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第十話「Changeling」(1)
  『BOT製造者(ボットメーカー)』、フランシア・センカル。
 彼女はその日の出来事を、今もはっきりと思い出すことができる。
 
 初めて『一条静』に出会った、その日の事を。

 あれはちょうど16年前。王国特殊部隊『ウロボロス』の一角である『ウロボロス2』の主席を襲名した直後のこと。
 季節は冬、時刻は午後。
 場所はルーンミッドガッツ王国首都・プロンテラ王城内。同じく王国特殊部隊『ウロボロス4』の、士官用宿舎の一室だった。
 その時、生後まだ数ヶ月だった静は、簡素だが頑丈なベビーベッドの上で、ほとんど『大の字』になって眠っていた。母親のお手製らしいエキゾチックな、しかし見事な刺繍の入った寝具を、えいやっとばかりに蹴っ飛ばしている。天津人の血を受け継ぐ黒髪に、眠っていてもそれと分かる母親似の可憐な容貌。その肢体は当然まだ未成熟な乳児のものではあるが、太さも伸びやかさも健康そのもので、肌や爪の艶も内側から溢れる生命力に輝いていた。
 センカルとて女性である。本来なら『まあ可愛い』の一言も呟く場面だったのだが、残念ながらその時の彼女は、とてもそんな気分ではなかった。いやそれどころか、今すぐでもその場所から逃げ出したい気持ちだった。
 理由は、静が眠るベビーベッドの向こう。
 そこに、窓を背にして4人の人間がいた。
 まず1人目。厳つい顔と、頑健そのものの分厚い肉体を持つ三十路の男。
 静の父親『一条鉄(くろがね)』。
 センカルの胴体ほども太さのある腕をがっしりと組み、『仁王立ち』という言葉がぴったりの姿で、こちらをじっと見つめている。特殊部隊『ウロボロス4』のトップアタックチームを率いる『ウルフリーダー』。歴代リーダー中でも最強、という称号が伊達ではないことは、一見しただけで分かりすぎるほど分かった。
 続く2人目。ピンクがかったブロンドに、ふわりと優しげな雰囲気を漂わせた女性。
 鉄の妻で静の母親『一条桜(さくら)』。
 遥か聖戦の時代、異世界から次元を超えてこの世界にやってきたという少数民族『霊威伝承種(セイクレッド・レジェンド)』最後の生き残り。他に例を見ない強力な霊能力を有し、ウロボロス4でも特異な任務をこなす『ラビットチーム』のリーダー。……が、夫の隣で椅子にちょこんと腰掛けた姿は可憐そのもので、とても軍人の雰囲気はうかがえない。
 3人目。闇色の髪と瞳が印象的な2〜3歳の幼女。
 一家の次女で静の姉『一条香(かおり)』。
 仁王立ちした父親の太い足に隠れるように、じっとこちらを見ているこの幼女が、母親の桜と同等か、もしくはそれ以上の霊能力を受け継いでいる事を、センカルは報告書で読んで知っている。その瞳に自分がどう映っているのか、だが精巧な人形のように端正なその顔には、何の表情も浮かんでいない。それが逆に不気味極まりない。
 そして最後の4人目。この時、確かまだ5歳になったばかりの、これまた黒髪の少女。
 一家の長女『一条綾(あや)』。
 この少女の『5歳』という実年齢を聞いて、驚かない人間はいないだろう。上等な革で仕立てられた子供用の剣士服が、内側からパンパンに張りつめるほど太く伸びやかな肢体は、どう見てもローティーン、下手をするとハイティーンの少女にさえ見える。父親とそっくりに腕を組み、軽く足を開いた立ち姿の自然さが、逆にその卓抜した運動能力、いや『戦闘能力』を物語る。例えるならばそれは、歳若いながらも精悍極まりない肉食獣の化身だった。そしてその化身が、我こそはこの一家の守護者と言わんばかりの風格で、家族の誰よりも前に立ち、センカルを見据えている。
 これが怖い。本気で怖い。
 なにせ、武術武道にはまるっきり縁のないセンカルでさえ、彼女の放つ『殺気』をはっきりと感じ取れるのだ。
 燃えるような瞳、今にも牙を剥きそうな容貌。そして、そこから発せられる猛烈な殺気は、ほとんど実体のような圧力を持って、細いセンカルの身体を押しつぶしに来る。対するセンカルといえば、地位こそ軍人であるものの、そのキャリアは一貫して研究者であり技術者。こんな殺気が飛び交う場所に立った経験すらない。
 (話が違う!!!!)
 内心、そう叫び出したいような気分だった。
 そもそも今日この部屋で、センカルが一条静と対面することに、何の問題も無いはずだ。センカル自身や一条夫妻が所属するウロボロスの、その遥か上層部で取り引きが行われ、きちんと話がついているはずなのだ。
 取引とはすなわち、『ウロボロス6』こと『死神・クローバー』に追われ、この世界から抹殺されるはずの霊威伝承種、その唯一の生き残りである一条桜を保護する代わりに、彼女の血を受け継ぐ娘達を監視・研究する。そういうことで、両者の契約は終わっているはずなのだ。
 (なのに……!)
 なのになぜ、自分がこんな殺気を浴びせられねばならないのか。その事が、センカルにはさっぱり理解できない。彼女から見れば、これは明らかな『契約違反』なのだ。
 だが、これはセンカルの方が間違っている。
 例えどんな契約や命令があったとしても、大切な肉親の身体を勝手にいじくり回されるのを歓迎する人間がいるだろうか。ウロボロスという巨大組織の命令だからこそ渋々承諾しただけで、それを嫌悪する家族の感情までコントロールできないのは、むしろ当たり前の事と言えた。まして、家族の結びつきを非常に大切にする一条一家ならばなおさらの事だ。
 しかしセンカルにはそれが分からない。幼少時代から書物と研究器具の間で育ち、書類と手続きによって大人になった彼女には、『家族の情』など理解の外なのだ。行動の優先順位が違う、というより最初から順位に入っていないのだからどうしようもない。
 理解できないまま、ただ目を逸らし、油汗を流しながら困惑するしかなかった。
 「おい、綾。やめな」
 窓際にいた鉄が、長女の背中に声をかけた。さすがに父親の言いつけには逆らえないのか、綾から発せられていた殺気がふっ、と消える。
 (……!)
 ふう、とセンカルは一息つく。父であり、一家の家長である鉄からの助け舟、と思ったのも一瞬。
 「いいか綾。相手ビビらすのに怖い顔すんのは『ど三流』のするこった。こういう時にはな、むしろ笑うんだ。ほれ、やってみな」
 その言葉が終わるや否や、綾がセンカルに向けて、今度はにかっ、と歯をむき出して笑った。
 センカルの背筋に、氷の柱がぶち込まれたような錯覚が走る。
 綾の笑顔。それ一つでさっきまでの肉食獣が、一気に小さな魔神に進化した。放つ殺気は3倍増し。センカルは息すらできなくなる。
 (……ひいぃ……!)
 泣きたかった。こんな剣呑な連中に関わるべきではなかった。見ず知らずの相手に殺人レベルの殺気を浴びせる娘が娘なら、それを止めるどころか倍増しにする親も親だ。書類と手続きが通じない相手など、ただの野蛮人か狂った野良犬だった。
 (……もういやだ……もういやだ……!)
 心と身体がこぞって悲鳴を上げる。が、しかし逃げるわけにはいかなかった。
 なぜなら、これは『契約』だからだ。
 彼女が今日、ここで一条静と対面するという契約は、既に組織によって決定され、書面化され、関係諸機関に回覧され、それらの責任者全員がサインを終えている。センカルにとってそれは、自分の意志や感情で勝手に変更できるものではない。
 書類と手続き。
 それはセンカルにとって、水や空気のように絶対の存在だ。家族の情が優先順位に入らないのと同じで、自分の感情もまた、そこに入ることは許されない。
 「……ぼちぼちいいだろう、鉄」
 一条一家とは別の、落ち着いた女の声が部屋に響いた。
 「綾も、もうおやめ。……大丈夫。お前の大事な妹に、妙な真似は決してさせやしない。アタシが責任を持つ」
 静かな、しかし有無を言わさぬ力のある声。『ウロボロス4』主席『マグダレーナ・フォン・ラウム』。
 その超絶的な能力から『完全再現種(パーフェクト・リプロダクション)』の異名を持つ、文字通り王国最強の存在が、センカルの隣から、一条一家に声をかけたのだ。
 一瞬、綾の殺気がマグダレーナに向く。だが。
 「やめとけ綾。その婆さんだけはいけねえ」
 父親の鉄が、素早く娘を抑えた。ちなみに鉄は『婆さん』と言うが、マグダレーナの見かけは婆さんどころか、極めて若々しい女性のそれだ。それでいて未熟な感じは微塵も無く、逆に無限に老成した雰囲気さえ醸し出している。まさに『年齢不詳』という言葉がぴったりの風貌だ。
 「鉄、あんた達はこれで席を外しておくれ。一応、これも契約のうちだからね」
 マグダレーナの言葉に、鉄は無言で頷くと、足元にいた次女の香を片手で軽々と抱き上げる。そして、
 「綾、行くぞ」
 まだ仁王立ちを崩さない長女を促した。言われた綾は少し不満そうに父親を見ていたが、
 「ダメだ。今のお前じゃ、その婆さんにゃ勝てねえ。絶対に、だ」
 鉄が綾の目を真っ直ぐに見て、ゆっくりと言い聞かせる。
 「まだその時じゃねえ。ウチがどうしてもこの婆さんと戦(や)らにゃならん時は……そん時はこのオレが戦る。お前は桜と、妹達を守るんだ」
 当のマグダレーナ本人を前にして、これが父親から娘に送る言葉というのも凄まじい。が、綾はそれで納得したらしく、自分から父親の手を握った。
 この一幕には、さすがのマグダレーナも苦笑するしかない。他国の若者を人質同然に招集する『ウロボロス4』という組織の性質上、部下から反発されることは別に珍しくない。が、ここまで露骨に『仮想敵扱い』されるのは、マグダレーナにしても初めての経験だ。
 服従はしても魂は売らない、その誇り高き『戦人(いくさびと)』の血の意味を、だがマグダレーナが真に理解するのは、『一条流』という若者を部下に持つ、この16年後の事になる。 
 「じゃあ綾も、香も。先に宿舎へ帰っていなさいね。……コルネ! コルネ、そこにいる?」
 「イエス、リーダー」
 母親の桜が初めて言葉を発した。可憐な、そしてこれもまた何か抗いがたい魅力のある声。そしてその呼びかけに即座に、部屋の外から応えがあった。女性の声だ。
 「ユールリアン少尉、入室致します」
 「うん、入って」
 桜の許可と同時にかちり、と部屋の扉が開き、一人の女性兵士が入って来た。プリーストの意匠を取り入れた軍服に身を包んだ、どうやらこれが『コルネ』と呼ばれた女性のようだ。きびきびとした動作で扉を閉め、マグダレーナ、鉄、そして桜の順に敬礼を送る。センカルは無視。
 「おう少尉、ご苦労さん。悪りぃが、娘ら頼まあ」
 鉄が、抱き上げていた香を女性兵士に預け、綾の手も預ける。桜もそれを見守りながら、
 「お願いね、コルネ」 
 「承知致しました、リーダー」
 どうやらこのコルネという女性兵士、桜の部下であると同時に、一条一家の個人的な世話役でもあるらしい。決して美人というわけではないが、軍人にしては珍しく人当たりの良さそうな、いかにも家庭的な雰囲気を持っている。そのせいか、子供にしては扱いの難しそうな綾、香の二人の娘も大人しくコルネに抱かれ、また手を引かれている
 「香様、綾様、ではコルネと参りましょう。……失礼致します!」
 もう一度、室内の全員に敬礼し(やっぱりセンカルは無視)、部屋を出て行く。今日の晩ご飯はお芋を煮て差し上げますからね、というコルネの声が、閉まるドアの向こうから聴こえた。
 「よっしゃ。じゃあ桜、俺も仕事場に戻る。……なに、心配ねえ。銀(しろがね)の兄貴がきっと、お前ら守ってくれるからよ」
 「はい、鉄さん」
 鉄もマグダレーナに敬礼すると、部屋を去った。まあ敬礼といっても鉄のそれは、礼なんだか頭を掻いたんだか分からないような、ぞんざい極まるシロモノだったけれど。
 「……ごめんなさいね、やんちゃな娘達で。センカルさん、でしたっけ?」
 ガチガチに緊張したセンカルに、桜が優しい声をかけてくる。唯一、この母親だけはまともな感覚の持ち主らしい、と安心した次の瞬間、
 「『子供の躾は実戦で』、ってのがウチの流儀なの。ご協力に感謝します」
 ぺろ、と小さく舌を出して笑う。駄目だ、これもまともな人間ではなさそうだ。
 「桜。では始めるぞ」
 マグダレーナの言葉に、桜は小さく頷くと、ベビーベッドで寝ている静の夜具をそっと取り上げた。丁寧に畳んでベッドの柵に引っ掛ける。
 見ていたセンカルはぎょっ、とする。なぜなら取りのけられた夜具の下から黒く、細長い物体が姿を現したからだ。
 『刀』。
 アマツ風の『ツルギ』と呼ばれる武器、としかセンカルにはわからない。眠る静の右手が軽く、その柄の上に乗っているのが、可愛いというより異様だ。
 「『守り刀』。アマツの武家の風習なの」
 生まれたばかりの子供を悪い物から守る、呪術的な意味があるのだと桜が説明してくれた。
 だが、センカルは知らない。
 見るからに上等な、艶やかな黒塗りの鞘に収まったその刀に、名前があることを。
 それを何者が鍛え、何者に与え、どんな経緯をたどってここにあるのかを。
 そして、この時は誰も知らない。
 この剣がこの先、誰の手に握られ、何を斬り、何を守るのかを。
 そして誰の想いを、誰に伝えて行くのかを。
 
