのズボンのベルトを掴んだのはヨシアだ。鍛錬を重ねた金剛モンクの圧倒的な腕力の前に、がくん、とユークレーズの身体がつんのめる。
 「離して下さいヨシアさん! 作戦が! 出撃が! リーダーが!」
 「だから落ち着けって。それに、もうとっくに出撃しちまったよ、部隊もリーダーも」
 「!!!!!!!」
 じたばたじたばた! と、ユークレーズが暴れるが、ヨシアの腕はびくともしない。それも片腕なのだから、驚いた筋力だ。
 「いいから落ち着け。お前は遅刻じゃないよ。リーダーからちゃんと『留守番』の命令が出てる。ほれ、命令書」
 ヨシアが空いた方の手で、胸のポケットから折り畳んだ書類を取り出し、ユークレーズの鼻先に突き出す。
 ぱっ! とその書類が消える。ユークレーズがすかさず奪い取ったのだ。
 「おう、速ええ」
 ヨシアが苦笑してユークレーズを離してやる。少年がもう暴れることなく、手の中の書類に食いついているのを確認したのだ。
 「ユークレーズ・スヴェニア中尉は疲労のため、医師注意で自室待機。……な? 書いてあるだろ? どーせお前が大騒ぎするだろうからって、リーダーがわざわざ書いて預けといて下さった……っておい! お前、何泣いてんだよ!」
 「な、泣いてまひぇん!」
 「ぶっ」
 「笑うなっ!」
 がばっ! とユークレーズがヨシアの胸ぐらを掴んだ。力でも体格でもまるっきり適わない相手だが、この向う気はなかなか『男の子』である。
 「失っ礼しやした、スヴェニア中尉殿」
 しかしまあ、ヨシアにしてみればそんなガキの気迫など、子猫の威嚇ほどにも感じていない。
 「何が可笑しいっ! 大体貴様、なぜ早く起こさなかった!」
 今さら上官風を吹かせても遅いのだが、こうでもしないと年齢も実力も上のヨシアに対して格好がつかない。
 「『とにかくしっかり寝かせとけ』って、リーダーの命令でしたんでね。……そりゃ確かに作戦には参加できなかったけど、アンタだって十分な働きをしたじゃないすか、中尉殿」
 ヨシアが軽く腕を捻っただけで、ほい、とあっさり胸ぐらを掴んだ腕をほどかれる。
 「ま、座って下さい中尉殿。ほら、座れって」
 ヨシアの太い腕に肩を抱かれるように、ユークレーズがベッドにぺたん、と腰掛ける。
 「大体お前さ、昨日からほとんど不眠不休だったじゃん? 解体されたファルコン・イーグルチームに続いて、コンドルまでリーダー不在。それをたった1日で再編成して、ポタメモの転送先を整理して、全部隊がウチのリーダーの指揮で動けるように……って。ホントならコレ1人で、しかもたった1日でやれるような仕事じゃないぞ?」
 「……」
 「オマエは十分すぎるぐらいの仕事したよ。だからリーダーだって、お前を休ませてやってくれって……」
 「……あんなの」
 「ん?」
 「あんなの仕事したうちに入りません」
 ユークレーズが俯いたまま呟く。ここまで上半身裸のままだったが、ようやくもそもそと下着を、そして上着を着込む。
 「いやいやいやいや? すげー仕事量だと思うけど……?」
 「違いますよ! だってあんなのもう、とっくの昔に出来上がってたんですから!」
 「は?」
 さすがのヨシアが面食らった顔。
 「ウロボロス4の全部隊を再編して、全員をリーダーの指揮下に入れる。そんな組織編成なんか、とっくの昔にできてます! ボクの頭の中に!」
 「……はー」
 ヨシアが感心した、というより呆れたという溜め息を漏らした。ヨシアとて、この少年副官が一条流という男にどれほど心服しているかは承知していたつもりだが、それにしてもあの複雑怪奇な部隊編成作業を頭の中だけで、それも以前からずっと行っていたというのだから無理もない。
 「どんだけリーダー好きだよ、お前」
 「好きとかじゃありません! ……あ、いえ嫌いとかでもないですけど……。でも、でもリーダーは将来、絶対ウロボロス4を掌握するって信じてましたから!」
 ユークレーズが真っ赤になったり、また青くなったり忙しい。
 「それに、疲れてるって言うならリーダーだって……」
 「あの人は平気さ」
 ヨシアが、これまた呆れたように苦笑する。
 「自分で言ってらしたが、戦ん時ゃ3日ぐらい不眠不休でも平気だそうだ。ちょっとうたた寝する時間さえありゃ1週間でも大丈夫なんだとさ」
 「さ、さすが……!」
 「だからな、あんな『体育会系インテリヤクザ』と自分を一緒にするな?」
 「誰がヤクザですかっ!」
 ヨシアの比喩に、ユークレーズが激昂する。が、『体育会系インテリヤクザ』とはある意味、一条流という男の本質を鋭く捉えている。そういうユニークな感性も、このヨシアという男の特徴の一つだった。
 「あー、分かった分かった。でもほら、今回のリヒタルゼン強襲作戦の準備だって大変だったろ? リーダーも言ってたぜ? 『ユークがいなければ、出撃は明後日になってた』って」
 「リーダーが?」
 「おう」
 ユークレーズが露骨に嬉しそうな顔をするのを、ヨシアが苦笑いで見守る。
 「でもお前、頑張りすぎて最後は作戦卓に突っ伏して寝ちゃったじゃん。あれでリーダー、結構慌ててお前抱えてココまで運んで、医者呼んでさ。割と大変だったぜ?」
 「り、リーダーが? じゃ……あの、寝間着に着替えさせてくれたのも……?」
 「いや、それはオレ」
 「……」
 「何だよその顔!」
 「……いえ、別に」
 もそ、とユークレーズが立ち上がり、軍服のベルトを締め、上着のボタンを止める。作戦に同行できなかったのは辛いが、さすがに諦めたようだ。
 「? そういえば、ヨシアさんこそココで何してるんですか? ウイングトップ辞めたからって、作戦は……」
 「あー、オレはなー……」
 ヨシアがユークレーズの質問に答えようとした時だった。
 コンコン
 重いノックの音が、2人の会話を遮った。
 ヨシアが立ち上がり、ドアを空ける。
 「……! これは大佐殿!」
 ヨシアが慌てて敬礼した相手は、重厚なパラディンの鎧姿のクルトだった。ウロボロス4を率いるマグダレーナの副官で、事実上の軍団指揮官。
 「ご苦労、少尉。スヴェニア中尉は起床したか?」
 「イエス・サー。どうぞ、大佐殿」
 ヨシアが扉を支えたまま脇に身体を寄せると、クルトが室内に入って来る。壮年ながら鍛えられた身体は、威厳と共に独特の存在感を持っており、一瞬だが部屋が狭くなったような印象を2人に抱かせた。
 「ご苦労様です、大佐殿」
 ユークレーズがきちんと立って敬礼。軍服に着替えていたのが幸いした。パジャマ姿ではもうひと恥かくところだ。
 「うむ。君もよくやってくれた、中尉。よく休めたか?」
 「イエス・サー。どうぞお座り下さい、大佐殿」
 ユークレーズが、先ほどまでヨシアが座っていた椅子を勧める。
 「ありがとう、中尉。ああ、ヨシア少尉、私はスヴェニア中尉と話がある」
 席を外せ、ということだ。
 「イエス・サー。ではスヴェニア中尉殿、先に食堂でお待ちしております」
 返事は聞かず、ヨシアが扉の外へ消える。
 「さて、少尉」
 「はい、大佐殿?」
 「悪いが、死んでもらう」
 その宣言と、クルトが腰のナイフを抜いてユークレーズの胸を貫くのが同時、と見えた。
 だが、その刃は止まった。
 ユークの胸にその刃先が触れる寸前、鍛え抜かれた太い腕が万力のように、クルトの手首ごと掴み止めたのだ。
 「何事も訓練ですなあ、大佐殿。こないだから『タイミングを合わせてドアの外から飛び込む』って、コレばっかやってましたからね」
 腕と声の主はもちろん、ヨシアである。一端ドアから出たと見せて、ユークレーズの危機と見るや瞬時に室内に戻ってユークレーズを守ったのだ。
 確かにコンドルリーダー、テムドール・クライテン捕縛の時も、その妹のジュリエッタを逃がす時も、一条流がヨシアに与えた仕事は『ドアの外からタイミングよく飛び込む』事だった。三度目の正直と言う言葉はあるが、三度とも完璧に任務を遂行するあたり、いい加減に見えてもやはりこの男は『達人』だった。
 「……貴様」
 クルトが呻くのへ、ヨシアが鋭い視線を返す。
 「さてさて、こりゃあ一体どういうことですかね大佐殿。上官だからって、理由も無く部下を殺して良い、なんて軍法はありませんぜ? コイツに罪があるなら、軍法会議にかけるのがスジだ。……罪なんてものがあれば、の話ですがねえ」
 「ヨシアさん……!」
 「下がってろユーク」
 ヨシアの全身に凄まじい鬼気が満ちる。幼少からモンクとして厳しい修行に耐えた身体は、まさに全身凶器。
 「……タートルリーダーの指示か?」
 クルトが押し殺した声で質問して来る。が、ヨシアは馬鹿にしたようにニヤリと笑う。
 「お答えできませんなあ。大佐殿こそ、まさかマグダレーナ様の指示じゃあ……っとお!」
 ヨシアが飛び退いた。クルトが左手で腰の長剣を抜き、ヨシアの胴体を薙ぎにきたのだ。居合いの心得まであるのか、ヨシアに利き手を押さえられたままの不自然な姿勢でも、その刃風は強烈。
 「おう、さっすが」
 軽口を叩きながらも、ヨシアは油断なくユークレーズを庇いながら、じりじりと後退する。後ろは窓、だがこの部屋は3階だ。
 「逃げても無駄だぞ。窓の外にも兵がいる」
 「嘘だね」
 ヨシアがまたニヤリ。
 「コレでも修行しましたんでね、人の気配ぐらい分かります。アンタこそ、んなハッタリに頼るようじゃ語るに落ちてますぜ大佐殿? そんなにコイツを殺したいんなら……」
 ヨシアが凄まじい笑みを浮かべる。そしてその太い腕をクルトに向って突き出すと、広げた掌を上に。
 「クチじゃなくて、ウデで来いよ。オッサン?」
 ちょいちょい、と『かかって来い』の挑発。
 「……『サクリファイス』」
 クルトの身体を神秘の光が包む。
 『サクリファイス』はパラディンが使う攻撃スキルであり、自分の体力を犠牲にすることで、攻撃力を数倍に跳ね上げる。攻撃の威力は体力の大きさに比例して増大するため、壮年といえど鍛え抜いたクルトならば、それこそ一撃必殺だろう。
 「!」
 その必殺の刃が大上段から、ヨシアのスキンヘッドを狙って叩き込まれる。
 対するヨシアには、モンクとしての攻撃スキルは何一つない。この世のあらゆるスキルの中でも最高レベルの攻撃力を誇り、あの一条家当主・一条鉄の得意技でもある『阿修羅覇鳳拳』も、『指弾』や『発勁』といった便利な攻撃技も、ない。
 この男が持つスキルはただ一つ。
 「『金剛』」
 ぎぃん! という音が聞こえたようだった。実際には音などしないのだが、ほとんど爆音に近い幻の音が確かに、クルトとユークレーズの耳に届く。
 極限まで鍛え上げた肉体をさらに鋼鉄のように、いや地上最高硬度を誇るダイヤモンドの如く硬化する。
 ばつん!
 クルトの必殺の剣、それが止まっていた。ヨシアが自分の頭上に、十字に組んでかざした腕で完璧に受け止められていた。
 「! …サクリファイス!」
 しかし、それで止まるクルトではない。息をも尽かせぬ連撃が縦横無尽にヨシアの身体を襲う。まともに喰らえば、鍛え抜いたヨシアの肉体といえども数瞬でひき肉にされてしまうだろう。
 「……全然効かねえなあ。もう歳じゃねえのかい、オッサン」
 だが、ヨシアは倒れない。それどころか腹部に、首に、顔面に、真剣による嵐のような攻撃を喰らいながら、ろくに傷も負っていない。『金剛モンク』と呼ばれる術者は多いが、これほどの防御力を実現できる者は希有だろう。
 しかも、ヨシアという男の真骨頂はこの防御力にあるのではない。
 激しい攻撃を物ともせず、ヨシアの身体がのそり、と動いた。『金剛』はその圧倒的な防御力と引き換えに、使用者の肉体から『速度』を奪う。通常なら圧倒的な不利となる鈍足状態。だが、その不利な状態をこそ、逆に自らの土俵としたのが、ヨシアが属する辺境の一派。
 「む……うっ!」
 圧倒的なパワーでヨシアを叩きのめしていたはずのクルトが、逆に焦りの表情を浮かべた。一瞬で細切れの肉塊になるはずのヨシアが、倒れないどころか前進して来る。その特大の樽のような身体が、巨大な火山から溢れ出す高粘性のマグマのようにゆっくりと、しかし確実にクルトに肉薄する。
 そして。
 がしっ!
 その腕が、クルトの鎧を捉えた。
 「!」
 「捕まえたぜ、オッサン」
 ヨシアの身体がぐん、と、さらにクルトに密着する。その太い腕が真正面からクルトの胴体に絡み、頑強な足がクルトの足をさらう。何とかヨシアを振りほどこうともがいていたのが災いし、クルトの身体が仰向けにひっくり返った。
 「!」
 ヨシアの腕がクルトの首と腕を、鎧の上からがっちりと極めていた。どんなに力を振り絞っても振りほどけない。いや、それどころか……。
 「ぐぅううっ……!」
 クルトが呻いた。
 ヨシアが、極めていた腕をさらに絞り上げたのだ。例えどれほど頑丈な鎧を着ていても、関節の可動範囲が人間のそれであるならば決して防げない攻撃。
 絞め技だ。
 スピードの遅くなる金剛状態で、敵の攻撃に耐えつつ密着して絞め落とす。あるいは絞め殺す。
 『絞め金剛』。
 それがヨシアという男が身につけた、唯一にして必殺のスキルである。
 「!!!!!」
 絞め技を受けるクルトの呻きが、とうとう声にならなくなった。握った剣などとっくに床に落ちている。肩の関節を守る鎧の肩当てが『中身』ごとひん曲がるほどのパワー。そして、
 ごきんっ!
 「が……!」
 クルトの身体から、ぞっとするような鈍い音が響いた。と同時にその身体がびくん、と一つ震え、そして動かなくなった。肩の関節をねじ切られ、首の頸椎をも破壊されて気絶したのだ。後少し捻れば、間違いなくクルトは死ぬ。
 「……いけね」
 だが、今度はヨシアが焦る番だった。ドアの外から気配がする。慌てて駆けつける足音から、クルトの増援とみていい。
 「むんっ!」
 最後のひと絞めで、ごりん、とクルトの首が折れた。これで死亡。だが、増援が来るなら時間的にも、クルトはすぐに蘇生させられてしまうだろう。念入りに止めを刺す時間は無い。
 人形の様に動かなくなったクルトの身体を捨てて、ヨシアがのそり、と立ち上がる。これでも急いでいるのだが、金剛による鈍足状態ではこれが精一杯だ。
 「逃げるぞ、ユーク。窓から飛べ」
 「……でも……!」
 「ぐずぐずしてるヒマはねえ! このオッサンが裏切ったなら、出撃したリーダー達も危ねえんだ!」
 状況がまだ飲み込めないのだろう、戸惑うユークレーズをヨシアが凄まじい気合いで叱咤する。ドアの外の足音はもうすぐそこだ。
 「キリエかけろ。飛ぶぞ」
 「は、はい、ヨシアさん」
 こういう時は、知識や理性より『修羅場慣れ』している方が強い。階級の上下を飛び越して、この場はヨシアが主導する。
 「き、『キリエエレイソン』!」
 カーン、という金属音と共に、ユークレーズの身体を魔法のバリアが包む。さらにヨシアにも詠唱しようとするのへ、
 「オレはいらねえ! 飛ぶ!」
 ヨシアがその身体で窓ガラスをバキバキと突き破り、先に窓から飛ぶ。鈍足状態のため、それはジャンプというよりは、巨岩が転げ落ちるような落下だ。即座にユークレーズも続いた。
 ずどがっしゃあん!
 ヨシアの身体が窓の真下、花壇の真ん中に建てられた石像をぶち砕き、四方八方に石塊を撒き散らしながら着地する。無傷。
 かぁーん!
 その隣に、軽やかな金属音と共にユークレーズが着地。これも無傷。魔法のバリアが全てのダメージを吸収してしまうため、足元の花さえ無事だ。
 「あああヨシアさん! 石像壊しちゃあ!」
 「知るかよ今そんなこと!」
 名工の手になるニンフだか人魚だかの石像がただの瓦礫の山。しかし、ここはヨシアが正しい。
 「!」
 ヨシアの腕がユークレーズをつかまえて抱き寄せる。
 「なっ!」
 一瞬真っ赤になるユークレーズだが、ヨシアの身体を襲う矢の音を聞いて戦慄する。さっきまでいた自分の部屋の窓からだ。
 ひゅんひゅん!
 『ダブルストレイフィング』と呼ばれる、2本の矢を同時に放つアーチャーのスキル。だが、ヨシアの金剛化した肉体は楽々と矢を阻む。
 「ポタ出せ、ユーク!」
 「はいっ! あ……でも青石が……!」
 「オレのポケットにある!」
 さっき寝間着から着替えたばかりのユークレーズには、ワープポータルの魔法を使うための触媒石の持ち合わせがない。一方のヨシアは金剛状態のため、他のスキルは一切使えない状態だ。
 ユークレーズがヨシアのポケットを探って石を掴み出す。
 「行き先は任せる!」
