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第五話「The Lost Songs」(1)
 永久飛空船「安全第一(Safety First)号」、通称「安一(ヤスイチ)号」。
 人と魔と神が入り乱れた聖戦を生き延び、現代まで残った「戦前種(オリジナル)」の機械で、完璧に稼働するものは決して多くない。
 まして人を乗せ、これほど安定した『飛行』ができるのは、今のところは恐らく『彼』しかいないだろう。。
 全長80メートル、全幅20メートル。
 巨大な葉巻型の機体を、後部のプロペラで駆動して空を行く姿は「飛行船」そのものだが、実は似ているのは姿だけだ。
 飛行船の本体がガスで満たされているのに対し、ヤスイチ号の内部は居住区を除き、すべて機械が詰まっている。だから、どちらかと言えばヤスイチ号は飛行船というよりも、「プロペラで動く葉巻型UFO」と言った方が良いかもしれない。
 実際、推進力こそ後部のプロペラから得ているが、浮力は未知の浮遊力場が使われているし、原動力も「無限に動く何か」ということ以外、現代では解析不能。伝承では強力な武装を含め、数々の超性能を誇ったとされているが…。
 今はプロペラで空を行くだけの、「安全第一」の名に恥じない悠々たる飛びっぷりである。
 海の上は雲もなく、穏やかそのもの。
 …なのだが、船内は時ならぬ「嵐」のまっただ中にあった。
 「駄目ったら駄目ですっ! 『香お姉様』はお疲れなんです! 皆出て行って下さいっ!」
 があー!  という女性の大声。
 『医務室』と表示のある部屋、その開け放たれたドアの中から、狭い廊下へ向って響いている。。
 「大体っ! アナタ達みたいな怪しい人達は信用できませんっ! 香お姉様に近寄らないで下さいっ!」
 どがん! とドア越しにすっ飛んで来たのは何と「ベッド」だ。
 「わ、わわわ! お、落ち着いて! ちょっと落ち着いておくんなよハナコちゃん! 船が、船が壊れるから!」
 狭い廊下で、飛んで来た「ベッド」を辛うじて避けたのは、クローバーと名乗るパラディンだ。
 今は鎧は脱ぎ、甲板服らしいツナギを着ているが、袖は肩から引きちぎってある。
 むき出しの逞しい両腕に刻まれた無数の傷が、『献身者(ディボーター)』として生きた歳月を、何より雄弁に物語る。
 仲間が受けたダメージを自分の身に転化し、仲間を守る『献身(ディボーション)』のスキルは、抜群の打たれ強さと体力を持つ者にだけ可能な捨て身の技だ。
 が、さすがの彼も、至近距離から飛んで来るベッドをまともに食らうのは勘弁、ということらしい。
 「駄目ですっ! 特にアナタっ! 海賊船長みたいで怪しすぎますっ!」
 「いやここ空だから。空賊って呼んでくれたほうが…わわわっ!」
 ずごん! と飛んで来たのは椅子。
 ベッドよりは小さくて軽いが、その分速度が乗っていてなかなかの威力である。
 「…困りましたわねえ…。船長さん…? これではらちが開きませんわ…?」
 床に落ちた椅子をひょい、と拾い上げ、少し離れた廊下に据えて悠然と腰掛けたのは、翠嶺と名乗った女教授である。
 「んなこと言ったってセンセ! あっしの言う事なんか聞いちゃくれませんぜあの子! おまけにこの怪力! センセこそ見てないでどうにかして下さいよ!」
 クローバーが盛大に文句をつけるが、翠嶺は困ったように首を傾げるだけだ。
 「どうにかしろと言われましても…。じゃ、そこの若い方、私の槍、持ってきていただけます?」
 「駄目え! 槍だめ槍っ! こら、お前らも素直に持ってくるんじゃないっ! センセに槍持たしちゃ駄目っ! …ったくもー! センセもセンセですよまったく…その…アレだ。人生の先輩として優しく説得とか、そーゆーので頼んますよひとつ!」
 「んんー? 難しい事をおっしゃるのねえ…」
 さて困った、という顔をしながらも、翠嶺がそーっと部屋の中に声をかける。
 「…あのー、『ハナコさん』? 確かにクローバー船長はとっても怪しげな組織の一員ですし、人相も大変怪しいですけど…」
 「うぉい! センセ!?」
 「話してみると意外に良いとこも…まあ…あるような…ないような…」
 「いやいやいやいや! 歯切れ悪すぎるよ! そこは言い切れよ! あああああもう!」
 クローバーが頭を抱える。
 そもそも、なぜこんな騒動になったのかと言えば…。

 香があの孤島の施設から『ヤスイチ号』に保護された直後、時間にして1時間ばかり遡る。
 香と共に救出された『ハナコ』と名乗る少女。
 肉体と魂を引き剥がされながらも、香の助けで元に戻ることができたあの少女もまた、ヤスイチ号の医務室に保護された。
 船内で目を覚ました少女だが、謎の現象のショックからか記憶があいまいな状態。
 ただ自分の名前「花子」と、もう一つの記憶だけが鮮明だった。
 「あ、貴女、アタシを助けてくれた人ですね! お、お姉様って呼ばせて下さいっ!」
 香の顔を見るなり自分のベッドから飛び出し、香のベッドに跳び上がって抱きついてきたのだ。
 これにはさすがの香も目を白黒。
 何せ、体格としてはハナコの方がよほど年上に見える。妹の静と同じぐらいの年齢だろうが、胸や腰は見事に発達し、背も高い。香と並べば、どう見ても香の方が妹にしか見えない。
 とはいえ、そこまではまだ平和だった。問題は、詳しい事情聴取をしようとクローバーが顔を見せた時に起きた。
 そのクローバーの顔を見たハナコが、
 「…出たな! 悪者っ!!」
 と暴れ出したのである。
 最初、数人の医療スタッフが彼女を取り押さえようとしたのだが(後遺症による精神混乱と判断した)、逆に全員がハナコに投げ飛ばされ、部屋の外に叩き出されてしまった。
 クローバーもハナコが振り回すベッドに阻まれて部屋に入れない始末で、今もってハナコのろう城状態が続いている、というわけだ。
 (…あの怪力…どうも魂を戻した時に、どっか少しズレちゃったのね…)
 香はベッドに半身を起こし、ハナコの暴れっぷりを『観戦』しながら、頬の辺りを指でぽりぽり。
 引き剥がされた魂をひっつかんで戻すという、考えてみれば奇跡みたいなことをやってのけたのだから、その程度の副作用、というか『オマケ』ですんだのはむしろ幸運と言える。
 が、やっぱり多少の責任を感じる香だ。
 しかもこのまま暴れ続ければ、ハナコの身体にどんな不具合が起きるか分からない。
 加えて、クローバーも翠嶺も、状況としては香達の『恩人』でもある。
 (…何とかしてあげないといけない…よね…?)
 ここにはいない、彼女の恋人に尋ねる。答えの分かりきった問い。
 「…ねえ、ハナコ…ちゃん?」
 「はいっ! お姉様! 大丈夫です! ハナコがちゃんとお守りいたしますから!」
 振り向いた勢いでキラッ! と音が聞こえそうな笑顔。
 (…誰かを思い出すと思ったら…綾姉様だ…)
 香は苦笑い。
 「…いえ、そうじゃなくてハナコちゃん。お腹減らない?」
 香にしては大声。外の廊下まで聞こえるように。
 「減りました! …って、いえ、大丈夫です! …あ…お姉様、ひょっとしてお腹減りましたか?」
 「うん。ペコペコ」
 「う…困りました…」
 ハナコが本当に困った顔で、ぐちゃぐちゃになった部屋を見回す。が、食べるモノは何もなさそうだ。
 「外の人に差し入れしてもらうのがいいと思うの」
 「…でも…何か毒とか入れられたら…」
 ハナコがためらう。もう一押し。
 「殺すつもりならとっくにやっているわ。それに、貴女が毒見をしてくれれば、私も安心だし…ね?」
 「そ、そうですね! よし! 外の怪しい奴ら! ご飯を持ってこいっ!」
 人間相手のコミュニケーション能力に、お世辞にも長けているとは言えない香にしては、なかなか上手くいった。
 まあハナコがかなりのお人好しだったことが主な要因だが…。
 ハナコの要求に対して、クローバーの了解があってから数分。
 ありあわせのパンやらビスケットやらに、たっぷりミルクを注いだピッチャーを添えた『食事』が運ばれて来た。
 運び手はヴィフ。クローバーの傍らにいた、あの男プリーストである。
 薄い赤髪にすらりとした体躯。よく見ればかなり整った顔をしており、給仕の様子もサマになっている。
 どうやらかなり良いトコの出らしい。
 「お待たせいたしました香姫様、ハナコさん。粗末なモノで申し訳ありませんが、お食事です」
 一礼して、いったん盆を香のベッドに置くと、部屋の隅でひっくり返っている小さなテーブルを持って来て、改めて盆を乗せる。
 ミルクをコップに注いでハナコに渡す動作も、なかなか優雅だ。
 『淑女扱い』されたハナコがちょっと赤くなる。が、慌てて怖い表情を作り、毒見のつもりかミルクを少しだけ飲む。
 …美味しかったらしい。
 直後にごくごくごくっ! と一気飲み。
 「おかわりはいかがですか?」
 「い、いただきますっ!」
 両手で差し出されるコップに、ヴィフがまたミルクを注ぐ。あくまで優雅。
 ごくごくごく…ご…く…
 最後の一滴を飲んだところで、ハナコの身体が『落ちた』。
 「…よっ…と」
 崩れ落ちるハナコの身体を、ヴィフが支える。同時に、ハナコの手から滑り落ちたコップを器用に受け止めた。
 ミルクに何か入っていたらしい。
 「…強い薬じゃないでしょうね?」
 『自分が仕組んだこと』だけに、責任を感じて訊ねる香に、ヴィフが微笑みながら片目をつぶる。
 「大丈夫、ただのハチミツとブランデーです。…疲れてたんでしょうね、一気に回ったみたいです」
 ハナコはヴィフの腕の中で、すーすーと健康的な寝息を立てている。
 「よーしよし! よくやったヴィフ! さすが良いとこの坊ちゃまは違うな!  最初っからオマエに頼んどけばこんなことには…やっぱアレか…『イケメン』ってヤツだからか…?」
 クローバーが喜んでいいのかどうか複雑な顔をしながら、廊下に転がっていたベッドをえんやこらと医務室に戻す。
 ハナコが寝かされ、一通りの片付けが終わった所で、翠嶺が椅子を持って入って来た。香のベッドの側に椅子を据えると、ぺたんと座る。
 「まあまあ、大変でしたわねえ」
 「…主にあっしがね…」
 「何かおっしゃいまして…? 船長さん?」
 「いえいえ。…改めてお食事をお持ちしますぜ、香姫様。…センセは?」
 「あら、では私は冷たいお茶を」
 ヴィフがかしこまって出て行く。
 「さて…っと。一条香さん? 改めて自己紹介しますね?」
 翠嶺が両手を膝の上に揃える。お行儀良くしているつもりらしい。
 「私は翠嶺。職業はプロフェッサー。魔法学校『セージキャッスル』創立者の一人で、永世名誉教授で、『放浪の賢者(グラン ローヴァ)』の資格も持ってます。貴女の義理のお母さん、冬待巴さんの先生でもありました。で…」
 少し言葉を切る。
 「『戦前種(オリジナル)』です。歳は正確に数えてないけど、千年以上…ですね」
 何でもない時と場所で聞けば突拍子も無い話だが、香は小さくうなずく。
 義母から聞いた話、そしてあの島での凄まじい戦闘を見た後では、むしろ当然とさえ思える。
 翠嶺の後を、クローバーが引き継いだ。
 「あっしはクローバーと申します。この飛空船『ヤスイチ号』の船長でして。…で、ルーンミッドガッツ王国に反抗するレジスタンスの幹部…とかもやってます。…あ、でも決して怪しい者じゃござんせんよ」
 「十分怪しいですわよねえ」
 翠嶺がころころと笑う。
 「あー、まあ…そうなんですかねえ…」
 翠嶺に悪意がないのは分かり切っているので、クローバーも頭をかくしかない。おどけた仕草に、香も少し微笑む。
 クローバー、確かに色々怪しい所はあるが、決して悪い人間ではないのは分かる。人にモノを押し付けない態度は、香にも好ましく映っていた。
 もっとも香の『目』には、また別なものも映るのだが…。
 「…さて香さん、まず貴女の事を聞かせいただけます? …なぜあそこにいらしたの?」
 隠す理由もない。
 香は、自分が移民船に乗り込んでから体験した事を全て話した。自分の異能、霊能力や分割思考のことも、セージキャッスル最高峰の頭脳である翠嶺相手では隠しても仕方ない。
 ただあの時、分割思考に割り込んで来た『謎の思考』のことだけは、なぜか語らなかった。
 隠した訳ではなく、言わない方が良い気がしたのだ。
 「…なるほど…。貴女が一条家のお姫様だってことを、連中は知らなかったのですねえ」
 「…知ってたらタダじゃ済まなかったでしょうなあ。いやよかった」
 翠嶺とクローバー、二人の言葉の裏に、
 『だって見た目だけじゃ、誰もお姫様だなんて思いませんよねえ』
 という響きを感じて、多少むっとする香である。が、実際その通りなので反論のしようはない。
 「…では、今度は私のお話を聞いて頂けるかしら…?」
 翠嶺が少し口元を引き締めて、香にたずねる。
 「…」
 香が小さくうなずく。
 「…ありがとう。まず…貴女がひどい目にあった、あの場所のことからね。…あれは『BOT工場』です」
 「…『BOT』?」
 香をして初めて聞く言葉だ。
 奇しくもそれと同じ言葉を、遥か遠いルティエの街で、妹の静がフールから聞いている。
 無論、香の霊感を持ってしても、そこまで知覚することは不可能だ。
 「そう、『BOT』。…人間の身体から魂を引き剥がした…『生きた人形』とでも言ったらいいかしら? あそこはそれを生産する施設なの」
 「…生産…何のために…?」
 「…色々、としか言いようがありませんわね」
 翠嶺が、長く垂らした『振り袖』をくるくると腕に巻き付ける。どうもそれが、考え事をする時の彼女の癖らしかった。
 「はぎ取った魂の代わりに『プログラム』と呼ばれるモノを入れれば、様々な『用途』に使えます。労働用に軍事用。…愛玩用…も、あると聞きますわ」
 香の脳裏に、『工場』で見たハナコの見事な裸身が思い出された。比べて自分の貧弱な身体も思い出すが…別な意味で少女人形のような美しさを持つ香にも『愛玩用の需要』はあるのだろう。
 さすがの香も胸が悪くなる。
 「ああいう工場がが世界のあちこちにあるのです。貴女が乗ったような移民船とか…巡礼団とか…そういうのを偽装して人を集めて…BOTを作っている」
 「…」
 「この船のクルーや私は、その連中と戦って、潰して回っているのですよ」
 翠嶺やクローバーが『あの島に工場がある』という情報を掴み、ヤスイチ号のステルス機能を使って島影に潜んで攻撃のチャンスをうかがっていたところ、追われている香を発見して助けた、という流れであるらしい。
 「…ありがとう」
 「どういたしまして。…といっても貴女を助けたのはあくまで『偶然』なのよ? 結局は貴女自身の幸運、という事でしょう」
 翠嶺が優しく微笑む。別に多大な恩を着せるつもりはない、という意思表示だ。
 「…そして、ここからは『私』の話です」
 翠嶺が、腕に巻き付けていた『振り袖』をするするとほどいた。
 「…私の弟子が2人、あの連中に連れ去られました。昨年の事です」
 優しく、人を安心させるその声音はそのまま。
 だが癒せない深い傷を、そして狂おしいほどの苦悩を抱えた人間の声は、このように響くのか。
 「双子の男の子なの。私の…大切な友人の忘れ形見。…必ず無事に育てると…約束したのに…」
 翠嶺がその両手で、自分の顔を覆った。
 泣いているわけではない。
 むしろ泣かないためにそうしている。
 胸を掻きむしられるような焦燥に、自分が崩れ去ってしまわないように、彼女はそうしている。