 『銀狼丸』。

 その刀の名をセンカルが知るのは、やはりこの16年後の事になる。
JUGEMテーマ:Ragnarok
中の人 | 第十話「Changeling」 | 10:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十話「Changeling」(2)
 「どうぞ」
 桜がベッドから身を引くと、センカルを促した。娘を診てよい、ということだ。
 センカルがこれから行う事は、表向き『健康チェック』とされている。が、その真の目的はもちろん、霊威伝承種の血を引く子供の観察・研究だ。
 本来ならばセンカルが所有する『ウロボロス2』のラボに連れ帰り、観察ベッドに縛り付けて徹底的な研究をしたい所だが、さすがにそれはマグダレーナ以下『ウロボロス4』が許さなかった。すったもんだの挙げ句の結論が、この『城内の一室で、母親の桜とマグダレーナ同席の下、単独での健康チェック』だっというわけだ。
 センカルにとってはいかにも隔靴掻痒だが、代わりに母親である桜が後日、同じくマグダレーナの同席ながら、その身体を提供するという契約になっている。純血種である母親の方が、研究価値が高い事は言うまでもない。
 「失礼」
 いかにも形式的な礼だけ示して、センカルはベビーベッドに手を差し入れた。静の身体を包む、簡素だが清潔な夜着を脱がせにかかる。静はまだ眠ったままだが、子供の扱いに馴れていないセンカルにとっては、その方がよほど都合が良い。
 夜着の帯をほどき、不器用な手つきで脱がせて行く。と、ちょうど『守り刀』とやらが邪魔になった。何の気なしにひょいと取り上げ、ベッドの外に立てかけようとした、その時だった。
 ぱちっ!  
 眠っていた静の目が、音がしそうな勢いで開いた。確かに直前まで熟睡していたものが、まるで何かのスイッチが切り替わるような寝起きだ。
 「!」
 センカルがびくっ、と動きを止める。
 (……泣き出す!)
 一応、女であるセンカルはそう直感し、内心ほぞを噛んだ。子供の扱い以上に、泣く子のあやし方など知らない。泣き叫ぶ子供を、母親とその上司の眼前でどう扱えば良いのか、それを考えただけで目の前が暗くなりそうだった。
 だが、そのセンカルの直感は外れた。
 驚いた事に、静は泣かなかった。泣く代わりに、センカルを見ていた。じーっ、という、これまた音が聞こえそうなほどの凝視。
 (!?)
 静の、その黒曜石の煌めきを持つ瞳が、センカルの頭の先からつま先までをじっくりと観察する。そして最後に、センカルが持ち上げた『守り刀』をじっ、と見た。
 この時、静は確かにまだ言葉も出ない赤子だ。だが彼女の視線には、何か名状しがたい迫力があった。夜着を半分脱がされた半裸の赤子に、いい大人のセンカルが圧倒される。
 (アンタ何してんの? ……アタシの刀に?)
 静に、まるでそう咎められたように感じて、センカルは大慌てでベッドの上に刀を戻した。その柄の上に、静の小さな手が元のようにぽて、と乗っかる。
 それでもまだ、静の瞳はセンカルから離れない。
 (アンタ誰……? アタシに何する気?)
 妙にドスの効いた、そんな詰問すら聞こえて来そうな強烈な視線が、センカルの両目に突き刺さった。
 (こいつも怖い!!!!)
 センカルとて決してビビリではない。こと研究に関して言えば、かなり肝の座った探求者と言っていい。だが、どうにもこの一家は相手が悪かった。家長である鉄を筆頭に一番下の赤子までが、センカルが最も苦手とする『剣呑な空気』に満ちているのだ。このままでは、ベッドの上の刀を抜いた静に斬り殺される、そんなあり得ない幻覚さえ見えて来た、その時だった。

 おやすみなさい かあさんの胸で

 歌が聴こえた。
 密やかで優しい呟きにも似た、それは歌だった。

 おやすみなさい かあさんの胸で  
 
 悲しみやわらぎ 心やすまる
 
 アラル アラメ アラル アラメ 
 
 アラル アラメ アラル アラル アラメ

 桜が歌っていた。
 その可憐な外見によく似合う、どこまでも優しい声。
 子守唄。 

 こわがらないで ヘロデのことを

 この子守唄を 聞いておやすみ

 アラル アラメ アラル アラメ 

 アラル アラメ アラル アラル アラメ

 ※日本基督教団讃美歌委員会編『賛美歌21』第272番「おやすみなさい」(ヒスパニック民謡)

 歌に含まれた言葉から、それが『聖歌』と呼ばれるものの一つであるとわかる。だがそれは、センカルの知識にあるそれとはだいぶ違っていた。見上げるような大聖堂の、荘厳な装飾をまとった巨大なパイプオルガン。そして厳しい訓練と選抜を積み重ねた聖歌隊が奏でるそれではない。
 素朴な、素肌と素肌が触れ合うような暖かみを感じる歌。歌唱として見れば決して上手くはないのだろうが、小手先の技術とは次元の違う本物の響きが、その歌には込められていた。
 ただ彼女、一条桜の一族である『霊威伝承種』を、異端としてこの世から葬ったのは、ほかならぬ『教会』である。その、いわば一族の仇でもある教会の歌を子守唄に歌うのは、あるいは今も続く教会の『異端狩り』を逃れるための偽装だろうか。
 その心中はうかがい知れない。が、その歌に込められた桜の想いは、他人であるセンカルにも真っすぐに伝わる。
 それはまぎれもない、『母の歌』だった。 