 「はいっ! ……ワープポータル!」
 詠唱は一瞬。
 神秘の光輪が地面に出現する。
中の人 | 第九話「金剛不壊」 | 18:01 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第九話「金剛不壊」 (3)
  「総員防御態勢!」
 タートルリーダー・一条流の号令が、夜の荒野に響いた。
 直ちにプリースト系、あるいはソウルリンカーの兵士らが、ウロボロス4の総員に向け様々な防御呪文をに降らせる。さらに各自が携帯している耐性装備や薬品も、惜しげも無く消費されていく。
 (だが、果たしてこれで防げるのか……?!)
 いかに天才・一条流と言えども今、目の前に出現した『飛空戦艦セロ』のような、全く情報のない敵が相手ではそもそも対策の立てようがない。現状、可能な限りの対処をするだけだ。
 「移動準備! 指示あり次第移動する! ……よろしいですね、マム?」
 言ってしまってから『総司令官』に訊ねる辺りがいかにも流らしいが、この時ばかりはマグダレーナも咎めない。むしろ、
 「今すぐ退がってもいいよ、流や」
 むしろ優しく、そして静かな声が返って来た。
 「……マム?」
 「思い出したよ、アレが何なのか。と言っても、アタシも噂に聞いただけで、この目で見るのは初めてだけどねぇ」
 「御存知なのですか、あれを?!」
 「ああ」
 「!」
 流の目が、この年齢不詳の『再現種(リプロダクション)』の表情に釘付けになった。思えば、作戦開始からこのかた、こんなにマグダレーナの顔を注視したのは初めてだ。どれだけ『総司令官』をないがしろにしてきたか分かるだけに苦笑いモノの話だが、今はそれどころではない。
 「あれは何です!? マム?」
 「『飛空戦艦アグネア』……『戦前機械(オリジナルマシン)』さ。『六の死神』ことクローバーが、御恵の一族の里で発掘したまま持ち逃げしたと聞いてる」
 「何ですって?!」
 流ほどの男が、今はマグダレーナの言葉一つ一つに翻弄される。
 読者はご承知の事と思うが、彼らの目の前にいるのはクローバーが発掘した『飛空戦艦アグネア』こと『ヤスイチ号』ではない。その姉妹艦である『飛空戦艦セロ』だ。だが、いかにマグダレーナと言えども、失踪したクローバーの消息と、姉妹艦セロに関する知識までは持っていないので、この誤認はやむを得まい。
 それよりも、流を驚かせたのは別の言葉だ。
 「『御恵』……!?」
 「そうさ。アンタの許嫁だっていう一条静の母親、桜の生まれ故郷だ。『御恵』の一族は聖戦の時代にあの船に乗って、遥か遠い所からやってきたそうだ」
 「それが、なぜここに?」
 「さあね……。だが確かな事もあるよ」
 そんな会話の間にも『飛空戦艦』は、圧倒的な力を誇る12枚の光翼を見せつけるように、静かに夜の空に浮かんでいる。
 「あれは……敵さ」
 マグダレーナの全身に、恐ろしいほどの気迫がみなぎる。その表情にはしかし、逆に微かな笑みさえあった。
 「アレが正真正銘の『戦前種(オリジナル)』なら丁度いい。この身は『再現種』、すなわち戦前種に肩を並べるために作られた。……今こそ!」
 すらり、と腰の剣を抜く。流すら名も知らぬ、だが神器にさえ匹敵すると噂されるマグダレーナの愛剣。
 「『完全再現種(パーフェクト・リプロダクション)』が看板倒れか否か、ここで証明してくれよう」
 ずい、と前に出る。
 「流、お前達は退がりな。……足手まといさ」
 「イエス、マム。しかし、これは明らかに待ち伏せ……罠です。作戦内容が漏れている」
 「……」
 マグダレーナは応えない。が、彼女にも当然、それは分かっていた。秘密部隊であるウロボロス4の作戦内容は、部隊以外にはまず漏れる事はない。それを知り得る立場と言えば……。
 「信じられませんが、大佐殿が……」
 「もしそうだとするなら、コンドルリーダーを逃がしたのもクルト本人か」
 「イエス・マム」
 「逃亡したコンドルリーダーは、自分が『ウロボロス8』を復興すると言ったそうだね」
 「イエス」
 「……ふん。ウロボロスの『他の首』に釣られたか。クルトのヤツも……信頼してたのにねえ」
 マグダレーナのこの言葉だけ聞けば、後悔しているようにも反省しているようにも取れる。だがその声音には、残念ながらそのどちらも感じられない。あるのはただ、目の前の事態を打開しようとする意志、前に進む意志だけだ。
 「なあに、今までだってウチを潰そうとした『他の首』はあった。いつものことさ……さあ、ココはアタシに任せて、アンタたちはとっとと逃げな!」
 「イエス、マム! 御武運を」
 「ふん、ありがとうよ」
 マグダレーナはもう振り向かない。
 流もまた即座にきびすを返す。
 「ウロボロス4退却! 退却路の確保にかかれ!」
 タートルチーム・ウイングユニットに指示を出し、事前に決めておいた退却地点に向けてワープポータルを出させ、一斉に先遣隊を送り込む。待ち伏せの有無を確かめるためだ。作戦内容が漏れている以上、安全な退却先は無いと見なければならない。
 「報告! e2、g4、p5、各ポイントに敵を確認!」
 「報告! w26に敵!」
 「v4駄目です!」
 案の定だった。退却路として設定しておいた10カ所の中継ポイントのうち、8カ所に敵の待ち伏せがある。敵がいない、と報告されたのは2カ所のみ。
 (……恐らく、全部罠だ)
 別に直感に頼らずとも、流にとってそれは明白だった。待ち伏せが確認された地点はもちろん、待ち伏せがいない、とされた場所にも何らかの罠があるはずだ。いや、包囲戦の基本を考えれば、一見『穴』に見える場所が実は真の罠、というのはよくある手である。
 「ウイングトップ! ソーヴィニア少尉!」
 「イエス、リーダー!」
 流の呼び出しに、若い女モンクが即座に飛んで来る。タートルチームの移動支援班・ウイングユニットを率いるジル・ソーヴィニア。前任者のヨシアからユニットを引き継いだばかりだが、引き継ぎ以前も副官として事実上、ユニットを指揮してきた切れ者である。職業は同じモンクでも、何かと型破りなヨシアとは違って戒律の厳しい名門寺院で行を修めただけに、流の厳格かつ精密な用兵システムとは非常に相性が良い。
 「いいか少尉、退却地点は現時刻を持って全て破棄。緊急だ、『xイニシャル』を使う」
 「イエス、リーダー! xイニシャルの使用を解禁します。ウィングユニット、x1移動用意!」
 『xイニシャル』。
 それは、タートルチームが独自に確保している、いわゆる『緊急避難場所』である。他の中継地点とはケタ違いの安全性と、大量の補給物資まで備蓄された軍事拠点。その場所はチームでも僅かの人間しか知らず、さらにその場所のポタメモを持っているのはウイングトップであるジルと、流の近衛であるウイングコアの2人。あとは流の副官であるユークレーズだけ、という念の入れようである。
 ジルが直ちにワープポータルを起動、そこにタートルチームの先遣隊が飛び込む。現地の安全を確認し、その場でポタメモを取って即座に返って来る。
 「x1に敵影なし!」
 「x2よし!」
 「うむ。x1を中継地点にして、x2に移動せよ。だが油断するな。タートルチーム、重突貫体勢で先陣を切れ。アングロル少尉、頼むぞ」
 「……イエス、リーダー!」
 低く、重く、しかし気合いに満ちた返事が返る。タートルチームの防御班・ウォールユニットのトップ、ダイン・アングロル。ウロボロス4で唯一、流を超える巨体を誇る重戦士が、同じく巨漢揃いの鎧武者達を鼓舞し、真っ先にワープポータルの光に飛び込む。その先で何が待ち受けていようと、後続が到着するまでその陣地を支え切るのが彼らの役目だ。
 「次、ハンマーユニット、ゾシマ少尉!」
 「イエス、リーダー!」
 今度は力強い女性の声。サリサ・ゾシマ。小柄な身体を重装甲で包み、身体より大きな盾を背負った女戦士は、タートルチームの打撃班・ハンマーユニットのトップである。
 「ゾシマ少尉。お前が以後、タートルチームの指揮を執れ。オウル、スワローほか他チームもお前に従うように指示しておく」
 「イエス……? リーダー、どういう事でしょう?」
 女だてらに攻撃班を率いるサリサが、さすがに訊き返した。訊かれた流は身を屈め、サリサの耳に小さく呟く。
 「大佐が裏切った。ならば、xイニシャルと言えども油断はできん。それに……点城に残したユークが危ない」
 「!」
 サリサの身体がはっ、と緊張する。
 「ユークにはヨシアが付いてる。ヤツなら短時間であれば、何としてでもユークを守るだろう。ならばxイニシャルのどこかに避難してくる可能性が高い。必ず保護しろ」
 「……イエス、リーダー」
 サリサの表情が厳しさを増す。
 「オレはギリギリまでここに残らねばならん。見届けたいものがある。もしオレが一時間経っても合流できない場合は……」
 「……!」
 「ユークに伝えろ。『x4の使用を許可する』。4番はユークしか持ってないポタメモでな。そう……『絶対安全』な場所だ」
 「……しかしリーダー!」
 「復唱!」
 「う……イエス、『x4に行け』。スヴェニア中尉に伝達了解!」
 サリサの復唱を確認し、流が屈めていた身体を伸ばす。
 「よし、行け!」
 「イエス、リーダー! ……おいアンタら!」
 流に敬礼を決めたサリサが、流の周囲を固める『タートルコア』のメンバーに声をかける。
 「リーダーをきっとお守りするんだよ! アンタらのその身体も、命も、もうアンタらの物じゃない」
 ぐい、とサリサが顔を上げる。
 「……アタシらタートルチーム、全員の物だ! リーダーの下に、アタシらはいつも一緒だよ!」
 サリサの熱い言葉に、応! と即座に返事が返ってきた。『タートルコア』の精鋭達も、サリサに言われるまでもなく、そのつもりなのだ。
 「御武運を、リーダー!」
 「うむ」
 流はもう、サリサを見送る事すらしない。
 その間にも、ウイングユニットが作る転送輪の光列が凄まじい勢いで伸び、ウロボロス4の総員を次々に飲み込んで行く。
 (……何もせず、無事に退却させてくれる……か。どうやら、こちらには興味がないらしい)
 『タートルコア』達に守られながら、流は夜空に浮かんだ未知の飛空艇を振り仰ぐ。
 (興味はあくまで『あっち』ということか)
 視線を空中から大地に戻すと、そこにマグダレーナの後ろ姿。『月影魔女』の面々を従えつつ、未知の敵を睨み据えている。
 「……どうした流。アンタも早く逃げな?」
 「ノー、マム。せっかくの機会ですので、後学のため見学をお許し頂ければと」
 「ぷっ」
 流を振り向きもせず、マグダレーナが笑う。
 「いいけどね。見物料は高いよ。……どっかでコソコソ隠れて見物してる連中にもねえ!」
 ぶん! 右手の剣を一振り、素振りをくれる。
 目の前の飛空艇を操る敵は、恐らくウロボロスの『他の首』と見てよかろう。『BOT』の件で敵対していたウロボロス2か、あるいはあの飛空艇を発掘した『6』、さらには逃亡したコンドルリーダー・テムドールが、復活させると宣言した『8』かもしれない。
 正直、それはどこでも大差ない。
 問題は、その連中があの飛空艇を使って今、何をしようとしているのかだ。
 (その気になればいつでも、即座にオレたちを消滅させられたはずだ。だが、それをしないで待っている)
 流には分かっていた。マグダレーナにも分かっているだろう。
 (狙いはマグダレーナその人。それも公開の場で『血祭りに上げる』事か)
 つまり、これは一種のデモンストレーションなのだ。
 ウロボロス4を敗った、という単純な事実ではなく、その首魁であるマグダレーナを制したという『名』が欲しいのだ。タイマン勝負で、誰にでも分かるように決着をつけたいのだ。それを、どこかから見ている何者かに、はっきりと見せつけたいのだ。
 だから待っている。
 「気に入らないったら無いねえ、その余裕がさあ」
 マグダレーナの視線が剣呑なものになっていく。半ギレという状態に極めて近い。
 「いつまでも人ナメてないでさ、かかっておいでな!」
 その挑発が聞こえたのかそうでないのか。『セロ』の光翼がひとつ、ちかりと光った。と、見るや、
 「!」
 マグダレーナの立っていた地面が真正面から、一直線に裂けた。ばりばりばりっ! という凄まじい破壊音は、かなり後から響く。
 何の予備動作もない、セロの直線突撃。そして『エネルギーウイング』の1翼による一閃だ。超高熱のエネルギーブレードが大地を抉った結果、光翼に直接触れた土や岩は一瞬で蒸発。そうでない場所では真っ赤な溶岩となって溶け、夜の闇に不気味な真紅の切り傷をさらす。
 もしそこに立ったままだったなら、人間など、いやたとえどんな生き物だろうと一瞬で蒸発していただろう。
 だがマグダレーナも、それに従う『月影魔女』達も、さらには付近で『見学中』の流でさえ、もうそこにはいなかった。
 流とタートルコアの面々は、遥か数百メートルも離れた荒野に移動している。当然、走って移動できる距離でも時間でもない。
 ワープポータルだ。
 タートルコアを形成するメンバーのうち、移動支援を行う『ウイングコア』のメンバーが、あらかじめ荒野の別の地点にポタメモを取っている。
 そして常時、流の後方に転送の光輪を出し続け、危機となればいつでも素早く飛び込めるように準備しているのだ。
 いかにセロの機動力が凄まじかろうが、空間と空間を繋げる魔法に追いつく事は不可能だし、行き先を予測する事も難しい。
 (『マグダレーナ』は……?)
 一瞬で安全圏に逃れた流が目を凝らす。直接見てはいないものの、マグダレーナと『月影魔女』達が彼らと同じ手段でセロの攻撃から逃れたことは間違いない。
 獲物を見失ったセロが、地上スレスレで速度を落としてぐるり、と水平に一回転。
 (ほう……索敵は目視か? その辺は意外と原始的なのかな)
 流が妙な所に感心する。回転するセロの船首が、その流の方に向いた瞬間に一度止まり、また回る。
 (オレたちなど全く眼中に無い、というわけだ)
 目の前の敵に無視されたからといって、それに屈辱を感じるような安っぽい情動など、流という男にはまるで縁がない。むしろ自由に行動できて好都合、と思うぐらいだ。
 「ワープポータルを絶やすな。カウプもだ」
 流が念を入れるまでもなく、タートルコアの支援に隙はない。ワープポータルの光輪も常に、流の背後ギリギリの場所に出し続けられている。流自身が動けなくても、流の周囲を固めたウォールコアの巨漢達が、体当たりしてでも流をワープポータルに飛び込ませる算段だ。
 どっぐぉぉおん!!!
 突如、轟音が荒野に轟いた。流達には耳慣れた超攻撃スキル『阿修羅覇鳳拳』の打撃音。同時に、宙に浮かんだ『セロ』の船体が激しく発光した。
 「……!」
 流はその閃光に目を灼かれつつも、ある種の執念で現場を睨みつける。一片でも多くの情報が欲しい、その一心だ。
 (アレでも傷一つつかないか……!)
 流の目には、『月影魔女』の一人が放った最大級のスキル攻撃が、セロに何の被害も与えられない光景がはっきりと見て取れた。いや、それどころか逆に撃った方のチャンプがその拳から肩まで、それこそ焼き切られるほどのダメージを受けて地面に落ちるのを目撃する。
 (あの光の翼で防いだ……まさに攻防一体の武器というわけだ)
 セロの翼が、地面に倒れたチャンプに迫る。が、すぐさま駆けつけたハイプリーストが彼女を治療し、即座にワープポータルを出して退避。
 他のメンバーからの追撃はない。最大級の一撃が通じなかったことで、正攻法では到底無理、と即座に判断したのだろう。
 いや、それは最初から分かっていたのかもしれない。 
 彼女らを率いるマグダレーナが望んだのは、『再現種』たる自分の力が『戦前種』に比肩しうるか否か、それを確かめる事だったはずだ。
 ならば……。
 ぴしゃぁああん!
 荒野に、新たな衝撃音が響いた。セロの光翼が繰り返し大地を焼き切ったため、異様な焦げ臭さに包まれた荒野が、再び異形の響きに満たされる。
 夜目にも鮮やかな、しかし神秘の力を凝縮した巨大な魔法陣。それが上下に2つ、『セロ』を挟み込むように出現する。
 そのさらに向こう、セロの光翼と魔法陣の光に照らされた夜の荒野の上に、マグダレーナの姿。
 魔法の触媒石である青石を連ねた、あのネックレスを掲げた独特の詠唱ポーズ。
 (……出たな!)
 流が、ここだけは決して見逃すまいと目を凝らす。