 『戦前種(オリジナル)』
 先の聖戦を戦い、その際に与えられた超絶的な『性能』のままに現代まで生き残った者たち。
 その1人である翠嶺には、パートナーがいた。
 同じ『戦前種』である、女パラディン。
 『風の守歌』とあだ名された、聖歌の歌い手。
 彼女たちは実の姉妹の様にお互いを想いながら、現代までの気の遠くなるような長い年月を共に過ごした。
 だがある時、そのパラディンが人間の男と恋に落ちた。
 そしてその愛を貫くために『戦前種』としての力と寿命を捨て、その男の妻となり、子供を産んだ。
 男は、アナベルツの田舎にある小さな町の領主。緑の森と、青い湖と、鮮やかな山々に抱かれた小さな、小さな町。
 「貴女の名前のような町よ。翠嶺」
 彼女は幸せそうに、そう便りをくれた。
 しかし。
 「…近くの、別の領主の奇襲を受けてね…。そいつは『彼女』が目当てだったのよ。美しくて聡明な…珍しい小鳥でも欲しがるみたいに」
 翠嶺が、辛い思い出を絞り出す。
 「急を聞いて私が駆けつけた時には既に、彼女たちの小さな城は落城寸前だった。大急ぎで敵を蹴散らして…城内に踏み込んだ時には、彼女も、彼女の夫も、もう…」
 まだほんの幼児だった双子の息子たちを守って、彼女は息絶えていた。
 蘇生限界時間もとうに過ぎたその身体の下に、息子たちはずっと抱かれていた。
 戦前種としての力は失われていたが、1人の妻として、母として、彼女は戦って果てたのだ。
 後に翠嶺が聞いた話では、その死の寸前まで彼らの城には、彼女の歌う聖歌が響き続けていたという。
 『風の守歌』。
 その歌を聴く味方に、絶大な支援効果をもたらすスキル『ゴスペル』。彼女のその歌がなければ落城はもっと早かっただろう、と、誰もが口にした。
 姉とも妹とも想う人を失った翠嶺には、何の慰めにもならない話。
 が、しかし確かにその歌の力で、彼女の2人の息子は生き残った。
 翠嶺は2人を連れて町を落ち延びる。そしてそれ以来、旅の空の下でずっと母として、また師として慈しみ、育ててきた。
 それをまたも失う事になれば…。
 
