2014.09.30 Tuesday
外伝『The Gardeners』(1)
アマツ・瑞波の国。
無代や、静の故郷であるこの国が、軍事的にも経済的にも、そして文化の面でも非常に進んだ国であることは、これまでも繰り返し書いてきたことだ。
稀代の天才統治者であった先君・一条銀の指揮の下、優秀な人材を育成し、富国強兵策を着実に推し進めた結果、
「西に都あり、北に瑞波あり」
瑞波の民が、そう自負するまでに成長したのである。
ところが、だ。
実はアマツ全体で見た場合、瑞波の国の評価は意外にも決して高くない。よくて『中の上』、下手をすると『下』とする者さえ存在する。
この原因として、まず一つ目に瑞波の国の位置がある。
アマツの北方、都から遥か離れた『辺境の地』にあり、要は『あんまり知られていない』。都人にとって瑞波は、いまだに『知る人ぞ知る地』なのだ。
次に二つ目として、瑞波の経済・軍事力がアマツ国内ではなく、主に海外に広がっていることが挙げられる。
一条銀の戦略により、巨大貿易船の建造と新航路の開拓に力を注いだ結果、今やルーンミッドガッツ王国を除くほとんどの国に瑞波の商業拠点が築かれており、その商圏は今現在も拡大の一途をたどっている。
それを守護する海軍力も含めれば、実は瑞波の戦力は、都の周辺で天下を狙うトップクラスの大名たちに引けをとらない……のだが、これもアマツという『コップの中の争い』ばかりに熱心な大名たちには、現実的な情報として伝わっていないのだ。
そして第三の原因として、瑞波の国が一度も『上洛』をしていない、という事情がある。
ここで言う『上洛』とは、瑞波の守護職である一条家の当主が、都へ上って御所(天皇の住居)に参内し、今上帝(現在の天皇)に謁見することを言うが、一条家はもう長い間これをしていないのだ。
アマツにおいて『天下を取る』には、今上帝から『征夷大将軍』の任命を受け『幕府』を開く、というのが正道だ。
なのに未だ一度も今上帝に謁見していない、というのは、大名たちによる『天下取りレース』に参加していない、というのも同じであり、よって人々から『天下に興味のない、引きこもりの田舎大名』とみなされても、これでは仕方がない。
ここまで来ると、いくら一条家を中心に鉄の結束を誇る瑞波といえども、不満は出る。
「鉄の殿は『腰抜け』じゃ!」
どこからか、こんな声すら聞こえてくる。
「おい、めったなことを言うものではないぞ」
「そうとも、我らが殿は天下無双。それを『腰抜け』呼ばわりとは」
周囲が諌めても、
「『腰抜け』を『腰抜け』と言うて何が悪い!」
収まらない。
「瑞波にはもう、十分な力がある! 神君・銀公(しんくん・しろがねこう。一条銀のこと)のご加護を持って、どこの大名にも負けはせん! いまこそ上洛し、今上帝より将軍職を頂戴し、幕府を開いて天下に号令すべし!」
勢いがいい。
「む……それは否定せん」
「もっともじゃ」
周囲も、そこのところは同じ意見である。国力が整ってくれば、野心を持つのは当然の時代なのだ。
「であろう! ならば、なぜ殿は上洛しようとなさらぬ! ワープポータルなぞ使わず、堂々一直線に軍を進めて都に乗り込む、その力は十二分にあるというのに!」
さらにヒートアップ。
「……」
「……殿にもお考えがあるのだろう」
一応のフォローは入るが、
「あるものか! 腰が抜けておるだけよ!」
やはり収まらない。
「声が大きいぞ斉藤、貴公の悔しい気持ちは分かるが……」
「そうとも。誰に聞かれているとも知れぬのに」
再び周囲が諌めるが、
「お主らに俺の気持ちが分かるはずもない! ええい、誰に聞かれて構うものか!」
斉藤という男、どうにもタチが悪くなってきた。
