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2009.09.12 Saturday
第四話「I Bot」(1)
「聖戦」。 この世界に暮らす者なら、その遥か過去の戦いを知らぬ者はいないだろう。 その激烈を極めた戦いには、『聖戦に勝つために』多くの事物が投入された。 武器、システム、モンスター、そして人間。 それらの大半は激しい戦いの中で失われ、残ったものも長い年月の間に消え去った。 が、わずかながらそのままの姿で、現代まで残留した事物もある。 それらを総称して『戦前種(オリジナル)』と呼ぶ。 『戦前種』はいずれも、現代では失われた超科学や超魔法、果ては『神の奇跡』までつぎ込んで構築されており、現代の事物とは桁違いの『性能』を誇る。 だが、『聖戦の遺物』は『戦前種』だけではない。 戦前種そのものではないが、その技術や血筋がある人々によって現代まで伝えられ、戦前種を彷彿とさせる力を発揮するものがある。 それらの事物を『伝承種(レジェンド)』という。 さらに別種として、戦前種や伝承種の力を研究し、現代にその力を蘇らせようとする試みが常に行われてきた。 その結果、戦前種や伝承種の力を再現できたもの、あるいは『再現できてしまったもの』を、『再現種(リプロダクション)』という。 また再現種の中でも特に優秀で、時にユニークな独自の力を発現したものを『成功種(サクセス)』と呼ぶこともある。 そして、その全てにおける失敗作が『失敗種(エラー)』だ。 瑞波国の守護大名一条家。 その国事の大半を取り仕切る、筆頭御側役・善鬼は『伝承種(レジェンド)』である。 彼は『鬼の子孫』だ。 聖戦時代、魔物に対抗するために「人間を強化する」試みがいくつも行われた。 その代表的なものが「魔物との混血」。 彼の遠い先祖は、異世界から呼び出したモンスター(現代では『鬼』としか伝わっていない)と一族の女たちを『交配』し、『鬼の子供たち』を手に入れた。彼らは体力、戦闘力、魔力、いずれも常人を遥かに凌駕し、聖戦時代には傭兵として多くの戦場で戦ったと言われる。 普段は人と全く変わらないが、戦闘時には身体のどこかに『角』が出現し、力や耐久性が強化され『超人』となる。 ただその血は強い劣性遺伝であるため出生率は低く、また無事に生まれたとしても『鬼の血』が発現し角を持てる者は一握りであった。 聖戦後、『鬼の一族』はルーンミッドガッツ王国の『軍事機密』となり、多くは要人の警護役に雇われることになる。 この役目は『オマモリ』と呼ばれた。 善鬼もまた、少年期を終えて『鬼の血』が発現すると同時に、ある女性の『オマモリ』となる。 だが…。 彼とは別種の『伝承種』だったその女性を、善鬼は守ることができなかった。 そして、彼は鬼の一族も、王国も捨てて瑞波へ来た。 自分が守れなかった『あの人』が、この世に残した三人の娘を『今度こそ』守ること。 それが今の彼の全てと言ってもよい。 「…やはり苦しいな…」 広大な城の一角にしつらえられた執務室で、善鬼は一人ごちた。 主の謹厳な性格をそのまま写したような執務室には、一切の飾りも贅もない。座布団はあるものの全部が客用で、主の善鬼は畳に直接正座して執務を行う徹底ぶりである。 その静かな執務室で、善鬼は大量の文書に目を通し、訂正し、サインを入れる。 だがその目は険しい。 険しさの第一原因は瑞波の経済状況…といっても、貧しさではない。 (…国内にモノが溢れすぎている…) それである。 瑞波は豊かな国だ。農地は広く肥沃で、鉱山も抱えており、それらを背景とした工業生産も盛んだ。特に絹、銀の生産では天津でも有数と言って良い。 先代当主・一条銀の指導の下、開発と育成に力を注いだ結果である。 ただ、それが実を結んだ今になって、別の問題が発生していた。 『生産したモノが売れない』のだ。 従来から取り引きのある天津の国々は、はっきり言ってどこも貧しい。豊かに発展している国は瑞波も含めて一握りであり、瑞波のモノが欲しくても買えない国の方が多い。 名君・一条銀は当然それも見越しており、対策は立てていた。 海外貿易である。 大型で高速の輸送船を数多く建造し、安全な航路を開拓し、海外の豊かな国にモノを売り込む。 となれば言うまでもなく、その最大のターゲットはルーンミッドガッツ王国しかない。 世界最大の人口と経済力を持つ大国にモノを売り、対価としてその進んだ技術や工業製品を輸入できれば、瑞波の更なる反映は約束されたも同然であろう。 が、これには障害があった。 『商業権』である。 ルーンミッドガッツ王国内での商業活動は、王国内の商人達による商業ギルドによって厳しく統制されている。要するに、商業ギルドの発効する『商業権』がないと、王国内で商売をすることができないのだ。 冒険者たちの露店程度は目こぼしされるとしても、店を構えたり、まして国家レベルの大規模な貿易となると、商業権なしでは不可能である。 そして瑞波は現在、王国での商業権を持っていない。一条銀の代から長年申請を繰り返し、政治的な働きかけも行っているが、未だに実を結んでいない。 結果として、瑞波の産物を王国に運ぶ事はできても、自分たちで売る事ができない。まず王国で商業権を持つ商人に買い取ってもらい、王国内で売ってもらうしかない。 これでは当然、立場が弱い。 中間搾取を受ける分、利益は少なく、最悪の場合買い叩かれても文句は言えない。 『王国の商業権確保』は瑞波の悲願と言ってもよかった。 ところで天津の国々で唯一、王国の商業権を持つ者がいる。 それが『芝村家』だ。 静が知り合ったプリースト、速水厚志が属する『家』である。 芝村家は、一条家のような喧嘩屋上がりの守護大名ではない。貴族である。 ルーンミッドガッツ王国が天津を『発見』した際に、その対応をしたのが芝村の先祖であった。 彼らはその立場を最大限に活用し、瑞波の珍しい事物を王国に売り込む『窓口』としての立場を手に入れた。瑞波を含む多くの国が、この芝村を通じて王国と貿易を行っているのが現状だ。 当然、芝村の評判はよろしくない。 『立場を利用して儲け口を独占した』『王国の言いなりのイヌ』とは良く聞かれる陰口だが、芝村にも言い分はある。 「もし芝村が矢面に立って、王国の急進勢力を抑えなければ…天津は王国に征服されていた」 それはまあ、決して嘘というワケでもない。 ルーンミッドガッツ王国の『覇権主義』は有名だ。 要するに軍隊を送って他国を征服、もしくは属国化し植民地化するのだ。 だが、芝村が王国と渡り合い、王国に十分な利益を与えている限り、天津は王国の軍事的侵攻を受けない。 「芝村こそ天津の盾である」 一理ある言い分ではある。 (…だが、その理屈もそろそろ限界ではある…) 善鬼の思考は、現状とその先を読む。 瑞波を筆頭に、豊かな国々は『豊かになりすぎて』きている。もっと売りたい、もっと欲しい、という欲求は強まるばかりだ。同時に芝村への、ひいては王国への不満も蓄積する。 『反芝村、反王国』、そして『天津統一と独立』 天津という器から溢れ出したエネルギーが、器そのものの破壊へと向う気配。 誰が天津を取り、王国に対してどう出るか。 (…王国も黙ってはいまい…。そして彼らが最も警戒するのが…) 善鬼が思考する。 (…我が瑞波と、芝村の同盟…) 『天津の盾』こと芝村と、『天津の剣』こと瑞波。その同盟は、かの王国さえ震撼させるだろう。 (…そしてこの時期に、『彼ら』の大半が瑞波にいない…) 瑞波の世継ぎ・一条流。 その許嫁で三の姫・一条静 二の姫・一条香 いずれも瑞波の明日を背負う異能の『成功種(サクセス)』…。 前鬼が知る限り、最初の二人は王国にいる。三人目もまた王国にいるか、そこを目指しているはずだ。 (…嵐が…来るな…) 善鬼の背中に、熱いとも冷たいともつかぬモノが流れる。 (…芝村巌(いわお)…瑞波をどう見る…?) 芝村の現当主、その食えぬ顔が善鬼の脳裏に浮かぶ。 (…あの男も…王国にいるのだぞ…? 見えているか…?) 善鬼の脳裏に、一対の瞳が蘇る。 『首だけ』になっても、自分を睨みつけていたその瞳。 無代。 若者の腕を、足を鈍器で叩き落とす、あの善鬼の『漢試し』。 多くの若者の四肢を『落とした』彼だが、『首を落とされても彼を睨み続けた』のは過去、たった一人だけだ。 (…無代よ) 剣も魔法も駄目な、伝承種にも成功種にもほど遠い男に、善鬼は語りかける。 (…世界を変えられるか…? その心根一つで…?) 心で世界を変える? 芝村は笑うだろう。 世界の誰もが笑うだろう。 (…そうとも…笑わせておくがいい…) 善鬼の顔に小さな笑みが浮かぶ。この男を知る者が見たらびっくりするような、それは優しく、夢でも見るような笑みだった。 その善鬼の耳に、足音が届く。 力と自信と生命力に満ちあふれた足音。そしてそれよりずっと小さな、軽い足音。 善鬼が筆を置き、机の上の文書を片付けて立ち上がるのと、執務室の戸が挨拶抜きですぱーん、と開けられるのが同時だ。 「戻ったぞ善鬼! しかしお前の出迎えがないのは不満だ!」 朱と金で飾られた見事な兜をがば、と脱ぎ、後ろに向ってぽい、と投げる。 主張の塊のような容貌があらわになる。 髪も。 眉も。 目も。 鼻も。 唇も。 濃く、強く、それぞれが圧倒的な存在感を主張している。 瑞波の太陽とも、向日葵とも、牡丹とも讃えられる美貌。 兜に続いて鎧も篭手もひっぺがし、同じようにぽいぽいと後ろに放る。 容貌に続いてあらわになる身体もまた、主張の塊だ。 180センチを超える長身、ボリュームの調整を間違えたとしか思えない胸、生命力を極限まで集約して形にしたような腰。 迫力、という言葉がこれほどふさわしい身体もあるまい。 二十一歳。まさにこれから花盛りを迎えんとする。 一条家の長女・綾である。 「お帰りなさいませ、綾お嬢様」 善鬼がすっ、と綾の前に両膝をつくと、両手を揃えて礼をする。 「…馬鹿丁寧な礼なんかいい。立て、ほら立て」 綾は気安く言いながら、最後の脛当ても外してぽい、と放る。 放られた後ろでは、小さな人影がほいっ、はっ、ほっ、と慣れた調子で防具を受け止めていた。 「…咲鬼、ご苦労」 「はい! 善おじさまもご苦労様です。では綾姫様、咲鬼は下がらせていただきます!」 綾付きの侍女、咲鬼がぴょこんとお辞儀をし、廊下の向こうへ消える。 名前で分かる通り、彼女も『伝承種』、『鬼』だ。 善鬼の姉の娘、つまり姪っ子である。 「…む、こら善鬼。姫へのねぎらいが侍女より後回しとはどういうことだ?」 両手を腰に当てたままの綾がつかつかと近寄ると、その豊かすぎる胸でどん、と善鬼をどやしつける。 長身の綾よりも、善鬼はさらに少し背が高い。 綾はその顔を、軽くあごを上げて見上げる格好。不満そうな表情を作っているが、目は悪戯っぽく輝いている。 「失礼致しました、綾お嬢様。国内視察、まことにご苦労様に存じます」 「別に。苦労なんかしていない。発生したモンスターもすぐ片付いたし、どさくさ紛れに瑞波へ侵入しようなんて不届き者どもも、奇麗に掃除した。東崎の国の忍びらしかったが…楽なものだ」 「…で、それが今回の戦利品でございますか?」 「ん? あ…こら顔を出すなと…!」 綾の懐から、柔らかい毛の塊が覗いている。 「…ルナティック…。連れてお帰りになったので…?」 「う…まあな…。その…なかなか見上げたヤツでな…可愛いし…」 綾がごにょごにょ言いながら、懐の毛玉をなでてやる。『ルナティック』はれっきとしたモンスターだが、外見はウサギに似て非常に可愛い。 「…片目がございませんね」 「…別のモンスターにやられたらしい。だが、決して怯まずに自分の仲間を守ろうと戦っていた。…つい…ぐっと来てしまってな」 ルナティックなりに精一杯戦い続けて、ボロボロになったところを綾に助けられたそうだ。 「…やっぱり駄目か…善鬼? お城で飼うのは…」 「さすがにお城では不味うございますが…裏山に放してやりましょう。あそこなら危険な敵もおりませんし、片目でも生きて行けるかと」 「だからお前は好きだ、善鬼」 綾がにっこり笑うと、片手を善鬼の首に回し、つ、とキスした。 善鬼四十五歳。親子ほども年齢が違うが、この二人は恋人同士だ。 「オレが留守の間に、妹たちが心配をかけたらしいな」 「立て続けに姫様がお二人『家出』なさいましたので」 善鬼も苦笑するしかない。殿様と奥方様の『公認』があるとはいえ、家臣や領民に事実を発表する訳にもいかず、善鬼としてはなかなか頭の痛いところだ。 「ふふ、すまないな、善鬼。…でも大丈夫。二人とも、惚れた男に向って全速力で駆けている。