 「…その子達…私の弟子達の名前は…」
 翠嶺がそこまで言った時だった。
 香の声が、それをさえぎった。
 「1人は『エンジュ』、もう1人は『ヒイラギ』。透明に近い銀髪と、ブルーの目の双子、ね」
 「!?」
 翠嶺の目がまん丸になった。
 (…『先生』にこんな顔させたと言ったら、お義母様は誉めてくれるかな…?)
 香が一瞬、そんな事を考えたほど、それは無防備な表情。
 「その子達のお母さん、貴女の元パートナーは…『瑠璃花(ルリハナ)』」
 翠嶺の表情がそのまま固まっている。代わりに隣のクローバーが、
 「あの…姫様?…その皆様を…ご存知なんで…?」
 これも驚いた声で訊ねるが、香は首を横に振る。
 「全然知らない…いえ、『知らなかった』」
 「じゃ…なんでまた…?」
 その問いに対する香の答えが、部屋の中の空気を一変させる。
 「『本人達』から聞いたの」
 「!?」
 「そこにいるわ。貴女の…右後ろ」
 今度こそ本当に血相を変えた翠嶺とクローバーが、同時に後ろを振り向く。
 が、当然と言うか何も見えない。
 びきっ、と翠嶺の雰囲気が一変する。あの槍を持った時の、鋭く激しい瞳。
 「…貴様…いい加減な事を言うと許さんぞ!」
 しなやかな腕が電光と化して奔り、香の胸ぐらを掴み上げる。
 どうやら槍を持たなくても、何かの拍子に性格がひっくり返るらしい。
 「せ、センセー! 落ち着きなすって! 手荒なマネはいけやせん!」
 クローバーが大慌てで仲裁に入るが、香は特に抵抗もせず、また表情も動かさない。
 「…信じられない?」
 逆に、翠嶺の瞳を真っ直ぐに見返しながら聞き返す。
 「…私には何も見えん。何か証拠でも…」
 「…寝起きがもの凄く悪い」
 香がいきなり言った。言われた翠嶺の顔に疑問符。
 「…何?」
 「…無理に起こしたりするとひどい目に遭う上に、その日一日機嫌が悪くなるので余計に大変」
 「…あ、あら?」
 翠嶺の瞳からすとん、と鋭さが抜ける。ついでに香の胸ぐらもぽい、と離してしまう。
 「あと、料理の時には決して刃物を持たせないこと。人格が変わっちゃうと、何もかもミンチにしちゃうから」
 「あらあら…?」
 「万事に忘れ物、うっかり多し。過去には旅のテントごと忘れたことも。野宿の後には指差し確認励行」
 翠嶺が真っ赤になった。
 「あ、あらあらあら…? 香さん…それ…誰に…」
 「だからそこにいる、エンジュとヒイラギ」
 「…!?」
 腰を浮かせていた翠嶺がすとん、と椅子に落ちた。
 「…どーりで…。センセの寝起きの悪いのは元々ですかい…」
 どうも実際に被害に遭ったらしいクローバーが顔をしかめる。
 「…『あれは夜ばいかけようとした船長が悪い』、って、エンジュとヒイラギが」
 「…夜ばい?」
 香の解説に、翠嶺がきょとんとする。
 慌てたのはクローバーだ。
 「ええええ?! 違う、違いますってセンセー! 夜ばい違う夜ばい! 朝起きて来ないから起こしに行っただけですって!」
 「あー、あの時は失礼致しました船長さん。つい半殺しに…」
 「…もー、二度とセンセー起こしにゃ行きません…」
 よっぽどひどい目に遭ったらしい。
 「…ええ…? でもそれって本当に…? 本当に…エンジュとヒイラギ?」
 香の方に身を乗り出した翠嶺が、可哀想なほどにうろたえる。
 「信じてくれた?」
 「う…え…ええ。分かった…分かりました、信じます。…でも…それって…まさか…」
 「違う。2人は死んではいない。…大丈夫」
 (…?)
 言ってから、香の頭に疑問譜が浮かんだ。自分の発した言葉に、自分が疑問符。
 最後の一言。自分は確かに『大丈夫』と言った。
 翠嶺を安心させるためだ。
 だが、他人にそんな気遣いをする人間だっただろうか、自分は? 無代と家族以外の人間に?
 しかし、翠嶺は確かにほっとしたようだ。
 「死んでない…? 本当に…?」
 「ええ。確かに」
 香は深くうなずくと、無意識に少しだけ微笑んでみせた。
 翠嶺を安心させるために。
 慣れない、不器用な笑みで。
 「確かに、そこに2人の『魂』がいるけれど、それは『死霊』じゃない。『生霊』、ってことになるのかしら…とにかく、身体はまだ生きてる」
 ふう…と、翠嶺の身体から力が抜ける。
 「…そう…よかった…よかった…」
 見えない双子を探すように視線をさまよわせ、同じ言葉を繰り返す翠嶺。
 「…『心配かけてごめんなさい、先生』ですって」
 香が『通訳』する。
 「…いい。…そんなことはどうでもいいの。…生きて…こうして手がかりが見つかったなら…」
 翠嶺が深いため息と一緒に言葉を吐き出す。
 「それで、あの子達の身体はどこに?」
 ぐいっ、と顔を上げる。表情に力が戻ってくる。
 「『分からない』って。『天津行きの船の中で気を失って、気がついたら身体を失ったまま先生の側にいた。それからずっとここにいる』そうよ」
 香の通訳に、翠嶺が唇を噛む。
 「…アルベルタでどうしても外せない用事があって…2人を先に船に乗せたの…あんなことをしなければ…」
 何度も何度も繰り返した後悔の言葉なのだろう。血の出るほど噛み締めた唇に、後悔の深さが映る。
 「センセ、苦労されましたもんね。でもよかったじゃないすか」
 クローバーが、精一杯優しい声を出す。
 双子と翠嶺が、アルベルタで別れた後。
 双子を乗せた船は天津に着いたものの、船内に2人はいなかった。
 2人の行方を探しに来た翠嶺が船員に詰め寄ったが、船員は「そんな子供は最初から乗っていない」の一点張り。
 一人、双子の捜査を始めた翠嶺。
 一方、クローバーたちはその船が、『BOT工場への人集め船』だと突き止め、行方を追っていた。
 翠嶺とクローバー。同じ敵を追う二者が必然的な遭遇を経て、協力することになったのだという。
 その後、いくつかのBOT工場を発見して破壊したものの、双子は発見できなかった。
 「一年近く探し回って…それがまさか、私の側にいたなんて…ね」
 翠嶺が苦笑するが、本当の意味での苦さはない。根底には安心があるようだ。
 「…でも、身体から引き剥がされた魂は、数時間と持たずに消えてしまうはず…そうよね?」
 翠嶺の質問に、香は小さくうなずく。
 「…そこが不思議なんだけれど…翠嶺…先生?」
 「…『先生』でいいですよ? 何でしょう?」
 翠嶺が香の方に身を乗り出す。
 「…歌が聴こえる」
 「歌…?」
 香の言葉に、翠嶺が微かに首を傾げる。
 「そう、歌。多分…ゴスペル。エンジュとヒイラギ、双子の魂を包むように…ずっと」
 「…?! それ…って…まさか…?!」
 「…ええ。この子達のお母さんの…『瑠璃花』さんの歌、だと思う」
 翠嶺の、知性と品の良さを決して失わない表情がぐらり、と揺らいだ。
 「本来なら、身体から引き剥がされてすぐ消えるはずの魂を、その歌が守っている。ゴスペルにそんな効果があるなんて知らなかったけれど…『奇跡』を起こす歌ならばあり得るのかも」
 「…ええ…きっとそう…あの子の、瑠璃花の歌はいつも『奇跡』を起こした…ホントに…『守歌』そのものね…」
 翠嶺が、組んだ両手を額にあててうつむいた。肘は膝の上。
 香はその姿から目線を外すと、部屋の隅に椅子を移して座っていたクローバーの方に顔を向け、
 「…クローバー船長。私もお茶が欲しい。…うんと熱いのを」
 「…合点かしこまりました、香姫様」
 ヴィフのように優雅でこそないが、頼もしく一礼してクローバーが部屋を出て行く。
 ドアが閉まった。
 静けさの中で、香は言葉を続ける。
 「…双子の身体も、ならばこの歌が守っている可能性が高い。BOTにされても、プログラムとやらに身体を侵されないように」
 「…ん…」
 「…大丈夫。きっとまた、貴女の胸の中に抱きしめる日が来る」
 翠嶺にそう言ってしまってから、香はまた悩んだ。
 おかしい。
 こんな言い方は自分の、一条香のものではない…これはまるで『あの人』のようではないか。
 もう半年も会っていない、無代の笑顔が浮かぶ。
 そんな香の思考の最中、医務室の窓のシールドが突然、微かな作動音と共にゆっくりと開いた。
 磨き抜かれた窓ガラスの向こうには、雲一つない空と、どこまでも続く海。
 そこに沈んでゆく夕日。
 香は誘われるように、自然にそちらに視線を向ける。
 …いや、本当に誘われたのかもしれない。
 香の背後で、翠嶺の気配がする。
 が、香はそちらを見ることなく、しばらく夕日を眺めていた。
 「…ありがう。…もう大丈夫です」
 その声を聞いて初めて、香は視線を戻す。
 千年を超える時を生きた『戦前種』は、まだ少し目が赤かったが、もう元の知性と気品を併せ持った表情に戻っている。
 「…確認させて、一条香さん。子供達の…双子の身体を見つけたら、貴女は彼の魂を元に戻せますか?」
 「戻せる」
 香ははっきりと答えた。
 「一度自分で体験して、彼女で実践した。経験はそれで十分」
 香は隣のベッドで眠るハナコをちらりと見る。
 「…ただし、戻す時のわずかなズレで、何らかの不具合が残る可能性はある。彼女のように筋力のリミッターが外れるとか…特定感覚器官の麻痺。例えば…」
 香は少し考え、
 「例えば、『痛みを感じなくなる』とか…」
 「ああ」
 翠嶺が苦笑し、ついで表情を硬くする。
 「彼を…子供達を助けてくれるなら、よほどの事でない限り問題ない。あの子達の身体が連中に汚されて…魂が消えて…私が1人ぼっちになることを思えば…ね」
 香が小さくうなずき、そしてまた『なぜうなずいたのか』悩む。
 他人の事を気遣ったり、他人と心を通わせるような…『情』とでも言うべきものを、自分が表現している事が信じられない。思わず自分に問いかけてしまう。
 (…全器官に質問。『一条香』に変調はあるか?)
 (否定的)
 (なし)
 (特段の変調はない)
 体内諸機関から、一斉に否定のアナウンス。
 (だが、『一条香』の行動に変化がある。それは認めるか?)
 (変化はあるが、変調ではない)
 かなり断定的なニュアンスで応えたのは『子宮』。
 (変調ではなく、成長、進化と捉えるべきだ)
 (…成長…?)
 (当たり前でしょ? 家族と無代以外の人間と、まともに喋るの初めてなんだから。そりゃ成長もするわよ)
 呆れたような思考をぶつけられて、香はますます困惑する。
 見えざるものを見、触れ得ないものに触れる力。
 母からその力を受け継いだ彼女が、自分を守るために作り上げた『無関心』の鎧。
 最初にそれを砕いたのは無代だった。
 そして今、この飛空船の中でまた、その鎧が剥がれ落ちそうになっている。
 (…なぜ…?)
 (…どうして今、ここでなの…?)
 その答えを香が知るのは、もう少しだけ後のことになる。
中の人 | 第五話「The Lost Songs」 | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第五話「The Lost Songs」(2)
 「お待たせいたしましたぜー!」
 クローバーが、 お茶を乗せた盆を抱えたヴィフを従えて帰って来た。
 ヴィフの給仕で、時ならぬお茶会となった。
 香が『本当は苦 手な』熱いお茶をフーフーいいながら喫し、しばし和やかな空気が流れる。
 クローバーが、ヤスイチ号のことを話してくれた。
 彼はかつて、 ルーンミッドガッツ王国の軍人だったのだが、ある作戦でジュピロスの遺跡付近を調査中に、地中に埋まっていたこの船を発見したのだと言う。
 「王国の命令 でコイツを調べて…動かし方を研究して…でも、途中で怖くなっちまいましてねえ」
 クローバーが少し苦く笑う。
 「この『アグネ ア』…あ、このヤスイチ号のホントの名前なんですがね。…本気出したらマジでヤバいってことが分かってきまして…。コイツの『使い方』を完全に解析しち まったら、ホントに世界を滅ぼせちまうってね。で、こんなもの、王国の好きにさせちゃいかんと」
 その思いから単独で『アグネア』を盗み出し、 行方をくらましたのだという。
 そして、ルーンミッドガッツ王国へのレジスタンス組織に加わることになる。
 「なにせ王国 ときたら今の世界の中じゃ、軍事力も経済力もずば抜けてますんで。その辺の小国をどんどん属国化してるんです…。事実上『滅ぼされたも同然』の国やら、貴 族達も多くて。ウチにゃ、そういう恨みのある連中が集まってましてね…このヴィフの家もその一つなんですぜ」
 クローバーが ヴィフを親指で指す。
 その目の優しさが、まるで歳の離れた弟か、息子を見るようだと香は思う。
 「…僕の両親は 貴族だったんです。今で言うアルデバランの北の方が領地でした」
 クローバーの言葉を受けたヴィフが、身の上話を聞かせてくれる。
 「でもボクが子 供の頃に父の弟、つまり僕の叔父が反乱を起こしたんです」
 それは、表向きは『革命』だった。
 ヴィフの父は処刑され、何とか助かったヴィフ と彼の母はアルベルタの親戚の家で、ずっとかくまわれて生活することになる。
 「…後に、反乱を起こした叔父の後ろに、ルーンミッドガッツ王国が いるってわかって…」
 「…ジュノーへの足がかりとして、あの地域が欲しかったんでしょうなあ。今もそこはヴィフの叔父が領有してますが事実 上、王国の傀儡ですわ」
 正直、香には興味の無い話だ。
 が、お茶をすすりながら黙って聞く。
 「いつか王国を倒して、あの故郷を取り戻す のが僕の…母の夢なんです」
 そう語るヴィフだが、しかしその姿はどうにも優しげで、『戦士』の面影は薄い。
 戦場の鉄火場よ りも、陽の当るテラスか庭園で、お茶を片手に詩集でも読んでいるのが似合いそうだ。
 「でも治療師なんで…自分で戦うことはできないんですけど ね」
 そう言って頭をかく。
 身体の弱い母のために、治療専門のプリーストになったのだという。猛々しさよりも、やはり 優しさのイメージが大きい。
 「『BOT』を作ってる連中の後ろにも『王国』がいます。間違いない。だから、私は船長達に協力しているのですよ。 『客分』としてね?」
 翠嶺の説明に、クローバーが苦笑いする。
 「センセはまあ、どっちかってーと『用心棒』って感じですがねえ。 おかげさんで白兵戦じゃ負け知らずだ」
 「あらあら」
 翠嶺がまんざらでもない顔で笑う。
 「…それにして も香さん、魂を掴んで身体に戻すなんて、物凄い心霊能力よね…。…ひょっとしてその力…」
 翠嶺が自分の茶を盆に戻しながら、ふ、と何か に気づいたように、