「斉藤、飲み過ぎじゃ」
「そうとも。もう何杯目じゃ」
何のことはない、要するに酒で気が大きくなっているらしい。
ここは瑞波の首都・瑞花の街の西側に開けた歓楽街、桜町。
桜町、それに隣接した桜新町といえば、我らが『瑞波の無代』の生まれ故郷であり、その生涯を決定づけた瑞波の先君・一条銀と出会った街(外伝『Box Puzzle』参照)でもある。
かつて一条家がこの地に侵攻した際、その軍事力に最後まで逆らった先住豪族達が立てこもった地であり、今も瑞波の国から高度な自治権、『御免状』を与えられている『御免色里(ごめんいろさと)』だ。
ゆえに、いったん街に入れば飲食遊興は無税。武士も平民も身分の上下はなく、喧嘩は死に損殺され損。自由と引き換えに、その何倍もの自己責任を負うこの街には、およそ星の数ほどの酒家・娼家があるとされ、そこににぎわいの絶える時間は無いと言われる。
「何度でも言うてやる! 殿は腰抜け、大腰抜けじゃ!!」
斉藤とやらが気勢を上げている場所も、桜町に輝く星の一軒。『入江屋』という、格で言えば中級クラスの酒家である。客は主に一条家の御家人、その中でも懐に余裕のある武士たちが酒を飲み、女を呼ぶ、そこそこ小奇麗な店といったところだ。
この斉藤とやらの一団も、やはり一条家の御家人衆である。しかも、いずれも一条家に古くから仕えている、古参の家柄の子弟ばかり。今はまだ役職も低いが、いずれは親の跡を継いで一条家の中核官僚となる、そういう人生が約束された者達。
「よさぬか、斉藤」
今までとは違う、妙に落ち着きを気取った声。
「む……しかし吉崎殿」
「よせと言うのだ」
「……」
周囲がいかに諌めても聞かなかった斉藤が、一言で黙る。してみると吉崎、この座の主であるようだ。
そのはず、『吉崎家』といえば、一条家古来の重臣『十本槍』の一つに数えられる名家。さらに吉崎の親も瑞波の奉行クラス、現代の政府で言えば『局長級』の座にある。
だというのに……いや、それゆえに吉崎、同年代の若侍数人を従えて店に入り、自ら上座に座って酒を飲み、若侍らが『政権批判』を叫ぶのをじっと聞いていた。
そして、批判がついに主君・一条鉄にまで及んだと見て、いよいよ自ら口を出したのだ。
と、言って吉崎、一条家批判を止めたわけではない。
「殿は腰抜けにあらず。悪の根は別にある」
手に酒盃を持ったまま、妙に芝居がかった態度で、絶妙に話をすり替えはじめる。
「殿は『武』のお方。それを正しくお導き申し上げるのが臣の役目……だがその臣がいかぬ」
「『臣』と?! それは!」
斉藤が吉崎に食って掛かる勢い。周囲の若侍達も、黙って吉崎に注目している。というか、こういう時にそうしないと、吉崎の機嫌が悪くなると知っているのだ。
「それは誰だ、吉崎殿!」
「それが誰か、貴公らも承知のはず」
吉崎はにやり、と笑いながら酒盃を飲み干、
「……筆頭御側役・善鬼。あの忌々しい鬼よ。鬼の仕業よ」
しん、と座に沈黙が落ちた。
さっきまで、主君その人さえ『腰抜け』呼ばわりしていた斉藤まで、酔いが吹っ飛んだように青い顔を見せている。どうやら若侍達にとって、『殿』より『鬼』が怖いらしい。
だが吉崎は続ける。
「殿が上洛なさらぬのも、あの鬼が甘言を弄しておる。流の若様が武者修行に出られるというのに、我らの同道を許さなんだのもあの鬼じゃ。その一方で、綾姫様を誑し込む。これらはすべて鬼の企み、俺にはお見通しよ」
えらく上から目線で、吉崎が空の酒盃を突き出す。斉藤があわてて銚子を持ち、酒を注ぎながら、
「吉崎殿、その鬼の企みとは?!」
「ずばり言おう。『乗っ取り』じゃ」
「乗っ取り?!」
吉崎の言葉に、全員が驚愕する。
