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第十三話 『Exodus Joker』(1)

 『飛空戦艦セロ』。

 それは遥か聖戦の時代、姉妹艦である『アグネア(ヤスイチ号)』と共に、この世界とは別の世界から次元の壁を越えて飛来した超技術体、いわゆる『オーパーツ』である。
 全長80メートル、全幅20メートルの細長い葉巻型をした船体は、音速とは言わないものの、現代の航空機に匹敵する速度で飛行が可能だ。
 動力も不明。
 作動原理も不明。
 燃料も、いや、そもそも燃料の補給が必要なのか否か、それさえ不明。
 要するに詳しいことは何も分からないが、とにかく使う事だけはできる、まさにブラックボックスだらけのオーパーツというわけである。
 さて、その名に『飛空戦艦』の名を冠する以上、当然ながら相応の戦闘能力も備えている。現状で知られている武装は唯一、船体後部に放射状に装備された12枚のエネルギーウイング『ルシファー』だけだが、しかし『だけ』と、言ってしまうにはその威力があまりに圧倒的であることは、過去のいくつかの戦闘例からも明白だろう。
 そして攻撃だけではない。船体を保護する装甲もまた破格の性能を持っている。
 一見すると何の変哲もない滑らかな金属板だが、実際には極微小のナノマシンが無数に集合した、水銀のような半流体の構造物でできているのだ。
 もし12枚の光の翼『ルシファー』をすり抜けて、この装甲に直接攻撃を当てることができたとしても、その攻撃エネルギーは即座にこの流体金属に吸収されてしまう仕組みである。
 さらに吸収されたエネルギーは、『セロ』の動力炉から供給される膨大な中和エネルギーによって包み込まれ、ゆっくりと相殺される周到さ。
 「まさに無敵にして不可侵、というわけですよ。『放浪の賢者』殿」
 得意顔もここに極まれり、といった表情でそう言い放ったのは『プロイス・キーン』。
 ルーンミッドガッツ王国に逆らう反政府組織、いわゆるレジスタンスの総評議長。
 だが、その肩書きには今や『元』が付いている。
 ルーンミッドガッツ王国に対する反逆活動の後ろ盾だったシュバルツバルド共和国、そして自らの組織さえ裏切った男。
 そして秘密組織『ウロボロス6』と手を組んで、この戦前機械『セロ』を手に入れ、同じ戦前機械『ヤスイチ号』を指揮するクローバーを陥れた張本人。
 瑞波一条家の二の姫・香や、記憶喪失の少女ハナコ、プリーストの若者ヴィフらを巻き込んだ裏切りと決別の顛末は、読者も既にご承知であろう。
 その男が、翠嶺を見下ろして笑っている。
 短く刈り込んだプラチナブロンドと、その特徴である鋭い目は変わらないが、めったに感情を表に出さないこの男にしては珍しい笑顔だ。
 しかし唇を片方に歪めただけのその表情は、残念ながら他人を不快にする効果しか持っていない。
 もっともプロイス自身、それはよく承知していて、だからこそめったに笑わないのだが、それでも今こうしてニヤニヤ笑いをやめないのは、自分が指揮する『セロ』の性能をこうしてひけらかすのが楽しくてたまらないからだろう。
 (……まるでオモチャを見せびらかす子供だな)
 プロイスの一方的な自慢話を聞かされた翠嶺が、その頭の中に抱いた感想は、奇しくも先刻『セロ』が飛行船『マグフォード』を襲った際、彼女の弟子である無代が抱いた感想とそっくり同じものだ。これが無代ならば、いや無代でなくたって嫌みの一つも言い返したいところだが、今の翠嶺にそれはできない。
 『賢者の塔』こと『セージキャッスル』、その創立者の一人であり、魔法に関わる者すべての尊敬を集める美しき『戦前種(オリジナル)』翠嶺。
 彼女は今、囚われの身だ。
 ここは『セロ』船内の、艦橋の手前にある広いブリーフィングルーム。あのクローバーが仕切る『ヤスイチ号』ならば、いつも船員たちの笑い声が響く憩いの場でもあり、翠嶺が足を踏み入れればたくさんの明るい挨拶で迎えられ、溢れんばかりの敬意と共に上座へ通されたものだ。
 だが『ヤスイチ号』とそっくり同じ作りでありながら、『セロ』のそれは飾りの一つもない、がらんとした空間。しかも今は、拘束された翠嶺とプロイスの二人きり。
 ぶっちゃけ辛気臭い。
 しかも翠嶺にとって不愉快なことはまだある。
 部屋の中央で翠嶺が座らされているのは、何とキャスター付きの頑丈な拘束椅子。花弁のような唇には呪文封じの箝口具を噛まされ、優美な手には印形を結べないよう革袋を被せられた上で、椅子の左右の手すりにがっちりと固定されている。サンダル履きのすらりとした足までも、同じく拘束椅子に固定済み。こんな凶悪犯罪者か精神異常者のような扱いをしておいて、楽しい気分になれという方が無理な相談だ。
 だがここまで厳重に拘束しておきながら、一方で翠嶺の身だしなみは完璧だった。
 トレードマークでもあるエメラルドの髪は奇麗に梳かれ、青と緑を基調とした教授服も汚れを落として見事に整えられている。驚いたことに貌の化粧まで直されており、その美貌にわずかの乱れもない。もちろん翠嶺が自分でそうしたわけではなく、プロイスが下した命令によって、彼の配下の女性レジスタンスが施したものだ。
 無慈悲に拘束しておいて、片方では美しく着飾らせる。翠嶺に対するこの矛盾した扱いこそ、プロイスという男の性格をそのまま露呈していると言えるだろう。
 例えるなら網で捕らえた美しい蝶を、可能な限り美しく飾ろうとするコレクターのような、少々偏執狂じみた愛玩心。よって、
 (コイツにとっては、私もオモチャの一つというわけか)
 という翠嶺の分析は皮肉にも正しい。自らが所有する最強の戦艦の船内で、これまた自らが捕らえた美しく賢い獲物を前に演説する。この男の肥大し切った自尊心を満たすには、まさに持ってこいの舞台なのだ。
 「賢者殿が御自慢の『熱線砲(ブラスター)』で、この『セロ』の半流体装甲(セミリキッドアーマー)を貫けるものか否か、ぜひ試してみたいところでした。残念ですよ」
 プロイスの演説はまだ続いているが、翠嶺にはもちろん聞いてやる義理はない。まして反応を返してやる気などさらさらないので、一切無視して無表情・無反応を続けている。
 その一方で、翠嶺の内心は穏やかとは言えなかった。いや、『穏やかとは言えない』などという穏当な表現はそれこそふさわしくないだろう。
 それはもう『腸が煮えくりかえる』と言う表現がぴったりの荒れ模様。
 翠嶺先生、怒り心頭なのである。
 いや、怒っていると言っても、決して目の前のプロイスに対してではない。こんな男がいまさら何を言おうが、何をしようがどうでもいい。
 また他でもないプロイスの口から『マグフォード』の撃沈、そして翠嶺を助けようとした男(無代の事だろう)の死を告げられてもいたが、意外なことに、それに対する怒りもなかった。
 だがそれは当然、そもそも翠嶺は『マグフォード』が沈んだの無代が死んだのと言われても、内心ではまるで信じていないのだ。船長以下、超一流の腕利きが揃うあの船が、そして出来は悪いが明るさとしぶとさだけは超一流のあの弟子が、そう簡単に沈んだり死ぬとはどうにも思えなかった。
 では翠嶺先生、何に腹を立てているのかと言えば、それは『自分自身』に対してである。
 (この結果は、すべて私の責任)
 そのことだった。
 空中都市ジュノーの飛行船基地『タネガシマ』で『セロ』襲撃を受けながら。
 『セロ』の船内に引きずり込まれながら。
 そして身体を拘束され身だしなみを整えられながら。
 ずっとそれだけ考え続けていた。
 それこそ内臓を掻き毟られ、血を吐きながら叫び回りたいような最悪の気分を骨の髄まで舐め尽くした。同時にその明晰な頭脳で、徹底的に状況を分析もした。結果、
 (私が甘かった)
 そう結論づけるしかなかったのだ。
 すべての始まりとなったルーンミッドガッツ王国の秘密組織『ウロボロス』による『BOT』事件。
 そしてD1、無代との出会いから始まった『カプラ嬢誘拐監禁』と『カプラ社の乗っ取り事件』。
 いずれも世界すら揺るがしかねない大事件に、にここまで深く関わった以上、自分はもっと慎重に行動すべきだった。
 言い訳にはなるが、確かに予測不能の誤算が、しかも複数起きたことは事実だ。
 この男・プロイスが戦前機械『セロ』を手に入れ、翠嶺に好意的だったクローバーをレジスタンス組織から追放していたことは、想定外にもほどがある事態だ。まして彼らにとっては敵のはずのルーンミッドガッツ王国と密通し、まんまと『ウロボロス6』の地位についているなど夢にも思わないことだった。
 だがそうだとしても、せめて自分がもう少し危機感を持ち、慎重に行動していたなら。
 ホームグラウンドである空中都市ジュノーに到着してすっかり安心し、そこに現れたこの『セロ』を『ヤスイチ号』と誤認して子供のように有頂天になる、あんな醜態を犯さなければ。
 思えば、危険を察知するべき前兆はいくらでもあった。
 あらかじめ手紙でジュノー帰還を知らせてあったのに、タネガシマへ賢者の塔からの迎えが来ていなかったこと。そして『セロ』の無礼な動き。
 自分より先にその異常に気づいた無代が、『それはヤスイチ号ではない』と指笛と発光信号で知らせてくれた、あの時の気持ちときたら。
 (失敗して赤面したなんて、何十年、いえ何百年ぶりかしら)
 あの時の真っ赤な顔を、まさか無代に見られてはいなかったか。あの距離ならまず見えていないとは思うが、もし見られていたなら絶望の上塗りである。
 いっそ無代が本当に死んでいてくれないか、などと不謹慎なことを、つい考えてしまうレベルだ。
 いまさらの話だが、翠嶺が『マグフォード』の船内で立てた反撃のスケジュールも、いささかイージーすぎた。
 今朝、翠嶺が『マグフォード』の船内から発送した手紙。あれがレジスタンスに届きさえすれば、クローバーが直ちに『ヤスイチ号』で駆けつけてくれるはずだった。そして『ヤスイチ号』の圧倒的な戦力を持ってすれば、カプラ社の社長だろうが重役だろうが、排除するのに何の苦労も無い。
 一方、大国ルーンミッドガッツ王国にしても、人道を無視した『BOT』という存在を作り出し、それを使ってカプラ社の乗っ取りを企んだ、などという事実を証拠付きで突きつけられれば、さすがに言い逃れはできまい。
 あとはシュバルツバルド共和国とアルナベルツ法国の立ち会いの下で政治交渉を行い、最低でも現王の隠居、元老院の総辞職ぐらいの落とし前はつけてもらう。
 そういう筋書きだったのだ。
 犠牲を最小限に抑えた合理的、かつスマートな解決方法は、確かに翠嶺らしい。
 だがその影で、不安要素に目をつぶってはいなかっただろうか。
 味方のはずのセージキャッスルとシュバルツバルド政府内部に、『BOT』の他にも隠れた内通者がいる可能性は決して低くなかった。
 対王国レジスタンスの中でも、組織のリーダーであるプロイスと現場指揮官のクローバー、その2人の間が決して上手くいっていないことは知っていた。それがいつ爆発してもおかしくないことも、実感として分かっていたはずだ。
 それらの不安要素をあえて無視していなかったか。
 自分ならば上手くコントロールできる、と過信してはいなかったか。
 (もう『賢者』の称号は返上ね……)
 プロイスに気づかれないように、何度目かのため息をつく。
 「ま、お気持ちは分かりますよ、賢者殿。この私がルーンミッドガッツ王国に帰参して『セロ』を手に入れ、裏切り者のクローバーを追放し、ほぼ同時にジュノーを陥落させるとは、さすがの貴女にも予測不可能でしょう」
 プロイスの言葉は、それだけ聞けば翠嶺を慰めているようにも聞こえるが、本当の意味はもちろん逆だ。彼女を見下ろすニヤニヤ笑いから感じ取れるのは結局、翠嶺の心をいたぶり、同時に自分の手柄を大きく見せようという欲望だけ。
 それは先刻『マグフォード』を撃沈した(実際には偽装に騙されただけだが)時と同じ、この男は自分の快楽のためだけに人を玩弄する、最もタチの悪いサディストだった。
 「我々の目的は先ほどお話した通り、『ユミルの心臓』を手に入れることです。そしてこの『セロ』がある限り、それを阻むものは何もない。お分かりですね、賢者殿?」
 わざわざ一拍置く。
 「できれば賢者殿には、自発的に我々に協力していただきたいのですが?」
 翠嶺の顔を覗き込むように尋ねるプロイスだが、当然ながら応えはない。翠嶺の形の良い細い顎は、縦はもちろん横にすら動かない。
 完全無視。
 「当然でしょうな」
 プロイスは肩を竦めて見せるが、ただのポーズであることは明らかだ。それが証拠に彼の顔には、例のニヤニヤ笑いがずっと浮かんだままである。プライドの高い翠嶺が、そう簡単に自分たちに協力しないことなど、プロイスにだって最初から分かっている。
 「では賢者殿にお気持ちを変えて頂くために、ぜひご覧に入れたいものがあります。少々お付き合いいただきましょう」
 プロイスが気取って指を鳴らすと、即座に談話室のドアからレジスタンス隊員が入ってくる。翠嶺の身だしなみを整えたのとは別の女性隊員で、ブラウンのショートヘアーが似合うきりっとした美人だが、その顔にはまったく表情がない。
 (『BOT』だな)
 無表情の理由を、翠嶺は即座に見抜く。
 彼女とて、伊達にこの一年『BOT』を追ってはいない。そのぐらいの判断は見ただけで十分だ。
 恐らくレジスタンスが捕虜にした、ルーンミッドガッツ王国の女軍人か何かをBOT化したのだろう。最近になって作られた新しい『BOT』には、もっと表情豊かで見分けにくいものもいるが、この『BOT』の無表情を見る限り少し技術レベルが低いか、もしくはプロイスの好みでわざとこうしているのだ。
 だが、いずれにしても翠嶺が必死で追いかけてきた敵と、味方と思っていた組織のトップがこうして結びついていたなど、笑い話にしてもひどすぎた。
 プロイスが歩き出すと、すぐに『BOT』の女が翠嶺の後ろに回り、拘束椅子のハンドルを押して追従する。
 これも『ヤスイチ』とそっくりの、船内を真っすぐに船尾まで貫く廊下を少し歩いたところで、だがプロイスは急に歩きを止めた。翠嶺の拘束椅子を押す『BOT』も、少し下がった位置で並ぶ。
 一つの部屋のドアの前。プロイスはそこで少し何か考える様子だったが、
 「と、その前に、少々寄り道を致します。賢者殿」
 そしてドアに対して真っすぐに向かい、これまた気取った声で、
 「プロイスだ。開けたまえ」
 ……しかし、残念ながらドアは開かない。それどころか中から返事もない。
 「おい聞こえないのか!  ちっ……ブリッジ! 5号室のドアを開けろ! 船長権限だ!」
 苛立ったプロイスが大声を上げると、廊下の艦内スピーカーから短い応答があり、今度は命令通りドアが開いた。
 この世界では珍しい横開きの自動ドアが、音も無くスライドする。
 だが、開いた自動ドアの向こうに翠嶺が見たものは、ひどく意外なものだった。
 プロイスが何を見せようとも、それこそ眉一つ動かすつもりのない翠嶺でさえ、思わず『目を点』にしたもの。
 それは巨大な、あまりにも巨大な。

 半裸の男の後ろ姿だった。
 

 広い背。
 太い首。
 厚い胸。
 堅い腰。
 剛い脚。


 身長2メートル、もしくはそれ以上という『縦』も凄いが、『横』だって負けてはいない。全身が凄まじく発達した分厚い筋肉に鎧われ、ドア越しの限られた視界では全体像が見えないほどだ。
 いまさら男の身体なんぞにビビる義理もない翠嶺でさえ、思わず見惚れてしまいそうな男性美の極致。
  「な……っ?!」
 ドアを開けさせたプロイス本人が絶句した所を見ると、どうやら彼にとってもそれは予想外だったらしい。まあ、もし予想していたとしても、ドアを開けたところにいきなりコレがいて驚かない人間は、まずいないだろう。
 それほどに大きく逞しいその男は、しかもただ突っ立っているわけではなかった。
 太い鉄筋を数百本も束ねて固めたような片足が床を踏ん張り、そしてもう片方の脚が天井へ向かって高々と持ち上げられている。何とも奇妙な片足立ち。
 (これは確かアマツの相撲の……そう、『四股』)
 翠嶺の広範な知識が即座に正解を導き出す。が、その千年に及ぶ知識にさえ、ここまで見事な四股は含まれていない。
 掲げられた片足は天井に向かって真っすぐ、ほとんど垂直と言っていい角度で天を突き、しかもそれを支えるもう片方の足腰には、わずかの揺らぎすらない。
 永遠に思えるほどの、たっぷりとした滞空時間。
 やがて片足がゆっくりと時間をかけて降下した後、ひた、と床に着地する。
 ここまで無音。
 だが次の瞬間。

 ずぅん!!!!!!