 「…まさか『鬼道』…?」

 その言葉が翠嶺の口から発せられた次の瞬間だった。
 「!」
 香の手刀が、 『香自身の喉』へ向って閃いた。
 自殺行為。
 あっ、となった翠嶺がその手刀を止めようと、香を上回る速度で手を 出す。
 が、これこそが罠だった。
 手刀がいきなり方向を転じる。
 不用意に香の方へ身を乗り出した翠嶺の、その 喉へ。
 狙い澄ました香の手刀が、飛んだ。



 時刻は早朝…というよりもまだ未明。
 ルーンミッドガッツ王国首都プロンテラ。その王宮内。
 ただでも迷宮のようなその建物の、さらに奥深くにその部屋はあった。
 壁に掛けられた大きなタペストリーだけが目立つ部屋。
 タペストリーの絵柄は定番の『竜』。
 だが、それはただの竜ではない。
 『九つの頭』と『九つの尾』を持つ異様な竜。
 しかも、九つの頭がそれぞれ一本ずつ、九本の尾をくわえているという構図が、異様さを妖気のレベルにまで増幅している。

 『九頭九尾円環竜(ナインヘッズ・アンド・ナインテールズ・ウロボロス)』

 その名を知るものすら一握りという、謎めいた紋章。
 他に一切の飾りはなく、ただ中央に巨大なテーブルが置かれ、その周囲に20人ほどが着席している。
 さらに着席した20人の後ろにはそれぞれ一人ずつ、副官らしい人影が直立不動で控えていた。
 計40人。その全員が鎧、あるいは軍服姿。大半が男性、女性は数人。
 一人を除いて、いずれも若い。
 「…と、まあ昨夜の作戦は『惨憺たる有様』だったわけだが…」
 テーブルの上座を一人で占領した唯一の壮年男性が、ため息まじりに口を開いた。この男の後ろにだけは副官がいない。
 『クルト』。
 昨夜のプロンテラで、そう呼ばれていたパラディンだ。
 あの『マグダレーナ』と呼ばれていた女性の姿は見えない。今は彼が、この部屋の主であり責任者であるらしい。
 「…イーグルチームはランドクリス1体に半数の兵を失い、かつ自力では抑えきれず、マグダレーナ様の手を煩わせるハメになった」
 40人以上の人間がいるにもかかわらず、しん、と静まり返った室内に、クルトの厳しい声が響く。
  「…ファルコンチームに至っては、正体不明の敵3名…わずか3名にルティエの臨時ベースまで追撃され、部隊の9割を失った。…もはや部隊の再編すら不可能なダメージ だ。しかも『BOT』の殺害には成功したものの死体は奪われた。カプラ社への示威行為として死体を晒すこともできん」
  クルトは言葉を切ると、自分の正面、巨大なテーブルの反対の端に座った二人に、まっすぐ視線を向けて訊ねる。
 「イーグルリーダー、ファルコンリー ダー。両名とも以上の件について、何か言う事があるか?」
 問われた2人の男、クルトを上座とするなら、末座に座った男達がそれぞれに反応する。
 「…何もありません、大佐殿」
 一人の男がはっきりと、しかし沈んだ声で答えた。
 「…部隊の被害については申し開きできませんが…」
 もう一人が『片方の目』をクルトに向ける。
 「…ワープポータルを越えて追撃された事に関しては予想外の事態です。通常考えられない事で…部隊の情報が漏れていた可能性があります。内通者の調査を…」
 やや上ずった調子で反論する男は、片目を包帯で覆っている。話の内容、そしてその目の傷からみてこれが昨夜、静達と戦った『ファルコンリーダー』。
 片目の傷は静の『飛爪』を喰らった痕だ。
 「待ちたまえ、ファルコンリーダー」
 別な一人の男が彼の言葉を遮った。
 クルトを除けば最も上座に座った男だ。
 見事な金髪を奇麗にセットし、いささか冷たさを感じるほど整った顔。無代なら『生粋のプロンテラ人、それもかなり高位の貴族』と即座に分析しただろう、完璧な王国語。
 「…何か…? コンドルリーダー?」
 『ファルコンリーダー』が恐る恐る、といった感じで応える。明らかにこの『コンドルリーダー』を怖れている。
 下手をすると、部屋のトップであるクルト以上に。
 「…『ワープポータルを越えての追跡』が予想外の事態? キミはそう言うのか?」
 「…は…?」
 『ファルコン』の顔が不審に歪む。
 が、『コンドル』は頓着しない。
 「…その『予想される事態』については先月、『タートルリーダー』がレポートを提出しているよ。対抗策も一緒にね。…ちなみに我がコンドルチームでは既に、その対抗策を取り入れている。他のチームもほとんどやっているんじゃないかな?」
 そう言って室内を見回す『コンドル』に、集まった面々から否定の色はない。
 「…え?」
 『ファルコン』の、半分が包帯に覆われた顔が驚愕に歪んだ。
 「…だったね、タートルリーダー?」
 「…その通りだ」
 『コンドル』から振られた言葉を受けたのは…。
 詰めれば二人は座れそうなスペースを一人で占領した、漆黒の鎧姿の巨大な男。
 長く伸ばした黒髪を後ろで太い三つ編み。
 くっきりと太い眉の下に、眦の切れ上がった鋭い目。
 そして『意志の塊』を思わせる唇。
 甘さの欠片も無い、だが見る者の目を引きつけてやまない、恐ろしいほどの『漢っぷり』。
 その体躯は五年前に比べても優にふた回りは成長している。
 戦士としての身体をほぼ完成させ、いよいよ『男』としての完成を見据えるところまで来た。