 『転送断頭台(ギロチンポータル)』

 これこそ『完全再現種』マグダレーナ・フォン・ラウムの必殺技。空間をつなげて物質を転送する魔法の光輪で、敵となる対象物を挟み込み、その転送による吸引力を使って対象物を引き千切る。
 その破断力に抵抗できる物は存在せず、理論上いかなる物質もまっ二つに引き裂くことが可能だ。
 びりびりびりびり!!
 夜の底を満たした大気が、盛大に震える。魔法陣が回転し、転送の光輪がその神秘の口を開けた。
 みしっ! とセロの巨大な、銀色の船体が軋んだ。MVPと呼ばれる最強クラスのモンスターさえ、手も足も出ないまま引き千切られてしまう必殺の破断力場が、その船体を完全に捉えたのだ。
 「……よしっ!」
 流を囲むタートルコアのメンバーから、思わず歓声が上がる。徹底的に訓練されたエリート中のエリートである彼らだが、さすがに『セロ』のような得体の知れない敵を相手にして、不安もあったのだろう。それをマグダレーナが完全な勝ちパターンにハメたのだから、多少の感激は仕方ない所だ。
 が、流は同調しない。
 (まだ勝負はついていない)
 観察をやめない。
 セロを上下に挟み込んだ2つの光輪が、さらに強い輝きを放つ。みしみしみしみしっ! セロの船体の軋みが大きくなる。転送断頭台のクライマックスだ。例え何者だろうか、数秒後にはまっ二つに引き裂かれる運命。
 だが、全てを破断する奇跡の光輪は、もう一つの奇跡の光によってその力を阻まれた。
 ばしっ! セロの船体から、再び猛烈な光が放たれた。エネルギーウイング『ルシファー』、その攻防一体にして推進機関でもある、余りにも万能な光の翼が、細長いセロの船体後部からまるで羽ばたくように伸長される。そして……
 「む?!」
 今度は、流自身が思わず呻いた。セロの『ルシファー』が力強く羽ばたき、その光を刃と化してワープポータルの光輪に襲いかかったのだ。
 がしゅぅぅぅっっ!!! 12枚の光翼が、6翼ずつ上下に分かれ、光輪の中に吸い込まれる。過日、プロンテラの石畳の上で転送断頭台によって羽を毟られたボスモンスターの姿が蘇る。
 だが、今回ばかりは事情が違った。
 羽は毟られない。それどころか、吸い込んだ光輪の中に膨大なエネルギーを流し込み、逆に光輪を内側から引き千切りにかかる。
 これほど巨大なエネルギーの衝突は、既に伝説となった聖戦時代でさえ稀だったろう。
 しかし、その拮抗は一瞬。
 ばしぃぃいいん!
 遥かに広がる夜空すら歪めるほどの猛烈な衝撃波が、地上の流たちに叩き付けられる。バリアの魔法が鋭い音と共にダメージを跳ね返さなければ、その衝撃波だけで人間など即死しただろう。
 「……なるほど、化け物だな」
 そんな中でも、微動だにせず状況を見つめ続けた流が、ぽつりと呟いた。
 転送の光輪が消えている。
 無敵を誇るはずの『転送断頭台』は、敗れた。
 「マグダレーナ様!」
 流が叫ぶ。
 マグダレーナと『月影魔女』達の全員が、荒野に倒れ伏していた。マグダレーナの転送断頭台とセロの光翼、2つの激突が巻き起こした衝撃波をまともに喰らったのだ。いかなる時も防御呪文を絶やさなかった『タートルコア』に対し、彼女達は一瞬、対処が遅れていた。
 だが、それを責める事はできまい。『月影魔女』達の、養母たるマグダレーナへの忠誠と信頼は絶対だ。マグダレーナが敗れるなど、最初から想像もしていなかったに違いない。もっとも一条流に言わせれば、
 「甘い」
 となるだろうが。
 それでも、マグダレーナが最初に身体を起こしたのはさすがだった。月影魔女たちも、何とか行動を回復する。
 しかしセロは今度こそ、待っていなかった。
 びぃぃぃいいい!!!
 12枚の光翼『ルシファー』を全開にし、マグダレーナに殺到する。その巨大な船体が一瞬で音速に達する機動性。今や無敵となった光の刃が、地上の敵を灼き尽くす勢いで振り抜かれる。
 ずばん! 
 マグダレーナ達は辛くも直撃を逃れたが、その衝撃と高熱の余波でまた吹き飛ばされる。今度こそ、全員が動けない。
 ただでさえ荒れ果てた辺境の野原が、今やセロの攻撃でズタズタだ。
 「マグダレーナ様!」
 流が再び叫ぶ。

 『無駄だよ、流』

 流の叫びをかき消すように、夜空にもう一つの声が響いた。
 「テムか……!」 
 テムドール・クライテン。ウロボロス4に反逆した末、逃亡した元コンドルリーダー。
 その底抜けに明るい声だ。
 『マグダレーナは敗れた。もう彼女の『神通力』も通じない。僕の言った通りになったろう?」
 大音量の含み笑い。
 『ルーンミッドガッツ王国元老院はたった今、彼女を犯罪人として指名手配した。罪状は、王国軍内で私的に秘密組織を結成し、他国のテロリストを引込んで王国の転覆を企んだ反逆罪。他国のテロリスト、というのはキミたちのことさ、流?』
 「……」
 『王国の影を牛耳ってきた外人部隊、ウロボロス4も終わりだ。キミ達には帰る場所も、逃げ場も、無い』