 アラル アラメ アラル アラメ

 アラル アラメ アラル アラル アラメ
 
 ゆったりとしたリフレインが、殺風景な軍宿舎の中を満たす。と、それまでセンカルを見ていた、というか睨みつけていた静の目が、ふっ、と離れ、そのまま母の歌声の方を見た。そんな娘の視線を、桜は優しく見返しながら、歌をそのままに小さく頷く。
 母の姿に、静は何を感じたのか。ふう、と息を一つ。
 そして、また寝た。
 起きた時と同じ、今度もぱちん、とスイッチが切れるような寝入り方。傍らに『銀狼丸』を従えた、またしても豪快な大の字だ。
 母の表情や子守歌を見聞きして、それで安心したとも見える。が、ひょっとしたらセンカルをじっくり観察した結果、自分の脅威にはなり得ないと判断し、興味が無くなったのかもしれない。
 『ザコに構ってるヒマないし』
 むしろそっちの方が彼女にふさわしいだろう。
 「どうぞ?」
 センカルは再度、桜にそう促されるまで、冷や汗をかきながらフリーズしていた。呼吸のリズムがめちゃくちゃで、ほとんど過呼吸に近い症状まで出ている。あわてて呼吸を整え、どうにか仕事に戻ったものの、結局最後まで冷静には戻れなかったと記憶している。
 自分が弄ぼうとしていたものの危険さ、得体の知れなさを、腹の底から思い知らされた気分だった。相手が赤子だとか、無力な研究対象だとか、そういう無意識の優越感が欠片も残さず吹っ飛んでいる。
 それはもう健康診断というより、いつ爆発するか分からない爆弾の解体作業をさせられているような気分だった。
 しかしそんなセンカルの状態とは裏腹に、静が示した検査の結果はまさに驚異的なものだった
 静の肉体が持つ神経の反射速度や知覚の鋭敏さ、脳記憶の速度と柔軟性。眠ったままの静に、いくつかの無害な探査魔法を走らせただけの初歩的な検査だったが、この赤子が常人とはケタ違いの『性能』を持っていることは明白だった。
 (素晴らしい……!)
 センカルの呼吸が、先刻とは別種の興奮で乱れる。そして、
 (欲しい!)
 喉から手が出る、という表現が大げさに聞こえないほどの欲望が、センカルの全身を駆け巡る。当然だった。
 『ウロボロス2』ことセンカルが専門とする研究主題は『BOT(ボット)』である。人間の肉体から生きたまま魂を引き剥がし、代わりに特定の行動を自動的に実行する人工的なプログラムを注入して意のままに操る。
 『次の聖戦に勝利するため』というお題目の元、彼女らが歴代に渡って研究を続けて来た『BOT』。その性能は現状、器である肉体の性能に大きく依存する。要するに肉体が強力であるほど、より強力な『BOT』が出来上がるのだ。  
 その観点から見て、この静という赤子はまさに『宝玉』だった。
 彼女の2人の姉、綾と香のデータも既に取られており、その数値も確かに凄まじい。特に長女の綾の数値は、単純な戦闘能力という点で言えば、これまでに計測されたあらゆる限界数値をまとめて『周回遅れ』にするものだ。そのあまりのレベル差に、従来の基準値に当てはめるのは不合理と判断され、彼女ただ一人のために別のカテゴリーが設けられたほどだ。モンスターに例えるならばまさに『MVP』である。
 しかし今、静の出した数値は、その綾とはまた違う意味で驚異的だった。
 長女の綾を、例えば現代の車に見立てたとしよう。規格外の大排気量を持つエンジンを用意し、頑丈極まりない怪物のようなボディに載せ、常識を無視した巨大なタイヤを括りつけ、地上のいかなる障害物も粉砕して突き進むカスタムカー、それが綾だ。
 ならばこの静は、緻密な計算を元に設計された超精密なエンジンを、これまた膨大なシミュレーションから削り出された理想的な空力抵抗を持つボディに搭載し、最先端の素材から生み出されるタイヤを履かせ、小石ひとつ落ちていないサーキットで、数百分の一秒を争う超高速のレースを戦う芸術品のようなレーシングマシン。しかもその頭脳には、人間のそれを遥かに超える記憶・演算能力を誇る電子頭脳が備わっている。
 走れば走るほど周囲のデータを吸収・解析し、しかも自分のボディそのものを自ら変質・強化させていく『自己進化』とも言うべき過程を経て、より速く、より俊敏な走りを獲得する。
 あらゆるパラメーターが吹っ飛んだ綾に対し、全身に無数かつ超越的なパラメーターを持ち、しかもその総てを精密にコントロール可能な静。
 高性能という点では同じでも、『BOT』研究者としてのセンカルの目に、どちらがより優秀に写るかは明らかだった。
 (『これ』を『量産』し、制御技術を上げることができれば……いや確実に数段進歩する! そうしたら……!)
 人間の性能を遥かに上回り、しかも命令に絶対忠実な『BOT軍団』の結成と運用。その『ウロボロス2』の悲願が目の前にある。
 「時間だ」
 そんなセンカルの野心を、恐らく見抜いているのだろう。センカルの後ろで椅子に座っていたマグダレーナが、殊更に事務的な声を出した。
 「これ以上は契約違反だよ」
 センカルの弱点を正確に突く言葉が、それを証明している。これを言われると、センカルは下がるしかない。
 のろのろとベビーベッドから離れたセンカルに代わり、桜がベッドの柵から夜具を取って、裸のまま爆睡する静(結局、検査中も全く目を覚まさなかった)に掛けてやる。が、静はすぐに両手両足で蹴っ飛ばし、また大の字。『銀狼丸』は変わらず手の下。どうやら『守り刀』さえ側にあれば、他はどうでもいいらしい。
 その静を名残惜しそうに見つめているセンカル、その退室を促すように、マグダレーナが自ら部屋のドアを開ける。
 異変が起きたのはその時だった。
 だっ!
 ドアが開くのを狙い済ましていたものか、部屋の外から突然、何かが飛び込んで来た。人間。静のベッドに向けて一直線に突進する。
 その時、センカルの視線はまだ、ベッドで眠る静その人に捕われたままだった。だから異変が起きた瞬間、静がまたぱちっ!と目を覚まし、ドアの方へ視線を飛ばすのをはっきりと見た。鳥肌が立つほどの反応速度。
 だが彼女を守る大人達も決して負けてはいない。母親の桜が即座にベッドの中から静を抱き上げ、素早く部屋の隅へ退がる。そしてほぼ同時にマグダレーナの身体が翻り、飛び込んで来た人影と交差。と、見るやその人影が、突っ込んで来た方向に対して直角、つまりほぼ真横に吹っ飛んでいた。マグダレーナの投げ、あるいは蹴りだったかもしれない。
 びったーん! と、吹っ飛ばされた人間が部屋の壁に激突し、そのままべちゃっ、と床に落ちる。マグダレーナが本気なら、人間の一人ぐらい即死させるのは雑作もないはずだ。だから、それがまだ原型を止めているのは、よほど手加減したのだろう。
 「順番を守れないなら、契約違反として面会を打ち切る!」
 床に潰れたその人物に向って、マグダレーナが鋭い声をぶつけた。

 「おい聴いているのか?! 『ウロボロス8・速水厚志』!」
中の人 | 第十話「Changeling」 | 10:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十話「Changeling」(3)
  『ウロボロス8』。
 マグダレーナが口にしたその言葉を、センカルは当然ながら知っていた。彼女が主席を務める『ウロボロス2』と同様、次なる聖戦に向けての兵器を開発する研究部門の一つだ。
 『速水厚志』。
 その名も、知っている。『ウロボロス8』の主席を史上最年少で襲名し、研究を飛躍的に進歩させたという天才学者。
 だが直接会うのはもちろん、その姿を見るのさえこれが初めてだった。センカルと速水、大枠では同じ組織に属するとはいえ、ウロボロスの『9つの首』はお互い、決して友好団体ではない。いやその歴史を紐解けば、むしろ敵対関係にある事の方が多かったほどだ。今のように、ウロボロスの主席同士が同じ部屋で3人も顔を揃えていること自体、極めて異例の事と言えた。
 そして今、こうして初めて見た速水の印象は、一言で言えば、

 『亡者』

 まだらに白く、無惨に抜け落ちた頭髪。ミイラと見まごうほど荒廃した皮膚。プリーストの衣装の上からでもはっきりと分かる、残酷なまでの老いと衰弱。
 『ウロボロス8』の主席に君臨して実に『50年以上』、『70歳』という年齢を考慮したとしても、やはり異常な姿と言わざるを得まい。俗な言い方をするなら『いつお迎えが来てもおかしくない』ほどに病んだ、荒野の枯れ木のような身体。それは生者というよりはむしろ、生前の罪や怨念を背負ったまま、薄暗い冥界を彷徨うという死者の姿そのものだ。
 ただ、その身体に一カ所だけ、たった一カ所だけ生命力を感じる場所がある。
 『目』。
 速水の黒々とした2つの目。そこだけが、異様なほどの光を放っている。枯れ果てた身体の、他の部分の生命力がすべて凝縮したような眼光。例えばその瞳が、実は速水の身体に寄生した別の生き物で、速水の身体から生命力を総て吸い上げているのだと言われたら、うっかり信じてしまいそうだ。
 その目が、見ている。じっと、ただじっと見ている。
 静を。
 母の胸に抱かれ、しかし泣きもせずに速水を見返している静を、まるで何かに取り憑かれたかのように見つめ続けている。
 「おい速水!」
 「俺の番だ!!」
 マグダレーナの叱責に、速水の叫びが被った。
 「俺の番! 俺の番! 俺の番俺の番俺の番俺の番俺の番俺の番だだだだだ!!!!」
 老人特有の嗄れ、擦れ切った声。だがそれ以上に、聞く者全員に不安と不吉を叩き付けるような響きが、その声を余計に異様なものとしていた。
 それにしても、ついさっきマグダレーナによって部屋の壁に激突させられたばかりだというのに、この声の勢いはどうだろう。朽ちかけたような外見とは裏腹の、凄まじいまでのエネルギー。
 「俺の番……いや最初から俺だけでいい! 俺だけでいいのだ! 『ウロボロス2』? 『BOT』? 馬鹿馬鹿しい! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿しい! いらんいらんいらんいらんのだ! そんな物はいらんいらん! 無駄だ無駄だ無意味だ無為だ! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿しい!」
 びしっ! と、速水の枯れ木の指がセンカルを指差す。
 「出て行け出て行け出て行け出出出出! お前にお前にお前なんかに『これ』に関わる資格はないないない! 『魂と身体を退き剥がす』? 馬鹿め馬鹿め馬鹿どもめ!! ゼロならまだしもマイナスだマイナスだ! いますぐ止めてしまえいや止めろ!」
 水圧がかかりすぎて壊れた水道の蛇口、そんな表現がぴったりの速水の罵倒が、奔流のように溢れ出る。『冥界の亡者』という表現は改めねばなるまい。こんな元気一杯の亡者では、冥界から追い返されるのがオチだ。
 一方のセンカルといえば、速水の罵倒をまともに受けながら、身動き一つできなかった。反応しようにも、心の許容量のメーターが完全に振り切れている。無理もあるまい、ここまで一条一家の異常さに付き合わされ、最後のオマケがコレというは、常識的な神経の持ち主には正直キツいだろう。
 今思えば、仮にも自分が生涯をかけた研究を馬鹿にされたのだから、組織のリーダーとして、少しぐらい怒るとか反論するとかすればよかったのだが、とてもとてもそんな精神状態ではなかった。
 ただ、呆然とするだけ。むしろ過度のストレスで失神しなかった自分を誉めてやりたいほどだ。
 マグダレーナが声をかけて来たのは、そんな時だった。
 「微妙なタイミングではあるが、交代を認めるか?」
 罵られっぱなしで動けないセンカルを哀れと思ったか。いや、多分違う。ただ『想定外の事態に対応出来ない役立たず』と斬っただけだったろう。彼女はセンカルと速水、どちらの味方でもないのだ。いや、むしろ両者の研究を嫌悪している、と聞いている。
 「沈黙を肯定と受け取る。出な」
 開いたままのドアを、マグダレーナが指差した。言われるままに、センカルはのろのろと器具を片付ける。本音を言えばマグダレーナに追われるまでもなく、こんな場所からはとっとと逃げたかった。が、研究素材としての静への未練が、その動きを鈍くさせている。
 こっそり、静を見た。まだ母の腕の中。
 そして、また寝ていた。
 驚いた事にこの静、あれほど特異な邂逅をしておきながら、この速水でさえ『脅威』とは見なさなかったらしい。桜の手によって裸のままベッドに戻されても、眠ったままもぞもぞと手を動かして『守り刀』の感触を確かめると、またぐっすりと寝入ってしまう。
 さすがというか何と言うか、どうにもハンパない肝の据わり方だ。それどころか傍から見ればよほどの鈍感、もしくはいっそ馬鹿なのではと疑うレベル。センカルだって普段ならそう思うだろう。
 だが、違う。先ほどの検査でセンカルが得たデータが、それを真っ向から否定している。この赤子は間違いなく、周囲のこの状況をすべて理解し、自ら安全と判断した上で爆睡している。もう生命体として根本的に、他とは出来が違うとしか言いようがなかった。
 (欲しい!)
 センカルの心に、またあの欲望が兆す。
 研究材料として、生産材料として。身体丸ごとでなくてもその内臓、生殖細胞の一つでもいい。どういう書類を書き、誰のサインをもらい、どういう手続きを踏めばそれが可能になるのか。理想の『BOT』を生み出すために、自分は何をすれば良いのか。果てしないとも思える欲望の火が、センカルの心身を焦がした。
 だが、そんなセンカルの目の前でドアが無情に閉る。マグダレーナだ。音も無くゆっくりと閉めてくれたのが、せめてもの心遣いだったろうか。
 ただ一瞬だけ、ドアが閉じるわずかの隙間から、センカルは自分に注がれる視線を感じた。
 静の母、桜。
 そこに言葉はない。センカルと桜、二人の女の視線が一瞬だけ絡む。
 桜の目。人の運命を見通す力すらあるというその異能の目。
 少し余談になるが、『ウロボロス4』において桜が率いる退魔・除霊特化部隊『ラビットチーム』は、記録によるとわずか数年しか活動していない。さらに突っ込んで言えば、このチームは『一条桜』がウロボロスに所属していたその一時期のみ存在し、その死亡除隊と共に解散、そして二度と再編される事はなかった。
 実はそれも当然、このチームは『ウロボロス4』の主席であるマグダレーナが、他ならぬ『一条桜』ただ一人のために結成した部隊なのだ。しかもリーダー以外の構成員は、全員がリーダーの支援要員という、異例の『1トップ』。桜の能力の異常さがどれほどのものか、この事実からも分かるだろう。
 ちなみに過去の『ウロボロス4』の歴史上、この『1トップ方式』のチームを率いたリーダーはわずか2人。『未来』を含めても、たった3人しかいない。
 王国トップクラスの最重要機密とも言える桜のその力、その瞳に、センカルは何を見たのか。
 「……!」
 かっ!
 センカルの全身に何か得体の知れない衝動が走った。それは彼女がかつて感じたことの無い、熱く、強く、そしていたたまれないような感情だった。生まれて初めて味わう、全身を焼き焦がすような、それは『負の感情』。
 だが、その時のセンカルはまだその正体を知らない。ただ困惑したまま、閉じたドアの前に立ち尽くすだけ。
 契約の時間は終わり、目の前でぴったりと閉じられたドアは、もう何も語ってはくれない。ここにいても仕方ないと、センカルがドアに背を向けた、その時だった。
 「うううううう!!!」
 背を向けたばかりのドアの向こうから、異様な声が上がるのをセンカルは聞いた。驚いて振り向く。
 「ううううううう……おおおおお!!!!!」
 速水だ。
 軍宿舎の、頑丈なだけが取り柄の無愛想なドアが、ビリビリと震える錯覚をおぼえるほどの声。それは泣き声だった。
 「おおおおお!!!! 素晴らしい素晴らじい素晴らじいいいい!!!!」
 速水が泣いていた。
 あの妄執の塊のような亡者が、歓喜と共に泣いていた。
 「これだこれだごれだごえだ見付けた見づげだびづげだぞおおお!!!」
 がこん! という重い音は、マグダレーナが速水を力ずくで静から引き剥がしでもしたか。
 「おぉおおぉおおおぉお!!!!!!」
 速水の声は、もう言葉にならなかった。
 例えるならそれは、神への信仰に人生を捧げてきた宗教者が、苦しい修行の末ついに真の神を見いだした、その信仰的歓喜に似ているかもしれない。つまり、ほとんど狂気と区別がつかない類いの、あれだ。
 ぞっ……。センカルの背中に、冷たい戦慄が走る。そして、それを振り払うように、センカルは軍宿舎の廊下を足早に立ち去る。だが、その背中に速水の声がまだ、異様な粘着力を持ってねっとりと張り付いていた。そして、その声がいつまでも消えないような気がして、自分でも気づかないうちにセンカルは、両手で耳をふさいで走っていた。
 研究室しか知らずに生きて来た彼女には、とても受け止めきれないほどの濃密すぎる時間。それによって心も、体も、人生までもがかき乱されるような、どうにもいたまれない時間。
 そして忘れたくても忘れられない時間が、終わった。