 『一条流』。その二十二歳の姿である。

 座る位置はかなり下座…だが、上座の『コンドル』に匹敵する存在感と注目を集めつつ、ゆっくりと口を開く。
 「ある種の…そう、環境に対して突出した感覚を持つ人間には、ワープポータルでつながった先の匂いや音から、その行き先を特定できる者が実在する。彼らの追撃を防ぐには…」
 流の落ち着いた解説を、『コンドル』が引き継ぐ。
 「…いったん、目的地とは別な場所、『中継地』に転送し、しかる後に目的地に転送する。これで『匂い』による追跡をかなりかく乱できる」
 掌をテーブルに滑らせ、架空の戦略図を描くのが様になっている。
 「中継地としては『匂いが強い』、あるいは『風が強い場所』、つまり海岸などが適地である。ウチ…コンドルチームはイズルードの郊外を中継地にしてるよ」
 両手の掌を上に向け、流の方に広げて見せる。
 「それで問題はなかろう、コンドルリーダー」
 流が軽くうなずく。
 「実際には、出発、中継、目的の三地点において『匂い』が類似する場所を選ぶのが理想だが…。そもそも匂いを感知できる人員が少ないので現実的ではない。よって、より強い匂いでかく乱するのが現時点ではベターと言える」
 流が淡々と解説する…が、その内容たるや自分の婚約者、つまり静がモデルなのだから世話はない。
 もし無代が聞いていたならば「…お前、自分の嫁をダシにすんなよ」と突っ込んでいるに違いない。
 だが、そんな事を知る由もない『ファルコン』の顔色はもう青を通り越して白い。自分がそのレポートを読んですらいないことを、自ら暴露したも同然なのだから当然だろう。
 それまで黙っていたクルトが、そこでやっと口を開いた。
 「『ミス』は誰にでもある…が、『怠慢』はそうではない。そうだな? ファルコンリーダー?」
 「…は…」
 『ファルコン』の返事はもう、消え入るばかりだ。
 「処分、及び今後の処遇については追って伝える。以上だ。解散」
 ざ、と全員が立ち上がり、クルトに敬礼。
 クルトも敬礼を返し、
 「タートルリーダー。貴様は残れ」
 「イエス・サー」
 流がよどみなく応え、再び着席するのへ小さくうなずく。
 集まっていた40人の大半がぞろぞろと部屋を出て行く。その途中、ほとんどの者が通りすがりに流の肩を叩いていくのが面白い。顔を近づけて一声かけていく者もいる。
 理由は…流が部屋に残された事に対するものだ。
 (ファルコン・イーグル両チームの残存兵の併合と…『タートル』のアタックチームへの昇格が決定したのだろう)
 それが全員の共通認識だ。
 (タートルリーダーの実力と、これまでの戦果からみても当然)
 だから祝福の空気がある。
 最後に『コンドル』が流の側で立ち止まり、これは肩を叩く代わりに拳を出して来た。
 流はその拳を自分の拳でこつん、と叩き落とす。拳を合わせるのではなく、鎚を振るうように上から下へ撃ち落としたのだ。
 コンドルはちょっと驚いたようだったが、すぐにニヤリと笑って、最後に部屋を出て行った。
 拳を合わせなかったことに大きな意味はない。ただ、自分が拳を合わせる友は一人だけ、と決めているだけだ。
 この男のそういう頑なところは、5年経っても変わらないらしい。
 『コンドル』の後ろでドアが閉まると、クルトが立ち上がった。
 「タートルリーダー、ついて来い。副官もだ」
 「イエス・サー」
 流も立ち上がり、後ろを振り返る。
 「ユーク、来い」
 「い、イエス・リーダー!」
 ずっと流の後ろに控えていた若者が、緊張の面持ちで答えた。
 「固くなるな。オレの訊いた事にだけ答えていればいい」
 「はい…リーダ−!」
 流の大きな手で肩を叩かれ、若者が真っ赤になった。
 『ユークレーズ・スヴェニア』。
 それが彼の名前だが、流は『ユーク』の愛称で呼ぶ。職業はプリースト。
 シルバーブロンドの頭髪の下、その容貌にはまだ少年の面影が強く残り、体つきからも少年っぽさが抜けていない。
 流の並外れた巨躯の側にいると、正直、子供のようだ。実際、年齢も十六歳と『副官』としては異例の若さである。
 ユークを従えた流が側に来るのを待って、クルトが壁の一角を操作した。
 がこん、といういかにもな音がして、壁の一角がぽかりと開く。
 隠し扉。三人がくぐった先は庭園。
 ようやく朝の光が差し込み始めた、その緑豊かな庭園に建つ瀟洒な東屋が目的地だった。
 「ご苦労、クルト。良く来たね、流」
 東屋で彼らを迎えたのは『マグダレーナ』だった。
 昨夜、凄まじい破壊力を見せつけた時とは違い、今はその雰囲気は柔らかく、威厳の中にも優しさが感じられる。
 「空腹だろう? 朝食を用意したから、まあお座り」
 マグダレーナ、クルト、流がそれぞれテーブルを囲む。
 ユークの席もあったが、彼はそれを固辞すると、先ほどと同じく流の後ろに控えた。その方が落ち着く…というよりは、このメンバーと同じテーブルにつく『度胸』がまだ足りないと言った方が正しいだろう。
 だが、ユークの気が小さい、と思うのは早計である。
 なにせマグダレーナの後ろには、6人の『将軍』が直立不動で控えているのだ。
 「春」「夏」「秋」「冬」に、「夏至」と「冬至」を加えた6将軍は、ルーンミッドガッツ王国首都防衛軍を構成する、いわば『要』。いずれも屈強の、実力も経験も十二分に積んだ本物の武人ぞろいである。
 それが揃って突っ立っている。
 だから、本来ならば大佐であるクルトが、まして流やユークが着席し、その上食事をするなど考えられない。正直、将軍達の内心がどんなものであるか、想像すると少々恐ろしい。
 それもこれも、すべてはマグダレーナが許しているからできることだ。これだけ見ても、彼女の持つ有形無形の『力』が半端ではないことを感じていただけるだろう。
 緊張の余りか、ユークのぎゅっと結んだ唇には血の気が薄い。
 流が給仕の女性(それは昨夜『月影魔女』を名乗って戦ったあの女達だった)にホットミルクをもらうと、マグカップごとユークに渡してやる。
 顔を赤くしたユークが、立ったまま恐縮してそれを受け取るのを見て、マグダレーナがくすりと笑った。
 確かに微笑ましいとさえ言える光景だったが、彼女が笑ったのには別な理由がある。
 その理由は、後に記そう。
 テーブルに並べられた料理を一通り味わった所で、マグダレーナが口を開いた。
 「…さて流や。昨夜は見事な活躍ぶりだったらしいね」
 「ありがとうございます、マム。…しかし時間がかかりすぎました。まだまだです」
 「時間がかかったのは貴様のせいではなかろう」
 クルトが口を挟む。
 「『イーグル』が単独で突出せず、貴様のチームと連携していれば、殲滅はもっと速かったはずだ」
 「…」
 流は反論しない。実際、主な火力を強行偵察チームの『ロビン』と、首都の冒険者達に頼らざるを得なかった戦いは、流にとっても不本意なものだった。
 「…ではマグダレーナ様。イーグル・ファルコンの両チームは解体してタートルチームに吸収。両リーダーはそれぞれコンドル、スワローに預かりとする。…それで、よろしいですね?」
 「任せるよ、クルト。彼らにもいい薬だろう…授業料が、いささか高くついたがね」
 ふう、とマグダレーナがため息をつく。
 「この『ウロボロス4』も三世代目になるけど…これだけの被害が出たのは初めてだねえ…。『ファルコン』を襲ったのが何者か、まだ分からないのかい? クルト?」
 「申し訳ありません。今の所何とも…カプラガードにそんな腕利きがいるとは承知しておりませんし…」
 「『ウロボロス2』が反撃に出た可能性もあるが…。それにしてもたった3人というのが解せないねえ。プロンテラの市警と…首都の大手ギルドにも声かけな。私の名前を使っていいから」
 「承知いたしました、マグダレーナ様」
 クルトが将軍の一人に目配せする。「冬将軍(ジェネラル・ウインター)」が微かにうなずき、場を離れて出て行った。
 将軍を使い走りにするのだから、クルトの立場も階級以上のものがあるのだろう。
 そこへ口を挟んだのは流だった。
 「その事ですがマム。大佐殿も」
 クルトとマグダレーナが少し驚いて流を見る。
 「タートルリーダー。貴様、何か心当たりがあるのか?」
 「はい、…これをご覧下さい。ファルコンリーダーの身体から取り出された物ですが」
 流がユークから小さな包みを受け取り、テーブルの上に広げた。
 そこには、親指の爪をふた回りほど大きくしたような鉄片が一つ。
 飛爪だ。
 「…確か貴様の故郷の武器だな。『ファルコン』を襲った女剣士が使ったという…で、これが何だ?」
 いぶかしむクルトに、流が落ち着いた声で、
 「実は…これは私の許嫁のものです」
中の人 | 第五話「The Lost Songs」 | 15:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第五話「The Lost Songs」(3)
  「何だと!?」「何だって!?」
 クルトと、マグ ダレーナの二人が目を剥いた。
 「…ちょっとお待ち、流。それは間違いないのかい?」
 「はい、マム。 刃の形状に、近しい者にしか分からない特徴があるので間違いありません。『ファルコン』の生き残りに聞き取りした結果からも…これを使った『女剣士』は私 の許嫁『一条静』で間違いないかと」
 しん、とテーブルに沈黙が落ちた。
 その静けさとは裏腹に、各人の頭脳はぶんぶん と音を立てて活動している。
 クルトが姿勢を正し、流を真っ直ぐに見据えた。
 「タートルリーダー、貴様まさか部隊の機密を…」
 「いえ、漏ら してはいません。彼女は『ウロボロス4』のことも、私がここに参加していることも知らないはずです」
 流がきっぱりと言う。流の現状を知っているの は、瑞波では鉄と巴、そして善鬼だけだ。
 「…では一条家が『ウロボロス4』に介入して来た、ということか?」
 「それはあり ません」「それはないね」
 今度は流とマグダレーナが口を揃えた。
 「一条鉄…『狂鉄』はココのOBだ。下手にウチに手ぇ出せばどうな るか、良く知ってる。…それにヤツがもし本腰入れてきたなら、ファルコンはとっくに全滅してるよ。あんな中途半端な被害じゃない。それこそ神隠しにでも あったみたいに『消されてる』はずさ」
 マグダレーナがあごを撫でながら首を捻る。
 「ならば…」
 「偶然の接 触、と見るのが自然です」
 困惑顔のクルトに、流はあくまで落ち着いて応える。
 「私の許嫁が偶然『カプラ嬢殺害事件』に興味を持ち、他の冒 険者たちと共にカプラ嬢の護衛活動をしていて『ファルコン』をの作戦行動を発見したのでしょう。彼女ならモンスターによる陽動に引っかからなくても不思議 ではありません。…『ウロボロス』とは無関係かと」
 さすが、流の分析はほぼ正しい。
 が、『フールとBOT』という別の線に、静が 絡んでしまっていることまでは、さすがの彼も想定外だ。
 「参ったね、それは」
 マグダレーナが苦笑いする。
 「アンタの許嫁 が首都に来たって話は聞いてたが、偶然とはいえまさか『ウロボロス』にたどり着くとはねえ」
 その声には、怒りや嫌悪は無い。むしろ賛美の 色さえ強い。
 そもそも、ファルコンチームの活動は非合法であり、それを攻撃して壊滅させたからといって『一条静』には何の罪もない。
 自分で無法行 為をしておいて、逆にやられたから怒って報復する、などという安っぽい行動原理は、さすがにマグダレーナにはなかった。
 「去年来たアン タの友人…『無代』だっけ? あれは半年かぎ回ってもダメで、最近は大人しくしてるって話だったのにね。…放置しといたのがマズかったかしらね」
 マグダレーナ の言葉に、流はしかし、ふっと笑いそうになる。
 (…この人も『万能』ではないのだな…)
 顔色一つ変えな いが、内心では笑いをこらえるのに必死だ。
 (不味いも何も…『あの無代』を野放しにした所に『あの静』が加わったんだぞ。…あ、とな ると香も黙っっちゃいないだろう。これは大変だ)
 流の思考に、意地の悪い色が加わる。
 彼自身、静の『飛爪』を見た時には、正直吹き 出しそうになったものだ。ファルコンチームには気の毒だが…。
 (…さすがは我が許嫁というべきか…いきなりコレだ…)
 あの静がいつま でも瑞波で大人しくしているワケはない、と思ってはいたが、家出して首都に来たと思ったらこの『大活躍』である。
 静と共闘したと いう異能のロードナイトとプリーストには、流も心当たりがない。
 天臨館の者でも、瑞波の家来衆でもないなら、こちらで見つけた仲間だろう。わずか3人で ファルコンチームを壊滅させるのだから、残る2人もただ者ではないはずだ。
 (…さて何が始まるやら…。いくら『完全再現種(パーフェクト・リ プロダクション)』といえども、のん気に構えない方が良いと思うが…?)
 口には出さず、流は出されたコーヒーをすする。表情は一切動かさな かったつもりだが、テーブルの主はさすがに見抜いた。
 「…何がおかしいんだい? 流や?」
 マグダレーナが流を問いただしてくる。責める 口調ではないが、嘘を許す相手ではない。
 「…失礼しました、マム。…いえ、田舎者の友人に、お転婆な許嫁と、まことにお恥ずかしい 限りだと。どちらも決して王国の敵というわけではありません。どうかご容赦を」
 確かに嘘ではないにしても、しゃあしゃあとそんな台詞を吐いて弱々 しく微笑んでみせたりするあたり、流もなかなか『毒持ち』になってきたらしい。
 が、それがマグダレーナに通じているかどうかは、流にも本当の所は 分からない。
 何せ相手は、ルーンミッドガッツ王国の最重要人物の一人なのだ。
 『再現種(リプロダクション)』については以前説明した。聖 戦時代に生み出された強力な『戦前種』に匹敵する力を、何らかの手段で現代に蘇らせたものがそれだ。
 流の目の前にいる『マグダレーナ・フォン・ラ ウム子爵夫人』は『再現種』である。
 それもただの再現種ではない。