 重い、これでもかと重い振動が床を走り、翠嶺を拘束した椅子までがびりり、と震える。異世界のオーパーツである『セロ』の床は、それ自体が衝撃を吸収する未知の物質で作られており、少々暴れたり騒いだりしても壊れるどころか足音さえしないはずだ。
 だが、その床さえこうして震わせてしまう、男の肉体とパワーの規格外っぷりをどうかご覧頂きたい。
 「無礼だろう、プロイス・キーン」
 振り向く気配さえ見せず、半裸の男が言葉を響かせた。肉体にふさわしく重い、そして落ち着いた声。
 「人を訪ねるのに予告もなく、来たら来たで勝手にドアまで開けて押し入る、それがお前の礼儀か?」
 正論、そして容赦がない。肉体だけでない、頭も切れるらしい。
 「き、貴様に礼儀を教わる覚えはない!」
 対して、ようやく我に返ったらしいプロイスの反論には、いまいちキレがない。
 「貴様の身柄は私が預かっているのだぞ! 立場をわきまえろ!」
 「わきまえるのはお前だ、プロイス・キーン」
 男の応えは相変わらず後ろ向きのまま。プロイスの恫喝など、どこ吹く風である。
 「身柄を預かっているからと言って、礼を失して良いはずがあるか。オレはお前の部下でも、まして虜囚ではない。故事に倣うならば『客』、すなわち『主』よりも格上、と知るがいい」
 またも正論。プロイスも一瞬、応えに窮する。その隙にかぶせるように男が姿勢を変え、今度は反対の足を持ち上げる。またしてもたっぷりと時間をとった、見事な四股。
 そうしながら、男の声がまた響く。
 「ま、オレも一から礼儀を教えてやるほどヒマではない。今回だけは無礼を見逃してやろう。用があるなら早く言うがいい」
 言葉の内容は寛大だが、よく考えれば相手に尻を向け、悠々と四股を踏みながら喋っておいて『礼儀』も何もなかろう。しかしこの男、そんなことは頭から気にもしていないらしい。
 先ほどの会話を聞けば少なくとも『セロ』の船内では、プロイスの方がこの男より立場が上のはずだが、これではもうどちらが上だかさっぱり分からない。
 一方のプロイス、さぞ真っ赤になって黙り込むか、はたまた逆ギレするか、と思われたが、さすがにそれはプライドが許さなかったらしい。
 どうにか怒りを抑えた震え声で、
 「貴様に良いものを見せてやろうと思ってな。まずはこちらを向くがいい、『タートルリーダー』」
 呼ばれた、その名前。
 だが巨漢はすぐには振り向かず、ゆっくりと四股の足を戻し、ずぅん! とまた一つ、重く床を揺らしておいて、いかにも面倒くさそうに身体の向きを変えた。
 今まで後ろ姿しか見せなかった男の肉体が、翠嶺達の前でついに露になる。
 凄まじい厚みを持つ肩と胸筋、そして鋼の塊を無造作に叩き込んだような腹筋。現代のボディビルダーにありがちな、逆三角形を強調する細い腰とは真逆もいいところの、太やかな大木の幹にも似た腰。
 その腹回りと腰回り、臀部から大腿部にかけての圧倒的なボリュームから一見、肥満している印象を受けかねないが、よく見ればなめし革のような皮膚の下には、引き締まった筋肉がパンパンに詰め込まれ、重力に負けて垂れ下がるような部位など、それこそ欠片も見あたらない。
 両腕は下手な女性の胴体ほども太く、そこから発生するであろう打撃力、あるいは圧搾力がどれほどになるか、想像するだけでも恐ろしい。
 山脈のように隆起した肩の筋肉が、太い首のそれとほとんど一体化し、頭部が胴体に一割ばかり埋まって見える、いわゆる『猪首』。これは人体の急所である頸椎を守ると同時に、頭や顎に打撃を喰らった際、脳を揺らされるのを防ぐプロテクターの役目も果たす。
 ただ半裸でそこに立つだけで、見る者に『重装甲・重武装』という矛盾した感想を抱かせる驚異的な肉体。
 加えてその容貌も強烈だ。
 濃く、太い眉。炯々と光る黒い瞳。アマツ人には珍しい、彫りの深いシルエット。
 荒々しい野生の剣呑さと、高貴かつ知的な上品さ、その相反する要素が見事に同居した、恐ろしいほどの漢っぷり。お伽話や神話の世界に住むという、人智を超えた知性と力を持つ虎や熊、竜が本当にいたとしたら、きっとこんな貌に違いない。
 逆に卑近な言い方をするならば、あの金剛モンク・ヨシアが評した『体育会系インテリヤクザ』という表現が一番しっくりくる。
 もうお分かりであろう。
 遠くアマツの天下を狙う戦国最強の暴れ大名・瑞波一条家の長子にして世継ぎの君。

 一条流。

 その男が、再び物語の中に威容を現した瞬間。
 そしてこの世界の運命を握る、大切な出会いの時。
 戦前種・翠嶺と一条流、二人の視線がぶつかり弾けた、それが初めての瞬間であった。

中の人 | 第十三話 「Exodus Joker」 | 12:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十三話 「Exodus Joker」 (2)
  (うへぇ……我がリーダー閣下、ご機嫌最悪ときたもんだ)

 流とプロイスの緊迫したやりとりを部屋の隅で聞きながら、『アクト=ウィンド』は肩をすくめた。
 大して信じてもいない神様にちょっとだけ平安を祈り、ついでに内心で二、三度『くわばら』を呟く。
 彼、アクト=ウィンドは、流と共に『セロ』に乗り込んだウロボロス4・タートルチームの精鋭『タートルコア』の一員だ。
 プロイスが翠嶺を連れて訪れた部屋には、実は流の部下たちも一緒に、こうして軟禁状態にあった。
 とはいえご覧の通り、リーダーたる流の存在感が有り余るほどありすぎるため、彼ら『その他大勢』は誰からも注目されていない。
 もっとも当の彼らはそれを幸い、交代で組み手の訓練をしたり、魔法系のメンバーは瞑想や高速詠唱の鍛錬に励んだりと、それぞれが好き勝手に過ごしていた。
 部屋はちょうど大人数用の船員室らしく、かなりの広さがあってスペースに不自由はない。隅にはベッドも置かれており、呆れた事にその上にひっくり返って居眠りをしている者までいる。
 『軟禁』と言う以上、当然のように武器や装備はもちろん、魔法を使うための触媒など消耗品のたぐいも残らず取り上げられている。一方で、恐らくは負傷者か患者用と思われる薄いブルーの簡易着を与えられているのだが、そこはタートルチームの精鋭。男も女も鍛え抜かれた身体と不敵な面構えの持ち主ばかりのため、患者というよりは囚人の群れ、それもかなりの凶悪犯揃い、というヤバめの印象は否めない。
 (いいとこ『独立愚連隊』だよな)
 自分のことは棚に上げ、アクトは内心で苦笑いする。
 さて、このアクトという男、タートルチームには数少ない上級職業『プロフェッサー』である。そして名字から分かるように『ウィンド』『ファイア』『アース』『ウォーター』の4家からなる、通称『エレメンタル』の一族だ。
 Gv、すなわち『ギルド戦』での傭兵を生業とする異色の一族、あの『エレメンタル』である。
 さて、ここで言う『ギルド戦』とは、ルーンミッドガッツ大陸のあちこちに建てられた『砦』と呼ばれる施設を週末ごとに奪い合う、いわば模擬戦争ゲームのことを言うのだが、ただこれを一口に『ゲーム』と片付けてしまうのは少々、語弊があった。
 なにせこの砦は、それぞれの内部に所有者だけが入れる専用の高レベルダンジョンを有し、また他では手に入らない特殊なアイテムをも産出する。この恵みがもたらす利益は非常に巨大で、例えば複数の砦を長期に渡って保有する大ギルドともなれば、経済的にも軍事的にもちょっとした『国』に匹敵する勢力を有する。
 『エレメンタル』の4家は、そのGvの世界に根を下ろすプロの傭兵集団だ。
 砦を巡る攻防を知り尽くす一方、特定のGvギルドはもちろん国家にも、魔術師ギルドや賢者の塔にすら属さず、ただ報酬のみと引き換えにゲームに参加する。ギルド戦に特化された独自の戦闘技術や魔法の技も、一族の中だけで伝承し磨き上げるという徹底した排他性は、公式にはギルド戦における中立を保つため、とされている。
 だが、これにはもう一つの噂もあった。

 『遥か大昔にこのギルド戦を創設し、今も主催し続けているのは、実はエレメンタルの連中だ』

 という。
 もちろんエレメンタル自身はそれを認めていないし、語る事すらないのだが……。
 まあそれはさておき、常にギルド戦の最前線で戦う彼らは、排他的と言いつつも最新のスキルや戦法を学び吸収する必要性から、例外的に『ウロボロス4』にだけは人間を送り込んでいた。
 そして今回、4家の主席を勤める『ウィンド』家、その三男坊であるアクトにそのお鉢が回って来た、というわけだ。
  ウィンド家の当主、そしてエレメンタルの筆頭でもあるアクトの父は、
 『ウロボロスを仕切る4の魔女、マグダレーナ・フォン・ラウムにコネがあって損はないからな』
 そう言って彼を『ウロボロス4』に送り出した。そしてその際、こう付け加えている。
 『もしあそこで『アマツの一条』を名乗る男に会ったら、そいつを気にしておけ。ひょっとしてお前の運命が変わるかもしれん』
 普段から寡黙一辺倒で、実の息子にもめったにアドバイスなどしない父だったから、アクトは驚いて詳細を聞き返したが、それ以上のことは教えてくれなかった。
 そう言えばこの父も自身、先代『ウロボロス4』の参加者だったはずだ。そして本来なら家督を継げない次男坊でありながら、『ウロボロス4』から生還するや否や、生業のギルド戦で次々に大きな戦功を上げ、とうとう長男を追い落として当主の座に就いた、という過去を持っている。
 だからアクトも『ウロボロス4』へ来て最初の顔合わせで、『アマツ・瑞波の一条流』と名乗る巨漢を目の当たりにした時は、
 (……おいおい、マジでいたぜ。親父殿よ)
 と本気で驚いたものだ。
 だがそれ以上に驚かされたのは、様子見のつもりで偽名を使ってその巨漢に挨拶し、握手を求めた時だ。巨漢は差し出されたアクトの手を取ろうともせず、まっすぐに彼の目を見つめ返すと、
 「地水火風のどれだ、貴様?」
 と、いきなり訊いてきたのだ。
 後に聞いたところでは、流の方もまた義父の一条鉄から、
 『あそこで『アマツの一条』を名乗って、もし向こうから声をかけて来るヤツがいたら捕まえとけ。十中八九、そいつはエレメンタルだ。連中にゃオレの現役時代、ちょいと貸しもある』
 と聞いていたのだという。こうなっては隠す理由もない。流とアクトがそれぞれの持つ情報を交換し、
 「なるほどな。大体読めた」
 流がそう呟くのに時間はかからなかった。
 恐らくアクトの父は、先代の『ウロボロス4』で流の義父・鉄と出会い、ギルド戦の新戦法を伝授されたのだ。
 「正確には義父の鉄ではなく、オレの実父・一条銀が考案したものだろう。昔、父の書庫でそれらしい書き付けを見た記憶がある」
 流の父、そして一条家の先代当主でもある銀の『メモ魔』は有名だ。そして城に残された彼の書庫には今も、その手の文書が山と積まれている。流は少年時代から、暇さえあればその書庫に入り浸り、父の遺した文書を読みあさったものだ。
 『お前の父が取った戦略とは、ひょっとしてこういうものではなかったか?』
 流がアクトの前で、砦の一つを自ら図面に起こし、その上で兵を動かして見せた。攻め方、退き方、そして何よりも砦の地形を最大限に生かした物資と人員の補給、その効率の高さに特徴がある。
 そしてそれはまさに、アクトの父が一族の中に持ち込み、Gvにおけるエレメンタルの戦い方を一変させたそれに間違いなかった。
 アクトが呆然と頷くのへ、しかし流は嬉しそうでもなく、
 『ふん。だが、オレならこうだな』
 図面上でもう一度最初から、新たに兵を動かして見せる。
 (……速い!?)
 眼前で展開されているのは単なる机上の模擬戦だ。しかしアクトは、自分が息を飲んでいることを自覚した。
 流が紙の上で取った戦略は、彼の父が取ったそれよりも三割近くも侵攻が速い。しかも相手がどれほど固く守ろうとも確実にその防衛に穴を穿ち、一気に突破して砦を陥落させてしまう。
 「凄いな」
 素直にそう呟いたアクトに、流は今度こそにやり、と笑うと、
 「ただし、戦費が3倍ほどかかるが」
 「ぶはっ」
 アクトは吹き出すと、それは傭兵にとっちゃ一番痛い、と苦笑いを返す。そして改めて流に本名を告げて握手を求め、今度こそ流の巨大な手で握り返されたのだった。
 以来、彼は流の直下、『タートルコア』の最初の一人となって付き従っている。
 アクトのような、派手さこそないが豊富な才能と経験に裏打ちされた『職人プロフェッサー』が、戦の最前線を支えるのに不可欠な駒だ、と知らぬ流ではない。
 「『ウロボロス4』が終わったら、エレメンタルに戻らずオレの国へ、瑞波へ来い」
 流からかなり真剣にそう誘われ、最初は笑って断っていたものの、最近では、
 (それも面白いかもな……)
 と真面目に思い始めたアクトだ。
 運命が変わるかも、という父の言葉を今更ながら実感する。『一条』の名を持つこの巨漢はまさに、人の運命を力づくでねじ曲げ、全く違う次元へ誘う力を持っているのだ。
 だがそんなアクトさえ、今の状況はさすがに理解を超えていると言わざるをえない。
 なにせ『ウロボロス4』の主宰、マグダレーナ・フォン・ラウムその人を裏切る格好で捕虜にし、それを手みやげにして敵の船に乗り込んでいるのだ。
 それもただの船ではない。遥か聖戦の時代、この世界とは違う世界からやってきた驚異の飛空戦艦『セロ』、その土手っ腹の中ときている。
 (……俺の運命とやら、いくらなんでも変わり過ぎだぜ、親父殿よ)
 アクトが苦笑いと共に、内心で父親にボヤくのも無理はないと言えよう。

 思い起こせば、あの夜。

 『ウロボロス4』を脱走した元コンドルリーダー、テムドール・クライテンを追ってリヒタルゼンに侵入しようとした流たちは、待ち受けていた『セロ』の襲撃を受けた。
 主宰のマグダレーナが『セロ』に敗れ、部隊も壊滅状態となる中、流とタートルコアの面々は倒れたマグダレーナを麻痺武器で捕縛。そのまま本隊を離れ、敵船である『セロ』に招き入れられたのだ。
 あれから数日、流と彼らタートルコアの面々は、ずっと『セロ』の船内にいる。捕縛されたマグダレーナと、彼女の親衛隊『月影魔女』達も、別室ではあるが同じ船内に囚われているはずだ。
 流はプロイスに対し、自分たちを早く組織の本部へ連れて行くよう申し入れているが、まだ実現していない。
 それどころか、彼らに対する扱いはマグダレーナ一派に対するものと同じ、事実上『捕虜』のままだ。
 まあ、流がいくら『ウロボロス4』を裏切りました、そしてこちらの組織に寝返りました、と言っても、すぐに信じてもらえるわけはないから、これは仕方のない面もある。流だって同じ状況なら、まず信用などしないだろう。
 とはいえプロイスの彼らに対する態度には、それ以上の悪感情が含まれているように思われる。
 『恐らくこの組織の中で主導権争いがある。プロイスはそのために、マグダレーナを捕らえた手柄を独占したいのだ』
 流はそう分析する。
 考えてみれば、ルーンミッドガッツ王国の裏をシメる最強の女傑・マグダレーナを倒す、という大手柄を立てたのはプロイスと『セロ』だ。なのに最終的に彼女を捕縛したのは流とタートルコアの面々。
 『このままオレ達を本部に連れて行けば、手柄を横取りされると思っているのだろう。それで機嫌がわるいのだよ、あの男は』
 流はそう結論づけた。そしてそれはほぼ正解である。
 『だがマグダレーナの身柄は、今やルーンミッドガッツ王国に対しての絶大な取引材料だ。一刻も早く本拠地で戦略を固め、王国から何らかの利益を引き出すのが最良の手段だろうに。個人の手柄のために組織全体の足を引っ張るとはな。下らん。実に下らん』
 流は見るも忌々しげな仏頂面で、そうアクトに吐き出したものだ。
 だが、それにも増して流の御機嫌を損ねたのが、何を隠そうプロイスが『セロ』を操るその指揮ぶりだった。
 船の性能に頼り切り、まるで玩具のように見せびらかすその幼稚なやり口には、
 『豚に真珠、いや気違いに刃物だ!』
 と、本気で額に青筋を立てている。
 だから『セロ』が『マグフォード』を襲ったあの戦いの際にも、
 『気分が悪い』
 と見ようともせず、おもむろに上着を脱いで半裸になり、日課となっている身体の鍛錬を始めてしまった。しかも、
 『アクト、お前が見て実況しろ』
 無茶振りがきた。
中の人 | 第十三話 「Exodus Joker」 | 12:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十三話 「Exodus Joker」 (3)
 