 その余りにも印象的すぎる邂逅からほどなく。
 静は、母の死と父親の退役、そして天津・瑞波への帰国と共に、ルーンミッドガッツ王国を離れた。
 速水もそれを追って『ウロボロス8』の研究施設を天津に移し、かの地へ自ら移住したと聞く。王国の秘密組織である『ウロボロス』が他国に研究施設を移す、というのはかなり前代未聞の事だったが、速水はその研究者としての実力と、何よりも強固(というか頑迷な)な意志で、それをごり押ししたらしい。
 そしてさらに数年後、センカルの元に届いた報告書には、こうあった。
 「『ウロボロス8』は、その研究施設で飼育していた合成モンスター達の暴走により壊滅。主席・速水厚志も消息不明。恐らくは死亡したものと推定される」
 『BOT製作者』フランシア・センカルと一条静、そして速水厚志との最初の邂逅、そのピリオドがこれであだった。

 そして、時は流れ。
中の人 | 第十話「Changeling」 | 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十話「Changeling」(4)
  センカルと静。その二度目の邂逅は、荒れ果てたラヘルの山中、岩だらけの山腹に穿たれた洞窟で幕を開けた。最初の邂逅も殺風景な軍宿舎だった事を思えば、あまり優雅な巡り合わせではないのだな、とセンカルは内心で苦笑する。
 「アタシを知ってるの?」
 静が、その鋭い瞳をセンカルに向け、貫くような言葉を放つ。
 「はい。……ご立派にご成長なさいました」
 センカルは簡潔に、そして素直な感嘆の言葉を返す。 
 16歳の少女にしては抜きん出た長身、革の剣士服がよく似合う見事に伸びた肢体。そして背中に盾を、腰には紛れもない、あの時ベビーベッドにあった守り刀を帯びた立ち姿、その完璧なバランスはどうだろう。一方で変わらないのは、センカルをじっと見つめる黒曜石の瞳の輝きと、母親譲りの可憐な美貌。同時に父親の鉄そのままの、意志の塊のような表情だ。
 「……ご立派に」
 そう繰り返した所で、センカルの身体が崩れた。静の隣にいたフールが、慌てて抱きとめる。
 「博士!」
 「フール……すまない。『あいつ』に隠れ家を嗅ぎ付けられた。……すまん」
 フールの腕にすがりながらの、小さな声。
 「博士、中へ」
 それには応えず、フールはセンカルの身体を抱え直して歩き出す。その先には洞窟の黒々とした入り口。人間の身長を超えるような巨石が左右に、そして上部にまで積み上がり、ちょっとした地震でもあれば崩れて来そうな危うい構造を形作っている。
 フールとセンカルの姿が、入り口の暗闇へ飲み込まれた。静もすぐ後に続く。罠を疑ってもいい場面だったが、静はフールを全面的に信用するつもりらしい。洞窟の外にはペコペコの『プルーフ』一匹が残されたが、こっちは置いてけぼりにされて騒ぐような騎鳥ではない。むしろ悠々と座り込み、超然と目を閉じる。相変わらずの無関心。
 「緊急時の避難所でして、とても一国の姫君をお迎えするような場所ではございませんが」
 静が洞窟に入ると、それを迎える格好のセンカルが細い声で冗談を言った。静と初めて会った頃は、冗談など間違っても口にしなかったし、笑みを浮かべることすら稀だった。16年という歳月が、少しはセンカルという女性を人間らしくしたのだろうか。とはいえ当然、静がそんな冗談で笑うわけもなかった。
 洞窟の中は薄暗い、どころかかなり暗い。が、静の視覚を持ってすれば、その内部を隅々まで見取るのにさほど苦労はなかった。広さは畳でいえば10畳ほどで、さらに奥に向って細い穴が続いている。天井は低いが、屈まねばならないほどではない。ひんやりとしているものの湿気や不快な臭気はなく、まあ短期間の隠れ家としては悪くない。
 そして、そこには先客がいた。
 (子供……二人?)
 静の目は、一瞬でそう見て取った。洞窟の隅に、膝を抱えて座り込む小柄なシルエットが二つ、うずくまっている。簡素なノービスの衣装を着た、いずれも少年。
 ただ、気配がない。
 (……?)
 静の目が細くなる。そこに、確かに二人の少年がいるのは見えている。なのに『気配』がない。
 中身が、ない。それは昨夜、静達の前で殺された、あのカプラ嬢『ビニット』に感じたのとそっくりの感覚。
 「『BOT』?!」
 「左様です」
 センカルがフールの介添えで腰を下ろしながら、平坦な声で応えた。
 「『月(ムーン)』と『星(スター)』。私の失敗作……『失敗種(エラー)』です」
 明らかにわざと、乾いた声。
 「『BOT』の事は、フールからお聞きに?」
 「簡単にはね」
 質問したセンカルの方を見もせずに、静が無愛想に応える。
 「ならばご承知の通りです。人間の肉体から魂を抜き取り、人工的な『プログラム』を入れて操る。それが『BOT』……」
 わざと感情の起伏を抑えた、あくまで平坦な、それは声だった。
 「でもこの子達だけは、なぜかインストール……プログラムの注入を受け付けなかったのです」
 本来なら、魂を抜かれた肉体は短時間で死を迎える。プログラムの注入があって初めて、擬似的な生命体として生きる事ができるのだ。だがこの二人の少年はそれを受け付けないばかりか、なぜか空っぽのはずの肉体だけで生き続けているのだという。
 「原因は、未だ不明です」
 センカルがほとんど機械的に説明した。が、その間も静の目は、二人の少年に注がれたままだ。
 白、というより透明に近い銀髪に、透き通ったブルーの瞳。一見しただけで高貴な生まれとわかる、気品すらたたえた容貌。その瞳に意志の光は感じられないが、決して白痴の雰囲気はない。ただ静かに何かを待ち続けているかのような、それは澄み切った静止状態だった。
 そして顔も体つきも、あつらえたようにそっくり。双子、それも明らかに一卵性だ。
 もし今、これだけの情報を静の姉・香が聞いたなら。あるいは今も飛空艇『ヤスイチ号』を駆るクローバーが、ヴィフが、ハナコが聞いたなら。
 そして無代との出会いを果たした、あの翠嶺が聞いたならば。
 行方不明のままの二人の弟子『エンジュ』と『ヒイラギ』の肉体が、ここにあると知ったならば。
 だが今の静はその意味を知らない。複雑に絡み合う運命の糸がまた一つ、人知れずここに結ばれた事を、理解できるはずもなかった。
 「貴女が……いや、『貴様』が作ったのか。『BOT』を?」
 静の身体がセンカルに向き直る。決して激しい声ではないが、鋭く刺し貫くような言葉に、しかしセンカルは静に頷いた。
 「はい、その通りです。姫様」
 「待って、静姫」
 センカルの前を、フールが塞いだ。ロードナイトのマントが、静の視線からセンカルの身体をそっと隠す。
 「博士は、ボクらの恩人でもあるんだ」
 静の目をまっすぐに見返しながら、フールは言葉を続ける。
 「博士は『失敗種』として殺されるはずのボクらを助けて、育ててくれた」
 この青年には珍しく、言葉に微かな熱。が、それに対する反論は、彼の庇うべき背後から上がった。
 「もういいフール。もういいんだ」
 センカルの疲れ切ったような声。
 「私は『BOT』を作った。事実だ。今さら何を弁解するつもりもない」
 センカルの言葉にも、しかしフールは退かなかった。
 「ボクらに名前をくれたのも、戦う力もくれたのも博士だ」
 静の視線が、センカルからフールに移った。その目に、センカルを見る時の鋭さはない。それどころか……
 「フール。ひょっとして貴方の身体の、それも?」
 「……」
 斬られようが焼かれようが、全く痛みを感じないフールの身体。その異常の原因を静は指摘したが、フールは答えなかった。だがその沈黙こそが肯定。『失敗種(エラー)』。
 「じゃあフール、貴方だってこの女に……!」
 「違う!」
 フールが激しく否定する。しかし、自分に注がれる静の視線を真っ直ぐに見返すことは、もうできなかった。
 「博士は『ウロボロス2』を裏切り、ボクらを連れて逃げてくれた。ボクらのために!」
 だからお願いだ。
 この人を、そんな目で見ないでほしい。
 『敵』を見る目で見ないでほしい。
 感情を外に出すのが最も苦手そうな、このフールという青年がそう訴えていた。
 「いいえ姫様、その通りです。フールの身体をこうしたのは、私」
 「博士!」
 「いいんだ、フール」
 センカルの声が柔らかいのは優しさからか、それとも諦め、捨て鉢な気持ちからだろうか。
 「それにフール、逆だよ。お前の言った事は『逆』だ。お前達のためにこうしたわけじゃない」
 自嘲気味の笑い。
 「『ウロボロス2』から逃げたのは私の都合。お前達を連れて来たのは護衛と、日々の稼ぎのためだ。結局、全ては私の都合なのさ」
 「博士」
 フールがセンカルを振り向くが、彼女の視線はもう地面に落ちたまま上がらない。
 「だがそれも無駄だった。フール、お前の兄妹達……『隠者』や『力』、『魔術師』に会ったか?」
 「……」
 『隠者(ハーミット)』『力(パワー)』『魔術師(マジシャン)』。その名は、フールが静と共にここに来る途中、発見した死体の名前だ。フールの沈黙がまたしても、誰も望まぬ答えとなった。
 「……そうか」
 センカルが力なく呟く。そこに驚きはなく、明らかにその結果を予測していたらしい。
 「博士、『戦車(チャリオット)』は?」
 「あの娘も、出て行ったまま戻っていない。恐らくもう……」
 その『戦車』もまた、フールが兄弟と呼ぶ者の一人なのか。
 ぐっ。フールが拳を握る音がした。
 「『あいつ』が……」
 ばさっ! 
 その時、洞窟の外で風を撃つ音がした。外に残ったフールのペコペコ・プルーフだ。あの物に動じない騎鳥が、無意味な音を立てるはずがない。異常事態。
 「!」
 静が素早く、しかし水が流れるように滑らかな動きで銀狼丸の鯉口を斬り、臨戦態勢で飛び出そうとする。しかしその静よりも速く、フールが動いた。まるで何が起こるのか知っていたかのような、そしてそれを待ちかねていたかのような動き。
 「行くなフール! この子達を連れて、お前だけでも逃げろ! 逃げるんだ!」
 はっ、と顔を上げたセンカルが血相を変えて叫ぶが、フールは止まらない。まして不本意にも遅れをとった静が止まるはずもない。
 フールに続いて洞窟を飛び出した静の目を、外界の光が鋭く刺す。そして『同時にある臭い』が静の鼻を刺した。
 血臭。
 洞窟の中にいたため、静も気づくのが遅れた。真新しく、そして濃い血の臭い。
 そして、