…香ほどじゃないが、オレにだってそれぐらいは分かる」 「…そうか…それなら良い。安心したよ、綾」 善鬼も言葉を緩め、綾の腰に手を回す。綾の腕はとっくに、両腕とも善鬼の首に回っている。 と、そこで善鬼の腕がぴくり、と止まった。 「…綾…お前…ひょっとして…」 「…ふふん、やっと気づいたか。『父親』がそんな鈍感では先が思いやられるぞ、善鬼」 綾の笑みが大きくなる。 「…子供を…?」 「うん。妊娠した。男の子だ。オレにはわかる。よかったな善鬼」 綾が、自分より背の高い善鬼の頭を両手で抱え、自分の胸に抱きしめる。 「善鬼、これでもうお前は一人じゃない。子供も、妻もできる。ついでに義理だが両親も、弟妹もできる。きっとたくさん孫もできるぞ」 「…」 「心配いらん。オレは流産なんかしない。鬼の血なんか、オレには関係ない。必ず元気な子供を産んでやる。しかもこれで終わりじゃない。お前が根を上げるまで、何人でも生んでやるからな。覚悟しておけよ」 「…綾」 「それに、流義兄様や妹たちがいなくても、この国にはオレがいる。何が来ても大丈夫だ。『戦前種』だろうが『伝承種』だろうが『魔王』だろうが問題ない。最悪でも相打ちには持ち込んでやる。一人残らず、オレが守ってやるからな」 強がりでも願望でもない。この歳若い恋人はいつだって、やると言った事はやる。 底知れぬほどの強さと生命力。 最強の伝承種と謳われた善鬼でさえ、まだこの綾の『底』を見たことがない。 善鬼はふっと泣けそうになった。 鬼の一族に生まれた彼は、親を親と思った事はない。 母親はどこかの貧しい農村から買われて来た女で、『繁殖用』としての悲惨な日々の中で心を病んでいた。 一族の男全員と、妊娠するまで関係を持たされるのだから当然だ。そして善鬼を生んですぐ、自殺した。 当然、父親はわからない。一族の男の誰か、ということ以外は…。 ただ目的のために生み出され、目的のために死ぬ。 そこに喜びはない。 だが、喜びはあったのだ。 ここに。 「…さあ、お父様とお義母様に報告せねばならん。結婚の許しももらわねばな。善鬼、お父様にぶん殴られる覚悟はできているな?」 綾が笑う。 善鬼も苦笑する。 彼の『元上官』でもあり、今は『主君』でもある一条の殿様は、こんな男に娘を妊娠させられて怒るだろうか。 いや怒るまい。 それどころか、今夜は祝いの酒と歌で寝かせてもらえないだろう。その覚悟を先にした方がよさそうだ。 自分は酒に酔えない体質なので、逆に辛いのだが…。 「何をしている善鬼、行くぞ?」 「…綾」 「ん?」 とっとと先に行こうとする綾を、善鬼が呼び止めた。 「…よくやった」 「うん!」 誇らしく、綾がまた笑う。 (…来るがいい) 善鬼の心に、火が灯った。 (…どんな嵐でも、来るがいい) この世の誰も知らない。 遠く聖戦から続く鬼の血。 それを『受け継がされた』孤独な一匹の鬼が今、ここに生まれ変わったことを。 夫として。 父として。 その呪われた血を祝福に変えてみせる。 善鬼の人生にもう一つ、目的が加わったのだ。
2009.09.12 Saturday
第四話「I Bot」(2)
無代は懸命に呼吸を整えた。 その身体はまだ、拷問部屋の床にうつ伏せに倒れたままだ。 長時間に渡る拷問のダメージや、『D1』ことガラドリエル・ダンフォールの凄まじい拳による破壊は、D1自身のヒールによって完全に治っている。が、尋常でない破壊と再生の繰り返しで、神経がパニックを起こしていた。 精神を集中させて強引な呼吸を繰り返すと、どうにか身体のリズムが戻り、全身のイヤな汗が引いていく。 垂れ流した様々な体液で汚れた服が気持ち悪いが、今はどうしようもない。 (…馬鹿野郎…! そんな事より、状況把握が優先だろうが!) 自分に喝を入れる。 無代を『カプラ嬢殺しの犯人』に仕立て上げようとしたカプラガード。 それを阻止しに現れたD1。 両者のにらみ合いはまだ続いていた。 D1は、床に倒れた無代を守るように仁王立ち。それをカプラガードの面々が囲む形だ。 「…ろくな証拠もなく犯人をでっち上げて、それでカプラガードのメンツを保とうなんて恥ずかしいと思わないの?」 D1ことガラドリエル・ダンフォールが、カプラガードを鋭く糾弾する。 これに燃え上がるような深紅の髪と、斬りつけるような鋭い美貌が加わると、大の男でも腰が引けるほどの迫力だ。 「…メンツは関係ない。D1。とりあえず『犯人』さえいれば、捜査を続けることができる。プロンテラ市警がどんな圧力をかけようが、それなら表向き口を出せないはずだ」 カプラガードのリーダーが言い返すが、言葉に力はない。 「D1、キミだって悔しいだろう? カプラ嬢が殺されたのに、我々カプラ社がその捜査に加われないなんて。まして市警はまともな捜査をしていないじゃないか!」 「…悔しくない…と思うの…?」 ぞっ、とするような声が拷問部屋に響いた。それまでの気迫や怒りなど、まだ序の口だったと誰もが心底から理解する。 「…悔しいわ。何もかもが悔しい…。カプラ嬢が…私の仲間が殺された。なのに市警は未だに死体を返しもせず、『複雑な背景を持つ政治テロの可能性があるた め、カプラ社による独自捜査は禁止。情報は全て市警に譲渡せよ』の通達…。これで納得するカプラ社員がいたら、私の所へ連れて来るがいいわ…」 「…だったら」 「でも! だからってこんなことは見逃せない。カプラ社は冒険者のための会社よ。それが会社のメンツのために、その当の冒険者を陥れるなんて、そんな事は許せない」 D1は言葉を切り、 「例えそれがD4…モーラの心を傷つけた『女たらし』でも、よ」 さんざんな言われ様だ。 (…だけど…だいぶ分かってきた。それで焦ってやがったのか…) 無代はD1の『演説』を聞き、内心で苦笑しながらもおよその状況を理解する。 (オレを犯人に仕立てて、市警に『我が社は既に、重要な容疑者を確保している』とか言って、取り引きを持ちかける、って筋書きか…) 当然、市警は無代の身柄の引き渡しを要求してくるだろう。 そこでカプラ側が、 「この男の身柄と引き換えに、捜査情報を交換しよう」 あるいは、 「共同捜査をさせてくれ」 などとともちかければ、『蚊帳の外』の状況を打破できるかもしれない。 だが…。 (あまりにも見え透いてる。市警は騙せないな…。取引に応じさせるのも難しいだろう) 無代は批判的だ。 (足元見られて追い返されるのがオチ…まして市警が『犯人の目星をつけている』もしくは『既に逮捕している』場合、逆効果だ。…いや『市警自身が犯人の場合』だってあるか。…危ねえな…) 内心で首を振る。 「…だが他に方法がないんだ! カプラガードがカプラ嬢を守れなかった上に、捜査にも加われないなんて! こんな屈辱があるか! オレ達は飾りじゃない!」 リーダーが叫ぶ。が、D1は冷静に言い返す。 「ダリウ、貴方の気持ちは分かるけれど、ガードが今、守らなければならないのは自分たちのメンツじゃない。…私達カプラ嬢よ。もし二人目の犠牲者が出たら…」 「…警備は万全だ。プロンテラはもちろん、モスコビアから孤島までガードを配置してる。…一カ所を除いて、だが…」 「一カ所? …ああ、まあ『彼女だけは大丈夫』でしょうからね。でもそれで万全と言える? 市警の言う『複雑な背景を持つ政治的テロ』が本当なら…」 「…」 ダリウと呼ばれたガードのリーダーが黙った。確かに、現在持ち場についているカプラ嬢だけでなく、待機や休暇中のカプラ嬢まで守るとなると、ガードの人数だけでは全く足りないはずだ。 「…どうしろって言うんだ、ガラドリエル…いやD1」 ダリウが困りきった声を出した。無代という『生け贄』を得て一発逆転に賭けたものの、現実には八方ふさがりなのだ。 「何もする必要はないぞ」 拷問室の吹き飛んだ扉から、新たな声がかかった。壮年の男。 うつ伏せのままの無代には容姿を確認できないが、訛のない声からやはりプロンテラの生え抜きと判断する。 「…アイダ専務」 D1が、あまり歓迎していない声を出した。ダリウらガードたちは逆に一言も発することができず、ただ男を見つめている。 アイダ。 その名前に無代も心当たりがある。 ヒルメス・アイダ専務。カプラガード上がりの重役で、カプラガードの総責任者でもあったはずだ。 「カプラ嬢殺害事件捜査への不関与、捜査の市警への一任は『会社の決定』だ。直ちにそこの彼を解放し、適切な治療を施したまえ」 「…」 「ダリウ・エニウド警備主任。社の決定に反した上、このような強引な捜査を行ったことについてはこの後、聴聞が開かれるだろう」 上司の冷徹な言葉に、ダリウは返事もできない。 「…それは役員会の決定なのですか? 専務」 代わりにD1が質問する。決して穏やかな声ではない。 「その通りだ、D1」 「『相談役』も賛成なさったのですか?」 「『相談役』は役員会のメンバーではないし、お手を煩わせるまでもない」 「聞いてないということですね? …『あの方』に」 「…何が言いたい、D1」 やや尖ったやりとりになっても、アイダの声は落ち着いている。対してD1の声は危険な熱を帯び始めている。 「カプラ嬢が殺害されたというのに、社の対応が軽すぎるのではと疑問を抱いています」 斬りつけるような声。 「…これはカプラのナンバーズ全員から、『D1』たる私自身が聞き取りを行った結果で す。そこには当然、ノーナンバー達の意見も集約されています。今回の社の決定に納得しているカプラ嬢は一人もおりません」 「キミの報告は役員会にも届いている。だが、事は感情論で片付くレベルではない」 「レベルではない? では役員会は今回の事件の背景をある程度ご存知なのですか?」 「答える義務はない」 「そんなバカな!」 「慎みたまえD1。キミが『D1』の地位を利用し、他のカプラ嬢や社員達に対し高圧的、独裁的な態度を取っている、という報告もある。カプラの頂点として、キミには常に厳しい目で見られている。言動には気をつけることだ」 言い方と言葉は奇麗だが、要するに『いい気になるな黙ってろ』という脅しだ。 キレるかな…? と、無代はD1の呼吸に耳を澄ましたが、そうはならなかった。 「…私自身の言動については承知しました。反省すべき事があれば反省します。…が、他の点はやはり納得が行きません。相談役と直接、お話をさせていただきたい。『あの方』なら私たちの気持ちを…」 「許可できない」 アイダがにべもなく答えた時だ。 「…ぼクと話スのニ許可ナんかいラないヨ?」 その場にいる全員の耳に、異様な声が響いた。 カプラ嬢が使う多重コミュニケーション技術。だがカプラ嬢の声でははない。異常に歪んだ、男とも女ともつかない声。 「…相談役! お久しぶりです! D1です!」 D1の声が弾んだ。 「ウん。D1、こウして話スのハ久しブリだネ」 「…相談役、アイダです」 「ハい、専務も久シブり。…カプら嬢が殺サれタ件、文書デは報告受ケたケれド…アなたカら直接聞きタかっタな。そレに役員会の決定モ、ちょット納得イかなイよ?」 『相談役』の声音に怒りや懐疑は感じられない。が、言われたアイダは明らかに焦っていた。 「いえ、それは…カプラ嬢の殉職自体は珍しい事ではありませんし、いちいち報告してお手を煩わせることもないと…」 「アはハ、ボくがヒマなノは知っテるクせに。それニ専務? カプら嬢はウちの会社ノ宝だヨ? ソれガ殺さレて、それデも黙っテいるのハ、やッぱり変だト思うヨ」 からかうような内容だが、声音は笑っていない。 「しかしこの件に関しては市警…いえ、実は王室上部から強い圧力がかかっておりまして…」 「王室…!?」 アイダの口から飛び出した意外な言葉に、D1が厳しい声を出すが、アイダは無視。 「我が社にとっても無視できない圧力です。そこをご理解いただければと…」 「…マ、何にシても、僕ニは役員会ノ決定に口出ス権限は無イかラ、いいケどネ」 「…は。ありがとうございます」 「デも」 一瞬気を緩めたアイダに、『相談役』の言葉が続く。 「D1たチの話を聞クぐライは良イでしョウ?」 「…どうしてもとおっしゃるなら、先に役員会による聞き取りを実施します。その後でしたら…」 「…」 アイダの言葉に露骨な拒否の色が混じり始めた。『先に役員会の聞き取りをする』などとは言うが、結果としてそれは『口止め』になるだろう。 彼の仕事はカプラガードの統括である。そしてカプラガードは『カプラ嬢』と『カプラ社』を守るのが任務である。 が、アイダはそれよりも、『役員会』を守る方に重きを置いているのは明らかだ。 「この事件への深入りは、カプラ社そのものを危険にさらす可能性が高いと判断します。相談役も、ここはいったん矛を収められて…いえ当然、市警による捜査で真犯人が判明した暁には、社としても厳しい対応を…」 秘密主義による幕引き。 