 「イエス、リーダー」
 と、お決まりの返事はしたものの、アクトにとってはこんな損な役回りもない。なにせ『セロ』の動きを一つ報告するたびに、アクトは何も悪くないにもかかわらず、流の機嫌がどんどん悪くなるのだ。
 (しっかりしてくれよ、おい……!)
 もう内心ではプロイスを応援すらしているアクトだが、その気持ちに反して状況は悪くなる一方。圧倒的な力で『マグフォード』を襲っておきながら、標的である翠嶺の収容にはモタつき、『マグフォード』の撃沈にも手間取る。
 しかもその理由が、あろうことか相手の苦しむ姿を鑑賞するため、と分かった時は、
 「……ちっ!」
 盛大な舌打ちが部屋の隅々まで響いたものだ。こうなるとタートルコアの面々も一様に肩をすくめ、アクトに『すまん、頼んだ!』の目配せだけを送って、『さわらぬ神に祟りなし』を決め込んでいる。
 (ちくしょー、ユークの坊主がいりゃ丸投げしてやれるのに!)
 考えようによっては非道いことを考えながら、仕方なく貧乏くじに甘んじるアクトである。
 もっともウロボロス4本隊に残ったユークレーズは今、敵からの逃亡の末に金剛モンク・ヨシアをはじめ多くの隊員を失う過酷な状況の真っただ中だ。もしそれをアクトが知っていたならば、夢にもそんな非道いことは考えないだろうけれど。
 ところで余談になるが、アクトの実況を聞きながら流が行っている日課の鍛錬というものが、実はちょっとした見物である。
 まず部屋の隅っこに行き、素材不明のツルツルの壁が90度で交わるその角に背を向けると、巨大な背中を壁に密着させる。ついで両手を左右の壁にぴったりと突っ張るようにしたと思うや、
 「むん……っ!」
 ぐい! とその両足を宙に浮かせたのだ。
 体重100キロを優に超える巨体が、何の手がかりもない90度の壁に両手をつっかえただけで、わずか数センチとはいえ確かに宙に浮いている。両腕と肩の力だけで、壁に対して驚異的な圧力を与えなければ不可能な離れ業だ。
 しかもこれで終わりではない。まだ始まりだ。
 「むんっ……!」
 不自然な姿勢から一瞬、全身をぐい、と緊張させたと思うや、その身体がさらに数センチ、上にずり上がったではないか。
 「ふんっ……むんっ!!」
 巨体の緊張が連続し、分厚い筋肉に鎧われた流の巨体がさらに上昇する。常人であれば、ただ止まっているのすら不可能な姿勢から、全身の力だけで勢いをつけ、まるで壁に吸い付く虫かトカゲのように壁を登って行く。
 ほどなく頭が天井につくと、今度は脚だ。
 「ふ……うっ!」
 壁を突っ張った両腕の力だけで全体重を支えながら、足先を揃えて伸ばした両足をぴったり90度、前方に持ち上げる。ちょうど体操選手が吊り輪や鞍馬で行うような、見事な静止姿勢。ここまで来るとさすがの流の肉体にも相当の負荷がかかるらしく、その全身がビリビリと細かく震えているのがわかる。だが姿勢そのものは一切の破綻なく、見惚れるほどの静止を続けること10秒ばかり。
 「す……うっ!」
 大きく一つ息を吸ったと見るや、背中で壁に張り付いたままの流の巨躯が、今度は壁に沿っていきなり垂直に落下した。腕の突っ張る力をわずかに緩めた結果だが、いかに流の身体が頑丈とはいえ、この体重で受け身も取らずに尻から床に激突すればタダでは済むまい。
 だがその身体が床に落下する寸前、
 「は……っ!!」
 ひときわ大きな気合いが響き、ぴたり、とその落下が止まる。
 流の姿勢は先ほどまでと全く同じ。ということは信じられないことだが、いったん緩めた両腕で再び壁を突っ張り、巨体の落下を止めたらしい。
 『止めたらしい』などと言葉で書けば簡単だが、それがどれほど人間離れした行為か。ただ腕力があればいいというものではく、その力を瞬時にゼロからMaxに、しかも精密極まるタイミングで発揮できなければ到底不可能な荒技。ちなみにこれはアマツの忍者が行う鍛錬法なのだが、さすがのタートルコアにもそれを知る者はいない。
 ふう、と一息ついて、流がその身体を床に降ろすと立ち上がった。さっきまでの離れ技が何かのトリック、いやいっそ幻だったと言われた方がまだ納得がいく巨大さと重量感が戻って来る。
 「アクト。続けろ」
 そう言われて初めて、アクトは報告を忘れていたことに気づく。既に何度も見ている流の鍛錬なのだが、見るたびに何かこう、感動するほど見惚れてしまうのだ。
 流の鍛錬はさらに、壁に向かってほぼ零距離から両腕で突き押す『鉄砲』、そして例の『四股踏み』と続くが、この二つは翠嶺が見抜いた通り、いずれもアマツの相撲に伝わる伝統的な鍛錬法である。
 生まれ持った巨体を、厳しい鍛錬でさらに重厚に鍛え上げる、そのスタイルは極めてシンプルで、それゆえに恐ろしい。
 重い体重と強大なパワーを存分に生かし、抜群の瞬発力で敵に肉薄、駆逐する。確かにその力を維持できるのはごく短い時間に過ぎないが、いざ敵が間合いに入った瞬間の破壊力は凄まじいの一言だ。もし敵が強力なスキルや魔法などを使おうとしても、その暇さえ与えず一瞬で距離を詰め、文字通り押し潰してしまう。
 この破壊力を表現するにはもう『格闘』だの『技』だの言うより、『人身事故』と言った方がふさわしい。
 実際、流のぶちかましをまともに食らった時のダメージときたら、現代でいえばちょっとした軽自動車に轢かれるのと同等、もしくはそれ以上。
 ここまで問答無用の破壊力が相手では、小手先の格闘技術など全く無意味となる。
 だが実は、一条流という若者の本当の怖さ、それは肉体の破壊力などにあるのではない。そもそも彼がこの力士のスタイルを選択し、そのための鍛錬を欠かさないのは、決してそれが『強いから』ではないのだ。
 むしろ反対、このスタイルが戦場において『死ににくいから』に他ならない。
 いかに知略に優れ、選りすぐりの強兵を集めて大軍を編成しようとも、それを率いる君主が死ねば戦は負けである。そのたった一人の死によって国は滅び、一族は根絶やしにされ、先祖の墓すら砕かれ埋められる。
 だからこそ戦の大前提は『勝つ』ことではなく、『君主が生き残ること』と、流は考えた。国を治める、その大前提も同様である。それは『一条銀』という実父、高い能力を持ちながら死の運命に飲み込まれざるを得なかった、あの悲劇の男を父にを持つが故の、独特の信念だったかもしれない。
 だからこそ流という青年は、いつか瑞波の君主となる日のために、こうして自らの肉体を徹底的にデザインしている。
 戦場においては、防御力に優れた重装の鎧を常に身にまとい、陣の奥深くに引っ込んだまま決して動かない。だが動くとなれば、この鎧のままほぼ三昼夜、不眠不休で行軍することが可能だ。水中であっても一昼夜、泳ぎ続けられる。
 遠距離からの矢弾は鎧で防ぎ、最も危険な接近されての攻撃は、むしろこちらから肉薄することで封じ込めてしまう。一口に接近戦と言っても槍の間合い、剣の間合い、短剣の間合い、拳の間合いと、それぞれに得意な距離には色々あるだろう。が、流のような力士が最も得意とする間合いは『零距離』だ。鍛え抜いた爆発的な瞬発力で距離を詰めて密着し、たとえ敵から一撃食らったとしても、二撃目を繰り出す前に圧し潰す。
 また戦闘以外で不慮の事態が起きたとしても、即死さえしなければ治癒アイテムや魔法による速やかな回復が期待できる以上、『戦場で死なない』ことに特化したこの流のスタイルは、極めて合理的かつ状況に左右されにくい。
 この巨大かつ重厚な肉体は、『生き残る』ための鎧であり剣なのだ。
 だが、いくらこうして理屈をこねてみたところで、それが尋常な生き方でないのは間違いないだろう。
 この世に生を受け、そして物心ついた瞬間から、一日も休まず『死なないための鍛錬』を続けるなど、まともな人間にできることではない。自分の人生をどう生き、どう死ぬか。それを子供時代から思い定め、そのために心と身体を自らの手でデザインし、彫り上げるのだ。
 瑞波の国の世継ぎとして生まれ、国を継いで君主となり、アマツの統一を目指して死ぬまで戦い続けること。
 そんな苛烈な意思を四股の一踏み一踏みに込めながら、自らの骨の一本、筋肉の一筋、血の一滴に至るまで、まるで言い聞かせるように鍛え上げるのだ。
 その日々を思う時、さすがのアクトも背筋が冷たくなるのを止められない。
 (自分の運命ってやつを、欠片も疑ってないんだよな。この人は)
 『一条流』として生まれ、生き、死んでゆく。そんな自分自身への揺るぎない確信。この恐るべき肉体は、その尋常でない半生を最も雄弁に語る、いわば語り部でもあるのだった。
 「アクト、報告」
 「あ、はい。『マグフォード』は一度目の爆発後、左右両方の気嚢後部に火災を起こして落下。その後は雲に隠れて見えませんでしたが、直後に二度目の爆発を起こしました。轟沈と推定されます」
 「ふん」
 流が悠々と四股を踏みながら鼻を鳴らし、
 「『キョウ』」
 一つの名前を呼んだ。
 「……んがぁ?」
 流の呼びかけに、さも『私は寝起きでございますヨロシク』と言わんばかりの、何とも間の抜けた返事が返って来た。どうやらベッドの上でひっくり返って寝ていたタートルコアの一人らしいが、規律の厳しいタートルチーム、いや軍隊ならどこだって懲罰間違い無しというダラっぷりである。
 しかしどういうわけか一条流、それを咎めもせず、
 「確認」
 「……うーい」
 流の命令に、適当にもほどがある返事が返る。しかも驚いたことにベッドから起き上がりすらしない。
 しかし何より驚異的なことは、『キョウ』と呼ばれたこのメンバーの態度を、あの流が再びスルーしたことだった。なにせこの若様の『規律好き』は誰しもが認めるところ。相手がどこの何様であろうとも、部隊行動中にこんな態度を許すなど、ほとんど異常事態と言っていい。
 「……んー、今は大丈夫っす。だーれも盗聴してないっすよ、リーダー」
 相変わらずの脱力声で報告が返る。声だけ聞いた限りでは男か、それとも女なのかちょっと分からない、何とも不思議な声だ。
 「ご苦労」
 「うーい……」
 とうとう最後までベッドから起き上がりもせず、しかもどうやらまた寝てしまったらしい相手に、何とねぎらいの言葉まで出た。もう奇跡のバーゲンセールだ。
 それにしてもこの『キョウ』なる人物、一歩も動かないどころかベッドにひっくり返ったままで、部屋の盗聴の有無をどうやって知ったものか。だが流はその報告を無条件で受け入れたらしい。
 「沈没は偽装だろう。恐らく『マグフォード』は健在だ」
 相変わらず四股を踏みながら、はっきりと断言した。
 「偽装?!」
 思わず聞き返したアクトだけではない、部屋のあちこちで好き勝手に過ごしていた他のメンバーも一瞬、それぞれの動きを止めて彼らのリーダーを注視する。
 「いいか? まず一度目の爆発で報告された真っ赤な炎と黒煙は、明らかにエンジンの燃料が引火したものだ。飛行船の気嚢ガスは安全のために遅燃性のものが使われているから、そもそも爆発しない。なのにその後の様子を聞けば、船体に目立った損傷はなく気嚢の一部が燃えていただけ。確かに気嚢が燃えるのは致命傷だし派手にも見えるが、爆発の性質とは矛盾が生じる。恐らく外付けの燃料タンクか何かを切り離して爆発させたんだ」
 さすがというか、見てもいないのにずばりと正解を言い当てる。
 「となると、一度目とほぼ同じ炎と煙が上がった二度目の爆発も、同じく偽装と見るのが自然だろう。船の性能的では劣るが、指揮官の役者は上だったということさ。……ま、『アレ』より下がこの世にいるとも思えんが」
 見事な洞察、そしてプロイスに対してはとことん辛口である。
 「ところでアクト。その後にもう一騒ぎあったようだが、何だ?」
 「遊びですよ、またいつもの」
 さすがのアクトがバカにしたように肩を両手を広げる。
 「『放浪の賢者』の救出に、一人で『マグフォード』を飛び下りた奴がいた、って報告しましたでしょう?」
 「ああ。結局、賢者は助けられず、ケガ人だかを救出したのだったか」
 「そう、その『勇者様』です。で、そいつが船に戻らず島に残っていたのを、わざわざ『セロ』で追い回してたんですよ。最後は空港への連絡トンネルに逃げ込んだところへ、エネルギーウィングを撃ち込んで、それで終わり。さすがに生きちゃいないでしょう。気の毒なこってす」
 「ちっ……!」
 四股のリズムは崩さず、しかしまたもや盛大な舌打ちが響く。
 「毎度つまらんことするもんですな、プロイス閣下も」
 「その『勇者様』とやらも自業自得だ」
 流の言葉は辛辣を極める。
 「状況から見て『マグフォード』の船長が指示したとは思えん。義憤に駆られたか何か知らんが、その手の衝動的なスタンドプレーは無意味どころか、逆に味方全体を危険にさらすだけだ。貴様らもよく憶えておけ」
 じろり、と部下を見回す。
 「そういうのが許されるのは、おとぎ話の中の英雄様だけだ」
 高々と振り上げた四股の足をゆっくりと床に降ろし、ずん、とひとつ地響きを起こしておいてから、
 「……ま、オレの幼なじみは別だが」
 ぼそり、と呟いた付け足しは小さすぎて、誰にも聞こえない。
 プロイスの来訪が告げられたのは、まさにその直後であった。
中の人 | 第十三話 「Exodus Joker」 | 12:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十三話 「Exodus Joker」 (4)
  「改めて紹介しよう、タートルリーダー。こちらの御方こそ誰あろう、千年の時を生きる戦前種にしてセージキャッスル至高の称号・『放浪の賢者』保持者でいらっしゃる、翠嶺殿だ」
 まるで自分がそうであるかのように得意げなプロイス。
 が、流と翠嶺はお互いに視線を交わしたまま、それを無視。代わりに、比類なき観察眼を持つ2人の天才が、お互いを存分に値踏みする。
 そのまましばし、口を開いたのは流。。
 「これ、本当に『翠嶺師』本人か?」
 いきなりとんでもない事を訊かれ、さすがのプロイスがキレた。
 「間違いなく御本人だ! 貴様、無礼にもほどがあるぞ!」
 「ふーん」
 流がまた馬鹿にしたように腕を組み、鼻を鳴らした。上半身は相変わらず裸、下半身は簡易着の短パンという、およそドレスコードの欠片もない格好。だがそうやって腕を組むと、上腕や胸部を中心とした重厚な肉体がさらに強調され、これまたなかなかの見物である。
 「ご本人でございます、と言われても、にわかには信じがたいな。あの程度の偽装にまんまと引っかかるわ、手もなく取っ捕まってこの有様だわ、伝説の賢者様の振る舞いにしては、どうにも間が抜けすぎている」
 辛口の分析を披露しながら、拘束されたままの翠嶺の姿を上から下まで、思い切り醒めた目でゆっくりと眺める。
 そこは若様、相手を見下す表情と姿がこれほど似合う男も世に稀だ。その辺のゴミか虫ケラを見る目の方が、まだ敬意がこもっているだろう。
 (こいつ……!)
 プロイスの侮辱にはびくともしなかった翠嶺でさえ、この視線の前では思わずカッとなってしまう。流の指摘は確かに正しく、翠嶺にしても反駁の余地はないのだが、こんなどこの馬の骨とも知れない初対面の若造に、ここまで見下される覚えはなかった。
 翠嶺先生、まだまだお若いのである。
 「ふん。貴様のような下賎の輩と違い、私はこちらの賢者殿とは近しくお付き合いをさせていただいていたからな。この方は間違いなく放浪の賢者・翠嶺殿だ」
 プロイスが何とか主導権を取り戻そうと熱弁を振るうが、取り合う流でもない。
 「もしそうなら失望の至りだ。いやしくも賢者を名乗るなら、もっと慎重に行動を……」
 辛口の批評がなおも続く、と見えたその時である。
 流の口がふ、と止まった。分厚い胸の前に組んだ太い腕がゆっくりと解かれ、その強い視線がじっと一点に据えられる。
 「?」
 流に見つめられた翠嶺の頭の上に疑問符が浮かぶのと、流が動くのが同時だった。
 アマツ人には珍しいほど長く、そして鍛え抜かれた太い脚を、翠嶺の方へ大股に運ぶ。ただ普通に歩いただけなのに、まるで超大型の熊か何かが動き出したような迫力、そして凄まじい圧迫感。室内の空気が激しくかき混ぜられた余波で、翠嶺の髪や教授服の振り袖までがふわり、と揺れる。
 「お、おい!」
 プロイスが抗議の声をぶつけるが、流、当然のごとく意に介さない。余りの迫力に、翠嶺でさえ思わずその巨体を見上げてしまう。が、こうして拘束椅子に座らされた状態では、よほど頭を仰け反らせなければ、流の顔はおろか分厚くせり出した胸の先ぐらいしか見えない。
 だが翠嶺がその努力をする必要はなかった。
 すう、と流が片足を退き、膝を床に着いてひざまずいたのだ。
 貴人の御前に控える武士の礼。流のケタ外れの巨躯が一塊となり、まるで巨大な自然の岩を、目の前にごろり、と置かれたような存在感を醸し出す。
 「御免」
 流が一言、断りを入れると、巨大な腕を翠嶺の方へ伸ばし、その大きな手で何かをつまみ上げる。
 「……『羽根に星入りの蝶』とは懐かしい」
 流の大きな手の上に、翠嶺の振り袖の先に結われた一羽の蝶が揺れる。
 『クリーミー』と呼ばれる蝶の姿のモンスターに似せ、紐を複雑に結い合わせた袖飾り。その羽根にはどうやったものか、一対の星が結い込まれている。
 それは翠嶺が『マグフォード』を降りる直前、教授服のあちこちに結わせたものだが、『タネガシマ』での騒動であらかた解けてしまっている。結い方が特殊すぎて、翠嶺の身だしなみを整えたレジスタンスの女性隊員にもさっぱり直すことができなかったため、右袖にたった一つだけ残った紐の蝶。
 「それがしも一羽、故郷のアマツ・瑞波の国で見たことがあります」 
 先ほどまでの鋭さが消え、むしろ柔らかな響きさえ帯びた流の言葉が、翠嶺の耳に木霊する。
 (『アマツ』? 『瑞波の国』?)
 思い出せ。
 『マグフォード』の甲板でその蝶を結ってくれた、あの男はどこの誰で、名を何と言ったか。

 (『羽根に星入りの蝶』は……)

 そう。あの男は。

 (……手前のオリジナルでございます)

 『瑞波の無代』。
 彼は確かに、自分にそう言った。

 「てっきり我が故郷、瑞波の国にしか棲まぬものと思っておりましたが、聞くところでは最近、こちらの大陸にも渡って来ているとか」
 指で摘んだ蝶を、流がその広い掌に乗せる。
 「ひょっとして今は、このジュノーにも棲んでおりましょうか? 翠嶺先生?」
 翠嶺の目を真っすぐに見つめ、流が尋ねる。
 太く濃い眉の下の、何か磁力を帯びたような黒い瞳。知性と剣呑さが見事に同居した、その希有の輝きの前に、翠嶺でさえぞくり、と背筋を震わせる。
 この巨漢が今、自分に何を問うているのかは明白だった。この蝶を結えるのはこの世に『瑞波の無代』ただ一人、それを承知の上で、彼の所在を自分に語らせようとしている。
 『無代は今、ジュノーにいるのか?』、そう訊いている。
 『セロ』に囚われる翠嶺を助けようと『マグフォード』を飛び降りた無代は、少年水夫・草鹿を救出した後、そのまま空中都市ジュノーへ入ったはずだ。
 途中で『セロ』に襲われ、プロイスからはその死を告げられてはいるが、彼女は無代の死を信じていなかった。あのしぶとさの塊のような男が、やすやすと死ぬとは思えない。
 言い方は変だが、『たかが戦前機械に襲われた程度』でくたばる、無代が本当にその程度の男ならば、そもそもここまで生きて翠嶺に出会うこともなかったろう。
 無代は今も生きてジュノーにいる、それは翠嶺の中ではほとんど確信に近かった。
 (……だが、それは教えられぬ)
 翠嶺の脳裏で警報が鳴る。
 なぜなら目の前の巨漢が何者で、何の意図を持って無代の所在を訊くのか、自分たちにとって敵なのか味方なのか、何一つとして分からないからだ。
 そんな状態で下手に情報を明かせば、自分はもちろん無代までを危険にさらしてしまう。いや、自分はもういまさらどうなろうが覚悟の上だが、そこに無代を巻き込むのだけは断固として避けなければならない。
 そもそも『伝説の賢者ならば慎重に行動しろ』、そう翠嶺を非難したのは他でもない、目の前のこの男ではないか。
 「……」
 答えの代わりに翠嶺の目が、流のそれを強く射返した。
 その無言の視線こそ巨漢への試し、翠嶺先生からの抜き打ちテストである。
 戦前種とて神ではないから、以心だの伝心だのできるはずもない。だが、お前が『瑞波の無代』を知る者であるならば、言葉を使わぬ視線だけのメッセージとて受け取ってみせろ。
 その意思を込め、エメラルドの瞳を光らせる。
 「……ごもっともです」
 流が即座に、深々と頭を下げた。さすが一条流、翠嶺の意図を苦もなく受け取ったようだ。
「申し遅れもはなはだしく、まことに失礼を致しました、翠嶺先生」
 紐の蝶から手を離し、居住まいを正す。両手を腰の前に置き、背筋を伸ばして胸を張れば、椅子に座った翠嶺よりも遥かに目線が高い。
 「それがしはアマツ・瑞波の士にて、名を『一条流』と申します」
 威風堂々。
 その言葉がこれほどふさわしい名乗りはまたとないだろう。
 翠嶺は瞬間、自分が表情や顔色を変えなかったか、それを隣にいるプロイスに悟られなかったか、その事だけに総ての感覚を動員した。そして幸いにして、プロイスが不審以外の何も悟っていないと分かり、胸を撫で下ろす。
 『一条流』。
 名乗られたその名は。
 そう、その名前こそは。
 
 (念願の男の子を授かりました。名は『流』。私達の夢の器です)