 『完全再現種(パーフェクト・リプロダクション)』。

 それは『成功種(サクセス)』を超え、『戦前種(オリジナル)』と同等かそれ以上の『性能』を持つ、と認められた再現種の呼び名である。
 そしてそれ を、世界で唯一保持しているのが彼女なのだ。
 王国内における彼女の、目に見える『戦力』と目に見えない『権力』には絶大なものがある。
 国王その人で さえ、彼女の意見を無視する事はできないと言われているのだ。
 (この人がその指をわずかに動かすだけで、オレなど文字通り『ひと捻り』だろう…)
 流もそれは十 分に理解しているし、だからこそ彼女の『下』に、その身を置いている。
 が、だからといって『服従』しているつもりはない。この若者が、自分の全てを他人に委ね るなどあり得ないことだ。
 内心はむしろ逆、この巨大な存在に対してさえ、挑むような気持ちで日々を送っている。
 当のマグダレー ナとて、この若者が額面通り自分に心服しているなどとは思ってもいない。それどころか、流のそういう所を好ましく思っているほどだ。
 逆に言えば、 流が何をしようがどうにでもなる、という余裕の為せる技でもある。
 「なるほどねえ…瑞波の『成功種(サクセス)』となれば、ファルコンを壊滅させたのもう なずける…か。クルト。一条静をマークしなさいな」
 「は!」
 マグダレーナの指示にクルトが畏まるが、流はわざと首を傾げてみせ る。
 「マークは確かに必要ですが、どうぞご注意を。我が許嫁を甘く見ますとケガをいたします」
 「…何だと?」
 クルトが不機嫌 そうに流を睨む。
 マズい指揮の結果とはいえ、部下の部隊を大きく傷つけた相手なのだから無理もない。
  「失礼します、大佐殿。…あの娘…静の『技』はもちろんですが、その『勘』をなめてはいけません。気配や視線、匂い、周囲全てに対する感覚がどれも神懸か り的で す。かなり遠距離からの監視でも気づかれる恐れがありますし…足音や足跡からでも人物を特定します。近距離なら体臭でも。特に…」
 流がクルトと マグダレーナを交互に見る。
 「特に…『私』の匂いならば相当離れていてもわかるでしょう。下品な話で申し訳ありませんが、身を隠すつもりなら、も う首都で立ち小便もできません」
 しん、とテーブルに沈黙が落ちる。
 「彼女らの霊力を遮断するこの鎧を脱ぐのも、 城の結界内以外では危険です。…足跡などは論外ですので、下手な外出も危ない。足跡を残さないように移動はペコペコで…」
 「わかったわ かった。…で、どうしろと言うんだね、流や」
 マグダレーナが苦笑しながら訊ねるのへ、流がすかさず、
 「私を首都から 離していただくのが安全かと」
 「…貴様!」
 流の要求に、クルトが目を吊り上げた。
 「勝手な事を言 うな! 貴様はこれから、今までの倍は働かねばならんのだぞ! ファルコン、イーグルの残存をお前に預け、アタックチームへ昇格させる! この席はその話 だと分かっているだろう!」
 クルトが激しくたしなめる。それも流に対する期待の裏返しなのだろうが、しかし当の流は知らぬ顔だ。
 「もちろんで す大佐殿。…しかし我が許嫁が首都にいるとなれば、『ウロボロス4』の機密保持が危険に…」
 「ならばその許嫁とやらを処分…」
 「お待ち、ク ルト。そこまでにしときな」
 マグダレーナが一段、温度の低い声を出した。
 「分かってるのかい? その娘は『狂鉄』の実の娘だよ? 万が一 にもヤツに知れようものなら…」
 「…方法はいくらもあります。この男には気の毒ですが…」
 静の『殺害計 画』を語る上司に、流はしかし黙したままだ。
 代わりにマグダレーナが受けた。
 「いうや、そう簡単にはいかないよ。これ以上 被害を出したくないなら、私がやるしかないね」
 「…!」
 クルトが顔色を変える。
 「…そん な…!」
 「ホントさ。その娘は『狂鉄』の娘ってだけじゃない。…『御恵(みめぐみ)』の血をも引いた極めつけの『成功種(サクセス)』だ。『霊 威伝承種(セイクレッド・レジェンド)』、知らないワケじゃあるまい?」
 ぴく、とクルトの顔が引きつった。
 「『御恵』…?  あの『鬼道』の…? まさか…」
 「これは機密中の機密、他言は一切無用だよ。後ろの将軍衆もいいね?…流は知ってるはずだ ろ、その辺の事は?」
 「…」
 流は黙って、小さくうなずいたのみ。
 だがクルトは興奮を抑えきれない様子だ。
 「しかし…し かしアレは…『御恵の血』は根絶やしにされたはずでは…? 確か『ウロボロス6』に」
 「そうさ。だが一人だけ生き残った。あの『六の死神』の手を 逃れてね。『御恵桜(みめぐみさくら)』。それが一条鉄の前妻。そして一条静の『実母』の名前さ」
 マグダレーナが懐かしそうな、それでいて苦い 顔をする。
 「…機密了解しました。しかし、なぜ『狂鉄』が御恵の女を…? お聞かせ願えませんか?」
 クルトがマグダ レーナの方へ身を乗り出す。
 「『偶然』だったんだよ、これもまたね」
 マグダレーナが腹をくくった様子で、話し始めた。
 「『御恵』の 一族が『ウロボロス6』に皆殺しにされた時、彼女…『桜』一人だけがこの『ウロボロス4』に参加してたのさ」
 「な、なるほ ど…」
 それを聞いたクルトがまず一つ、納得が行ったと言う顔になる。
 「…確かにウチに参加していれば、居所も身元も完璧に隠蔽されま す。だから助かったと」
 「その通り。あの娘…桜はあの一族の中でも、特に優れた姫だったからね。ぜひウチに欲しいと無理言って来させたんだが… それが幸運だった」
 マグダレーナはしかし、浮かない顔で続ける。
  「…だけど『ウロボロス6』の追跡もしつっこくてねえ。このままウチで隠し切れるか、さもなきゃ『六の死神』とガチでやり合うか…。こっちには狂鉄も、桜 の『オマモリの鬼』だった善鬼もいたが、あの死神相手じゃね。最後は勝っても、受ける被害は甚大だ。さあどうする、ってところで『横やり』が入った」
 「横やり?」
 「そう。『ウ ロボロス8』からの横やりさ」
 クルトは、完全にマグダレーナの昔話に引込まれている。
 流にとっては既 知の話も多いが、秘密主義に貫かれた組織である『ウロボロス』についての話となると、彼とても知らないことの方が多い。
 
 『ウロボロ ス』。ルーンミッドガッツ王国に隠された、9つの秘密組織。

 それらの組織は それぞれが『王国のため』と称して、到底表沙汰にできないような活動を続けているという。
 時には部隊同士がぶつかり合い、時には手を組 む。
 9つの頭が9つの尾に噛み付く、あの異様な紋章そのままに、王国の暗部でうごめいてきた。
 (…王国の最深部…いや最暗部か…。その実 体…知りたいものだ…が…)
 瑞波国の世継ぎである流にとっては、それこそ喉から手が出るほど欲しい情報だ。
 だが、その情報 は間違いなく『猛毒』を持っている。下手に触れれば自分のみならず、瑞波の国さえ滅ぼされかねないほどの、それは毒だろう。
 その証拠にあの 『喧嘩上等!』な義父・一条鉄でさえ、ウロボロスに対しては慎重な態度を崩さないのだ。
 流の脳裏に、義父の言葉が蘇る。
 『…アレな、魔 物の巣だからよ。くれぐれも気をつけるんだぜ。お前が安っぽい情に流されることはねえだろうが…下手な『欲』も危ねえからな…』
 この『ウロボロ スの4つ目の頭』に招集された時に、彼が贈ってくれた言葉だ。
 その言葉をもらっておいて、ここで下手は打てない。
 (…焦るな。こ こで学ぶ事は学び、もらえる物はもらい、その全てを瑞波に持って帰るまでは…)
 流が自分に言い聞かせる。
 「…『ウロボロ ス8』…『交配・混合実験』を行っていた部隊でしたか…」
 クルトが記憶をたどるようにつぶやく。
 「ああ。『霊威 伝承種』の血に興味を持ったんだろうね。その『交配』を条件に、彼女を助けると申し出て来たのさ。…何せ『私を作ったヤツ』の孫だからね、つながりはあっ た」
 (…『私を作った』…?)
 流の耳と頭脳が、一片の情報も取り逃すまいとフル回転する。
 (マグダレーナ その人もまた、『ウロボロス』が生み出したというのか…?)
 何気ない会話に聞こえるが、そこに込められた情報の価値はケタ違い。まさに王国の超機密 情報のオンパレードだ。
  「…結局、桜がヤツの交配実験に参加することを条件に、ウチと『ウロボロス8』の共同であの娘を守る事になった。正確にはウロボロス6のバックに話をつけ て、死神に追求の手を引かせる、ってことで手を打ったのさ。…『交配相手は桜に選ばせる』ことが、私のつけた条件。そしてあの娘が選んだのが…」
 「同じ『ウロ ボロス4』にいた一条鉄…。とんだ馴れ初めですな」
 クルトが肩をすくめる。
 「まあね。でも私は後悔はしてないよ。あの二人は似合い だったもの」
 両肘をテーブルに突いて、両手で顎を支えるいささか行儀の悪い姿勢を取る。
 口元には思いのほか優しい笑み。
 「『狂鉄』の ヤツも最初は反発してたが、最後は納得したさね。そして桜は3人の娘を生んだ。『幸せだ』と、あの娘は言ったよ。嘘ではなかったと信じてる」
 マグダレーナ がしばし目を閉じる。
 こういう『情』は、時として、致命的な弱点となることもある。マグダレーナが『裏』の仕事に身を置いている以上なおさら だ。
 が、それすらハンディとしないほどの実力、これもその裏返しと言えた。
 彼らを前に平然と機密を漏らすのも、結局はその掌の上だから なのだと実感させられる。
 (…でなければ、ここから生きては帰れないだろうな…)
 流でさえ、内心は結構動揺している。彼の義父 と従姉妹達の話ではあるが、ここまで王国の暗部に深く関わっていようとは意外だった。
 掌に微かに汗がにじむ。
 その時だった。

 (…おい、前ばっかり見てんじゃねーよ。後ろも気遣えよ)