中の人 | 第九話「金剛不壊」 | 18:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第九話「金剛不壊」 (4)
  「……振り切ったか?」
 「……みたいですね。チームの本隊と合流するまで、油断はできませんけど……」
 「灯り、点けるぞ。ユーク」
 「はい、ヨシアさん」
 ぽう、と、ランプに灯が点った。赤みを帯びた柔らかい光が、2人の逃亡者を照らし出す。
 ユークレーズとヨシアだ。
 「怪我ねえか、ユーク」
 「平気です。ヨシアさんこそ……」
 「っはあ、『絞め金剛』ナメんじゃねーよ。クルトのオッサンのサクリなんざ、痛くも痒くもねー」
 へっ、と剛毅に笑うヨシア。だが、その顔が急に曇る。
 「しかし腹減ったな……。結局、晩飯喰喰い損なったし」
 「食べ物ならありますよ。ここ備蓄庫ですから。……でも先に装備を整えた方がいいですね」
 ユークレーズに促されて改めて見回すと確かに、天井が高く広い空間に、見上げるほどの物資が木箱に入れられ、整然と積み上げられている。
 「凄えなー。で、ココどこなんだ?」
 「アインペフの鉱山町の近くです。倒産した金属精錬工場を丸ごと備蓄庫にしたんですよ。ダミー会社経由で極秘に買収して」
 ユークレーズがちょっと自慢げに解説する。もちろん、全てはタートルリーダー・一条流の指示だ。
 『いざという時のために、チーム全員が避難・補給ができる安全な場所を作れ』
 流のその命により作られたのがこの場所『x3』、xイニシャルの第3シェルター。そしてユークレーズは常に、この場所のポタメモを持ち続けている。
 あの時……。
 ウロボロス4の宿舎で襲撃を受けたのが1時間前。金剛化したヨシアに守られながら、ユークレーズが出したワープポータルの転送先がここだ。もし追っ手の中にあの一条静クラスの超感覚の持ち主がいて、匂いで転送先を探ったとしても、
 「アインペフ界隈の匂いはどこも似ているので、匂いで詳しい場所まで特定するのは無理です」
 ユークレーズが保証した。転送先がアインペフ付近と分かっても、あまりに捜索範囲が広過ぎて2人を見つけるには時間がかかる、と。
 「なら下手に動かずに、救援を待った方がいいな。早いとこリーダー達と合流したいが……こっちはたった2人だしな」
 この際、階級は無視してヨシアが判断する。
 「となりゃ、腹が減っては戦ができぬ、だ。装備補給したら、何か喰おうぜ」
 ということになった。
 「青石に赤石……ポーションに……」
 「あ、ヨシアさん、そっちダメです!」
 ヨシアが、手にしたランプの光で木箱のラベルを確認するのを、ユークレーズが鋭い声で止めた。
 「お?」
 「そっから向こうは火薬です。灯りはダメ!」
 「おおっと、やべー!」
 ユークレーズの指摘に、ヨシアが慌ててランプを下げる。
 「……んじゃ食料は、と。お、この辺か!」
 「ええ。保存食ばっかりですけど……干し肉とか、乾燥野菜とか」
 「瓶詰めの水もあんのか。こっちは……酒かこれ?」
 「リーダーのです」
 「あー。飲むからなー、あの人ぁ!」
 ヨシアの、何とも実感のこもった言葉には理由がある。この金剛モンクは、その豪快を絵に描いたような体格や性格とは裏腹に、見事なぐらいの下戸だった。聖職者としての戒律とは関係なく(彼が属する宗派はそもそも飲酒を禁止していない)、体質的に全く酒を受け付けない。
 「しかし、だからって軍事備蓄に酒入れるかねー。やるよなー、あの人も」
  わはは、と笑うのへ、ユークレーズが血相を変えて、
 「いいんです! リーダーがお酒を召し上がるのはリラックスのためで……遊興のためじゃないんです!」
 「へいへい。んじゃオレたちも、遅っそい晩飯を『召し上がる』としようぜ。とりあえずこれを……」
 ヨシアは相手にもせず、適当に木箱を降ろすと、
 「うんしょ!」
 ばきばき、と道具も使わず中身を取り出す。そのままどかっ、と腰を下ろして木箱の中身をごそごそ。
 「んー? こりゃあお前……」
 「ビスケットですね。これなら火を焚かなくても食べられますよ!」
 ヨシアの反対側に座ったユークレーズが、木箱から厚手のビスケット状の物体を取り出す。
 「あ、いやユーク、それ……」
 「いただきまーす! って、あ痛っ! 痛たたたたっ!」
 ビスケット状の物体にかじりついたユークレーズが、即座に顔をしかめてそれを吐き出す。
 「ダメだってユーク。そりゃあな、こっちの木槌で叩き割ってから喰うんだよ。齧りついたりしたら、下手すると歯折れるぞ」
 「は、早く言って下さいっ!」
 「いや、今のはそのヒマなかったぜ。腹減ってるのはわかるがなー。……ほれ、コレぐらい小さくして、口の中で飴みたいに溶かして食べるんさ」
 「へ、へえ……。こんなの初めて食べました」
 ヨシアが砕いてくれた一片を口に入れて、リスみたいに片方のほっぺたを膨らませるユークレーズ。
 「『金剛焼き』って言ってな。ものすげー堅い携帯保存食で……ウチの寺の名物さ」
 「ええ?!」
 「まさかココでご対面とはなあ。ひょっとしてそれ、オレが作ったヤツかもなー」
 「……」
 「だから何だよその顔!」
 「いえ、何でも」
 何でも、という割にはどよーんとした顔で、残りの金剛焼きをもごもごと食べるユークレーズ。その顔を、じーっと見つめるヨシア。
 「……何ですか? ヨシアさん?」
 「いや……」
 「僕の顔に、何かついてます?」
 「いやいや。……何、つまらん話さ。……故郷の、妹や弟になー、オレが里帰りするたびに、コレを土産にしてたんさ。っても、他に土産にするものもないからなー」
 ヨシアが、何かを懐かしむように、言葉を続けた。
 「ご兄弟がいるんですか」
 「貧乏人の子だくさんってヤツさ。上に2人、下に3人。オレは口減らしで、寺に上げられたんだよ」
 珍しい話ではない。
 ヨシアの故郷は辺境の、半農半猟で辛うじて成り立つ小さな村だった。貧乏人が子どもをたくさん作るのは矛盾して見えるが、これは貧しさ故に成人になるまで育たない『歩留まり』を考えてのことだ。跡継ぎとなる労働力が育たなければ、自分たちが老いた時に、畑を耕し猟をする人手が足りなくなる。
 残酷なほどにリアルな命の営みが、そこにはまだ現実として存在していた。
 「お元気なんですか、故郷の……ご家族」
 「いや。もういない」
 ヨシアはぽつりと答えた。
 「妹や弟は、10歳にもならんうちにみんな病気で死んだ。上の兄弟も、それぞれ狩りに失敗してな。親も……」
 飢饉や疫病で追いつめられた者が、一発逆転を狙って無理なボス級のモンスターに手を出し返り討ちに遭う、というのもよくある話だった。死者を蘇生させるイグドラシルの葉1枚すら買えない、貧しき者達の運命など知れたものなのだ。
 「……すいません」
 「謝るこたないさ。こっちこそすまん、不景気な話聞かせちまって」
 淡々と口に運ぶ金剛焼きは、ヨシアにとって決して良い思い出ばかりではないのだろう。
 実際、ヨシア自身にも自分が育った寺への愛情や郷愁はない。そこはただの『選別所』だった。ヨシアと同じく、口減らしで寺に上げられた子ども達は即日、モンクの修行に放り込まれる。戦いのスキルなど後回し。とにかく『金剛』だ。金剛化して、先輩僧侶にひたすら叩きのめされ、弱い者から次々に命を落とす日々。
 寺には寺の事情がある。次々に送られて来る子ども達が全員無事に成人などすれば、寺の方が破産してしまう。だから修行という名の選別に生き残り、狩りで食い扶持を稼げるようになるまで、それは続けられる。
 それでも、ヨシアは耐えた。
 硬く、強く。寺の高僧ともなれば、ボス級のモンスターにさえ単独で挑み、これを『絞め殺す』実力を有する。そうすれば、故郷の村の一つぐらい養う事はわけもないことだった。小さな寺の一つも建て、『住職』として物心両面で故郷を支えるのだ。
 だが、その村はもうない。彼の家族ごと、消えてしまった。
 だからその想いが断たれた時、ヨシアという人間は一度、死んだのだ。
 「修行とか、もうバカらしくなってな。といって今さら他の事する能もない。だから、寺にウロボロスからの勧誘が来た時、半分自棄んなって志願したのさ。まあ、寺の方でも良い厄介払いだったろうけどな。俺、色々問題児だったからよ」
 わはは、と笑う表情に、もう曇りはない。
 「……強いんですね、ヨシアさん」
 「あん?」
 「僕は、家を追い出されたんです。……兄に」
 「兄ちゃんいるのか?」
 ユークレーズの表情が苦い物になる。
 「ええ。去年、家を継いだんです。でも……兄は僕を嫌ってて……僕がこんなですから、仕方ないですけど」
 ユークレーズの実家は、田舎とはいえ歴とした貴族である。となれば、例え本人にその気がなくとも『家督争い』というものと無縁ではいられない。そこで兄と弟、どちらが家を継ぐかという話になった時、ユークレーズの異能ともいうべき記憶・情報処理能力が取りざたされるのは仕方ない。
 凡庸な兄と。
 異能の弟と。
 周囲が2人をどんな風に比べ、どんな風に天秤にかけたか。
 すったもんだの末に家を継ぐ事が出来た凡人の兄が、結果として弟をどう見るか。
 たとえそれまで、どれほど仲の良い兄弟だったとしても、二度と元には戻れないだろう深い断絶がそこに生まれたとして。
 当主の座をいつ奪いに来るか分からない『敵』を見る目で、弟を見る兄がそこに生まれたとして。
 誰が誰を責められるだろう。
 「だけどそれ、お前のせいじゃないだろ? お前の力はホント凄えんだからさ、胸張ってりゃいいじゃんか」
 「……」
 「なあに、仲の悪い兄弟なんて珍しくもないさ。オレだって、兄貴達とは仲悪かった。里帰りの度に喧嘩してたぜ?」
 わはは、と笑うヨシアの耳に、ユークレーズの小さな呟きが聞こえた。
 「……でも」
 「ん?」
 「僕は大好きでした。……兄の事」
 立場が変わっても、変わらず好きだった、と少年は呟いた。
 ユークレーズはただ、兄を好きでいたかっただけなのだ。
 異能の力を持って生まれたけれど、それを自分のために使おうとは少しも思わない。兄がそうしろと言ってさえくれれば、その異能の力を全て、その一生を全て兄のために捧げて何の悔いもなかったろう。
 しかし、その想いは断たれた。
 
 『出て行け、化け物! お前は天才なんかじゃない、呪われているだけだ! 寄るな、呪いが感染る!』

 浴びせられる言葉は、ただ冷たい拒否だけだった。その冷たい言葉で、兄が何を守ろうとしたのか気づいた時。
 兄がただ、自分のプライドを守ろうとしただけだと分かってしまった時、ユークレーズの心は砕けた。
 ヨシアと同じように、ユークレーズもまた一度、死んだのだ。
 「そーか……」
 ヨシアはただそう呟いて、新しく砕いた金剛焼きの欠片を一つ、ユークレーズに渡した。しかし心の中では、この少年がなぜ、あのタートルリーダー・一条流にあそこまで傾倒するのか、理解できたような気がした。
 自分の異能を、余す所なく使ってくれる人間。そして、決して揺らぐことなく『好きでいさせてくれる』人間。
 (……リーダーに出会って、お前は生き返ったんだな……)
 ヨシアの中に、一つの想いが結晶した。それは小さく輝く宝石の様でもあり、小さく胸を刺す痛みの様でもあった。
 (……そして俺は……)
 夜の、誰もいない静かな倉庫。並んだ分厚い肩と、華奢な肩。
 ぽつんと光る、小さな灯り。
 壁に映る、大きな影がふたつ。
 それぞれに何かを失い、その欠けた欠片を探し続ける2人の逃亡者の、重なるようで重ならない時間。
 近づくけれど、重ならない影。
 「リーダーやチームの皆、大丈夫でしょうか……」
 「なあに、心配いらねえよ。あのリーダーだぜ?」
 ユークレーズの弱気に、ヨシアが力強く応える。
 「だからお前も元気出せ。大丈夫、オレが必ず愛しのリーダーんとこ連れてってやるからよ」
 「はい……って誰が『愛しのリーダー』ですかっ!」
 「しっ……!」
 真っ赤になって突っ込んだユークレーズを突然、ヨシアが手で制した。
 「外に誰かいる……!」
 「!?」
 その言葉に、ユークレーズもはっ、と緊張した顔になる。
 「追っ手ですか?」
 「わかんねえが……」
 「でも、ここが分かるはずは……」
 ユークレーズの疑問に、ヨシアはぴしゃりと、
 「『絶対』は無えよ。クルトのオッサンが裏切ったってんならなおさらだ」
 何かにつけて周到な一条流という男は、『xイニシャル』の場所どころかその存在そのものを、チームの一般士官にも、上官であるクルトにさえ秘密にしている。だが、これだけの規模の施設を買収し、これだけの物資を備蓄したのだ。組織の外ならともかく『身内』にも一切知られるな、というのは水に飛び込んで濡れるな、というのに等しい。金の流れ、物資の流れを丹念に追って行けば、場所を特定することも決して不可能ではない。
 「……!」
 「腹ごしらえの時間が稼げただけめっけもんだ。逃げるぞ!」
 「はい……っ!」
 ユークレーズの返事は途中で途切れた。ヨシアの太い腕が物凄い勢いで、ユークの身体を突き飛ばしたのだ。
 「ちきしょう! ルアフ!」
 ヨシアが唱えた呪文に応じ、青い光の玉がヨシアを中心に、2メートルほどの範囲で回転を始める。『ルアフ』は、クローキングやハイドといった『自分の姿を隠す』スキルを打ち破る魔法だ。
 見えない物をあぶり出すその光に照らされるように、彼らの周囲に人影が浮き上がる。
 「追っ手だユーク! もう囲まれてる! ポタ出せ!」
 ヨシアが叫ぶ。そして、
 「『金剛』っ!」
 その身を無敵の鎧で覆う。その身体に短剣や矢が襲いかかるが、ギリギリ間に合った金剛の効果がそれを弾き返した。敵は既に、積み上げられた木箱の影や天井にまで相当の数が潜んでいたらしい。
 もう一瞬でも気づくのが遅ければ、2人ともなます切りにされていただろう。
 (……畜生! オレの油断だ!)
 ヨシアは歯噛みしたい気持ちだった。『xイニシャル』を持つシェルターは安全、と信じ切っていたのが間違いだった。通常なら2人のどちらかが常にルアフを使い、周囲を警戒し続けるのがタートルチームの基本だ。
 「ヨシアさん! でもココがバレてるなら……!」
 他のxイニシャルも危ない。ヨシアに庇われながら、ユークレーズが叫ぶ。
 「……他もダメかよっ!」
 ヨシアが下がる。後ろは倉庫の壁。ユークレーズは、壁とヨシアの背中に挟まれるような格好だ。完全な袋小路。
 「くっそお!」
 敵の数が見る見る増えて行く。外にいた敵が、建物の内部に次々と突入し、群がるようにヨシアとユークを襲う。このままでは殺されるのを待つだけだ。
 「しゃーねえ、一か八かだ! ユーク、俺にしがみつけ! キリエ絶やすな!」
 「ヨシアさん?!」
 「行くぞ! 祈れ!」
 叫ぶのと、足元に置かれたままのランプを、ヨシアの足が蹴飛ばすのが同時だった。金剛状態でスピードはないが、それでも十分に重い蹴りは、火のついたままのランプを転がすには十分。
 転がす? 
 どこへ?
 積み上げられた大量の物資、その一角。ユークレーズが指摘した、あの場所。
 