 翠嶺の脳裏を一つの記憶が、まるで昨日の出来事のように思い出される
 遠い異国の王に嫁いだ、誇り高く美しい女弟子。その元からはるばる届いたその手紙は、封を開けると微かな香の匂いがした。そして艶やかな花の透かし入りの便箋の上、懐かしい文字が喜びに踊るのを、何とも言えない嬉しい気持ちで読んだものだ。
 『一条巴』、旧姓『冬待巴』から届いたその手紙は今も、ジュノーにある翠嶺の研究室の文箱に大切に仕舞われているはずだ。
 一度は会いに行かなければと、アマツに足を伸ばそうとしたまさにその旅路で、二人の幼い弟子を敵に奪われてしまったことは、正しく不幸な巡り合わせだった。
 では今この場所で、その弟子が生んだ『夢の器』と出会えたことを何と呼べばいいのか。あまりと言えばあまりな巡り合わせに、戦前種たる翠嶺の心さえも驚きで満ちる。
 しかしまあ、これが『器』というなら、それを満たす夢とは一体どれほどのものだろう。あの金の髪の女弟子は確かに野心家だったけれど、産み落とした息子までがこの調子とはさすがに想像しなかった。
 (世界でも征服しようというのかしら、あの子ったら)
 表情に出さないように、苦労して笑いをかみ殺す。もっともその女弟子が本気でそのつもりだと、この時は想像もしていない。
 「失礼を承知で今一度、お尋ね致します、翠嶺先生。星の蝶は今、ジュノーの空を飛んでおりますか?」
 翠嶺の目を見つめたまま、流が質問を繰り返す。その漆黒の瞳にも、黒々と豊かな髪にも、『男』を凝り固めたような貌にも、あの女弟子の眉目麗しい面影を探すのは難しい。しかし、
 (ああ、間違いなくあの子の息子だ)
 流の顔を見つめながら、翠嶺はそう確信する。
 その顔に面影はなくとも、まっすぐに翠嶺を見る表情、この表情にこそ覚えがある。いや覚えがあるどころではない、何度も見すぎて脳裏に焼き付いてしまっている。
 己の意思を貫き通さずにはおかぬ、その揺るぎない表情。計り知れぬ自負と誇りに満ちたこの表情こそ、紙に書かれたどんな書類よりも確かな出生証明書だ。
 その才気を慈しみ、誇り高さを愛し、時に頑固さに手を焼いた、あの忘れ得ぬ愛弟子が産み落とした息子が今、自分に答えを問うているのだ。
 なんと不思議な、しかし奇妙な力強さを感じる巡り合わせだろう。
 (だが、どうする!?)
 翠嶺は自分に問いかける。
 この男があの女弟子の息子ならば『星入りの蝶』も、『一条家の小者』を名乗った無代を知っているのも当然だろう。
 ならば自分たちの味方なのか? その保証はあるのか?
 (……ない)
 この男が味方であるという保証はない。
 無代が今ジュノーにいる、それを教えるのは危険だ。翠嶺の理性はそう告げる。
 だが、
 「……」
 翠嶺の顎が、肯定を示して微かに引かれていた。
 翠嶺は流に、答えを与えたのだ。
 (これが運命というものならば……)
 翠嶺の中の想いが、理性の忠告を覆す。
 その千年を超える長い寿命の中で、『偶然』というものがどれほどアテにならない、不確かなものであるかを痛いほど知っている彼女だ。
 だが同時に、そこに何者かの意思が働いたしか思えない『偶然』が存在することもまた、経験として知っている。まるっきり無関係のランダムな出来事のようでいて、振り返ってみれば緻密な計算の上に織り上げられた、見事なタペストリーでもあるかのような景色が広がっている、そういうことが確かにあるのだ。
 だから、この場で流と出会ったこと。
 ジュノーの山中で、空から落ちて来た無代、D1と出会ったこと。
 一条香、ヤスイチ号、クローバー。
 そして遠くは、冬待巴という弟子を持ったこと。
 それらの出来事が、まるで一つの物語のように結実する様を目の当たりにして、翠嶺は思ってしまったのだ。
 (ならば、その先を見てみたい)
 その思い、その好奇心こそが、普段の翠嶺にはあり得ない行動を取らせた。目の前を過ぎてゆく大河の如き運命の流れに、自分と世界の運命を委ねたのだ。
 「左様ですか……良いお話を承りました。ありがとう存じます、翠嶺先生」
 流が少しだけ目を閉じると、
 「聞けば『星入りの蝶』が留まった者には、必ずや幸運が訪れるとか」
 何とも『らしからぬ』言葉と共に、流の太い唇が偽りのない微笑みを浮かべた。
 抗いがたい魅力に満ちた頼もしい笑み。実父の銀が、義父の鉄が、一条家の血を引く男達が等しく天から授かるその笑みを、この若者も確かに受け継いでいるのだ。
 「翠嶺先生におかれましても、どうか希望を失われませぬよう」
 これまた『らしからぬ』力づけの言葉を贈り、深々と頭を下げると、つ、とその手を翠嶺の方へ伸ばす。
 翠嶺の優美なそれと比べると、まるでグローブのように巨大な流の手と指。それが意外なほど器用に動き、そして一つの成果を造り上げる。
 翠嶺の左袖、無代の結った『星入りの蝶』が揺れる右袖と反対の袖に、もう一つの蝶が舞っていた。
 それは左袖と比べればずいぶんと歪で、当然ながら羽根に星も入らない。しかしそれでも、この目の前の巨漢が結ったとは到底信じられない繊細さを持って、翠嶺の振袖の先を飾る。
 「残念かな、それがしには星を入れる技がありません。どうかこれにてご容赦を」
 そして今度こそ完璧な礼儀に則り、ひざまずいた姿勢のまま一歩退がってから立ち上がる。
 「もういいぞプロイス。翠嶺先生に失礼のないようにな」
 ついさっきまで偽物扱いしておきながらどの口が言うか。だが一条流、そんなことは奇麗さっぱり忘れたように、プロイスを顎で追いやる。
 翠嶺への礼儀とは正反対の、人を人とも思わない仕草に、プロイスの貌がもうどす黒く染まる。
 「……憶えていろよ貴様。そのうち自分の立場を思い知らせてやるぞ」
 絵に描いたような捨て台詞だが、もちろん流は歯牙にもかけない。
 「好きにしろ。だがプロイス。貴様、もし万が一にも翠嶺先生に非道を働いてみろ」
 ぎらり、とその瞳を鋭く光らせ、巨大な身体に凄まじい鬼気を漲らせる。
 「思い知るのは貴様の方になるぞ……!」
 余人が凄んだのではない。
 これまた一条家の男が血と共に受け継ぐ、剣呑な上に剣呑を重ねた極めつけの恫喝だ。その前ではプロイスはもちろん、感情のない『BOT』の女性兵士までがびりり、とその身体を震わせてしまう。といって恥じることはない、この恫喝をまともに食らってビビらない人間など、この世にほんの一握りだ。
 それも一条の血族を除けば、瑞波の君主を支える護国の鬼ともう一人、『星入りの蝶』を結った幼なじみぐらいだろう。
 「では翠嶺先生、またいずれ」
 お目にかかります、と、両手を太腿の上に置き、丁寧に別れの礼。それに対して翠嶺もこくり、とうなずいて見せたのは、半分は一条流という男を認めた証拠であり、もう半分はプロイスに対する当てつけである。
 その効果こそてきめん、ふんっ! とプロイスが鼻を鳴らすと、『BOT』に翠嶺の拘束椅子を押させて部屋を出て行く。横開きの自動ドアが開き、また閉まった。
 それを確認したアクトが、ふ〜、とため息をつく。
 「勘弁して下さいリーダー。あんまプロイスの大将からかっちゃあ、黙って船から落っことされかねませんぜ」
 ドアに向かってまだ頭を下げたままの流に苦情を訴える。いや、アクトだってこの若様に意見などしたいわけではないが、これも役目だ。
 階級上、タートルチームにおける流の副官はユークレーズ少年だが、彼にリーダーへ意見する力量などまるで無いことは、当のユーク自身さえ百も承知。実際にその役を務めているのは実戦経験の豊富なこのアクトや、サリサを始めとするユニットリーダー達である。
 「ま、あの大将プライドだけは百人前ですから、こんなトコでこっそり殺ったりはしないと思いますがね。でもあんま無茶にイジると分かりませんぜ。まんま餓鬼ですし、中身」
 「アクト」
 流がアクトの言葉を問答無用で遮った。その視線は翠嶺が連れ出されたドアの方向に置かれたまま。
 アクトにしてみれば、流が自分の忠告をまるで聞いていないことは想定内だが、直後に流から発せられた質問は明らかに想定外。
 「さっきの戦闘で『マグフォード』から飛び下りたという、『勇者様』の特徴を報告しろ」
 「……は?」
 「何でもいい。そいつについて憶えていることを全部言え!」
 流の語気が強まる剣呑な気配に、アクトは慌てて記憶を探る。アクトの目には戦場の情報を集めるため、視野の拡大や望遠の効果を持つ魔法陣が仕込まれており、常人より遥かに多くの視覚情報を得ることができる。が、ユークレーズのような卓抜した記憶力があるわけではないので、細かく思い出せと言われると人並みの苦労はある。
 「成人男子、髪と目の色は黒、身体はかなり鍛えた長身……」
 記憶を絞り出しながら、できるだけスラスラと答えていく。でないとこのリーダー、機嫌が悪くなるのだ。
 「人種はアマツ系と思われます。身体の動きはちょっと不思議で、素人ではないですが、正式な訓練を受けたものでもない。鷹を指笛で操ってましたが、鷹師でもないようで……」
 「『指笛』だと!?」
 「え、ええ。この船は防音なんで音は聞こえませんでしたが、明らかに指笛を……」
 「他には!」
 「あ、あとは……そうだ、身体にえらい傷跡が」
 「『傷跡』?!」
 「は、はい。ケガ人助けるのに服を脱いだ時、全身に傷があるのが見えまして。えーと特にデカいのが……」
 アクトが記憶を探る。
 「両手と両足首、それに首にも見えました。よくまあ生きてますねコイツ」
 「……」 
 「リーダー?」
 返事はない。その視線は宙を睨み、じっと何かを考えている。
 異常事態。
 部屋の中でバラバラだったタートルコアの面々に、さっと緊張が走る。だが緊張と言ってもそれは精神面だけ。身体の方はむしろリラックスして見えるのは、彼らが本当の意味で修羅場慣れしたプロフェッショナルぞろいであることを示す。
 これから何が起きようとも即座に対応し、状況を打破できる強者たち。だがその彼らでさえ、その後に起きた事態に対応することは不可能だった。
 それほどまでに予測不可能で、そして理解不可能なことが起きる。
 宙を睨んだままの流の巨体が一瞬、びくっ、っと震えたと見るや、

 「ぶっ……わはははははは!!!!!!!!!!」

 流の大きな口から何と、紛れもない爆笑が噴き出したのだった。
中の人 | 第十三話 「Exodus Joker」 | 12:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十三話 「Exodus Joker」 (5)
 
 「?!」
 アクトらタートルコアの面々が、思わずぽかんと口を開ける。
 「わははははは!!! あっははははは!!!!!」
 流の笑いが止まらない。巨大な身体を仰け反らせ、あるいは二つに折り、時々苦しそうにさえしながら笑い続ける。
 普段はどんな非常時にも沈着冷静な態度を崩さない流だが、では全く笑わないのか、と聞かれれば決してそんなことはない。部下が冗談を言えば笑うことも珍しくないし、酒を酌んでも明るい酒を飲む方だ。
 だが、さすがにこの様子は明らかな異常。
 流と共に厳しい訓練と実戦をくぐり抜けてきたタートルコアの面々も、こんなリーダーの姿は今まで見たことがない。ただ困惑し、お互いの顔を見合わせるばかり。
 「……」
 その全員の視線が最後に、アクトの方に集まる。何となく予想はついていたが、どうやら貧乏くじはやっぱり彼の役目のようだ。
 はー、とひとつ、ため息をつくと覚悟を決め、
 「あのー、リーダー?」
 恐る恐る声をかけたアクトの方へ、いきなり流ががばっ、と振り向いた。
 「?!」
 面食らうアクトに向かい、流の目が炯と光る。
 
「……来た!!!」
 
 流が叫んだ。突然の大声に、アクトが目を丸くして飛び上がる。
 「来たぞ! あいつが……あの野郎が! ついにここまで来やがった!!」
 何かに憑かれたように、流が叫び続ける。
 「しかも何だと?! 『マグフォード』だと!?『戦前種』だと!?  『放浪の賢者』だと?!   相変わらずにも程度ってものがあるだろう!?  どうしていつもいつもこうなんだ、あいつときたら!!」
  くっくっくっ、とまだ笑いの発作が収まらない。
 「首都でショボくれているっていうから心配していれば……いや、オレもいい加減、学習すべきだったな! あいつに心配なんぞ無用、いや全くの無駄だってことを!」
 ひたすらゲラゲラ笑いながら、周囲の人間にはまるで意味不明の言葉を並べ立てる流に、さすがに心配になったアクトが顔をしかめる。
 「リーダー!? 一体何が始まるんです?! 非常事態ですか!?」
 「『何が始まるか』、だと?!」
 問いただすアクトの腕を、流の巨大な腕ががっちりと掴んだ。
 「『もう始まっている』! そんな吞気してる場合か、アクト=ウィンドよ! もう始まっているぞ!」
 完全に面食っているアクトに、流が言葉を浴びせかける。
 「 のんびりしているヒマはない!  何もかも台無しにされる! 将棋盤はひっくり返され、サイコロは目を回す! ついでにジョーカーがクイーンを寝取って駆け落ちだ!」
 ひとしきり笑いを振りまいた流がいきなり真顔になり、部屋の端に寄せられたベッドにつかつかと歩み寄った。
 そこにはタートルコアの中で一人だけ、未だにひっくり返って寝ている人間が一人。
 「起きろ、キョウ!!」
 流の巨腕が力任せにずるぅっ!と、ベッドの中からその一人を引きずり出した。 
 「……んがぁ!?」
 足首を掴まれた『逆さ吊り』になったのは、意外なことに女性である。とは言っても痩せぎすの身体に女らしいラインは見当たらず、せっかく伸ばした黒髪もあまり手入れされていないようで、バサバサの髪が逆さ吊りにだらん、と床へ垂れている。
 例えは悪いが幽霊屋敷のアトラクションに飾られる、出来の悪い死体のオブジェのようだ。
 「なんすか〜、リーダー?」
 しかも逆さ吊りに叩き起こされてさえ、まだ半分以上寝ているらしい。
 「非常事態だ、キョウ。今から少なくとも48時間、睡眠は禁止。周囲の警戒に当たれ」
 「うい〜っす」
 なんと流、キョウを釣り上げたまま命令を下し、キョウはキョウで飄々とそれに答える。しかし痩せているとはいえ、かなりの長身のキョウを片手一本で悠々と吊り上げる、この腕力はさすがとしか言いようがない。
 「オレたちの武器と装備はどこにある?」
 「わっちの刀なら、向いの部屋から動かされてないっすよ」
 即答。が、しかしこのキョウ、先ほどの盗聴の有無といいなぜそんなことが分かるのか。
 「みんなの装備も、おおかた一緒にそこっすね」
 「間違いないな?」
 「間違いないっす」
 キョウが逆さ吊りのまま、器用に胸を張る。
 「わっちの刀、『大水蛇村正(オオミヅチムラマサ)』は『真物』っすから。世界中どこにあったって、わっちにゃ気配だけで丸わかりっす」


