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外伝『Tiger Lily』(1)
 『大丈夫。大丈夫よサキちゃん。きっと大丈夫』

 そう言って、いつも咲鬼の頭をなでてくれた老婆が今朝、死んだ。
 「…おばあちゃん…?」
 咲鬼が、船倉の暗闇の中で目を覚ましてみると、その老婆は咲鬼の小さな身体を優しく抱いたまま、冷たくなっていた。
 咲鬼はしかし、その事に驚かない。そういう言い方も何なのだが、もう何日も前から『覚悟』はできていた。
 だってその老婆はもう長い間、食べる事も飲む事もできず、数日前からは喋る事もできなくなっていた。昨日からはもう、目を開ける事さえなかった。
 ただ、咲鬼がその小さな身体を寄せると、まるでそれが本能ででもあるかのように、腕の中にゆっくりと抱きしめてくれる、それだけの存在になっていた。その優しい抱擁と温もりだけが、老婆の命の証であった。
 それももう、消えてしまった。
 「…おばあちゃん…」
 咲鬼の小さな呼びかけにも、応えはない。
 そうして老婆の死を確かめた咲鬼が最初にしたことは、老婆の体から衣服を剥ぎ取ることだった。
 無惨な行為だ。
 だが、老婆自身が咲鬼にそうしろ、と、強く強く言い残したことだった。
 『おばあちゃんが死んでしまったらね、私の持ち物と服を、一枚残らずサキちゃんが持って行っておくれ』
 一枚残らずだよ、きっとそうするんだよ、と、何度も何度も念を押したことだった。
 繰り返すが、無惨な行為だ。
 まして幼い咲鬼にとっては、自分がそうされるより辛い事だった。
 しかし、そうしなければ老婆の衣服は、全て船の水夫達に奪われてしまう。だから、咲鬼がその優しさから老婆の衣服を残したとしても、結果は同じ事なのだった。
 誤解のないように記すが、水夫には何の悪気もない。
 航海中の船内で死んだ人間は、その持ち物と服を全て生者に譲り、その死体は素っ裸のまま海に捨てられる、それが決まりであるだけだ。
 いかに残酷に見えようが、それが海のルールなのだ。水夫達はそのルールに自然に従っているだけであり、彼らとて死ねば同じ目に遭うのである。
 咲鬼たちが乗っているのは古い、もう大した物は運べなくなってしまった小さな貨物帆船だった。
 それが『余生』として選んだ仕事が、死んだ老婆を始め船倉を埋め尽くした、巡礼の輸送だ。
 巡礼者を聖地に運ぶ仕事は、金になる。
 巡礼者自身はほとんど金を持っていないため、その話は奇異に聴こえるかもしれないが、もちろんそれにはからくりがある。
 金を出すのは貴族、あるいは中央の金持ちだ。
 金はあるが暇がない、いや暇もあるのだが『自分自身が危険を冒して聖地に詣でる』なんて物好きなことに費やす暇はない、そういう人々。
 彼らに、こう持ちかけるのだ。
 『『代参』を募られてはいかがでしょう?』
 ここで言う『代参』とは、自分の代わりに誰かを聖地に派遣し、自分の代わりに参拝してもらうことを言う。
 『ご自身が巡礼に出られずとも、お金を出して代参の巡礼団を仕立てれば、それが貴方の功徳になります。その人数は多いほどよろしい』
 この話に乗って来る金持ちがいれば、あとは簡単だ。貧しい農村や漁村を回って、巡礼になる人間を募れば、あっという間に相当数の巡礼団ができあがる。
 本当に、人数はすぐ集まる。この巡礼募集というものが農村の人々にとって、実は『口減らし』にうってつけだからだ。
 老人と子ども。労働力にならない人間を村から合理的に『削減』する、絶好の機会だからだ。
 死んだ老婆も、そうして巡礼になった一人だった。
 フィゲル近くの貧しい村で巡礼に応募し、アルベルタで船に乗るまでの道程で咲鬼と出会い、ここまで同行してくれた老婆。
 『天津へ行きたいのかい? じゃあおばあちゃんと一緒においで。おばあちゃんも天津へ巡礼に行くんだよ。これも縁だ。大丈夫、きっと大丈夫だから』
 道ばたで、飢えと疲れと寂しさで動けなりかけていた咲鬼の手を、老婆はそう言って優しく引いてくれた。
 『おばあちゃんもねえ、一人ぼっちなんだよ』
 故郷の村が、疫病に襲われたのだという。
 夫も、息子も、嫁も、孫も、大切な家族は皆、一夏と持たずに逝ってしまったのだという。
 『おばあちゃん一人がね、生き残ってしまったのよ。…昔から、身体だけは丈夫でねえ。今となっちゃ、恨めしいばかりだけどねえ…』
 家族が皆死んでしまっては、老婆一人で畑を耕す事は不可能だ。疫病で壊滅状態の村にだって、彼女を助ける労働力は残っていない。
 身体一つで巡礼に応募し、自分の家族を始め亡くなった村人の冥福を祈ること。老婆に残された道は、もうそれしか無かったのだ。
 村を出て一ヶ月、咲鬼と出会って半月。
 アルベルタで船に乗って、また半月。
 『大丈夫、きっと大丈夫』
 だが、丈夫が自慢の老婆の身体も、そこで限界が来た。
 生まれて初めての海、生まれて初めての船。それも、古い小さな貨物船の船倉。
 『船酔い』が、老婆を襲ったのだ。
 航海初日から食べる事も飲む事もできなくなり、やがて動く事もできなくなった。まだ喋れるうちに、咲鬼に遺言するのが精一杯だった。
 『おばあちゃんは、もう駄目かもしれないけれど…大丈夫。サキちゃんは、きっと大丈夫だから』
 苦しい息の中で老婆はそう言って、自分が食べられない食事を咲鬼に食べさせた。
 咲鬼は食べた。
 泣きながら食べた。
 食べなければ、その食事はやはり誰かに奪われてしまう。
 だから食べた。
 そして今朝、とうとう老婆は死に、咲鬼は生き残ったのだ。

