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外伝『The Gardeners』(1)
 アマツ・瑞波の国。
 無代や、静の故郷であるこの国が、軍事的にも経済的にも、そして文化の面でも非常に進んだ国であることは、これまでも繰り返し書いてきたことだ。
 稀代の天才統治者であった先君・一条銀の指揮の下、優秀な人材を育成し、富国強兵策を着実に推し進めた結果、
 「西に都あり、北に瑞波あり」
 瑞波の民が、そう自負するまでに成長したのである。
 ところが、だ。
 実はアマツ全体で見た場合、瑞波の国の評価は意外にも決して高くない。よくて『中の上』、下手をすると『下』とする者さえ存在する。
 この原因として、まず一つ目に瑞波の国の位置がある。
 アマツの北方、都から遥か離れた『辺境の地』にあり、要は『あんまり知られていない』。都人にとって瑞波は、いまだに『知る人ぞ知る地』なのだ。
 次に二つ目として、瑞波の経済・軍事力がアマツ国内ではなく、主に海外に広がっていることが挙げられる。
 一条銀の戦略により、巨大貿易船の建造と新航路の開拓に力を注いだ結果、今やルーンミッドガッツ王国を除くほとんどの国に瑞波の商業拠点が築かれており、その商圏は今現在も拡大の一途をたどっている。
 それを守護する海軍力も含めれば、実は瑞波の戦力は、都の周辺で天下を狙うトップクラスの大名たちに引けをとらない……のだが、これもアマツという『コップの中の争い』ばかりに熱心な大名たちには、現実的な情報として伝わっていないのだ。
 そして第三の原因として、瑞波の国が一度も『上洛』をしていない、という事情がある。
 ここで言う『上洛』とは、瑞波の守護職である一条家の当主が、都へ上って御所(天皇の住居)に参内し、今上帝(現在の天皇)に謁見することを言うが、一条家はもう長い間これをしていないのだ。
 アマツにおいて『天下を取る』には、今上帝から『征夷大将軍』の任命を受け『幕府』を開く、というのが正道だ。
 なのに未だ一度も今上帝に謁見していない、というのは、大名たちによる『天下取りレース』に参加していない、というのも同じであり、よって人々から『天下に興味のない、引きこもりの田舎大名』とみなされても、これでは仕方がない。
 ここまで来ると、いくら一条家を中心に鉄の結束を誇る瑞波といえども、不満は出る。
 「鉄の殿は『腰抜け』じゃ!」
 どこからか、こんな声すら聞こえてくる。
 「おい、めったなことを言うものではないぞ」
 「そうとも、我らが殿は天下無双。それを『腰抜け』呼ばわりとは」
 周囲が諌めても、
 「『腰抜け』を『腰抜け』と言うて何が悪い!」
 収まらない。
 「瑞波にはもう、十分な力がある! 神君・銀公(しんくん・しろがねこう。一条銀のこと)のご加護を持って、どこの大名にも負けはせん! いまこそ上洛し、今上帝より将軍職を頂戴し、幕府を開いて天下に号令すべし!」
 勢いがいい。
 「む……それは否定せん」
 「もっともじゃ」
 周囲も、そこのところは同じ意見である。国力が整ってくれば、野心を持つのは当然の時代なのだ。
 「であろう! ならば、なぜ殿は上洛しようとなさらぬ! ワープポータルなぞ使わず、堂々一直線に軍を進めて都に乗り込む、その力は十二分にあるというのに!」
 さらにヒートアップ。
 「……」
 「……殿にもお考えがあるのだろう」
 一応のフォローは入るが、
 「あるものか! 腰が抜けておるだけよ!」
 やはり収まらない。
 「声が大きいぞ斉藤、貴公の悔しい気持ちは分かるが……」
 「そうとも。誰に聞かれているとも知れぬのに」
 再び周囲が諌めるが、
 「お主らに俺の気持ちが分かるはずもない! ええい、誰に聞かれて構うものか!」
 斉藤という男、どうにもタチが悪くなってきた。
 「斉藤、飲み過ぎじゃ」
 「そうとも。もう何杯目じゃ」
 何のことはない、要するに酒で気が大きくなっているらしい。
 ここは瑞波の首都・瑞花の街の西側に開けた歓楽街、桜町。
 桜町、それに隣接した桜新町といえば、我らが『瑞波の無代』の生まれ故郷であり、その生涯を決定づけた瑞波の先君・一条銀と出会った街(外伝『Box Puzzle』参照)でもある。
 かつて一条家がこの地に侵攻した際、その軍事力に最後まで逆らった先住豪族達が立てこもった地であり、今も瑞波の国から高度な自治権、『御免状』を与えられている『御免色里(ごめんいろさと)』だ。
 ゆえに、いったん街に入れば飲食遊興は無税。武士も平民も身分の上下はなく、喧嘩は死に損殺され損。自由と引き換えに、その何倍もの自己責任を負うこの街には、およそ星の数ほどの酒家・娼家があるとされ、そこににぎわいの絶える時間は無いと言われる。
 「何度でも言うてやる! 殿は腰抜け、大腰抜けじゃ!!」
 斉藤とやらが気勢を上げている場所も、桜町に輝く星の一軒。『入江屋』という、格で言えば中級クラスの酒家である。客は主に一条家の御家人、その中でも懐に余裕のある武士たちが酒を飲み、女を呼ぶ、そこそこ小奇麗な店といったところだ。
 この斉藤とやらの一団も、やはり一条家の御家人衆である。しかも、いずれも一条家に古くから仕えている、古参の家柄の子弟ばかり。今はまだ役職も低いが、いずれは親の跡を継いで一条家の中核官僚となる、そういう人生が約束された者達。
 「よさぬか、斉藤」
 今までとは違う、妙に落ち着きを気取った声。
 「む……しかし吉崎殿」
 「よせと言うのだ」
 「……」
 周囲がいかに諌めても聞かなかった斉藤が、一言で黙る。してみると吉崎、この座の主であるようだ。
 そのはず、『吉崎家』といえば、一条家古来の重臣『十本槍』の一つに数えられる名家。さらに吉崎の親も瑞波の奉行クラス、現代の政府で言えば『局長級』の座にある。
 だというのに……いや、それゆえに吉崎、同年代の若侍数人を従えて店に入り、自ら上座に座って酒を飲み、若侍らが『政権批判』を叫ぶのをじっと聞いていた。
 そして、批判がついに主君・一条鉄にまで及んだと見て、いよいよ自ら口を出したのだ。
 と、言って吉崎、一条家批判を止めたわけではない。
 「殿は腰抜けにあらず。悪の根は別にある」
 手に酒盃を持ったまま、妙に芝居がかった態度で、絶妙に話をすり替えはじめる。
 「殿は『武』のお方。それを正しくお導き申し上げるのが臣の役目……だがその臣がいかぬ」
 「『臣』と?! それは!」
 斉藤が吉崎に食って掛かる勢い。周囲の若侍達も、黙って吉崎に注目している。というか、こういう時にそうしないと、吉崎の機嫌が悪くなると知っているのだ。
 「それは誰だ、吉崎殿!」
 「それが誰か、貴公らも承知のはず」
 吉崎はにやり、と笑いながら酒盃を飲み干、

 「……筆頭御側役・善鬼。あの忌々しい鬼よ。鬼の仕業よ」
 
 しん、と座に沈黙が落ちた。
 さっきまで、主君その人さえ『腰抜け』呼ばわりしていた斉藤まで、酔いが吹っ飛んだように青い顔を見せている。どうやら若侍達にとって、『殿』より『鬼』が怖いらしい。
 だが吉崎は続ける。
 「殿が上洛なさらぬのも、あの鬼が甘言を弄しておる。流の若様が武者修行に出られるというのに、我らの同道を許さなんだのもあの鬼じゃ。その一方で、綾姫様を誑し込む。これらはすべて鬼の企み、俺にはお見通しよ」
 えらく上から目線で、吉崎が空の酒盃を突き出す。斉藤があわてて銚子を持ち、酒を注ぎながら、
 「吉崎殿、その鬼の企みとは?!」
 「ずばり言おう。『乗っ取り』じゃ」
 「乗っ取り?!」
 吉崎の言葉に、全員が驚愕する。
 「おうよ。殿を上洛させず、若をお一人で修行に出す。しかるのち、綾姫を誑し込んで一条家の婿となり、男子を成す。考えてみよ。今、もし若に何かあれば……」
 「一条家の家督は鬼の子に、か」
 斉藤の顔が一気に赤く染まる。酔いと怒りが戻ってきたらしい。
 「殿には男子がおられぬ。若様に何かあれば、静姫は操を立てられてご出家なさるであろう。香姫は……ま、あの方はアテにはならぬ。となれば、あながち鬼の企みも無理とは言えぬ」
 吉崎が畳み掛ける。
 いや、ちょっと考えればこれ、相当に無理があることは分かる。
 まず、そもそも一条家の上洛を止めているのは善鬼ではない。大体、あの一条鉄が『行く』と言い出したら最後、たとえ善鬼でも止められるわけがない。一条家が上洛しないのは一にも二にも、主君である鉄の意志である。
 第二に、世継ぎである一条流が一人で武者修行に出たのは、もちろん読者もご承知の『ウロボロス』だ。呑気にお供など連れていけるはずがない。まあ、もし万が一にもお供を連れて行くとなっても、流がこの連中を選ぶ道理はない。
 そもそも流の若様、こういう連中が『大嫌い』であり、
 『身分家柄にかまけて努力もせぬ輩。犬のクソの方がまだ役に立つ。畑の肥やしにな』
 と、天臨館の取り巻き達に常々漏らしていたぐらいだ。
 そして第三の『綾姫を誑し込む云々』は……もう真面目に解説するのも馬鹿馬鹿しいので書かない。
 だが吉崎、真剣だ。
 「聞け。ここからが本題だ」
 声をひそめ、若侍達を近くに寄せる。
 「俺がコレを見ぬいたことをな、大きく評価して下さった御方がいらっしゃる。その御方は『一条家の上洛、お上(天皇)にお許しを頂いてもよい』と」
 「何と……?!」
 若侍達が、驚きと興奮に包まれる。一条家の上洛、それはすなわち一条家が天下に近づくこと。そして彼ら自身の出世そのものなのだから当然だ。
 「『一条殿のお側から、鬼を取り除くなら』という条件よ。それこそ我らの望む所!」
 「おお……!!」
 座が沸き上がる。
 「しかし……どなたですか、その『御方』とは」
 「聞きたいか……? 聞きたいであろうなあ」
 吉崎がもったいぶる。何の事はない、言いたくてしょうがないのだ。
 「よいか、決して……決して他言無用ぞ。……実は『菊池様』よ」
 「菊池……! あの都の!」
 斉藤が膝を打つ。
 この『菊池』とは、都の周囲で天下を狙う大名の一角であり、ランク的には第三位。だが一、二位とはやや水を開けられており、ゆえに、
 「『一条殿の上洛をお助けしたい。その代わり、当家と同盟を』とのお話じゃ」
 吉崎はこう言うが、つまりは『上洛の手はずを整えてやるから、菊池の天下取りの下働きをしろ』という意味である。しかも一条家にとっては重臣中の重臣・善鬼を除け、という。まともに考えれば、こんなモノが飲めるはずはない。
 『上洛』の言葉に酔わされ、とんでもない条件を突きつけられていることに気づかない。そもそも『善鬼が悪い』と吹き込んだのは、どうやら菊池の者である。
 若侍一同、どうも『お里が知れる』と言わざるを得まい。
 「……だが、あの鬼も殿に劣らぬ豪の者。いかに除く?」
 気づけば話がもう、そこまで進んでいる。
 「それよ。確かに、あの鬼を直接攻めるのは難い。故に、弱点を攻めるのだ。菊池殿がちゃんと、手はずを整えてくれた」
 吉崎がまたニヤリと笑う。が、どうもこの男の言葉を聞くほどに、この話、一から十まで菊池が描いたとしか思えない。
 いわゆる『傀儡(かいらい)』。
 だが、操られる人形は操られている事に気づかない。
 そしてしばしの時間が過ぎ。
 「よし、話は決まった! 前祝いと行こうではないか!」
 「おうよ、女じゃ! 女を呼べ!」
 吉崎が気勢を上げ、斉藤が手を打って店に声をかける。
 と、同時に、
 「まいど! お呼びにつき、参上いたしましたーっ!」
 すぱーん! と襖が開いた向こうに、にぱーっ! と物凄い笑顔の女が正座で出現した。お世辞にも美人ではないが、なにせ笑顔が破格級。
 ついでに頭上に巨大な『ヒマワリ』の花。これを一度見て忘れるヤツはいまい。
 ぱちん! と、女の指が鳴る。
 すぱーん! と、さらに襖が開き、色鮮やかな着物の裾を艶やかに引いた女達が、一斉に部屋の中へと進み出る。今まで男ばかりだった座が、一気に牡丹の花畑に代わったようだ。女達は男一人に一人ずつ、ついでに主の吉崎には左右二人、そっと寄り添うように座る。
 男どもの顔がいきなり緩むのが、面白いやら情けないやら。
 「……よっ♪」
 いつの間にか、ひまわり女が三味線を構え、ぴん、とひと鳴らし。
 と、これまた同時に正面の襖がすっ、と開くと、行灯の光に照らされた一人の舞妓が、扇子を面白く斜めに広げて片膝立ち。
 
 十六夜月夜の 宵待草は……♪

 ひまわり女の、意外にも澄んだ歌声が、これまたきりりと澄んだ三味線の音色と共に流れ出す。
 男も女も、口を開けて舞妓の舞に見惚れている。
 そして夜は暮れて。

 深夜、日付も変わるころ。
 あのひまわり女と、コンビの舞妓の姿が、桜町の別の店で見られる。
 『汲月楼』。
 ……といえば、この稀有の御免色里で最高格式を誇る娼館であり、亡き瑞波の先君・一条銀が常連であった、あの店。
 その店の奥も奥、一般客が決して立ち入れない、超の上にも超を重ねたVIP部屋。
 「だーかーらー! 一大事! 一大事なんでヤンスよっ!」
 塵の一つさえ見当たらないほど完璧に整えられた上等の畳を、ひまわり女の掌がばんばん、と叩く。 正座の膝が、思わずズリズリと前に出るほどの勢い。
 「ってなワケで、こうしてご注進に参上したワケでっ……って、あのー、聞いてらっしゃいます?」
 ひまわり女が、頭上のひまわりごと思いっきり首を傾げる。
 「……んー? ああ、聞いてる聞いてる」
 ひまわり女の勢いとは対照的に、呑気を絵に書いたような女性の声。
 「で、なんだっけ……?」
 「きいてねえ!!!」
 畳を叩く手が『両手』に格上げ。
 「聞いてるったら。あー……そうそう。『ウチの若い連中が何か企んでる』、ってんだっけ?」
 女の声はあくまで呑気だが、よく聞けば内容がおかしい。
 一条家の御家人を『ウチの若い連中』呼ばわり。
 そんなことが許される……いや別に許されなくても普通に口にできる女性、といえばもう、瑞花の街に一人しかいない。
 「あーよかった! 奥方様もとうとう耳が遠くおなりかと……って熱っちい!」
 いらんこと言った自業自得、頭の上のひまわり、その花びらの一枚だけが狙いすましたように燃え上がり、ひまわり女のおでこに落ちた。
 威力を1以下まで、ミクロレベルで調節したファイアーボルトの魔法を、一瞬で打ち込む超絶魔法技『灼雨』。
 この世にコレを操る女性もまた、一人しかいない。
 一条巴。
 瑞波一条家の先君、一条銀に嫁いで一子・流を産み、現当主・一条鉄の後妻となった、この美しき異国の女性を、瑞波の人々は尊敬と畏怖を込め『奥方様』と呼ぶ。
 「で?」
 「あーはいはい!」
 しばらく熱ちい熱ちいと騒いでいたひまわり女が、あらためて正座。
 「あの連中、とんでもないことを企みやがりまして!」
 「だから何」
 奥方様、ご機嫌が悪い。まあ、歳のことを言われて機嫌が良くなる女性もいないだろうが。
 だが、その奥方様でさえ、ひまわり女の言葉に眉を上げることになる。
 「何とあの連中、刺客を送る気でヤンス!」
 「……誰に?」
 一瞬の気迫。さしものひまわり女が気圧されるが、すぐ気を取り直す。ここが肝心の情報だ。