 『村正』


 ここでキョウの言う『村正』という刀は、いわゆる『妖刀』として知られている。持ち手に強力な力を与えるのと引き換えに、厄介な呪いをかけるためだ。
 『村正』という名前はもちろん、刀を鍛えた刀鍛冶の名に由来するが、実は刀鍛冶・村正本人が鍛えた刀、いわゆる『真物』の数はそれほど多くない。
 現在、世に出回っている『村正』は、そのほとんどが後世に作られたレプリカ、すなわち『真物』の刀を砕いて分割し、少しずつ練り込んで作られた、いわば『劣化コピー』である。
 だが現在でも稀に完全な『真物』、つまり村正本人が自ら鍛えた刀が発見されるケースがあった。
 人間型のモンスターを倒した時、モンスターがまだ人間だった頃に入手し愛刀としていた村正が、遺留品として手に入る事があるのだ。『村正遣い』として名高いアマツ・瑞波の元町奉行、泉屋桐十郎の『無反り村正』(外伝『祈夏』参照)がそうだし、このキョウの言う『大水蛇村正』もまた、魔物の巣窟と化したグラストヘイム廃城で発見された、村正史上最長の刃渡りを誇る細身の長刀である。
 そして『真物』ゆえに、その呪いも本物。
 「わっちがアレの気配を読み間違うとか、死んでもあり得ねえっすわ」
 「よし。『マグダレーナ』は?」
 「隣の部屋。こっちもずっと気配が動いてないっすから、落ちたまんまっすね多分」
 『ウロボロス4』を統括する女傑・マグダレーナ・フォン・ラウム。
 しかし『セロ』と戦って敗れた隙を突かれ、流の麻痺武器で心臓を刺された挙げ句、敵に寝返る手みやげとして捕縛されている。その後は流たちと同様、取り巻きの『月影魔女』達と共に『セロ』に連れ込まれているのだが、どうやらそのまま意識が戻っていないらしい。
 「よし。さっきの間抜けな賢者殿の気配は憶えたな?」
 翠嶺に対して敬意は表しても、やっぱり『間抜け』の評価は変わっていない。その辺はいかにも若様だ。
 「バッチリっすよ。世にも珍しい『戦前種』の気配っすからね、忘れっこねえっす」
 「よし」
 流がうなずき、腕に掴んでいたキョウをぽい、と無造作にベッドの上へ放り出した。この扱いの適当さから、規律に厳しい流がこのキョウのダラっぷりを許している、その理由が分かる気がする。
 どうやら流、キョウを部下と思っていない。
 部隊の『備品』か、よくて『軍用犬』か何かと認識しているらしい。
 投げられた当のキョウは長身をくるりと回転させ、両手両足でベッドにすとん、と着地。ネコ並み、もしくはそれ以上の体術。しかも流との会話から、壁越しの離れた場所にいる人、あるいは物の気配を感じ取る異能の持ち主でもあるらしい。そういえば流の許嫁である静にも同じような力があるが、キョウも同じ剣士、どうやら同類と見えた。
 「あのべっぴんのセンセーは今、プロイスの大将と一緒に船の後方へ向かってるっすね」
 「後方か……そこに何がある?」
 「今はわかんねーっす。ずーっと妙な気配をビンビン感じてるっすけど……」
 ベッドの上に胡座をかき、ポキポキと首を鳴らしながらキョウが顔をしかめる。
 「村正を握らしてもらえりゃ、もーちょいハッキリするっすけど。アレ握ってねーと、どうも調子出ねえっすわ」
 わきわき、と両手の指を閉じたり開けたりするのは、どうにも手が寂しいという意味か。『村正を握ればわかる』というのも意味不明だが、言われた流は表情一つ変えない。
 「わかった。引き続き警戒。部屋の盗聴が始まったら即、報告しろ。武器やマグダレーナに動きがあってもだ」
 「了解っすー」
 胡座のままでぴっ、と返した敬礼は、掌を相手に向けて自分の額を叩くという最低の礼。
 だが、例によって流はスルー。
 「よし、全員聞け」
 流の号令が飛び、室内のタートルコア全員がぴり、と緊張する。
 「これから48時間以内、早ければ24時間以内にも、何らかの異常事態が発生『する』。その状況次第で我々はこの船を奪取、つまり『乗っ取る』」
 「キタコレ!」
 ぽん、と手を打って笑ったのはキョウ一人。他のメンバーはさすがに驚きを隠せない様子だが、流は構わず続ける。
 「この船を手に入れれば、もはや『ウロボロス4』もルーンミッドガッツ王国も、何もかもが無意味だ。……キョウ」
 「ういっす?」
 「マグダレーナが邪魔になった場合は、お前が斬れ。やれるな?」
 とんでもない事まで言い出す。が、言われたキョウは、
 「わっちの村正さえありゃあ、ドコの誰様とだって相打ちまでは保証するっすよ」
 闇夜に血の筆で描いた、不吉な三日月のごとき笑みを浮かべるのみ。
 「たとえ相打ちでも、必ず蘇生させてやれるとは限らん。先に別れは言っておく。さらばだ」
 「……コレだよ、まったく!」
 言われたキョウの笑顔が、ぶっ壊れたレベルまで拡大する。快楽は一周回れば苦痛になり、もう一周回れば狂気に至る。
 「マジで言ってんだもんなこの人、たまんねえよもう」
 くっくっくっ、とキョウの肩が震え、その肩を自分で抱きしめるようにベッドに突っ伏す。
 「いいっすよ、オッケーっす。死んでやろうじゃないっすか。『完全再現種(パーフェクトリプロダクション)』が相手なら絶賛、何の不足もないっす。でも一つだけ」
 ぴょこん、と頭だけ上げて流の目を見上げ、
 「わっちが死んでも、村正だきゃあ死体の側に置いといてやって下さい。何ならわっちの身体にぶっ刺しといてくれてもいいっす」
 身体を起こして座り直したその表情、狂気がもう一周して正気に戻ったらしい、清々しいにもほどがある笑顔。
 「アイツと離れちゃ、死にきれねえっすから」
 「よかろう、約束する」
 とても正常な人間が交わす言葉とは思えない契約が、どうやら円満に締結されたらしい。
 「ちょっ、ちょっと、リーダー。何が何だか分かりませんよそれじゃ!」
 当然の抗議の声。もちろん副官役のアクトだ。
 「異常事態が起きる、って一体何なんですか?! その『勇者様』とやらが何かするんですか?!  大体、何者なんですかそいつ?! リーダーのお知り合いですか!?」
 「ん? ああ、まあ知り合いかな。いわゆる幼なじみという奴だ」
 流がやっと真っ当な答えを返す。
 「その人が何をするんです?」
 「わからん。だが、『必ず』何か『やる』」
 確信に満ちた答えだったが、アクトは見るからに不満顔。
 「お言葉を返すようですが、リーダー」
 そう前置きしておいて、真正面から貧乏くじを引きに行く。
 「自分は傭兵上がりですから、人一倍ジンクスってヤツを気にします。戦の前にゃ、縁起も担ぐし願掛けもする。……でもね、それをアテにはしませんよ。『気休め』ってことを承知の上でやってる」
 「言いたい事は分かる、アクト」
 流は自分に異を唱えようとするアクトの態度に、むしろ満足そうだ。
 「オレだって別に迷信深い方じゃない。ツキやジンクスをアテにするほど落ちぶれてもおらん。それとも、そんな風に見えるか?」
 「見えるわきゃありません」
 アクトが肩をすくめ、
 「だからこそ、『らしくない』」
 ずばり、と指摘する。
 アクトのような傭兵に限らず、戦場で戦う者は皆、縁起を担ぐものだ。なぜならそこで勝って生き残るためには、何よりも『運』が必要だからである。
 それこそ神話の世界の英雄でもなければ、敵味方が入り乱れる戦場で必ず勝利し、命を長らえる保証などない。どれほど武芸に優れていようが、戦場経験を積んだ強兵であろうが、流れ弾一つ、流れ矢一本でも人は死ぬ。極端な話をすれば、行軍中につまずいて転んだって死ぬことはある。
 そこで生死を分けるのは、もう『運』としか言いようがないのだ。
 だが同時に、どれほど念入りに縁起を担いだところで必ず悪運を避けられる、などと本気で信じる者もまた、いない。ましてジンクスを守りさえすれば戦に勝てる、などと信じる人間がいるとすれば、それは間違いなくただの馬鹿、もしくは狂人だ。
 だからこそ、
 「リーダーの幼なじみさんとやらが、どれほど『持ってる人』かは存じません。でも言っちゃ悪いが、この『セロ』までどうにかなっちまうような状況を、それもたった一人で作れるとは、自分には到底思えませんね」
 アクトの指摘はあまりにも正しい。だがそれに対する流の答えは、彼には珍しく『斜め上』。
 「いや? アイツは持ってないぞ? アイツ自身はどっちかといえば、いたってツイてない男だ」
 「はあ……?」
 真顔で妙なことを言い出す流に、アクトが今度こそ思い切り眉間に皺を寄せた。まったく今日という日は驚いたり困惑したり、アクトの顔も百面相を極めそうな勢いだ。が、そうさせている流の方は、もちろん一向に気にした様子もない。
 「『持っている』のはアイツじゃない。『持っている』のはな……いいか? アイツと出会う人間の方なのだ」
 にやり、と、ひと笑い。
 「逆に言えば『持っている』者の元に、アイツは現れる。アイツに出会った人間は、少なからず『持っている』ということさ。いや『持たされる』と言った方がいいか」
 「……はあ?」 
 「さらに言うなら、アイツに出会った人間には必ず、何かやらねばならぬことがあるのだ」
 流の目が一瞬、遠くを見る。故郷・瑞波で過ごした少年、そして青年期の思い出が蘇る。
 「アイツに出会った、ということは何かのために、あるいは誰かのために、それこそ命がけでやらねばならぬことが、その人間にはある、ということだ。アイツという男は、そういう『もの』なのだ」
 「……申し訳ありませんが、さっぱりわかりません」
 アクトが両手を万歳。もっとも理解できないのは別に彼のせいではない、この説明で何か分かる人間がいたらお目にかかりたいレベルの、ほとんど妄言である。
 「ま、要するにだな」
 流がぐるり、と、誰よりも高い目線からチーム全員を見渡す。
 「このオレは間違いなく『持っている』ということさ」
 言っている内容は既に、余すところなく破綻している。
 だが流の目はあくまで真剣。
 「だからツキだのジンクスだの、そんなケチ臭い話はとっとと捨てて、このオレに賭けろ」
 これでもか、というドヤ顔。 
 「未だかつて誰も見たこともないものを、死ぬほど見せてやる。これは見ないと損だぞ?」
 恐らくはこれ、歴史に残るような感動的な台詞なのだが、言われたアクト以下、タートルチームの面々は揃って、はあ〜、とため息。
 顔には『縦線』。
ただベッドの上のキョウだけが、ゲラゲラ笑いながら、
 「ひっどいぃ! この人マジひっでぇよ!!」
 と胡座のまんまゴロゴロ転げ回っている。
 「……あーもう、わかりました。いや、おっしゃってる事はさっぱりわかんねえけど、わかりましたよ!」
 アクトが観念した表情で、全員の気持ちを代弁した。
 「どの道、アンタにくっ付いてこんな戦前機械の腹の中まで来ちまったんだ。こうなったらもう、とことん付き合いますよ。ええ、付き合わせてもらいますとも!」
 『納得した』、というよりは『開き直った』。
 いや、いっそ『諦めた』と言った方がふさわしいかもしれない。
 だが、そんな非合理的な決断を下した割に、アクト達の心の中は意外と清々しいから不思議だ。
 (俺達はまだこの人のことを、何も分かっちゃいなかったんだなぁ……)
 しみじみとそう思ってしまう。
 戦闘において流のような立場の指揮官に求められるのは、何よりも徹底したリアリズムだ。そこにファンタジーの介在する余地など微塵もあってはならない。運を天に任せ、サイコロを振って攻め退きを決めるぐらいなら、いっそ犬か猫にでも指揮させる方がまだマシというものだ。
 だが、そんなリアリズムの積み重ねから導き出される結果は、それもまたリアルの範疇に留まる。一手もミスなく最善手を打ち合った将棋の棋符は結局、誰かが過去に打ったか、あるいは未来に誰かが打つ棋符のコピーに過ぎない。
 リアルのその先、誰も見たことのない本当の未知を見ようとするならば、その積み上がったリアルの梯子を蹴っとばすしかない。
 そしてこの一条流こそ、まぎれもなく『蹴っ飛ばす者』。
 積み重ねたリアルの先、天上遥かな星の輝きを、その手につかみ取らんとする者だ。
 「よし、決まりだな。大丈夫、損はさせん」
 浮べた笑みはどう見ても悪役、いやむしろラスボス的。
 そう、この男は『戦闘指揮官』などというお行儀の良いものでは全くない。
 ただのペテン師だ。
 山師で、博打打ちで、ヤクザで、賊徒で、鉄火者で、無法者で、無頼漢で、勝負師で、山賊で、海賊で、ガキ大将で、夢想家で。
 そして、そのすべての頂点に駆け上ろうとする者。
 神も仏もアテにせず、ただ自分を、自分の運命というものを一片の疑いもなく生きる者。

 つまり、漢(おとこ)だった。
 
「ま、安心しろ。一から十まで丸っきりの神頼み、というわけでもない。アイツは今、オレの義妹……許嫁と一緒のはずだ。下手をするとその姉、もう1人の義妹もだ」
 流の許嫁、一条静が無代の元を訪れていることは、流がマグダレーナから得た情報でも明らかだ。となれば、無代の許嫁でもある香が黙っているはずがない。『マグフォード』の騒動の際、義妹達が目撃されていないことからみて、今は別行動を取っている可能性もあるが、むしろバラバラの方が脅威度が大きいのが彼らという存在だ。
 そしてもし、彼らに何かあったとなれば……。
 「例えるなら、今のアイツは火のついた導火線を引きずって歩く……そう、『ジョーカー』だ。そしてその導火線はオレの故郷、瑞波の国という超特大の爆弾に繋がっている」
 導火線の先にいるのは瑞波の君主・一条鉄。
 そしてあの殿様が『征くぞ』と一言、そのたった一言でいい。
 次の瞬間、この世界がかつて経験したことのない未曾有の大爆発が、およそ考えうる最大かつ最高速の規模をもって、この世界の何割かを確実に喰い尽くすだろう。
 そしてその爆発は敵を滅ぼすか、おのれが滅ぶか、あるいはその両方か、いずれかを持ってしか終息させる方法はないのだ。
 「もう一つ、別の理屈もありはするが、コイツはオレにも理解できんから、言っても仕方あるまい」
 流の脳裏に闇色の瞳と闇色の目、そして人の運命を見通す極めつけの異能を受け継いだ、人形のように美しい義妹の姿が映る。
 『運命特異点』
 流の義妹・一条香は、自分の想い男をそう評した。
 あらゆる運命が一緒くたに、それもあまりにも集まりすぎて真っ白に見えるほど集約された、特大の分岐点。関わった者の運命を必ず、予想もしなかった方向に変えてしまう万能の触媒。
 『霊威伝承種(セイクレッドレジェンド)』の力をその血に宿す、あの義妹の目をもってさえ一寸先も見通せない、まさに予測不能の世界を創り出す者。
 迷子の魔王も、独りぼっちの鬼も、引きこもりの姫君も、そして流自身を含めた数え切れぬ人々が、彼に出会ってその運命を変えた。
 その有様を目の当たりにし、そのワケの分からない力を骨身に沁みて知っている流だ。あの男が今、この状況でジュノーに乗り込んでおいて何も起こさない、などと考える方が無理というものだった。
 (今頃どこの誰に出会って、飯の一つも喰わして、服の一つも繕ってやって、気づけば一緒になって何をしでかしているやら、到底知れたものじゃない)
 こみ上げる苦笑いをかみ殺し、流は指揮官の顔に戻る。
 「全員これから48時間、準戦闘待機。そこからは後は交代だ」
 「イエス、リーダー」
 もう『通常業務』に戻ったアクトが敬礼。
 「ですがリーダー、一つだけよろしいですか」
 「何だ?」
 「そのお知り合いとやらの、お名前をお聞かせ下さい」
 そう言えば、言っていなかった。

 「『瑞波の無代』」

 「みずはの……むだい」
 全員がその名を頭に刻む。
 「そう、無代。オレの幼なじみで、義妹の婚約者。そして……」
 響きは誇らしく。

 「『天井裏の魔王の弟子』さ」
 
中の人 | 第十三話 「Exodus Joker」 | 12:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十三話 「Exodus Joker」 (6)
  飛行船『マグフォード』。

 それは賢者の塔こと『セージキャッスル』が、持てる知識と技術の総てを注ぎ込んで完成させた最新鋭の飛行機械である。
 サイズを絞り込んだ軽量の船体、珍しい双胴型の気嚢。これに独立して稼働する4つのエンジンを与えることにより、並の飛行船を遥かに上回る速度と機動性を発揮する。
 もちろん戦前機械(オリジマルマシン)である『セロ』と比較すれば、それこそお話にもならないような旧式の飛行機械であることは否定できない。
 だが、シュバルツバルドの空を知り尽くした『提督』アーレィ・バークの指揮と、それに完璧に応えたクルー達の奮闘により、その『セロ』を紙一重で出し抜いてジュノーを脱出してみせたことは、読者も既にご承知の通りであろう。
 そして今、その『マグフォード』の姿をジュノーの西方約10キロ、シュバルツバルドの山岳地帯に見ることができる。
 もうお馴染みとなった『マグフォード』の艦橋に、これまたお馴染みの紅茶の香り。それが船の危機をとりあえずも脱した安堵感、それそのものであるようにクルー達を包み込んでいる。
 「さあどうぞ、D1」
 テーブルに座ったD1の前に、バークが手ずから注いでくれた紅茶のカップが置かれた。
 「ありがとうございます、バーク船長」
 礼を言って手にしたカップ、その琥珀色の表面が、しかし微かに震えている。
 艦橋にしつらえられたテーブルと椅子、それは彼女が最初に翠嶺、無代と供にこの船で食事をし、架綯の部屋ではカプラシステムへの再アクセスを行ったあのテーブルだ。だからこうして座っていると、今はこの場にいない人々との短くも懐かしい思い出が蘇り、胸が詰まりそうになる。
 もう泣かない、と決めた目に涙が滲みそうになってしまう。
 (だめだ。私が泣いてどうする)
 湧き上る感情をぐっ、とこらえ、香り高い紅茶と共に飲み下す。
 ところで、そのテーブルで紅茶のカップを手にしているのはD1だけではなかった。
 『マグフォード』のエンジンや気嚢など、船を支える各部署の幹部達が集合し、それぞれに船長の淹れた紅茶を手にしている。
 だがD1と同様、どの顔にも笑顔はない。
 「……諸君、辛い気持ちは私も同じだ。しかしまずは現実を直視しよう」
 紅茶を注ぎ終えたバークもまた、厳しい表情で話し始める。
 「何とか危機は脱したが、それは敵がこちらを侮っていたからだ。逃がしたところで取るに足らない相手、そう思われていた」
 言葉の調子は淡々としたものだが、そこはさすが『提督』アーレィ・バーク、『セロ』と『マグフォード』の戦力差を見誤るような愚は犯していない。
 バークの言葉通り、敵の油断に上手くつけ込むことが出来たのは、確かに幸運が味方した面が大きい。もし敵が本気だったならば、すべては無駄な足掻きに終わった可能性が高いのだ。
 『セロ』がその本来の性能を十全に発揮したならば、『タネガシマ』を両断したあのエネルギーウィングの一閃どころか、『セロ』が高速で船の側をすれ違った爆風、それだけで『マグフォード』はバラバラになって轟沈したはずだ。
 その圧倒的な戦力差を、まさに身を以て体験したクルー達の苦悩は深い。
 「だが諸君」
 バークの声が変わる。
 「『マグフォード』はまだ沈んだわけではない。こうして今も、シュバルツバルドの空を飛んでいる」
 それはいかにもバークらしく、単なる事実を述べただけだ。だがそれゆえに、口先だけの美辞麗句を超えた説得力を持つ。
 そう、彼らの母なる船は健在だ。そして船が沈まぬ限り、船乗り達の明日は必ず来る。
 「これも諸君があの危機にもひるまず、各々の仕事を完璧に実行してくれたお陰だ。良くやってくれた」
 バークが船長帽を取り、白髪混じりの頭を下げた。
 艦橋の中に、何とも言えない感情の波のようなものが流れる。涙をこらえ切れず、嗚咽を漏らす者もいる。
 「航海を続けよう、諸君。……異存はないな?」
 シンプルな言葉。だからこそ力強い言葉。
 航海は終わらない。まだ何も終わってはいない。
 これに異論を唱える者など、どう考えたって一人もいるはずがないのだが、そこはアーレィ・バーク、念入りに一人一人の顔を見回した上で、
 「よろしい」
 大きく一つ頷いた。。そして自分の紅茶を一口、喫しておいて、改めてD1の方を向き直る。
 「怖い思いをされたでしょう、D1。申し訳ありませんでした」
 「いえ……あの、こちらこそみっともない所をお見せして……」
 D1の少しバツの悪そうな顔に、艦橋のクルー達の間になぜか小さな笑いが流れる。
 「無理もありません」
 バークが優しく微笑む。
 「落差2000メートル近い緊急降下(クラッシュダイブ)でしたからね。若い新入りの船乗りなど、気絶することだってある」
 恐怖のあまりね、と、バークの笑みに悪戯っぽさが混じり、つられてD1も笑ってしまう。が、その話が決して大げさでないことを、D1は身を持って体験していた。
 母港『タネガシマ』で『セロ』の攻撃を受けたあの時。
 バークのとっさの機転で爆発と火災を偽装し、さらに沈没したように見せかけることで、首尾よく雲の中へ逃げ込んだ『マグフォード』だが、危機がそれで去ったわけではない。
 『離れ技』はまだ続いていた。
 伝声管を通じて全艦に響いたバークの指示が、D1の耳に今も残っている。
 「これより緊急降下(クラッシュダイブ)を行う! 総員着席の上、ベルト着用!」
 この指示を受けて、艦橋にいたD1も、あのハンサムな若い副長の案内で空き席に案内され、肩と腰をゴツいベルトでがっちりと固定してもらう。
 「これから船を急降下させます。思い切り大声を出して叫んでいいですよ。いっそその方が楽ですから」
 若くハンサムな副長の言葉はしかし、『ディフォルテーNo1』たる彼女のプライドを少々刺激した。
 「ありがとう。大丈夫です」
 笑顔でそう返しながらも内心では、 
 (誰が叫んだりするもんですか!)
 この向こうっ気こそ、彼女をカプラのトップ嬢にまで登らせた根幹の一つ。それにD1だって無代と共に、あの浮遊岩塊『イトカワ』から身体一つで飛び下りた経験がある。だから軽々に彼女の覚悟を笑ったり、嘲ったりするのは間違いだ。
 ただやはり、というか何と言うか、向こうっ気だけでは太刀打ちできないものも、世の中にはあるものだ。
 「左右気嚢、全気室排気用意!」
 バークの指示が続く。
 「カウント5! ……5……4……3……!」
 そしてバークが数える数字が、ついにゼロになった瞬間。