 「よお、まだ生きてたのか? 『俺』」
 
 『驕慢』、という表現がぴったりな若い男の声が、静とフールに投げかけられた。
 フールの肩越し、外の光に一瞬で馴れた静の目に、その姿がはっきりと映る。
 巨大な騎乗のシルエット。それは、ペコペコに騎乗した若いロードナイトだった。フールと同じ職業、だが『同じ』と言うには、その二人は余りにも違い過ぎた。
 決して小さくないフールを遥かに超える長身、バランスの取れた屈強な四肢。決して無理に鍛えたものではなく、極めてナチュラルな厚みを見せる筋肉は、瞬発力も持久力をも同等に備えた完璧さを物語る。輝くばかりの金髪に飾られた容貌は冴え、お世辞ではなく芸術家の手による戦神像のようだ。
 さらに装備。兜も、鎧も、マントも、靴も、そして剣も。恐らくは神器、もしくはそれと同等の性能を持つケタ違いの品々で彩られている。それが余計に、太古の戦神が降臨したかのような錯覚すら起こさせた。
 ただそこに立っているだけで敵に敗北感を、そして味方に安心と勇気を与える、戦いの化身そのもの。
 だが、その表情。
 その男の表情が、総てを台無しにしている。
 『見下す』という言葉の見本のような目。そしてこれまた『嘲笑』という言葉の見本のような吊り上がった唇。それは、自分以外の存在を総て馬鹿にした、目盛りが振り切れるほど歪んだ精神の具現だった。
 「……!!!」
 その若者を一瞥した静の表情が、激しく歪む。
 この姫様、高貴な生まれの割には自分の感情には素直で、表情も豊かな方だ。だが今のように戦いに臨む場面、特に刀の柄に手がかかったら最後、その精神は鋼と化す。そうなると滅多な事では動揺などしない事を、読者の皆様も御存知だろう。
 その静が、ここまで強烈に嫌悪の表情を浮かべる理由。それは、目の前の男の『上から目線』に気分を害したからか?
 違う。
 その唇に浮かぶ嘲笑に怒ったからか?
 違う。
 どれも違う。
 静の目はそんな上っ面をぶち抜いて、常人より遥かに深いレベルで物事を、人間を見通す事ができる。姉の香には遠く及ばないにしても、母の桜から受け継いだ『霊威伝承種』の血は伊達ではないのだ。受け継いだ昨日、宿の井戸端で出会った速水厚志を、即座に『人間ではない』と看破したことを思い出されたい。
 「……嘘、でしょう!?」
 静の表情が、動揺を通り越して真っ青になっていた。ぐっ、と何かをこらえたのは、多分嘔吐だ。胃の中の物を吐きそうになるほどの、生理的嫌悪。
 「なんて……なんて事を! お前は……貴様は!!」
 静が叫んだ。
 背後に。
 暗い洞窟の中から、静とフールを追って這うように出て来た、その女に。
 『BOT製作者』フランシア・センカルに。

 「『入れ替えた』のね!? 『魂を入れ替えた』のね?! そいつと!!」

 静の指が、騎乗の男を指差す。ぐうっ……。静の喉が鳴った。もう嘔吐を堪えきれない。
 そして、静の指がもう一人の男を、指差した。

 「フールの身体を!!」

 血を吐くような声で、静は叫んでいた。
中の人 | 第十話「Changeling」 | 10:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十話「Changeling」(5)
  自分がおかしくなってしまったのはいつの事だったか。
 センカル自身が、それをはっきりと意識した事はなかった。だが今こうして思い出してみれば、それはやはり『あの時』だったと思う。
 一条静と最初に出会った、あの時。
 その印象的過ぎる出会いの後、センカルは確かに変わった。研究対象である『BOT』の性能向上に、ひたすら没頭するようになった。いや、それまでだって決して怠けていたわけではないが、以前よりも遥かに強く、いっそ執念と言ってもいいぐらいの勢いで取り組むようになったのだ。
 静本人の肉体を直接手に入れる事は、当たり前だが失敗した。
 一応、思いつく限りの書類を書き、提出できる限りの窓口に提出してみたが、どれも駄目だった。それどころか逆に、その事を知った『ウロボロス4』主席・四の魔女ことマグダレーナが激怒し、二度と静の健康チェックを許さない、と通告して来た(お分かりとは思うが実際に激怒したのは鉄である。マグダレーナはむしろ、彼の『殴り込み』を止めるのに難儀した)。煽りを喰う形で、後日予定されていた桜のそれも中止されてしまう。
 こうなると、センカルの立場ではもう諦めるしか無かった。
 (……ならば!)
 センカルの心の奥にある暗い炎が、不気味に燃え上がった。思えばその炎もまたあの日、静の母・桜と目を見交わした時、センカルの中に灯ったものだ。正体不明の、しかし決して消えない熱を持つその炎が、センカルを突き動かしていた。
 まず『BOT』となるべき素体、つまり『人間の収集』に莫大な予算を投入する。優秀な素質を持つ人間を探し出しては誘拐し、次々にBOT化してテストを繰り返した。
 だが、その数が『千』そして『万』を越えても、センカルが満足する結果は得られない。
 この時点でセンカルが造り出す『BOT』は、既に相当のレベルには達している。例えば一般人に混じって普通に生活したり、平均的な冒険者と共にモンスターを狩ったりする分には、まず違和感を抱かせないだろう。もっと特殊な用途、例えば『愛玩用』としても文句無しと言えた。
 だが、駄目だった。
 それでは駄目なのだ。
 (それでは『アレ』に追いつけない……!)
 『アレ』。すなわち、一条静。
 自分という研究者を一瞬で魅了した、あの恐るべき赤子。その『性能』に追いつくことができない。
 そんな試行錯誤の中で、センカルは一つの仮説にたどり着く。
 (人工的なプログラムではなく、より優秀な『人間の魂』そのものを注入したら……?)
 より強力な肉体に。
 より強力な魂を。
 そして時を同じくして、センカルの前に二人の少年が、素体として運ばれて来た。

