2015.05.20 Wednesday
第十五話 Crescent scythe(1)
ルーンミッドガッツ大陸・アルナベルツ教国。
その国土の大半が砂漠や荒れ地で占められた、「風さえ砂の味がする」と言われるほどの乾燥地帯だ。
『砂漠』と聞けば『暑い』というイメージを持たれるだろうが、アルナベルツに関して言えばそれは逆で、どちらかと言えば『寒い』。大陸の最北部に広がる大山脈、その裾野に広がるこの国は、大陸三国の中では最も北に位置し、一年を通した平均気温も最低である。
乾燥し、寒い。
つまりは『貧しい』。
そんな荒れ果てた国の、さらに辺境に広がる荒野を、一台の鳥車が疾走していく。
馬が牽くから『馬車』。
鳥が牽くから『鳥車』。
乗り物としての構造は馬車とそっくりだが、決定的に馬車と違うのは、それを牽引する動物が馬ではなく『騎鳥ペコペコ』なのだ。
鳥車を牽くペコペコは6羽。
『六鳥立て(シックス・バーズ)』は禁令により、よほど高位の人間しか使えない。庶民にとっては、ほとんど国家レベルの式典でもなければ目にする機会のない、超VIP専用の乗り物である。
断じてこんな荒野を、しかも供も連れない1台のみで走っていいものではなかった。
御者席には2人。一人は手綱を握る御者で、アルナベルツの中級神官らしい純白の外着姿。もう一人は青色の『振り袖』を風になびかせた女教授。
2人とも、その表情にはただならぬ緊迫と、そして色濃い疲労を貼り付けている。
「技官様! 右から来ます!」
「!!」
御者の警告に女教授が立ち上がり、慌てた様子で周囲を見回す。
「右後方に1騎! 左からも2騎!」
御者がさらに警告。だがその時にはもう、女教授の視界にも『敵』が見えていた。騎鳥ペコペコに跨った騎士やら聖騎士が10騎以上、この鳥車に迫ってくる。
残念ながら、鳥車の『お供』ではない。
それが証拠に全員が抜身の剣や槍で武装し、覆面の隙間からのぞく目に殺気をみなぎらせている。
「追いつかれる! もっとスピード出ないの?!」
女教授が、切羽詰まった声で御者に叫ぶが、
「無理です! いくら『六鳥立て』でも、これが限界だ!!」
御者も負けじと、切羽詰まった声で叫び返す。
「技官様!!」
御者が警告するのと、女教授に騎士の剣が撃ち込まれるのが同時。
「っつあ!!」
だが女教授の反応も早い。背中に背負っていた巨大な『本』を右手に、騎士の剣をがっちりと受け止める。
『本』で『剣』を受け止める、というのは異様だが、この世界では珍しいことではない。
魔力が込められた本を、魔法の触媒だけでなく直接戦闘に使う『本殴り(ブックビーター)』は、特に魔法職『プロフェッサー』に多い。
本は本で、魔法よりも『殴る』ことに特化したものが出まわり、中には下手な打撃武器よりよほど硬質かつ高威力の高いものも存在する。
この女教授がまさにそれであり、彼女が使う本もまたそれであった。
「でああああ!!!」
女教授の持つ本が剣を跳ね返すと、同時に目にも留まらぬスピードで騎士を連打する。
一方で本を持つ女教授の細腕に、さほどの力が込められているとも見えないのは、本そのものに『打撃のスピードを上げる』魔法効果が付与されているからだ。
ばばばばばっ!!と、 本を閃かせるように敵を殴る様は、貴重な本を粗末に扱っているようしか見えない。『本を叩くもの(ブックビーター)』の異名の由来だ。
威力はともかく、そのウザいまでの連打スピードの前に、さしもの騎士も手綱を引いて鳥車から離れる。
だが、
「技官殿、左も!」
「っつあ!!」
息をつく暇もない。
御者の頭上に振り下ろされる剣を、再び本で打ち払い、新たな騎士に本の連打を叩き込む。しかし、