 『マグフォード』が墜ちた。

 「ひ……!? ……ひゃあああああああああ!?!?!!!!!」
 突然、足下の床が抜けたかのような落下感に、D1の精神があっさり切れ、その喉から絶叫が吹き上がっていた。
 「あああああああああああ?!?!?!?」
 恐怖のあまり頭の中は真っ白。カプラのプライドも何もかも、どこかへすっ飛んでしまっている。
 『マグフォード』を空に浮かせる二つの気嚢、それが内部の浮遊ガスを一気に放出し、気嚢を含めた船体が急降下を開始したのだ。
 もちろん一気とは言っても、気嚢のガスがいきなりゼロになるわけではない。だから実はその落下速度も、重力任せの自由落下に比べれば緩やかなものである。
 しかし椅子に身体を固定されたまま、いきなりの落下感に囚われたD1にとっては、夢中だったイトカワからの落下の何倍も速く、そして恐ろしく感じられてしまう。
 「きゃあああ!!!!!ぎゃあああああ!!!」
 D1の絶叫。と同時に、
 「高度1800……1500……1200……」
 『マグフォード』の艦橋には、冷静に高度を読み上げるクルーの声が響く。
 落下の恐怖、それは永遠に続くかと思われたが、 
 「左右気嚢、全気室閉鎖! 再充填用意!」
 ガスを再充填し、気嚢の浮力を回復すべく、バークの指示が伝声管に投げ込まれる。
 さて、ここでお気づきの方もいらっしゃるだろう。
 この世界の『飛行船』と我々の世界の『飛行船』には一つ、決定的な違いがある。
 確かに『気嚢に浮遊ガスを入れ、その浮力で空中に浮く乗り物』、というところまでは同じだ。しかし、この世界には存在し、我々の世界には存在しない『あるもの』の有無が、二つの飛行船の性能と運用に天と地ほどの差を生んでいる。
 ではその『あるもの』とは何か?
 実は『アルケミスト』という職業の存在である。
 薬品のみならず、この世の物質ならば自在に反応・生成が行える物質操作のスペシャリスト。その最上位の職は『クリエイター(創成師)』と称され、材料と術式さえ明らかならば、およそこの世のものではない新物質すら創り出せるという。
 この世界の飛行船には、そのアルケミストが必ず乗り組んでいる。では、飛行船に乗り組んでいるアルケミストは一体、何をするのだろうか?
 正解を先に言うならば、それこそが『浮遊ガスの再充填』なのだ。
 もし我々の世界の飛行船ならば、今の『マグフォード』のように気嚢の中のガスが大量に抜けてしまった場合、飛行したままガスを再充填することは非常に難しい。巨大な気嚢を満たす予備ガスを持ち運ぶためには、重く巨大なガスボンベを船内に大量に備えておく必要があり、結果としてそれだけで相当の重量となってしまうため、人や荷物を載せるどころではなくなってしまうのだ。
 だがアルケミストが乗り組んだ、こちらの世界の飛行船ならば事情は違ってくる。
 浮遊ガスの再充填を命じる、バークのカウントが響く。
 「……3……2……1! 充填!」
 ぐっん!
 ちょうど降下していたエレベーターが減速するように、『マグフォード』の落下速度が緩んだ。艦橋のあちこちがみしり、ときしみを上げ、椅子に固定されたD1の形良く引き締まった腰が、ずん、と椅子に沈み込む。
 浮遊ガスが抜けて浮力を失っていた二つの気嚢に、アルケミスト達によって再び命のガスが吹き込まれたのだ。
 「……は……あ」
 D1の悲鳴もやっと止まる。
 これこそが飛行船に不可欠と言われるアルケミストの技。手持ちのわずかな液体、わずかな触媒だけで、我々の常識では考えられないような量の浮遊ガスを自前で発生させることを可能とする。
 しかも『マグフォード』にはそのアルケミストが実に7人、さらに上位職であるクリエイターが4人も乗り組んでいる。これは通常の飛行船と比べ、実に3倍の人員規模だ。加えてそのリーダーであるクリエイターは賢者の塔の教授職、他の10人も全員が博士号持ちという豪華さ。
 その彼らが、気嚢内部の区切られた気室一つ一つを担当し、浮遊ガスの排気と再充填を行うことで、『マグフォード』は通常の飛行船ではあり得ない機動を可能とする。
 飛行船には本来不可能な、この『緊急降下(クラッシュダイブ)』もその一つなのだ。
 そしてもう一つ、彼ら錬金術の徒には『マグフォード』ならではの重要な役目があるのだが、それを紹介するのは少し後回しにさせていただきたい。
 「高度200……180……」
 気嚢ガスの再充填により落下速度こそ緩やかになったものの、『マグフォード』の降下はまだ続いている。
 真下を見ればぐんぐんと近づく地面が見えるはずだが、D1の座っている位置からは、窓の外を上方に流れて行く山肌しか見えない。だが艦橋の両側すれすれに迫る岩の様子から、『マグフォード』が今、狭い峡谷の間を直下へ下降中と分かる。
 「エンジン始動用意。エナーシャ回せ。高度50で半速20秒」
 気嚢の次はエンジン、そしてプロペラの出番である。ただしエンジン音を『セロ』に悟られないよう、最小限の駆動で船体を操らねばならず、そしてこの狭い峡谷の中でそれを行うことは極めて困難な作業だ。
 ただしアーレィ・バーク、その人を除いては。
 「高度……50。エンジン始動、 半速20秒!」
 ぶぼぼぼおおおおおぉぉんんん!!!!
 四機のエンジンが唸りを上げ、巨大なプロペラが高山の風を切り裂く。四機のエンジンを同時に、しかも一度のやり直しもなく始動するのはかなり奇跡的な作業だが、D1の知る限り『マグフォード』がこれに失敗したことは一度もない。気嚢を司る錬金術師と同じく、賢者の塔の教授位を持ったホワイトスミスを頭とする機関部の腕もまた、相当に確かなものらしい。
 エンジンの唸りと同時に『マグフォード』の巨体がぐん、と向きを変え、窓の外を上に流れていた岩肌が、その流れを後方へと変える。船の両側に迫る狭い峡谷の真っただ中、双胴の巨鯨は再び游泳を開始した。
 相変わらずの神業。
 きっちり20秒。エンジンが止まり、峡谷にしん、と静けさが戻る。
 だが不思議なことに『マグフォード』の船足は止まらない。D1の目に、両側に迫る岩肌が一定の速度で後方へ流れていくのが映る。
 「……風?」
 「正解です。さすがD1」
 若くハンサムな副長が、彼女のベルトを外すついでに説明してくれた。
 「この辺りの谷底を、常に一定の速度で流れている風なんです。我々飛行船乗りは『巨人の息吹』って呼んでる。これに乗るとエンジン無しでもかなりの距離が稼げるんですよ。しかも谷の間だから敵にも見つかりにくい」
 副長の言葉を裏付けるように、伝声管から監視の報告が入る。目下最大の脅威である『セロ』はジュノー上空に留まったまま、追って来る様子はないという。
 こんな深い谷の底を潜航していても、わずかな峡谷の切れ目を通り過ぎる際に一瞬だけ開ける視界から、宿敵『セロ』の位置をちゃんと確認してみせる。そこはさすが『マグフォード』、監視チームの腕、いや『目』も超一流だ。聞けばこれも賢者の塔の教授職を持つ、元シュバルツバルト正規軍の退役スナイパーが率いているという。
 最大の脅威から逃げ切った安心感に、さしも鍛え抜かれた艦橋クルーの間にも、ほっとした空気が流れた。
 「もう大丈夫。この船にとってはいつもの散歩道ですよ」
 若くハンサムな副長がちょっと気取った笑顔を見せる。
 「なら、散歩の手綱はお前に頼もうか。副長」
 いきなり後ろからバークの指示を受け、副長の身体がぴょこん、と跳ね上がった。
 「いっ!? イエス、キャプテン!」
 「『イトカワ』を視認するまで舵は任せる。D1、どうぞこちらへ。お茶を差し上げましょう」
 そしてテーブルが用意され、冒頭の茶席が始まったのである。
中の人 | 第十三話 「Exodus Joker」 | 12:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十三話 「Exodus Joker」 (7)
 
 全員のカップが一通り干されたところで、艦橋に新たな人間が呼ばれた。
 船医のハイプリーストに付き添われてテーブルに着いたのは他でもない、草鹿任一、その人だ。
 あの『タネガシマ』で少年賢者・架綯と共に下船し、直後に敵に襲われたこの少年水夫は、瀕死の重傷を負いながらも無代や翠嶺、武装鷹の灰雷らの助けで船に帰還している。全身に負った傷は無代が処方してくれた治癒薬や、その後に受けた魔法治療ですっかり癒えたようだ。
 が、健康が売りだった頑健そのものの身体からは、しかし以前の生命力が感じられない。身体の傷は癒えても、心に負った傷は簡単には治らないのだ。
 「ご苦労だった、草鹿」
 バークのねぎらいの言葉も、今の彼には痛みしか与えないようだ。
 「……すいません……すいません、船長殿。俺、俺……」
 言葉にならない。うつむいた顔から涙がこぼれる。
 「顔を上げろ、草鹿。今回の件では一切、お前に落ち度はない。すべては私の責任だ」
 バークの静かな声が艦橋に響き、草鹿少年が涙に濡れた顔を上げる。どんなに辛かろうが、船長に名を呼ばれて無視するような船員など『マグフォード』には一人もいない。
 「戦闘員ではないお前を、たった一人で架綯先生のお供に付けた、それは船長である私の判断だ。我々に敵がいることが分かっていたのに、武装した護衛をつけなかったのは、だから明らかに私の判断ミスなのだ。にもかかわらず草鹿、お前はあれだけの傷を負いながら、生きて船に帰ってくれた」
 全員が見守る前で、バークが船長帽を脱ぐ。
 そしてその白髪混じりの頭を、少年に向かって深々と下げたではないか。
 「ありがとう、草鹿任一。お前の頑張りのおかげでこの船は、お前という大切なクルーを失わずに済んだ。船を預かる責任者として礼を言う」
 「……!」
 それまでどうにか耐えていた少年が、バークの言葉にとうとう泣き崩れた。飛行船の甲板仕事で鍛えた両手の拳を握りしめ、これも空の仕事に不可欠な声を張り上げ、涙も拭わずおいおいと泣き続ける。
 そしてそれを機に、艦橋に集まっていた船の幹部達から草鹿に対し、口々にねぎらいと励ましの言葉がかけられた。
 よかった。よく戻った。頑張ったな。もう泣くな。胸を張れ。
 オリジナリティにこそ乏しいが、真っすぐで熱い言葉の数々が、傷ついた少年の身体を包む。空の男(気嚢を担当するクリエイターは女性だったが)達の真心に満ちたつながりに、部外者のD1さえ目頭が熱くなる。
 草鹿少年の心から、この過酷な経験の記憶が消え去る日は決して来ないだろう。しかし彼はきっといつかその記憶を糧とし、自分を支える杖ともして、この空で生きる力に変えてゆくに違いない。ここに集う大人達もまた、そうして多くの夜と昼を超え、今を生きているのだ。
 ひとしきり泣いて、少し落ち着いた草鹿少年に紅茶が注がれる。
 さて、本題はここからだ。彼と架綯が敵に襲われた、その状況の聞き取りが行われる。
 草鹿によれば、二人が襲われた場所は『マグフォード』の専用埠頭『タネガシマ』と、シュバルツバルド国際空港を結ぶトンネルの階段出口だった。その直後、『セロ』に追われた無代が灰雷と共に決死の追いかけっこを演じた、まさにあの階段である。
 敵は重武装したロードナイトを筆頭に五人。対するこちらと言えば、賢者の塔の助教授とはいえ戦闘経験ゼロの架綯。そして健康で身体も大きく力があるとはいえ、やはり戦闘スキルは持っていない草鹿の二人だけ。
 「何とか架綯先生だけでも……お助けしようとしたんですが……」
 架綯を担いで連れ去ろうとするレジスタンスに、草鹿はそれでも必死で取り縋った。しかし結果はまさに鎧袖一触、あえなく滅多斬りにされ振り払われる。
 『やめて!! 言う通りにする! 言う通りにするから、草鹿さんを殺さないで!! お願いだから!』
 必死に叫ぶ架綯の声が聞こえた。
 情けなかった。
 傷の痛みや出血による死の恐怖よりも、敵に一矢も報えず、守るべき架綯に逆に庇われる自分への情けなさ、悔しさの方が大きかった。
 彼らの背後では既に、『セロ』による『タネガシマ』への襲撃が始まっている。吹き上がる轟音と火炎。前後で繰り広げられる惨劇のまっただ中で、少年達はあまりにも小さく、そして無力だった。
 だが、決して草鹿が何の役にも立たなかったわけではない。彼は重症を負いながらも、彼らを襲った敵の会話を漏らさず記憶した。
 まず、『タネガシマ』と『マグフォード』を襲った戦前機械、それは『ヤスイチ号』ではなく、その同型艦『セロ』であること。
 翠嶺やバークの知己であるクローバーは既に、『ヤスイチ号』と共に組織から追放されていること。
 そしてもう一つ、これが最も重要な情報。

 『セロ』を駆るレジスタンスの長、プロイス・キーンの狙いが『ユミルの心臓』であること。

 あの時、ひん死の草鹿を必死に庇う架綯に、レジスタンスのロードナイトは言ったのだ。
 『よかろう、こいつは殺さない。その代わりお前には、『ユミルの心臓』の情報をしゃべってもらう』
 直後に架綯は連れ去られ、草鹿が聞くことができたのはここまでだった。
 トンネルの出口に傷ついたまま放置された草鹿に、もう架綯を助ける力はない。だからせめてこの緊急事態を『マグフォード』に伝えようと、這いずるようにしてトンネルを戻った。そして出血のため意識を失って倒れたところを翠嶺に発見され、無代と灰雷によって救われることになったのである。
 彼が持ち帰った情報は決して多くはない。しかし今、空の上で孤立無援の状態にある『マグフォード』にとっては、まさにかけがえのないものだ。
 「『ユミルの心臓』……やはり狙いはそれか」
 静まり返った艦橋、バークが低い声でつぶやく。

 『ユミルの心臓』。

 神話に登場する巨神・ユミルの名を冠するそのオーパーツが、ジュノーの都市基盤である巨大岩塊に重力干渉を行い、それを空中に浮かせる原動力となっている、それは誰しも知っていることだ。ジュノーの周囲に無数に浮かぶ、あの『イトカワ』を始めとした浮遊岩塊群も同様である。
 だがそんな驚天動地のパワーさえ、実はその本来の力から見ればほんの一部に過ぎない、と知っている人間は決して多くない。
 空中都市ジュノーとその周辺に展開される浮遊力場は、『心臓』が重力に干渉した結果だが、実は適切なコマンドさえ入力できるなら、『心臓』が干渉できるものは何も重力に限らないのだ。
 セージキャッスルの奥深く、『心臓』に近づこうとするものを阻む巨大な迷路は、『心臓』自身が空間に干渉して造り出したものだ。
 また人の精神に干渉し、その潜在能力を極限まで引き出す『転生システム』も、実は『心臓』の力である。
 これまでに判明したコマンドを一同に集めた書物を『ユミルの書』と呼ぶが、その内容だけでも『心臓』の干渉対象は数百を下らない。今後も研究を進めることでさらにコマンドを解明していけば、下手をすると『生命』や『時間』といった神の領域にまで干渉しかねない、とされる。
 放浪の賢者・翠嶺先生曰く、
 「『創造の神の忘れ物』、かもね?」
 だ、そうである。
 だからこそ、それが悪意ある者の自由にされないよう、そのマスターキーは翠嶺自身の手によって厳重に管理されているのだが……。当の翠嶺と、翠嶺からマスターキーを預けられている架綯、その二人ともが敵の手に落ちたとなれば、事態はまさに最悪。
 「下手をすると、世界が終わる」
 普段は決して大げさな修辞を使わないバークさえ、思わずそうつぶやく、それほどの緊急事態だった。
 直ちに船の幹部達による対策会議が開かれる。
 この危機に際し、『マグフォード』は今後どう行動すべきか、全員が意見を出し合うのだ。
 ところで最初に確認しておくが、この飛行船『マグフォード』は軍船ではない。
 確かに賢者の塔直属の飛行機械として、数々の特権を与えられているのは事実だ。しかしそれはあくまで航路や航行・装備の自由に関するもので、それだって民間定期航路の飛行船に、ちょっと毛が生えた程度に過ぎない。
 つまり何が言いたいのかと言えば、今、この船が戦う理由はない、ということだ。
 現在のような国家レベルの軍事的危機に対して、何らかの行動を起こす法的、社会的義務を、『マグフォード』は負っていない。せいぜいが自らの船体と船員・乗客の安全を守る義務がある、その程度である。
 まして『セロ』のような圧倒的な戦力を持つ敵と戦わなければならない義務など、どんな観点から見ても皆無と言ってよい。
 要するに、逃げていいのだ。いや、逃げるべきなのだ。
 近代国家のシステムに則るならば、このように首都ジュノーが軍事的に制圧されるというケースにどう対応するか。
 まずシュバルツバルド共和国の残る大都市アインブロック、リヒタルゼン、アルデバランのどこかに臨時政府を樹立する。
 次に各地に駐屯する共和国軍を集結・再編成する。
 以上の準備を整えた上で、首都の奪還作戦を行う、というシナリオが王道となるだろう。
 実際、工業都市アインブロックに駐屯する部隊は、装甲車や戦車などの戦闘機械を中心とした最精鋭の機械化部隊。共和国が他国に先駆けて開発を進めるその部隊は、共和国内部でさえ高い機密性が保たれる、まさに『虎の子』だ。
 となると今、『マグフォード』の取るべき行動は明白だろう。
 まず最優先でどこかの都市へ向かい、当地の地方行政府と駐屯軍幹部に事情を説明する。
 以上である。
 その後は前述の王道シナリオに基づき、考えるべき者が考え、戦うべき者が戦う。それが法的にも、社会的にも『スジ』というものなのだ。
 だが、実はこのシナリオには致命的な欠陥がある。
 王道であるが故に、決して避けられない欠陥。
 「……駄目だ」
 一通りの意見が出た後、バークが発した言葉が総てだった。
 
「時間がない」

 
中の人 | 第十三話 「Exodus Joker」 | 12:22 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十三話 「Exodus Joker」 (8)
 