 流の頭の中に、もう懐かしいとさえ感じる声が響いた。
 あれはもう何年 前だろう。
 実の父、一条銀が存命中、城の中で繰り広げた悪ふざけ。
 『天井裏の魔王』。
 選ばれた勇者が 自分ではなく、名もなき町人の子供と知って、我慢できずに飛び入りした。
 すったもんだの末にコンビを組み、暗い天井裏を彷徨ったあの時。
 (お前、一人 で何でも出来るって思ってるだろ? 確かにお前は強いけど、それじゃ大将にはなれないぜ)
 確かに怖い物無しだった自分。体格も力も頭脳 も、同年代の少年達を遥かに凌駕していたのだから当然だ。
 その彼に、正面切ってダメ出ししたのは、その名もなき町人の子供だった。
 (…そうだっ たな…。このオレでさえ焦ってるんだ…)
 後ろで控えるユークは、それこそ気を失いかねないほどのストレスだろう。
 だが慌てて振 り向くようなことはしない。
 (…バカ、だからってキョロキョロ振り向きゃ良いってもんじゃねーよ! 後ろのヤツにだってな、誇りがあんだよ。母親 に心配かけるガキみたいな扱いされるのはイヤだろ? 何か考えろよ!)
 そう言って『若君』である自分の尻を蹴飛ばされた経験があるからだ。
 (…身分を知 らなかったとはいえ、ひどいヤツだまったく…)
 その事について実父である一条銀に文句を言ったところ、次の日、その子供が遊び相手として 呼ばれて来た。
 思えば、無代と自分の、それが出会いである。
 (…父上には、そんな無代がオレの成長に必要だと分かったのだろ う)
 そんなことを思い出しているうちに、何だか落ち着いて来た。
 そうなると、本来の流の調子も戻って来るというものだ。
 視界の端で、 『月影魔女』のメイドが一人、音も無くユークに近づくのに気づいた。
 (…ミルクのカップが空か…)
 ほとんど無意識に、流の左手が肩越しで背後に 差し出された。
 一瞬、後ろでユークが戸惑う気配がしたが、すぐにその手の上にそっ、とカップが置かれる。
 流はその空の カップを、近づいて来たメイドに差し出すと、小声でオーダーを出した。
 と、頼んだ流でさえ驚くほどの早さで、注文通りの品が運ばれて来る。
 ユークの好物 のホットチョコレートだった。あるいは、彼らの好みぐらい調査済み、準備済みなのかもしれない。
 無代なら『みそ汁頼んでみようぜ! みそ 汁!』と言い出しかねないな、と流は内心で苦笑する。
 甘い香りのするカップを、流は自分で受け取ると(流石と言うべきか、メイドもちゃんと流の 方に運んで来た)これまた肩越しに渡してやる。
 両手でカップを受け取るユークも、空気を読んで礼は言わない。
 が、流にもはっ きりわかるぐらい、ほっとした気配。
 その時、流の目と、微笑を浮かべたマグダレーナの目が合った。いや、流の鋭い感覚は、その 後ろに控える将軍衆の視線も自分に集まっていたと感じる。
 (…?)
 流の頭に疑問符が浮かぶが、
 (まあこの場に ユークを連れてくるのは、ちと場違いだったか)
 と納得する。
 しかし事実はそうではなかった。
 (…流のヤツ も、なかなかやるじゃないか)
 マグダレーナは内心、そんなことを思っている。
 (それでいい。 強いだけ、切れるだけのヤツに付く人間は、もっと強い奴になびく。その壁を越えるにはどうするか、コイツはちゃんと知ってる。…義理とはいえ、鉄の息子だ ねえ)
 懐かしく、軍人時代の一条鉄の顔を思い出す。
 恐らく、後ろの将軍達も同じだろう。彼らのほとんどが若い頃、一条鉄の世話になっている ことを、マグダレーナはよく承知していた。
 喧嘩の仲裁、作戦失敗の尻拭い。虜囚の身から救出してもらった者までいる。
 (…その鉄の 娘を処分する、なんてこの連中の前で言う事かね。クルトもまだまだだ…ああ、鉄のヤツがココを継いでくれてたらねえ…)
 少し嘆いてしま う。
 一条鉄という男の『面倒見の良さ』を語るにはもう一つ『気前の良さ』を忘れてはいけない。
 とにかく金払いがいい。
 この男と飲み に行って、一度でも金を払った部下はいないはずだ。苦しい時には何も言わずに金を貸してくれて、返済の催促一つしなかった。
 最大の伝説の一 つは、部下の故郷が飢饉にみまわれた時、それを救うために首都南露店の食料を残らず買い占め、冒険者達を雇ってそれを運ばせたエピソードだろう。人口 800人の貧しい村は今、『クロガネ』という地名を名乗っている。
 もちろん、軍人の給料でできることではない。
 金を出したのは 故郷の兄、瑞波の先代の殿様である一条銀だ。
 弟の求めに応じ、巨額の金を淡々と送金し続けた兄。
 瑞波の国がいく ら豊かとはいえ、いささか浪費が過ぎるという重臣達の苦情に、
 「肥料に水。大樹を育てるのに惜しむ馬鹿があるか。しかも『敵地』たる王国に根を張ろう というのに」
 と一蹴し、弟を支え続けた。
 鉄。流。そして無代。
 今、瑞波の未来に大きく関わろうとする男達。
 その男達の肩 に、今は亡き一条銀の温かい手がいつも添えられている、そのことを知る者は少ない。
 『力の塊』であるマグダレーナさえ、瑞波の国で真に恐るべき 相手が何者か、果たして知っていただろうか。
 『天井裏の魔王』。
 彼の残したモノが今、その力強い枝をついに伸ばし始めてい た。
 (…聞き逃すな…ユーク。全てを持ち帰るぞ。ここからな…)
 流の気持ちは、背中で伝わったろうか。
 (しかし…『ウ ロボロス』同士の内紛…その結果生まれたのが…綾、香、そして静…)
 流でさえ、家族以外からは初めて聞く、一族の秘密。
 さしもの彼も興 奮を抑えきれない。
 (一条家と『ウロボロス』…)
 『因縁』。
 流の頭にその言葉が焼き付く。
 流の内心を他所 に、マグダレーナとクルトの会話は続いている。
 「しかしマグダレーナ様、『ウロボロス8』はしかし、消滅したのでしたね」
 「そう。桜が 死んで、鉄と3人の娘達が天津へ帰るのにくっついて、あの男も天津に研究所を建てたんだが…その後、研究所は突然壊滅しちまった。あの男、『ウロボロス 8』も行方不明さ」
 「…研究中の事故、と聞きましたが」
 「実験動物が逃げて暴れた、って鑑定だったが、詳細は不明のままさ。職員も全滅したし ね。『ウロボロス8』の死体はなかったけど…死んだ、と考えるのが自然だろう。あの出世欲の塊みたいな男が、あれから十何年も音沙汰無しなんて考えられな い」
 マグダレーナが、新たに注がれた紅茶で口を湿らせ、