「!?」
空振り。
左から襲ってきた新たな騎士は、剣が本に阻まれると同時に鳥車からひらり、と騎鳥を離し、距離を取る。
「右っ!」
「うあ!!?」
御者が、御者席に這いつくばるようにして必死に手綱を握り、それでも警告を飛ばしてくる。
一度は離れた右の騎士が、再び剣を突き込んでくる。
辛うじて振り袖を裂かれただけで回避、振り向きざまに本を連打。
空振り。
距離を取られた。
「……ちくしょう!」
女教授にも、もう騎士たちの意図が分かっている。
一撃離脱。
ペコペコの機動力を活かし、左右から交互に攻撃を加え、即、逃げる。
いくら高性能の本を持つといっても、しょせん女教授は一人だ。そうしてじわじわと体力を削れば、さほど無理しなくても遠からず限界が来ることは明白だった。
「ってぇえ!!」
右。左。右……かと思えばまた左。
本を抱えた女教授が、大型の馬車の左右を振り子のように走り回る。いや、走らされる。
「くっそー!!!」
ジリ貧どころではない、もはや絶体絶命。その中で、
「出ろ……出ろ……出てくれよおおお!!」
女教授は一人、謎の言葉を祈りのようにつぶやく。
右、左、また右。女教授の息が切れたと見て、右の騎士が『決め』に来る。大型の両手剣を思う存分振り回し、狙うのは女教授の細足だ。
「うああ!!」
女教授が、本で剣を撃ち落とす。刃が御者台に食い込み、そこに引きずられた騎士の態勢が崩れる。
「!!!!!」
ばばばばばばばっ!!! 騎士の脳天に本の連打。頑丈な兜に阻まれ、致命傷には至らない。
だが。
ばちん!!
本の連打が急停止。表と裏の表紙をがっちりと止めていた金具が勝手に外れ、巨大な本のページが開かれる。
うぉん!!
魔法の発動音。
本に封じ込められていた魔法が解き放たれる。
「出ったあ!!!」
女教授と御者、そして襲ってくる騎士たち全員の視界が一瞬、暗転。そして次の瞬間、
「うわ?!」
騎鳥ペコペコを駆って疾走する騎士たちが、いっせいに鳥車から離れていく。疾走の速度が一気に落ち、鳥車の速度の前に置いてけぼりを食らう。
騎士たちの頭上には、大きな鎌を構えた黒頭巾、『死神』のビジョン。もちろん本物の死神ではなく、魔法効果が視覚化された幻た。
広域魔法『ヘルジャッジメント』。
魔法本『死神の名簿』に封じ込められたこの魔法は、本で敵を殴る際、稀に発動する自動魔法・オートスペルだ。攻撃魔法としてはそう大きな威力はないが、広い範囲に呪い、すなわち今のような速度低下の魔法をバラまいてくれる。
「今よ、逃げて!!」
女教授が御者を助け起こす。
「お見事です、技官様」
「いいから早く!!」
女教授『マリン・スレア』は叫んだ。
速度低下の魔法は、そう長くは続かない。もし敵に僧侶系の術者がいれば、即座に回復されてしまう。
御者が手綱をさばき、鳥車の速度を上げる。
だが、その時だった。
「あー、ダメダメ。それじゃ死ぬよ、アンタたち」
突然、2人の頭上から声が降ってきた。若い女の声だ。
ぎょっとして見上げると、鳥車の屋根の上に人影。
長身の、女性のシルエット。
「誰だっ!?」
女教授・マリンが本を構えて立ち上がる。最初、彼女の頭に浮かんだのは『山賊』だ。この荒野には、旅人や冒険者を狙う山賊が隠れ住んでいる。その一派が、この豪華な鳥車に目をつけたとしても不思議はない。
実際、屋根の上にすっくと立つ女の身なりは、はっきり言って最悪だ。
元は剣士服だったらしいが、スカートが破かれて両足がむき出しで、下半身を隠すのは下着だけという有り様。そのなりで背中にバックラー、腰にアマツ風の剣とくれば、まさに絵に描いたような山賊海賊。
「誰でもいいでしょ。命かかってる時に」