その場の誰もが、何かどす黒い…しかしどうしようもない闇の匂いを嗅いで顔をしかめそうになった、その時だった。 「カプラ嬢を殺したのはオレだ」 「!」 驚愕が部屋の中を駆け巡った。 謎の『相談役』さえ息を飲む気配がしたほどだ。 「…どっこいしょっと…。…何だ? 聴こえなかったか? 『真犯人』はオレだって言ってるんだが?」 無代だ。 ぶっ倒れていた身体を無理矢理起こし、壁にもたれるようにして胡座に座り直す。 「オレが殺した。モーラ…D4に振られた腹いせにね。さあ、何でも喋るぜ。聞いてくれ」 「き、貴様、一体何を言い出す!」 アイダが血相を変えて怒鳴った。 ダリウはぽかんとし、D1も驚いた顔で無代を振り返っている。 (…何を言い出す…? さあね…自分でも分かんねえよ) 無代は内心苦笑する。 だが、彼の勘が告げているのだ。 ここだ。 食らいつけ。 賭けろ。 有り金全部。 (…賭けてやる。…誰が乗る? 張ってこい。こっちの賭け金は…オレの命) ぐるり、とその場の人間を見回した無代の耳に、あの声が響いた。 「…無代さンとイったネ? それハとてモ興味深イ話だ」 『相談役』だ。 今までほとんど感情の感じられなかった声に、初めて「意志」を感じる。 「…だろ?」 にやり、と無代は唇を歪めてみせる。ひどい三文芝居の上に台本もないと来ているが、後には引けない。 (…さあ『相談役』とやら。賭けるかね?) 「貴様! いい加減な事を言うな! 何のつもりだ!」 アイダがまだ怒鳴っているが、無代は平気な顔だ。 「いい加減だと? ふざけんな。そっちが聞いてきたんだろうが。さんざん痛い目見せてくれながらよ。だからもう降参したんだよ。降参。わかる? 降参。オレが犯人なの。わかる? 殺人犯」 無代の笑みがいささか悪質なものへと変化する。 何せ首を叩き落とされても凹まない根性の持ち主だけに、開き直った時は極めてタチが悪い。 「な…」 アイダの顔色が真っ赤から真っ青へ急変した。無代の行動がまったく理解できないようだ。 これまでこんな無茶苦茶な男とやりあったことなどないのだろう。 完全に言葉が出なくなったアイダに代わって、『相談役』の声が再び響く。 さらに強い意志を込めて。 「D1、無代サんを連れテ、ボくの所へおイで」 「…そう来なくっちゃな」 無代の笑みが満面の、それもかなりの『ワル顔』に変わる。きっと『相談役』とやらも同じ顔をしているだろう。 「ま、お待ち下さい、相談役! 役員会の決定を無視する事は貴方でも…!」 「…専務。忘れナいでホしいネ!」 相談役の声が厳しさを帯びる。 「ボくが長い事、会社の運営にクちを出さナかっタから、みんナ忘れテしマったらシいけドね。…本来、『カプラ』は会社じゃナい」 『相談役』の声はもはや、先ほどのD1に匹敵する熱量をはらんでいる。 「ぼクが『カプラ』ダ。…気ニ入らなイなラ止めテご覧」 「!」 今度こそ、アイダが絶句する。 「じゃ転送スるよ。D1、無代サんを」 「はい! 相談役!」 がば! と無代の身体が抱え上げられる。お姫様抱っこだ。 「待て! やめろD1!」 アイダの怒声が響くが、D1は一顧だにしない。 「誰か! 誰か止め…」 空間転送の断層が、声を遮断する。 D1に抱っこされた無代は一瞬、立ちくらみの様な症状。転送酔いだ。 そして数秒、酔いが醒めた無代が見たのは、天井の高いだだっ広い空間。 その真ん中に、一人の人間が立って、彼らを迎えていた。 子供だ。男の子。きちんとスーツを着ているのが何やら微笑ましい。 「ようコそ、ボクのオふィスへ…」 男の子が無代に向かって深々と頭を下げる。その声はまぎれも無い… 「…相談役…さん?」 「はイ。ボくがカプラ社の相談役デす。そシて…」 男の子がにっこりと微笑んだ。 「ボくが『カプラ』…『戦前種(オリジナル)』でス。よロしクお願イしまス、無代サん」 「無代」という一人の男が、その生涯で残した『伝説』は数多い。 その中の一つに『この世の全ての『戦前種』と知り合いだった』というものがある。 それが真実か否かはさておくとしても、この『カプラ』との出会いこそ、その伝説の第一歩であったことは間違いない。 「出会いこそ冒険。出会いこそ宝」 そう言い続けて人生を駆け抜けた男がまた一つ、新たな宝箱を開けたのである。 見事な半月が天頂にかかる夜空。その一番低い場所。 静はまだそこにいた。 掴めそうな月に向って手を伸ばす…が、届くはずもない。 (…やっぱり駄目か…) 苦笑。 そこでやっと重力が、思い出したように静を捉え、浮遊感が消失する。 ごおっ! 静の耳が、落下の風切り音で満たされる。 さすがにこのまま石畳に叩き付けられれば、静といえども命に関わる。 「…よっ!」 後ろざまに軽く手を伸ばすと、窓の出っ張りに指がかかった。ちょん、と弾く。 それを弾みにきゅん、とまた身体を回転させる。 回る。 回る。 重力にその身体を捉えられ、地面に向けて落下しながら、しかし静の身体は別の力を得たようにくるくると回転する。 何を計測したわけでもなく、何の計算があるわけでもない。 ただ、そうすればいいと「知っている」とでも言えばいいのだろうか。 考えるより先に身体が動き、結果は動いた後についてくる。 それが静の『流儀』だ。そんな静を、姉の香などはいつも『理解不能』と眉をひそめるのだが。 石畳に落下する直前、静の両足が思い切り、宿屋の壁を蹴った。 落下と回転のベクトルが変わる。 ころころころころころ!!! 静の身体が鞠か何かのように石畳を転がる。落下による『縦』のエネルギーが、蹴りによる『横』のエネルギーと、回転のエネルギーによって分散される。 ころころころころ… ほとんど通りの反対側まで転がって、静はやっと止まった。 肘やら膝やらをあちこちぶつけているが、エネルギーを奇麗に分散させたため大した傷も無い。 そのままフールを追って走り出そうとした静は、しかしぴたり、と足を止めた。 夜を昼に変えるほどまばゆく発光する石畳。 その上に黒い人影が立っている。 「…今晩は、しーちゃん」 速水厚志。 「…今出て行ったの、ふーちゃんだよね。…しーちゃん、追いかけるの?」 「そう。…何か用? 急ぐんだけど?」 静は真っ直ぐに速水を見る。 「あのねしーちゃん。ボク、キミが危ないことするのも、止めなきゃいけないんだ」 「…芝村の御当主の命令?」 「うん」 王国における『芝村家』の立場は微妙だ。 天津において、王国の手先のような言われて反感を買っている、という事情は既に書いた。 逆に、王国では天津の代表として無理な要求を押し付けられたり、天津の国々が起こしたもめ事の責任を問われたり、かなり理不尽な扱いも受けている。 もし王国内で天津の人間がモメ事を起こした場合、下手をすると芝村の責任にされる恐れさえあった。 しかも静は瑞波の国の大名・一条家のれっきとした『姫』だ。 今や『天津の剣』、最強の武闘派、という目で見られる瑞波の姫が、妙な事に関わりになることを怖れるのは当然と言える。 「…芝村の立場は分かるけど…止められると思う?」 「思わない」 速水が苦笑しながら頭をかいた。 「だからボク、しーちゃんに付いてっちゃダメ? 一応『監視』してるってことでさ」 「いいわ。ただし邪魔しないこと」 即断。 そして走り出す。 かなりのスピードだが、速水は楽々とついてきた。足音さえ立てない。 黒い法衣の下に隠れて見えないが、どうやら膝から下を人間の物ではない、何か別な構造に変形させているらしい。 「失敗種(エラー)」 自分のことをそう呼んだこの青年の身体には、やはり隠すべき何かがあるのだろう。 「…でもしーちゃん。ふーちゃんがどこに行ったか知ってるの?」 「知らない」 「え…? だったらどうやって追いかけるのさ?」 「匂い」 静は視線を正面から動かさず、速度も落とさず答える。 「…凄い…しーちゃん、ふーちゃんの匂い分かるんだ」 「ん? 分かんないわよそんなの。犬じゃあるまいし」 「あれ〜? だって匂いって言ったじゃない!」 速水が素っ頓狂な声を出すが、静は落ち着いたものだ。 「フールの匂いじゃない。人の匂いは薄すぎて追いかけられない」 「じゃ、何の匂い?」 興味深そうに静の顔を覗き込む速水に、静が始めて顔を向ける。 にっと笑う。そして答える。 「卵」 静のスピードが緩んだのは、王都プロンテラの東門が近くなった頃だった。 そこはカプラ嬢、『ビニット』の縄張りだ。 オレンジ色のショートカット。右手を軽く頬に当てるいつものポーズ。 その周囲は騒がしい。 中央のディフォルテーと同じく、『カプラ嬢をテロから守れ!』という『有志』の冒険者たちが集まっている。 もちろんカプラガードも出動しているが、『有志』の方が遥かに数が多い。 呆れたことに出店まで出ている。ちょっとした祭り状態だ。 「…ダメだ…もう匂いが分からない…」 静の目が険しくなる。人やモノが多すぎて、匂いが混ざりすぎているらしい。 「うーん、人も多いからわかんないねえ…」 速水も、あまり緊迫感こそないものの、それでも人ごみをじっと見つめている。 その時だった。 「来たぞ! テロだ! 西門!」 叫びが上がった。 「!」 静の目が遠くを睨む。 その鍛え抜かれた瞳に、首都の反対側、遥か遠い夜の闇に、漆黒の翼が浮かび上がるのを捉える。 黒い炎をまとった槍。 ランドグリス。 数体の強力な『取り巻き』をも従えた、恐るべきモンスターだ。それも複数。 カプラガード、そして『祭り』の面々が一斉に動き出す。 「くそ、こっちじゃなかったか!」 「考えるな! やっちまえば同じだ! 行くぞ! 他の門の連中も呼んでこい!」 「陽動かもしれん! 何人か残れよ!」 輝かしい転生オーラをまとい、静の目にも凄まじいと分かる強力な装備に身を包んだ冒険者たちが、速度増加の支援を受けて駆け抜ける。 ついでに静や速水にも支援の魔法が飛んで来るが、見た目が『剣士』姿だけに、静がその場を動かないのに文句を言う者はいない。 「…どうする? しーちゃん…。…しーちゃん…?」 「…違う…」 「しーちゃん? 何…? 何が違うの…?」 速水が慌てて静の顔を覗き込み、ぎょっとしたように顔を堅くする。 静の目が変化していた。 あの目だ。 東門の方をじっと見つめている。 東門付近の人ごみが目に見えて減っているが、フールの姿はない。 念のためだろう。残った冒険者の一団が、ビニットを定位置から移動するよう誘導している。 軽くうなずいてそれについていくビニットが、ナンバーズ(Bナンバーは現在5人だ)なのか、それともその部下のノーナンバーなのか、ここからでは判別がつかない。 が、それを見ていた静の目が光る。 「…おかしい」 言うや否や、静がべたっと地面に這いつくばると、石畳に耳をつけた。 目を閉じ、じっと何かの音に耳を澄ます。 「…しーちゃん?」 困惑して覗き込む速水の前で、静がぱち、と目を開ける、 「…冒険者の歩き方じゃない。…足音が違う…あの人たち…兵隊…?」
2009.09.12 Saturday
第四話「I Bot」(3)