 「咲鬼様! こともあろうに善鬼様のご養女、咲鬼様が狙われてるんでヤンス!」

 つづく
 
JUGEMテーマ:Ragnarok

 
中の人 | 外伝『The Gardeners』 | 12:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
外伝『The Gardeners』(2)
 娼家・汲月楼(きゅうげつろう)は、瑞波国の首都・瑞花の街で最も格式の高い、いわゆる名店である。
 瑞波の先君・一条銀が常連の店として、読者の皆様にもお馴染みであろうし、この店の遊姫で銀のご贔屓だった『佐里』の名も、同時に記憶しておられるはずだ。
 アユタヤ王家の政変で国を追われた過去を持つ、正真正銘の元姫君である佐里は、銀がこの世を去った後も変わらず、遊姫として汲月楼に籍を置き続けている。
 店に対しては一条家から、彼女を身請けするのに十分な、いやそれ以上の金が既に支払われているから、彼女さえその気ならば今すぐにでも自由になれるのだが、
 「ここにいる」
 佐里はそう言って、店から動こうとしない。
 「シロガネの、思い出があるから」
 それが理由である。
 遥か先の話をすれば、彼女はとうとう死ぬまでこの店の遊姫として、ただ一人愛した男の思い出を守り続けたという。
 そんな立場だから佐里、遊姫であっても客は取らない。店も強いて取らそうとはしない。
 まあ、もし取ったとしても、今や『神君』にまで祭り上げられた伝説の殿様・一条銀、その想い姫を指名してやろう、などという『罰当たり』が瑞波に存在するはずがないし、万一いたとしたら最後、国中から袋叩き間違いなしとなれば、結局は同じことだった。
 店にしたって佐里の存在は、もう遊姫というよりは店の『看板』、もしくは季節ごとのイベントにちょっと顔を出すだけで店の格がぐんと上がる、そんなご利益を持った『ご本尊』といった扱いである。
 ただ、佐里にも例外がある。
 瑞波、いや世界でただ一人だけ、いつでも自由に彼女の部屋に上がり、酒食を共にし、何なら泊まって行ける人間がいるのだ。
 「佐里、お酒お代わり」
 「……トモエ、飲み過ぎ。今夜はもうダメ」
 「え? そんなに飲んでないし?」
 「嘘」
 「嘘じゃない。魔法使い、嘘つかない」
 「おっきい嘘」
 「あ、『おっきい嘘』ってなんか可愛い」
 「トモエ、誤魔化そうとしてる」
 「してない。魔法使い、誤魔化さない」
 佐里を相手に、そんな漫才か何かのようなやりとりを繰り広げる女性が誰なのか、いまさら言うまでもあるまい。
 瑞波一条家の『奥方様』こと一条巴、その人である。
 「もう一杯。ね、も〜一杯だけ」
 「ダメ。飲みすぎ、身体に良くない」
 しきりに酒のお代わりをねだる巴奥様、しかし普段の凛とした佇まいと違って、今は多少、というかだいぶ『だらしない』。
 特別に仕立てた薄紫の襦袢に直接、濃い紫の打掛(かけ)を『藤重ね』に引っ掛けた、というラフにもほどがある姿も相当なものだが、上半身を脇息の上にべたーっと預け、伸びやかな肢体を畳にぐでーっと溶かした格好ともなれば、もはや他人に見せられた有様ではない。
 加えてルーンミッドガッツ王国の貴族出身、元から典型的な『金髪グラマー体型』なものだから、なかなか和服が似合わない所にこの格好だ。乱れた襟元からは豊かな双乳がこぼれんばかり、裾の方も同様に、見事な美脚が太腿まで露わになってしまう。
 「トモエ、だらしない」
 そう言って、佐里が(こちらは故郷アユタヤの意匠をあしらった、これまた特注の着物を美しく着こなしている)時々、襟やら裾やら直してはくれるが、それも長くは続かない。
 それというのも、巴と佐里の周囲には豪華な酒食が載せられた膳はもちろん、将棋盤だの碁盤だのチェス盤だの、珍しいところでは雀卓や、ダーツの的までがフリーダムに並べられていて、この美しくもだらしない客の気まぐれのまま、主人である佐里がその相手をさせられるのだ。
 しかも幸か不幸かこの2人、どの遊戯も互角、かつ相当の腕前であるためなかなか決着がつかず、結果どちらかが酔って寝てしまうまでが勝負、という有り様。
 「ほら、降参しなさい佐里。お布団が呼んでるわ」
 「トモエこそ、もう眠そう。降参したら?」
 お互いあくびをかみ殺しながら、夜が更けるまで遊戯に興じ、気づけば純白と蜜色、二つの肌を寄せ合うように眠り、朝を迎える。
 実にけしから……いや、だらしない。
 とはいえ、巴の奥方様がここまでリラックスした姿を見せることは、ホームである城の中でさえ絶無だ。
 遠くルーンミッドガッツ王国から瑞波に嫁ぎ、一子をもうけながらも夫を失い、同じく妻を失った先夫の弟と再婚するという数奇な運命。
 今は瑞波の現君主である夫・鉄を完璧にサポートし、同時に城内、さらには瑞波の国内にまで睨みを利かせる、そんな彼女を畏れ、敬わない家臣・領民は一人もいない。
 いっそ他国にさえ、
 
 『瑞波の魔妃』
 
 と、その名は轟き渡っていると言ってよい。
 妻として、妃として、母として、常に緊張を要求されるのが今の巴ならば、彼女が唯一、すべての責務や重圧から開放される場所こそ、この佐里の部屋であり。
 そんな巴を許し、受け止めてくれる友人こそ、亡き夫の愛妾・佐里なのである。
 多くの見えない仮面を被らねばならない巴が、自然と素顔の自分を取り戻す、そんな貴重な時間であり、場所であり、そして友。
 また、それは同時に彼女がルーンミッドガッツ王国にあった若き日、今は失われた友人・桜と過ごした夜を思い出させてくれる。 
 この、巴にとって余りにも貴重な場所を、今は亡き一条銀の『置き土産』と考えるのは、いささかうがち過ぎだろうか。しかし、愛した妻を多くの責務と重圧の中に置いて逝かねばならなかった男が、最後に彼女の『避難所』を残したとすれば、それは実に彼らしい話ではないか。
 「ほら着物、ちゃんと直してトモエ」
 「お酒。もう一杯飲めばちゃんとする」
 「駄目。着物直してから」
 「直した」
 「直ってない」
 しかしまあ、これではリラックスというより、もう駄々っ子である。
 「あの〜? 奥方様〜?!」
 巴と佐里、放っておけば延々と続きそうな女同士のじゃれあいに、さすがのひまわり女が突っ込む。
 「いいんでヤンスか?! 咲鬼様が狙われてるんでヤンスよ? よ? よ?」
 ここぞの重大情報を明かしたつもりが、どうも巴の反応が鈍いことに、肩透かしを食った格好だ。
 「大丈夫、ちゃんと聞いてるわよ、ひまわり」
 ひまわり女(名前はそのまんま『ひまわり』と言うらしい)の勢いとは正反対に、巴が気だるそうに上半身を起こすと、こぼれそうな胸元に片手を差し込む。
 す、と取り出したのは、黄金の輝きも鮮やかな小判が数枚。
 巴、それを数えもしないで、
 「はい、ご苦労様」
 ひょい、と手首を返し、傍らに控えた佐里に差し出す。佐里も心得たもので、両手に真っ白な懐紙を広げて待ち構え、しゃりりん、と音も涼やかに受け止める。
 巴とひまわり、間に佐里を介するのは、巴とひまわりの身分違いが甚だしいため、直接金品をやり取りするのをはばかってのことだ。
 と、ひまわりがいつの間にやら佐里の目の前。
 「うへへーっ、ありがたき幸せ!」
 懐紙に包まれた小判を押し頂く。
 「ありがと。また何か耳に入ったら教えて頂戴」
 言いながら巴、もうひまわりの方を見もしない。言葉の割に大してありがたがっていないのは一目瞭然だ。
 さすがにひまわりが、
 「……でも、ホントによろしいんでヤンスか? 放っといて?」
 と、首を傾げるが、
 「平気平気」
 巴はヒラヒラ、と振ったその手で膳の上のチーズをつまみ、口に放り込む。余談だが、魚の一夜干しや漬物と並んで、チーズや干し肉、ハーブを効かせたバターなど外国の食文化が豊かに反映されているところ、国際都市・瑞花の面目躍如というべきだろう。
 「咲鬼だって一条の身内なんだから、家臣ごときにナメられてちゃやってらんないわよ」
 この理屈。
 支配者を名乗るならば、被支配者に対して、まず力で劣ってはならない。世は弱肉強食、となれば、弱いヤツはそもそも身内に必要ない。
 一条家と瑞波の繁栄は行き着くところ『覇道』、すなわち強者の道。
 情だの愛だの恋だのは、勝って生き延びた者にしか語れない、いわば戯言だ。
 ……とはいえ、年齢的にはまだ子供な咲鬼をつかまえてそう言い放つ辺り、巴もすっかり一条家の家風に染まったと見える。
 「いや〜、そうでヤンスかね〜?」
 だが、ひまわりは小判の包まれた懐紙を懐にしまいながら、
 「そりゃまあ、そこらの雑魚なら咲鬼様の相手にもならねえ、ってもんでヤンスが〜」
 妙な具合に首を捻り、
 「連中、どうもヤバいヤツを呼んだっぽいでヤンスよ?」
 「ヤバい?」
 その甲斐あってか、巴がやっとひまわりに目を向ける。
 「ヤバいヤツ、って誰?」
 「それ! それでヤンスよ奥方様! 実はでヤンスね!」
 ひまわりが俄然勢いを取り戻し、また畳を二、三度叩いたと見るや、
 「……」
 突然、妙な風に黙り込んだ。
 「なに?」
 巴が怪訝そうに片眉を吊り上げる。そこへひまわり、
 「……はて、あちくりとしたことが、ちょいと『ド忘れ』」
 片手の手のひらをわざとらしく喉に当て、
 「あ〜、申し訳ないでヤンス。ここ! ここまで出てるんでヤンスが〜!」
 首をひねりながら、ちらっ、ちらっ、と巴の方に視線を投げてくる。
 天下の瑞波一条家、その奥方様を相手に無礼が過ぎるというものだが、いっそここまで露骨だと、逆に腹を立てる方が無粋というものか。
 巴も、むしろ唇に軽く笑みを浮かべ、再び胸元から小判を、先ほどの倍も摘み出すと、
 「これで思い出せそう?」
 同じく佐里が構えた懐紙の上に、しゃりりん、と落とす。と、同時、
 「思い出しましてヤンス〜!」
 ひまわり、畳を両手でとん、とひと突き、正座のままずさーっ、と佐里の、いや『小判』の正面へ滑り込む。滑る途中で一回転ひねるのは余裕なのか何なのか。
 小判が包まれた懐紙を再び押し頂き、
 「恐れ入りヤンス〜!」
 もう一回、さっきと逆回転に一回ひねって滑り下がる。無作法の極みだが、これまたいっそ一周回って見事というしかない。
 「で、どこの誰?」
 改めて尋ねる巴に、ひまわりが今日一番の笑顔をにぱーっ、と咲かせ、
 「名は『小碓(オウス)』」
 「立派な名前だけど、知らないわね」
 巴が言うのも無理はない。小碓とは小碓命、アマツの神話に登場する武神の名だ。
 「と、言うのは偽名で、本当の名は……」
 ひまわりがもったいぶる。
 「本当の名は、『閃鬼』と」
 「……?!」
 その名を聞いた巴が、今度こそ上半身を跳ね起こす。
 「閃……鬼?!」
 「正真正銘の『鬼』だそうで。職業はご丁寧にアサシンクロス」
 ひまわりの声が、いつの間にか真剣なものに変わっている。
 「善鬼様や咲鬼様と同じ、鬼の里を抜けた『はぐれ鬼』。そして何より恐るべきは……」
 別人のごとく、低い声。
 「自分と同じ鬼の一族だけを狙う、『鬼を殺す鬼』だと」
 こつん。
 ひまわりの言葉を聞いていた巴が、持っていた酒盃を膳に戻す。

 「人呼んで『鬼殺しの閃鬼』。何でも、過去これに狙われて、生き延びた鬼はいない、とか」

 つづく

 
JUGEMテーマ:Ragnarok
中の人 | 外伝『The Gardeners』 | 03:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
外伝『The Gardeners』(3)
 『ひまわり女』ことひまわりは、無代の古い仲間だ。『幼馴染』と言ってもいい。
 無代の実母がまだ健在で、無代自身も故郷・桜新町の『ガキ大将』として周囲の子供たちを率いていた、その頃からの付き合いである。
 『ガキ大将』といっても無代、決して町の迷惑になるような『悪さ』をせず、親孝行で働き者として大人たちに好かれ、さらには実父からの仕送りがあって金回りが良い。
 オマケに気風も気前もいい、そんな無代の後にくっついては、面白い遊びや旨い物にありついていた子供時代を、
 『ま、今風に言えば舎弟、でヤンスかね』
 女で舎弟、もおかしいけど、と、ひまわりは笑う。
 そんな無代も実母の死後、『天井裏の魔王』との出会いを経て故郷を去ってしまえば、もう後にくっついて行くわけにはいかない。
 ひまわりも桜町の女として、『遊姫』の道を選んだ。というか、街の女で多少器量が良ければ、ほぼ間違いなくその道に進むのがこの街の習わしだ。
 桜街の遊姫は、しかしいわゆる『売春婦』とは少々、というかだいぶ違う。それは、我々の世界で江戸時代、日本に存在した吉原・花魁のシステムによく似ている。
 例えば読者諸兄に十分な金と暇と体力があり、『桜町で姫遊びがしたい』と考えたとしよう。
 まず馴染みとなる店を選び、店主に好みの女のタイプを告げると、座敷に通される。
 ひと通りの酒肴が並べられ、禿(カムロ。見習いの遊姫のこと。髪を美しく整えるために、頭を一度刈り上げられることからそう呼ばれた)に酌をさせながら待つことしばし。
 いい具合に酒が回った頃を見計らって、座敷の奥の襖がすっ、と開く。
 其の向こうはもう一つの座敷となっていて、絞った灯りと優雅に焚き染めた香が漂う中に、豪奢な着物を纏った遊姫が一人、長煙管などくわえて座っている。
 退屈そうな、憂いの表情。あくびなど加える。
 そして、客に向かって流し目をひとつ。
 襖が閉まる。
 何と驚く無かれ、これで終わりなのだ。
 床入りなどもってのほか、客に対する挨拶も、愛想笑いのひとつさえない。掛け値なし、これが大枚の金を払った姫遊びの初日、そのすべてだ。
 だが、もちろん終わったのはあくまで『初日』であり、姫遊びが終わったわけではない。
 むしろこれが始まりなのだ。
 この初日の出会い、ここからが遊びの始まりなのである。
 薄暗い座敷に幻のように浮かび、そして消えた女。この女に、客は『惚れる』。
 一種の『疑似恋愛』が始まるのだ。
 もちろん、この初回に限っては男にも姫を選ぶ権利があり、『惚れぬ』と思えば次回、別の姫と会うこともできる。が、
 『流し目ひとつで必ず惚れさす』
 のが桜町の遊姫、その最大の『芸』でもある。そうそう逃しはしない。
 さて、男は姫に惚れた以上、『もう一度会いたい』と思う。だから三日と開けず、また店を訪れる。
 初回と同じ座敷に通され、遊姫の部屋の襖が開かれ、今度はもう少しだけ長く、姫を眺めることができる。
 女も流し目ではなく、正面から客を見てくれるが、しかし言葉は交わさない。
 二日目が終る。
 この辺りからが、いよいよ姫遊びの本番である。
 男は姫に、ますます惚れる。何とか、まずは声を聞きたい、できれば言葉を交わしたい。というかこの段階では、まだ男は姫の名前すら知らないのだ。
 どうするか。
 姫のご機嫌を取らねばならない。
 ここで現金、あるいは高価な贈り物、という選択肢は『下の下』となる。それで得られる姫との恋も、低レベルなものに留まる。
 姫が本当に喜ぶものは何か、それを知る必要がある。
 情報を集める。店の店員、見習いの禿達に小遣いをやり、姫の情報を聞き出していく。
 まずは意中の姫の名前。
 『向日葵』
 良い名だ。ますます惚れる。想いがつのる。
 では、どうやれば言葉を交わせるか。姫が興味を持つような話題を振らねばならない。
 ここで桜町の遊姫と、ただの売春婦の決定的な差が発露する。
 遊姫という女性たちは、実は瑞波でも有数の『文化人』だ。
 歌詠みであり、書家であり、画家であったり、将棋打ち、囲碁打ちであったりする。歴史に詳しい、いわゆる『歴女』も多かったという。
 変わり種では算学に秀でたり、高価な望遠鏡を使って星を観る姫や、戯作者(今で言うライトノベル作家か)の顔を持った姫までいたと、記録にはある。
 なにせ彼女たちは、客と会う時間以外はすべて『余暇』であり、労働をしない。時間の使い方だけを観るなら、立派な『貴族』だ。
 『自分磨き』の時間はいくらでもある。
 男はやがて、『向日葵』の得意が『唄』と知る。詩歌ではない、声楽のほうだ。
 いよいよ姫遊びも、ディープな段階に入ってくる。
 姫のご機嫌を取るため、彼女に『恋』を伝えるため、男は自らも『唄』を学び出す。
 『唄』を教える道場は、桜町にある。そこに行って師匠に金を払い、唄を教えてもらうのだ。
 これが詩歌なら詩歌、囲碁なら囲碁、歴史なら歴史と、すべての道場が街に揃っているところが、姫遊びの深さを物語るところだ。
 唄を学ぶ間も、男はやはり三日と開けず店に通い、姫との『お見合い』を楽しむ。いや、相変わらず口もきいてくれないが、それも楽しむ。
 そしてついに、唄の師匠に許しを得て(この許しを得るまでの期間に、裏で姫の店との阿吽の呼吸があることは言うまでもない)、姫の前で喉を披露する日がやってくる。
 姫の座敷の襖が開く。
 男がおもむろに、この日のために鍛えた唄を披露する。
 姫が一瞬、驚いたように目を見開く。その表情に男は『してやったり』と満足し、そしてますます惚れる。
 襖は、男が唄を終えるまで閉まらない。姫はじっと、男の唄を聴いている。
 姫の鮮やかに紅を引いた唇が、そっ、と開き、そこから溢れだした唄が男の唄に和す。
 男にとっては、天にも昇る瞬間だ。
 
 心して♪ われから捨てし恋なれど♪

 唄は桜町で今、もっとも人気のある作家が先週発表したばかりの、今で言うならチャート急上昇中の最新ヒット曲。それを姫がちゃんと歌ってくれる、それも男のツボだ。(無論、裏で姫にはこの情報がちゃんと知らされている)
 姫と二人、デュエットが続き、唄が果てる。
 襖は閉じない。
 姫が男から視線を外し、ふう、と溜息をついて肩を崩す。
 ここだ。
 『歌って喉が渇いた』
 このサイン、いや『フラグ』を見逃すようでは姫遊び、いや『姫ゲーマー』失格。
 素早く自分の銚子と盃を手にし、姫の側に寄って酌をする。姫が酌をするのではない、客が『酌をして差し上げる』、この逆転。
 姫が盃を干し、男に微笑む。
 初めての笑顔。この極上の瞬間『もう死んでもいい』という男さえいるという。
 姫が男の手に盃を戻し、自ら銚子を取って男に酌を返す。ここで男がこれ以上の欲をかけば、せっかくのフラグが台無しだ。
 男はあえて心を抑え、自らの席に戻る。
 襖が閉まる。
 この時、襖の隙間から一瞬、姫が寂しそうな顔を見せる。この表情こそ、まさに『至芸』。
 男の恋は燃え上がり、ますます姫に、そして唄に入れあげる。
 そして、唄と酒を楽しむ夜を重ねたある夜、姫から最後のフラグが贈られる。
 『今夜は帰らないで』
 GOOD END、というわけだ。単に女と寝て終わり、ではないのだ。
 そこには『疑似恋愛』、男にとっての理想の『恋』がある。
 これが桜町の姫遊びのシステムであり、江戸・花魁のシステムでもあった。このゲームには身分の差もなく、商人だろうが大名のお殿様だろうが、姫につれなく焦らされながら、必死にご機嫌を取っていく段階を踏まねば『恋』はできない。
 当然、ここに至るまでには相当額の金が、桜町という舞台に落とされることになる。
 既にこの時代、超課金のリアル恋愛ゲームが存在していたと知れば、驚きもあろう。
 いつの時代も、どこの誰であっても、男は夢の女を求めてやまぬ、ということだろうか。
 