「おうよ。殿を上洛させず、若をお一人で修行に出す。しかるのち、綾姫を誑し込んで一条家の婿となり、男子を成す。考えてみよ。今、もし若に何かあれば……」
「一条家の家督は鬼の子に、か」
斉藤の顔が一気に赤く染まる。酔いと怒りが戻ってきたらしい。
「殿には男子がおられぬ。若様に何かあれば、静姫は操を立てられてご出家なさるであろう。香姫は……ま、あの方はアテにはならぬ。となれば、あながち鬼の企みも無理とは言えぬ」
吉崎が畳み掛ける。
いや、ちょっと考えればこれ、相当に無理があることは分かる。
まず、そもそも一条家の上洛を止めているのは善鬼ではない。大体、あの一条鉄が『行く』と言い出したら最後、たとえ善鬼でも止められるわけがない。一条家が上洛しないのは一にも二にも、主君である鉄の意志である。
第二に、世継ぎである一条流が一人で武者修行に出たのは、もちろん読者もご承知の『ウロボロス』だ。呑気にお供など連れていけるはずがない。まあ、もし万が一にもお供を連れて行くとなっても、流がこの連中を選ぶ道理はない。
そもそも流の若様、こういう連中が『大嫌い』であり、
『身分家柄にかまけて努力もせぬ輩。犬のクソの方がまだ役に立つ。畑の肥やしにな』
と、天臨館の取り巻き達に常々漏らしていたぐらいだ。
そして第三の『綾姫を誑し込む云々』は……もう真面目に解説するのも馬鹿馬鹿しいので書かない。
だが吉崎、真剣だ。
「聞け。ここからが本題だ」
声をひそめ、若侍達を近くに寄せる。
「俺がコレを見ぬいたことをな、大きく評価して下さった御方がいらっしゃる。その御方は『一条家の上洛、お上(天皇)にお許しを頂いてもよい』と」
「何と……?!」
若侍達が、驚きと興奮に包まれる。一条家の上洛、それはすなわち一条家が天下に近づくこと。そして彼ら自身の出世そのものなのだから当然だ。
「『一条殿のお側から、鬼を取り除くなら』という条件よ。それこそ我らの望む所!」
「おお……!!」
座が沸き上がる。
「しかし……どなたですか、その『御方』とは」
「聞きたいか……? 聞きたいであろうなあ」
吉崎がもったいぶる。何の事はない、言いたくてしょうがないのだ。
「よいか、決して……決して他言無用ぞ。……実は『菊池様』よ」
「菊池……! あの都の!」
斉藤が膝を打つ。
この『菊池』とは、都の周囲で天下を狙う大名の一角であり、ランク的には第三位。だが一、二位とはやや水を開けられており、ゆえに、
「『一条殿の上洛をお助けしたい。その代わり、当家と同盟を』とのお話じゃ」
吉崎はこう言うが、つまりは『上洛の手はずを整えてやるから、菊池の天下取りの下働きをしろ』という意味である。しかも一条家にとっては重臣中の重臣・善鬼を除け、という。まともに考えれば、こんなモノが飲めるはずはない。
『上洛』の言葉に酔わされ、とんでもない条件を突きつけられていることに気づかない。そもそも『善鬼が悪い』と吹き込んだのは、どうやら菊池の者である。
若侍一同、どうも『お里が知れる』と言わざるを得まい。
「……だが、あの鬼も殿に劣らぬ豪の者。いかに除く?」
気づけば話がもう、そこまで進んでいる。
「それよ。確かに、あの鬼を直接攻めるのは難い。故に、弱点を攻めるのだ。菊池殿がちゃんと、手はずを整えてくれた」
吉崎がまたニヤリと笑う。が、どうもこの男の言葉を聞くほどに、この話、一から十まで菊池が描いたとしか思えない。
いわゆる『傀儡(かいらい)』。
だが、操られる人形は操られている事に気づかない。
そしてしばしの時間が過ぎ。
「よし、話は決まった! 前祝いと行こうではないか!」
「おうよ、女じゃ! 女を呼べ!」
吉崎が気勢を上げ、斉藤が手を打って店に声をかける。