 一人は、王国のとある貴族の隠し子として育ち、後に相続争いに巻き込まれ社会的に消された少年。

 もう一人は、アインペフの貧民街で育ち、警察の目を欺きながら殺人と略奪を繰り返して生きて来た少年。

 あの一条静に迫る肉体性能に、争いを知らぬ優しい魂を持った少年と。
 肉体的には平均的だが、生まれながらに恐るべき捕食者の魂を持った少年と。
 そして。

 ……そして。

 「へぇ。良くわかるなお前」
 自分以外の全てを嘲笑するような、男の声が響いた。
 「そうさ。俺は中身を、魂を入れ替えられた。その女にね」
 並のペコペコより一回り大きい騎鳥の上から、小馬鹿にしたような声が降る。その女、とはセンカルの事に他なるまい。
 「で、完成したのが俺、『皇帝(エンペラー)』……んで、残り物がそいつ、『愚者(フール)』」
 エンペラーがフールを顎で指した。
 「『取り替え児(チェンジリング)』。それが俺たちさ、なあ兄弟?」
 フールは反応しない。静の叫びにも、エンペラーの嘲笑にも表情を動かさず、ただ視線を返すだけだ。だがこの若者の心に何があるのか。それを想像できる人間が、この世のどこにいるだろう。
 他人の身体と心を入れ替えられた人間の気持ちなど、誰に分かるというのだ。
 「しっかし何だよお前、その身体。傷だらけじゃんよ。とっくに捨てたゴミったってさ、自分の身体、んなに粗末に扱われるのヤだなあ。ムカつくよなあ」
 エンペラーの露骨な挑発。
 「その点、俺見ろよ。ちゃーんと大事に使ってやってるぜ?。さすが素体の最高性能、ほんとイイ具合さ。……お前みたいなカスにゃもったいねえ」
 ふん、と鼻を鳴らす。
 「『失敗種(エラー)』……あーいや、それを作り直した『再生種(リサイクルド)』だっけ? 素直にゴミって言やいいのにな。どうせ使えねえんだからさ」
 「『再生種』?」
 静が思わず、その聞き慣れない言葉を口にした。
 「あん? 聞いてねえ? 魂の入れ替えってさ、結構失敗すんだよ。まあ俺はばっちり成功したけどさ」
 エンペラーが、やはり小馬鹿にしたような言葉を続ける。
 「そいつ、フールは失敗して『痛み』を無くした。だから『失敗種(エラー)』。けど、斬られても痛くない、ってのを逆に利用すりゃ、痛がらずに戦う兵隊ができるじゃん? だよな博士?」
 「……」
 しかしセンカルは洞窟の入り口にへたり込んだまま、返事を返さない。フールとエンペラー、自ら魂を入れ替えた二人の若者を前にして、彼女が何を思うのか。
 それを想像できる人間もまた、この世界にはいないだろう。
 『取り替え児(チェンジリング)』。人間の魂を使った『新型BOT』。
 その着想を得た当時はセンカル自身、その実現は難しいと感じていた。が、その予想に反し、技術そのものは拍子抜けするほど簡単に完成した。
 魂を抜いた人間の身体に、それを『BOT』として操るための最小限の制御プログラムだけを注入し、その上で別の人間の魂を入れる。それだけの事で、全く新しい人間が出来上がるのだ。制御プログラム内部には、様々な職業が使う各種のスキルを搭載することも可能という、まさに誂えたような仕様。
 ただエンペラーの言う通り、問題は成功率だった。肉体に新たな魂が入っても、肉体と魂が正常にリンクするとは限らない。体の機能の一部が失われたり、情動的に不安定だったり、そのまま死に至るケースも決して珍しくなかった。
 「フールの他にもいたんだぜ? 一度憶えた事は忘れない魔術師とか、筋肉のリミッターが外れたチャンピオンとか、物凄っげー目が良いハンターとか」
 エンペラーが静をちらりと見て、一度言葉を切る。
 「……なっかなか死なないパラディンとか、な」
 ひょい、とエンペラーの手が動いた。その手元からフールの足元へ、何かがごろり、と落ちる。
 それは、人間の首だった。
 青色の髪の、若い女の生首。生きていればなかなかの美人だったはずだが、今はそのエメラルド色の瞳は濁り、何も映さないまま無惨に見開かれている。静の感じた血臭は、紛れもなく彼女の物だ。
 「『戦車(チャリオット)』……」
 フールの唇から、初めて言葉が漏れた。しかしそれは、側にいる静にさえまともに聞き取れないほど小さく、そして歪んだ声。
 「そいつさあ、お前の事が好きだったんだぜー。知ってたか? フール」
 「……お前の事もだ。エンペラー」
 ぞっとするほど低い、しかし膨大な熱量を孕んだ言葉を、フールが吐いた。
 「はあ? 俺?」
 「それだけじゃない」
 フールの声の、熱量が膨れ上がる。
 「『みんな大好き。だから私が守るね』。……彼女の口癖だった」
 「あー。頭弱かったもんなー、そいつ昔っからさ」
 エンペラーの挑発には乗らず、フールは自分のマントを外して跪くと、チャリオットの首をそっと包んでやる。昨日殺されたカプラ『ビニット』といい、この男のマントは自分ではなく、誰かの遺骸を包むためにあるかのようだ。
 いや、悲しみを包むためかもしれない。誰かの。
 いや自分の。
 痛みを感じない体。それにまつわりつく濃厚な死の匂い。そして悲しみの匂い。
 マントに包まれた首を持ったまま、『愚者』・フールが立ち上がる。
 「チャリオットだけじゃない。パワーも、マジシャンも、ハーミットも……博士のラボで一緒に育った全員、お前の事が好きだった」
 「あー? ……なにそれ気持ち悪りぃ」
 噛み合ない会話。いや結局のところ、どちらも噛み合ない事は承知の上で喋っている。もはや何をどう修復しようもない、最初から最後までまんべんなく破綻した関係が、そこにあるだけだった。
 「なぜ皆を殺した、エンペラー!」
 「だから気持ち悪りぃんだよお前ら!」
 既にこの言葉のやり取りとて、厳密に言えばもう会話ではない。戦いの前哨戦、飛び交う弾丸であり矢である。
 「大体よぉ? 俺もお前らも同じ、その女の『被害者』だろが! 誘拐されて、過去も記憶も消されて、他人と魂を入れ替えられて、ワケの分からない人体実験されてさ。なのに未だにその女を恩人だとか思って、金魚のフンみたいにくっつきやがってよ! 『なぜ』はこっちのセリフだぜまったくよぉ!」
 エンペラーの言葉から、嘲笑の響きが消えていた。してみると、これが彼の本音なのだろう。
 「結局お前らは最後まで、その女の『刷り込み』から逃げられなかった。プログラム通りにしか動けない、お前ら皆、所詮は『BOT』だ! その女の操り人形に過ぎねえんだよ!!」
 きぃん! エンペラーが剣を抜いた。恐るべき威力を秘めているだろう、神々しいほどの輝きを放つ剣。
 「だけど俺は違う! 俺は『BOT』じゃねえ。自分で感じ、自分で考える。自分の意志があり、力もある!」
 がしゃっ、と構えた盾も見事な代物だ。その姿勢は正しく、ほとんど美しいとさえ言える。そのまま絵にすれば、さぞ勇壮な英雄画になるだろう。
 「なぜ殺したか、だと? ああ、教えてやるよフール! それはなあ、『哀れみ』だよ! そうさ、お前らが可哀想だからさ! 肉体も心もそっくりその女に奪われたのに、それでも人間らしく生きてるつもりのお前らが、可哀想でしょうがないからさ! だから……俺が全部消してやるよ! お前らも、その女も、忌まわしい過去ってヤツも、全部なあ!!」
 がっ、とペコペコの手綱を引くエンペラー。その反則的な美しさ。
 対してフールの武装は正しくも、美しくもない。ただ『異形』。
 「……『目を醒せ(アウェイク)』!」

  !!!KyAHaaaa!!!!!GaaaAAAAA!!!!!