 ともあれ、一度は桜町の遊姫となったひまわりだが、その身に転機が訪れる。
 ある一人の客と、いつものように疑似恋愛を繰り広げている最中、たまたまその客の素性を知ってしまったのだ。
 男は、今でいう『細マッチョのイケメン』で、非常に金回りもよく、店員や禿、道場の師匠に渡す金も多めで、店にとっては『上客』であった。
 が、ひまわりは男の内側、腹の底に染み付いた非情と、暴力の匂いを逃さなかった。
 そしてある夜、その男の正体がある大きな盗賊団の頭であり、半月の後に瑞花の街で大きな盗みを働いた後、その金を持ってルーンミッドガッツ王国へ逃亡する計画だ、と知らされる。

 『盗んだ後は皆殺し、後腐れは無え。お前も連れて行くぜ。身請けの金は、もう店に払った』

 桜町の遊姫は、客の素性を問わない、いや『問うてはいけない』決まりだ。反対に客の素性を知っても、それを漏らしてはいけない決まりもある。本来こんな場所には来られない高い身分の者が、安心して遊べる配慮だ。
 『天井裏の魔王』が桜町で遊んでいた当時、その素性がまったく知られなかったことを思い出すといい。
 逆にこの男のように、罪を犯したり政道に背いた者も、その素性を問わず、語らない。
 そもそも桜町は、一条家の支配に最後まで逆らった土着の豪族『土竜』の末裔が、一条家から不輸不入、すなわち無税と自治を勝ち取って運営する自由都市だ。
 その自治権は強く、例えば瑞花奉行所の役人が、桜町で罪人を捜査するのでさえ自由にはいかない。
 桜町には桜町の自警団があり、犯罪人の捜査・逮捕はここが行い、奉行所に引き渡す。それも、桜町で盗みや殺しを働いた、つまり街に対して被害を及ぼした犯罪人に限られる。
 ひまわりの客が語った『瑞花の街で盗み、殺し、海外に逃げる』という話を信じる限り、この男を犯罪者として断罪するいかなる法も、桜町には無い。
 そして同時に、ひまわりがそれを誰かに語ることも、できない。
 男は当然、そんな桜町のルールを知り尽くした上で、彼女にそれを告げたのだ。
 『桜町の掟は絶対……』
 客が帰った座敷で一人、ひまわりは思った。

 「だけど……あの野郎は『外道』だ!」

 思いは声に出た。
 そして気づけば、ひまわりは身ひとつで店を抜け出し、桜町を、そして瑞花の街を走り抜け、1軒の小さな食い物屋の前に立っていた。深夜、とっくに暖簾は畳まれ、木戸はしっかりと戸締まりされている。
 息をひとつ、大きく吸う。

 「親分!! ひまわりだよ、親分!!」

 一瞬の間。
 頑丈そうな木戸がどかん! と内側から蹴り開けられ、 
 「だから『親分』って呼ぶんじゃねえ!! せめて『親方』って呼べ!!!」
 罵声と共に、若い男が飛び出してくる。
 瑞波の無代。
 その懐かしい顔が、寝起きの凄い表情でひまわりを睨みつけ、すぐに真剣な表情になる。
 「……どした? 何かあったのか? 困り事なら言えよ」
 真心のこもった声、というならこれだろう。
 ああ、少しも変わらない。
 あの頃と、少しも変わってはいない。

 「親方、助けて! ……ん?」
 思わず抱きつこうとして、違和感。
 気づけば無代の背後に、小さな人影がぴったりと寄り添っている。
 だが、その体は細く、背は少女のように小さい。闇色の黒髪と、精緻な人形のような美貌が、じーっとひまわりを見つめている。
 オマケに、全裸に薄着物を羽織っただけ。これはどう見ても……『最中』、もしくは『事後』。
 ひまわりが目を丸くして、一歩下がる。
 「お、親方……!」
 「ん? どした?」
 状況が飲み込めない無代に、ひまわりが叫んだ。

 「外道だー!!」

 つづく


 
中の人 | 外伝『The Gardeners』 | 11:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
外伝『The Gardeners』(4)
 外道だ外道だ、童女食いだ人攫いだ〜! と、騒ぐひまわりを店に引っ張り込み、半裸の香に着物を着せ、どうにか誤解を解いた頃には、もう外も薄明るくなり始めていた。
 「はあ……天臨館の、学者さんのお嬢様……?」
 無代と一条家の特別な関係は、この頃、まだ公にはなっていない。だから香のことを、無代はそう説明した。ひまわりも、まだ疑わしそうな顔はしていたが、香自身がこくこく、と頷いて肯定する以上、信じるしかなかった。
 「と、落ち着いたところで、まあ風呂にでも入れや」
 無代の勧めに、最初は遠慮していたひまわりだったが、
 「んな泥まみれの足じゃ、話もできねえ」
 と、強引に風呂場へ放り込まれる。ちなみにひまわり、特に足など汚れていない。
 風呂から上がってみると案の定というか、丼が乗った膳が用意され、
 「昨日の残りの冷や飯で悪いが、まあ食いな」
 言われて丼の蓋を取ると、確かに飯こそ冷たいものの、熱々の出汁でふんわりと作られた親子丼だ。切ったばかりの香の物と、熱いお茶も添えられている。
 「……いただきます」
 「おう」
 一口、そして二口。三口目からは、もう夢中で『かき込んで』いた。
 涙も一緒に。
 泣けて、もう泣けて泣けて、どうしようもなかった。
 「うめえ……うめえよぉ、親分……」
 「『親方』」
 「親方ぁ……うめえよぅ。ほんとに、ほんとにうめえよぅ」
 ひまわりは食いながら泣き、泣きながら食った。
 ここまでずっと、怖かった。心細かった。
 あの恐ろしい客から恐ろしい話を聞かされ、しかし桜町の掟の中で、誰にもそれを告げられないのだ。
 (黙っていたら、狙われた店は皆殺し。でもしゃべれば、自分が殺される)
 どうしようもない葛藤と懊悩の末、最後に浮かんだのが無代の顔だった。その顔が浮かんだ途端、もう矢も盾もたまらず店を抜け出し、夜の街を駆け抜けていた。
 そして無代は、真夜中に押しかけてきた自分に何も聞かず、こうして暖かくもてなしてくれたのだ。
 (やっぱり、無代親分は無代親分だ)
 桜町を出て商人として独り立ちし、天臨館で学問も修め、こうして自分の店まで持つようになっても、あのガキ大将の頃の無代と少しも変わってはいない。
 (……だからこれ以上、迷惑かけちゃならない)
 親子丼を食い終わり、差し出された手ぬぐいで涙を拭く。そして膳から少し下がり、畳に両手を突いて頭を下げた。
 「親方、ごめんなさい」
 「謝んのなんか後でいい」
 無代は取り合わず、それどころか隣の部屋を顎で指し、
 「布団敷いてあるから、一眠りしな。店には俺がうまく言っといてやる。あそこの店主はウチ親父の舎弟だから、顔が利く」
 そういう無代が、実の父と折り合いが悪い上に、最近、家を勘当されたばかり、という事情はひまわりも承知だ。
 「そこまで迷惑はかけらんない」
 ひまわりは首を振った。
 (親分の顔見て、風呂から飯までゴチんなって。もう思い残すこと、無いや)
 腹を括くる。
 「ごちそうさまでした、親方。でも、どうか自分のことは忘れて……」
 「香」
 立とうとするひまわりをじっと見つめたまま、無代が香の名を呼ぶ。
 「……?」
 呼ばれた香が、微かに首を傾げる。闇色の黒髪がさらり、と揺れる。
 「こいつ、寝かせろ」
 無代がその言葉を発した次の瞬間から、ひまわりの記憶は綺麗さっぱり途絶えている。
 瞬時に動いた香の指がひまわりの後頭部、相手を一瞬で昏倒させる経絡を突いた、などと分かるはずもない。
 「……はれ?」
 布団の中で気づいた時には、もう日も高く昇った頃。わけもわからぬうちに無代の腕で布団からつまみ出され、強引に座らされる。
 「起きたか。さて、じゃあ話を聞こうか……言っとくが、いまさら『言わねえ、言えねえ』はナシだぜ?」
 結局、洗いざらい喋らされた。
 「なるほどな、話は分かった」
 ひまわりの話を腕を組んで聞いていた無代が、ひとつ、大きくうなずく。
 「でも親方、桜町の掟破りしちまったからには」
 ひまわりの目は暗い。
 もうここまで来た以上、自分が制裁によって死ぬのは覚悟の上だ。だが、無関係の無代まで巻き込んだとあっては死んでも死にきれない。
 「どうか全て忘れて、このまま店に帰らせておくれよ」
 だが、それで退くならこの無代、無代ではない。
 「馬鹿野郎」
 当然のように一刀両断。
 「お前は何一つ、間違ったことはしちゃいねえ。そのお前が何で死ななきゃならん」
 「でも掟が……」
 「知るか!」
 がば、と無代が立ち上がる。
 「よし、ひまわり。後はこの俺に任せな」
 とん、と自分の胸を叩いておいて、
 「安心しろ。お前も、誰も、誰一人だって死なせやしねえ……外道ども以外はな」
 無代がその後、何をどうしたのか。詳しいことを、ひまわりは知らない。
 知っているのは、あの恐ろしい客が狙っていた商家に『何も起きなかった』こと。
 そして、その客の姿を、二度と誰も見ることがなかった、その二点だけだ。
 だが、そうして事が済んだ後、無代はむしろひまわりに頭を下げ、
 「すまねえ、ひまわり。お前は守りきれなかった」
 桜町の遊姫として、客の話と素性を他人に漏らす。それはどこまで突き詰めても、やはり許されることではなかった。
 相手がどれほどの外道畜生であっても、掟は掟だ。
 「もういいんだよぉ、親方」
 ひまわりは笑って、頭を下げた無代の前に、同じく頭を下げた。
 ひとりぼっちで、どうしようもなく苦しんでいた時に、暖かい風呂と飯と寝床をくれた。
 もうそれれだけで十分だった。
 桜町から『向日葵』という遊姫の姿が消えた。そんな人間は最初からいなかった、それぐらい徹底的に、その存在は消し去られた。
 そして無代の店・『泉屋』に、一人の『置き芸者』が誕生する。名を『ひまわり』。
 「……インチキじゃん」
 我がこととはいえ苦笑いを隠せない
 「『裏技』って言え」
 無代も苦笑いに付き合う。
 例えば、大きな商家の娘が一条家の居城・見剣城へ奉公に上がる、となれば、平民の身分のままでは不可能だ。だから、いったん後ろ盾となる武家の養女となり、武士の身分で登城する。その際には、平民であった過去は基本的にすべて消されることになる。
 無代は、というか無代を庇護する一条家はこのシステムを利用し、ひまわりを『消した』のだ。
 一条家と無代、その特別な関係を、今はひまわりも知っているから、それほど驚く結末ではない。
 とはいえ、桜町は一条家の権力が及ばない自由都市だし、一条家だって決して道楽で瑞波を治めているわけではない。
 ひまわり一人を助けるため、無代がどれほど必死に街を駆けずり回ったか。
 そしてどれほどの人々に対し、地べたに頭を擦り付けるようにして、ひまわりの助命を乞うたか。
 治癒の魔法で消してはいるが、それでも消しきれない傷跡がまた増えたように見えるのは、決してひまわりの気のせいではあるまい。
 「親方のためなら、もう死んでもいいよぉ」
 「馬鹿言え。こんだけやって死なれたら、俺のまる損だろうが」
 「……うん。じゃあ、恩を返してから死ぬよぅ」
 こうしてひまわり、無代の店を拠点に芸者活動を始めた。今で言う、宴会を盛り上げるパーティコンパニオンだ。
 やがて、無代があちこちで拾ってくる一癖も、二癖もある女達の面倒を任され、いつしか小さな『置き屋』を始めるまでになった。
 同時に、瑞波のあちこちで起きる出来事を無代に、そして一条家の人々の耳へと運ぶ『耳役』をも引き受けることとなり、こうして奥方様・一条巴の宴に侍りさえするのである。
 「『鬼殺しの閃鬼』、その名は聞いています」
 その見事な肢体を、ゆったりと脇息にもたれさせた巴が、そっと視線を外へと移す。
 夜空の月が大河・剣竜川の水面に映り、静かに揺れている。
 盃を伸ばせば水面の月を汲めそうな、それが『汲月楼』の名の由来であり、瑞波の先君・一条銀が愛した風景だ。
 「でも、確か『死んだ』と?」
 巴の視線がひまわりに戻る。その瞳は優しく、唇も柔らかいままだが、それでもいい加減な情報は許さない威厳がある。例えるなら、生徒に愛情を注ぎながらも厳しく指導するベテランの女教師、という風情。そう思うと何の事はない、巴奥様、師の翠嶺先生に似て来ていらっしゃる。
 もっともこんな、あるいはあんな美人先生に教えられる、生徒のほうがたまるまい。
 「『あの事件』で死んだ、と、そういうことになっていたらしいでヤンスね」
 巴の視線に、ひまわりは怯まない。
 ここでいう『あの事件』とは先年、都の御所(天皇の住まい)で起きた、前代未聞の大惨事を指す。
 こともあろうに、この御所で帝の次男・第二皇子が妃と、生まれたばかりの男子もろとも殺害されたのだ。残ったのは当日、京都から離れた山寺に参詣していた女子一人、という。
 世間では、次代の帝の座を巡る陰謀とささやかれた。
 今上の帝は、まだ御壮健ではあったが、慣習としてそろそろ次帝を指名する時期にさしかかる。
 帝には五人の皇子がいて、継承権で言えば長子・第一皇子が有力とされたが、問題がある。
 第一皇子には、子がない。
 妃を五人も迎えたが、生まれない。
 こうなると、資質や能力よりも『皇統の維持』が優先される帝位継承では不利になる。
 もちろん、いったん第一皇子が帝位につき、その後、弟達の子供世代に帝位を引き継げば済む話ではある。それでも立派に皇統は継がれるのだから誰にも文句はない。
 しかしこの状況、『では最初から、弟君が帝位におつきになれば良いではないか』、そう言い出す者が必ずいる。
 その弟に、立派な男子が生まれたとなれば、なおさらだ。どっちにしろ、この生まれたばかりの男子がいずれ帝になる可能性が高い。
 『ならば、帝の父君はやはり帝でなければ』
 そんなことを言い出す輩が、必ずいるのだ。
 帝という権力の座に巣食う、いわば『寄生虫』。その代表格こそ、都の周辺で天下を狙う大名どもなのである。
 事件は、以上のような背景の中で起こった。
 第二皇子とその男子の殺害、それは恐らく、第二皇子の即位を阻もうとする者ども。
 第一皇子か、もしくは他の皇子達の後ろにいる寄生虫ども、というのが大方の見方である。
 とはいえ第二皇子と、その寄生虫どもも、決して油断していたわけではない。そもそも御所には天皇の血筋を護る、最強の守護者達がいる。
 遠く異国から雇われた、聖戦次代の魔物の血を引く戦士達。
 『鬼』だ。
 薄い墨染めの着物で御所を護ることから『薄墨衆』と呼ばれた彼らは、善鬼・咲鬼と同じ鬼の里から血筋ごと、大枚の金を払って買われ、もう幾世代にもわたってアマツに土着している。
 そして、ただ御所を護る、その役目だけを黙々と果たし続けている。
 いや、『いた』。
 事実、彼らが御所を護るようになってから、御所の中で帝の血を引くものが害されたことはない。 あの日までは。
 「夜更け、御所に侵入した『鬼殺し』が、恐れ多くも長島皇子殿下とそのご家族を殺害、同時に警護の『薄墨衆』十五人と渡り合い、これと相打ちになった」
 「……だが死んでいなかった、ということで。大した腕でヤンスね」
 
 「当然、手引したヤツがいる」
 「事の後、『鬼殺し』を匿ったヤツも、でヤンス」
 巴が、その形の良い顎を、自分の肩に埋める。ついでに膳の上の盃を取り、そっちを見もしないで佐里の方へ突き出す。
 佐里、今度は黙って酒を注ぐ。
 巴、その酒を口元まで持ってきておいて飲まず、盃に映る月を眺めるなど。
 「『菊池』か」
 「残念、あちくり達じゃあ、そこまでは、でヤンス」
 ひまわりが両手で万歳。
 確かに、瑞波の街で起きることならともかく、ここまでの国家レベルの陰謀となると彼女ではお手上げだ。
 「ただ今回、お家の若い衆を誑かした上、『鬼殺し』を瑞波へ差し向けたのは間違いなく、菊池の手の者か、と」
 ひまわりが居ずまいを正し、畳に両手を着く。彼女の報告は終わった、ということだ。
 「……佐里」
 「あい」
 巴が佐里に一声かけると、床の間から文箱が一つ、運ばれてきた。
 「一差し舞って、『かいね』。久しぶりに見たくなった」
 文箱を側に寄せた巴が、ひまわりの後ろに無言でずっと控えていた舞妓に声をかける。
 『かいね』と呼ばれた舞妓が、無言のまますっ、と頭を下げておいて立ち上がり、ひまわりに三味線を渡した。

 「ほいさ♪」
 ひまわりが脇に退き、三味線を構える。
 ぴん。
 音を合わせる。
 『かいね』と呼ばれた舞妓は座敷の真ん中、巴の正面に、小さくうずくまる。
 ぺん♪
 ぺぉん♪
 面白く歪ませた三味線の音色。
 唄が始まる。
 
 布に目を入れ♪ 髪を挿し♪

 紙の着物を着せたれば♪ 
 
 ひょこり。
 うずくまった『かいね』の片腕が、まるで天井から糸で吊られたように跳ね上がる。
 ひょこり。
 もう片腕も跳ね上がる。そして、

 人にあらずも、心の宿り♪

 ひょこん!
 『かいね』の身体の、どこにどんな力を働かせたものか、これまた吊られたように起き上がる。

 心の宿れば、惚れもする♪

 ひょい。
 まるで体重が無い、今で言うなら無重力のような足取り。
 『人形の舞』
 舞を見つめる巴の手が、文箱の中から何かを取り出し、それを『かいね』の方へと投げた。
 小判25枚を束ねた『切餅』だ。
 宙を飛んだ切餅が、『かいね』の顔に当たる寸前、
 ぱっ。
 切餅が掻き消える。
 人形の動きを模した舞、その最中に、目にも留まらぬ手さばきで切餅を受け取り、自分の懐へ放り込んだ、とは余程目のいい者でも見えなかっただろう。