と、同時に、
「まいど! お呼びにつき、参上いたしましたーっ!」
すぱーん! と襖が開いた向こうに、にぱーっ! と物凄い笑顔の女が正座で出現した。お世辞にも美人ではないが、なにせ笑顔が破格級。
ついでに頭上に巨大な『ヒマワリ』の花。これを一度見て忘れるヤツはいまい。
ぱちん! と、女の指が鳴る。
すぱーん! と、さらに襖が開き、色鮮やかな着物の裾を艶やかに引いた女達が、一斉に部屋の中へと進み出る。今まで男ばかりだった座が、一気に牡丹の花畑に代わったようだ。女達は男一人に一人ずつ、ついでに主の吉崎には左右二人、そっと寄り添うように座る。
男どもの顔がいきなり緩むのが、面白いやら情けないやら。
「……よっ♪」
いつの間にか、ひまわり女が三味線を構え、ぴん、とひと鳴らし。
と、これまた同時に正面の襖がすっ、と開くと、行灯の光に照らされた一人の舞妓が、扇子を面白く斜めに広げて片膝立ち。
十六夜月夜の 宵待草は……♪
ひまわり女の、意外にも澄んだ歌声が、これまたきりりと澄んだ三味線の音色と共に流れ出す。
男も女も、口を開けて舞妓の舞に見惚れている。
そして夜は暮れて。
深夜、日付も変わるころ。
あのひまわり女と、コンビの舞妓の姿が、桜町の別の店で見られる。
『汲月楼』。
……といえば、この稀有の御免色里で最高格式を誇る娼館であり、亡き瑞波の先君・一条銀が常連であった、あの店。
その店の奥も奥、一般客が決して立ち入れない、超の上にも超を重ねたVIP部屋。
「だーかーらー! 一大事! 一大事なんでヤンスよっ!」
塵の一つさえ見当たらないほど完璧に整えられた上等の畳を、ひまわり女の掌がばんばん、と叩く。 正座の膝が、思わずズリズリと前に出るほどの勢い。
「ってなワケで、こうしてご注進に参上したワケでっ……って、あのー、聞いてらっしゃいます?」
ひまわり女が、頭上のひまわりごと思いっきり首を傾げる。
「……んー? ああ、聞いてる聞いてる」
ひまわり女の勢いとは対照的に、呑気を絵に書いたような女性の声。
「で、なんだっけ……?」
「きいてねえ!!!」
畳を叩く手が『両手』に格上げ。
「聞いてるったら。あー……そうそう。『ウチの若い連中が何か企んでる』、ってんだっけ?」
女の声はあくまで呑気だが、よく聞けば内容がおかしい。
一条家の御家人を『ウチの若い連中』呼ばわり。
そんなことが許される……いや別に許されなくても普通に口にできる女性、といえばもう、瑞花の街に一人しかいない。
「あーよかった! 奥方様もとうとう耳が遠くおなりかと……って熱っちい!」
いらんこと言った自業自得、頭の上のひまわり、その花びらの一枚だけが狙いすましたように燃え上がり、ひまわり女のおでこに落ちた。
威力を1以下まで、ミクロレベルで調節したファイアーボルトの魔法を、一瞬で打ち込む超絶魔法技『灼雨』。
この世にコレを操る女性もまた、一人しかいない。
一条巴。
瑞波一条家の先君、一条銀に嫁いで一子・流を産み、現当主・一条鉄の後妻となった、この美しき異国の女性を、瑞波の人々は尊敬と畏怖を込め『奥方様』と呼ぶ。
「で?」
「あーはいはい!」
しばらく熱ちい熱ちいと騒いでいたひまわり女が、あらためて正座。
「あの連中、とんでもないことを企みやがりまして!」
「だから何」
奥方様、ご機嫌が悪い。まあ、歳のことを言われて機嫌が良くなる女性もいないだろうが。
だが、その奥方様でさえ、ひまわり女の言葉に眉を上げることになる。
「何とあの連中、刺客を送る気でヤンス!」
「……誰に?」
一瞬の気迫。さしものひまわり女が気圧されるが、すぐ気を取り直す。ここが肝心の情報だ。
「咲鬼様! こともあろうに善鬼様のご養女、咲鬼様が狙われてるんでヤンス!」
