2016.05.24 Tuesday
シュバルツバルド共和国・首都ジュノー空域。
ジュノーに残された戦前機械(オリジナル)『ユミルの心臓』が引き起こす重力異常により、地上2000メートルの空中に無数の巨大岩塊が浮遊する光景は、もはやおなじみといってもいいだろう。
その中を一直線に、風を切り裂きながら飛翔する物体がある。
飛行船『マグフォード』。
船体の上部に2つの気嚢を持つ双胴型の飛行船であったそれは、今や変形を遂げ、 船体の両側に翼のように気嚢を従えた未来的なフォルムへと姿を変えている。そして気嚢自身もまた、浮遊ガスを満たして船体を飛翔させる本来の役目を捨て、錬金術士によってコントロールされる『練金式噴射動力機構(アルケミカル・ロケットエンジン)』として、ジュバルツバルドの空を突き進んでいる。
何もかもが新しく、そして未知の飛行。
「いいぜ、想定より遥かに安定してる」
上機嫌で感想を口にしたのはグラリスNo5ホワイトスミスだ。街ですれ違えば、その全員が振り返るほどの美熟女。
……なのだが、カプラ服をはだけて腰に巻きつけた上半身は、白いタンクトップ1枚。足にはエルニウム製のゴツい作業靴、ダサいヘルメットを首の後ろに引っ掛け、口にはくわえタバコという『残念さ』は相変わらず。
とはいえ、男ばかりの『マグフォード』の艦橋が、それでもぱっと華やかさを増したように見えるのは、このガテン系美女が持って生まれた、まさに『華』の力を象徴していると言えるだろう。
「おら、しっかり頼むぜ、パイロット」
「はい、G5」
G5ホワイトスミスの手荒な激励に、いささか緊張して応えたのはアレン・リーデル。飛行船マグフォードの若き副長であり、今はブリッジ最前列に作られた専用のコンソールに陣取っている。
「この形になったら、私も手が出せない。プレッシャーをかけるつもりはないが、お前が頼りだ」
船長アーレィ・バークまでが、真面目にプレッシャーをかけてくる。
「い、イエス、キャプテン!」
船の船長と設計者、二大巨頭から圧力をかけられては、緊張しないわけにはいかない。操縦桿を握る手に、イヤな汗がにじむ。
船長であるバークが、飛行船の甲板係からの『叩き上げ』であるのとは対照的に、アレンはジュノー国立アカデミーを優秀な成績で卒業し、いきなり航海士として『マグフォード』に配属された、いわゆるエリートキャリアだ。
しかも船長であるバークに師事し、空の現場を叩き込まれた実力は、お世辞抜きで折り紙付き。シュバルツバルドの飛行船乗りの中でも次代のエースとして、バークの跡を継ぐと期待される逸材である。
ゆえに変形した『マグフォード』の操縦を一手に任されているのだが、さすがに今は状況が悪い。
『マグフォード』がこの形になって飛ぶのは、実はまだ2度目。1度目は試験飛行だったため、実戦での飛行はこれが初めてなのだ。
(ぶっつけ本番かよ!)
アレンが内心で愚痴るのも無理はなかった。
『マグフォード』が飛行船形態であった時には、艦橋中央にある巨大な舵輪とレバーで、上下左右の動きをコントロールしていた。だがダブルロケット形態に変形した今は、我々でいうところの戦闘機のように、操縦桿とペダルで操縦するシステムに変更されている。
船体を撫でる風の状況、砕ける雲の感触がダイレクトに伝わって来るこのシステムが、アレンは嫌いではない。が、飛行船時代なら少々操船をミスっても墜落しないものが、自分の手首の動き一つで、一瞬にして落下墜落する、というのは、実に心臓によくない。その上、
「おう、どしたどした。顔色悪りぃぞ」
美魔女のG5がニヤニヤとイジってくる。正直、勘弁してほしい。
「そう固くなんなって」
G5が、わざわざ操縦席の側までカツカツと歩いてくる。格好は汗臭いガテン系なのに、その体臭は不思議と甘いのは、やはり持って生まれた華の違いか。
そしてアレンの耳元に、真っ赤な熱帯花のような唇を寄せると、
「うまく生き延びたら、デートさせてやる。D1と」
「……マジですか?」
アレンが正面から目を離さず、しかし明らかに『食いつく』。シュバルツバルドの荒野で無代、翠嶺と共にD1を拾い上げて以来、彼が副長の立場まで堂々と利用してD1に接近しているのは、船長以下、皆が知っていることだ。
「おう、マジだとも。D1と丸一日デート。ばっちりセッティングしてやる」
G5が請け負う。本当に言葉だけみれば、どこかの飲み屋のオヤジが、従業員のホステスを客に売り飛ばしているようにしか聞こえない。
「でもD1は……」
さすがにアレンが一歩下がる。いくらカプラ・グラリスがカプラ嬢の教導師範部隊であるといっても、プライベートまで強制する権利はない。D1に向かって、
『アレンとデートしろ』
と命令する権利も、またD1にそれを聞く義務もない。だが美魔女のG5は真面目な顔で、
「こいつはD1のためでもあるんだ」
アレンに、噛んで含めるように説明する。
「カプラ社を救うために、あの子は死ぬ覚悟だ。まあ今は状況が状況だから、それも仕方ない。だが、その後はどうなる」