半月が天頂を過ぎている。 「こっちだ! 早く!」 早足で歩く『ビニット』のオレンジ色の髪が、月光に照らされる。 『冒険者』の一団が彼女を誘導してきたのは、東門外だった。 緑の草が生い茂り、さして強くないモンスターがちらほらいるだけの牧歌的なフィールド。 だが、王都の光もここまでは届かず、昼間とは違って夜はさすがに少々不気味だ。 城門から少し離れて、数10人の一団がビニットを囲む。 いつの間にか、全員が無言。 「…!」 ビニットが息を飲む気配。 1人のロードナイトが騎乗のまま無言で大剣を抜き、ゆっくりとビニットに近づいた。 「…」 危険。 やっとそう気づいた『ビニット』が逃げようとするが、周囲の『冒険者』がそれを許さない。 全員が武器を抜き、印を結び、矢をつがえ、完全な戦闘態勢に入っている。 ロードナイトの剣が振り上げられ、オレンジの髪に向けて振り下ろされようとした時だった。 「…待て! 殺すな!」 大音声と共に、城壁の影から騎乗のシルエットが飛び出した。 包囲の一角に突撃し、数人をまとめて吹き飛ばす。虚を突かれた包囲組が一瞬、浮き足立った。 その隙を突いて、シルエットが包囲陣をさらに深く食い破る。 フールだ。 大剣を風のように振るい、『ビニット』に向って突進する。 しかし、包囲組の立て直しも早かった。 明らかに寄せ集めではない、徹底的に訓練された動きだ。不意の事態に直ちに対応し、陣形を整えてフールを迎え撃つ。 鎧姿の前衛が立ち塞がり、同時に狙い済ました矢が飛来する。 「!」 フールは鋭く剣を振るって矢を迎撃。 が、矢の全ては受けきれない。足に、腕に、矢が突き刺さる。 致命傷ではないが、足止めには十分なダメージ、と、矢を射た弓手たちは感じたはずだ。 矢の鏃が筋肉や関節に食い込めば、どれだけ我慢強い人間でも行動が大幅に制限されてしまう。 だが、フールは止まらなかった。 身体に刺さった矢をすばやく、それも無造作に引っこ抜く。そして、身体のあちこちに巻き付けたベルトから、細長い回復薬の瓶を指に挟むようにして抜くと、傷口に瓶ごとがちゃん、と叩き付けた。 砕けたガラスが傷口はもちろん、叩いた掌にまで食い込むが、瓶の内部から噴出する回復薬の効果でまとめて治癒。血染めのガラス片がぼろぼろと地面に落下する。 無茶苦茶な回復法だった。 確かに手っ取り早いと言えばその通りだが、見ているこっちまで『痛い』。 がちゃん、がちゃん、がちゃがちゃ、と次々に薬瓶が砕かれ、フールの身体のあちこちが血に染まる。 しかし、防具の隙間から覗くフールの表情には、特に何の変化もない。 そうだ。 あの時、昼間の調理場でフールは言った。 『痛いって…何? 分からないんだ』 フールの身体は、痛みを感じない。 『無痛症』。 現代ではそう呼ばれる。 主に脳の障害により、痛みや苦痛を全く感じない身体のことだ。 矢が刺さろうが剣で斬られようが、はたまた爆発した卵で火傷しようが、フールは『痛い』という概念さえ理解できない。 その結果、筋肉と関節が稼働するプロセスさえ健在なら、どれほどの傷を負おうとも動き続け、闘い続ける。 思えば先ほど、矢を迎撃した動作もどこかおざなりだった。多少の傷を負うことは何とも思っていないらしい。 「止めろ! 一瞬でいい!」 『ビニット』を殺害しようとしたロードナイトが指示を飛ばす。どうやらこれがリーダーだ。 「ふっ!」 フールが一瞬の隙をついて目の前のナイトを切り伏せ、横から突進してきたクルセイダーの鎧の継ぎ目に剣を叩き込む。 相撃ちで、巨大な槍に肩を串刺しにされるが、一瞬たりとも怯まない。 肩に刺さった槍を中程から斬り飛ばし、やはり無造作に引っこ抜いて回復薬を叩き付ける。 即死や大けがさえしなければ、相撃ちでも望むところ、と言わんばかりの戦闘法だ。 攻撃を受けても動き続けるスキルに『インデュア』があるが、これはそれ以上だった。 耐えるべき苦痛が、そもそも存在しないのだから。 しかし…。 痛みを克服しているからといって、フールは決して超人というわけではない。 身体も鍛えられ、技も十分に手練のレベルに達しているが、だからといって多勢に無勢をひっくり返す『力』があるわけではない。 まして相手は、正体こそ分からないが正式の訓練を積んだ『部隊』だ。 それが証拠に、立ち尽くす『ビニット』に到る、最後の一歩が押し切れない。 包囲される。 明らかに『ビニット』の殺害を後回しにし、フールを先に片付ける態勢だ。 後方に回復役のプリースト、ハイプリーストを従えた重武装の前衛がフールに殺到し、同時に矢と魔法が振りそそぐ。 切り刻まれ、突き刺され、焼き尽くされる数瞬後の運命。 それに逆らうことは不可能と思われた。 だが。 …Kha… フールを押し包むように殺到した前衛が、二人まとめて「落ちた」。 文字通りだ。 一人残らず、垂直に、地面に崩れ落ちたのだ。 …Khaa… …KhaaAaAAaA!!… 異様な『声』が周囲を圧する。そして、それが膨れ上がる。 KHA! KHAAA!! 「…やっと目が覚めたか。『処刑剣(エクスキューショナー)』」 落ち着いたフールの声。 だが、『誰』に話しかけているというのか。 「…悪いけど、いつものように『朝食』は無いよ。ボクの苦痛を、キミにあげることはできない…」 …GGGGAAAAA!!!!! 吠えた。 剣が。 フールの手に掲げられた『魔剣』が。 その柄に飾られた、不気味な髑髏が。 か! と目を開けた。 剣が。 「処刑剣(エクスキューショナー)」。 がば! と牙を剥いた。 剣が。 「…だから、『朝食』は自分で調達してくれ。…その辺でね」 GA!!!!! その咆哮は、フールへの応えだったのか、それとも不満だったのか。 ただ確かな事が一つ。 そしてあり得ない事が一つ。 フールが握る、その魔剣は『生きている』。 があ! と周囲の敵に襲いかかる。 剣が。 魔剣が。 生きている魔剣が。 「処刑剣」。 その『処刑』が始まった。 『罪』も『罰』も、そこには無いのに。 『ビニット』を追った静と速水が、城の外に出るまで若干の時間がかかった。 東門が閉鎖されてしまったからだ。 静が激しく抗議したが、門番には無視された。 速水が静を必死でなだめなければ、それこそ門番相手に一戦交えかねない勢いだったが、何とかそれだけは回避。 速水は門から離れ、城壁沿いの寂しい一角に静を引っ張って行く。 「もう! 速水! 邪魔!」 「だ、駄目だよしーちゃん。あの様子じゃ門番も…いくら何でも危ないよ。大丈夫、街の外にはちゃんと出られるから…ちょっと目つぶっててくれない?」 「…ん〜?」 思いっきり不審顔をする静。 「…見られたくないから…ね?」 「…ん〜。わかった。…こう?」 「そうそう…じゃ、行くよ」 速水の声が途絶えるや否や、静の身体を何か巨大な物が『掴んだ』。 一度決めた以上、静は騒がない。相変わらずの肝の据わり方だ。 ただ、掴み方がとても優しかったのは感じた。 ふ、と静の身体が持ち上がる。 そのまま、巨大な起重機の先に乗ったかのように、ぐぃーんと空中高く持ち上げられ、続いてすーっと水平に移動し、最後にふわっと地面に下ろされる。 「…目、開けていいよ」 速水の声に静が目を開けると、そこはもう街外だ。城壁が街の灯りを遮断して、暗さを強調する。 側に立つ速水の表情も、暗がりに隠れて見えない。 例え見えても、静は見なかっただろうけれど。 「…えと…ビニットどこだろね。しーちゃん?」 「…あそこみたい…何か…闘ってる!?」 「あれ…ふーちゃんだ!」 速水が叫ぶ前に、静はもう駆け出している。 駆けてどうするのか。 その『戦場』へ駆け込んで何をするのか。 考えるより先に、静は駆ける。 その瞳が『戦場』を捉えた。 フールが闘っている。 「フールのあれ…何…? …魔剣…?」 走りながら、静が眉根を寄せる。状況が飲み込めないらしい。 「…『魔剣醒し』…」 「え?」 いつのまにか、また隣を走る速水のつぶやきを、静は理解できない。 「…同じ『エラー』だと思ったのに…ずるいやふーちゃん…『魔剣醒し』なんて…」 速水のつぶやきはさらに、小さくなる。 『魔剣醒し』。 奥深いダンジョンに生息する『魔剣』と呼ばれるモンスターを、自分の武器として操る者をそう呼ぶ。 だが本来、人間は魔剣を使えない。 魔剣は呪いのかかった立派な『モンスター』であり、基本的に獲物の『苦痛』を食って活動する。 そのため、もし人間がそれを(握れたとして)握れば、魔剣はまずその握った人間に膨大な苦痛を与え、これを食ってしまう。 どんなに我慢強い人間でもひとたまりもない。彼らが与える苦痛はそれこそ即死級のものだからだ。 握れば、まず命はない。 世の中に武器として流通する『魔剣』は、だからモンスターとしての意志と力を永久に封印されたものばかりなのだ。 だが、フールは違う。彼は痛みを感じない。 いかなる魔剣も、彼に『苦痛』を与える事はできない。 だから、封印された魔剣の意志を目覚めさせ、その本来の力を解放して闘うことが可能だ。 いや『闘わせる』ことが可能なのだ。 『魔剣醒し(アウェイクン)』。 フールの『処刑』は続く。 解放された魔剣は、もう武器ではない。 右手に『処刑剣』、左手に『喰人鬼牙(オーガトゥース)』。そんな使い方も自由、というより『ルール無用』だ。 …KyAHaaaa…! …Gahahahahahaaaaaa…! フールが処刑剣をけしかける。 魔剣の刀身が禍々しく変形し、『獲物』の武器や防具をすり抜けて肉体に食い込む。 「ぎ、あぎああぎぎぎああ!!!!」 不幸にも『獲物』になってしまった敵は、それこそこの世の物とも思われない絶叫とともに泡を吹き、白目を剥き、鼻血を噴いてぶっ倒れる。 即死。 即座に後方支援からの蘇生がかかるものの、例え身体が蘇生しても、膨大な苦痛で焼き切れた精神は容易に回復しない。 逆に余り急いで復活させると悲惨な目に合う場合さえある。復活した途端に苦痛の再来を受け、倍の苦しみを味わうのだ。 それで『再び死ぬ』者もいる。 極上の苦痛をたらふく食い散らかし、満足そうに魔剣の刃が引っ込む。 その間にも『喰人鬼牙』が別な『獲物』の腕に噛み付き、その微細な牙で神経に食い入り、一気に脳までを犯し尽くす。 「ごぶっ!」 噛まれただけの敵が、胃の中の消化物を噴水のように吐き戻し、次いで鮮血を吐き、最後に内臓そのものを吐く。 文字通り、内臓がでんぐり返る苦痛。 本来『痛み』とは、身体を危険から守るための警報装置だ。 だが、警報も度が過ぎると、本来守るべき身体を逆に破壊してしまう。苦痛から逃れようとするあまり、身体が生命活動そのものを狂わせてしまうのだ。 前衛が、文字通り喰い破られた。 後衛からの遠距離攻撃が飛んではいるが、フールは魔剣がくわえ込んだ死体を盾のように使う。これでは矢も魔法も本来の威力を出せない。 フールを襲うはずの敵が、もはや獲物の群れに変わっていた。 単騎ゆえの弱点で、フールは距離を取られて囲まれるのが最も弱い。敵もそのようにしようと包囲を広げたのだが、予想に反してフールが止まらない。 単純な武力ではなく、『苦痛をバラまく』という異様な戦闘法により、足止め役が足止めの役目を果たせないのだ。 結果としてあっという間に包囲が食い破られ、被害が広がって行く。 死体が転がる。 その隙間に『蘇生した死体』が転がる。生きてはいるが、それは『死体』だ。 それが証拠に、敵であるはずのフールを見る目が『死んでいる』。 いや、大半の者はフールを見る事すらできない。精神が完全に折れている。 経験したことのない苦痛が、闘う意志ごと精神を叩き折ったのだ。 「…退却!」 敵のリーダーの判断は遅きに失した。が、これはやむを得ない面もあるだろう。 単騎で殴り込んで来た敵が、ここまでの相手とは誰も予想できないことだ。 崩れかけの『部隊』だが、しかしまだ規律は生きている。 何とか生き残った僧侶系の者が先に走り、逃走のためのワープポータルを出す。 その光の輪へ向って、残りの者が走り込む。二人一組で負傷者や『死体』を担いで移動する動作には、修羅場をくぐって来た者のしたたかさを感じさせる。 もちろん、短時間ながらフールに猛攻を加え、足止めするのも忘れない。 『ビニット』は? 眠らされ、騎乗のナイトに担がれている。 追いすがろうと速度を上げるフールだが、そこで一瞬の遅滞。 地面から氷の槍が出現したのだ。 (…氷閃槍 !?) 忍者が使う、忍術だった。 威力より連射のスピードを重視したものらしく、立て続けに撃ち込まれる。このフールをして息もつかせぬ連撃だ。 退却のワープポータル付近から詠唱しいるらしいが、かなりの距離がある。 それでこの速度と正確さ。恐ろしいほどの手練だった。 「…!」 さすがのフールもこれは放置できず、ペコペコを止めてオーガトゥースで迎撃する。それでも頬やら耳朶やらに数本がかすめた。 時間にして数秒足らずだが、そのわずかな遅滞が致命的。 再度突進しようとしたフールのペコペコががくん、と止まった。足元の地面が底なし沼のように溶解している。 足止めの魔法だ。 さらに、静止したフールに複数の魔法陣が重なる。攻撃魔法。 いかに魔剣醒しといえども、これだけはいけない。 「…!」 フールが両手に魔剣を握ったまま、いや、魔剣はもはやフールに握られているのではなく、フールの腕に自ら食い込んでいる。 だからフールは、逆に自由になった指でありったけの回復剤をつかみ出し、ダメージに備える。 一発目。 メテオストーム。紅蓮の炎渦が直撃した。 フールに痛みはないが、場所によっては筋肉はおろか骨まで見えるほどの猛烈な火傷を負わされる。両目を腕でカバーしなければ、眼球が沸騰して破裂しただろう。いや、脳が煮えてもおかしくない。 フールがそのむき出しの骨に回復剤のガラス瓶を叩き付けて砕き、一気に回復させる。 次の瞬間、二発目が来た。 ストームガスト。今度は純白の氷渦をまともに食らう。 完全凍結こそしなかったが、一瞬で全身の毛細血管が凍り付き、今度は重度の凍傷を負わされる。防具がなければ即凍死。防具である程度防いでも、凍傷のせいであっという間に全身の肉が溶け落ちるだろう。 フールは回復剤を、心臓やら大動脈やら、血液の流れの多めなポイントにわざとくいこませて砕き、血液流にのせて回復剤を流し込む。 