つづく
無代や、静の故郷であるこの国が、軍事的にも経済的にも、そして文化の面でも非常に進んだ国であることは、これまでも繰り返し書いてきたことだ。
稀代の天才統治者であった先君・一条銀の指揮の下、優秀な人材を育成し、富国強兵策を着実に推し進めた結果、
「西に都あり、北に瑞波あり」
瑞波の民が、そう自負するまでに成長したのである。
ところが、だ。
実はアマツ全体で見た場合、瑞波の国の評価は意外にも決して高くない。よくて『中の上』、下手をすると『下』とする者さえ存在する。
この原因として、まず一つ目に瑞波の国の位置がある。
アマツの北方、都から遥か離れた『辺境の地』にあり、要は『あんまり知られていない』。都人にとって瑞波は、いまだに『知る人ぞ知る地』なのだ。
次に二つ目として、瑞波の経済・軍事力がアマツ国内ではなく、主に海外に広がっていることが挙げられる。
一条銀の戦略により、巨大貿易船の建造と新航路の開拓に力を注いだ結果、今やルーンミッドガッツ王国を除くほとんどの国に瑞波の商業拠点が築かれており、その商圏は今現在も拡大の一途をたどっている。
それを守護する海軍力も含めれば、実は瑞波の戦力は、都の周辺で天下を狙うトップクラスの大名たちに引けをとらない……のだが、これもアマツという『コップの中の争い』ばかりに熱心な大名たちには、現実的な情報として伝わっていないのだ。
そして第三の原因として、瑞波の国が一度も『上洛』をしていない、という事情がある。
ここで言う『上洛』とは、瑞波の守護職である一条家の当主が、都へ上って御所(天皇の住居)に参内し、今上帝(現在の天皇)に謁見することを言うが、一条家はもう長い間これをしていないのだ。
アマツにおいて『天下を取る』には、今上帝から『征夷大将軍』の任命を受け『幕府』を開く、というのが正道だ。
なのに未だ一度も今上帝に謁見していない、というのは、大名たちによる『天下取りレース』に参加していない、というのも同じであり、よって人々から『天下に興味のない、引きこもりの田舎大名』とみなされても、これでは仕方がない。
ここまで来ると、いくら一条家を中心に鉄の結束を誇る瑞波といえども、不満は出る。
「鉄の殿は『腰抜け』じゃ!」
どこからか、こんな声すら聞こえてくる。
「おい、めったなことを言うものではないぞ」
「そうとも、我らが殿は天下無双。それを『腰抜け』呼ばわりとは」
周囲が諌めても、
「『腰抜け』を『腰抜け』と言うて何が悪い!」
収まらない。
「瑞波にはもう、十分な力がある! 神君・銀公(しんくん・しろがねこう。一条銀のこと)のご加護を持って、どこの大名にも負けはせん! いまこそ上洛し、今上帝より将軍職を頂戴し、幕府を開いて天下に号令すべし!」
勢いがいい。
「む……それは否定せん」
「もっともじゃ」
周囲も、そこのところは同じ意見である。国力が整ってくれば、野心を持つのは当然の時代なのだ。
「であろう! ならば、なぜ殿は上洛しようとなさらぬ! ワープポータルなぞ使わず、堂々一直線に軍を進めて都に乗り込む、その力は十二分にあるというのに!」
さらにヒートアップ。
「……」
「……殿にもお考えがあるのだろう」
一応のフォローは入るが、
「あるものか! 腰が抜けておるだけよ!」
やはり収まらない。
「声が大きいぞ斉藤、貴公の悔しい気持ちは分かるが……」
「そうとも。誰に聞かれているとも知れぬのに」
再び周囲が諌めるが、
「お主らに俺の気持ちが分かるはずもない! ええい、誰に聞かれて構うものか!」
斉藤という男、どうにもタチが悪くなってきた。
「斉藤、飲み過ぎじゃ」
「そうとも。もう何杯目じゃ」