 時間、まさにそれが問題だった。
 要するに、この王道シナリオを実行するためには、時間がかかりすぎるのである。
 今から『マグフォード』があらん限りの速度を振り絞り、最速でどこかの都市へ駆けつけて事情を説明する、そこまではいい。『マグフォード』の努力で何とでもなる。
 だが、そこから公平かつ責任ある臨時政府を樹立し、総司令部を失った軍の足並みを揃えるのに、一体どれだけの時間がかかるか。
 さらに悪い事に、今は『カプラ社の内紛』という悪条件までが重なっている。
 つまり国内を瞬時に行き来できる奇跡の魔法・ワープポータルに信頼が置けず、事実上、使用不能なのだ。となれば国内で情報一つ交換するにも飛行船を飛ばすか、徒歩もしくは騎鳥ペコペコによる人力に頼らざるを得ない。
 実は共和国軍の中にだって、現在のような緊急事態が起きた場合に備え、即座に対応が可能な機動性の高い部隊は存在する。しかし彼らにしてもワープポータルが使えないとなれば、ジュノーまで自力で移動するしかない。
 これだけの悪条件が重なっていたのでは、本格的なジュノー奪還作戦が実行されるまで数日、下手をすれば数週間かかる可能性もある。
 いや、それどころか、この混乱の隙を突かれてアルナベルツ法国やルーンミッドガッツ王国による内政干渉、さらに最悪のケースとして侵攻まで許したとなればどうなるか。
 もう首都奪還どころの騒ぎではない、シュバルツバルド共和国の存在そのものが危うくなるだろう。
 「しかも『ユミルの心臓』だ。あれを敵の自由にされようものなら……」
 バークの言葉に苦悩がにじむ。
 『ユミルの心臓』、この万能の干渉器を悪意ある者が自在に使役する時、何が起きるのか。
 前例のない事態だけに具体的な予測すら難しいが、恐らくはこの世界の全兵器、全兵力を注ぎ込んだとしても、ジュノーを奪い返すどころか近づくことすら不可能になるだろう。
 つまりは『無敵』だ。
 「そうなれば総てが終わる。だからこそ、そうなる前に阻止せねばならない」
 静まり返った幹部達、そしてD1の顔を、バークがぐるりと見渡す。
 「そして今それができるのは……いや、それに『間に合う』のは唯一、この『マグフォード』だけなのだ」
 決然たる言葉の内容とは裏腹に、バークの声はむしろ落ち着いたものである。
 「よって本船はこのまま『イトカワ』に向かい、幽閉されたカプラ嬢を救出の後、ジュノーへ帰還する。これはセージキャッスルの『放浪の賢者』・翠嶺先生が決定された航路であり、現在のところ予定に変更はない」
 やはり落ち着いたその声は、まるで定期航行の飛行予定でも確認するかのような日常っぷりだ。
 いやバークにとっては、本当にそうなのだろう。
 同じこのテーブルで翠嶺が船の針路を決定したのは、ほんの数時間前のこと。それから短い時間の間に、船は確かに多くの事態に直面し、それを乗り越えて来た。だが、この航路を変更する命令は未だどこからも来ておらず、自己判断で進路を変更する理由もまた、ない。
 だから船は往く、そういうことなのだ。
 そして船の幹部達にとっても、それは同じ事であるらしい。会議中、あれほど多くの意見が出された割に、バークの決定には一切の異論は出ない。
 してみるとあの議論は、既に決定された航路の確認作業に過ぎなかったと見える。
 「了解、キャプテン」
 バークほどの自然さではないが、全員がその応えを返す。船の進路は決まったのだ。
 だが、バークはなお言葉を続ける。
 「そして改めて言うまでもない事だが、無代さんの事を忘れてはならない」
 バークの表情が、なぜか少し緩む。そう言われてみれば、あの無代という青年の名を語る時、わざわざ厳しい顔をする人間はあまりいない。アマツ・瑞波の国事を預かるあの大鬼でさえ、その名を出す時は言葉が和らぐ、とは養い子である小鬼の談だ。
 「無代さんには草鹿の命を助けてもらった借りがある。いや、あの人と灰雷が『セロ』に特攻してくれなければ、この『マグフォード』とて、こうして空に帰ることはできなかっただろう。『必ず帰還する』、その約束を違えることはできない」
 何のことはないバーク船長、最初からそのつもりなのである。ただ、これを一番最後に言うのが実に彼らしい。
 船を預かる船長、だからこそ通すべき筋は通さなければならない。例えばこの船が無頼の空賊船で、彼がその船長ででもあるのなら、義理や人情、仁義だけで舵を切るのもよかろう。
 だが『マグフォード』は空賊船ではなく、アーレィ・バークもそうではない。大体、それができるくらいなら、あの燃え盛る炎の中に翠嶺を置いたまま船を出したりするものか。
 船を守り、街を取り戻し、そして約束も守る。
 この紅茶のテーブルで交わされた誓いの真の重さ、過酷さを全員で共有してこそ、この船は飛ぶのだ。
 それがいかに困難な航路であろうとも。
 「現状、無代さんの消息は不明だが、灰雷がこの船に帰って来ないところを見ると、2人は行動を共にしている可能性が高い。ならばやすやすと倒れはすまい」
 バークの推量は正しいが、たとえ無代が死んでいたとしても約束は約束、そう考えるに決まっているから、これは蛇足というものだ。
 「さて、D1。そこで貴女に確認しておかねばならない」
 バークがD1に向き直る。
 「何でしょう、バーク船長?」
 「『イトカワ』に幽閉されているカプラ嬢の皆さんはジュノー奪還のために、本当に戦って下さるでしょうか?」
 当然の質問だった。
 いくら最高レベルの能力・スキルを駆使する女性達とはいえ、カプラ嬢は完全な民間人だ。軍船ではない『マグフォード』が戦う義務を負わないのと同じ、いやそれ以上に、カプラ嬢達には戦う義務はない。
 その高い戦闘能力にしても、あくまで自分もしくは顧客の財産を守る、つまり自衛が目的。今回のように巨大な軍事的脅威に対し、攻撃・制圧を行う事態など全く想定されていない 。
 「もしカプラ嬢の皆さんが戦いを拒否される、もしくはジュノーへの同行を拒まれるならば、『マグフォード』がジュノーに帰っても無意味どころか自殺行為となる。いかがでしょう?」
 バークの質問は厳しい。だがそれに対するD1の返答は明確だった。
 「戦います」
 その磨き抜かれた美貌に笑みさえ浮かべ、D1は断言する。
 「我がカプラ社を現在の危機から救うには、カプラシステムの奪還が不可欠。そのためには、敵に捕らわれた翠嶺先生、そして架綯先生のご助力が絶対に必要です。『ユミルの心臓』も同様。ならばその奪還に全力を尽くすのは当然のことです」
 「結構です。ならばもう一つ」
 バークから次に発せられた質問は、D1にとってもさすがに苛烈なものだった。
 「もし『イトカワ』に着いてもカプラ嬢の皆さんがいない、あるいは船に乗せても戦力にならない場合は、やはり同じ事になります。その場合はどうするか」
 「……!」
 D1の表情がさすがに強ばる。だが、この質問もまた当然だった。
 D1と無代の二人が、カプラ嬢達を残して『イトカワ』を脱出してから、既に丸一日が経とうとしている。その間、『イトカワ』に残された仲間達が無事でいる、という保証はどこにもない。
 食料や水については多少の備蓄もあり、よほどの異常事態が起きない限り一日や二日は平気だろう。
 しかし彼女らには明らかな『敵』がいるのだ。
 彼女らを拉致して『イトカワ』に幽閉し、同時にカプラシステムを乗っ取ろうと画策するカプラ社の重役達。そして彼らは恐らく、あの『セロ』を操ってジュノーを乗っ取り、翠嶺や架綯を拉致した者達とつながりがある。
 どちらか一方でも強力かつ得体の知れない敵が、あろうことか複数存在するのだ。
 だからこそ『イトカワ』に残ったカプラ嬢達に、彼らの魔の手が伸びていないという保証はない。いや、元々が彼女らを殺さずに幽閉したこと自体、後日『BOT』として再利用するためなのは明白ではないか。
 さすがのD1が言葉に詰まる。
 そう、バークの質問が苛烈なのではない。状況は既に、もう十分苛烈なのだ。そしてD1に何度も、何度も、その覚悟を試してくる。
 「その場合は、たとえ私一人でも……と、言いたい所ですが、それではただの自殺行為なのですね」
 「その通りです」
 バークがうなずく。
 「勇気と同時に、冷静さも必要です、D1。これから『マグフォード』が目指す航路は正直、後先を考えていては進めない。相当の『蛮勇』が必要になるだろう。しかしだからといって、まるっきりの自殺行為を許すつもりはない。私は船長ですから」
 勝算ゼロの冒険は冒険ではない。ノリや勢いだけで突き進んで、それで事が成せるほど楽な状況ではないのだ。
 「はい。……もし『イトカワ』に着いて、船長がおっしゃられたような状況の場合は、申し訳ありませんが私を地上に降ろして下さい。何とか自力でアルデバランへ参ります」
 アルデバランは、カプラ社の本社のある都市だ。
 「そして、一人で本社へ乗り込まれる?」
 「いいえ」 
 バークの質問をD1は否定する。なぜなら、それは自殺行為だから。
 「まずはカプラのOB達を頼るつもりです。信頼できる有力な方々が多くいらっしゃいますし、皆、事実を知れば黙ってはいないでしょう。ひょっとして今、街角に立つカプラ嬢が全員『BOT』にすり替えられていることに、既に気づいている方もいらっしゃるかも」
 「なるほど」
 この答えには、バークも微笑みを返す。
 なにせ歴代に渡って世界最高レベルの女性達を集めてきたカプラ社だけに、当然ながらOB達も粒ぞろいだ。また元々が良家の子女が多いこともあって、引退後は良縁に嫁ぐケースも少なくない。やや下世話な話になるが、有力貴族や大富豪、大ギルドの幹部などの間では、『元カプラ嬢の嫁』を持つことは一つのステータスにもなっている。
 確かに彼女らの力を借りれば、現役のカプラ嬢をまとめ上げて戦うのと同等、あるいはそれ以上の力を得ることも不可能ではあるまい。
 「ただ彼女達をまとめるにも、やはり時間がかかってしまう」
 D1の分析は正直なものだ。確かに元カプラ嬢といえばスペックは高いが、それゆえにプライドも高く、社会的な立場もまちまちである。後輩であるD1の言葉に、やすやすと従ってくれるとも思えない。
 「そうですな。今は何より『時間』が貴重だ。まずは『イトカワ』の皆さんの無事を祈りましょう」
 「……ですが、そういうことでしたらバーク船長、私からも質問をよろしいでしょうか?」
 話を締めくくろうとするバークを、だが今度はD1が引き止めた。
 「もちろんです、D1。……とはいえ、お尋ねの内容はおおよそ見当がつく」
 D1の質問を、バークが先取りする。
 「あの戦前機械『セロ』を相手に、この『マグフォード』が勝てるのか、ということですね?」
 おそらくこれこそが今、最も重要な質問だろう。それが証拠にテーブルについた船の幹部、艦橋のクルー達、その全員の間にさあっ、と、今までとは異なる緊張が走る。
 D1も敏感にそれを感じ、やや慎重に言葉を探す。
 「決して『マグフォード』を侮るわけではありません。しかし……」
 「疑問は当然です、D1。ですが実はこの船にはまだ、貴女にお知らせしていない事がいくつか……?!」
 しかしバークの言葉が最後まで、D1の耳に届く事はなかった。突然の事態が、それを遮ったのだ。
 艦橋の伝声管から警報音が鳴り響く。続いて緊張した報告の声。
 『マグフォード』の監視員からだ。

 「『イトカワ』推定方向に複数の異常発光を視認中! 砲発火炎(マズルフラッシュ)と思われます!」

 監視長を勤める共和国軍の退役スナイパーが、椅子を蹴り倒す勢いで席を立ち、大ぶりの双眼鏡を引っ掴んで艦橋を飛び出して行く。この慌てぶりは無理もない、まだ『イトカワ』が視認できる距離ではないため、部下に監視を任せて艦橋で紅茶を飲んでいたのだ。
 確かに『砲発火炎』の光ならこの距離でも届く。が、それを予測しろというのはちと酷だけに、バークも彼を叱責しない。
 ところで飛行船という乗り物は、巨大な気嚢を背負うせいで『上方』への視界が極端に悪い。そのため気嚢の上部に監視所を置くのが通例で、双胴船である『マグフォード』も左右双つの気嚢の上にそれぞれ二カ所、計4カ所の監視所が置かれている。
 艦橋を飛び出した監視長は、そのうち右前方の監視所へ、気嚢を縦にぐるりと半周する形で作られた梯子を昇ってたどりつく。
 数瞬の、まるで真空のような沈黙の後、伝声管が鳴った。
 「砲発火炎確認。艦載用の半(デミ)カノン砲と推定、最低でも3門を確認しました。飛行船の艦砲射撃と思われます、船長殿」
 そこは元軍人だけあって砲発火炎、すなわち大砲発射時に砲口から噴き出す炎の様子だけで、使用された大砲の種類まで割り出す観察・分析力はさすがだ。
 「『イトカワ』が飛行船から攻撃を受けている。そういうことか、監視長?」
 「は。『イトカワ』自体はまだ視認できないため断定は控えますが、そう考えて矛盾のない状況です、船長殿」
 「了解、監視を続けてくれ」
 バークがいつにも増して厳しい表情で伝声管を離れ、D1を振り向く。だが、バークはそこで意外な物を見ることになる。

 D1が笑っていた。

 ついさっきまで、不安や苦悩を隠せなかったその美貌に、まぎれもない笑顔が浮かんでいる。
 だがその笑顔は決して、美しく優しい癒しの笑みではない。
 暗い夜の底から吹き上がる、質量を伴った炎のような笑み。その美貌を飾る紅玉のルビーブロンドが、不可視のオーラに揺らめく。
 「D1……?!」
 さすがに驚いて声をかけるバークに、D1はその笑みをさらに広げ、
 「……戦っている!」
 「何?!」
 「攻撃を受けている、つまりそこに『戦う者』がいるということです、バーク船長。ならばその相手はカプラ嬢以外にありえない。……彼女達はまだそこにいる! そして戦っている!」
 決然と言い放つ。
 バークでさえ一瞬、返す言葉を失うほどの気迫が、D1の全身から湧き上る。
 戦いの在処を示す砲火の光が、逆に仲間の健在を示す希望の証とは、何という苛烈な運命だろう。しかしこの美しきカプラ嬢は今まさに、その苛烈の中で咲こうとする。
 燃え盛る火中に真の花と咲く、希有なる生命の有様こそ見よ。
 「急いで下さい、バーク船長。お願いします!」
 「了解」 
 バークが重くうなずく。
 D1、その命の炎に煽られるように艦橋内の緊張、そして意気が喚起される。
 「エナーシャ回せ! エンジン始動!、直ちに全開!」
 バークの指示が伝声管を通じ、谷間の風に揺蕩う飛行船を叩き起こす。

 ぶぅおぉおおおおおおおおおおおんんん!!!!

 4機のエンジン、その咆哮が吹き上がり、谷間を遥か木霊と響く。
 並の飛行船にはあり得ない『マグフォード』の超高等機動、気嚢のガスを抜く急降下の次は、プロペラの大推力をフルに使った急上昇だ。
 超急角度、空高く仰いだ艦橋の窓は、どこまでも澄みきった青色一色。
 双胴の巨鯨が風を打ち、シュバルツバルドの空へ舞い上がる!
中の人 | 第十三話 「Exodus Joker」 | 12:23 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十三話 「Exodus Joker」 (9)
 
 浮遊岩塊『イトカワ』。

 全長約500メートル、幅約200メートル。色気の欠片もない灰色の花崗岩を主体とする、やや歪んだ皮付き落花生のような形をした大型岩塊である。
 飛行船の定期航路から大きく離れ、地上からも見上げる者はほとんどいない辺境の空に浮かぶ、極めてマイナーな岩塊。
 ……のはずが、ある事件をきっかけに一躍有名となった理由こそ他でもない、カプラ嬢達を幽閉する『空の牢獄』としてだったことは、物言わぬ岩の塊にとってさえも、さぞ迷惑な話であったろう。
 時刻はやや戻り、『マグフォード』が『イトカワ』の危機を視認する少し前。
 今は、シュバルツバルドの空を渡る風が、殺風景な岩肌の上をただ吹き抜けてゆくだけだ。
 さて、巨大な岩塊のちょうど真ん中、落花生で言えばくびれの辺りに、カプラ嬢達が身を寄せる岩穴が掘られている。共に囚われた無代の提案で、『イトカワ』に持ち込むことができたわずかな武器と、身につけた強力な破壊スキルを駆使し、硬い岩盤を丸一日かけてくり抜いた待避壕だ。
 まず垂直に深さ10メートルほどの縦穴を掘り、そこから今度は水平に横穴を掘って居住用の空間を作ってある。これは居住区への荒風の侵入を防ぎつつ、縦穴付近で火を焚くことで換気も行える工夫である。
 その縦穴へ真っすぐに差し込む陽の光に、すっ、と一つの影が落ちた。きびきびとした動きと、引き締まった長身のシルエット。
 「『チーム・グラリス』、全員外へ来て」
 穴の中へと響いたその声。

 カプラ・グラリスNo1、師範上弓術師(マスター・スナイパー)。
 名は『ルフール・シジェン』。ジュノーにおいて、無代にその翼を貸した武装鷹・灰雷(ハイライ)の本来のマスターであり、『鷹カプラ』の異名を取る名鷹師であることは、読者もご承知の通りである。

 現役カプラ嬢の中で最年長に近い(いささか余計だが、いわゆる『アラフォー』だ)彼女は、その物に動じない冷静な性格もあって、全カプラ嬢から高い信頼を得ている。特にこの『イトカワ』に幽閉されて以降は、カプラの頂点であるディフォルテーNo1ことD1がその役目を果たせなかったこともあり、『あくまで仮』と言いつつも、カプラ嬢達のリーダー役を引き受けていた。
 「相談がある。急いで」
 飾り気のないシンプルな言葉だけを残し、縦穴に落ちた影も消える。その態度は無愛想と言えば無愛想だが、自らの立つべき場所、するべき事がちゃんと分かっている大人の頼もしさが滲む。
 その声に応え、洞窟の居住区に座り込んでいたカプラ嬢達の中から一人、二人、四人、十人と、カプラ服に身を包んだ女性達が次々に立ち上がった。
 全員が艶のある赤銅色のロングヘア。カプラ服の肩に『螺旋(スパイラル)』の刺繍を持たない『無螺旋(ノースパイラル)』。そして何よりも特徴的なのが、その『眼鏡』。
 カプラ嬢の中でも異色のメンバーを揃えた教導師範部隊、『チーム・グラリス』の面々だ。
 ところで『外へ来い』と言われたが、洞窟と外をつなぐ縦穴の深さは既出の通り10メートル。岩壁に溝を刻んで簡素な梯子を作ってはあるが、そうそう気軽に上り下りできるものではない。
 しかし。
 「お先ネ〜!」
 一人の『グラリス』が軽い声を上げ、穴の底でひょい、とかがみ込むと。
 「『ノピティギ』!」
 瞬間、その身体がひゅーん! と、まるで空から吊り上げられたかのように跳躍、10メートルの高さを軽々とクリアして穴の外へ消える。
 そしてそれが合図。
 見上げるような高さの垂直の岩壁を、ある者は足でとん、とんと蹴ってゴム鞠のように、ある者は梯子も使わず蜘蛛か蜥蜴のようにするすると登って行く。常識的に岩の梯子を使う者も多いが、いずれの『グラリス』も身のこなしは軽快で、高さを恐れたりモタついたりする様子はない。
 まあ中には、
 「えー、登れっての、これ?!」
 などと頬っぺたを膨らませる者もいるけれど。
 「こういうの、自分でよじ上るとかあり得ないんですけど、アタシぐらいになれば」
 カプラ嬢にしてはずいぶんと小柄で細身の身体。しかし目と表情に悪戯っ娘そのものの生命力をたたえた『グラリス』。