 惚れたその身は 形にもあらず♪

 ひょい、と、また切餅が飛び、消える。
 
 人にあらずも 女子(おなご)に候(そうろ)♪

 『かいね』の懐に、いくつの切餅が消えたか。その金額はもはや家が建ち、畑を拓き、船を誂えるほどだ。
 もちろん、いくら見事な舞だと言っても、その褒美ではあり得ない。

 『調べよ。そして護れ』

 強く、そして熱い意志が込められた金がこうして、瑞波の街へ撒かれたのである。

 つづく

JUGEMテーマ:Ragnarok
中の人 | 外伝『The Gardeners』 | 11:42 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
外伝『The Gardeners』(5)
 人形舞『恋散牡丹(こいちるぼたん)』。
 元々は人形浄瑠璃のために書かれた戯曲を、人が踊る舞踊へと焼き直した、その道では『幻』といわれる名作である。
 『幻』の理由は後に回すとして、その歌は、まず一体の人形が造られ『牡丹』と名づけられるところから始まる。
 牡丹は生まれてすぐに、ある病弱な少女の病床に慰めとして贈られ、大切にされる。
 この少女には親の決めた婚約者(とはいえ美丈夫の若武者)がおり、身体を治して彼に嫁入りする日を指折り数えていたが、必死の治療の甲斐もなく、少女は命を落としてしまう。
 ところが少女の肉体は消えても、少女の若武者への想いは消えず、人形『牡丹』に宿る。そして若武者が初陣に赴くと知るや、人形の身のまま家を抜け出し、町を走り、ついには戦場を駆けて傍に参じる。
 そして若武者の身を守るため、敵の放った矢を自ら受け、ついに砕けて散る。
 愛しい貴方よ、死にたもうことなかれ。
 若武者に知られることもなく、身体に何本もの矢を撃ち込まれながら、しかし幸せそうに砕けていき、最後はぐしゃぐしゃの塊となって散っていく壮絶なシーンがクライマックスだ。
 ぐすっ、と鼻を鳴らし、涙をぬぐっているのは佐里だ。
 巴でさえ、その碧眼を微かに赤く染めている。
 『人形舞』とは、人形の動きを人が真似して舞う、ただそれだけの舞ではない。むしろ人間では決して表現できない、いっそ壊れそうなほどの激しい想いを、ぎこちない人形の動きに託して舞うのだ。
 この桜町で生み出され、そして今、完璧な舞手はこの『かいね』ただ一人となった幻の舞。
 『恋に散る人形』
 病の床から動けぬままに命を失った少女の魂が、やはり動けぬはずの人形に乗り移り、愛しい人の元へと駆けつける。果てはその身を砕いても、その人の命をつなごうとする。
 どうか生きてください。
 自分の分まで生きてください。
 
 その想いの激しさ、純粋さ。
 そして怖さ。
 「……御見事」
 ぽん、ぽん、と巴が掌を打つ。
 汲月楼の畳の上、バラバラに散った(ように見えた)舞妓『かいね』の身体がするする、と元に戻ったと思うと、すらり、と立って一礼した。
 言葉はない。
 彼女、かいねは言葉を持たない。唖者である。
 よって本来ならば舞妓どころか宴席に侍ることも、桜町で働くこともできないはずの人間だ。それがまた何故、『幻』とまで言われた舞の伝承者となったのか。
 無論、そこはまたしても無代、である。
 かいねという少女の、元々の生まれは不明だ。顔や姿からアマツの生まれなのは確かなようだが、それ以上のことは彼女自身も知らない。物心ついた時にはもう『人買い船』に乗せられ、瑞波・桜町で売りに出されていたから、アマツのどこかで親に売られたのだろう。
 瑞波の国は法律で人身売買を禁じているが、ここ桜町には治外法権があるため、ちゃんと(というのも変だが)『人間市場』がある。主に取引されるのは貿易の荷を運ぶ人夫と、桜町で客を取る女の二種類。おなじみのところでは遊姫・佐里もここで買われた女だし、場所こそ違え、虹声のグラリスNo6ジプシーが『おとーちゃん』こと老富豪に買われたのも、同種の『人間市場』であった。
 人間市場、などと書けば、現代ではそれこそ悪の巣窟というイメージもあろうが、この時代においては必ずしもそうは言い切れない。
 例えば貧しい農村が飢饉に襲われ、子供に食わせる飯もない、そういう時に人買いに買われれば、少なくとも飢え死にはしなくて済む。うまくすれば一生、彼らを売った家族よりいい物を食い、家庭すら持つことができる。あくまで『うまくすれば』ではあるが。
 とはいえ人類皆幸福、などという理想すら遥か遠い、そんな過酷な時代にあってみれば、こんな非人道的なシステムであっても、まだ死ぬよりはマシだった。
 人は生きてこそ人なのだ。
 ところでかいね、顔形こそ整っていたが、唖者が致命症となり売れ残ってしまった。言葉を持たなくても見目が良ければ誰かしら買い手はあるもので、売るほうもそれを見越して彼女を仕入れたのだが、アテが外れたわけだ。
 さて、こうなると運命は途端に過酷さを増す。金にならない人間を生かしておいても損なだけだ。
 海へでも捨てるか、さもなくば二束三文で、それこそ『人の形をしていればOK』という最低の買い手に叩き売るか。その後はどこかで刀の試し切りにでも使われるか、魔法使いや錬金術師の人体実験にでも使われるか、そこはもう人買い業者の知るところではない。
 が、その最後の最後で、かいねに運が残っていた。
 「そいつ、買った」
 競りがハネる寸前に、買いが入ったのだ。
 それが若い商人と、そして巨大な肉体を上等な着物で包み、深く笠を被って顔を隠した若い武士、とくれば正体は言わずと知れよう。
 無代と、そして『若様』・一条流のコンビである。
 「おい、金」
 無代が流の前にひょい、と手を出す。
 「待て。何でオレが払う?」
 「うるせえ、案内料だ案内料」
 「そんな契約はしていない」
 「何だよケチ。さっき賭場で儲けさしてやったろうが」
 「大して儲けてないぞ。大体、言うほど勝てなかったじゃないか」
 相変わらずのすったもんだ。
 後に聞けばこの時、
 『桜町を見たい。案内しろ』
 という流のリクエストを受け、無代があちこち連れまわしていた最中であったらしい。
 とはいえ流としては無関係、かつ無意味な出費には違いなく、無代に対して大いに抗議したものの、
 「……バラすぞ。『一条家の若様』だ、って」
 と、無代に脅されば少々弱い。
 瑞波の国内にあって治外法権の自由都市である桜町に、一条家の世継がウロウロしていたと公になれば、それはそれで厄介な問題になる。この町の常連だった実父・銀のような世慣れた行動ができればまだしも、残念ながら流にとってここは『アウェイ』だ。
 「後で返せよ」
 しぶしぶ財布を出した。ちなみに一条家の血族が継承する『金離れの良さ』は、この若様のみ『軍事費』に限定される。
 こうして買ったかいねを、無代は自分の店に連れて行き、ひまわりに丸投げした。
 「ちょ、親方!? あちくりにどうしろと!?」
 「身が立つようにしてやってくれ」
 「どーやって?!」
 「どーにかして」
 そんな適当にもほどがあるやりとりの間も、かいねはじっと座ったまま。口をきかないのは当然として、表情ひとつ、身じろぎひとつしない。この無口・無反応っぷり、無代も『他人とは思えなかった』のかもしれない。
 もっとも、かいねがこうも無反応なのは、無代の想い人である香と事情がだいぶ違う。
 つまるところ、彼女には喜怒哀楽を含む自我を形成する、そいういう機会がそもそもなかった。親に売られ、人買いに買われ、モノのように取引された。
 だから、モノのようになった。ただそれだけの、単純で救われない話だった。
 「どーにか、ったってねえ。こんなお人形みたいなの、どーやって……」
 「お、それだ!」 
 ひまわりのボヤきに、無代が膝を打った。
 「どれでヤンス?」
 「だから『人形』だよ、『人形』!」
 言いながらばんばん、と膝を叩かれて、ひまわりの目にも理解の光。
 「あ!! あ〜……でも、大丈夫でヤンスかね〜?」
 「駄目だったら、そん時はそん時さ」
 無代が、どん、とかいねの背中を叩く。
 さて、思い立ったら行動が早いのが無代だ。ひまわりとかいね、二人の女を引き連れて桜町の場末、川の上に杭を打ち、その上に家を並べ建てた『水上長屋』の一軒を尋ねている。
 「入りなさい」
 三人を迎えたのは一人の老女。若い頃はさぞ美人だったと想像させる、きりりと引き締まった容貌だが、問題はその表情だ。
 厳しさの塊のような女教師、いや『女教官』。その言葉を絵に描いて張っつけたら、きっとこうなるだろう。
 他人にも、自分にも一片の妥協すら許さない、もはや苛烈とさえ表現してよいその視線に、ひまわりでさえ身を竦めている。
 対して平気なのはかいね、そして無代だ。
 「師匠、新しい弟子を連れて参ぇりやした」
 平気な顔で頭を下げ、かいねの頭も下げさせる。自分で頭を下げないかいねに一瞬、『女教官』の眉が動くが、すぐに無代。
 「さっき人買い場で買ってきたばっかりなもんで、礼儀も何も知らねえ。ついでに口もきけねえ、字も書けねえが、どうやら耳は聞こえる」
 さっき買ったばかりの少女を、弟子だと押し付けるだけでもたいがいなのに、かてて加えてこの言い草。相手が激怒して叩き出されたって文句は言えまい。ひまわりが、竦めた首をさらに亀のようにしたのも当然だ。
 だが『女教官』は怒ることなく、といって『にこり』ともせず、ただ頷いた。
 「ありがてえ。どうか、しゃんと仕込んでやっておくんなさい、師匠」
 無代はそう言うと、懐から金を出し、
 「いつもなら、まず『ひと月』。だが今回はちょっと難物だ。まずは三月、ってことで」
 『女教官』の前に、金を進める。
 「承知」
 『女教官』が金を取って懐に入れ、これで契約成立だった。
 いまさらになるが、この『女教官』こそ桜町における人形舞の第一人者、いや当時、ほとんど唯一の完全な継承者であった。現役時代は名人・名手の誉れを欲しい侭とし、現役引退後は師匠として、弟子を育てることを生業とした。
 ……のだが、残念ながら後半は失敗であった。
 失敗の理由は簡単にして明快、『修行が厳しすぎた』のだ。
 天才を努力で磨き上げた名人らしく、その芸は精緻を極め、また一切の妥協を許さない。芸を継ぎたい者は数多くいたが、彼女の厳しい上にも厳しさを重ねた指導についてこられる者は、ついに誰一人としていなかったのだ。
 結果として稽古場は閑古鳥、やがて蓄えも尽きて困窮の末、この場末の長屋で暮らす羽目になった。無代がひまわりを通じて回す、わずかな宴席が今の彼女の生活を支えていた。
 「稽古料とは別に、こいつが飯代、それと支度金だ。よろしく頼んます」
 無代がもうひと包み、金を渡す。稽古料よりだいぶ多いのは、これで三ヶ月間、かいねと二人分の食費をまかない、着るものや寝床を用意するからで、さらに金が余れば適宜、生活費に回して良い。
 無代はそうやって、この老舞妓の日々を支えているのだ。
 こうして、かいねの修行が始まったのだが、なるほど、確かに修行は厳しかった。
 といっても別に怒鳴ったり、叩いたりするわけではない。
 まず老舞妓が手本を見せ、弟子がそれを真似てなぞる。ひたすらこの繰り返しなのだ。
 そして身体の構え一つ、わずかな動き一つでも手本通りにできなければ、そこでやり直し。それが百回でも二百回でも、たとえ千回に及ぼうとも、できなければやり直す。
 大抵の弟子は、これを三日もやれば音を上げる。最長で一ヶ月保った弟子がいたが、そこで心を病んでリタイアした。
 指導法を変えては、と他所から言われたこともあるが、他の教え方を知らないのだからどうしようもない。ひたすら見せ、繰り返させる。そうとしか教えようがないのだ。
 そして、かいねはそれに耐えた。
 というより、そもそも彼女はこの稽古に苦痛を感じなかった。
 生まれてこの方、親にさえまともに構われたことのない彼女にとって、誰かと一日中差し向かうなど初めてだった。モノではなく、人として扱われるのも初めてだった。
 「やり直し」
 その言葉が千回、いや万回に及んでも、かいねはとうとう一度も、それを苦痛と思わなかったのだ。
 無代はそれを見て、約束の三ヶ月を待たずに追加の金を融通した。どこから出たのか、それは最初の十倍にも及ぶ金額で、かいねと老舞妓が新しい、大きな鏡のついた稽古場に引っ越すに十分な金だった。
 二人はそこで、さらに稽古を続ける。
 もともと才能もあったのだろう。かいねは老舞妓の人形舞を、相当のスピードで身につけていった。
 稽古が終われば、老舞妓に飯の作り方を習い、共に膳を囲み、湯に行き、布団を並べて眠った。
 共同生活者として、老舞妓には一片の愛想すらなかったが、それはかいねも同じだ。
 舞と同じように見せて真似するやり方で、字も習った。裁縫も、習った。
 お互いに笑顔の一つすらない子弟ではあったが、それでも『幸せ』という言葉が彼女達にあったとするなら、まさにこの日々であっただろう。
 だが、それは急に終わりを告げた。
 「胸が痛い」
 ある日、老舞妓がそう訴えた。無代が医者を呼んだ時には、もう手遅れだった。
 死病が、その身体を蝕んでいたのだ。
 せめて少しでも延命の治療をと、医者は勧めた。高価なポーションや治癒魔法を駆使すれば、病の完治は無理でも、あと何年かは命を延ばすことが可能だ。
 だが老舞妓は首を振る。
 「これでいい」
 そう言って、すぐにかいねの修行を続けた。
 そして半年を生きた後、最後にかいねを床に呼び、初めて弟子の身体を抱きしめた。
 そしてひとつ、大きな息を吸うと、
 「死にたくない……!!」
 叫びと共に、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれた。
 「まだ、踊りたい!!」
 どこにそんな力が残っていたか、病人とは思えない腕力でもって、かいねの身体を抱きしめる。
 抱きしめられたかいねの身体が、がくがくと震えていた。目が天を仰ぎ、言葉を持たない口がぱくぱく、と空気を求めて彷徨う。
 「会いたい……もう一度でいい! たった一度、ひと目でいい、会いたい!」
 老舞妓が叫ぶ。
 「愛しい……恋しい……寂しいぃぃぃいいいい!!!」
 その声は狂気か。それとも。
 騒ぎを聞いた無代とひまわりが、二人の稽古場に駆けつけてみると、そこには既に事切れた老舞妓と、呆然と天を仰ぐかいねの姿があった。
 そしてかいねの双眸から、生まれて初めての涙が溢れていた。
 老舞妓は自らの死を、いや命をもって、人形のような最後の弟子に『心』を入れたのだった。
 弔いの後、無代が語ったところによれば、老舞妓はもともと武家の女であったそうだ。
 「それも、さる大名に御正室としてお嫁ぎんなり、一時は世継ぎまで成したそうだ」
 無代は静かに語る。
 だが、その大名は野心の末に隣国へと攻め入り、逆に討ち返されて滅びた。彼女の夫も、世継ぎとなるべき息子も、彼女の目の前で討たれ、死んだ。 
 「この人だけが見せしめとして捕らえられ、隣国の殿様の慰み者にされてたのを、今度は一条家が攻め滅ぼした。先々代の話だ」
 あっけなく自由の身になった老舞妓にどのような心の変化があったか、それは分からない。ただ、彼女はとうとう武士の世界には戻らず、桜町にその身を沈めた。
 そして苦労しながら幻の舞を身につけ、残りの人生をそれに捧げたのだ。
 会いたい。
 愛しい。
 恋しい。
 寂しい。
 その身に、心に、どれほどの情念を抱えていたのか。
 それをどんな気持ちで、最後の弟子に伝えたのか。
 わずかでも知るのは、このかいね唯一人。そして、彼女は何も語らない。語ることはない。
 
 唄も、舞も果てた座敷に、かいねとひまわりの姿も、もう無かった。
 巴があくびをひとつ。ついでに、まただらしなく身体を溶かし、佐里の膝枕に頭を乗せる。
 「トモエ、寝るならお布団」
 「いいでしょ、ちょっとぐらい。ウチの元旦那にはさんざんしたくせに」
 「しろがね、もっと軽かった」
 「……喧嘩売ってる? 買うわよ? いくら?」
 女二人、他愛もない会話が続く。
 「トモエ、殿様に知らせなくていいの?」
 「何を?」
 「サキが危ない、って」
 「いいわよ別に。それに殿様、今留守だし」
 膝枕にひっくり返ったまま、ひらひらと手を振る巴。
 「留守、ってどこ?」
 「海。釣りだって。好きよね、男衆は」
 「釣り」
 「そう。沖に大物が来てるんだって、朝から出てったわ。船団組んで」
 「……トモエ、それ『釣り』じゃない。『漁』」
 佐里、良いツッコミである。
 「でも、ホントにいいの? ムダイがいたら怒るよ、きっと」
 「いいの! 大体、無代さんは咲鬼に甘すぎる!」
 びしっ、と天井を指さす巴。
 「無代さんが大陸修行の間に、咲鬼を一人前の女衆に育てる!」
 「……」
 巴の気合と裏腹に、佐里はあくまで心配そうだ。
 「じゃあ、せめてゼンキに知らせたら?」
 「それこそ無用。今頃、ひまわりが行ってるから」
 「え?」
 「善鬼んとこでさっきと同じ話して、もう一稼ぎするはずよ。邪魔しちゃ駄目」
 巴奥様、よく分かっていらっしゃる。
 もっとも、ひまわり一味だって悪気はない。今では配下に数十人の女と、その家族の面倒を見る羽目になったひまわりにとって、稼げる金は稼いでおくべし、だ。
 もちろん、一条家の面々もそれを理解した上で、自分たちの金を回している。そして、その金がどう活かされるか、それをちゃんと見ている。
 金離れが良い、とは言っても、別に無駄遣いするわけではないのだ。
 「私はサキが心配」
 「佐里はね、それでいいわ。そうして頂戴」
 巴が、のしっ、と頭を佐里の膝に沈め、
 「……あ!?」
 そして急にぴょこん、と起き上がる。
 「トモエ、どうした?!」
 「いっけない、忘れてた!」
 「なに!?」
 「咲鬼ったら、あの娘」
 「サキ?! サキがどうしたの?!」
 「今、『家出中』なんだった!」
 つづく。
 