 『そっから向こうは火薬です。灯りはダメ!』

 その瞬間の事を、ユークレーズは良く憶えていない。余りにも巨大な爆音と閃光が、人間の感覚の上限を振り切ったらしい。バリアの呪文であるキリエエレイソンに守られていなければ、いや守られていたにも関わらず、内臓ごと五体をバラバラにされるような衝撃。そしてヨシアの腕にがっちりと抱かれたまま、宙を吹っ飛ばされる無重力感覚。
 「……ひ、ヒール! ヒールっ!」
 夢中で、ただ夢中で自分とヨシアに治癒の呪文を唱える。バリアも唱えたいが、詠唱に一定の時間のかかる呪文はパス。極論すれば、即死でない限りはヒールを唱え続けている限り死ぬ事はないのだ。
 ばぁん! 無重力状態が突然途絶え、代わりに激しい衝撃が2人を襲った。爆風で吹っ飛ばされ、そのまま地面に激突したのだ。
 「……っ!」
 金剛状態のヨシアが下になり、激突のダメージの大半を引き受けてくれた。が、ユークレーズも無傷では済まない。足が地面にこすれた衝撃で足首から先が千切れそうになり、左腕の肘は脱臼。また倉庫の火薬と一緒に貯蔵してあった弾薬にも引火したらしく、周囲に無数の流れ弾がバラまかれた結果、ユークレーズの身体にも何発か食い込んでいる。
 幸い致命傷はなかったが……。
 「あ……っう……!」
 「しっかりしろユーク! 呼吸を整えてヒール唱えろ!」
 こちらはさすがに金剛モンク、さして傷を負っていないヨシアがユークレーズを叱咤する。ついでにさっき補充したポーションを取り出すと、ユークの身体に振りかける。ボロボロになった制服の隙間からむき出しになった傷が塞がり、食い込んだ銃弾がぼろり、と肌の外へ押し出される。
 「……ヒールっ!」
 ユークレーズがやっと呪文を唱えた。ヨシアがその身体を支えて立たせてくれる。
 「……くそっ、アレでも振り切れねーかよ!」
 ヨシアが毒づくのへ、ユークレーズが視線を向ける。
 元工場だった倉庫は、ものの見事に吹き飛んでいた。建物は、内部にあった物資もろとも周囲に散乱し、ぶすぶすと煙を上げている。爆発の中心部はちょっとしたクレーター状で、地面は真っ黒にすすけ、まだところどころに火の手も上がっている。
 その凄まじい破壊の光景の中、敵はまだ生き残っていた。ユークレーズやヨシア同様、バリアの呪文だろう。あるいは、あのジュノーの空中牢獄から脱出する際、無代達が使ったカウプの呪文かもしれない。死亡してもすぐに復活できる呪文、というものも存在する。
 ともかく、あの爆発にも関わらず、敵はまだ存在する。いや、それどころか……。
 「増えてる……!」
 「増援を呼ばれたな。ここはもうダメだユーク。どこでもいい、ポタ出せ。逃げるぞ」
 「でも……っ!」
 ここ『x3』は既に敵に知られている。ということは恐らく、他のxイニシャルも危ない。
 逃げ場は無い、そう思った時だった。
 (あっ……でも、あそこなら……!)
 ユークレーズの頭に、一つの思考が割り込んだ。
 (『x4』なら……!)
 『x4』。
 それは、タートルリーダーたる一条流と、ユークレーズの2人しか知らない避難場所。そして、そのポタメモを持っているのはユークレーズただ一人。
 (他のxイニシャルが敵に知られていても……あそこだけは!)
 『4』は、他のxイニシャルとは全く性格が違う。安全性も何もかも、ケタ違いの『場所』。
 だが。

 『ここだけは、みだりに使うな。というより……例えお前の命が危ないとしても、使ってはならん』

 ユークレーズの耳に、一条流の言葉が蘇る。『命令がない限り、自分が死んでも使うな』という、非情とも言える命令。
 それは、絶対の機密を守るためだ。
 部隊の全員が危機に陥った時、一人でも多くの人員を助けるためにのみ使用が許される。だが、ユークレーズが一度でもそれを使ってしまい、万一その場所が追跡されて露見したら……全ては水の泡になる。
 一人の命には代えられない、絶対の機密。それが『x4』の『x4』たる所以なのだ。
 使えないどころか、今まさに命を共にしているヨシアに、話すことさえ許されない。
 (……!)
 ユークレーズの喉が、ひりひりと痛んだ。爆風で痛めたこともあるが、それよりも精神的なストレスで、口がカラカラに乾いている。
 (今、2人でx4に行けば……2人とも助かる……)
 その思いはある。
 (……ダメだ……リーダーの許可がなくちゃ……使えないんだ!)
 その思いもある。
 ぐるぐる回る。ぐるぐる、ぐるぐる、回り続けて最後はバターになって溶けてしまったという、説話の動物のように。
 だが、敵はそんなユークレーズの葛藤など構ってはくれない。湧き出すように出現する敵の数は、既に千に迫ろうとしている。
 「急げユーク! あの人数じゃ防ぎきれん!」
 もう迷っている時間はなかった。
 そして、ユークレーズは一つの決断を下す。
 「……ワープポータル!」
 詠唱は一瞬。

 そしてユークレーズはこの先ずっと、ずっとその決断を悔やみ続ける事になる。
 一つの辛い別れと、余りにも深い心の傷と共に、いつまでも。

 いつまでも。
中の人 | 第九話「金剛不壊」 | 18:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第九話「金剛不壊」 (5)
  「ええい畜生! ココもダメかい!」
 サリサ・ゾシマは毒づいた。
 自慢の巨盾と、そこから生えた衝角を使って目の前の敵を崩し、片手の斧を叩き込んで斬り伏せる。実際、息をつく暇もない。
 タートルチーム・ハンマーユニットのトップとして、またチームリーダーである一条流から権限を委譲され、現在はタートルチームそのものを率いる彼女だが、今、彼女と仲間達を取り巻く状況は極めて悪かった。
 『戦前機械(オリジナルマシン)』の脅威から逃れ、『安全』と判断された避難経路であるxイニシャルへウロボロス4全軍を退避させたまではよかった。
 だが、x1に移動した途端に、敵が現れた。それも、ルーンミッドガッツ王国正規軍による、相当の規模の規模の待ち伏せだ。先陣を切ったタートルチームは、転送と同時に彼らとの激しい戦いに突入せざるを得なかった。完全装備の前衛が突進を繰り返し、その後方から激しい魔法や矢、銃弾の雨が降り注ぐ中を、彼らタートルチームは必死に時間を稼いだ。その間に、さらに全軍をx2に移動させるためだ。
 だが、そこにもほぼ同規模の待ち伏せを受けた。予想された事とはいえ、状況はもはや最悪。
 現時点で、ウロボロス4にはタートルチームの他にも複数のチームが生き残っている。だが、前述したようにそれらは斥候や狙撃の『特化チーム』がほとんどであり、緻密に計画された作戦の駒としてならば絶大な力を発揮する反面、こういう臨機応変さが優先される遊撃的な戦いには向いていない。せいぜいが後方支援である。そのため事実上、敵と正面切って交戦出来るのはタートルチームのみだ。解体されたファルコン、イーグル、コンドル各チームを吸収して戦力がアップしているとはいえ、苦しさは隠せない。
 しかも、戦ったところでその先が見えない。
 避難場所であるxイニシャルはあと2つ、3と4。だが、この分だとx3も危ない(ヨシアとユークレーズが既に、そこで敵の待ち伏せを喰らった事を、サリサはまだ知らない)。
  そしてx4のポタメモを持っているのはユークのみ。 
 (……逃げ場なんか、無いじゃないか!)
 リヒタルゼンの現場に残ったタートルリーダー・一条流の到着を待つどころではない。まごまごしていれば、圧倒的な規模を誇る正規軍の攻撃で押し潰されるのは時間の問題だった。
 (このままじゃ……畜生、ユークがいれば……!)
 リーダーである流が別れ際に命令した『x4使用』の命令。それをユークレーズに伝えることができれば、流自身が『絶対安全』を保証した避難場所へと逃げ込める可能性がある。だが、現状ではユークレーズと、その護衛についているはずのヨシアを探しに行く事すら不可能だ。
 いや、ここまで大規模な待ち伏せが行われている以上、たった2人きりの彼らが果たして生き延びているかどうか。
 (これまでか……っ!)
 さしも気丈な女クルセイダーの心中にさえ、わずかな弱気が忍び込む。
 女戦士、サリサ・ゾシマが生まれ育ったのは、通称『亀島』と呼ばれる絶海の孤島だ。その島を拠点に、その生涯をほぼ船の上で送るという海の民、それがサリサの一族である。かつては七つの海を又にかけた海賊稼業で大いに鳴らした武装種族。しかし、最新鋭の火器を備えたルーンミッドガッツ王国の船団が海でも幅を利かすようになると、彼らの活動範囲は狭められ、時代の流れに押し流される格好でとうとう、王国に隷属する立場となった。
 (王国に海を削り取られて、隷属させられて、人質同然で秘密部隊に徴発されて、結局最後はその王国に殺される……か)
 苦い物がこみ上げる。
 (だけど……戦って死ぬならまあ上出来かい!)
 『誇り高き海の民』と、人は呼ぶ。
 彼女にとって『誇り』とは、自分の道は自分で選び、そして何であれその結果を受け入れる、その覚悟のことをいう。
 自分の生と死を、他の何かや、他の誰かのせいにしないこと、その決意のことをいう。
 (最後に良い戦友と出会えたんだから、それもアリだろさ。そうだろう? サリサ・ゾシマ!)
 自分で自分にハッパをかける。
 今、彼女と肩を並べて戦う仲間も、ついに合流できなかったリーダーとタートルコアのメンバーも、そしてユークレーズとヨシアも、この同じ戦いを精一杯戦っていることを、彼女は疑わない。
 ならば自分も戦うだけだ。結果が死だとしても、それはそれだ。
 「……よっしゃあ、皆ついて来な! タートルチームの意地を見せてやれ!」
 左手の巨盾を抱え直し、右手の斧を握り直す。背丈こそ小柄だが頑強な身体に気合いをみなぎらせ、敵の陣のど真ん中に斬り込む。
 攻撃は最大の防御、と言う。このまま逃げ回ってジリ貧になるよりは、正面突破で死中の活を拾う。何とも彼女らしい決断だった。
 そしてこのサリサの決断こそが、チームを救う決定打なる。
 「姐さんっ! サリサ姐さんよぉっ!」
 激しい剣戟の音の向こうから、自分の名を呼ぶ声が届いた。
 「……! その声は、ヨシアかいっ!?」
 鳥肌が立つような思いで、サリサが叫び返すのへ、確かな返事が届く。
 「おうよ! 姐さん、ユークもいるぜ!」
 ウロボロス4を半分包囲しかけた敵の軍勢の、その向こう。スキンヘッドの頑強なモンクと、小柄なプラチナブロンドのプリーストのコンビが今、まさにワープポータルの転送を終えた所だ。
 「ユークも! ……よく無事で!」
 「こっちも会えて嬉しいぜ姐さん。……だけどすまねえ、敵を連れて来ちまった!」
 ヨシアの叫びの通り、その後方に敵の姿が次々に出現する。ユークレーズの出したワープポータルを追跡されたのだ。ヨシアがすかさず攻撃するが、今度ばかりは数が違いすぎる。
 「今行く! 待ってなよ!」
 サリサはひときわ大声で叫ぶと、
 「スヴェニア中尉、ヨシア少尉の両名を保護する! ハンマーユニット、突貫!」
 敵の包囲陣の中央をぶち割って突出していた事が、逆に幸いした。ヨシアとユークレーズのいる場所まで、それほど距離はない。
 「おらッ! 退かないと轢き殺すからねっ!」
 敵に向って威嚇しておいて、がっ、とその両足を開き、ぐっ、と腰を低く落とす。
 次に上体を前に倒し、左腕の巨盾を背中に背負うように、地面と水平に構える。盾から生えた鋭い衝角が、まるで甲虫の角のようだ。
 だから、その名もそのままに『甲虫術(ビートルアーツ)』。
 サリサの出身部族に伝わる、重装甲を利用した突貫技術。サリサ・ゾシマをタートルチーム、ハンマーユニットのトップたらしめる、オリジナルかつユニークな戦闘技術がこれだ。
 「でぃやぁあああ!!!!」
 巨大な甲虫が地を這うように、サリサが突進した。『女性美』という観点からはいささかボリューム過剰な彼女の下半身、それが今、信じられないようなトルクを発声させて大地を蹴る。
 「『ゴキブリ』って言ったヤツから殺すっ!」
 いや誰もそんな事は言っていないのだが、これがサリサなりのお約束というか、気合いの入れ方なのだろう。
 「!」
 敵に驚く暇さえ与えず、さながら甲虫の角のような衝角が、まるでそこに目があるかのように正面の敵の喉笛を真下からぶち抜いた。
 しかも、それだけでは止まらない。既に死体となったその敵を衝角に引っ掛けたまま突進する。
 一瞬、腰が引けた敵の包囲陣を、今度はサリサの斧が襲った。といってもこの超低重心の態勢からでは、通常の斧使い(アックスワーク)は不可能である。
 その右手の片手斧が狙うのは、敵の膝から下。伏せられた盾と地面の隙間から、目にも止まらぬ横薙ぎの一閃。たったそれだけで、敵の足首が枯れ木のように斬り飛ばされる。
 「ぎゃっ……!」
 あっという間に3人、喰った。いずれも重装甲の騎士やらクルセイダーだが、サリサが狙う『足元』という部位は元々、非常に防御しにくい場所である。その上、サリサの『甲虫術』があまりにもユニーク、というかはっきり言えば『邪道』であるために、初見ではどう対応していいのか分からない。戸惑っているうちに、気がつけば接近され、その足に斧を叩き込まれている。
 さらに2人、うち1人は一薙ぎで両足を持って行かれた。
 「このっ!」
 やっと多少の落ち着きを取り戻した敵が、サリサに剣を、あるいは槍を叩き込む。だが、この重装甲。そして信じられないほど低く構えたポジション。背中の盾が剣を跳ね返し、最初に刺し殺した敵をやっと振り落としたばかりの衝角が、槍の一撃をしぶとく逸らす。
 恐るべき肉食の巨大甲虫、その脅威に敵が気づく頃には、またあっという間に距離を詰め、膝下を狙った一閃を撃ち込んでいる。
 ウロボロス4を分厚く包囲したはずの敵陣、その一角が今、確実に割れていた。好機。それを黙って見ている阿呆など、少なくともタートルチームには1人もいない。まして打撃班ハンマーユニットが、トップ1人に突撃させてじっと見ているワケがなかった。
 「姐さんに続けぇ!」
 サリサの作った突破口に、騎士が、パラディンが、複数でチームを組んだ密集隊形のハンマーユニットが全力で斬り込む。小さな突破口に楔を打ち込み、引き裂き、傷口を広げるのだ。さらにそのポイントを狙って、後方から矢や魔法の集中攻撃が叩き込まれる。彼らはいずれも、少人数ながらその火力を最大に生かすために、一点への集中攻撃を徹底的に訓練されている。もちろんこれも、リーダーである一条流の指示だ。
 突破口を楔でこじ開け、さらにそこに焼けた鉛を流し込むような容赦ない攻撃に、さしもの敵も短時間ながらその陣形を大きく崩す。
 サリサの狙いは当った。一時的ながら、敵の包囲を突破したのだ。
 「ユーク! ヨシアっ!」
 だだだだーっ! と盾を背負ったままのサリサが2人の元へ駆け寄る。ヨシアが後続の敵に奮戦しているが、既にその数は単騎でどうにかなるレベルを超えている。一刻の猶予もない。
 「サリサさんっ! り、リーダーは?!」
 ヨシアに治癒と支援の呪文を贈り続けていたユークレーズが、駆けつけたサリサに血相を変えて訊ねた。だが、サリサはそれには応えない。
 「話は後だユーク! リーダーからアンタに命令だ! 『x4の使用を許可する』!」
 「!」
 「復唱は!」
 「!? あ……『x4使用許可』、了解!」
 乱戦に次ぐ乱戦、混戦に輪をかけた混戦。修羅場慣れしていないユークレーズは、明らかに混乱している。
 (……無理もない。今、ここにリーダーがおられないって事は、今は内緒にしとく方がいいね)
 こちらは修羅場慣れどころか、修羅場で生まれ育ったサリサである。状況を読むのは素早い。あの一条流が彼女を、女性ながら打撃班のトップに据えているのは、その戦闘能力もさることながら、この『戦闘勘』というものを高く評価しているためだ。
 「味方と合流するよ。来な、ユーク!」
 サリサがわざと、頭ごなしに『命令』する。小隊長であるサリサはヨシアと同格、つまり階級上は少尉であり、ユークレーズより下である。が、ヨシアがこれまでさんざんやってきたように、修羅場ではサリサが主導権を握る。こういう命令系統の逆転は、近代の軍隊でも普通に起きる事である。士官学校を出たばかりの少尉さんより、さんざん現場を渡り歩いた軍曹、曹長クラスの方が、前線では主導権を握る、というケースは珍しくない。
 とはいえ、ここまで容赦なく上官を呼び捨てにすることはまあ、そうあることでもないだろうが。
 「アタシの盾の下に入るんだ、ほら!」
 「はい、サリサさん!」
 ユークレーズも逆らわない。身体を低くして、サリサの盾の下に潜り込む。
 「……姐さん、そいつ、頼んだぜ」
 ヨシアの声が、盾の上から届いた。それはまるで……
 「……ああ、任せな」
 「ヨシアさん?!」
 ユークレーズが色を失う。それはまるで『別れの挨拶』。
 「オレは走れねえ。行け、ユーク」
 ヨシアの、何でもないという調子の声が響く。金剛状態のモンクは、その圧倒的な防御力と引き換えに『速度』を奪われる。今のヨシアは、走れない。
 サリサとユークレーズに、ついていくことはできない。
 「それにここ、止めとかねーとな! ぐずぐずすんなユーク、リーダーんとこ行くんだろが!」
 力強い言葉でユークレーズの背中を押すヨシアの姿は、ユークレーズからは見えない。だが今この瞬間も、その五体に剣を、槍を、斧を、矢を、銃弾を、魔法さえ豪雨のように浴びせられているはずだ。それでも手当り次第に敵を捕まえ、関節を極め、骨を折り、腱をねじ切り、気管を潰して戦っているだろう。
 轟、とヨシアの咆哮が響く。
 斬れず、焼けず、貫けず。しかし近づけば殺される。『絞め金剛』の恐ろしさを、存分に味わわせているだろう。
 それでも。
 だがそれでも。
 1人の戦いには所詮、限界がある。ヨシアとユークレーズが待ち伏せを受けたx3からの追っ手は今や、倍々ゲームでその数を増やしている。ヨシアの奮戦も、あとわずかで時間稼ぎにすらならなくなるだろう。
 「……走るよ、ユーク!」
 「ま、待って下さいサリサさん! ヨシアさんが……!」
 「行くよっ!」
 サリサが、その身体でユークレーズを突き飛ばすようにして走り始めた。今度は逆方向、ウロボロス4が陣を張る方向だ。
 そしてヨシアが戦う場所とは、逆の方向。
 「サリサさんっ! ヨシアさんを置いて行くつもりですか!」
 「置いて行きたかないよ!」
 ユークレーズの抗議に、返って来たのは絶叫だった。
 「……!」
 「置いて行きたかないさ! でもこれしかない……これしかないんだ!」
 ユークレーズに、いや自分自身に言い聞かせるように、サリサが叫ぶ。同時に、八つ当たりの様に斧を振るい、盾を捌いて敵を打ち倒していく。それでも、万全の待ち伏せ態勢を整えていた敵を、完全に崩す事はできない。ほんの僅かの時間、敵陣のほんの一角を貫けたに過ぎない。
 今のウロボロス4には、体勢をひっくり返す力はない。
 轟、とヨシアの咆哮が響く。
 その不屈の五体を余す所なく使って、サリサとユークレーズの退却路を守るために戦っている。
 だが今、誰もそのヨシアを救うことはできない。
 「これが……これがアイツの望みなんだ! アイツが望んだ事なんだよ!」
 サリサがまた叫んだ。
 「アイツ、ってヨシアさん……ですか?!」
 「そうさ!」
 かっ! とまた敵が1人、膝から下を吹っ飛ばされる。
 ずん! とまた一匹、ペコペコが喉を突き上げられ、乗り手もろとも地面に崩れ落ちる。
 「ウイングトップをやめて、チームを出て……アンタを守ること。それがアイツの、ヨシアの望んだ事なんだ! アイツ自身が直接、リーダーに望んだ事なんだよ!」
 「!?」
 サリサの盾に守られながら、戦場のど真ん中を走るユークレーズの身体が、がくがくと震えた。
 「アンタはタートルチームの、リーダーの宝物だ! リーダーとアンタさえいれば、チームは機能する!」
 サリサが言葉を継ぐ。叫ぶように。
 「リーダーは確かにキレ者だ。だけど、それを形にするにはアンタが必要だ。だからチームの他の誰を失っても、リーダーとアンタだけは失えない!」
 「……」
 「だからリーダーは、どんな時もアンタを絶対に守る護衛を必要とした。そしてアイツは……ヨシアはそれに応じた!」
 「……どうして……?」
 サリサの叫びを全身に浴びながら、ユークレーズが呟く。いや呟くことしかできない。
 「どうして……!」
 どうして?
 なぜヨシアが自分を?
 ユークレーズの問いに、サリサの叫びは答えない。
 それを、彼女がユークレーズに告げる事は、『ルール違反』だから。
 代わりに、敵をまた1人なぎ倒す。だが、敵の攻撃も激しさを増している。頑丈な盾ごと、サリサとユークレーズを叩き潰そうとするような猛烈な打撃が、真上から撃ち降ろされる。
 「がっ!」
 サリサが崩れそうになる腰を、渾身の力で立て直す。だが一瞬、動きの止まった重装の甲虫を、敵の魔法陣が捕らえた。
 「魔法が来るよ! ユーク!」
 「はいっ! さ、サンクチュアリ!」
 「馬鹿、違う! 息を止めな! 肺を灼かれる!」
 魔法攻撃に備えて、自動治癒の魔法結界を張ろうとしたユークレーズを、サリサが怒鳴りつける。最前線の中の最前線で、呑気な治癒結界など張っているヒマなどない。
 「!」
 ユークレーズが慌てて息を吸い込んだその瞬間、業火の魔法が叩き付けられた。
 盾の周囲が白熱し、盾の下に守られているはずの空間まで、灼熱の空気が渦巻く。耐火処理した制服や鎧はともかく、髪の毛など体毛は容赦なくチリチリと焼け焦げた。
 「熱つっう!」
 サリサが呻く。自慢の盾が白熱し、それを抱えた左手と背中まで高熱が伝わるのだ。だが、それでも己の命と見立てた盾は決して放さない。そしてまた、ユークレーズを突き飛ばすように走り出す。
 (……さすがだぜ、サリサ姐さん)
 その足音を、戦いを、背中に感じながら、ヨシアはその唇に笑みを作ろうとした。
 だが、それは笑みにはならなかった。
 笑みを浮かべるはずの彼の唇はもう、原型を止めないほどに損傷しているのだ。無敵の金剛状態とはいえ、擦過傷までは止めようがない。常人なら一撃で首ごとすっ飛んで形も残らないような一撃を、それこそ無数に受けて来た。唇は裂けて折れた歯が覗き、片目はもう眼球ごと潰れている。右の耳たぶがほとんど千切れて、ぶらぶらと揺れるのが鬱陶しい。
 それでも、ヨシアは倒れない。
 それでも、ヨシアは戦い続ける。
 (……ユーク)
 彼の背中から遠ざかって行く、少年の名を想う。
 