 グラリスNo2、師範優魔術師(マスター・ハイウィザード)。
 名を『綾恵(アヤメ)』という。

 魔術都市ゲフェンに本拠を構える名門魔術師一家、それも祖母、曾祖母までも同じカプラ・グラリスで師範を勤めたというパリっパリのエリート一族の長女。
 『優秀な魔術師さえいれば、他の職業なんかオマケ』という鉄の信念に支えられたその性格ときたら、自尊心は山より高く、自制心は海より低い。
 要するに典型的な魔術師気質だ。
 「ねー、抱っこして登ってよ、G10」
 自己中心的な台詞を吐きつつ後ろを振り返る。その格好にしても普通に首を横に捻るのではなく、なぜかわざわざ身体をびよーん、と仰け反らせ、首を真後ろに倒す謎ポーズ。人にモノを頼む態度とか、そういう類いの気遣いが頭からすっぽり抜け落ちているらしい。
 「いや、申し訳ないが魔術師殿、それはお断りせねばならない」
 対して、まるで女性劇団の男役を思わせる、びん、と張りのある声で拒絶したのは、小柄な魔術師とは対照的に長身・大柄の『グラリス』。

 グラリスNo10、師範貴騎士(マスター・ロードナイト)。
 名を『オウカ・ラピエサージュ』。

 ルーンミッドガッツ王国貴族の、これまた名門中の名門ラピエサージュ家の末娘。ちなみに正式には『オウカ』と『ラピエサージュ』の間に、先祖から受け継いだ由緒ある名前だの幼名だの愛称だの、実に10個以上のミドルネームが挟まっている。
 幼い頃からちょっと行き過ぎなほどの騎士道を叩き込まれて育ち、史上最年少となる20歳の若さで『グラリス』の師範騎士枠を襲名した。これは、そのほとんどが20代後半以上、40代だって珍しくない『グラリスチーム』においては異例の若さである。
 頭のてっぺんから踵の先まで、身体に鋼の芯材でも入っているかのような見事な『騎士立ち』。その風格は男性騎士に混じっても全く見劣りしないどころか、堂々たる肩幅や逞しい腰、そして圧倒的な胸の豊かさの分、むしろ勝って見えるだろう。あのアマツ・瑞波国は一条家の長女、綾もかくやの威風である。
 「それに魔術師殿、自分はちゃんと知っていますよ。貴女なら登れる。そもそも貴女ほどの魔術師が、この程度の岩壁に手こずるなどありえないことだ」
 これ、別に嫌みでもなければ揶揄でもない、正々堂々の本音である。魔法の実力と岩壁登りにどんな関係があるのか、それは彼女にしか分からない謎ではあるが。
 「加えて、自分には他に使命があります。G7を連れて登らなければならない」
 そう言うと、側にいた別の『グラリス』を力強く、しかし優しくその腕に抱き上げ、岩の梯子に取り付く。
 「ありがとう、G10。迷惑をかけるわ」
 長身のG10ロードナイトに抱かれて礼を言う、ではこの『グラリス』がG7。

 グラリスNo7・師範創成師(マスター・クリエイター)。
 名は『アロエ・ヘルバール』。

 長年の研究によって得た高い知識や技術、そして名声と引き換えに、慢性的な薬害で視力のほとんどを失っているこのクリエイターにとって、自力でこの壁を登るのは確かに困難だろう。それにしても、体重が軽めとはいえ立派な成人女性であるG7クリエイターを片手で、しかも軽々と抱き上げておいて、残った片手と両足だけで悠々と岩の梯子を登る女騎士の力強さときたら。
 だがその勇姿を見上げながら、不満タラタラなのはG2ハイウィザード。
 「えー、ケチ。じゃG9お願い。聖騎士様!」

 「ん? ああ、いいぞ?」
 諦めの悪いG2ハイウィザードのワガママを軽く請け負った、これも長身・戦士体型の『グラリス』。ロードナイトに劣らない見事な体躯だが、年齢はずっと年上(重ねて失礼だがアラサーだ)の女パラディン。

 グラリスNo9、師範聖騎士(マスター・パラディン)。
 『屡姫斗(ルキト)』。

 誰もが知るその壮絶な戦歴、そしてグラリス襲名に至るまでのエピソードは後に譲るとして、こちらも軽々とG2ハイウィザードを抱き上げる。
 そしていったんぐぐっ、と『左足』を軸にして地面にしゃがんだと見るや、
 「いっせーの、ほいっ!!」
 小柄な魔術師の身体を、縦穴の上へ向かって思い切り放り上げたではないか。
 「え?! ちょ!? ぉぉぉおおお?!」
 いきなり予想外の事態に、G2ハイウィザードが悲鳴を上げながら真上にすっ飛んでいく。そしてその姿が穴の上で見えなくなった、と思ったら、
 「っ痛ったあああ!! おい何すんだごるぁああ!!」
 盛大な抗議が穴の上から降って来たところをみると、どうも着地し損なってお尻かどこかをぶつけたらしい。
 しかしいくら小柄とはいえ、人間一人を10メートルの高さまで投げ上げる、このG9パラディンの力こそ明らかに尋常ではない。ではパラディンという職業にそんな怪力のスキルがあるかと言えば、そんなモノも知られていない。
 「さっすがパラちゃん力持ち! じゃ一丁、あちきもヨロシクでやんす〜」
 ひらりん、と舞うような仕草、そして妙な言葉づかいでG9パラディンにすり寄った、こちらは手足がすらりと長く、加えて目・鼻・口といった顔のパーツがそれぞれくっきりと大きい、何とも特徴的な容貌の『グラリス』。

 グラリスNo6、師範歌舞師(マスター・ジプシー)
 名は『祇王(ギオウ)』。

 こちらもグラリス襲名に至る過程に有名なエピソードを持つ、当代随一の歌唄い。この世で出せない声はない、といわれる七色の声音の一つ、飼い主にすり寄る猫のような、甘く柔らかい声を典雅に響かせる。
 「ねえ、プリちゃんプリちゃん? キリエちょうだいな、キリエ?」
 「よかろう。『キリエ・エレイソン』」
 ジプシーのリクエストに応えてバリアーの魔法『キリエ・エレイソン』を贈った、これも当然『グラリス』だ。
 戦士系のメンバーと同様の男言葉に加え、その風貌がまた異様。
 徹底的に訓練された猟犬を思わせる厳しい顔つき、そしてグラリスのトレードマークでもある眼鏡、その片目をまるで眼帯のように黒ガラスに換えてあるのだ。
 一見すると歴戦の傭兵教官のような、ひどくストイックなルックス。
 そして呪文の詠唱が目を見張るほどに速い。当然、効果も折り紙付き。

 グラリスNo4、師範上僧正(マスター・ハイプリースト)。
 名を『アキラ・スカーレット』。
 
 アルナベルツ法皇庁直轄の威力機関『聖鎚連(せいついれん)』。その容赦ない信仰と暴力で、若くしてその副隊長に上り詰めた猛者が彼女だ。
 しかし異教国家であるルーンミッドガッツ王国との戦いで捕虜となり、拷問の末に片目を失って以降は一転、治療や後方支援を主とする後衛スタイルに転向。戦地医療・支援の専門家として数多くの戦場を渡り歩き、ここでも准枢機卿候補に名が挙がるほどの成果を叩き出した。
 スタイルこそ後衛に転じたが、一切の妥協を許さない信仰と厳しい修行は不変であり、そこから実現する治癒・支援魔法の凄まじさは他の追従を許さない。『イトカワ』から飛び下りた無代とD1がギリギリ生存できたのも、彼女が直前に贈った防御呪文の恩恵あってこそ。今、ジプシーの身体を包む魔法のバリアなど、その力から言えばほんのお遊びだ。
 「っせーの、ほいっ!」
 再びパラディンの身体が沈み、その『左足』が床を蹴る。
 「うっひょおおお!!」
 剽軽そのものの嬌声を張り上げ、ジプシーの身体が宙を舞う。そして縦穴の上に消えたと見るや、カーン!というバリアの接触音。
 「あー! ズルい! ズルいい!!」
 響くのはG2ハイウィザードの不平不満。どうやら自分の失敗を踏み台に、後に続いたジプシーがちゃっかり無傷なのが気に入らないらしい。
 「あひゃっひゃ〜♪ 渦(うず)ちゃん、人柱ご苦労様でやんす〜♪」
 「ぐぬぬぬぬ!!」
 この穴の上の喧噪には、穴の底に残った聖騎士も苦笑い。ちなみに『渦』とはウィザードの略称『ウィズ』をもじった愛称で、上位職であるハイウィザードは『廃渦(はいうず)』などと言ったりもする。
 「さてシスター、御身も放り上げて差し上げようか?」
 歴戦の戦場尼僧である隻眼のグラリスを『シスター』呼ばわりは、同じ聖職系である女聖騎士ならではの洒落だ。
 だがこの2人、同じ聖職系とは言っても仰ぐ神を異にする、いわゆる異教徒同士。それどころか、お互い敵陣同士で相対した過去すらある。
 「……いや、遠慮しておく」
 だが隻眼のハイプリーストは聖騎士に怒るでもなく、だが笑いもせずに応えた。
 「代わりに『これ』を頼む、G9」
中の人 | 第十三話 「Exodus Joker」 | 12:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十三話 「Exodus Joker」 (10)
 
  G4ハイプリーストが自分の足下を一度ちょん、と指差しておいて岩の梯子を昇り始める。
 「ふむ……確かに『チーム・グラリス全員』と言われたものな」
 G9パラディンがよいしょ、と岩の床から肩に担ぎ上げた『それ』は、ちょうど人間一人分ぐらいの大きさの革袋なのだが……
 いや、どう見ても『死体袋』そのものではないか。
 だが今の2人の会話からは『それ』もまた『グラリス』であるかのように聞こえるのだが……?
 「む……よし」
 穴の底、最後に残ったG9パラディンの身体が、三たびぐぐっ、と床に沈む。
 ハイウィザードやジプシーを投げ上げた時よりも、見るからにその『左足』に大きな力を貯めている。その余波でカプラのスカートがまくれ上がり、隙間から『左足』がわずかに覗けた。
 その足は、明らかに『人間の足ではない』。
 色白、などという可愛らしい言葉では言い表せないほどの、まるで雪を集めて固めたような『白色』。それが異様な形に変形し、スカートの外まで溢れ出す様は、まさに『異形』としか言い様がなかった。
 「はっ!」
 パラディンの気合と同時に、異形の変形を遂げた左足が人外の力を解放し、岩の床を蹴る。だんっ! という重い打撃音を残して、死体袋を担いだままのパラディンが10メートルの高さを一気に上昇。
 その跳躍力こそ驚くべし、穴の縁からさらに1メートルも飛び上がっておいて、再び左足を軸に音も無く着地する。
 この左足、もちろん生身ではない。『義足』である。
 世界で唯一、このG9パラディンのみが持つ『生体義足』、これがその力だ。
 戦場で失った足に代わり、疑似生命『ホムンクルス』の技術を応用して創り出されたこの義足は、それ自体が一個の独立した生命体であり、この女パラディンの肉体との間で、一種の共生関係を構築しているという。
 彼女の夫(アルケミストギルド最大の問題児として、知る人ぞ知る異端のクリエイターだ)が、部分的とはいえ『人体錬成』という大禁忌スレスレの禁術を使って造り出した代物である。
 奇跡の跳躍を終えたパラディンが、はだけたスカートを片手で整え、死体袋を担いだまま立ち上がる。
 そこは目が痛くなるほどの青空のまっただ中。
 遠くに少しの雲と、いくつかの浮遊岩塊を散らした他は、すべて青。
 この絶景を前にしては、元々あまり情緒的な性格ではない、いや世間的な評価で言えばむしろ『堅物(かたぶつ)』と言っていいG9パラディンでさえ、
 (
倖弥(ユキヤ)にも見せてやりたい……ここが牢獄でさえなければ)
 と、長く顔も見ていない夫の顔を思い浮かべてしまう。
 その青色を背にして、『チーム・グラリス』が集結している。
 全員が赤銅色のロングヘア(地毛を染めている者もいれば、ヘアピースを使っている者もいた)、装いはいわゆる『メイド服』に似たカプラの制服とエプロン、そしてヘアバンド。
 加えて眼鏡。
 だが同じなのはそこまでだ。
 長女ディフォルテーを筆頭とするカプラ嬢の他チームでは、それぞれチームごとに背格好をそろえるのが通例で、その容姿も当然ながら『えり抜き』の美女が並んでいる。
 ところがこの『チーム・グラリス』だけは違っていた。
 まず体格からして、男性顔負けのロードナイトがいるかと思えば、逆に中学生レベル、果ては幼児にしか見えない者までバラバラ。
 失礼だが容姿にしても『美人ぞろい』とはとても言えない。人の目を奪うような美女もいるけれど、言っちゃ悪いが見るからにパッとしない、良くて十人並みかそれ以下、いう者まで混じっている。
 玉石混淆、それも『石』の方が多いと言って差し支えない、実に珍妙な集団なのだ。
 だが誤解のないように書いておくが、では彼女らに魅力がないのかと言えば、それは間違いだった。
 とんでもない大間違いである。
 確かに目鼻立ちの整った美女こそ少ないが、例えるなら深海の真珠貝から稀に見つかる、ユニークな形だからこそ極めて高価な変形・変色の真珠にも似た、一目見たら絶対に忘れられない『面構え』が揃っている。
 それより何より、彼女達の真の価値は決して、その見てくれなどにあるのではない。
 それぞれが、それぞれの道で技と知識と経験を極めた、まさにプロフェッショナルの中のプロフェッショナル。自薦他薦はさまざまだが、今という時代において世界最高レベルの技能を持つと認められた女性達。
 残酷とも言える選別の末にたどり着く、カプラ嬢という最高の栄誉を得た女性達を、さらに鍛え磨き上げるために集められた15人、足すことの死体袋が一つ。

 カプラ教導師範部隊『チーム・グラリス』。
 
「いょーし、点呼取るぞ! 番号! 『2』!」
 なぜか勝手に点呼を、それも『2』から始めたのはG2ハイウィザード。

 「10っ!」
 「4」
 「ろーく♪」
 「……」
 「3」
 「15イルヨー」
 「はいはい! 8!8!」
 「9」
 「ねーホントに誰か、タバコ余ってない?」
 「7」
 「あーもう! タバコの話しないで、吸いたくなるから! っと、11っ!」
 「……14」

 いや、フリーダムにも限度というものがあるだろう。
 「ぃよしっ! 全員そろってるな!」
 元気なハイウィザードが大きくうなずく。しかし完全に沈黙したまま者から、明らかに雑談している者までいるのだが、コレで本当に分かったのだろうか?
 「いや魔術師殿、G12がいないぞ」
 ひときわ長身のG10ロードナイトが指摘する。
 やっぱり分かっていなかったらしい。
 「ぬぬぅっ?」
 小柄で華奢な外見に反し、エネルギーの有り余ったハイウィザードの目が吊り上がる。
 「だぁあああ!もぉおおお! 団体行動しろやぁああ!! どこだ出て来い『クマコ』ぉぉぉ!!!」
 絶叫。それに対し、応えはあった。
 「……ほっほ♪」
 風吹き抜ける『イトカワ』の岩の上、どこからともなく笑い声が響く。
 が、その姿は見えない。自分の姿を隠してしまうチェイサーのスキル『トンネルドライブ』を使い、ほぼ常時その姿を消したままという、これまた実に突拍子もない『グラリス』。

 グラリスNo12、師範追撃士(マスター・チェイサー)
 名は、既にハイマジシャンが呼んだ通り『クマコ』。悪漢の巣窟『ローグギルド』からの派遣とくれば、当然のように偽名だろうが、その本名は仲間のカプラ嬢達にさえ公開されていない。

 盗賊『シーフ』から転職する上位職業である『ローグ』、さらにその上位『チェイサー』は、世間で『悪漢』と称される。何せその使用スキルが盗みや殺人といった、見るからに反社会的なモノに偏っているため、これは致し方ないことだ。
 だがそうは言っても、彼らとて人間社会の中で生きて行く以上、一から十まで違法・反社会的な存在ではいられない。国家や教会といった社会秩序を司るシステムを本気にさせれば、彼ら『悪漢』を世界から完全排除することも決して不可能ではないのだ。
 だからこそ、嫌々ながら『ローグギルド』などという『表の顔』を作り、軍や教会の活動に参加したり、Gvに人を送り込んだりして『良い子』の顔も作る。カプラ・グラリスに必ず一人、こうして代表を送り込んでいるのもまた、言うなれば彼らの『社会参加活動』の一環なのだ。
 ただ『顧客の財産を預かる』という性格上、カプラ嬢に悪漢の技が広まるのは対外的にもマズいため、師範とは言ってもカプラ嬢の弟子はいない。むしろ『腕利きの犯罪者に襲われた時、自分の身と顧客の財産を守る訓練の対象』、というややこしい建前が取られていた。
 なお余談ながら、彼ら悪漢の仲間内でこのカプラの師範役は『貧乏くじ』と呼ばれ、揶揄や嘲笑の対象となっている。衆目の中で『良い子ちゃん』を演じなければならないわけだから、これも無理からぬことではある。
 だからこそなのか、このクマコを名乗るチェイサー、『グラリス』として街角に立つ時以外、ほとんど人前に姿を現すことがない。
 「って、こんな時ぐらい顔見せろやああ!!」
 G2ハイウィザードが、姿を隠した相手をあぶり出す魔法『サイト』を展開しながらその辺を走り回るが、
 「ほっほ〜♪」
 不可視のG12チェィサー、まるで意に介していない。当然、姿も現さない。
 「いつもいつも、元気いっぱいでやんすね〜♪ 渦ちゃんは♪」
 G6ジプシーの吞気な声は、全員の感想の代弁である。
 「悪いか!」
 茶化されて、また目を吊り上げるG2ハイウィザードに、 
 「いえいえ、とんでもありんせん♪」
 大輪の向日葵を思わせる、大きな笑顔でひらひらと手を振るG6ジプシー。
 「あっちの穴ん中の『お嬢』ら、そろいもそろって凹み凹みでやんすからね。あちきらだけでも、ひとつ景気良く参ろじゃありんせんか♪」
 ひらり、と両手をさばき、ひょい、と足を高々と上げ、くるり、と一回転。
 いかにもお調子者風のいい加減な動きに見えるが、実は身体の軸に微塵の揺らぎもない。してみると、決してカラ元気や虚勢で言っているわけではない。
 確かに、カプラ社上層部による裏切りで『イトカワ』に囚われた直後は、さすがのグラリス達もショックを隠せなかった。しかしそこはベテラン揃いの技能集団、若いカプラ嬢達より何倍も速く気持ちを立て直し、避難用の洞窟を掘ったり、D1と無代の脱出計画にも腕を振るった。
 特にトップ嬢であるG1スナイパーは、せっかく掘った待避壕にも籠ることなく、低温の強風が吹き抜ける『イトカワ』の上にずっと陣取り、周囲にその警戒の目を光らせ続けている。
 さて、わざとなのか天然か、G6ジプシーの悪ノリのおかげで静まった『イトカワ』の上。
 「……よし、みんな聞いて」
 G1スナイパーの手がすっ、と上がり、次いで遥か彼方の空を指差した。 
 「飛行船が一隻、こちらに向かって来る」
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