即席の注射療法だが、荒っぽいのを通り越して無謀だ。筋肉の再生がアンバランスになり、フールの身体が変な風に傾く。 これだけの魔法の連打を単独で食らって平気なのは、この世でペコペコぐらいのものだろう。 この貴重な鳥型騎乗用モンスターは、人間による長年の品種改良により、物理、魔法の両方の攻撃に対して装甲車並みの耐久性を獲得している。 その中でも、特にフールのペコペコは凄まじい。 「プルーフ」という名前だが、その名に決して負けていない。耐久力で言えば、恐らく戦車並みだ。 だが、乗っているフールの方はそうはいかなかった。 スピードを重視して鍛えられたフールの身体は、魔剣醒しの能力によって戦闘力こそ圧倒的だが、決して耐久性に優れているわけではない。 回復剤頼みの無茶な突進では、いずれ限界はある。 だが止まらない。 前進をやめようとしない。 三つ目、四つ目の魔法陣が重なる。今度こそ危険だ。が、フールは表情ひとつ変えず、また回復剤を掴み出して負傷に備えるだけ。 だが、その動かない表情が初めて、激しく動いた。 「さ、せ、る、かああああああ!!!!」 戦場の喧噪さえも易々と貫いて響く、透き通った叫び。 静だ。 「…な…キミ、どうして…?!」 「はっ!」 フールの叫びに応えるより速く、静のしなやかな腕が稲妻のように閃いた。 魔法使いが一人、ぎゃっと首を押さえてのけぞる。まさに、フールに魔法を放とうとしていた女魔法使いだ。 何事かと振り向いたもう一人の魔法使いも、ぐふっと首を押さえる。 詠唱が止まり、魔法陣が掻き消える。 「…なんでここに!?」 どれだけ身体を攻撃されても眉一つ動かさなかったフールが目を丸くしている。よほど驚いたのだろう。 「話は後っ!」 静が叫び返しながら、また腕を閃かせる。 今度は僧侶が首を押さえてうずくまる。どうやら何かを投げつけられたらしい。 手裏剣? 違う。 静の投げた武器を、『飛爪(ヒヅメ)』という。 手裏剣よりずっと小さい、親指の爪をふた回りほど大きくしたような鉄片である。 数カ所に鋭い刃がついており、人体に当たると皮膚を裂き、肉を喰い破って体内に『埋まる』のが特徴だ。 傷口そのものは大きくないが、『売り』はその傷の厄介さである。何せこれを食らうと、傷口に指を突っ込んでほじくり出しでもしない限り、体内から除去できない。 さらに魔法職の場合、これを首筋にもらうと詠唱ができなくなる。それどころか、うかうかしていると気管や頸動脈を傷つけられ、こんな物でも致命傷になりかねない。 詠唱殺しに最適の武器として、静はこれを常に袖口に仕込んでいるばかりか、腰のポシェットにもひと掴み放り込んでいるのだ。 「身体は大丈夫!? こいつら何!? ビニットはどこ!?」 話は後、と自分で言った割に質問が多い。 「…! 駄目だ! し…キミは来るな! 駄目だったら!」 フールがやっと足止めを抜け出し、ペコペコを返して静に駆け寄る。 お互い名前を呼ばないのは、相手に身元を知らせない注意だ。 「そーだよしーちゃん! 危ないよしーちゃん! あああニューマっ!」 あまりそういうことに気が回らないらしい速水が、防御魔法を展開しながら「しーちゃん」を連発する。 …が、これで本名がバレたら大したものだから、まあ余り問題にはなるまいと、静もいちいち注意しない。 飛爪を食らった魔法職が引きずられていく。それを援護するため、静に向って乱れ撃ちの矢が飛来する。 数本は速水の出した防御のニューマが防ぎ、残りをフールが魔剣でたたき落とす。 すり抜けた一本を、静が鼻先でひょい、と躱した。 「平気! 当たらないから…あ、逃げちゃう!」 慌てる男二人を尻目に、静が走り出す。左手を腰の銀狼丸に添え、右手の指に飛爪をつまんだままだ。 「あ! こらっ!」 フールが制止しようとペコペコの手綱を引くが、移動した先にもう静はいない。 しなやかな身体を巧みにさばき、膝の辺りまで伸びた草むらに隠れるように、だが滑るような速さで移動する。 「しーちゃん!」 「…ああもう!」 速水とフールが同時に駆け出す。 大の男が小娘の静に振り回される格好だが、その行動には迷いやためらいは見られない。そしていざ走り出してしまえば、二人の目は戦士のそれだ。 ぐん! と速水が一瞬スピードを上げ、騎乗のフールを追い抜いて急停止、振り向きざまにフールへ支援魔法を飛ばしておいて、また走り出す。 さらに、先をいく静に追いすがるようにして支援を飛ばす。 速水厚志、一瞬とはいえ明らかに人外の速さだ。 退却する一団は、死体を除いてほとんど残っていない。次々に退却のワープポータルに飛び込んで消えていく。 死体はもう蘇生不可能と見て見捨てられるのだろう。 「待てぇっ!」 低い姿勢からだん! と静が飛ぶ。 最後の一人、ポータル係らしいプリーストが超特急で光の輪に飛び込み、消える。 静がそこへ落下したのが直後…だが間に合わない。人数制限を計算しての退却だろう。 落下した静の身体がびたんっ、と地面に張り付く。 しかし、光は消える。空間を超えて人間を運ぶ、神秘の門は閉じてしまった。 「…しーちゃん…!」 「…」 速水とフールが追いつく。静は地面にうつ伏せ、べた寝したまま動かない。 「…しーちゃん…」 さすがの静も、敵に追いつく事ができず傷心、と思ったのだろう。速水が恐る恐る近づいて、静を助け起こそうと身を屈めた瞬間。 がば! と静が顔を上げた。 だん! と立ち上がる。 速水の胸ぐらをぐい、と両手で掴み上げ、 「あっちゃん! 『ルティエ』のポタ持ってる!?」 「わあ! あ? え? ルティエ? えと…お、『おもちゃ工場』んとこ…なら…」 「出して! 追いかける!」 とんでもない事を言い出した。 「…わかるの…? 転送先が…? 何で?」 フールが目を丸くしている。普段は決して表情豊かとは言えないが、そういう隙のある表情をすると意外と愛嬌がある。 「…匂い!」 「匂い!?」 「そう、風の匂い! ワープポータルの向こうから吹いてきた…雪と…煙の匂い! 暖炉で泥炭を燃やす匂いだ! アカデミークエストで行ったことあるから間違いない。ルティエよ! 水の匂いもしたから川の近く!」 男二人がぽかんと口を開けた。 超空間でつながったワープポータルなら、確かに向こうとこちらの空気はつながる。 だがその空気の匂いを嗅ぎ分けて、行き先を特定したというのか。 何という知覚能力。 犬じゃあるまいし、と彼女は言った。が、人間を遥かに超える嗅覚を持つ犬にだってこんな芸当は不可能だろう。 ただ嗅覚が優れているだけで出来ることではないのだ。 環境感知能力、とでも言えばいいのか。常に自分の周囲の環境を知覚し、記憶し、そしてこの土壇場で発揮できなくてはならない。 ある意味、速水やフールよりよほど人間離れしている。 「ぼーっとするなぁ! 急げ! くずぐずしてたら今度こそ逃げられる!」 「…あ、うん! ワープポータル!」 「ま、待った! 静姫はここにいて! そもそもキミには関係ないことだ! ボクだけが行くから…!」 フールが叫びながら何やらごそごそしていると思ったら、ブルージェムストーンを一個、ポケットから取り出して速水に放る。 ワープポータルの魔法を使うためには、この魔法の石を一つ消費する。だから、他人にどこかに送ってもらう時は、この石を代金代わりに渡すのが通例だ。 こんな時なのに、妙な所で律儀なフールである。 が、その律儀さが命取り、というか何と言うか。 静がぴょん、とフールの鞍の前に飛び乗った。 またがるのではなく横座りで、その身体を若きロードナイトに預ける 通称『姫座り』。 何せ本物の『姫』がやるのだがから文句のつけようがない。 「よし行けフール!」 「えええ!?」 「ぐずぐずしないっ! ほら、ヤツらが逃げちゃうってば!」 「…!」 「無駄だよふーちゃん…」 困惑しきりのフールに、速水が苦笑する。 「その姫様は止まんないよ…ふーちゃんと同じで…ね?」 「…とりあえず『ふーちゃん』って呼ばないでくれる?」 フールが観念したように、ペコペコの手綱を握り直す。 「あ! しーちゃん、しーちゃん! 3人でパーティ組まないと! 名前! パーティ名!」 速水がいささか場違いなことを叫ぶのに、静がちょっと眉を上げて、 「…『スクランブルエッグ』!」 その答えに、今度はフールが顔をしかめる。 「…『自爆』だけは勘弁してよ…行けっ!」 静とフールを乗せたペコペコ「プルーフ」が光の輪に飛び込む。 速水が続く。 奇妙なごちゃ混ぜ(スクランブル)の三つの卵たちが、一つの戦場へと緊急発進(スクランブル)していく。
2009.09.12 Saturday
第四話「I Bot」(4)
首都プロンテラ。 静たち3人の去った真夜中の街はしかし、未だに喧噪の中にあった。 テロによって出現したランドグリスが、まだ片付いていない。 出現したのは最終的に5体。 うち3体は討伐されたが、まだ2体が残っている。1体はまだ西門、もう1体は噴水付近まで移動して暴れていた。 漆黒の翼、闇色に燃える大槍。堕ちた戦天使が地上に振りまくのは祝福ではなく、死と破壊だ。ついでに、そっくりな姿の『ゴースト』が周囲を取り巻き、混沌をを増幅する。 「…ちょっと多すぎたんじゃないのかねえ?」 「…いえ、首都の冒険者は侮れません。これぐらいでないと陽動には…」 「その割には、制圧に手間取ってるじゃないか?」 通りを見下ろす高い建物。その屋根の上に、二つの人影がある。 長身の女と、その後方に控える屈強な男のシルエット。男はパラディンのようだが、女は不明。 「ま、『ファルコン』はうまく『ビニット』を連れ出したようだけど…任務完了の報告が遅いね」 「…確認中です」 『ファルコン』。 『ビニットを連れ出した』の単語から、どうやら静やフールとやり合ったあの一団の事らしい。報告が遅いのは…静たちのせいだろう。 では、この女がその首謀者なのか。 「ああ、いけない。ランドグリスの取り巻きが露店街に流れそうだよ。クルト、西門の方は?」 「…片付いたようです。マグダレーナ様」 「結局、4体片付けたのかい? 『タートル』が?」 「は。…あ、いえ。片付けたのは『ロビン』ですが…何というか『タートル』が街の冒険者をあっという間に組織化しまして…とどめを『ロビン』が…」 『クルト』と呼ばれたパラディンが複雑な顔をする。成果に対してどう評価したものか迷っているらしい。 というのも…。 「『ロビン』は強行偵察チームだよね?」 「…はい、マグダレーナ様」 「で、『タートル』は後方および移動支援チームだよね?」 「はい…ですが…あの男…『タートルリーダー』の指揮能力がケタ違いで…」 「そんな事聞いてるんじゃないよ」 『マグダレーナ』と呼ばれた女がピシャリと言う。 「サポートチームがランドクリス4体、奇麗に片付けました。でもアタックチームの『イーグル』がたった1体にこのザマです、かね? 情けない」 マグダレーナの視線が、大通りに向けられる。 石畳や建物から発せられる魔法の灯火が、その横顔を浮かび上がらせた。 見た目は40代後半。だが、同じく40代後半に見えるクルトと比べても、明らかに『風格』が違う。恐らく実年齢はそれより遥かに上だろう。 そして魔法の灯火が照らし出す奇異がもう一つ。 瞳の色だ。左右で違う。 右目が紫、左目が蒼。 オッドアイ自体は珍しくないが、この色の取り合わせは一言で言って『異様』。 視線を向けられた者はことごとくこの世と切り離され、どこか未知の場所に立たされているような気分になる。 「…ああ、もう駄目だ、決壊するね。『露店様』に迷惑かけちゃあ陽動もくそもない。その前に抑えるよ」 マグダレーナの言葉通り、道を塞いでいた冒険者たちの陣が、ランドグリスの巻き起こした猛烈な地震によって、まさに決壊するところだ。 その隙をついて、取り巻きのゴーストの強力なヒールが本体に降り注ぐ。 決壊した連中も彼らなりに踏ん張ってダメージを与えたのだが、このヒールによってそれも無駄になる。 「娘たちや」 「…はい、お母様」 マグダレーナの呼びかけに応え、ふ、と闇の中から声が返る。 「悪いけど、頼りないガキどもの尻拭いだ。アタシがヤツの羽根をむしったら、袋叩きにしなさいな。『月影魔女』、状況開始だよ」 「了解しました、お母様。『月影魔女』、状況を開始します」 またふ、と声が消える。 「さてと」 マグダレーナが通りに視線を戻す。 「久々に行くかね」 わぁん! マグダーレナの周囲の空気が震えた。 じゃらん、と鳴ったのはマグダレーナのネックレス。ロングロープ型の長いそれに、隙間無くずらっとつながれているのは宝石ではない。 ブルージェムストーン。ワープポータルの他、いくつかの魔法の触媒となる魔法石。 