何のことはない、要するに酒で気が大きくなっているらしい。
ここは瑞波の首都・瑞花の街の西側に開けた歓楽街、桜町。
桜町、それに隣接した桜新町といえば、我らが『瑞波の無代』の生まれ故郷であり、その生涯を決定づけた瑞波の先君・一条銀と出会った街(外伝『Box Puzzle』参照)でもある。
かつて一条家がこの地に侵攻した際、その軍事力に最後まで逆らった先住豪族達が立てこもった地であり、今も瑞波の国から高度な自治権、『御免状』を与えられている『御免色里(ごめんいろさと)』だ。
ゆえに、いったん街に入れば飲食遊興は無税。武士も平民も身分の上下はなく、喧嘩は死に損殺され損。自由と引き換えに、その何倍もの自己責任を負うこの街には、およそ星の数ほどの酒家・娼家があるとされ、そこににぎわいの絶える時間は無いと言われる。
「何度でも言うてやる! 殿は腰抜け、大腰抜けじゃ!!」
斉藤とやらが気勢を上げている場所も、桜町に輝く星の一軒。『入江屋』という、格で言えば中級クラスの酒家である。客は主に一条家の御家人、その中でも懐に余裕のある武士たちが酒を飲み、女を呼ぶ、そこそこ小奇麗な店といったところだ。
この斉藤とやらの一団も、やはり一条家の御家人衆である。しかも、いずれも一条家に古くから仕えている、古参の家柄の子弟ばかり。今はまだ役職も低いが、いずれは親の跡を継いで一条家の中核官僚となる、そういう人生が約束された者達。
「よさぬか、斉藤」
今までとは違う、妙に落ち着きを気取った声。
「む……しかし吉崎殿」
「よせと言うのだ」
「……」
周囲がいかに諌めても聞かなかった斉藤が、一言で黙る。してみると吉崎、この座の主であるようだ。
そのはず、『吉崎家』といえば、一条家古来の重臣『十本槍』の一つに数えられる名家。さらに吉崎の親も瑞波の奉行クラス、現代の政府で言えば『局長級』の座にある。
だというのに……いや、それゆえに吉崎、同年代の若侍数人を従えて店に入り、自ら上座に座って酒を飲み、若侍らが『政権批判』を叫ぶのをじっと聞いていた。
そして、批判がついに主君・一条鉄にまで及んだと見て、いよいよ自ら口を出したのだ。
と、言って吉崎、一条家批判を止めたわけではない。
「殿は腰抜けにあらず。悪の根は別にある」
手に酒盃を持ったまま、妙に芝居がかった態度で、絶妙に話をすり替えはじめる。
「殿は『武』のお方。それを正しくお導き申し上げるのが臣の役目……だがその臣がいかぬ」
「『臣』と?! それは!」
斉藤が吉崎に食って掛かる勢い。周囲の若侍達も、黙って吉崎に注目している。というか、こういう時にそうしないと、吉崎の機嫌が悪くなると知っているのだ。
「それは誰だ、吉崎殿!」
「それが誰か、貴公らも承知のはず」
吉崎はにやり、と笑いながら酒盃を飲み干、
「……筆頭御側役・善鬼。あの忌々しい鬼よ。鬼の仕業よ」
しん、と座に沈黙が落ちた。
さっきまで、主君その人さえ『腰抜け』呼ばわりしていた斉藤まで、酔いが吹っ飛んだように青い顔を見せている。どうやら若侍達にとって、『殿』より『鬼』が怖いらしい。
だが吉崎は続ける。
「殿が上洛なさらぬのも、あの鬼が甘言を弄しておる。流の若様が武者修行に出られるというのに、我らの同道を許さなんだのもあの鬼じゃ。その一方で、綾姫様を誑し込む。これらはすべて鬼の企み、俺にはお見通しよ」
えらく上から目線で、吉崎が空の酒盃を突き出す。斉藤があわてて銚子を持ち、酒を注ぎながら、
「吉崎殿、その鬼の企みとは?!」
「ずばり言おう。『乗っ取り』じゃ」
「乗っ取り?!」
吉崎の言葉に、全員が驚愕する。
「おうよ。殿を上洛させず、若をお一人で修行に出す。しかるのち、綾姫を誑し込んで一条家の婿となり、男子を成す。考えてみよ。今、もし若に何かあれば……」