 フールの声に応えたか、あるいは争いと、死の匂いを嗅ぎ取ったか。プルーフの背に積まれた『三大魔剣』が咆哮を上げる。そして覚醒した三振りの魔剣は、自ら鞘を飛び出してフールの元に殺到。
 左手に『ミステルティン』
 右手に「オーガトゥース」
 そして『エクスキューショナー』の鎖がフールの腕に絡む。『魔剣醒し(アウェイクン)』フールの全開戦闘態勢。そのままプルーフに飛び乗り、一気に手綱を引き絞る。
 「エンペラー!!!」
 「来いよフール! どうせ最後だ! 遊んでやるぜ……昔みたいになあ!!」
 とっくに始まっていた戦いが、ついに発火する。
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第十話「Changeling」(6)
  戦いの口火を切ったのは、だがフールでもエンペラーでもなかった。
 「!」
 き、きぃん! エンペラーの剣が、立て続けに鋭い音を立てる。そしてやや遅れて、ち、ちん、という音と共に何かが地面に落ちた。
 『飛爪(ひづめ)』。親指の爪ほどの大きさの、静が持つ隠し武器だ。騎乗したフールの背後、エンペラーには完全に死角になる位置から放たれたその投擲は、相手から見るとまるで瞬間移動でもしたかのような奇襲攻撃だったはずである。が、エンペラーはそれを『見て』防御していた。死角から飛来する小さな死の爪を、ほとんど鼻先で認識して叩き落としたのだ。投げた静本人でさえ出来るかどうか、という神業をあっさりやってのけるところ、その実力は口だけではないらしい。
 KyAHA!!!
 静の攻撃に被せるように、フールの手からオーガトゥースが放たれる。投げたのではない、徹底的に訓練された鷹や猟犬を獲物に向けて放つように、生ける狂刃が石だらけの地面を削るように低く、そして避けにくい弾道を描いてエンペラーに襲いかかる。既にご承知の通り、その牙が肉体のどこかを擦りでもすれば、そこから叩き込まれる猛烈な苦痛に耐え切れる人間はいない。
 「はあ!」
 びぃん!! エンペラーの剣が軽々と閃いた、と見るや神速のオーガトゥースの口にばつん! とその切っ先を叩き込んでいる。
 Hya?!
 縫い止められた生ける刃がもがく。静の飛爪との連携で、確実にタイミングをずらされたはずが、エンペラーの動きには余裕すらあった。予測ではない、すべての動きを見た上で見切っている。恐るべき動体視力、そして反射神経。
 昨夜、ルティエの戦いで静は『目に頼るのがスキルの弱点』と指摘した、ではその弱点はこのエンペラーには無いのか。
 「!」
 しかしフールの攻撃はそれで終わりではない。いやむしろ、オーガトゥースの低弾道攻撃さえ陽動だ。
 しゃりぃぃん!!! 『処刑剣』の鎖が不気味な音を引き、エンペラーの背後から襲いかかる。同時、左腕にミステルティンを盾よろしく絡み付かせたフールが、ペコペコごとエンペラーに突っ込んだ。相手の剣を封じた上での、前後からの特攻攻撃。
 「マグナムブレイク!」
 どずん!! エンペラーの全身から灼熱の闘気が爆発した。剣士の基本となる範囲攻撃スキル。処刑剣とフールの突撃速度が一瞬がつん! と下がる。 
 だが止まらない。乗り手も、またそれが駆る騎鳥も、そんな事では止まらない。
 がきぃん!! オーガトゥースを絡み付かせたままのエンペラーの剣に、フールの左腕のミステルティンが絡み付いた。同時に処刑剣がその盾に向って、がんがんがきん!!と立て続けの攻撃を叩き込む。
 がしゃがしゃがしゃ!! と、フールの足元に砕けたガラスが落ちたのは、先ほどのマグナムブレイクで肉体をかなり損傷し、それをポーションで修復した名残だろう。回復剤の瓶ごと傷口に叩き付ける、いつものフールの荒療治だ。
 「……気持ちわりいな相変わらずお前!」
 フールの攻撃を押し返しながら、エンペラーがいかにも忌々しそうな声を出した。魔剣達はそれぞれに、切っ先だけでなく牙やら爪やらでエンペラーの肉体を捕らえようとしている。が、その優秀な防具と体捌きの前に、見事に阻まれる。
 「だからうぜえ……」
 処刑剣を絡ませたままのエンペラーの盾が、ぐい! と大きく振り上げられた。
 「……ってんだよ!!」
 どがん!! フールの身体が魔剣ごと、重い激突音と共に吹っ飛んだ。単純極まりない力技だが、それでもフールほどの戦士が耐えきれずに退がる。
 「は!」
 強引に作った間合いに、エンペラーの剣が滑り込んだ。美しい光の帯が流星のように、フールの胸板を狙って吸い込まれる。フールは身を捻って躱すが、躱しきれない。エンペラーの剣、その刃の性能も卓越した物なのだろう、音も無くフールの肩口、鎧の肩当ての部分を貫いて背中に抜ける。
 「フール!」
 静が銀狼丸を抜き放ち、エンペラーに殺到しようと地を蹴ろうとする。
 が。
 「いいのかおい! コレはコイツの身体だぜ?!」
 エンペラーの言葉に、静の動きがぎこちなく止まった。静の剣が迷うなど、珍しい事と言わねばならない。斬るべき時はそれが何であれ斬る、この姫はそういうものであったはずだ。だがそれすら迷わせる『取り替え児』という存在の異常性を、読者にはここに見て頂きたい。
 がっ! フールが肩を貫かれたまま、反対の腕でエンペラーの腕を抱え込んだ。常人なら激痛で動けない所だろうが、この若者にはその苦痛による制約はない。ただ、だからといって肩の傷にダメージがないわけではない。今もそこからは激しい血が溢れ、傷の内部では腱が、骨が、今も損傷を拡大しているはずだ。 
 「!」
 一度止まった静が、何かを振り切るように跳んだ。フールの背中を飛び越え、エンペラーの脳天を真上から狙う容赦ない軌道を、今度こそ静が駆ける。
 しかし、それは再び阻まれた。他ならぬフールによって。
 「マグナムブレイク!」
 「!」
 どん! フールの身体から噴き上がる灼熱の闘気に、宙にある静の身体が弾かれたように背後に吹き飛んだ。もちろん吹き飛ばされたからといって、それで地面に叩き付けられるような静ではない。膝をつきながらもノーダメージで着地した場所は、先ほどの洞窟の入り口。へたり込んだままのセンカルのすぐ側だ。
 着地した静が、目を吊り上げて叫ぶ。
 「何すんのよフール!?」
 フールは応えず、逆に左腕のミステルティンを思い切り背後、静達の方へ向けて薙いだ。
 「ボウリングバッシュ!」
 ナイトの範囲攻撃スキル。猛烈な剣圧が大気に触れて衝撃波に変化、放射状の破壊エネルギーとなって一気に拡散する。反射的に身体を伏せた静の遥か頭上を衝撃波が駆け抜け、そして洞窟の上部にずん! と直撃した。
 「中へ! 博士を頼む!」
 フールが叫んだ。
 「フール……この馬鹿あっ!!」
 フールの意図を察した静が抗議の叫びを上げた。そしてフールの言葉を無視して突進しようと地を蹴る。
 が、その寸前。
 ばすっ! 静の胸の中に、大きな塊が飛び込んで来た。マントに包まれた、それはチャリオットの『首』。
 「頼む!」
 フールが言葉を重ねる。
 「馬っっ鹿あぁーっ!!!」
 静がほとんど絶叫しながらチャリオットの首を抱えて身体を翻し、座り込んだままのセンカルに体当たりする勢いで身体ごと洞窟の中へ飛び込む。そしてその直後。
 ず、ず、ずぅん!!!
 洞窟入り口、その上部に積み上がっていた巨石群が雪崩を打って崩れ、入り口を完全に塞いでいた。もし静が洞窟の内部に飛び込まなければ、それがあと一瞬でも遅ければ、間違いなく岩の下敷きになっていただろう。その見事なまでの崩れっぷりから見るに、これは元々そうなるように細工されていたらしい。
 「へえ、緊急避難装置ってわけだ!」
 エンペラーがまた馬鹿にしたように言うが、フールは無視。
 「姫、無事?!」
 「無事で悪かったわねこの馬鹿あっ!! 馬鹿馬鹿馬鹿あああ!!」
 岩の向こうから静の絶叫。相当頭に来ている。だがフール、それには構わず、
 「巻き込んでごめん。キミだけでも逃げて。もしその気があるなら……博士と月・星を一緒に逃がしてほしい。頼む」
 「こー! のー! ばー! かー! たー! れーええええっ!!!!!カッコつけんなーあああ!!!」
 聞いちゃいない罵倒が帰って来る。
 「開けろーっ! この岩どかせ! アタシに戦わせろ! いやその前に殴る! フール! アンタ殴るから! もう『ぐー』に『はー』して助走付けてぶん殴るから! 目ぇつぶって歯ぁ食いしばれごるぁああーっ!」
 これだけの罵詈雑言でも、巨大な岩越しにすぱーっと鮮明に響くのがいかにも静らしい。が、フールはもう何も応えない。お互い、見事なくらい相手の話を聞く気がない二人である。
 「いーのかよあれ?」
 エンペラーがちょっと面白そうに茶化すのを当然の如く無視して、フールは右手に絡んだ処刑剣の鎖を煽った。肩を貫かれたままだが、当然のように眉一つ動かさない。
 Ga!!
 今までより1ランク上の攻撃速度で、生ける剣がエンペラーを襲った。同時にオーガトゥース、ミステルティンの咆哮も大きくなる。敵の苦痛を喰い、悲鳴を飲む魔剣どもが、その本性を剥き出しにする。
 「おっと!」
 剣を刺したままでは不利と見たのだろう、エンペラーがフールを振りほどき、剣を引き抜いて距離を取った。すかさず剣と盾を電光の如くふるい、魔剣の攻撃を悠々と捌いて行く。
 がしゃん! フールが新たな治療薬の瓶を砕いた。例のごとく瓶ごと傷口に叩き付ける前に、珍しく一口飲んだのは、肩の傷から失った血液分の体液補充か。
 長期戦を覚悟した、その準備か。
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第十話「Changeling」(7)
 「『いよいよ本気出します』ってかおい?」
 ぶん! エンペラーの剣が軽々と、魔剣を遥かに上回る速度と剣圧を叩き出し、またフールごと数メートルも吹き飛ばす。ノックバック現象、それもスキル一つ使わないでこれだ。本気でないのはエンペラーも同じ。いや、こちらはまだ、これでも本気にはほど遠い。
 「ほぅれ、鬼さんこーちら!」
 エンペラーが自らの騎鳥の手綱を引くと、悠々とフールに背を向けて走り出した。背中という隙を見せても楽に反撃できる、その余裕。相手を舐め切った挑発行動だ。
 それに乗ったわけではないが、フールもその背を追ってプルーフを駆けさせる。オーガトゥース、エクスキューショナーを先に放っての全開追跡。巨石だらけで見通しの悪い岩肌を、ペコペコの頑丈な脚と爪で捉えながら、前を行くエンペラーに追いすがる。
 「ほれほれ、こっちだ!」
 エンペラーがぐんぐんと速度を上げる。フールとて相当の乗り手だが、ペコペコの性能・騎乗技術とも、どうやらこのエンペラーが上回るらしい。まともな草すら生えない岩肌を駆け上がり、また駆け下る二人の騎士を、ギラギラと輝く太陽が焼き付かせるように照らす。それぞれが身につけた武装が立てるがちゃがちゃという金属音、ペコペコの爪が岩を蹴る音。
 フールが猟犬の如く駆る、魔剣どもの咆哮。
 そして二人の若者の息づかい。
 それにしても、数メートル先さえ見えない大岩の迷路をすり抜け、乗り越え、あるいは岩から岩へジャンプを繰り返しながら疾駆する、この二匹の騎鳥の走破能力はどうだろう。
 この『ペコペコ』という騎乗生物が、実に卓抜した走破性能を持っている事は以前にも書いたが、人を、それも完全武装の騎士を乗せ、これだけの機動性を発揮できるのはもはや驚異的と言っていい。それは馬はもちろん、近代的な乗用機械すらも楽に上回るだろう。
 ところでこのペコペコの走破能力の秘密が『羽根』にある、と言ったら意外だろうか。いや、御存知の通りペコペコは飛べない鳥なのだから、奇異に聞こえるのは無理もないだろう。
 だが飛べないからといって、その羽根が完全に無用の長物と化している、と考えるのは早計だ。実はペコペコの羽根は、さすがにその身体を浮かすことはできないものの、全開で羽ばたくことで自分の体重をかなりの所まで支える事ができる。
 それが走破能力にどう生かされるのか、それをお見せしよう。
 エンペラーから水を開けられたフールだったが、それで諦めるなどこの若者にはあり得ない。エンペラーの背が、ひときわ大きくそそり立つ大岩を避け、地面を擦るようなコーナーリングで駆け抜けて行くのを横目。フールが自らの駆るプルーフに出した指示は、その岩に向って『真っ直ぐ突進』。
 そして岩に激突する寸前、思い切り手綱を引いてプルーフの身体を引き起こすと、プルーフもそれに応え、その爪で岩の肌をがっ、と捉えた。
 そのままぐい、と岩肌に取り付く。だが、そのままではフールを乗せたまま、後ざまにひっくり返って落下してしまうだけだ。もしそうなら、これはかなり間抜けな図である。
 ばさあっ!
 プルーフの巨大な羽根が開く。
 ばさばさばさばさっ!!!
 同時にその翼が、凄まじい速度で羽ばたいた。風が発生する。直下の地面にごろごろと転がる石の、かなり大きなそれまでがごろん、と位置を変えるほどの猛烈な風圧。
 ぐん、とプルーフの身体が持ち上がった。
 がっ、がっ!
 羽根に呼応し、爪が岩を刻む。
 ばさばさばさばさばさ!!!
 がっがっがっがっがっ!!!
 騎鳥と乗り手がついに、重力を振り切った。
 がががががっ!!!!!
 重装甲のフールを乗せたまま、プルーフが十数メートルに及ぶ垂直の壁を駆け上がっていく。岩肌を爪で捉える強靭な脚と、力強く大気を打つ逞しい翼と。2つの力を思う存分に駆使するプルーフが真上、すなわち、かつて彼の祖先達が捨てた『空』へ向って一直線に上昇する。
 馬は無論の事、現代の動力車両でも、あるいは岩場を住処とする獣ですら不可能な、それは騎乗での垂直登攀だ。
 ばさばさばさばさ!!!
 ががががががが……がっ、がっ!
 しかしその登攀力とて無限ではない。空を捨てて地に生きる道を選んだペコペコという生物は、決して重力から自由になることはできないのだ。
 ばばばばば!! がっ! がっ!
 岸壁の頂上は目の前、だが届かない。僅かに届かずそのまま落下、と思われたその時、今度は乗り手が動く。フールの腕が鋭く振られる。
 しゃりーん!
 腕に絡んだ『エクスキューショナー』の鎖。エンペラー追跡のため先に放った処刑の剣が、既に岩の頂上に奔り、その岩肌を捉えていたのだ。
 ぐい! と、フールの逞しい腕が鎖を引く。いかにフールでも、鎖一本で自分とペコペコを丸ごと持ち上げる腕力はない。が、全力で羽根を、そして脚を駆使するプルーフの、最後の一押しを手伝うぐらいは朝飯前だ。騎鳥と乗り手を捕らえかけた重力の罠が、再び引き千切られる。
 がががっ!
 最後の数歩を登り切り、奇跡の登攀は完成した。
 しかし一人と一匹は、それでも一息すらつかない。彼らにとっては、登る事は目的ではないのだから当たり前だ。
 登れば下る。真下に目指す敵、エンペラー。
 がっ! 一瞬のためらいもなく、フールはプルーフの崖下に踊らせた。
 ばばばばばばばっ! 
 この落下こそ、むしろ『飛べない鳥』の得意とする舞台だろう。今度は脚すら使わず、羽ばたきのみで落下速度を殺しながら一気に地面に殺到。フールの操る三大魔剣が、今度は空中からエンペラーを襲う。
 「おいそうきたかよ! やるじゃん?!」」
 この奇襲にさすがに驚いたか、エンペラーがペコペコを急停止させて迎撃態勢を取る。
 だが。
 だん、と無傷で着地したフールは、それ以上エンペラーを攻撃しなかった。三大魔剣をけしかけることもしない。ただ微かに目を見開いて、そしていつにも増して厳しい表情で、エンペラーの背後の光景を見つめている。
 「ようこそ。紹介するぜ、フール」
 そんなフールを、また小馬鹿にしたように見ながら、エンペラーが悠々と自分のペコペコを歩かせた。そこは巨大な岩が転がる山肌が尽き、やや細かい石が敷き詰められた岩砂漠が始まる際のような地形。
 その広い岩砂漠に『彼ら』は整列していた。
 『彼ら』。