 「…死んだん だろうさ。『ウロボロス8』…『速水厚志』はね」 

 ぽつり、とつぶ やく。
中の人 | 第五話「The Lost Songs」 | 19:47 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
第五話「The Lost Songs」(4)
  香が翠嶺に放った一撃は、まさに必殺の一撃だった。
 速度、タイミン グ、どれをとってもまず避けようがない。
 最強レベルの戦前種である翠嶺でさえ、香が自分の命を囮にして作り出したこの罠から逃げる ことは不可能だろう。
 もし翠嶺が普通の状態であったなら、武術家でも豪傑でもない香の手刀など絶対に通じないはずだ。
 どんなに筋力や 神経を強化したとしても、それは所詮ごまかしにすぎない。香には、静や綾のような、超人的な武術や攻撃力は、ない。
 だが今、翠嶺は 香の力を必要としている。小さな弟子達の命を救うために、『香の死』を容認できない状態にある。
 だから、必ずこの罠にかかる。
 今この瞬間、 この場でのみ有効なピンポイントの罠。
 ぴたり。
 翠嶺の細く、白い喉に香の手刀が突きつけられ、止まった。
 「…助けても らった借りは、これでチャラ。…二度と言わないで」
 香の闇色の瞳が不気味なほど静かに、翠嶺の蒼玉の瞳を見つめる。
 「…『極秘事 項』、か。…当然だ。悪かった。私のミスだ。二度と言わないと約束しよう」
 危機に際して人格が変わったらしい翠嶺が、観念したように目を閉じ て謝罪した。
 こうしていちいち人格の変わる翠嶺、どうもややこしいので呼び名を決めよう。
 普段の優しい翠嶺を「春翠嶺」。
 厳しく激しい 翠嶺を「冬翠嶺」。
 そう呼び分けることをお許しいただきたい。
 謝罪を終えると、『冬』は『春』に入れ替わる。
 「…怖い娘ね え…貴方…」
 「『一条の女』なら当然」
 香が手刀を引いた。翠嶺の腰も椅子に戻り、何もかもが元に戻る。
 ただ、2人のや り取りによほどショックを受けたのか、クローバーが一人、死人のような表情で棒立ちしている。
 「…貸し借り無し、となれば…貴女に私の弟子 達を助けてもらうには、ひと働きしないとね。…何がよろしい?」
 ふう、と翠嶺がため息をついて、香に笑いかける。
 たった今、命の やりとりをしたばかりなのだが、どうやらこの戦前種は逆に、香の事をえらく気に入ったようだ。
 「…」
 「大抵のことな らしますよ?」
 「…蝶の羽を。一刻も早く無代…私の『夫』に会わなければ。彼が危険な目に遭っている」
 魔法で『位置 セーブ』した場所に帰還するアイテム。それがあれば見剣の城に返れる。
 「蝶の羽根はオススメできないわ」
 だが、翠嶺が即座に否定した。
 「香さん、貴 女一度『BOT化』されてるでしょう? だから、転移のセーブ先が今どうなってるか保証できないわ。いきなりとんでもないトコに跳ばないって保証はなくて よ?」
 なるほど、それはそうだ。
 「ジュノーの街のポタならヴィフさんが持っていますから転送してもらえますが…羽根にしろ ワープポータル使うにしろ、『船を止めないと』使えませんしね」
 「?」
 頭に疑問符を浮かべた香に、翠嶺がぴん、と人差し指を立てて説明す る。
 そういう仕草は実に『先生』らしい。
 「よろしいですか? ヤスイチ号はのんびり飛んでるみたいに見えますが、これでも時速にし て200前幣紊禄个討い泙后そんな時に、この船内から転送で跳んだらどうなると思います?」
 「あ…」
 納得がいった顔 の香に、翠嶺がにこり、と笑う。
 「そ。向こうに出た瞬間に、時速200舛任垢暖瑤鵑嚢圓辰舛磴い泙垢茵」」
 翠嶺の説明、 さて読者にはお分かりだろうか。
 例えば、時速200舛農召悵榮阿垢訃茲衒の中から、蝶の羽やワープポータルで転移した場 合。
 その時速200舛箸いΑ愨度』と、西方向という『方角』は『転移先でも保存される』のだ。
 例えば、ヤスイ チ号がまっすぐ西方向に時速200舛念榮阿靴討い燭箸靴董△修料テ發らプロンテラ中央のカプラへ転送をかけたとする。
 すると転移した 人物は、プロンテラの転移ポイントに出現した途端、時速200舛膿神召悗垢暖瑤鵑嚢圓。
 あの広場に整然と並んだ金属製のベンチを吹っ 飛ばし、その向こうの魚屋の屋台をなぎ倒し、恐らくは止まることなくどこかの建物の壁に激突して死亡するだろう。
 この世界にはそ もそも、ヤスイチ号のような高速移動体がほとんど存在しないので、普段はあまり意識されることはない。
 が、『慣性の法則』はこの世界でも、立派に 健在なのだ。
 「もちろん貴女が望むなら船を止めてよろしいですけど…そろそろ限界じゃなくて…? 眠気」
 「…」
 香は沈黙す る。
 が、翠嶺の言う通りだった。
 眠い。
 常人の何倍もの『脳力』を駆使する香はその分、脳や身体に多くの休息を求める。
 瑞波を『家 出』する前、十日も眠り続けていたのもそれである。
 本来なら長期睡眠による身体の回復も含め、目覚めた以降も数日の回復期間が必要だ。
 『家出』の 朝、義母の巴が脳と身体を休めるように忠告してくれたのも、それを気遣ってのことである。
 が、彼女はそれを振り切って家出し、弱った身 体を『脳』の力で無理矢理活性化しつつ、ここまで限界以上の活動を続けてきた。それこそ常人なら何度死んでいるか分からないような修羅場をくぐり抜けてき たのだ。
 同じ姉妹でも、姉の綾や妹の静なら平気だろう。
 だが香は違う。
 下手をすると常人以下の『スペック』しか持たない身体を、卓越し た精神操作によって加速・強化し、常人以上の『性能』を叩き出している。
 しかし所詮それはごまかしであり、脳と身体に無理をさせていること に変わりはない。どこかに必ずしわ寄せが来る。
 それが今、睡魔となって香を襲っているのだ。
 こうしてベッド にいるならまだしも、またあんな激しい活動をするとなれば、いつどこで限界が来て動けなくなるか分からない。
 十分な栄養と睡 眠を最低一昼夜、できれば数日間の休息が必要。それが今の香の状態なのだ。
 「…貴女の旦那様、『無代』っておっしゃるの? 今どちらに?」
 翠嶺が沈黙し た香を覗き込む。
 香はしばらく沈黙した後、決意したように顔を上げた。
 「…首都で冒険者をしているはず。年齢は二十二歳。『商 人』のはずだけど、『ブラックスミス』に転職しているかも。今、多分まずいことになっていると思う…詳しい事はわからないけれど…」
 「了解」
 翠嶺が両手の 袖をするする、と解いた。
 「それ、私が代わりに請け負いましょう。その人を無事に貴女の所へ連れて来てさしあげます」
 す、と立ち上が る。
 「危ない目に遭っているなら助けて…ついでに貴女にふさわしく教育してさしあげましょ」
 そこまでは頼んでないが、まあ害はなかろう。
 「…お願い」
 「任せてくだ さいな。あ、この船は今、ジュノーにある秘密基地へ向ってて、朝には着くはずです。どっちにしても安全ですから、ゆっくり眠っておくと良いですよ。…船長 さん?」
 「…は、はい? 何でしょセンセ?」
 先ほどからひどい顔色のクローバーが、棒立ちのまま慌てて応える。
 「…何惚けて らっしゃるの? …というわけですから、降りますよ。窓開けて下さいな?」
 「はいっ…って、ええええ、またあれですかいセンセ!」
 「大至急で す、船長さん?」
 「あーもう! 見かけによらず鉄砲玉なんだからこの人は! ヴィフ! センセの槍持ってこい! ヤスイチ号減速!」
 クローバーが 廊下に向って叫ぶのと、医務室の窓ガラスが開くのが同時だ。
 轟!
 高空を高速で飛ぶ飛行体で、窓など開ければ大変なことになる。
 猛烈な突風がそ こらじゅうを荒れ狂い、何もかもが外に吸い出されそうになるのを、クローバーが大慌てで押さえる。
 「センセ! パラシュート! パラシュー ト!」
 「んんー、あれカッコ悪いですから結構です。…あ、香さん!?」
 「…何!?」
 まともに目も開けていられず、耳もおかしくな りそうなほどの風の中で、香も必死で声を上げる。
 「貴女、とても良いモノをお持ちです! 事が済んだら私の生徒になりませんか? 考えてお いてくださる? では、また…!」
 言うだけ言うと、翠嶺は窓から外へ、肢体を風に乗せるようにして飛び出した。
 高度1000 メートル以上。下は海だが、この高さから水面に叩き付けられれば、例え誰だろうが死は免れない。
 「センセ、槍!」
 慌ててすっ飛ん で来たヴィフから二槍を受け取ったクローバーが、窓から外へ槍を放り投げる。二本同時の槍投げだ。
 一直線に飛来するそれを、翠嶺が両手でぱしっ と掴むのを確認して、
 「はー、ホント聞きゃしねえんだからもう…ヴィフ、来い!」
 「はい船長!」
 さすがの香が あっけに取られて見守る中、クローバーが窓から外へ手を突き出す。
 「献身(ディボーション)!」
 荒れ狂う突風にもびくともしない、クローバー の頑健な身体から光の線がほとばしった。
 落下する翠嶺の身体にその光が突き刺さり、クローバーとの間に奇跡の紐がつながる。
 この光が途絶 えない限り、翠嶺が受けたダメージは全てクローバーが肩代わりする。
 それが『献身(ディボーション)』というスキル。
 が、それを見守 る香はすぐに異変に気がついた。
 (…遠い…!)
 そうだ。
 本来、その光の紐の有効範囲はせいぜい十数 メートル。
 だが、香の目が『測定』するその距離は既に100メートルを超え、この瞬間も開く一方だ。
  (…200…250…300…凄い…!)
 青色の『振り袖』を激しくなびかせ、中空に鮮やかな軌跡を描いて落下する翠嶺の身体が、見 る見る小さくなっていく。だが。クローバーの身体からほとばしる光の線は揺るぎもしない。
 常識を遥かに越えた驚異的な有効範囲に、香の 目が丸くなる。
 (…まさか…このまま海まで?)
 ヤスイチ号の高度は1000メートル以上。そこまで光の紐を維持できるというのか。
 しかしそこま で届いたなら届いたで、水面との激突によってクローバーに届くダメージは即死級のはず…と思った瞬間、翠嶺の身体を別な光が包む。
 魔法陣。
 それが縦に十 連。
 『熱線砲(ブラスター)』。
 しかし、あの島で見た魔法陣より遥かに大きい。
 オートスペルで はなく、きちんと時間をかけて詠唱し、作り上げたものなのだろう。
 当然その威力も、人の首が消し飛ぶなどという『可愛らしい』ものではなかった。
 かっ!
 翠嶺の真下の 海が、まん丸く、真っ白に染まる。
 と、見るや、
 どどどどおおおおお!
 海中で何か巨大 な爆発でも起きたような、とてつもない量の水蒸気と海水が、猛烈な爆風と共に垂直に噴き上がる。
 恐らく海中のモンスターでもターゲットしたの だろう。水中深く撃ち込まれた熱線砲の膨大な熱量が、付近の海水を一気に蒸発させた結果だ。
 その垂直の爆風に煽られて、落下する翠嶺がぐ ん、と減速する。
 「…む!」
 クローバーの身体にエネルギーが満ちた。減速によって翠嶺の身体にかかるダメージを、彼が 引き受けたのだ。
 「ヒール!」
 クローバーの隣で、ヴィフが治癒の呪文を使う。
 治癒の光がク ローバーを包み込む。
 翠嶺の身体が、噴き上がる水蒸気と海水の中に消える…が、奇跡の『紐』はまだ途絶えない。
 もう間違いな い。
 この男、クローバーのディボーションはこの高度から海まで1000メートル、実に1キロ以上の効果範囲を持っている。
 人一倍の博覧強 記を誇る香でさえ、聞いた事もない能力。
 だが、香の驚きはそれで終わらなかった。
 もう一つの奇跡 が、目の前で展開されていたからだ。
 クローバーの身体を包む回復の光。
 その光が途切れない。
 持続的な回復を 行うスキルには「サンクチュアリ」などがあるが、それとは明らかに違っていた。
 回復が全く途切れないのだ。
 翠嶺の身体を 襲っているであろう、高熱の海水と水蒸気のダメージ。そこから送られてくる途切れることの無いダメージを、同じく途切れない治癒力が力強く押し返してい く。
 若きプリースト、ヴィフの力。
 「…永続治療師(パッシブヒーラー)…!」
 香が呆然と呟 く。
 今度は香にも知識がある、とはいえ、その実在を目の当たりにしたのは初めてだ。
 本来なら断続的にしか発揮できないはずの治癒 力を、途絶える事無く対象に与え続けることが可能な治療士。
 例えるなら、普通のヒールやサンクチュアリがコップで一杯ずつ水を移して行くのに対し、 引っ張って来たホースでだーっ、と水を移すのがパッシブヒーラーと思えばよかろうか。
 回復量そのものは同じかそれ以下であっても、即死以外ならば いかなる死も回避可能。
 人によっては『アナログヒーラー』とも呼ばれるその存在は、万人に一人ともそれ以下とも。
 「…先生、無事 降りられたみたいですねえ」
 香の驚きをよそに、奇跡の主のヴィフがむしろのんびりと窓の下を覗く。
 見れば、先ほど の大爆発が収まった海に、今度は氷の島が誕生し、その上に豆粒のような翠嶺の姿がある。今度は海に『凍線砲(フリーザー)』を撃ち込んで凍らせたらしい。
 たかだか蝶の 羽一つ使うためと思えば無駄な大騒動もいいところだが、
 (…ひょっとして)
 香はふと気づく。
 (…あれって、 あの人の『照れ隠し』…?)
 香がふと考えて、そして心の中で無代に訊ねてみる。無代の苦笑いからして、その答えは正解らしかった。
 照れ隠しにし ても大層なことに違いはないのだが。
 翠嶺の姿が転送の光に包まれて消え、ヤスイチ号の窓が閉まる。
 クローバーの身 体からほとばしる光も、消えた。
 「すごいでしょう? 船長のこれ、『一哩献身(マイル・ディボーション)』って言うんで す! 1キロ以上離れてても、献身の紐がつながるんですよ!」
 ヴィフが我が事のように香に自慢する。
 「…貴方も凄 い」
 香が人をほめるなどめったにないことなのだが、それを知らないヴィフはあんまり嬉しそうではない。
 「いえ…僕の は…。もうちょっと回復量があるといいんですけど…早くハイプリーストになりたいです」
 「いや、今でも十分反則級さ。ちったあ自信持ちなって。そ れに、ハイプリ転職だってもう少しさ」
 クローバーが傷だらけの大きな手でばしっ、とヴィフの背中を叩く。
 当のヴィフは痛 い痛いと文句を言いながらも笑顔。
 しかしクローバーにはなぜか、笑顔がない。
 「…一人でも多 くの人を、守れないかと思いましてね…献身…」
 それどころかその表情は沈痛でさえある。
 これまでの剛胆 で、それでいて飄々とした雰囲気はどこかへ消えていた。
 「…昔…殺し過ぎましたんで…それはもう、たくさん…」
 クローバーの目 が、香の目を見た。
 香の闇色の瞳に映った自分自身の姿を、クローバーは明らかに怖れていた。目を逸らさないだけで必死だ。
 いかなる痛み にも耐える無類の献身者が、しかし耐えきれぬ痛みに身を震わせている。
 「『鬼道』とお聞きして…全て分かりました。…姫様のお母上様はやはり…『御恵(みめぐ み)』の御一族でいらっしゃったのですね」
 「…」
 香は何も言わず、ベッドの上からクローバーの姿を瞳に映すだけ。
 クローバーの隣 ではヴィフが、あまりに様子の違う船長の姿にショックを受けたのか、凍り付いている。
 「『鬼道の目』をお持ちならば、もう何もかもお分かりだと存 じますが…香姫様…」
 クローバーの両膝ががくり、と床へ落ちた。
 香のベッドの脇で、クローバーの身体が微かに震える。
 「お母上の… 『御恵』の御一族を皆殺しにしたのは…あっしです」
 その声はしわがれ、絞り出すような響き。
 「こうして姫様 にお会いしたのも…因果応報というもんでございましょう。どうぞ…お気の済むようになすって下さい…」
 小さく震える、真っ青な唇から、かすれた声 が漏れる。
 その頑健極まる身体が、何かに押しつぶされるように深く、香の前に頭を垂れる。
 その姿を瞳に映しながら、香はしかし別なこと を考えていた。
 (…運命の輪が…つながり始めた…いえ…最初からつながっていた…?)
 気がつけば、ヤ スイチ号のエンジン音が低くなっている。
 もの言わぬ機械の彼が、会話に耳を澄ましているようにさえ感じる。
 
 「『ウロボロ ス6』…『六の死神』。それがあっしという…男です」

 クローバーの、 自分自身を吐き捨てるような告白が、香りの耳を打った。

 つづく。
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