 『耐える時は、守りたいモノを想え。たいてい、守りたいモノが無いヤツから先に死ぬ』

 ヨシアがモンクの修行をした寺院の、先輩僧の言葉が蘇る。
 あの頃、ヨシアが耐えるために想ったのは、故郷の家族だった。
 
 『……ごめんよぉ、ごめんよぉヨシア。ごめんよぉ……』
 
 それは、母の声だ。口減らしのために、幼いヨシアを寺院に預ける時、母はそればかり呟いて、泣いた。寺の修行は厳しく、ほとんどの子供は一人前の僧侶になる前に死ぬのだと、彼女は知っていた。でも他にどうしようもなかった。
 ごめんよ、ごめんよと謝るだけだった。
 (……泣かないでくれよぉ、母ちゃん……)
 今はもう、思い出の中にしかいない母に、ヨシアは語りかける。
 (オレこそ、オレの方こそごめんよぉ……オレがもう少し早く一人前になって、村に帰れてたら……)
 皆、死なずに済んだのに。
 (だってよぉ、オレ、思わなかったんだよ……。父ちゃんや兄ちゃんが狩りにしくじって死んじまうなんて、思わなかったんだよぉ。だって父ちゃん、あんなに強かったじゃないかよぉ。ポポリンだって、ポイスポにだって、負けた事なんかなかったじゃんかよぉ。村にウルフが襲って来た時だって、父ちゃんや、兄ちゃんたち皆で追い払ったじゃんかよぉ……)
 分かっている。
 それがただの、子どもの幻想だと、今なら分かる。真っ当な冒険者なら鼻歌混じりで片付けてしまうような低級モンスターに、命がけで挑まねばならなかった父や兄。その帰りをじっと待つしかなかった母と、弟妹。
 (それが……それが何で、大狐や化虎なんか狩ろうとしたんだよぉ。敵うワケないじゃんかよぉ)
 でも、どうしようもなかったのだ。締め上げるような飢饉や重税を前に、一発逆転に賭けるしか、もう生きて行くすべがなかったのだ。
 (オレだったら……今のオレだったら! そんなの素手でも絞め殺してやるのによぉ! ごめんよぉ! ごめんよぉ!)
 間に合わなくてごめんなさい。
 守れなくてごめんなさい。
 守るモノのない『金剛』に、もはや存在価値などない。生きていても仕方ない。
 だから、寺を出てウロボロス4へ来た。思えば、ずいぶんとヤケになっていたものだ。
 だが、そこで出会った『上官』を見て、ヨシアはえらく驚いた。細っそくて奇麗なプラチナブロンドに、これまた細っそくて軽そうな身体。
 お貴族様の、奇麗な顔。
 最初は反発して、イジめた。わざと命令を聞かず、顔を合わせればからかった。
 からかわれた年下の中尉殿が、真っ赤になって本気で怒るのが面白かった。
 そのうち、それが楽しくなって。
 その時間を、何よりも楽しみにするようになって。
 いつしか。
 そう、いつしか。

 『守りたいモノを想え』

 がつん! と、巨大な槍がヨシアの胸板を直撃した。服も防具もとうに破壊され、胸板の筋肉もズタズタに斬れて、骨が見えている。
 それでも、槍はヨシアを貫けない。
 逆に槍を掴んで捻り上げ、騎乗の敵を地面に落とす。
 「ようこそ、オレの寝床へ」
 もう、まともな言葉も出せない口で、なおそんな軽口を叩きながら、重装甲の鎧の重さに四苦八苦する敵に組み付き、絞め、折る。
 
 (……ユーク)

 いよいよ、思考が乱れ始めた。だが、ヨシアの身体は崩れない。
 想いも揺るがない。

 (……行けよ、ユーク。……お前の大事な、リーダーの所へ)

 轟!
 不屈の金剛が吼える。
中の人 | 第九話「金剛不壊」 | 18:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第九話「金剛不壊」 (6)
  「スヴェニア中尉殿! ゾシマ少尉! こっちだ急げ!」
 敵陣をぶち抜くように走るサリサに、重い、しかし頼もしい声が届いた。
 タートルチーム・ウォールユニットのトップ、ダイン・アングロルだ。今、チームを率いて文字通りの壁を張り、敵の包囲を辛抱強く跳ね返している。
 「ダイン! 飛び込むから道開けなっ!」
 「応! 真っ直ぐ突っ込め!」
 鈍くて不器用、と、自ら認める巨漢の、シンプルだが確かな指示。サリサはその声を目指して走る。そこに必ず道はあると、ただ信じて走る。
 ふっ、と、背負った盾を撃つ剣戟の衝撃が止んだ。魔法も、矢も降らない。
 抜けた。
 「ウォールユニット! 『根を降ろせ』! 一歩も通すな!」
 ダインの、巨象の咆哮にも似た命令が轟く。壁を張ったウォールユニットのメンバーが、その身を包んだマントを広げた。下手な鉄板より強度のあるモンスターの革にゴツい鎖を編み込み、なおも貴重なカードを挿すことで魔法的な防御力まで付加した防具だ。
 そして、その鎖の端を隣同士、頑丈な連結器具でつないで行く。
 じゃらららららん!
 その強靭なマントが今や、不抜の壁となって立ち上がった。
 「通すな! 一歩も通すな! 隣の者が倒れたなら支えよ! その隣が倒れても支えよ!」
 巨象が吼える。
 「退く場所は無い! 行く場所も無い! ここぞ! ここぞ!」
 何かに言い聞かせるように繰り返し叫ぶダイン。彼を始め、ウォールユニットの多くが、他のチームからのドロップアウト組だ。身体は大きいが武術はスジ悪で、足も遅い。戦術への理解も、戦闘勘も鈍い。
 でかいだけの木偶の坊、独活の大木。
 役立たずのレッテル。
 そんな彼らに居場所をくれたのがタートルリーダー・一条流だった。仲間に入れてくれたのが、タートルチームだった。 
 戦えるのはここしかなかった。
 信頼してもらえるのはここだけだった。
 ここに。
 だから。
 「ここが我らの居場所ぞ! 我らの家ぞ! 我らの揺りかご、我らの墓ぞ!」
 応っ!
 応っ!
 仲間達の命を背に、巨象の群れが吼える。
 いかな大軍と言えども、この壁をやすやすと崩せるものではない。
 「急ぎなユーク! 『X4』だ! 全軍を転送する!」
 「……は、はい……っ!」
 ウロボロス4が形成する自陣の奥に、サリサとユクレーズは守られた。2人の近くには既に、転送班であるウイングユニットのトップ、ジル・ソーヴィニアが部下を連れて待機している。ユークレーズがX4への転送輪を出すと同時に彼らが飛び込み、向こうでポタメモを取って帰って来る。後はタートルチーム得意の転送システムで一気に転送輪を増やし、並べ、ウロボロス4の全軍を一気に移動させるのだ。
 ユークレーズがポケットから、ワープポータルの魔法を使うための青い触媒石を取り出す。
 ぽろり、と地面に落とした。
 あわてて拾おうとするが、掴み損ねて余計に遠くへ転がる。
 拾うのをあきらめて、別の石を取り出すが、それも落とした。
 「……っ……!」
 ユークレーズの顔が歪む。見かねたジルが、自分の触媒石を手渡したが、それもぼろぼろと落としてしまう。
 手が震えていた。いや、手だけではない、ユークレーズの全身が震えていた。
 醜態だった。中尉として、チームのサブリーダーとして、あり得ない醜態だった。
 タートルチームの規律は、どこよりも厳しい。実戦の場で、魔法を使おうとして触媒石を落とす、などという失態を犯せば『懲罰モノ』である。通常なら、リーダーの一条流から厳しい叱責を受けた上に階級を降格され、さらに多くのペナルティを科されるだろう。
 だが今、ユークレーズを責める者はいない。責める視線すらない。
 だって、懲罰なら受けている。

 轟!