首から外したそのネックレスを、両手の親指に引っ掛けて広げ、腕を伸ばして掲げる。 そのスタイルのまま、両手に一つずつ石をつまむ。 詠唱。 その呪文は…呪文そのものは実は何の変哲もない。 魔法によって空間と空間をつなぎ、人や物をこちらからあちらへ転送する。 成りたての駆け出しでも使える、ごくごくありふれた呪文。 『ワープポータル』 マグダレーナの唇が動く。 わぁん! 空気が震え、魔法陣が出現した。通常の魔法陣に比べて『一巻き多い』、見た目も派手な魔法陣。 そして本来ならば術者の足元に出現するはずのその魔法陣はしかし、あらぬ場所に出現した。 暴れるランドグリスの『真上に一つ』。 そして。 ランドグリスの『真下にもう一つ』。 回転する魔法陣に導かれるように、神秘の光輪が出現する。 上下に二つの転送円。 通常は不可能な『モンスター転送』が可能な特殊ポータルだが、その目的は転送そのものではない。 ここで読者に一つ、質問を差し上げよう。 二つのワープポータルが対象物を挟み込むように、例えば上下に出現した場合、対象物はどうなるだろうか。 上の転送円に吸い込まれるか。 それとも下に吸い込まれるか。 …その答えは…。 ランドクリスの身体が『歪んだ』。 強力な冒険者たちの渾身の攻撃にも悠然と耐える、それこそ最強レベルのモンスターの身体が、まるで熱した飴のように歪んだ。 漆黒の翼が、上の転送円に吸引される。 真紅のマントをまとった身体が、下の転送円に吸引される。 キァアアアアアア!!! モンスターの『悲鳴』が響いた。 ワープポータルの転送力に『逆らえる者』など存在しない。その力場にがっちりと掴まれてしまえば、例え何者だろうが引きずり込まれ、転送されるのだ。 ぶつん! ぞっとするような音が響き、石畳に真っ黒な血がまき散らされる。 ランドクリスの羽根が『むしられた』。 それと同時に身体と羽根が、それぞれ別々の転送円に吸い込まれる。 そして直後にその場に出現。べしゃっ、と濡れた雑巾を叩き付けたような音とともに、別々に地面に落下した。 転送先は『ここ』だったらしい。 原理は極めて単純。 二つのワープポータルで真ん中にあるものを挟み、転送の引力を使って引き裂く、それだけだ。 だがその威力こそ絶大。 いかなる怪力も、いかなる防御力も、空間そのものを歪曲させ転送する『力』に抵抗することは不可能だ。 物質はもちろん、霊体であっても現界している以上、この力の影響を受けざるをえない。 となれば理論上、この方法で破断できないものは存在しない。 「…『転送断頭台(ギロチンポータル)』…お見事です。マグダレーナ様」 クルトの、その絞り出すような言葉の響きにお世辞の要素はない。素直な感嘆。 そして恐怖。 この驚異的な術とて、この女性の力のほんの一端に過ぎない事を、彼は骨身に沁みて理解しているのだ。 道の上では『引きちぎられた』超級モンスターが、それでも暴れようともがいていたが、街角から出現した数人の女冒険者がそれを取り囲む。 アサシンクロスとチャンピオンが息を合わせ、ランドグリスの身体に飛び乗ると、真上から大砲並の威力を持つスキルを叩き込む。 地面が揺れる。 残ったメンバーがゴーストを引きつけ、露店街への侵攻を巧みに抑えている。 いかな敵でも、ほどなく息絶えるだろう。 状況からみて、先ほど『月影魔女』と呼ばれた一団。もう訓練とか熟練の域を超えた実力者揃いらしい。 「…ふん。アタシや『娘』たちの手助けが要らないように、早くガキどもを鍛え上げておくれよ、クルトや」 「…は」 会話の流れから、どうやらクルトは若い兵士、あるいは士官の教官であるらしい。そして、この一連の騒動を引き起こしたのがその『生徒』。 首都にモンスターを召還して冒険者たちを集め、その隙に『ビニット』を街の外に連れ出して殺害。召還したモンスターは暴れすぎないように、適当な所で自分たちで処理。 そんなところか。 「ま、『鍛える必要の無いヤツ』もいるようだがねえ?」 「…は。あの…マグダレーナ様」 「ん?」 「『あの男』は、やはり帰さねばなりませんか?」 「『あの男』? …『タートルリーダー』かい? その話は済んだはずだがね?」 マグダレーナが苦笑する。だが、クルトは引き下がらない。 「…あの男を自分の副官に下されば…いえ、いっそ自分があの男の副官でも構いません」 「ちょっとちょっと、落ち着きなよアンタ?」 「自分は真剣です。…もしそれが実現すれば10年、いえ5年で世界を制してご覧に入れます」 「…そりゃまた大きく出たねえ」 真剣だ、というクルトの目にはしかし、どこか別の光もある。 狂気。 マグダレーナの目は見抜いてしまう。 (これほどの武人でも…いやだからこそ魅入られてしまう…か) 『あの男』の逞しい巨体が脳裏に浮かび、マグダレーナの苦笑が深くなる。 「アンタの気持ちはわかるよ、クルト。…アイツが故郷の天津でどれほど鳴らしてても、こっちじゃ無名。『タートル』なんてパッとしないチーム名に、仕事は支援…なのにたった半年でコレだ。アイツの名前と力を知らないヤツは、もういないだろうね」 「はい」 「だけどダメだ」 マグダレーナがまたぴしゃりと言う。 「アレを帰さなかったりしたら、アレの故郷の連中が何をするか分からん。…本当に何をするか分からないよ。『狂鉄』の現役時代は、アンタだって知ってるはずだ」 『狂鉄(きょうてつ)』。あるいは『クレイジーアイアン』。 それは瑞波の殿様こと一条鉄の、王国軍人時代のあだ名だ。 「…」 「狂鉄だけじゃない。『氷雨の冬待』に『潰しの善鬼』までアレの帰りを待っている。3人の義妹…『成功例(サクセス)』もだ。田舎者と嘗めると痛い目に会うよ、『一条』の連中をね」 『冬待』は一条鉄の妻、巴の旧姓。彼女もまた王都の軍人だった。善鬼は鉄の副官。 ならば、この会話に上がる『あの男』とは、もう疑うまでもなかろう。 『一条流』。 静の婚約者であり、無代の友である若者の、これが消息であった。 「…しかし…」 「まあ落ち着きな。…アレの気持ちだってあるだろう? アレの首に縄付けて、アンタの自由にできると思うのかね?」 「…それは…」 「無理に王国に繋ぎ止めずとも、アレの使い道はいくらもある。アレに天津を統一させて…それからでも何も遅くはないさね。まだ若いんだ…アンタだってね。」 「…は…」 クルトはやっと引いたが、納得していないのは明らかだ。 「『一条流』…か。効きすぎる薬は毒、ってヤツだね、まったく」 マグダレーナの苦笑が深くなる。 (『狂鉄』のヤツ…大人しく差し出して来るから変だとは思ったが…まさかこうなると分かってて…いや、多分そうだろうね…) 今度は若き日の一条鉄の顔、いや『ツラ』が浮かぶ。 (あの『やんちゃ男』にもさんざんかき回されたもんだけど…この義息子はひょっとしたら、もっとタチが悪いかもねえ…) そんな内心の懸念と裏腹に、マグダレーナの表情は柔らかい。 いやむしろ嬉しそうでさえある。 鉄と流、二人の義親子の事を意外と気に入っているらしい。 (鍛えてやっといて、その上に何もかも持って行かれました、なんてことにならなきゃいいけどね) 「…で、『ファルコン』の報告はまだかい? そっちまでしくじったとか言わないだろうねえ…?」 見下ろす大通りの石畳では、消滅したランドグリスが残したアイテムに、露店商たちが群がりつつある。強力なモンスターほど、その死に際しては貴重なアイテムを残す、という法則はまず外れない。 「…ま、露店街への『迷惑料』だよ。とっといておくれ…」 『テロ』とは別の喧噪に包まれて行く街に向け、マグダレーナが笑いながらつぶやく。 「…寒っ!」 ルティエ。 通称『雪の街』。 ワープポータルの転送円から飛び出したその街は案の定、雪だった。 寒いのが苦手らしい速水が、僧服の前をかき合わせる。静とフールは平気。 「…川のある方だから…南だよね。行こう!」 フールのペコペコの鞍に器用に『姫座り』したまま、静が仕切る。ただ、静は女性にしては長身で、手足もすらりと長いため『姫役』としては少々ミスキャスト。 鞍の半分を占領されたフールもいささか居心地が悪そうだったが、もう文句は言わずに手綱をさばいて走り出す。 「あー! 待ってよ2人とも! ボク1人徒歩なんだぞー!」 速水が文句を言いながらも悠々とついてくる。静もフールも突っ込まないし、見もしないけれど、速水の足は人間のそれとは別の物に変形している。 ルティエの街の名物である、中央の大クリスマツリーまで来たところで、 「…止まって!」 静がフールにペコペコを止めさせた。 即座に姫座りを解いて飛び降りると、だーっと走ってツリーに取り付き、あっという間にするすると登って行く。 「…木登りの上手な姫様…ってホントにいるんだねえ。…おとぎ話の中だけか思ってたけど」 速水が静を見上げながらつぶやく。 フールも呆れたように静を見上げていたが、やがて静が降り始めると、ペコペコを操って木の根元に寄せた。 登った時とほぼ同じ速度でするすると降りてきた静は、途中でフールを目視するとぴょん、と飛び降りる。 すとん、と正確に鞍の上に降りるあたりはさすがだ。 「いたよ。東の橋渡った、城壁の向こう」 「…よし。静姫と、速水クンはここにいて。ボクが…」 フールが言いかけるのを無視。静が鞍から地面にぽん、と降りると、 「あっちゃん、アタシ連れて城壁越えられるよね? さっきみたいに?」 「…え? あ、うん…」 「アタシとあっちゃんが東の端から城壁越えて回り込む。フールは真っ当に橋渡ってくれれば、挟み撃ちにできる」 言いながら腰の銀狼丸を抜き、目釘やら刃の状態やらを確かめている。 フールが慌てて制止。 「駄目だって。分かってないな。相手は訓練された『軍隊』だ。人を殺すための部隊だよ? キミが強いのは認めるけど、『剣士』のスキルだけじゃどうにもならない」 「平気よ」 静が銀狼丸をぱちん、と鞘に納めると、今度は腰のポシェットから『飛爪』を掴み出し、一つずつ吟味してから袖口の隠しポケットに収める。 「…確かに『大陸のスキル』は凄い。魔法もね。…天津にアレが伝わった時は、みんな度肝を抜かれたそうよ…。でも、天津の武芸者だって指をくわえて見てたワケじゃない」 飛爪を収納し終えた静は、次に小柄を数本、これも襟の後ろやらブーツの内側やらに仕込む。見た目の可憐さ、涼やかさに騙されてはいけない。 この少女はまさに全身武器。 「『大陸のスキル』には弱点がある」 きっぱりと、少女は言い切る。 そして最後に、胸の内側のポケットから小さなお守りを取り出すと、片手で軽く押し頂いてから元に戻した。 フールと速水は知らないが、その中には静の家族たちの髪の毛と、そして無代との契約の血印が入っている。 それは彼女の出陣の儀式。 そして、これが彼女の初陣。 「…」 さすがのフールも諦めたらしい。ため息を一つ。 「…分かった。でもこれはボクの問題だから、キミたちはあくまで手伝い。いいね?」 「はいはい」 静の応えは『ちっとも分かってませんし、分かる気もありません』としか聞こえない。 顔をしかめるフールを見て、速水が思わず笑いをもらす。が、フールにじろりと睨まれて、首をすくめて黙る。 「…『アンタの問題』とやらは後でゆっくり聞くとして…でも『ビニット』が殺されるって話なら、無関係じゃないわよ」 ぐっ、と左手で腰の銀狼丸の鞘を押さえ、静が目を閉じる。 フールと速水、二人の若者が見守る中、しばし不動の姿勢。 そしてぱち、と目を開けると、 「吹雪になるわ。もう間もなく…5分もない。行こう!」 真っ先に駆け出す静に、若者二人が続く。今夜はもうかなりの距離を走っているはずだが、静のスピードは落ちるどころか…。 「…どんどん速くなってるよ…しーちゃん…」 「…身のこなしも切れてきてる…今朝はあそこまでじゃなかったはず…」 期せずして、フールと速水が顔を見合わせる。 自分たちが何か、とんでもない事に立ち会っているのではないか。そんな不安と疑念。 そして高揚。 「…『進化』してる…?」 「…むしろ『羽化』してる…って感じかも」 静を追いかけながら、二人が話すともなく言葉を交わす。 疾駆する静の背中に、雪が舞う。 その雪が一瞬、二人の若者の目に、広げた羽根の幻を見せた。 純白の、幻の羽根。 「…『戦精(シリオン)』…」 フールがつぶやく。 『戦精』。 それは、生に迷った戦士たちを『あるべき戦場』へと導くという伝説の妖精。 『あるべき戦場』。 それは『死すべき戦場』の異名だ。 ぞっ…。 痛みも苦痛も知らないフールの身体に、小さな戦慄が走る。 速水も無言。 …貴方の死に場所が知りたい…? 戦闘妖精の背中が誘う。 …貴方が命をかけるべきものが知りたい…? 街が吹雪に包まれていく。 静の言葉の通り…が、フールも速水も、もう驚くとことさえない。 このまま静の背中を追えばどうなるのか、考えようとしても思考が働かない。 魅入られた。 そうとしか表現できない何かが、二人の若者の心を絡めとっていく。 …教えてあげる… …私が教えてあげる…