「一条家の家督は鬼の子に、か」
斉藤の顔が一気に赤く染まる。酔いと怒りが戻ってきたらしい。
「殿には男子がおられぬ。若様に何かあれば、静姫は操を立てられてご出家なさるであろう。香姫は……ま、あの方はアテにはならぬ。となれば、あながち鬼の企みも無理とは言えぬ」
吉崎が畳み掛ける。
いや、ちょっと考えればこれ、相当に無理があることは分かる。
まず、そもそも一条家の上洛を止めているのは善鬼ではない。大体、あの一条鉄が『行く』と言い出したら最後、たとえ善鬼でも止められるわけがない。一条家が上洛しないのは一にも二にも、主君である鉄の意志である。
第二に、世継ぎである一条流が一人で武者修行に出たのは、もちろん読者もご承知の『ウロボロス』だ。呑気にお供など連れていけるはずがない。まあ、もし万が一にもお供を連れて行くとなっても、流がこの連中を選ぶ道理はない。
そもそも流の若様、こういう連中が『大嫌い』であり、
『身分家柄にかまけて努力もせぬ輩。犬のクソの方がまだ役に立つ。畑の肥やしにな』
と、天臨館の取り巻き達に常々漏らしていたぐらいだ。
そして第三の『綾姫を誑し込む云々』は……もう真面目に解説するのも馬鹿馬鹿しいので書かない。
だが吉崎、真剣だ。
「聞け。ここからが本題だ」
声をひそめ、若侍達を近くに寄せる。
「俺がコレを見ぬいたことをな、大きく評価して下さった御方がいらっしゃる。その御方は『一条家の上洛、お上(天皇)にお許しを頂いてもよい』と」
「何と……?!」
若侍達が、驚きと興奮に包まれる。一条家の上洛、それはすなわち一条家が天下に近づくこと。そして彼ら自身の出世そのものなのだから当然だ。
「『一条殿のお側から、鬼を取り除くなら』という条件よ。それこそ我らの望む所!」
「おお……!!」
座が沸き上がる。
「しかし……どなたですか、その『御方』とは」
「聞きたいか……? 聞きたいであろうなあ」
吉崎がもったいぶる。何の事はない、言いたくてしょうがないのだ。
「よいか、決して……決して他言無用ぞ。……実は『菊池様』よ」
「菊池……! あの都の!」
斉藤が膝を打つ。
この『菊池』とは、都の周囲で天下を狙う大名の一角であり、ランク的には第三位。だが一、二位とはやや水を開けられており、ゆえに、
「『一条殿の上洛をお助けしたい。その代わり、当家と同盟を』とのお話じゃ」
吉崎はこう言うが、つまりは『上洛の手はずを整えてやるから、菊池の天下取りの下働きをしろ』という意味である。しかも一条家にとっては重臣中の重臣・善鬼を除け、という。まともに考えれば、こんなモノが飲めるはずはない。
『上洛』の言葉に酔わされ、とんでもない条件を突きつけられていることに気づかない。そもそも『善鬼が悪い』と吹き込んだのは、どうやら菊池の者である。
若侍一同、どうも『お里が知れる』と言わざるを得まい。
「……だが、あの鬼も殿に劣らぬ豪の者。いかに除く?」
気づけば話がもう、そこまで進んでいる。
「それよ。確かに、あの鬼を直接攻めるのは難い。故に、弱点を攻めるのだ。菊池殿がちゃんと、手はずを整えてくれた」
吉崎がまたニヤリと笑う。が、どうもこの男の言葉を聞くほどに、この話、一から十まで菊池が描いたとしか思えない。
いわゆる『傀儡(かいらい)』。
だが、操られる人形は操られている事に気づかない。
そしてしばしの時間が過ぎ。
「よし、話は決まった! 前祝いと行こうではないか!」
「おうよ、女じゃ! 女を呼べ!」
吉崎が気勢を上げ、斉藤が手を打って店に声をかける。
と、同時に、
「まいど! お呼びにつき、参上いたしましたーっ!」