 轟!

 敵陣の向こうから響くあの咆哮。あの男が、ヨシアが、まだ戦っている。たった1人で立っている。
 それを、置いて行かねばならない。見捨てて行かねばならない。
 この少年にとって、それが懲罰でなくて何だというのだろう。
 「……僕は……僕は……ヨシアさんを……っ!」
 ユークレーズが、喉の奥から悲鳴のような声を絞り出した。
 「……助かったのにっ! 先に『X4』に行けば! 助けられたのに!」
 頭を、胸を、その指が掻きむしる。心まで裂けよと爪を立てる。
 あの時。ヨシアと2人、X3から逃げる時、しかしユークレーズは決断したのだ。
 『X4は使うな。話もするな』
 一条流の、その命令を守る事を。
 安全な場所へ逃げる事も、そんな場所があることをヨシアに告げることもせず。
 黙って、ここ『X2』へのワープポータルを出したのだ。
 ユークレーズの選択。その結果としての『今』。
 「あ……ああああ!!! ごめんなさい! ごめんなさいヨシアさん! ヨシアさんっ!」
 「ユーク! しっかりしなっ!」
 叫ぶユークを、サリサが叱咤した。
 「アンタが真っ直ぐココに来てくれなきゃ、アタシらはここで死んでた! ヨシアがあそこを守ってくれなかったら、アタシとアンタもあそこで死んでた!」
 だが、そう叱咤するサリサの表情にも、壮絶な色が浮かんでいる。
 「そして今も死んでる! この瞬間も! 仲間が死んでるんだよユーク!」
 サリサの言葉は真実だ。敵の攻撃は止むどころか、さらに激しさを増している。
 ウォールユニットが作り上げた『人間の壁』に、猛烈な攻撃が加えられている。1人が倒れ、それを支えようとしたもう1人も倒れる。後ろで支援するプリーストが蘇生をかけるが、生き返ると同時にまた倒れる。『いたちごっこ』ではない。死んでいる時間が、どんどん長くなる。
 死んだ人間を蘇生できる魔法やアイテムが存在する戦いでは、戦いの趨勢は死者の数ではなく、敵と味方の『死んでいる時間』を比較することが一つの尺度となる。優勢な方は、味方が死んでもすぐに蘇生させて戦いに復帰させられるが、劣勢な方はそうはいかない。蘇生してもすぐにまた殺され、そのうち蘇生も間に合わなくなって、放置される『死体』が増え始める。
 ウロボロス4は現在、そうなりかかっていた。生きていても死んでいる、『死に体』に近づいている。
 時間がない、どころかもうリミットはとっくに過ぎているのだ。
 「辛いのは分かるユーク。アタシだって、アイツを置いて行くなんて嫌さ」
 サリサが、むしろ静かな声で語りかけた。
 「アイツと一緒に戦って、皆してここで死ぬってのも、アリっちゃアリだ」
 サリサの、その言葉の内容は壮絶だが、その声音はあくまで静かなものだった。つまり、本気だ。
 「でもアンタは、本当にそれでいいのかい、ユークレーズ・スヴェニア?」
 「……!」
 びくん、とユークレーズの身体が大きく、震えた。 
 ぎゅっ。
 ユークレーズはその時、自分の手を別の細い手が握るのを感じた。
 ジルだ。ジル・ソーヴィニア。今、敵陣のど真ん中で戦っているヨシアから、ウイングユニットのトップを引き継いだ女モンク。色白のスキンヘッドを華奢な兜で包み、そして、じっとユークレーズの顔を見つめている。
 その目には、涙。
 その唇には、血。
 形の良いその唇を、白い歯で噛み切っていた。
 (……ああ……そうなのか……)
 その涙と血の色を目にして、ユークレーズは初めて気づく。
 ジル・ソーヴィニア。彼女もまた、ヨシアが好きだったのだ。ヨシアとは上司と部下の関係だったが、何かにつけて衝突した2人だった。いや、衝突というより、大雑把でいい加減なヨシアに、生真面目なジルが一方的に噛み付き、呆れ、軽蔑していた。

 『いい加減にして下さい、ヨシア少尉。規律を何だと思っているんです、貴方は!』
 『って、んなぶっ固えコト言うなよ、ジルよぉ。ガチガチにしたってさ、良いことばっかりじゃねーよ?』

 この騒ぎはウイングユニットの、いわば名物だった。またやってる、ホント仲悪いよねあの2人、と。
 だが、本当はそうではなかったのだ。
 彼女も、あの豪放で磊落で、明朗で快活で、そして誰よりも強靭な。あの男の事が好きだったのだ。
 見捨てて行きたくなどないのだ。
 だが、それが『規律』であり、ウイングユニットであり、タートルチームである。それを裏切ることもまた、彼女にはできないのだ。
 ぎゅっ。
 ユークレーズの手を握ったジルの手から、青い触媒石が押し込まれるように手渡される。
 ユークレーズが今度こそ、それを落とさないように。
 だってそうしないと、ジルだって落としてしまいそうなのだ。
 「……っ!」
 ユークレーズが石を握りしめて、そして立ち上がった。
 痛い。だがそれは、自分だけの痛みではない。
 喪失。だがそれは、自分だけの喪失ではない。
 ユークレーズにもまた、その身を捨てでも守るべきものがあるのだ。
 ヨシアと同じ様に。
 
 「……ヨシアさんっ!」

 声の限りに叫ぶ。
 返事は無い。

 「……ありがとう……!」

 返事は無い。
 
 「ワープ……」
 ユークレーズが奇跡の魔法を唱える。
 詠唱は、少し時間がかかった。
 「……ポータル……っ!」
 転送の輪が光る。
 「ウイングユニット! 続きなさいっ!」
 全てを振り切るように、ジルがその光に飛び込んだ。あとは、いつも通り。
 いつも通りにするだけだ。

 (……それでいい)
 ヨシアの脳裏を、安堵の風が吹き抜けた。
 ユークレーズの声は聞こえていた。どんな乱戦でも、混戦でも、その声を聞き間違える事なんかない。
 もう、ヨシアは戦っていない。立っているだけだ。
 敵に囲まれ、あらゆる方法でめった撃ちにされながら、もうわずかしか残っていない命を削り取られながら。
 それでも、ヨシアは笑った。
 (……礼を言うのはオレの方さ、ユーク)
 守るモノの無かった自分に、あの少年は守るモノをくれた。敵から何者かを守ること、それだけが自分の人生なら。
 それは、命をくれたのと同じ事だ。
 ヨシアの想いは、実を結ばなかった。いや、最初から実を結ぶはずの無い想いだった。
 だけど、それでも。
 それだとしても。
 (ユークよぉ……)
 もう記憶の中でしか見られない、それもあとわずかで消えるはずの、プラチナブロンドの無邪気な笑顔。寝顔。泣き顔。
 真っ赤になって怒った顔。
 やっぱりそれが一番しっくりくるのが、この期に及んで可笑しかった。
 (……お前の、リーダーへの想いも、決して実は結ばないだろうけど……)
 その顔に、記憶にしかないその顔に、ヨシアは語りかけた。
 (けれど、それでも……それでもな……)

 「誰かを好きになるって事はさ、この世で一番素敵な事なんだぜ?」
 
 その言葉を、自分が言葉として発したのか、それとも脳裏で呟いただけなのか、ヨシアにはもう分からなかった。
 しかしその言葉が決して消えない事、それだけは不思議と確信できた。
 この身が砕けても。この身が裂かれても。この身が灼かれても。
 この血と肉の最後の一片が、この世界から消えてしまったとしても。

 その想いだけは、決して砕けないことを。

中の人 | 第九話「金剛不壊」 | 18:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第九話「金剛不壊」 (7)
  『さて、どうする流? キミなら今からでも、決して悪いようにはしないよ?』
 夜の荒野に浮かんだ『セロ』から、元コンドルリーダー・テムドールの声が響いた。
 どんな時でも、それこそ逮捕されて独房に幽閉されてさえ晴朗さを損なわない明るい声。不気味などに邪気がなく、生まれてから今まで不機嫌だった事が一度もないのでは、と思わせる相変わらずの名調子だが、今夜はさらにそれに磨きがかかっているようだ。
 まあ、それも仕方ない所だろう。
 『戦前機械(オリジナルマシン)』と『完全再現種(パーフェクト・リプロダクション)』との対決は、見事に前者の勝利に終わった。
 王国の影の世界で、神とも言われたマグダレーナ・フォン・ラウムは敗れたのだ。
 『頑固きわまりない王国元老院のお年寄り達も、ようやく理解してくれたよ。その女『マグダレーナ』は神なんかじゃない。怖れるにも足りない。あとは排除するだけだ』
 テムドールの言葉がいかに自慢げに聞こえたとしても、決して誇張ではない。
 マグダレーナという女性が、王国の中枢において巨大な影の権力を持っていることは既に書いた。彼女の信奉者、味方は数知れない。
 が、これは同時に、多くの敵がいるという事実の裏返しでもある。『あの女さえいなければ』と考える権力者は決して少なくないのだ。
 しかし、彼女が持っているのは権力だけではない。彼女自らもまた、前代未聞の『武力』を備えた無敵の戦闘者でもある。権力闘争といっても、嫌がらせや密告程度しか能のない連中が、どう歯噛みしたところでマグダレーナを排除することなど不可能だ。
 いや、不可能だった、というべきだろう。ついさっきまでは。
 『戦前機械(オリジナルマシン)』セロの力で、こうして実力で彼女を倒せると分かった今、彼女を邪魔者扱いしてきた人間にとって、あとは自らの権力にモノを言わせるだけのことだ。
 適当な罪状を被せ。
 それを看板に軍を動かし。
 マグダレーナという存在を、その信奉者や味方ごと消し去る。
 恐らく今頃プロンテラの城内では、反マグダレーナ派による粛正の嵐が吹き始めているだろう。当然、彼女が仕切ってきた『ウロボロス4』もまた、真っ先に粛正される運命だ。
 『王国内での『マグダレーナ』は、もう死んだも同然さ。ウロボロス4もね。……義理など尽くしても無駄だよ、流?』
 「……なるほど、見事なものだ」
 流はゆっくりと言いながら、しかし一方ではタートルコアに指示を出し、倒れたまま意識不明となったマグダレーナの身体を確保させる。一緒に吹き飛んだ『月影魔女』の面々も、傷ついた身体を引きずりながら流の元に集まる。
 だが、集まったからといって何が出来るワケでもなかった。確かにその場の全員がそれなりの力を持つ戦士ではあるが、眼前の『戦前機械』セロの前では、およそ戦力と呼べるようなモノではないのだ。
 「完全にしてやられたな、テム」
 「仕方ないよ、流。君の能力のせいじゃない」
 テムドールが慰める。だがそれは思いやりなどではなく『勝者の慈悲』。
 「君じゃない誰でも、ここまでは予測できなくて当然だ。言うなればこれは、君と僕との運の差だよ」
 「運か」
 「そうさ。だから君のせいじゃない」
 繰り返す慰めの声にも、底なしに明るい響きしかない。生まれながらの勝者、というのはここまでのものか。
 「で? どうする流? そこの実験動物を見逃す事はできないし、君があくまでそれに忠義を尽くすと言うなら仕方ないが……僕としては君の力が惜しい。ココで一瞬で皆殺しにするのは簡単すぎる」
 「……」
 流が黙る。太い腕を組み、鍛え抜いた巨体で大地に仁王立ちの姿勢。しかしその頭脳は、聞けば聞こえるほどの音を立てて回転しているはずだ。
 「……流、逃げな……」
 細い、掠れた声が、その背後から響いた。
 「アンタらも逃げるんだ……どうせ狙いはアタシだ、何としても時間を稼ぐから……」
 マグダレーナだ。意識を取り戻したらしい。
 流が振り向く。
 「情けないが、アタシがしてやれるのはもうコレぐらいさ。行くんだ流、故郷へ帰りな」
 枯れ草の上に横たえられた年齢不詳の美女、その顔は治癒魔法も追いつかないほどに焼けこげ、ひょっとしたら年齢相応かもしれない皺に覆われている。トレードマークの一つでもある、青い触媒石を連ねたネックレスはバラバラに千切れ、神器とも比せられる装備もボロボロ。背中や胸元、脚に二の腕、あちこちの肌も露出していた。何とも無惨な姿だ。
 「……マグダレーナ様」
 流が腕組みを解くと、つかつかと近寄り、マグダレーナを助け起こす。
 「……済まないね、流。だけど、急ぎな。この分だとウロボロス4の連中も待ち伏せを受けてる。アンタが行ってやらないと」
 「御心配なく。それより……」
 ぐい、と、流の巨体がマグダレーナの身体を、まるで抱きしめるように寄り添った。
 「……御免」
 「……!」
  びくん! と、マグダレーナの身体が痙攣した。その左右で色の違う、あの瞳が一瞬だけ見開かれ、力なく閉じられる。そして、ぐったりと流の肩に崩れ落ちた。
 「な……?! タートルリーダー! 貴様!」
 「動くなっ!」
 驚愕する『月影魔女』を、流の気合いが制した。
 「動けばマグダレーナ様のお命は頂く。ハッタリではないぞ」
 ひょい、と身体を巡らし、肩に担いだマグダレーナの背中を見せる。そこには小振りの、短剣らしい柄が生えていた。
 マグダレーナを助け起こす振りをして、流が背中から刺したのだ。その位置は正確に、心臓。
 「見えるか、テム」
 「見えるよ、流。だが殺したワケではないようだね?」
 飛空艇の中からどうやって見ているのか、しかしテムドールの返事は明確だ。
 「ああ。これは麻痺、毒、睡眠、呪いの4種類の状態異常を起こす針を数十本、束ねたものだ。それを心臓ギリギリに打ち込んである」
 「なるほど……さしずめ、心臓が鼓動する度に、その数十本の切っ先が心臓にちょっとだけ刺さって、必ずどれかの状態異常にかかる、というわけかい?」
 「その通りだ」
 流が落ち着いた声で応えた。同時に、タートルコアに命じて『月影魔女』の女達を武装解除させ、素早く拘束させる。流に従うコアメンバーも最初は意外な成り行きに驚いたようだが、そこは選び抜かれたタートルチームの精鋭。このリーダーがどんな状況で何をしようとも、いつまでもオタつくような雑魚はいない。
 「この『完全再現種』を制圧するために、こっそり作っていたモノでね。まあささやかな武器ではあるが、ぶっつけで役に立ってよかった」
 ぶっつけも何も、初めて使う武器を背中から正確に、それも心臓ギリギリに打ち込むというのがそもそも無茶苦茶だ。だが確かにその奇怪な武器は見事、マグダレーナの心臓をギリギリで刺し止め、心拍に合わせて収縮するそれに微かに触れるだけ。マグダレーナの自己治癒力なら、その程度の傷はすぐ治ってしまので死ぬ心配はない。だが、状態異常の方はそうはいかない。確率で考えても、それが刺さっている限り、一分間に数十回という心拍の度に、ほぼ確実にどれかの状態異常にかかり続けるだろう。いかにマグダレーナといえども、ここから自力で脱出する事は容易ではあるまい。
 「完全再現種殺し」。
 たとえ表面上は服従していても、常にそれに対抗する手段は考えている。それが一条流という男の本質、というは誇張でもなんでもないらしい。
 「君への土産としては、『死体』より『生け捕り』の方が価値があるんじゃないかと思うが? テム?」
 「お見事、と言っておくよ、流。その土産、喜んで受け取ろう」
 言葉とともに、『戦前機械』セロがゆっくりと、流達の眼前に舞い降りる。
 空には明るく、美しい月。
 だが、謀略と裏切りに満ちた地上の闇を照らすには、その光では足りない。