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中の人 | 外伝『The Gardeners』 | 08:45 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
外伝『The Gardeners』(6)
 「……また家出?」
 佐里が、そう言って妙な顔をするのも無理はない。変な表現だが、最近の一条家はちょっとした『家出ブーム』である。
 まず最初に三女・静、次いで次女・香が、相次いで家を出てルーンミッドガッツ王国へと向かった。それぞれ一条家の世継・流と、無代を追っての行動だ。
 そして今、侍女である咲鬼までが家を出たという。
 「トモエ、ひょっとして嫌われてる……?」
 「私のせいじゃないわよ!!」
 とんだ濡れ衣を着せられそうになった巴が、飛び起きて反論する。
 「大体、静さんと香さんの家出は『男恋しさ』だし!」
 まあ確かにそうだが、義母にそう言われては身も蓋もない気もする。
 「じゃ、サキは?」
 「あの子はね、『喧嘩』」
 「喧嘩?!」
 佐里が再び驚き、目を剥く。彼女も良く知る一条家の侍女・咲鬼は、誰に対しても優しく気立ての良い少女で、喧嘩して家を飛び出す、というのが想像できないのだ。
 「喧嘩、って、誰と?!」
 盛大に首を傾げる佐里に、巴は手酌で酒を注いで軽く煽ってから、答えた。
 
 「綾さん」

 話は3日前に遡る。
 場所は一条家の居城・見剣城の三の丸、御側役筆頭・善鬼の屋敷。
 「ですから綾様、咲鬼はもっと武芸を学びたいのです! 真剣に!」
 「だからまだ早い、と申しておるのだ咲鬼!」
 相対するのは一条家の長女・綾と、侍女の咲鬼。
 間に善鬼。
 「早くはありません! 和尚様も、『もう型稽古で教えることはない』と!」
 「オレから見れば早い! お前はまだ子供なのだ。今はじっくりと……」
 「咲鬼は子供ではありません!」
 「子供だ!」
 「違いますっ!」
 押し問答だ。
 この揉め事の元は、まあ二人の問答を聞けばおよそ分かると思うが、咲鬼の武術修行についてである。
 故郷である『鬼の里』を抜け出して瑞波に渡り、善鬼の養女となった咲鬼は、既にだいぶ前から武術を習いはじめている。それも一条家の当主・一条鉄が推薦してくれた師匠の元で、基礎から徹底して教わる念の入れようである。
 ただ、その教養課程そのものは、瑞波の武家の娘なら誰でも教わるレベルのものだ。
 『型』を重視し、身体の姿勢や健康を正しく保つことを主とする、はっきり言えば『お嬢様芸』だ。ほとんど実戦を想定していない。
 これに咲鬼、どうにも飽き足らなくなった。こんなものは武芸とは言えない、と気づいてしまったのだ。
 この瑞波において、本気で武芸を身に着けるとなれば、こんな生易しい修行ではすまない。なにせ怪我をしても治癒魔法があり、回復剤もある。万一死んでも、蘇生まで可能なのだ。文字通り血反吐を吐き、骨を軋ませるような実戦そのものの、それこそガチの殺し合いレベルの修行が、普通に行われている。
 普通なら咲鬼のような年齢の少女が、自らそれに飛び込もう、などと思いつきもしないだろう。いくら『武の国・瑞波』といっても限度というものがある。
 しかしまず第一に、咲鬼は普通の人間ではない、『伝承種(レジェンド)』である。
 聖戦時代、強力な魔物と人間とを交配して創り出された戦闘種族・『鬼』の末裔だ。この年齢でも既に身体能力、魔力、精神力、いずれにおいてもそこらの大人を上回っているし、その成熟の証である『鬼の角』が生えた暁には、女の身でもまさに一騎当千の超戦士となる素質を持っている。
 並みの修行に飽きたらなくなるのは、むしろ当然と言えた。
 そして第二に、咲鬼の周囲にいる一条家の人々も皆、そんな苛烈極まりない鍛錬を経て、今の自分を作り上げた強者揃いだ。
 養親である善鬼、一条家の当主である鉄、その妻の巴。そして目の前にいる綾を含む一条家三姉妹もまた、それぞれに壮絶な鍛錬をくぐり抜け、ほとんど超人と言ってもいい力を身につけた大人たちである。
 そんな連中に囲まれて育った咲鬼が、『自分もそうありたい』と思うのは自然。いや、むしろ『思うな』という方が無理というものではないか。
 「咲鬼も、御家の皆様のようになりたいのです! それのどこがいけないと仰るのですか!」
 だから、この咲鬼の言い分には、なるほど一理ある。
 どちらかと言えば咲鬼の方が、があー! と吠えんばかりの勢いである一方、対する綾の方がやや押され気味、という珍しい構図なのはそのせいだ。
 「咲鬼だって一条家の一員、せめて自分の身ぐらい、自分で守れなくて何とします!」
 珍しく声を荒げる咲鬼に、だが綾も一歩も退かぬ。
 「お前はオレが守る!」
 だあん! と、綾の拳が畳をぶっ叩く。その勢い、咲鬼の身体がちょっと畳から浮いたほどだ。
 「咲鬼、お前の身をどこの誰が狙おうが、このオレが指一本触れさせぬ!」
 綾の拳がめり込んだ畳が、みきっ、と軋む。もちろん、綾が本気なら畳の一枚や二枚、指先一つで貫通してしまうから、これでもだいぶ手加減している。
 「それは……ありがたく存じております」
 さすがの咲鬼もこれには頭を下げる。
 「であろう。だから咲鬼、慌てることはない。お前はもっとゆっくり大人になればよいのだ」
 綾の声が優しくなる。
 彼女だって、決して悪気があって咲鬼を止めているわけではない。
 綾の実母である桜が亡くなった時、ちょうど今の咲鬼ほどの年齢だった彼女は否応なく、幼い二人の妹と家事能力皆無の父親を支えねばならなくなった。
 その日から、一日も早く大人になり、すべてを背負えるようになりたいと、ずっと思い続けてきた。
 (ま、それより何よりこの善鬼を一日も早く、オレの物にしたかったからな)
 綾姫、とことん肉食女子である。
 ともあれ本来なら楽しく、優しくあるべき子供時代を、文字通りかなぐり捨てるようにして、綾は大人になった。ならなければいけなかったのだ。
 そんな半生を、綾は決して後悔してはいない。『後悔』などという言葉は、彼女にとって最も縁遠い言葉だ。
 とはいえ、身内の養女となった咲鬼の成長を見るにつけ、
 (もっと子供時代を愉しませたい)
 どうしても、そう思ってしまう。
 綾自身も気づかない心の奥底に、とうに捨ててきたはずの少女の心が、まだ微かに残っている、そういうことかも知れなかった。
 いつか咲鬼にも、戦わねばならぬ日が来ることは疑わない。だがせめてその日までは、綺麗な着物を着、花や人形を愛で、淡い恋の一つもすればいい。
 そのために、この自分の力を振るうことに、綾は何のためらいもない。
 「そうとも咲鬼、お前はオレが守る」
 力強く、そう繰り返す綾に、さすがの咲鬼もしんみりと黙る。綾の気持ち、真心をちゃんと受け止められる、彼女はそういう少女なのだ。
 「お前は安心して守られていればいいのだ。……無代の兄ちゃんと一緒に」
 満面の笑みで、綾がそう締めくくった。

 が、これがいけなかった。

「……それはどういう意味でしょうか?」
 神妙に黙りこんでいた咲鬼が、妙に腹の座った声で質問した。
 「は?」
 意味が分からず、綾がきょとん、と首を傾げた、その次の瞬間、
 「……『無代さんと一緒』、とはどういう意味ですかっ!!」
 ばあん!! 先ほどの綾もかくやの勢いで、咲鬼の掌が畳をぶっ叩いた。今日は畳にとって、ほとほと受難の日であるらしい。
 「どういう意味ってお前……このオレがお前や、無代兄ちゃんを守るのは当たり前ではないか?」
 困惑する綾に、咲鬼の膝がぐい、と迫る。
 「つまり無代さんと咲鬼が同じと、そう申されるのですかっ!!」
 がおー!! と、咲鬼が綾に噛み付く。
 「はい……?」
 綾にはわけがわからない。さっきまでしおらしかった咲鬼が、なぜいきなりキレたのか。
 咲鬼も無代も、綾から見れば同じ、最も大切な保護対象だ。だからそう言ったまでのことである。
 しかし、綾は知る由もなかった。
 咲鬼がこうして『武術を極めたい』と思ったきっかけが、そもそも無代にあったとは、さすがの綾も思い至らなかったのだ。
 「無代さんと同じ、それでは駄目です!」
 天下の綾姫をぐい、と仰ぎ見ながら、咲鬼が今日一番の大声を張り上げた。
 「無代さんは、咲鬼が守るのです! そのために、咲鬼は強くならねばっ!」
 「何……?!」
 綾が驚きに目を剥いた。ここでなぜ無代が出てくるのか、どうにも綾には分からない。
 だが、今の咲鬼には極めて自然なことだった。
 彼女にとって無代という青年の存在は、余りにも大きい。
 鬼の里からの追っ手を逃れ、アマツの港に降り立ったあの日、絶望に飲み込まれそうになる自分を救ってくれた恩人。そして一条家の一員となって以降も、ほとんど毎日のように無代の店・泉屋に入り浸り、無代の後にくっついては料理や、下らない下町の遊びや、異国の話を教わって過ごしてきた。
 歳の離れた友人であり、兄でもあり、師であり、また父でもあった。

 そして咲鬼自身は気づいてはいないけれども、少女としての微かな憧れもあっただろう。

 そんな大切な人間でありながら、どうにも無代という青年は『危なっかしい』。
 少女である咲鬼から見ても、
 (いつどこで死ぬか分かったものじゃない)
 そんな不安がある。
 なにせ無代、自分は大して強くもないくせに、何かと厄介事を背負い込む。
 一介の平民でありながら、一条家の姫君を想い人にしている、それだけでも十分に厄介だ。アマツで絶賛売り出し中の暴れ大名、その『婿』という身分を狙う者共に、いつ殺されてもおかしくない。
 だというのに無代ときたら、大人しくするどころか、日々新たな厄介事に首を突っ込むのだ。困っている人間を見れば放っておけず、揉め事を見れば仲裁に入らずにはいられない。
 咲鬼が無代と知り合って以降も、何度ボコボコにされ、死にかかったか数えきれない。そのたびに一条家や、泉屋の連中が助けているからいいようなものの、それがなければとっくに墓の中だ。
 お人良しの上にお節介、しかも喧嘩っ早いときているから、本当に始末におえない。
 もっとも、そのおかげで咲鬼も助けられた。ひまわりやかいね、泉屋に集まる者達も同様だ。
 無代は、ああいう男だからこそ無代。

 (なら、咲鬼が無代さんを守ればいい。そのために強くなればいい)

 咲鬼がそう考えるようになったのは、当然の帰結であった。
 こんな年端もいかない少女に、保護対象扱いされる無代も無代だが、いまさらそれを咎めても詮無い話。
 そしてそこにはもう一つ、『鬼』として生まれた咲鬼という少女の、自分自身に対する複雑な想いが絡んでいる。
 鬼として、特別な力を持って生まれた少女が、ようやく自分の存在意義を掴みかけた瞬間。
 自分の力は、このためにあるのだと肯定できた、その瞬間。
 鬼の宿命を背負った少女と、『角』にまつわる物語。
 だが、それはもう少し後に語ろう。
 話を戻す。 
 そんな咲鬼だからこそ、今や彼女の保護対象となった無代と、自分が同列に扱われたことに納得がいかなかった。
 自分という存在を、無代ごと否定されたような気がした。
 自分は何のためにいるのか。
 なぜ鬼に生まれたのか。
 生まれてしまったのか。
 「……分かりました」
 ぷい、と咲鬼が立った。頬を思い切りふくらませ、口をこれでもかと『への字』にして。
 「?!」
 突然キレ、また突然立ち上がった咲鬼に、さしもの綾が目を白黒。
 だんだんだん、と畳を踏み鳴らし、咲鬼が善鬼の座敷を出て行く。
 「お、おい咲鬼?! どこへ行く?!」
 腰を浮かせかける綾に、咲鬼がくるっ、と振り向いてひざをつき、両手もついて一礼。
 「叔父上様、綾様、長らくお世話になりましたっ!!!!」
 ほとんど怒鳴り声で挨拶、そしてまたどたどたどだっ!! と、後も見ないで駆け出す。
 どたどたどたどた……咲鬼の足音が遠ざかる。
 綾が、ほとんど呆然と、
 「……どうしたのだ、咲鬼は?」
 これが戦場なら、どんな敵も逃しはしない瑞波大将軍殿をして、大変な失態であろう。
 「なあ、おい善鬼……善鬼?」
 今まで、咲鬼と綾の間にいながら、まるで空気のようであった想い人・善鬼に問いかけ、そして異変に気づく。
 「おい、善鬼」
 「……」
 綾が、眉の間にシワを寄せ、剣呑な表情で善鬼に詰め寄る。
 が、善鬼は答えない。
 いや、答えられない。
 瑞波の守護大名・一条家を支える筆頭御側役として、鬼と恐れられる男が。

 「善鬼……貴様、何がそんなに可笑しい!!!!」

 必死で笑いをこらえていたのであった。
 
 つづく。

 
中の人 | 外伝『The Gardeners』 | 11:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
外伝『The Gardeners』(7)
 「初伝波技(しょでんなみわざ)・磯波(いそなみ)!」
 
 朝の冷たい空気が張り詰めた、広い板葺きの道場に、びぃんと気合の入った掛け声が響く。
 同時に、ざあ! と、道場に広がった弟子たちの素足が床を踏み、滑る音。
 ばっ! ばばっ! 男女揃いの、墨染めの胴着が空気を裂く音。
 「綾波(あやなみ)!」
 ぱぱあん!! 掌底が空を突く。
 「敷波(しきなみ)!」
 だあん! 五体が毬のように宙を舞い、床の上を転がる。
 瑞波武道、その基礎を成す初伝の型稽古だ。
 まずは『磯波』から『敷波』へとつなぐ波技。ついで『睦月(むつき)』から『望月(もちづき)』までの月技。
 『吹雪(ふぶき)』『白雪(しらゆき)』『初雪(はつゆき)』『深雪(みゆき)』の雪技(ゆきわざ)。
 『時雨(しぐれ)』から『夕立(ゆうだち)』を経て『五月雨(さみだれ)』に至る雨技(あめわざ)。
 これらすべては無手、つまり武器を持たない素手の技であり、敵と戦う際の足さばき、体さばき、受け身を身に付けるためのものだ。
 瑞波の武家に生まれた人間なら、まず全員がこれを習う決まりである。書でいえばひらがな、算術でいえば九九のようなものと思えばよい。
 基礎中の基礎、というわけだ。
 同時にこの段階で、師によって個々人の適正が見極められ、次の中伝へと進むか否かを判定される。『武の才なし』とされた者は、残酷だが振り落とされ、武人となることはできない。
 振り落とされた者はどうなるかと言えば、武家の子弟ならたいてい『アコライト』と呼ばれる初期僧侶、平民の場合は『マーチャント』と呼ばれる商人となり、そのまま一生を終える。ちなみに言うと武家の子女はたいてい中伝へは進まず、アコライトとなることが多い。女性の価値は『武の才』よりも『良妻賢母』、そういう価値観がまだまだ幅を効かせている。
 『中伝!』
 道場に掛け声が響き、弟子達が一斉に道場の壁に掛けられた武器を手にする。
 中伝からは手に武器を持つ、武器武術だ。
 が、面白いことに弟子たちが手にする武器は剣、鎚、短剣、中には鞭や槍もあるなど、それぞれバラバラだ。
 