2009.09.12 Saturday
第四話「I Bot」(5)
『ファルコンチーム』は油断していた。 無理もない。 生きた魔剣を操る異様な敵から、やっと逃げてきたのだ。 ワープポータルを越えてきたのだから、追っ手などあるはずもない。 目標の『ビニット』も手中にある。 チームの2割を『喪失(ロスト)』する犠牲を出し、予定も狂ってしまったが、それでも彼らの心を占めていたのは『安堵』。 だから、橋の上で哨戒していた1人のアサシンも、それほど真剣に任務に取り組んではいなかった。 だから、そのアサシンは『それ』を見た時、とっさに自分が『幻』を見ていると思った。 恐怖の記憶が見せる、それは幻覚に過ぎないと。 降りしきる雪の中、橋の向こうから疾駆してくる騎乗のシルエット。 ただの幻覚だ、そう思いたかった。だが… Khyahahaaaaaa!!!! Gahyuauaauauuu!!!! 幻は幻にあらず。 『悪夢そっくりの現実』。 吼え哮る、二振りの生きた魔剣。 「…そろそろお前も起きろ。『ミステルテイン』」 フールが小さくつぶやくと、ペコペコの鞍に固定してあった最も大きな魔剣を引き抜く。 のろり、と巨大な魔剣の目が開いた。 その刀身から、がぎゃ、と細い手足が伸び、フールの左腕にがっちりとしがみつく。 それは剣というより、巨大な十字型の盾のようだ。 世に言う『三大魔剣』。 左腕に『ミステルテイン』。 右手に『オーガトゥース』。 そして『エクスキューショナー』は…。 しゃらん、と不吉な金属音を引いて、処刑者の剣に絡んだ鎖がほどける。 死刑執行のその日、罪人の最後の懺悔を聞くための、聖なる十字架を飾った細い鎖。 今や偽りの十字架と化したそれが、フールの右手首に絡み付く。 「…ひ…!」 やっと声を出せるようになったアサシンが、完全に引けた腰で逃走。 そこへ。 Khayakayaaaaaaaaaaaa!!!!! フールの右手の一閃で、処刑剣が『飛んだ』。 ずどん! とアサシンの背中のど真ん中を貫く。 「はあぐあがあああああ!!! あ…げ…が…」 あり得ないほど広がった口から、内臓の全てを雪の上に嘔吐して、アサシンが崩れ落ちる。 『ファルコンチーム』の仲間が、音に気づいて駆けつけてくる、が… 「ひぃ!」 「ああああああ!!!」 フールの姿を見た途端に凍り付いたように足を止める。 いや、止まる。 目をそらし、猛烈な悪寒に襲われたように震え、即座に逃げ出す者も、その場にへたり込む者までいる。 『心的外傷(トラウマ)』だ。 経験した苦痛があまりにも大きい時、それは精神にも『傷』となって残る。 イヤな記憶や苦い思い出、などという生易しいものではない。 ほとんど肉体的な痛みにも等しい苦痛が、心の奥底から再現され、人間の存在そのものを『蝕んで』ゆく。 『魔剣醒し』ことフールの真の怖さは、むしろこちらにあるのかもしれない。 いっそ一思いに死んだ方がよほど楽、というこの世の地獄が、再び出現した。 橋を渡りきったフールが、一直線に『ファルコンチーム』に襲いかかる。 腰の退けた槍も、でたらめに振り回す剣も、左腕のミルスティンがまとめて噛み止める。 止めるだけでなくまれには石化させ、その禍々しい牙でばりばりと噛み砕く。 「槍が…槍が…」 同じ言葉を壊れたように繰り返す獲物の胴体を、手足を持つ巨大な魔剣が引き裂く。 一方、右手から繰り出される神速のオーガトゥースは、身体のどこかを掠めただけで獲物の神経を隅々まで蹂躙した。 全身の毛穴から鮮血を吹き出した敵が、きりきり舞いしながら凍りかけた川に落下していく。 間合いの短い短剣と侮る者はいない。が、いたとしても即座に改めるだろう。離れていても強烈なソニックブローの洗礼を受けることになるからだ。 そして処刑剣。 鎖に繋がれた魔剣が敵に襲いかかる様は、いわゆる『鎖付き武器』というよりもむしろ、徹底的に訓練された強力な戦闘犬を操るのに似ていた。 フールによって『目醒し』させられた、意志を持つ魔剣。 それがついに真の凶暴性を剥き出し、『ファルコンチーム』を追い回し、思う存分噛み付き、その苦痛を味わい尽くす。 Khyahahahahahahaha!!!! 禍々しい嬌声。 一切の見境いなく、しかし精密に狙いすました苦痛と死が、これでもかと撒き散らされる。 『三大魔剣』がひしめくダンジョンの一画に、無防備に突っ込んだも同然。それも統制と連携が取れ、目的と目標が明確な魔剣の群れだ。 そんなものはただの悪夢でしかない。 その悪夢の前には、積み重ねた訓練も経験も意味をなさない。 単純な破壊力や戦闘力なら、フールよりももっと上があるだろう。闘い方もユニークと言えばユニークだが、要は邪道だ。 だが、この恐るべき局地制圧力を見るがいい。 敵の精神までを蝕み、侵し、引き裂いてゆく様を見るがいい。 蹂躙。 『ファルコンチーム』が、空を華麗に舞うはずの隼が地に墜とされ、踏みにじられていく様を。 「陣を組め! 迎撃!」 完全に油断を突かれたファルコンチームだが、その全員が統制と戦意を喪失したと考えるのは、しかし早計に過ぎる。 フールが橋を渡り、最初の敵を蹂躙するのを目視したチームのリーダーは、直ちに迎撃行動を指示していた。 フールが単騎であり、魔法や遠距離攻撃による包囲に弱いことは、退却戦で分かっている。 なぜ追って来られたのか。 そもそもアレは何者なのか。 疑問は多いが、今はアレを何とかするのが先だ。 残った数少ない魔法使いや弓手、支援の教授まで動員し迎撃の陣を張る。 フールに今まさに蹂躙されている哨戒班を『捨て駒』にして、自陣に死地を形成するのだ。 いかに強力な敵であっても単騎。死地に誘い込んで足止めし、遠距離の集中攻撃を加えれば必ず殲滅できるはずだ。 後方は川と、城壁が守ってくれる。その戦術に間違いはない…はずだった。 さて、リーダーによほど運がないのか、あるいはよほど相手が悪すぎたのか。 あるいはその両方か。 もう1人の悪夢が既に、彼らを守るはずの城壁の上に立っていた。 一条静。 すらり、と腰の銀狼丸を抜く。 (…銀(しろがね)の叔父上様…) 柄を左手に握り、刀身に右掌を重ねて、今は亡き刀の鍛え手に語りかける。 (…ご安心下さい。静がきっとお守りいたします…) その刀は、彼女の守刀のはずだ。だが守ってくれ、と、少女は願わない。 守るのは自分だと、この少女は宣言する。 (…ですから、怖れず怯まず…静の導きます通りに…我が敵を撃ち払われますよう!) かっ、と静の目が開かれる。 「参る!」 城壁の上から一切の躊躇なく、静が跳んだ。 猛烈な雪と風の中を、しかし瞬きもせずに地面の敵を見つめたまま、一気に落下する。 その落下する静のそばに、ふわりと黒い僧服。 速水厚志。 その腕を、人間には決してあり得ない長さに伸ばして城壁にしがみつき、もう片手で静を抱える。 ぐん、と落下の勢いを殺しておいて、ほいっ、と静の身体を地面に放り出す。 「…うわ…!」 フールを包囲するはずの陣が一瞬動揺した。 包囲の陣のど真ん中、雪の降り積もる真っ白な地面に、静がすとん、膝をついて着地した。 す、と立つ。 右手に銀狼丸。 左手の指に飛爪。 ありふれたヘルム、女剣士のスカート姿。 敵の大半が呆然とその姿を見つめる中、我に返った一人のローグが矢を構える。 静の真後ろ。 (…誰かは知らないが、もらった…!) 無防備な背中を貫くのは簡単だ。大きな背中だから狙いやすい。 …大きな背中…? なぜ敵の背中がこんなに大きいのか、気づいた時には遅かった。 ぐしゃ! ローグの顔面に静の肘が食い込んでいた。 (こいつ…真後ろに跳んで…!?) その通り。 静は立ち上がった次の瞬間、ほぼノーモーションで真後ろに跳躍していた。 なぜか。 落下する空中で包囲の全員を観察し、そのローグの矢が一番、攻撃に移るのが速いと見たからだ。 だから最初に襲った。 背中を見せれば誰でも油断し、余裕を持つ。しかも背後から撃って、万一にも外せば大恥だ。だから念入りに狙う。 その結果、攻撃のタイミングは遅れる。静はまず、そこを突いた。 ローグの矢がむなしく、静の脇を掠めてあらぬ方向へ放たれる。 ごきん! さらに、仰向けに倒れたローグの顔面を、全体重を乗せた踵で頭蓋骨ごと踏み砕いた。 即死。 同時にローグの右側の僧侶が、首筋から血を噴いてのけぞる。 銀狼丸の一撃だ。 同時にローグの左側にいたモンクが、首を抑えてうずくまる。 飛爪の一撃だ。 一瞬で三人を戦闘不能にして、静はまたす、と立った。 余計な思考はすべて空白。 ただ感じている。 敵の視線。 自分を見つめる、敵の目。 『大陸のスキルには弱点がある』 静が動いた。 いや、動いたなどというお優しい動きではない。 例えるなら、雪の地面を這う稲妻。 ざ! ざざ! ざざざざざざざざざ!!!! ざ! ざ! 両足、両手、両肘、両膝。 踵。 額。 顎。 指。 身体のあらゆる箇所で地面を蹴り、あり得ないような複雑極まる軌道を描く。 だがデタラメな動きではない。 包囲の敵がまず、それを理解した。 「こいつ…! …狙えない…!? ターゲットできねえ!」 大したスキルもない女剣士の一人ぐらい、形もなく消し飛ばせるはずの強力なスキルを、その場の全員が持っている。 だが、そのスキルを発動させよう静を狙った時には、静はもう『そこにいない』。 ただ速いだけではない。速い敵なら慣れている。 「…避けられてる…!?」 「まさか…あ、い、いない!? どこだよ!?」 「馬鹿! 後ろだぁ!」 ざく。 騎士の胸板から刀身が生えた。 後ろから静に刺されたのだ。 「うわ!」 「よ、予測してんのか!?」 「そんな馬鹿な!?」 その通りだ。 静は予測などしていない。 ただ避けているだけだ。 何を? それは…『視線』だ。 『大陸のスキルは、目に頼り過ぎる』 天津の武芸者たちが見抜いた、スキルの弱点。 確かに威力は強力だが…それで敵を狙う時、大半の使い手はまず『目』に頼る。 見なければ使えない。 それが8割。 残り2割は見ずとも使えるが、それを『当てる』ための術がまだ未発達。 音。 空気の動き。 殺気。 気配。 特定の肉体感覚に頼らない『術』が、いまだ出来上がっていない。 威力が大きいゆえに、その精密な運用まで手が回っていない。 ゆえに『威』あれども、『武』にあらず。 静の耳に、師匠たちの言葉が蘇る。 一条静という天才の剣を磨くために、見剣の城に集められた達人たち。 彼らの全員が、闇夜だろうが目隠しだろうが、天井裏だろうが床下だろうが、手に取るように『観る』ことができる者ばかりだった。 静は彼らに囲まれ、その天賦の武術感覚をさらに研ぎすまし、磨き上げている 『見るな』。 『観ろ』。 その教えが今、静という天才の器の中で、真の輝きを放ち始めていた。 静の目は何も『見て』いない。 同時に、周囲の360度すべてを『観て』いる。 彼女の感覚から観ると、敵の視線はバレバレを通り越して『痛い』ほどだ。 現代風に言うなら『テレホンアタック』。 誰が、いつ、どこを、どう攻撃します、と事前に電話を入れてから撃つようなものである。 (ボウリングバッシュ…狙ってる…よね?) ひょい、と足をさばいてポイントをずらす。 それだけで、静を骨までバラバラにするはずのスキル攻撃は止まる。 だが、それらはまだマシである。 (…詠唱付きは…ホントひどい…) 詠唱付き、つまり『呪文の詠唱』を必要とするスキル使いは、静には腹立たしいほど未熟だ。 何せその連中ときたら、静を穴の空くほど見つめながら、馬鹿のようにこっち向きで口を開けて詠唱する。 (…せめて口を隠せ、未熟者…) そういう敵に対しては、飛爪を数個まとめて、詠唱している口の中に放り込んでやる。 飛爪を喰らった魔法使いがうめきながらしゃがみ込み、口の中の飛爪を地面に吐き出す。ズタズタに千切れた舌も一緒だ。 高速詠唱中に口の中に異物が入るとこうなる。 (…練度が低い…) 静の義母・一条巴ならば口元を隠し、仮面を被るなどして視線をかく乱するぐらいの心得は当然だった。 一国の妃として生活する今も、彼女が常に懐に詠唱隠しの仮面を所持していることを、身近な者たちなら知っている。 目に偏光レンズを入れて視線を、口元を覆って詠唱を、敵から隠すための『お面』だ。 武の国・瑞波に異国から嫁入りした彼女だけに、相応の苦労があったのだ。 (…こっち見るな、もう…) 斜め後ろからの視線が強くなったのを感じて、静がまたひょい、とポイントをずらす。 ついでに視線の方向に、振り向きもしないで銀狼丸を一振り。 ぎゃっ、と叫んでアサシンが一人倒れる。 姿を隠そうが気配を消そうが、襲いかかる時にはどうしても『見て』しまう。 それが限界。 静には既に、余裕さえあった。 「…しーちゃん…!」 静の背後から速水の声が届いた。その押し殺した声音が、良い知らせの訳はない。 静がゆっくりと声の方を振り向く。 速水が立っていた。周囲に数人の敵が打ち倒されている。 フールと静が時間差で敵を襲って敵の注意を引き、その隙に速水が…。 だが速水の腕の中にあるのは、オレンジ色の髪の『死体』。 『ビニット』。 速水が小さく首を振る。 蘇生不能。 そう伝えたいのだろう。 間に合わなかった。 そう伝えたいのだろう。 静は速水に小さくうなずき返すと、銀狼丸をぎゅっ、と握り直した。 怒りだの悲しみだのといった安っぽい感情は、今の静にはない。 静を動かしているのは、もっと重く、もっと熱く、そしてもっと純粋なものだ。 それを表す言葉はない。 だがただ一つ、それを表すことができる一対の黒い瞳が、彼女の敵を強く射抜いた。 そして、その場に居合わせた全員が、またあの幻を見る。 舞い散る雪が見せる、幻の羽根。 静の背中から羽化する如く、天空へ立ち上がる二枚の翼。 それはただの幻だ。 だが、それを見た全員が悟る。 …ああ、ここで死ぬのだ… 「…た、た、退却! 退却っ!!!」 その日二度目の絶叫が、ファルコンリーダーの口からほとばしる。 彼自身も、静の飛爪を右目に喰らっている。ヒールをかけてもらったものの、飛爪が眼窩深くに埋まっていて取れず、片目のままだ。こうなると外科的に飛爪を取り出さない限り、魔法や回復薬で傷を完全に治癒することは不可能。 リーダーの残った片目に、静の姿が焼き付く。遠くではフールが、ついに最後の敵を喰い尽くしたところだ。 恐らく彼は一生、この悪夢に悩まされることだろう。 「止めろ! 貴様が止めろ! いいな!」 リーダーは誰かに向けて叫ぶと、もう見栄も体裁もなく真っ先に蝶の羽を駆動させる。 リーダーの『逃走』に、他のメンバーも浮き足立った。今度こそ、部隊の全ての機能が消滅したのだ。 てんでにハエの羽根を、蝶の羽を使い、またワープポータルを出す者もいる。 静には十分すぎる隙。 狙うはワープポータルの転送円。 静の身体が稲妻と化して駆け出す。浮き足立った足止めスキルを避けるなど、今の静には雑作も無い。 だが、その静をも制止する敵が、まだ残っていた。 ざん! 雪の街の冷たい空気を切り裂き、地面から生える氷の槍。 氷閃槍。 王都の郊外でフールを止めた、あの忍術だ。 静の足元から、再び息をもつかせぬ槍の連撃が襲いかかる。 静の表情が引き締まった。 (…これは…こいつだけは違う…) 視線が読めない。いや、そもそも術者がどこにいるのか、静にさえすぐには見つけられない。 (手強い…!) 威力が低いのをいいことに、静は強引に氷の槍を突破しようとするが、その静のスピードさえ押さえ込むほどの連撃が地面から湧き出す。 ファルコンリーダーが「お前が止めろ」と命じた者。それがこの忍者なのだろう。 (…そこか!) ついに静が術者の位置を見破った。 (…川の…中…!) 察知した静の方が、逆に舌を巻いた。 忍者の隠れ場所。それは半ば凍り付いた川の、氷の下だ。 一体いつからそこにいたのか、常人なら数分で凍死するはずの場所で、その忍者は身を隠し、これだけの術を発動させつづけている。 恐るべき手練だった。 ファルコンリーダーの、おそらくは最後の切り札。 だが彼は自分の身を案ずる余り、その札を温存してしまったらしい。この最強の札をもっと早く場に出していれば、わずかでも戦況を変えることができたかもしれないのに。 だがいかに強力な札だろうが、切り時を誤った札はもはや、溺れる者が掴むワラと変わらない。 静が河に向けて突進しようとしたその時、だが状況が変わった。 凍った川の氷がばん、と割れ、その下から人影が飛び出したのだ。 一飛びで、静の間合いのわずか外に着地する。 静がまた、内心で感嘆した。 (…できる…!) 静が飛爪を飛ばし、次いで銀狼丸の一閃を送った。 挨拶代わりだ。 忍者は、身にまとったずぶ濡れの布を脱ぐと、ぶん、と振って飛爪を払い落とし、同時に横へ転がって静の太刀をかわす。直前まで氷の下に潜んでいたとは思えない体さばきだ。 濡れた髪が、降りしきる雪を裂く。 女。 あらわになった忍び装束の身体は引き締まり、暗い雪の空へ湯気を立ち上らせている。 静と、女忍者が対峙した。 女忍者の背後では、墜ちたファルコン達が逃走していく。 静は追わない。 いや追えない。 忍者が自ら、自分の姿を敵にさらす意味を、静は知っている。 本来忍術とは、敵を騙し、欺く技である。堂々と敵に対峙し、これと渡り合う技ではない。 だから、忍者があえてその道を選ぶ時、それは『技を捨てる時』だ。 忍者が技を捨てる時。 それは死ぬ時、いや『既に死んでいる』時なのだ。 「…瑞波の…一条静姫様と、お見受け致します」 何のつもりか、女忍者が話しかけてきた。風貌から見て静と同じ天津人らしいので、静を知っていてもおかしくはない。 が、どこか思い詰めたような声。 静は無言。 「…私の腹の中に、爆弾がございます。この間合いで爆破すれば、恐れながら御身様も道連れに…後ろの方が蘇生なさいましょうが…」 後ろの方とは速水のことだ。 「…ぶしつけではございますが、静姫様にお願いがございます…」 女忍者が突然、がば、と地面に土下座した。 「…御身様を害するつもりはございません。『一条の静姫様』相手に、到底勝てぬのも承知の上。この身一つ、爆破して散る所存…」 遠く、最後に残ったハイプリーストがこちらを見ている。雇った忍者が最後まで仕事を全うするか、それを確かめる役だ。 ここで女忍者が死んでも、仕事をやり遂げたと認められれば、彼女の属する忍群へ報酬が払われる。 が、もし認められない場合報酬が払われないのはもちろん、今後忍群への仕事の依頼も途絶えてしまう。 そうなれば彼女の家族を含む、忍群全体が餓えて消滅する。 自分が死ぬだけでは済まない、それが忍者の厳しい掟。その責任を背負って、彼女はここで静に対峙している。 だが願いとは? 「…このようなこと、お願いできた義理ではございませんが…。私が散りました後、できますれば蘇生をお願いしたく」 「はあ?」 静が思わず声を上げ、目を丸くする。 命乞い、ではないが、ほとんど命乞いに近い。そんな忍者など、静も初めて聞く。 「ご無礼は承知、恥も承知で申し上げまする…どうか! どうか蘇生を! …お供の方、姫様をお守り下さい!」 がば、と土下座から起こした顔。口にイクドラシルの葉をくわえている。蘇生魔法のアイテム。 女忍者が、そのまま後ろへ飛んだ 高い。 「キリエエレイソン!」 速水が女忍者の言葉に応じ、静の身体を包むバリアの呪文を飛ばして来る。 ぱん! むしろ間の抜けた音がして、女忍者の身体が弾けた。と同時に、周囲に鉄片の雨が降り注ぐ。雪を貫き、地面に深々と食い込む。 同時に静の身体を半透明のバリアーが、カンカンと鉄片を弾き返した。 爆破の威力は高くないが、この鉄片で殺傷力を増す爆弾らしい。 鉄片に続いて、ざぶ、と血の雨が降る。 気がつけば、監視のハイプリーストも消えていた。さすがの静も、もう追跡は不可能。 忍者は仕事を果たしたのだ。 「…」 無言で立ち尽くす静の足元にごろん、と何かが転がって来た。 首だ。 蘇生のアイテムを口にくわえた女忍者の、生首。 そもそも忍者とは、命を惜しむ職業ではない。まして敵だったのだから、何かをしてやる義理などどこにもない。 先刻、静が敵に同じ事を敵に願ったとしたら、嘲笑すら受けられないだろう。 …だが。 静はかがんで忍者の口から葉を取った。そして少し離れた場所に落ちた身体の方へ、生首をぽーんと蹴っとばす。 雑な扱いにもほどがあるが、情や哀れみでやっていることではない。静にしてみれば気まぐれもいいところなのだ。 だが強いて言うなら…生首になってまで彼女の所に転がって来た、その忍者の必死な表情が、近しい『誰か』を思い出させたからかもしれない。 安否の知れない、彼女の従者の事を。 さて首が飛んだ、身体が四散したとなれば、蘇生可能時間は極めて短い。扱いの雑さに反して、静の行動は素早かった。 千切れた四肢を器用につないで、イグドラシルの葉を起動させる。 時間はギリギリ…だが成功した。 「…がはっ…! げほ…!」 びくん、と忍者の身体が壊れたごとく痙攣する。今までバラバラ死体だったのだから、その程度の反動で済むなら安いものだろう。 静はそれを確認するともう興味を失ったようで、地面の奇麗な雪をすくうと銀狼丸を丁寧に清め、水気を拭き取って鞘に納める。 同じく雪で顔を洗い、手足の血を清める。が、衣服やらに付着した血まではぬぐいきれない。 それどころか、凄まじいまでの返り血だ。気の弱い人間が見たら、それだけで卒倒しそうである。 「…しーちゃん」 「…ん。ご苦労様、あっちゃん。フールも、無事でよかった」 いつのまにか、二人の若者も静のそばに来ていた。 速水の腕には『ビニット』が抱かれたままだ。 三人とも無言。 「…一条静姫様! あ、ありがとう存じました!」 静の背後で、女忍者が叫んだ。雪の中で、必死の土下座。 「天津は月根の国、風花忍群が一人、淡雪(あわゆき)と申します! このご恩は、いつか必ず! …御免っ!」 「…」 ふ、と、淡雪と名乗る忍者の姿が消えた。 静は応えず、振り向きもしない。代わりに、フールに歩み寄る。 「聞きたいことがあるわ」 魔剣をすべて仕舞い、ペコペコを降りたフールが、静と対峙する。 「…フール。一つだけ答えて。…『アレ』は…『何』…?」 「…」 「答えろ。あの『ビニット』…あれは何だ!? なぜ『中身が無い』!?」 静の、黒曜石の瞳に火が灯った。 「答えなさい、フール! あの『ビニット』は死んでいる。でも、それはあいつらに『殺されたから』じゃない! 元々、中身がなかったんだ! 香姉様ほどじゃないけど、私にだってそれくらいは分かる! コレは中身が無いのに動いてた! コレは何だ! そして…」 「『…ボクは何だ…?』」 吠える静の瞳を見つめながら、フールが呟いた。そしておもむろに自分のマントを脱いで積もった雪を払うと、速水から『ビニット』の身体を受け取り、マントで包んでやる。 無慈悲に魔剣を振るう時とは打って変わって、優しい手つきだった。 そして、再び静を見つめ返すと、フールは言った。 「…彼女は…『BOT』なんだ…」 「? ボット?」 静が目をぱちくりさせた。 知らない言葉だ。 「そう『BOT』。そして…ボクの、姉妹みたいなものさ…」 未知の言葉に戸惑う静に、フールが表情を変えずに答える。 「…全部、話すよ。…会ってほしい人もいる。でもその前に…」 フールが、マントにくるんだ『ビニット』を抱き直す。 「この子を葬ってやりたい。…いいかな?」 「…」 静はそれ以上追求せず、黙ってフールに協力した。速水もだ。 街を離れた林の中に、フールがバッシュの一閃で大穴を穿つ。 マントに包まれた遺体を降ろしたところで、静がす、と手を出し、彼女のヘアバンドを外す。少し血がついていた。 「…待ってる人がいるかもしれないから…ね」 遺品のつもりなのだろう。懐紙に包んで、ポシェットに仕舞う。 フールは何も言わず、荒っぽい墓穴に土を戻し、穴を埋めて行く。今はただの大剣に戻ったミステルティンがスコップの代わりだ。 速水がどこかから、一抱えもある石をうんうん言いながら運んできて、墓標の代わりに据えた。 「…速水クン、お祈り、頼めるかな」 「…うん。でも、ボクなんかのお祈りが効くとは思えないけど…」 「いいよ。頼む」 速水が慣れない手つきと口調で祈りを捧げた。 静のヘルムに雪がかかる。 フールの鎧も、うっすらと雪を乗せる。 速水の黒い僧服も、雪でまだらに染まっていく。 死者の魂を、神のいます天国に送る祈り。 だが、肝心の魂がない『死者』に、そもそもその祈りは意味があるのか。 安らかなれと願えど、誰が安らかになるというのか。 祈りが終わった。 「…行こ…?」 静が二人の若者を促し、速水がワープポータルを出す。真っ白な地面に描かれた転送円。 静にはそこから吹く風の匂いを感じる。 王都。 「…帰ろ…?」 三人の姿が転送円に消えた。 夜明けが近いが、雪はまだやまない。 名前も何も無い石の墓標も、ほどなく雪に埋まるだろう。 つづく。
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