G5は、意外なほど真剣に言葉を続ける。
「たとえこの状況を切り抜けて、カプラ社の安定を取り戻したとしても、あの子は一生、会社に命を捧げるだろう。そいつは正しくない」
美魔女は、ふっと笑いを浮かべ、
「カプラ社のために女の喜び、楽しみまで捨てる必要はない。……俺みたいに、男に相手にされなくなっちまったら、手遅れだ」
最後の方は、冗談とも本気ともつかない話になったが、しかしD1を案じているのは本当らしい。
「……頑張ります」
アレンも操縦桿を握る手に力を込める。といって、別にご褒美がカプラのNo1とデートだからではない。彼もまた、実感したのだ。
この空の先に、『未来』があることを。
たくさんの人々の未来を乗せて、『マグフォード』は飛んでいる。そしてこの船がしくじればジュノーは占領され、『ユミルの心臓』は奪われ、世界は崩壊へと向かうだろう。
(そうはさせない)
他人にも、自分にも、楽しく明るい未来がなくては嘘だ。
「ま、安心しな。この船には、なにもアンタしか乗ってないワケじゃない。そろそろだ」
美魔女のG5ホワイトスミスが、操縦席脇の伝声管を指でコツン、と叩く。と、次の瞬間、まるでそれを待っていたかのように、
『……監視からブリッジへ』
伝声管から、強くハリのある女性の声が響いた。カプラ・グラリスのNo1、神眼のG1スナイパーだ。
『ブリッジです、監視どうぞ』
『風の状況を伝える。2分後に大きめのエアポケット。落下に注意。それを越えたら西北西へ強い風が吹いている。流されないように。以降の風は追って伝える。監視から、以上』
『ブリッジ、監視了解』
「……ほら、な?」
美魔女のG5がアレンにウインク。だがアレンは怪訝な顔だ。
「エアポケットとか、風って……わかるんですか?」
「分かるっつーか、『見える』んだとさ。風が」
G5が肩をすくめる。
「『見える』?!」
「おう。説明されてもさっぱりわからんけど、翠嶺先生がおっしゃるにゃ、たまにそういう人間がいるらしい。『異能感覚』ってな」
『異能感覚』とは、例えば音に色がついて見えたり、逆に色を見ると音として認識されたりする、脳神経系の特異能力として知られている。このような『異能感覚』は多岐にわたり、現実世界の同じ現象を、他人とは違うとらえ方で認識する人間は、実は意外に多い。
神眼のG1スナイパーもまた、単に視力が優れているだけでなく、その手の異能の持ち主であるらしい。
「総員、衝撃に備えよ」
バークが全艦に発令する。席のある者は席についてベルト。そうでない者も近くに身体を固定し、カプラ・プリーストたちがバリア魔法『キリエ・エレイソン』を展開していく。壊れもの、危険物も固定。
『監視からブリッジへ』
伝声管から再び声。
『エアポケットまで、あと10秒。カウントする。10、9、8……』
G1の落ち着いた声が、静かに数字を減らしていく。
『3、2、1、接触』
ガクン!!
『マグフォード』の船体が、いきなり数十メートルも落下する。風が複雑にぶつかりあった結果、急激な下降気流が発生した。気嚢の浮力で飛翔していた飛行船時代の『マグフォード』なら、そこまで恐る必要のない現象だが、今のロケット形態だとモロに影響を受ける。
ごお、と船外の風が鳴り、固定しそこなった書類や小物がふわり、と浮き上がる。
「うお……お!」
アレンが思い切り操縦桿を引き、ペダルで尾翼を振り回す。
『落ち着け。5秒で凪の空域に入る。……3、2、1』
船内中から、若いカプラ嬢たちの悲鳴が響く中で、伝声管から聞こえるG1の声は、まるで別世界から語りかけてでもいるかのように冷静だ。
『ゼロ』
ふっ、と落下が止まる。浮遊していた書類や小物が、ばさばさ、かちゃん、と床に落下。カカカカーン!!!と、バリア魔法の発動音。身体へのダメージを、魔法のバリアが代わって引き受けた。
ついでにきゃあきゃあ、とカプラ嬢たちの声。緊急事態でも、つい華やいだ雰囲気になるのは致し方ない。
『すぐ次の風が来る。舵を立てて』
『了解』
気をとりなおしたアレンが、伝声管の向こうのG1に応答しつつ、『マグフォード』の船体を風に向かわせる。
ぐん!
大きく、一度だけ船体が揺らいだものの、双胴の巨鯨は再びジュノーへの船首を向けた。
『ここからしばらく、風は安定してる』
G1が、ほっとさせる一言。続いて伝声管から、別の声。
『気嚢班からブリッジ、ロケットに問題なし』
盲目のグラリスNo7、G7クリエイターだ。船内の錬金術士を束ね、この最新鋭の推進機構を見守っている。
『カプラ嬢に被害なし』
これは月神のグラリスNo3、G3プロフェッサー。浮遊岩塊『イトカワ』からカプラ嬢を脱出させた、比類なき戦闘指揮官だ。
「で、船体にも異常無し、っと」
『マグフォード』の各部署から伝令を受けた美魔女のG5ホワイトスミスが、手のチェックリストをパタン、とたたむ。そして、
「この船にゃ、この通り、俺たちグラリスが乗ってんだ。心配いらねえ、任しとけ」
ばん、とアレンの肩を叩く。
「未来は、必ず切り開いてやる」
つづく