 『火技(ほむらわざ)・陽炎!』

 ぴぃん!!
 弟子たちの武器が風を斬る。もちろん真剣ではなく、剣なら木剣であり、槍は布を厚く巻いた『たんぽ槍』であるが、それでも幻の敵を裂く、その動きは鋭い。
 武器の種類に関係なく、初伝で学んだ足さばき、体さばきから生み出される運動力学的なスピードと破壊力が、完璧な形で武器に乗り移っているのだ。
 『初伝極めれば十、中伝極めれば千』。
 つまり初伝の足さばき・体さばきを身に付ければ同時に十人を相手にできるが、中伝を極めればその百倍、そう言い習わされる所以である。
 『雲技(くもわざ)・夕雲(ゆうぐも)!』
 型稽古が続く。
 さしも広い道場が、弟子たちの身体から発せられる熱気に炙られ、ゆっくりと膨張していくかのような錯覚。
 流れ、飛び散る汗を吸った板葺きの床が、重く沈んでいくような錯覚。
 脳と神経がフル回転を行いながら、同時に思考は空っぽになっていく。手の中の武器と、自分の身体が一つの生き物であるように……いや、逆だ。
 武器と自分が一体となり、一つの『武器』となる感覚。
 咲鬼は、この感覚が嫌いではなかった。
 (生きている……!)
 荒い呼吸と心臓の鼓動、その中に確かな『生』の実感がある。
 『休め!』
 道場の上手に陣取った師範代から、ようやく休憩の掛け声がかかり、咲鬼たち弟子が一斉に一礼。ついで、これまたいっせいに道場を出て、井戸端に群がる。
 交代で井戸から冷たい水を汲み、汗を流す。
 中にはもろ肌脱ぎ、上半身裸となって頭から水をかぶる者もいる。男だけでなく、女も咲鬼を除けば立派に成人した者ばかりだが、結構な勢いで肌を露出していた。咲鬼はさすがにそこまで思い切れず、水に浸した手ぬぐいで汗を拭くだけだが、むしろその方が珍しく、恥ずかしがったり、あるいは淫らな目で見る者など一人もいない。
 というか、そんな余裕はない。
 この後、さらに激しい修行が待っていると思えば、今は少しでも息を整え、体力を回復させねばならない。
 汗を拭いた後は、軒先に用意された水桶に群がる。中身は氷水、しかも甘い。ブドウを絞った果汁と、絞った後の果実がゴロゴロと混じった冷たい水を、争うようにコップに汲んで飲む。当面の水分と、エネルギーを補充する。
 咲鬼も、若干もみくちゃにされながら水を飲み、ブドウを頬張る。唯一、子供である咲鬼を、誰も気遣ってはくれない。
 ようやくひと心地ついたところで、
 「咲鬼殿、前へ」
 道場の中から声がかかった。
 さあっ、と、成人した弟子たちの視線が咲鬼に集中するのを感じる。
 好奇。
 感嘆。
 賛美。
 そして微かだが、嫉妬。
 子供の身でありながら、成人に混じって修行をする咲鬼への視線は、複雑な上にも複雑だ。
 「応っ!」
 咲鬼が口を拭い、道場へ入る。他の弟子たちは、道場の左右の隅へ並んで座る。
 武器を手にして道場の真ん中へと進み出た咲鬼に、相対したのは剃髪の僧侶だ。
 ごくり、と、周囲の弟子たちが息を呑む。
 それも当然、この僧侶、見るからにただの坊さんではない。
 咲鬼が子供であることを差し引いても、まるで見上げるような長身。分厚い身体。そして、ほとんど不敵といってもいい面構え。
 もし鎧兜に槍でも持てば、どこぞ名のある武将と間違えられそうな壮漢である。
 いや、実を言えば、あながち間違いでもない。
 この僧侶、出家する前はれっきとした瑞波武家の世継ぎであり、それも一条家の配下として『槍数』に数えられるほどの武人であった。『一条家何本槍』とかのアレである。
 それが、あまりに武術ばかりに没頭し、武家の当主として不的確とみなされ廃嫡、つまり世継ぎをクビになった。家は弟が継いだ。
 もっとも、それは本人の希望でもあったそうで、一生を武に捧げて何の悔いもない、要は変わり者であったようだ。
 だが、その実力は折り紙つき。
 あの一条家の殿様・一条鉄が曰く、
 「おい、ウチのチビを頼んだぜ」
 「承知仕った、兄弟子」
 このやりとりがあった、その事実を記すだけで十分であろう。
 武僧(モンク)としては一条鉄の弟弟子であり、先君・一条銀によって『瑞波武道総師範』を命じられた武人。
 僧名『木偶乱(でくらん)』。
 人呼んで『でくらん和尚』。
 自ら付けたという僧名の由来が『役立たずの気狂い』というから、ここまでいくともう『変わり者』というより、むしろ『かぶき者』と言った方がふさわしいかもしれない。
 これが咲鬼の幼少からの師であり、そしてこの道場の主。
 「お構えなされ」
 『和尚』が声をかけ、咲鬼と同じ武器を構える。
 武器は『杖』だ。
 構えは青眼。
 
 「奥伝風技(おうでんかぜわざ)・初風(はつかぜ)」

 ふっ、と、和尚の手の杖が消える。
 はっ、と、咲鬼の手の杖も消える。
 周囲の弟子たちが目を見開く。 

 少し時間を巻き戻そう。
 善鬼の屋敷を『家出』した咲鬼が、まず向かったのは一条家の居城・見剣城であった。
 一条家の主・鉄と、后である巴に挨拶するためだ。
 『家出の挨拶』、というのも変な話ではあるが、さすがにこの二人に無断で、というのは咲鬼も気が引けた。
 あるいは引き止められるかと思ったが、挨拶を受けた殿様とお妃様は大して驚きもせず、しかも鉄に至っては、
 「ウチの娘2人は、黙って出て行きやがったのになあ……偉ぇもんだぜ」
 と、複雑な表情を浮かべたものだった。
 ついでに『武術をもっと学びたい』、という咲鬼の願いを聞くと、
 「おう、そりゃ結構なこった」
 と、二つ返事で、わざわざ『でくらん和尚を』を城まで呼び出し、その場で話をつけてくれた。
 何せ二人、若い頃から『さんざん拳を交え、同じくらい酒盃も交えた』という、お互いにとって腹心の友といってよい間柄だ。
 「つーわけだが『でく』よ、頼めるな?」
 「無論、承知にござる。兄弟子」
 あっという間に話はついた。
 あとは昼間だというのに酒が並び、お后である巴と咲鬼の酌で酒宴となった。
 「これは贅沢。仏罰が怖い」
 仏門のくせに堂々と酒を飲んでおいて仏罰も何もないものだが、確かにこんな酒宴を囲める人間はそう多くない。
 「もはや稽古のお代は受け取ったも同然」
 美女と美少女、二人の酌を満足そうに受け、
 「明日よりは遠慮いたしませぬ。厳しゅう参りますぞ」
 とてもそうは思えぬ優しい顔と声で、和尚、咲鬼にそう告げたものである。
 さて、これにて『国家公認』になったとはいえ、咲鬼も家出の身だ。まさか『お城から修行に通う』というわけにもいかない(実は殿様からはそう勧められたのだが)。
 当面の宿は無代の店・泉屋と決まった。
 不在の無代に代わり、オーナーである泉屋藤十郎、元瑞花の町奉行であった『藤十』その人が城へ呼ばれ、殿様から相応の金が払われれば、これまた話はすぐについた。
 めでたく咲鬼の家出が完成したのである。
 なんとも至れり尽くせりな家出もあったもの、ではあるが。
 その日から咲鬼、朝、まだ暗いうちに店で朝食を食べ、店を出る。向かうのは瑞花の下町・桜町の外れに建つ寺だ。
 寺の名を『厳忽寺(がんこつじ)』。
 一条家の先君・一条銀の霊を奉る目的で、その生前から建設が始まり、その死後に完成をみた新しい寺院である。
 ちなみに一条家の正式な菩提寺は他にちゃんとあり、銀の墓もそこに建てられている。
 とはいえ寺の格式から言っても、庶民が勝手に拝みにいける場所ではないから、瑞波の民が銀を偲べるよう、この厳忽寺が建てられた。
 本尊は観音菩薩像、その体内には銀の遺髪、彼のトレードマークでもあった長く三つ編みにした銀髪を納められている。
 その像が拝める、年に一度の御開帳には、およそ瑞花の街のすべての人々が列を成す、というほどの尊崇を集めている。
 ちなみにご利益は縁結びから学問、果ては『子授け・安産』までというから、何とも彼らしいというかなんというか。
 住職は木偶乱僧正。境内には銀の命により、本堂より巨大な道場が建てられ、そこで上位武術の研究と伝授が行われるという、まさに瑞波武術の総本山でもある。
 故にというか、武を学ぶものの気合声が絶えないこの寺を誰も正式名称の『厳忽寺(がんこつじ)』とは呼ばず、
 『げんこつ寺(じ)』
 の愛称で呼んだ。
 ちなみにまったくの余談だがこの寺、本堂や五重塔に使われている木材や瓦、境内の石垣に至るまで、解体すればそのまま見剣のお城の修復に使えるよう設計されている。
 城が破壊されても短期間で修復可能なバックアップを用意する、天才・一条銀の工夫だ。
 この故事から、災いを引き受けてくれる『身代わり寺』の異名もある。
 
 「天津風(あまつかぜ)!」
 
 でくらん和尚の掛け声が続く。
 咲鬼の表情には、もはや一片の余裕もない。
 型稽古とはいえ既に奥伝、受けを誤れば『痛い』では済まない。壁一面に張りつけられた蘇生アイテム『イグドラシルの葉』のお世話になる羽目にはなりたくない。
 舞風(まいかぜ)、時津風(ときつかぜ)、谷風(たにかぜ)と、技は続く。
 速度と、威力が倍々で増す感覚。そして、
 「……島風(しまかぜ)」
 風技最速、不可視の颶風が咲鬼を襲う。
 「……!」
 もはや視覚などなんの役にも立たない。頼るのは五感を総動員した先にある第六感。
 かっ!!
 咲鬼の杖が鳴った。
 飛来する無数の打撃を、咲鬼は夢中で受け、いなし、打ち返す。
 息が熱い。
 身体が熱い。
 目が、耳が、鼻が、脳が、すべて焼けるような熱を持つ。
 熱い。
 熱い。
 熱い。

 みしり

 その熱が、両のこめかみに集まり。

 みしり
 みしり
 そして。

 「終(しまい)……雪風(ゆきかぜ)!」

 風技最強・最後の技の名を、和尚が告げた。
 
 つづく

 
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中の人 | 外伝『The Gardeners』 | 12:39 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
外伝『The Gardeners』(8)
 「ひと休みと致しましょう、咲鬼殿」
 『でくらん和尚』が声をかけ、同じ墨染めの法衣を着た咲鬼と並んで腰を下ろしたのは、綺麗に雑草が刈られた畑の畦の上だった。
 早朝から昼までの激しい修行の後、泉屋でしつらえてもらった弁当を食べ、そして午後は寺の手伝い、というのが咲鬼の日課だ。
 手伝い、主に畑仕事である。
 厳忽寺の裏手、一条家から『寺領』として与えられた広い畑には一面に棚が張られ、瑞々しい緑の葉の間に、これまた瑞々しいブドウの房がいくつも垂れている。でくらん和尚以下、寺の僧侶たちによって丹精されたものだ。
 アマツではまだ珍しいブドウを栽培したのは、瑞波の先君・一条銀の指示による。
 
 『米の時代は終わる』
 
 生前、彼がいつも口にしていた言葉だ。
 それというのもこの時代、国を治める大名にとって『米』こそが、何よりも大切な作物であった。まず米がなければ兵も、民も養えない。そして余った米を都の市場に出し、それを売った金で他国と物品を取引する。
 ゆえに国の力も米の収穫量、いわゆる『石高』によって測られる。
 『これ以上、米を作らない』
 という銀の方針は、だから当時の人々にとっては常識はずれにもほどがあった。
 だが銀は譲らない。
 『米など他所から、金で買えばよい』
 堂々とそう言い放つと、当時、瑞波の東方で勢力を持っていた『久我』の国に、米の購入を持ちかけた。
 当然、久我は瑞波の足元を見、
 『都の相場の3割増』
 とふっかけて来た。到底飲めまい、そう見越してのことである。そして瑞波が『買えぬ』と言えば、『では国境の城一つ、それと交換してやろう』とでも持ちかけるつもりであった。
 ところが銀は、これを飲んだ。購入資金なら海外貿易で蓄えた金・銀が十分にある。
 久我は内心、嘲りながら米を売った。相場の3割増し、バカ正直に払ってくれるなら大儲けである。しかも瑞波から、
 『来年の米も買いたい。同じく3割増しでよいなら、今、払う』
 と来た。
 久我は大喜びで、来年の米を今の金に替えた。
 『久我城の金蔵が、大人の背の倍ほどまで金で埋まった』
 そうだ。
 だが、そんな大金を手にしたところで、風向きが変わる。
 『これだけの金、使わぬ手はない』
 久我の殿様が、そう思った。
 そして、その金を軍資金として兵を雇い、武器を買って、瑞波と反対側の国・任海へ攻め込む。
 ほぼ同等の国力を持つ二つの国は、国境を挟んで激しくぶつかり合った。
 最初こそ勢いのあった久我が押していたが、そのうち一進一退の攻防となり、膠着状態となり、季節が巡る。
 そして久我はその年、まともな田植えができなかった。
 となると米が作れない。
 どうにかこうにか国内分は確保したものの、どうやっても瑞波に売る分の米が足りない。他国から買おうにも、もはや金もない。
 久我の殿様は、やむなく瑞波に泣きついた。
 『今年の米は来年まで待ってほしい。値段は相場と同じでよい』
 この申し出を、銀は笑顔で快諾した。そして銀は、
 いや『天井裏の魔王』は言った。
 
 『お困りならば、再来年の米も買おう。今、現金で』
 
 久我はその時やっと、自分たちが『ハメられた』と悟った。
 だが、もはやどうしようもなかった。瑞波の金にどっぷりと浸かった久我には、もはや他の選択肢はなかったのだ。
 任海との戦がようやく終わる頃、久我はとうとう瑞波に『五十年先の米』まで売り払っていた。
 そして銀は、いや『魔王』は最後に、
 『十年分の米と引き換えに国境の城一つ。しめて五城でいかがかな?』
 そう申し出るだけでよかった。
 瑞波は一兵も失うどころか指一つ動かすことなく、まるまる一国を事実上の属国としたのである。
 銀は久我から手に入れた城に、妻の巴率いる魔法使い部隊を派遣し、三日三晩、火炎最大魔法『メテオストーム』の雨を降らせ、完全に破壊した。
 そして城の跡地に厳忽寺の末寺を建てさせ、寺領を広げるよう指示し、さらに、
 『食う物ではなく、商う物を育てよ』
 その遺言の下、ブドウ、リンゴ、梨、梅などの果物をはじめ、耕作しにくい山の斜面などには桑を植え、蚕を育てさせた。久我の農家に栽培法を広めるのが目的だ。
 加えて、それらの作物を瑞波の国が一括で買い取るシステムも整備された。そこに作物を持っていけば、税引き後の代金が必ず『現金』で支払われる。
 かつて武士と、一部の商人の物であった金が、またたくまに国の隅々へと行き渡った。
 より高く売れる産物を求め、絹織をはじめとする手工業が興され、労働の対価として現金を受け取る『給与生活者』が増える。
 そして、払われる現金だけで生活する給与生活者の登場は、同時に『職業軍人』の登場も意味する。冬の農閑期にしか戦えない農兵など、遥か過去のものだ。
 『殖産興業』
 『富国強兵』
 一条銀の政治は、このように行われた。
 今、咲鬼と和尚の目の前に広がるブドウ畑は、まさに瑞波の『豊かさ』の象徴なのである。
 「今年も良い出来です。これも神君(銀のこと)の御加護」
 墨染めの法衣に坊主頭の和尚が、長く逞しい腕を伸ばしてブドウの一房をちぎり、咲鬼に差し出しながら自分も一粒、口に入れる。
 咲鬼も同じように一粒、口に含む。
 口の中に甘い泉が湧いたように、果汁が喉へ向けて流れ落ちた。
 「美味しい」
 青空を見上げながら、こうして採れたばかりの果物を口にする、これ以上の贅沢はないようにさえ感じた。
 「ところで咲鬼殿、今日は何度死なれましたかな?」
 咲鬼が和んでいるところへ、和尚が物騒な質問を投げてくる。
 言葉も表情も優しいが、空気は読まない。
 「……五度ばかり」
 本当は六度だが、小さくサバを読む。汗で足が滑って転け、そこに『たまたま』鎚が降ってきた、アレはノーカンだ。だが、
 「はて? 六度と思いましたがの?」
 バレていた。というか和尚、知っていて聞いたに違いない。
 「六度でした」
 ぶすっ、と口を尖らせて言い返す。
 「で、まだ『角』は出ませぬか?」
 「……いえ、まだ」
 咲鬼の口が、さらに尖る。
 「左様ですか。鬼になるには、まだ足りませぬかなあ」
 「……」
 咲鬼の顔が、もう可笑しいぐらいぶすーっとした表情に変わる。が、和尚、その空気を全く読んでいない。
 「『終(つい)』の雪風を受けられた時には、良い線に行ったと思いましたのになあ」
 いっそ呑気と言っていい調子でブドウをつまみ、空を見上げる和尚に、咲鬼はふっと殺気さえ覚える。
 
 咲鬼という少女にとって『角』は、そして『鬼になる』ということは、まだ非常にデリケートな問題だ。

 『強くなりたい』
 その思いはもちろんある。
 叔父である善鬼が『鬼化』した時の強さといったら、本当に人智を超えるものだ。あの力を自分のものにしたい、という欲求は当然だ。
 だが同時に、
 『自分が全く別のものになってしまう』
 というためらいもまた、咲鬼の中に存在した。
 叔父・善鬼からも、
 『なりたての鬼が角の力に飲まれ、狂うことがある』
 と聞かされている。
 そういうデリケートなことをオブラートに包まず、バカ正直に少女の咲鬼に告げてしまうところが善鬼らしいと言えば善鬼らしい。
 鬼の力を手に入れた自分が、今まで通りの自分でいられるのか。
 かつて、鬼の里から咲鬼を攫いに来た鬼たちのように、力に酔い、弱者を捻り潰すことしか考えない、まさに『鬼』となってしまうのではないか。
 そういう迷いが、彼女の鬼化を微妙に阻んでいるようだった。
 「まあ咲鬼様も今や、立派な『奥伝遣い』にござるでのう」
 和尚がしみじみと言う。
 「本当に強うなられたものよ。ウチの道場では、二番目の速さじゃ」
 「二番目?」
 咲鬼が聞き返す。いや、瑞波で自分が『一番でない』のは理解できるが、それだと『数が合わない』。
 「左様。一条家の末姫・静様の次にござるな」
 あれ? と、咲鬼が怪訝な顔をするのを、恐らく予想していたのだろう。
 「二の姫・香様は、中伝まで学ばれて、そこでおやめになりました」
 多分、彼女はそれで十分にデータを取ったと判断したのだろう。
 「一の姫・綾様は、そもそも当寺には来ておられぬ」
 意外だった。
 「『オレが行って好きに暴れたら、和尚殿の立場が無かろう?』、そう申されまして」
 なるほど、聞けば綾らしい話だ。
 とにかくあの豪傑姫様は、『武道』というものを頭からバカにしているところがある。
 「ま、あの御方は規格外としましても」
 和尚が、また優しい目で咲鬼を見る。
 「殿のお許しを頂いてから、まだいくらも経たぬというのに、もう奥伝遣いとはのう」
 「和尚様のお教えのお陰です」
 咲鬼が頭を下げるが、和尚は首を振る。
 「いやいや。もう拙僧が咲鬼殿に教えることといったら『秘伝』、それのみ」
 それだけ言うと、もはや枝だけになったブドウの房をぽい、と捨て、
 「『ついで』じゃ。それもお教えしておきますかの」
 まるで畑仕事の続きでもしよう、というテンションで、ぽんぽんと尻をはたいて立ち上がる。
 同時にすらり、と背中から杖を出し、構えた。
 つい数秒前まで、あぜ道に座って和んでいたのが嘘のような、堂々たる構え。
 「?!」
 あわてて咲鬼も立ち上がり、同じく背中に挿していた杖を抜いて構える。
 咲鬼が中伝から奥伝へと進む際に、一条家から祝として贈られた愛杖だ。
 『催眠術師の杖』
 咲鬼が選んだ職業『スーパーノービス』が専用に使う武器として、広く知られた代物である。 
 ただ、ルーンミッドガッツ大陸から伝来した『本家』のそれと、今、咲鬼が構えたものとは、だいぶ形状が違っていた。
 まず、その特徴である杖頭の飾りがオリジナルよりもかなり小さく、しかも堅牢な鋼で鍛造されている。さらに杖先も鋼で補強され、さらに木製の杖全体に鋼の箍がびっしりと埋め込まれていて、しかも表面は凹凸なく滑らかに磨き上げられていた。
 瑞波の鍛造・工芸技術が生み出した、まさに芸術品。もちろん美しいだけでなく、恐ろしいまでの強度と破壊力を持っていることは明白だった。
 その杖の両端を少し残すように両手で握り、いちど胸の前に水平に構えておいて、左手を腰の位置まで下げる。
 鋼の杖頭がぴたり、と和尚の眉間を指して止まる。
 杖術の『青眼』。
 