 地面に膝をついたユークレーズの身体を、清浄な夜露が濡らした。
 しん、と静まり返った、森の一角。ふた抱えもある巨木が、星を飾った夜空に向ってどこまでも真っ直ぐに伸びている。足元には、大人の膝まで埋まるほどの羊歯類が、夜露をたっぷりと乗せて生い茂っている。木々や草から染み出した心地よいエキスを含んだ風が、ボロボロに傷ついたウロボロス4の面々を優しく撫でて行く。
 『x4』。
 あの一条流をして、『絶対に安全』と保証した避難場所。
 敵の追跡はない。
 今は、死者の蘇生と負傷者の治療に全力を挙げている。特に、撤退のしんがりを務めたウイングトップ、ジルの負傷が激しい。ワープポータルを最後にくぐるのが彼女になるため、押し寄せる敵の攻撃を一身に受ける事になるからだ。それでいて、自分より先に敵がそれをくぐることのないように、転送輪を守らねばならない。全身に切り裂かれ、矢弾を浴び、魔法で焼かれた凄惨な姿でここにたどり着いた時は、文字通り生きているのが不思議なくらいの有様だった。
 だが、命の助かった彼女はまだマシだった。ここにたどり着けなかった者も相当数に上る。最盛期は1万を超えたウロボロス4も、今はその数を半分近くに減らしていた。タートルチームを筆頭に、ロビン、スワロー等の各チームも、被害が大きい。
 「……」
 その中にいて、ユークレーズは動かない。いや、動けないでいた。肉体よりも、精神へのダメージが大きい。
 いや、大き過ぎた。
 目の前でヨシアを失った。いや『見殺しにした』。
 そして、タートルリーダー・一条流までもがいない。あの場所に置いて来てしまった。それを知った時には、僅かな時間ではあるが半狂乱になったユークレーズである。サリサやダインといったユニットトップ達が彼をなだめ、あるいは力ずくで抑え込んでくれなければ、ひょっとしたらユークレーズ1人、あのx2へ再転送で戻っていたかもしれない。
 さすがに今は落ち着いている。が、落ち着いているからと言って何だというのか。失ったモノが戻るとでも言うのか。
 表情のない顔で、ただ呆然と座り込むユークレーズを、あのサリサでさえ遠巻きに見守るしかなかった。
 「……」
 草むらの中に膝をついたまま、ふとユークレーズは気づく。ポケットの中に何かある。
 ポケットに手を入れたユークレーズが取り出したのは、1個の『金剛焼き』だった。
 ヨシアが育った寺で作られたという、世界で一番堅い焼き菓子。あのx2の倉庫で、これをいくつかポケットに入れた事を、ユークレーズは思い出す。
 そして、思い出すのはそれだけではない。
 「……う……」
 だめだ。泣くな。
 いくらそう思っても、涙は言う事を聞いてはくれなかった。
 「……うっ……う……っ」
 堅い菓子を握りしめながら、ユークレーズは泣いた。せめて、声だけは殺す。例え聞こえても、それを笑う者も怒る者も、彼の周囲には1人もいないだろう。しかし今、声を上げて泣く事は、何かを裏切る事になる、そう強く感じたからだ。
 ユークレーズという命を、生かしてくれた何かを。
 ……かさっ。
 「……うっ?!」
 突然、草をかき分ける物音がした。近い。
 「誰だ?!」
 ユークレーズが涙を拭い、金剛焼きを急いでポケットに戻して、立ち上がって身構える。近くにいたサリサが、部下を連れてすっ飛んで来た。
 「どうしたユーク!」
 がさっ!
 ユークレーズの真正面の草むらが割れた。
 「?!」
 ぬうっ、と、姿を現したのは、夜目にも真っ白な塊。大型のイノシシほどの大きさだが、イノシシではない。
 「……ルナティック?!」
 ユークレーズが素っ頓狂な声を上げた。
 それは確かにルナティック、白いウサギに似た低級のモンスターだった。だが通常、その大きさは同じくウサギ程度のはずだ。コレがボス化したモンスターに『エクリプス』がいるが、それではない。
 見たことも聞いたこともない、超の字の付く大型ルナティックが草むらから顔を出し、ユークレーズとウロボロス4をじーっ、と見つめている。
 片目がない。
 片目が、大きな傷でつぶれているのだ。そのせいでもあるまいが、ユークレーズ達を見つめる姿には何かしら『風格』すら感じられる。この森のヌシ、と言われても納得しそうだ。
 「……あ、え……?」
 何となく、ユークレーズもあたあたしてしまう。真夜中の突然の闖入を、森のヌシに咎められているように感じたからだ。

 「……駄目デスよ、マサムネ。その方々はお客様デス」

 ころん、と小さな鈴を振るような声が、森の闇の中から響いた。
 少女の声。
 「『瑞波四郎正宗(みずはしろうまさむね)』。立派な名前をもらったのデスから、お行儀よくするデス」
 その声に、ルナティックがふい、と身を翻すとぴょん、とひとつ跳ねた。その堂々たる巨躯にふさわしく一跳びで数メートルの空中を駆け、すと、と音も無く着地する。
 着地した側に、声の主であろう少女が立っていた。豊かな髪をおかっぱに整えた、年齢は恐らくは十代前半。『スーパーノービス』と呼ばれる職業の衣装が反則級に似合っている。はっきり言って、とてつもなく可愛い。
 マサムネと呼ばれた巨大なルナティックはその隣、後ろ足だけですっくと立ち、少女の護衛とでも言わんばかりに、その隻眼でまたこちらを見つめている。
 森のヌシと森の妖精。神話の1シーンのような絵。
 ユークレーズも、またサリサを始めタートルチーム、あるいは他のウロボロス4の隊員達までが、何かに魅入られたように呆然していた。
 「あ、とりあえず皆さん、そこにいると危ないデスから」
 少女がその両手をぱっ、とバンザイの形に挙げると、
 「しゃがんで下さいデス。ほら、こうやって」
 バンザイの両手をおかっぱ頭の上にぺたん、と乗せて、少女がその場にぴょこん、としゃがんだ。隣の『マサムネ』も一緒にぺた、と地面に伏せる。
 「……は……?」
 ウロボロス4全軍がはた、と凍り付く。
 「急ぐデス!」
 怒られた。
 たった今、まさに『死地』から命からがら逃れてきたばかりの強者達……だからこそ、この意外すぎる展開に完全に虚を突かれた、というのが言い訳になるのかどうか。
 少女に言われるまま、全員がその場にしゃがんだ。頭に手を乗せて。
 五千近い精鋭軍団の、全員の頭の上に盛大な『?』が踊ったのも当然だ。
 だが、その『?』が一斉に『!』に変わったのが次の瞬間。
 ひゅん!
 何かが風を切る音が、少女の後ろから響いた。
 ひゅん……ひゅん……ひゅん……
 その音が連続して、しかも近づきながら大きくなる。何か巨大な物が、空中を回転しながら近づいて来る。
 「そ、ソードガーディアン……?!」
 ユークレーズが今度もまた、呆然と呟いた。ソードガーディアン。それは、難攻不落のダンジョンの奥深くで冒険者を待ち受ける、極めて高レベルのモンスターだ。それ一匹だけで、油断すれば熟練のパーティーといえども壊滅しかねない。
 それが縦に回転しながら飛んで来る。
 これを言葉で説明するのは非常に難しいのだが、例えるなら体操競技の『伸身宙返り』を思い出して頂ければよい。身体をピンと伸ばした『気をつけ』の姿勢のまま、空中で縦に宙返りするあれだ。
 その『伸身宙返り』を、さながら風車のように繰り返しながら、ソードガーディアンが飛んで来る。
 びゅんびゅんびゅんびゅんっ!
 モンスターの身体が少女の頭上を越え、居並ぶウロボロス4の頭上も飛び越えて、
 ずっどおおおん!!!
 遥か森の向こうの地面に、頭から突き刺さって、止まった。刺さった身体が真っ直ぐだったのは一瞬、すぐにべちゃっ、と地面に崩れ落ちる。既に命は尽きていたと見えて、その身体は即座に崩壊。退治されたモンスターの末路だ。
 後に残ったのは、一枚のカード。
 「わ! 出たデスっ!」
 それを見て、しゃがんでいた少女が歓声を上げた。即座に立ち上がり、ででででででーっ、と恐ろしいスピードでウロボロス4のど真ん中を突っ切ると、
 「ソードガーディアンカード! 取りましたデスっ!」
 少女が森の彼方、モンスターが飛んで来た方向に向かって叫んだ。
 返事は、すぐに返って来た。
 「うむ、でかしたぞ『咲鬼』」
 ずん、と森が揺れたような錯覚。いや、錯覚ではなかったかもしれない。
 ユークレーズは、そしてウロボロス4の隊員達は見た。
 生い茂る巨木を抜けてくる細い月光の中から、燃上がるような真紅のペコペコが悠然と進んで来るのを。
 そしてその背にまたがり、巨大な斧を担いだ女武者が、これまた悠然と微笑むのを。
 「今日は実に良い日だ」
 女武者の笑みが深くなる。
 「肩ならしにモンスター叩けばカードは出るし、客人も大勢。また楽しからずや」
 その言葉通りなら、先ほどのソードガーディアンを縦回転で吹っ飛ばしたのは、この女武者なのだろう。そして、そんな事が出来る武人が、しかも真紅の巨鳥を騎鳥とする女なぞが、この世に何人もいるワケがなかった。
 ユークレーズが何度も、何度も、上官である一条流から聞かされた、あり得ない武勇伝の数々。
 そして、その名前。
 「……一条、綾姫様……!」
 「おう。確かにオレが綾だ」
 静、香の姉にして、一条三姉妹の長女。瑞波大将軍・一条綾が、盛大な笑顔でにっこりと応えた。
 「も、申し遅れました、我々は一条流様の部下で……」
 「ああ、言わんでいい。言わんでもわかる」
 大慌てで頭を下げるユークレーズを、綾が上機嫌でさえぎる。
 「『ウロボロス4』だろう? 我が父上殿が現役時代に、さんざん付き合ったからな。……そうか、さすがは流義兄様、早くもウロボロス4をシメたと見える。しかも、もう既にひと暴れしたらしいな?」
 わっはっは。綾の笑いはどこまでも楽しげで、影の欠片もない。
 「よしよし。はるばると良うおいで下されたぞ、お客人。ご安心なされ、ここは天津・瑞波の国は『龍ヶ背(たつがせ)』という、我が一条家の隠し天領だ。一族の者しか知らぬし、立ち入りもせん。お客人らはもう絶対安全だ。オマケに……」
 オレもいるしな、と綾はまた笑った。
 なるほど、『x4が絶対安全』とはこのことか。
 「流義兄様の事も心配はいらん。オレには分かる。……うむ、いつもより元気なぐらいだなこれは」
 うんうん、と勝手にしゃべり、勝手に納得し、勝手に上機嫌。目の前の数千の精鋭軍団すら、本当に野ウサギの群れぐらいにしか思っていないようだ。
 『独壇場』という言葉は、この女将軍のためにあると言われたらうっかり信じそうな様である。
 「綾様、カード、カード!」
 「おお咲鬼、ご苦労」
 ででででーっと駆け戻って来た咲鬼から、綾が悠然と貴重なカードを受け取る。
 そして、右手の斧をぶぅん! と一振り。それだけで、数千の軍勢の端々まで熱風に似た刃風が届く。
 「うむ、客人にカードに、なんとも良き日だ。……そしていよいよ!」
 この日一番の、晴れ晴れとした笑顔。
 
 「オレの出番も近いと見えた!」
 
 続く。
中の人 | 第九話「金剛不壊」 | 18:05 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
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