 ブラディマーダー。
 アガヴ。
 エキオ。
 ビョルグ。

 人間の形に似ている。が、その中途半端な造形が、余計に異形を際立たせてしまう一団。それは、この世界では『モンスター』と呼ばれる者達だ。人里離れたフィールドに、あるいは打ち捨てられたダンジョンに生息し、危険に挑む冒険者達を襲う手強い敵。そのはずだ。
 だが『彼ら』はそうではなかった。
 モンスターでありながら、一糸乱れず整列し、微動だにせず命令を待っている。いやそれだけではない。洗練された鎧や武器を身につけ、中には騎士よろしくペコペコにまたがった者までいるのだ。
 それはまるで『軍隊』そのものではないか。
 「イカしてるだろ? 俺達の……新しい『兄弟達』さ」
 その軍団を背に、エンペラーが酷薄な笑みを浮かべる。
 「ハーミットだのチャリオットだの、さっきちょっと減っちまったけどさ、また兄弟が増えたぜ? 嬉しいだろ、フール?」
 ケラケラ、と笑い声。
 「……お前は……お前達は……」
 フールが低い声を出す。相変わらず動かず、表情も変らない。が、その心に何も無いはずはなかった。この光景を見せられて、この若者が何も思わないわけが無いのだ。
 「『BOTモンスター』。もう人間ども誘拐してチマチマBOT化する手間はいらねえ。いくらでも増やせて、しかも強ええ」
 クックック、とエンペラーがまた笑う。
 「お前、フール? なんだっけ? 『BOTをもう悲劇の道具にしない』だっけ? それでBOT化された連中を保護して回ってるんだろ? いいね、泣かせるね」
 「……」
 エンペラーの嘲笑にフールは相変わらず応えない。だがもし応えられたとしても、この状況に何と言い返せばいいのだろう。
 「黙ってねーでさ。じゃ、ほら。コイツらも救ってやってくれよ」
 ひょい、とエンペラーが剣を振る。それが指揮だったのか、モンスターの陣が真ん中からさあっ、と割れた。そこにできた一直線の道を、エンペラーが悠々と歩き、そして振り向く。
 「ほれ、アレがお前らの『お兄ちゃん』だ。遊んでくれるってよ」
 がしゃあっ! 『全軍』が武器を構える。標的はフール。否応も無く、戦いは始まる。
 だが、これほど虚しい戦いがあるだろうか。
 敵にも、また味方にとっても、剣を振るう先には何もないのだ。
 勝利も、希望も、目的すらない、ただ殺戮があるのみなのだ。
 だが。
 しゃあん! 『処刑剣』の鎖が不吉な音を立てた。それが合図。三大魔剣がフールの周囲に殺戮の陣を敷く。
 そう、この若者はそれでも剣を振るう。その身に傷を、そして血を流す事をやめはしない。

 『愚者』、その名の示す通りに。

 フールの咆哮が、戦場に谺する。


 「ばかーっ! 開けろーっ! フール! こらーっ!!」
 フールによって洞窟の中に閉じ込められた静は、まだ叫んでいた。だが当然のように応えはない。静の感覚を持ってしても、もう外には誰の気配も感じられない。
 「ちくしょーっ!」
 がん! と怒りに任せ、目の前を塞いだ巨石を蹴り上げる。無論、びくともしない。
 ほう、と静の後ろで灯りが灯った。唯一の採光窓でもあった入り口が塞がれ、真の闇が落ちていた洞窟内に、弱々しいながらも光が満ちる。
 静が叫びまくっている間に、センカルがランタンに火を入れたのだ。洞窟に残されていた二人の少年『月』と『星』(それはエンジュ、そしてヒイラギの身体なのだが、今は便宜上そう呼ぶ)の側にあった荷物をほどいたらしい。そして、
 「どうぞお退き下さい、姫様。この蝶の羽をお使いになれば、ココからでも町に帰れるはず」
 痩せた手で、静に一枚の蝶の羽を差し出す。が、
 「断る」
 即答。
 そもそも『蝶の羽根』ぐらい静だって持っている。使うならとっくに使っている。退却するつもりなど毛頭ない。
 「ですが……」
 「出口はそっち?!」
 センカルの異議を頭から無視し、静は洞窟の奥に続く通路を指差すと、
 「安全なとこまで、お前達を連れて行く。その後でアイツ……フール殴る!」
 「いえ、もはや私たちの事は、どうぞ捨て置いていただきたく……」
 「ふざけんなっ!!」
 静の渾身の叫びが、狭く暗い洞窟の中に響いた。ぱらぱら、と崩れた岩の間から石くずが落ちるほどの気迫。
 「貴様がやってきたことを思えば、この場で斬りたいのは山々だけどっ!」
 燃えるような瞳でセンカルを睨みつける。その姿が可憐だからと言って、同様に中身もか弱い、などということはこの姫君にはあり得ない。
 「だけど! フールにその身を預けられた以上、貴様には生きてもらう! 先に貴様一人が楽になろうなどと、そんなことはアタシが許さない!」
 事によれば、その腰の剣より鋭いかもしれない、静の言葉がセンカルを打つ。
 「一人で戦っているフールのために、とことん生きてもらうから! さあ来なさい、アンタたちも!」
 静が剣に手をかける勢いでセンカルに、そして洞窟の床にうずくまる月と星に向かって叫んだその時だった。

 「出口なら作ったげるからさ。そこちょっと下がって、静ちゃん」
 
 思わぬ声が洞窟の『外』、崩れ落ちた巨石の向こうから響いた。いや、そこにはもう誰もいなかったはずだ。静の感覚でさえ今も、そこに人がいるとは全く知覚できない。
 「いくよん〜」
 妙に軽い調子で、外からの声が合図。と見るや、
 ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!!!!!!
 耳をつんざくような猛烈な破壊音が、洞窟内の空気を振るわせた。静は平然としていたが、センカルは思わず耳をふさいでしゃがみ込む。
 ずずずずずず!!!! ざざざざざああああ!!!
 破壊音に続き、今度は崩壊音が響き渡り、洞窟の中を外の光が満たす。入り口を塞いでいたあの巨石群があっさりと砂利、もしくは砂になって崩れ落ちていた。
 アサシンのスキル『グリムトゥース』。この凄まじい破壊がその結果だと言って、果たして信じてもらえるだろうか。
 「やっほう静ちゃん。怪我してな〜い?」
 崩壊した岩が作った砂利の山の上、そこに一人のアサシンクロスの姿を認め、静は目を見張った。いや、外から響いた声から、それが誰なのかはとっくに分かっていたのだが……。
 「……『うき』?!」
 「おうよ!」 
 両手に『カタール』と呼ばれる武器を装備したまま、器用にピースサイン。にかーっ、と笑う笑顔に邪気は無い……ように見える。
 「麗しの暗殺者うきちゃん、ここに参上〜!」
 聞くだにいい加減なキャッチフレーズ。
 「迎えに来たよん、静ちゃん。『冒険ごっこ』はこれで終わり。さ、帰ろ?」
 わざとらしいキメ顔で手を差し出す。
 「やだ!」
 静がきっぱりと応えた次の瞬間。
 だぁん!!!!
 強烈な打撃音。と同時に、静の身体が『く』の字になって吹っ飛んでいた。
 うきの拳。それもあの静が、正面に相対していながら、回避はおろか感知すらできない一撃だった。さしもの静も肺の中の空気を全部吐き出し、そして次の呼吸ができないまま、声も出せずに膝をつく。この姫が身体の真芯を撃ち抜かれ、両膝を地面に屈して苦悶する姿など、誰が想像出来たろう。
 「……!!!」
 「遊びは終わり、ってんのよ、お姫さん。手間かけさせんな?」
 一条静を地に墜とした恐るべき女アサシンクロスはしかし、むしろ明るい声でそう語りかけ、そして。
 止めのローキックを静の側頭部へ、無慈悲に放った。

 つづく。
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