マリンの誰何に、しかし女は心底バカにした風でひらひらと掌を振り、
「いい? この先に今の10倍の数の待ち伏せがある」
「?!」
「アンタらは逃げてるつもりで、逆に追い込まれたのよ。気づいてない?」
「……」
マリンが黙る。といって、別に言いくるめられたわけでも、女の言葉を信じたわけでもない。いきなり出現した正体不明の女の言葉を、そのまま鵜呑みにするほど馬鹿ではない。
頭の中で、ぶんぶんと音がするほどの状況判断。その間、数秒。
結論、女の言い分は『ありうる』。
「このまま進めば死ぬ。それより引き返して、まずさっきの連中を片付ける。その後にもっと有利な地形を選んで、敵を迎え撃つ」
女が続ける。
マリンの状況判断の結果、これも『あり』だ。
「困ってるなら加勢するけど、どう?」
にっこり、とほほ笑むその表情に嘘は見えない。
よく見れば顔の造形はもちろん、艶やかな黒髪といい、意志の塊のような黒い瞳といい、めったに見られないほどの美女戦士だ。だが、
「断る。何者か知らんが、いますぐそこから降りろ。そして去れ」
「あ、やっぱり?」
マリンの冷たい返事に、しかし女は逆に笑みを大きくする。
「でも、いいの? このままじゃ間違いなく死ぬよ?」
「二度は言わない、去れ」
マリンが睨みつける。取り付く島もない、とはこのことだ。
魔法職、しかも女性にしては頑固で、扱いが難しいことから『マリン・スフィアー』のアダ名を持つ彼女の、面目躍如といったところだ。ちなみにマリン・スフィアーとは、南の海に生息する魚卵型のモンスターで、下手に攻撃すると周囲を巻き込んで自爆することで有名である。
この扱いに、さしもの女戦士も両手を上げ、呆れたような表情を浮かべる。
「じゃ仕方ない。ご勝手に」
そう言った時だった。
こん、こん。
御者台の背中を、鳥車の『中』から叩く音。
「!??!」
その音に、御者とマリンの2人がすっ転ぶような勢いで反応する。
マリンが御者台の背を開き、中とつながる小窓に顔を寄せ、
「……」
なにやら小声で二言三言。ついで、えっ、という驚愕の表情。
そして再び顔を上げ、女戦士を見上げた顔には、これでもかというほどのしかめっ面。
「……わかった、お前を雇う」
「おっ!!」
女戦士がにかっ、と笑い、ひょい、と御者台に飛び降りたと思うや中へと通じる小窓へ、
「おうおう、話が分かるねえ『中の人』!」
「黙れ!」
マリンが大慌てで女戦士を引き剥がし、すぱーん、と小窓を閉める。
「雇うとは言ったが、お前を信用したわけではないぞ! あと、車の中のことは絶対に詮索するな。絶対だ!」
「へいへい。よっしゃ、商談成立だ。いくぜ、野郎ども!」
「合点だ、お頭!」
まるで山賊のような合図と同時に、まず鳥車の屋根に一人、黒衣の男僧侶が出現。
続いて岩陰から、大柄のペコペコを駆る男貴騎士・ロードナイトが一人。
最後に鳥車の真横に、高速でバックステップを繰り返す女殲滅士・アサシンクロス。
いずれも相当の使い手であることが、マリンの目にも分かる。これだけの手下を従える以上、この女戦士も。
(……ただの山賊じゃない)
そう判断せざるを得ない。
「アタシは一条静(いちじょうしずか)。『静』って呼んでくれていいよ。何なら『しーちゃん』でも」
マリンが、差し出された手を慎重に握る。
ただの山賊でないとすれば、逆に油断がならない。警戒を怠ってはいけない。
この連中は……
「で、雇い主さん? さっそくなんだけど」
静が、握った手をぶんぶんと振りながら、
「なんか食べる物くれない? 昨日からまともなもの食べてなくてさー。 あと着る物もあると助かるんだけど?」
(……ただの山賊だー!!!)
マリンは頭を抱えそうになった。