 ここでひとつ、読者に咲鬼の杖術修行の一端を体験していただこう。
 
 そこらへんにあるホウキでもモップでも、何ならポスターか新聞紙を丸めたものでもいい、できれば肩幅より長い棒を、咲鬼と同じように持っていただきたい。
 無ければ空想でもよいから、両手の拳を伸ばして肩と水平に、棒を持っているつもりで構え、左拳を引いて腰に据える。つられて、右拳が身体の前に突出される格好になるはずだ。
 さて、その状態から、
 『目の前の敵が、正面から攻撃を打ち込んできた』
 ところを想像していただこう。
 そしてその攻撃を、手に構えた杖で『右へ』払っていただきたい。
 ちょうど身体の前に突出された右拳で、敵の攻撃を右へ打ち払うような動作になるだろう。
 すると、お分かりだろうか。
 
 『棒を握った右で敵の攻撃を払う』と同時に、『左が突き出されて敵を攻撃する』のだ。
 
 『敵の攻撃を払う』動作と、『敵を攻撃する』動作が、一つの動作で行われるのである。
 払って、打つのではない。
 まして払って、振り上げて、打つのでもない。
 払うのと打つのが同時。決まれば完璧なカウンターとなり、敵はまったく防御できない。
 このような『一つの動作で複数の防御・攻撃効果を生み出す』ことこそ『武道』の真髄。
 いうなれば8ビットパソコンに対し、同時により多くの処理が行える16ビット、32ビット、64ビットのパソコンを持って対向するようなものだ。いかに速く、強く攻撃できたとしても、その一動作の間に2動作、3動作が可能となれば、やすやすと制圧されてしまう。
 『杖こそ武具の王』、そう言われる所以である。
 その杖を持って、子弟が相対する。
 ブドウ畑の隅、足場の悪い畦道の上という大雑把な環境だが、もはや二人ともにそれを気にしてはいない。
 「奥伝は『花技(ハナワザ)』と名がついておりまする」
 「はい」
 咲鬼が答える。それは既に学んだことだ。
 「咲鬼殿、『二重(ふたえ)』は使えまするな?」
 「はい」
 咲鬼がまた、よどみなく答える。
 『二重』とは、大陸から伝わったスキル『ダブルアタック』のアマツ名だ。『一息に二度攻撃する』ことからそう呼ばれる、本来は盗賊・シーフ系の基本技だが、咲鬼の『スーパーノービス』は他職の基本技を数多く覚えられる。
 「杖で二重を使う。さすれば自然、攻めは四つとなりまする。しめて『四段』」
 和尚が、何でもないことのように告げた。
 一動作に複数の要素を込められる杖ならば、確かに理屈の上ではそうなる。
 武僧『モンク』の技に『三段掌』という、一度に三つの攻撃を打ち込む連続技があるが、ただそれだけで『三段』を超える『四段』とは。
 笑うところか、それとも。
 「奥伝『終』・雪風の足運びで、打ち込みつつ『二重』。まずは見られよ」
 和尚の足下から、まるで重力が消えたように足音が消えた。刈り込まれた雑草の上を風が走り抜けた、そんな音しかしなかった。そして次の瞬間、
 ばばっ! びびぃん!!
 咲鬼の脳天、首筋、みぞおち、股間の四つの急所に、和尚の杖が撃ち込まれていた。紙一重の寸止め、衝撃も、傷もない。だが。
 (速い……!?)
 奥伝最速の『島風』、それどころではない。
 人体四カ所への四連撃が、ほとんど同時に襲ってくるのだ。まず避けようはなかった。
 こんな田舎めいた畦道に、だが武術の精華は咲く。
 その花の、花弁は四枚。
 
 「秘伝花技の一・『花水木(ハナミズキ)』」
 
 和尚の声を遠くに聞く。
 「今、覚えていただきましょう。ただし、ちと痛い目を見ますぞよ」
 相変わらず優しい声で、だが少しも優しくないことを、和尚は咲鬼に告げた。

 つづく
 
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中の人 | 外伝『The Gardeners』 | 08:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
外伝『The Gardeners』(9)
 この和尚の言う『ちと痛い目』が、『ちと』で済んだことなど、弟子になってこのかた一度もない。
 『相当痛い目』、いやいっそ『めちゃめちゃ痛い目』に遭うと覚悟を決め、咲鬼は手の中の杖を構え直した。
 咲鬼の愛杖は前述の通り、スーパーノービスの専用武具である『催眠術師の杖』を、瑞波の鍛冶師達が近接戦闘向けにアレンジしたもので、堅牢さと軽さ、そして使いやすさを兼ね備えた逸品だ。ちなみに咲鬼はこの杖を生涯にわたって愛用するのだが、彼女が現在持っている杖は『初代』、そしてその生涯に所持した杖は『五代』を数える。
 なお二代目以降は、叔父の善鬼が愛用した『鬼棒』にちなみ『子鬼棒(こおにぼう)』という愛称を頂く。その命名者は当然というか、無代その人だ。
 咲鬼は、今はまだ名のない棒を両手で握り、和尚の巨躯に相対する。
 ただ前に立っているだけで押しつぶされそうな和尚の武風を、ただ気合だけで堪える。もしここが戦場であったなら、そこらの雑兵など何もしないうちに逃げ出すに違いない。
 (……)
 直前に見たばかりの秘伝技を、必死で脳内に再生する。といっても咲鬼の視角を持ってして、目で追えたのはほんの一部。花水木の花が持つ四枚の花弁になぞらえた、まさに神速の四段攻撃を、大半は想像で補う必要がある。
 (モンクの和尚様は『ダブルアタック』が使えない。だから、恐らく『三段掌』の応用)
 そう見当をつける。
 『三段掌』は武僧・モンクが習得するスキルであり、敵に対して瞬時に三連撃を打ち込む打撃技である。盗賊・シーフが使う『ダブルアタック』の二連撃より高度な技となるが、スーパーノービスである咲鬼には使えないスキルだ。
 だがアマツの武芸者達は、この二つの連撃技が同一の原理で起動することを既に研究済みである。
 
 『魔法を使って脳神経系に簡易のプログラムを組み込み、そこに微細な魔力を通すことによって、同一の動作を瞬時に繰り返すよう筋肉をコントロールする』
 
 要はそういうことだ。
 大陸から伝わったスキルの多くが、元を正せばこの原理で作動することを、アマツの武芸者達は早々に見抜いた。
 プログラムの種類によって、過大な筋力を一気に放出する騎士・ナイトのスキル『バッシュ』や、常人離れしたジャンプ力・走破力を発揮する魂術師・ソウルリンカーの『ノピティギ』『タイリギ』などがこれにあたる。プログラムの内容が違うだけで、原理は全く同じなのだ。
 また『三段掌』は本来素手の技だが、武器を持っても発動する。また悪漢・ローグのスキル『盗作』を使ってプログラムを上書きすれば、極端な話『弓』を持っても三連撃を発動させることが可能となる。
 『ならば鍛錬によって、肘でも膝でも腰でも首でも、身体のあらゆる場所で連撃を起こすことが可能なはずだ』
 アマツの武芸者たちはそう考え、そして実践した。
 その精華ともいうべき鍛錬法こそ咲鬼が学んだ初伝・中伝の足さばき・体さばきであり、本来オートマチックに作動するはずのスキルプログラムを解体し、『手動』で動かすための予備プロセスなのだ。
 ましてアマツ・瑞波武芸の総師範たる和尚にとっては、三連撃の『三段掌』から一つ引いて『ダブルアタック』を再現するのも、手さばき・体さばき一つで簡単にできてしまうのだろう。
 「お分かりになりましたかな?」
 和尚が微笑しながら尋ねてくるが、咲鬼は応えない。その代わり、杖を握った腕から力を抜き、完璧なリラックス状態を作り出す。
 さく。
 と、足元の草を足で鳴らす。
 同時。
 
 びぃいん!!!
 
 一瞬、咲鬼の身体が消え、手に持った杖だけが弓のようにしなりつつ、風を引き裂いて宙を飛ぶ錯覚。
 四連撃。
 
 『花水木』

 「む!」
 和尚の棍が、これまた目にも止まらぬ動きで、しゅ、しゅ、しゅ、しゅん!! と、杖の連撃をさばく。達人の使う棍はこのように、戦っても音がしない。
 かん!こん!と衝突音を響かせるのは、未熟の証拠。真の達人は敵の攻撃を『受ける』のではなく、棍の上を滑らせるように『いなし』てしまう。
 「良し!」
 咲鬼の四連撃を、こともなくいなしておいて、和尚が頷く。
 だが、咲鬼は止まらなかった。
 
 び!
 
 いなされた杖が唸りを上げる。
 杖を両手で握って『ダブルアタック』を発動させれば四連撃。
 それがいなされた、と見るや、和尚の懐に入り身しつつ、片手の杖で『ダブルアタック』。と同時に、軸足の膝で地面に対して『ダブルアタック』を発生させる。
 この足技、瑞波奥伝『天津風(アマツカゼ)』。
 腕で二連撃、それに足から伝わる二連撃を上乗せする。
 合わせて2+2、四連撃。
 
 び!
 びび!
 び!
 
 「むむ!!」
 和尚の棍が一撃、二撃、三連撃までをいなすが、四撃目は。
 「ふん!」
 後ろに退いた和尚の右足、その足首がまるで『折れた』かのようにくにゃり、と曲がったように見えた。
 その錯覚に導かれるように、和尚の巨躯がすいっ、と斜め後方へ吸い寄せられるように移動し、咲鬼の四撃目を空へと空振りさせる。
 奥伝『舞風(マイカゼ)』。
 足首と足の指のすべてを使い、地面を『掴む』ことで、常人にはあり得ない高機動を身体に与える。
 躱された。
 だが、
 (躱させた……!)
 咲鬼の目が光る。全身の神経と筋肉が『いける!』のサイン。
 杖と、咲鬼が超ミニサイズの台風と化す。
 
 び!
 びび!
 びびびびび!!!!
 
 杖が弓なりにしなり、さらに先と先がくっついて円となる。無論、それは錯覚であり、杖はあくまで真っ直ぐに伸びたままだ。
 その杖が、形を変えて見えるほどの速度と機動。
 手で、腕で、肘で、肩で、腰で、膝で、足首で。
 身体のあらゆる場所で『ダブルアタック』を発生させ、それを合成することで四連撃へと倍加させる。
 咲鬼と杖、そのコンビネーションが絢爛と咲き乱す、その花の花弁は四枚。
 
 秘伝花技(ヒデンハナワザ)『花水木(ハナミズキ)』。
 
 (……見事!)
 でくらん和尚が、腹の中で唸った。
 文字通り花嵐と化して押し寄せる咲鬼の攻撃。同じく四連の棍でいなそうとしても、もはやいなしきれない。
 
 かっ!
 かっ!
 
 時として杖と、棍が噛み合う打撃音が響く。それは和尚の未熟ゆえではない。
 (『鬼の子』、恐るべし)
 改めて、目の前の弟子の力を認識する。
 もちろん型稽古の段階から、言うまでもなく咲鬼の才能は明らかではあった。
 瑞波武術における『型』とは、要は達人の『模倣』である。いや、より正確に言うなら『模倣のための下地作り』だ。
 例えば、でくらん和尚や兄弟子の一条鉄が武を学んだ師は、本物の『達人』であった。
 その師曰く、
 
 『人体は組み木の箱なり』

 という。
 組み木の箱とは、様々なパーツを組み合わせて作られたパズルゲームのような箱のことで、あっちを押してこっちを抜き、こっちを押し込んであっちを抜く、というような様々な作業を経ないと蓋をあけることができない。そして蓋を開けるまで、中に何が入っているか分からない。
 つまり人体も、単純に『敵を撃つ』という動作の中に、普段は気づかない様々な要素が千も、万も詰まっていて、その要素に一つ気づくだけで、全く違う技が出現することがある。
 普段生活しているだけでは決して気づかない筋肉の使い方や複数の間接の連動、体重の移動といった要素が、思わぬ人体運用を可能にすることがあるのだ。
 『型稽古』は、それに気づくための下地作りである。
 現代風に言うならば、人体とその運用を構成する『ソース』を直接いじれるようにする、そのための訓練と言ってもよい。
 例えば、瑞波奥伝の一つ『時津風(ときつかぜ)』は、上半身を一切動かすことなく、下半身の動作だけで敵との間合いを一気に詰める。
 敵に対して身体を斜めに構え、上半身で下半身を隠した状態からこの技を使うと、敵から見れば『自分と相手の間の空間が突然縮んだ』ように見える。古流には『縮地』と呼ばれる技があるが、あるいはこれに近いだろう。
 この『時津風』の習得のためには、まず全身の筋肉と間接を意識的に、すべて独立して動かせる(あるいは動かさない)ようにならねばならない。
 簡単なようで、難しい。
 『時津風』を構成する要素の最大のものは『腰を動かさず、足だけで歩く』ことだが、コレをやれと言われていきなり可能な人間はまずいない(一条家の三姉妹は別格として)。
 だから瑞波武術では、初伝からの長い型稽古の間に、腰と足の間接・筋肉を、脳神経的に『切り離す』修行をする。それが可能になって初めて、最後の『時津風』が結晶として出現するのだ。
 常人ならばただ蓋を開けるだけの箱を、わざわざ複雑化して不可視のパズルとし、敵に相対する。
 それが『技』であり『武』というわけだ。
 咲鬼も当然、その初伝からのプロセスを踏んできた。だからこそ今、秘伝の一つをぶっつけ本番で、こうして使いこなしている。
 とはいえ、その理解の速さは、やはり尋常ではない。
 特に『腰から上を動かさずに歩く』奥伝『時津風』は、普通でも習得に十年はかかるという難技である。
 さらにその『時津風』の状態から膝、もしくは足首の間接だけに『ダブルアタック』を発生させ、移動と攻撃を多重化する『天津風』ともなれば、一生かかってもできない者はできない、とさえ言われる至技だ。
 想像はつくと思うが、それなりに初伝と中伝を真面目に学んだものの、奥伝に一歩も進めなかったのが無代である。
 『腰を動かさず歩け』と言われても、
 『??』
 と、道場の真ん中で呆然と立ち尽くすしかなかった。
 ただ彼の名誉のために言うが、そういう者は決して少なくはなく、彼らはここで振り落とされ、アコライトやマーチャントとなっていく。
 だがその一方で、咲鬼が保護者である一条鉄の許可を得て奥伝を学び始めたのは『先週』。
 『時津風』を覚えたのが『三日前』。
 『天津風』に至っては『昨日』である。
 こうなるともう、『技を覚える』という次元を完全に超えている。
 でくらん和尚をして、
 (『元々覚えていたものを思い出す』かのようだ)
 と思わしめる、一種の奇跡といってよい。
 もっとも和尚、確かに驚いてはいるが決して驚愕してはいない。
 過去には奥伝から秘伝までを三日で習得し、ついでに秘伝を『二つ追加』して卒業していった『本物の化け物』を教えたこともある。
 言うまでもない、一条静姫その人だ。
 (まあ、『教えたことしか覚えない』だけ、アレよりはまだ可愛げがある)
 内心で苦笑する。
 その静が家出して、プロンテラの下水道で巨大ゴキブリに不覚をとった、と後に聞いた和尚は、
 『さもありなん』
 と笑ったという。
 『武術で虫ケラは騙せませぬでの』
 命を顧みず、集団で襲ってくる敵には、時に武術は役に立たない。そういう場面ではシンプルな力とスピード、ただそれだけが勝敗を分けることも少なくない。
 『戦場で武術は役に立たない』
 と言われる所以でもある。
 だが和尚、それにも笑ってこう答える。
 『己ができることとできないこと、それを知るのもまた武にござる』
 強さだけではなく、己の限界を知ること。それは戦場で戦い、生き残るために大いに役に立つことだ。
 いや、戦場だけではない。
 咲鬼がこれから生きていく世界は、普段から戦場みたいなものだ。
 どれほど平和に見えても、一条家は『戦国大名』である。そして咲鬼はその重臣の養女であり、一条家の身内同然に扱われる存在である。
 実のところ、既に『見合い話』は持ち込まれている。
 一条家の三姉妹がそれぞれ勝手に『片付いて』しまったため、一条家の身内になりたい者共にとってはもはや咲鬼だけが頼りだ。
 中には一条家が同盟する大名の、世継ぎの正室にと望む声もある。
 同時に、それを阻止しようとする勢力もある。
 そんな日常の中で、彼女は生きていかねばならないのだ。
 そう思えば、
 (奥伝秘伝も、小さいものよ)
 でくらん和尚さえ、ふっと感傷的にならざるをえない。元は大身の武家であっただけに、咲鬼の立場はよく理解できるのだ。
 「御見事にござる」
 かん、と咲鬼の攻めを受けておいて、和尚が一歩下がった。
 台風と化した咲鬼と杖が、草の上で元の姿に戻る。
 さく、と、草を踏む音も帰ってくる。
 きらきらと、咲鬼の瞳が輝く。自分という存在に隠されていた、新たな扉を開いた興奮が少女を包んでいる。
 その姿は、多くの弟子を育てた和尚にとっては見慣れた、そして何度見ても美しく貴いもの……だが、
 (この娘には、まだ先がある)
 同時に、そのことも分かってしまう。そして、
 (その先を見てみたい)
 そう思ってしまうのも、武人の性(さが)というものだ。そして、思ったら即行動。
 武人として生きる以上、今夜死ぬこともある。ならば明日を待つ意味など皆無である。
 
 「推し伝える」
 
 手の内の棍をしゅっ、と一つ弾いて、真正面に咲鬼を捉える。
 『推し伝える』とは、『推して参る』『推し通る』の造語か。要は『無理矢理でも教えるぞ』という。
 咲鬼が杖を構える。既に全身の間接・筋肉を個別に励起し、いつでも『奥伝・風技』を発動可能な状態にある。
 じっと動かないようで、同時に超高速で動き続けているかのような、矛盾した立ち姿。
 (つくづく見事)
 和尚が心で唸る。ならば遠慮無用。
 「!」
 草を踏む音が消え、同時に和尚の巨躯も咲鬼の視界から消失する。
 ただ棍だけが咲鬼を襲う。神速の四連撃。
 秘伝『花水木』
 だが、今度は咲鬼も負けてはいない。
 「!!」
 
 しゃっ!!
 