すぱーん! と襖が開いた向こうに、にぱーっ! と物凄い笑顔の女が正座で出現した。お世辞にも美人ではないが、なにせ笑顔が破格級。
ついでに頭上に巨大な『ヒマワリ』の花。これを一度見て忘れるヤツはいまい。
ぱちん! と、女の指が鳴る。
すぱーん! と、さらに襖が開き、色鮮やかな着物の裾を艶やかに引いた女達が、一斉に部屋の中へと進み出る。今まで男ばかりだった座が、一気に牡丹の花畑に代わったようだ。女達は男一人に一人ずつ、ついでに主の吉崎には左右二人、そっと寄り添うように座る。
男どもの顔がいきなり緩むのが、面白いやら情けないやら。
「……よっ♪」
いつの間にか、ひまわり女が三味線を構え、ぴん、とひと鳴らし。
と、これまた同時に正面の襖がすっ、と開くと、行灯の光に照らされた一人の舞妓が、扇子を面白く斜めに広げて片膝立ち。
十六夜月夜の 宵待草は……♪
ひまわり女の、意外にも澄んだ歌声が、これまたきりりと澄んだ三味線の音色と共に流れ出す。
男も女も、口を開けて舞妓の舞に見惚れている。
そして夜は暮れて。
深夜、日付も変わるころ。
あのひまわり女と、コンビの舞妓の姿が、桜町の別の店で見られる。
『汲月楼』。
……といえば、この稀有の御免色里で最高格式を誇る娼館であり、亡き瑞波の先君・一条銀が常連であった、あの店。
その店の奥も奥、一般客が決して立ち入れない、超の上にも超を重ねたVIP部屋。
「だーかーらー! 一大事! 一大事なんでヤンスよっ!」
塵の一つさえ見当たらないほど完璧に整えられた上等の畳を、ひまわり女の掌がばんばん、と叩く。 正座の膝が、思わずズリズリと前に出るほどの勢い。
「ってなワケで、こうしてご注進に参上したワケでっ……って、あのー、聞いてらっしゃいます?」
ひまわり女が、頭上のひまわりごと思いっきり首を傾げる。
「……んー? ああ、聞いてる聞いてる」
ひまわり女の勢いとは対照的に、呑気を絵に書いたような女性の声。
「で、なんだっけ……?」
「きいてねえ!!!」
畳を叩く手が『両手』に格上げ。
「聞いてるったら。あー……そうそう。『ウチの若い連中が何か企んでる』、ってんだっけ?」
女の声はあくまで呑気だが、よく聞けば内容がおかしい。
一条家の御家人を『ウチの若い連中』呼ばわり。
そんなことが許される……いや別に許されなくても普通に口にできる女性、といえばもう、瑞花の街に一人しかいない。
「あーよかった! 奥方様もとうとう耳が遠くおなりかと……って熱っちい!」
いらんこと言った自業自得、頭の上のひまわり、その花びらの一枚だけが狙いすましたように燃え上がり、ひまわり女のおでこに落ちた。
威力を1以下まで、ミクロレベルで調節したファイアーボルトの魔法を、一瞬で打ち込む超絶魔法技『灼雨』。
この世にコレを操る女性もまた、一人しかいない。
一条巴。
瑞波一条家の先君、一条銀に嫁いで一子・流を産み、現当主・一条鉄の後妻となった、この美しき異国の女性を、瑞波の人々は尊敬と畏怖を込め『奥方様』と呼ぶ。
「で?」
「あーはいはい!」
しばらく熱ちい熱ちいと騒いでいたひまわり女が、あらためて正座。
「あの連中、とんでもないことを企みやがりまして!」
「だから何」
奥方様、ご機嫌が悪い。まあ、歳のことを言われて機嫌が良くなる女性もいないだろうが。
だが、その奥方様でさえ、ひまわり女の言葉に眉を上げることになる。
「何とあの連中、刺客を送る気でヤンス!」
「……誰に?」
一瞬の気迫。さしものひまわり女が気圧されるが、すぐ気を取り直す。ここが肝心の情報だ。
「咲鬼様! こともあろうに善鬼様のご養女、咲鬼様が狙われてるんでヤンス!」
つづく
JUGEMテーマ:Ragnarok