 咲鬼の杖も連撃を発動、和尚の棍を迎撃する。

 しゃ、しゃ、しゃっ!!

 しのいだ。当たれば骨まで持っていかれる和尚の棍を、その半分も重さのない咲鬼の杖が捌き切った。
 (感じる!)
 和尚の棍に触れた杖の先から、和尚の次の動きが予測できる。
 初伝・中伝で叩きこまれた『身体のソースへの理解』が、自分だけでなく敵の身体の動きも理解させる。
 ただ漫然と生活しているだけでは、おそらく一生気づくこともない膨大な身体・運動情報が今、咲鬼の全身をネットワーク化しているのだ。
 和尚の棍が再び唸る。四連撃。
 花水木。
 「ふぅっ!!!」
 咲鬼と杖が再び台風と化し、襲い来る四枚の花弁を、今度は吹き散らしていく。
 
 しゃ、しゃ、しゃ、しゃあっ!!
 
 ぞっとするような擦過音。
 「熱……っ!」
 咲鬼が一瞬、顔をしかめたのは、手の中の杖が猛烈な熱を持って掌を焼いたからだ。和尚の棍から発せられる凄まじいパワーを捌いた代償に、杖が激しい摩擦熱を帯びている。
 棍と杖、二つの武器が発する焦げ臭い匂いが、咲鬼の肺をチクチクと刺す。
 (いける!)
 咲鬼の脳と、身体が快哉を叫ぶ。
 新たに開かれた扉が与えてくれる力に飛び乗るようにして、和尚の攻めと護りに食いついていく。そして、その瞬間は来た。
 ずるり。
 和尚の足が滑った。
 二人の武人の超人的な脚さばきを加えられ続けた畦が、その力に耐え切れず液状化を起こしたのだ。
 (今!)
 咲鬼の全身を覆うネットワークが、一気に白熱する。
 (いっけえええええ!!!!)
 足元は液状化、だが咲鬼のほうが体重が軽い。水面に投げた石のように地面を弾き、咲鬼の身体が突進する。
 同時に空中で身体を捻り、肩と腰に『ダブルアタック』。全身を捩じ切る勢いで和尚に襲いかかる。
 「むん!」
 踏みとどまった和尚も、棍を捻る。
 花水木。
 四連撃が激突する。
 しゃっ!
 一撃。
 しゃっ!
 二撃。
 かつん!
 三撃。これは捌けず、受ける。
 かぁん!
 四撃。さしもの和尚が、完全に受けに回る。咲鬼の杖から伝わる情報が、和尚の『停止』を伝えてくる。だが咲鬼には、次の花を咲かせる準備万端。
 (獲った!)
 和尚の足元に着地すると同時に、両膝で『ダブルアタック』。奥伝『天津風』の両膝同時起動だ。
 咲鬼の身体と杖が、致命の四枚花弁を開かせ……。

 どんっ!!!!

 その瞬間、何が起きたのか咲鬼には分からなかった。
 気づけば、地面を真下に見ながら後方に吹き飛び、そのまま顔面から畦道に墜落している。
 びちゃあ!!
 単なる落下音ではなく、肉が裂ける湿った音。顔面が、それこそ酷い有様だろう。
 だが、それすら些細なことに思えるぐらい、全身が滅茶苦茶になっていることが、悲しいくらいに分かる。
 あり得ないことが起きた。
 花水木の四連撃が果てたはずの、その後に続く一撃。いや、4+1なら避けられた。
 (……五連撃)
 
 アマツの春に咲き誇り、そして舞い散るその花の花弁は、五枚。

 「秘伝花技(ヒデンハナワザ)の二・桜花(サクラバナ)』

 つづく。

 
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中の人 | 外伝『The Gardeners』 | 12:42 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
外伝『The Gardeners』(10)
 
 「秘伝花技(ヒデンハナワザ)の二・桜花(サクラバナ)」
 
 うつ伏せで地べたに叩き付けられた咲鬼の耳に、和尚の声がひどく遠く聞こえた。棍の一撃をまともに食らった影響で、神経系がイカれている証拠である。そもそも正面から攻撃を受けてうつ伏せに倒れること自体、身体の芯を真っ向から撃ち抜かれたということだ。
 (不覚……!)
 あまりの情けなさに涙も出ない。
 
 『桜花』
 
 春に咲き乱れる、その花の花弁は五枚。
 五連撃。
 咲鬼が使った『花水木』の四連撃を、ご丁寧に全弾迎撃しておいて、その上から渾身の一撃を加えてきた。
 「……!!」
 腹の中に手を突っ込まれ、無造作にかき回されるような激痛。鳩尾への容赦ない打撃により、内臓や横隔膜に深刻なダメージを受けている。猛烈な嘔吐感は、単に胃の内容物が逆流しているからではない。胃が破れ、内部に出血しているのだ。
 呼吸ができない。
 だから、『ヒール』の魔法が唱えられない。ポーション類の持ち合わせもない。
 (まずい!)
 パニックを起こしかける。
 ざっ。
 うつ伏せで動けない咲鬼の真横で、草を踏む足音。
 和尚だ。
 「ふむ」
 とん、と、地面に棍を突き、
 「倒れても杖を離さぬのは、良い心がけにござるぞ?」
 誉められたが、この状況では嬉しくもなんともない。
 「!!!」
 何とか身体を起こそうとするが、呼吸ができないため酸欠で頭が白熱してくる。その上、
 「で? これでも『角』は出ませぬかの?」
 などと呑気なことを聞かれたものだからたまらない。
 (鬼……っ!!!)
 咲鬼、自分のことは差し置いて内心で絶叫する。
 呼吸はできないが、こみ上げる嘔吐感に堪えられず、地面に大量の血を吐く。
 (あ……これ、死んだ)
 咲鬼が、いっそどこか他人ごとのように思ったその瞬間、
 「ヒール」
 和尚がやっとヒールを贈ってくれた。とはいえこの和尚のヒール、典型的な『気付け型』だからたまらない。
 「んぎゃっ……!」
 腹の激痛こそ収まったが、代わりに内臓がでんぐり返りそうなほどの回復衝撃(ヒールショック)が、咲鬼の全身をもみくちゃにする。
 ブドウ畑の隅にある井戸から汲んだ水を、桶ごとぶっかけられてようやく復活した咲鬼だったが、さすがにしばらく口もきけない有り様。
 一方、和尚はそんな咲鬼の様子に一切構わず、
 「いかがでしたかな、『桜花』の味は?」
 などと、にこやかに尋ねてきた。
 さすがの咲鬼も、その笑顔に一瞬ぞっとするのを止められない。これはもう『厳しい』とか『優しい』とかいう甘っちょろい次元ではない。武術を学び、伝える武芸者として、この人物は余りにも純粋すぎた。
 「『三段掌』の三連撃を重ねて五連撃。ゆえに『桜花』。本来なら3と3で六連撃となるはずでござったが……」
 その技で死にかけていた少女に、いかにも楽しそうに技を説くところなど、ある意味どこか狂っていると言ってもいい。
 「同時三段、試したところがコレでござった」
 ひょい、と自分の法衣の裾をまくる。
 「う……?!」
 咲鬼がたまらずうめき声を上げる。
 男の生足など、元々あまり美的な代物ではない上に、その脹脛から膝にかけて、凄まじい傷跡が刻まれているとなればなおさらだ。例えるならスイカ割りで見事に砕かれたスイカを無理やり接着したが、結局接着しきれなかった跡、とでも言おうか。
 「色々と鍛えてみてもござったが、どうも人体の耐えられる域を超えておるようでしてな」
 わっはっは、と、傷を叩きながら笑う。
 咲鬼はもちろん、笑えない。この武術狂いの和尚にとって、自分の身体をぶち壊すことすら娯楽の一つに過ぎないのか。
 「ま、まずは『桜花』、覚えて頂きましょうかの。咲鬼様ならば『ダブルアタック』の同時起動で2+2、そこに足すことの1でござる」
 「……はあ」
 咲鬼はもう、ため息しか出ない。
 和尚は簡単に言うが、そんな単純なものでないことは明白だ。自分が望んだこととはいえ、こうなるともう、修行を許可するフリをして、一条家の殿様に『売られた』んじゃないかと疑いたくもなる。
 「ささ、お立ちなされ」
 にこやかに促す和尚に、
 「あの、和尚様」
 「何でござろう?」
 咲鬼は観念した様子で、
 「『今日は帰れぬ』と、泉屋に一筆入れてから。で、よろしゅうございますか?」
 「無論にござる。では一度、寺に戻り申そうか」
 ぽん、と棍を肩に担ぐと、畦道を歩き出す。
 重厚の上にも重厚を重ねた武人でありながら、しかしその様子は実に飄々として、いっそ『軽み』さえ感じさせる。そういうところは、兄弟子である一条鉄とそっくりだ。
 だが咲鬼にとって、この『軽み』こそが恐ろしい。
 
 『根の限り戦って、死ぬときは『ぽん』と死ぬ。戦人(イクサビト)とは、そうでなくては』

 常々そう唱える和尚、自分の命さえ軽く扱う本物の戦人、いや『戦狂(イクサグルイ)』の姿が、そこにはあった。
 「で、咲鬼殿?」
 とっとと先を歩きながら、振り向きもせずに和尚。
 「はい?」
 あわてて後を追いながら咲鬼。
 「『人体では耐えられぬ』……ならば、でござるよ?」
 和尚が、いっそ無邪気といっていい表情で咲鬼を振り返る。
 もう嫌な予感しかしない。
 「では『鬼』ならば、さて、いかがであろうかなあ?」
 「……」
 案の定、だ。
 
 瑞花の街・泉屋に咲鬼からの手紙が届いたのは、もう夕暮れも近い頃だった。
 「お奉行様〜。『四郎正宗(シロウマサムネ)』が戻りましたよう〜」
 女中の『みいや』が中庭へ連れて現れたのは、そろそろ人の腰ほどにも育った兎型のモンスター『ルナティック』。片目が傷で潰れた貌は厳ついが、一方で一条家の家紋『透かし三つ巴』の入った真っ赤な前掛けを着けているのが実に可愛く、アンバランスといえばアンバランスだ。
 このルナティック、戦場で傷ついていたのを一条家の長女・綾が、連れ帰ったもので(本編第四話『I Bot』参照)、世話をするうちに咲鬼に懐き、今や立派な『舎弟』と化した上に、一条家から『瑞波四郎政宗(ミズハシロウマサムネ)』の名までもらっている。
 一条家の家紋入りの前掛けは、ぐるりと背中にも布が回っていて、そこにも大きく家紋が入っており、ただのモンスターと見られて狩られることのないよう、目印となるべく下賜されたものだ。
 これは余談だが、一条家に関わる動物たちに『瑞波姓』を与えるこの仕来りを『瑞波獣組(ミズハケモノグミ)』という。
 このルナティックは『四郎』であるから、現在の第四位。
 最高位の組頭(クミガシラ)に与えられる『太郎(タロウ)』を持つのは、もちろん綾姫の騎鳥『炎丸(ホムラマル)』で、その正式名は『瑞波太郎炎丸(ミズハタロウホムラマル)』という。
 ちなみに雌だと『姫』であり、現在『瑞波次郎(ミズハジロウ)』、『瑞波三姫(ミズハミツヒメ)』の名を持つ動物が存在するのだが、今は伏せさせていただく。 
 「ふむ、咲鬼様は今夜もお帰りにならぬそうだ」
 その正宗が運んできた手紙を、座敷の縁側で読むのは泉屋桐十郎。読者の皆様もご存知、瑞花の街の元町奉行・笠垣桐十郎その人である。
 今は不在の無代に代わり、ここ『泉屋』をオーナーとしてシメている、これも瑞波指折りの『戦人』であり、居合用に鍛ち直された『無反り村正』の神速こそ知る人ぞ知る。
 職業はロードナイト。通称は『桐十』。
 「なんとまあ、絞られておられますこと」
 座敷の中に座ったまま、そう言ってコロコロと笑う年かさの女教授は『泉水(センスイ)』。
 実はこの女性、ここ『泉屋』の創業者であり、本来の持ち主でもあったのだが、そこには次のような事情がある。
 無代が店を買い取る遥か以前、この泉水が創業し、軌道に乗せた泉屋は大いに繁盛していた。が、彼女には、一人でルーンミッドガッツ大陸に渡ったまま行方しれずとなった妹がいた。
 『妹を探してくる』
 彼女は信頼していた番頭にそう告げ、大陸へと旅立った。
 それから数年、なんとか無事に妹との再会を果たして帰国してみたら、店の様子がおかしい。

 『わたくしが泉屋の主、無代でございますが?』
 『いえ、私も主なのですが?』
 『は?』
 『え?』

 という、実にトンチンカンなやりとりが、泉水と無代の間で取り交わされた。
 それというのも、実は泉水が留守の間に、店を任せた番頭が博打に狂って膨大な借金を作り、本人は失踪、店は人手に渡って競売にかけられてしまっていた。
 そこを買い取り、面倒なので看板そのままで営業を始めたのが無代、というわけだ。
 『なんとまあ』
 泉水も、怒るよりなにより呆然。これでは早速、今夜寝る場所のアテすらない。
 『困りましたな』
 無代も頭を掻くしかない。
 店を手に入れた手続きそのものは正当だから、泉水にしても文句の付けようがないのだが、だからといって無碍にできる無代でもない。
 『泉水さん、よかったら一緒にやりませんか?』
 いきなり、そう持ちかけた。
 『もうしばらくしたら、俺は店を留守にします。長く帰ってこられないかもしれない。貴女がいてくれれば、店も安心だ』
 そう言って、泉水が申し出を受けるや否や、店の差配を任せてしまった。店をオーナーとして預かるのは桐十であっても、元武士である彼に料理屋の差配はできないから、これは無代にとっても『渡りに船』である。
 とはいえ、いきなり初対面の相手をそこまで信用してしまう、その辺はいかにも無代、と言えようか。
 その『人を見る目』こそ、彼の本当の特殊能力かもしれなかった。
 ともあれ、無代が不在の泉屋はこうして、桐十と泉水の二頭体制で運営されることになった。
 『料理屋』としての差配は泉水。
 そして『御庭番』を差配するのが桐十。
 偶然とはいえ、なんとも適材適所な配置が出来上がっている。
 「まあ、あの和尚なら間違いはありますまい」
 桐十が、咲鬼の手紙を丁寧に畳むと、座敷に戻って文箱に入れる。
 顔には苦笑い。
 『間違いはない』、と言っても、咲鬼がどんなひどい目にあっているかは容易に想像がつく。それでなくても、咲鬼が店に下宿して和尚の下に通うようになってからというもの、日一日と顔つき、身体つきが変わっていくのを目の当たりにしている。
 (無代が帰る頃には、もう誰だか分からなくなっているのではないか)
 そんな風にさえ思うほどだ。
 「では、寺へ食事を届けさせましょう。みいや、『びしゃ』に伝えてください。しっかり精のつくものを、と」
 「承知しましたー!」
 返事が聞こえた時には、もう中庭に女中の姿はない。
 代わりに中庭と店を隔てる生け垣の木の葉が数枚、はらりと散ったのを見ると、大人の背よりも高い生け垣を飛び越えていったと見える。
 「……さて、話の続きだが」
 みいやの離れ業も、桐十にとっては日常茶飯事なのか、完全スルー。
 座敷に戻り、泉水と並んで上座に座ると、下座にはひまわり、そしてかいねの姿がある。
 「首尾はどうであった、ひまわり?」
 「それが聞いておくんなましよ、お奉行様!」
 頬をぷっくりと膨らませ、見るからに不満気なひまわりが、例によってばんばんと畳を叩く。一方、隣のかいねは知らん顔。彼女は踊り以外に興味がない。
 「その様子だと、儲け損なったか?」
 「ご明察でヤンス」
 ぶっすー、と愚痴るひまわりだが、別に彼女、金の亡者というわけではない。
 「奥方様からのお金で、皆、何とか年は越せるでヤンスが……今年こそ餅の一つも付けてやりたかったのに」
 そう悔しがる。
 無代がひまわりに与えた役割は、泉屋に関わる人間や、引退して客が取れない遊姫達の面倒を見ることだ。かいねの師匠のように、芸を教えて生きられる人間はまだいいが、冷たい長屋でただ朽ちるのを待つだけの者も少なくない。
 そういう人々に、何とかして細々とでも仕事を回し、金を回すのが彼女の仕事であり、その運営資金の多くが、こうした一条家からの情報料や活動費をやり繰りして捻出される。
 当然、一条家の面々もそれは心得ていて、だからこそこの二人が冒頭で一条家の妃・巴からさんざん金を引っ張り出しても文句は付かないし、その直後に御側役筆頭・善鬼の元へ駆けつけて『二重取り』を狙っても叱られない。
 ひまわりとかいね、二人が息せき切って善鬼の屋敷に辿り着き、面会を申し込むと、すぐに善鬼の下に通されるのもいつものことだ。
 だが、ひまわりが仕入れたばかりの情報を披露しようと、さわりを口にした瞬間、筆頭御側役・善鬼は、表情も変えずにあっさりと言った。

 「そのことなら、既に承知しておるぞ」

 つづく
 
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