 (…ごめんなさい…)

 咲鬼の小さな手が、老婆の身体をのろのろと裸にしていく。
 船倉には他の巡礼達もいるのだが、咲鬼に手を貸す者はいない。少し前までは、まだ助け合う雰囲気も残っていたのだが、今はもう皆、自分が生き残るだけで必死なのだ。
 裸にする、と言っても大した作業ではない。
 唯一の夜具でもあるボロボロの外套、あちこちほつれ、破れた藍染めの着物、それに下着。
 それっきりだ。
 それっきりで、老婆の身体は裸になった。しわだらけの、垢染みた老婆の死体を、咲鬼はもう見る事ができなかった。
 老婆から剥ぎ取った着物を丁寧に畳み、自分の荷物の中に詰め込むと、ぎゅっと抱きしめて座り込む。
 水夫の、朝一の見回りが裸の老婆を見つけ、無造作に抱え上げて船倉の外へ出て行く。行き先は海。
 咲鬼は、それを見ない。
 抱えた膝に顔を埋め、目をきつく閉じ、ひたすら黙って水夫の足音が遠ざかるのを聞いていた。

 (…ごめんね…おばあちゃん…ごめんね…)

 繰り返される謝罪。だが涙はない。咲鬼は泣かない。
 だって、泣いても無駄なのだ。
 泣き声に応えてくれる人は、もういない。
 頭を撫でてくれる人はいない。涙を拭って、抱きしめてくれる人はいない。
 『大丈夫』
 そう言ってくれる人は、誰もいないのだ。

 (ごめんね…おばあちゃん…咲鬼は…おばあちゃんの名前も…知らないままだよ…)

 咲鬼という少女は、純粋な人間ではない。
 『鬼』だ。
 遥か過去にこの世界で起きた『聖戦』。その時代、人間が強力な魔物に対抗するために、別の魔物と混血して生み出された『伝承種(レジェンド)』。
 咲鬼はその末裔であり、しかも極めて貴重な『女性の鬼』だった。
 人間を遥かに越える身体能力と耐久力を持つ『鬼』は、その身体のどこかに角を持つことから『鬼』と呼ばれる。
 だがその力に比して、その血は強い劣性遺伝であり、角を持つ鬼はめったに生まれない。とりわけ『女性の鬼』は珍しく、それが生まれるのは百年に一度とも言われる。
 だが、咲鬼の貴重さはその『数の少なさ』にあるのではない。
 『女の鬼は、必ず鬼を生む』。
 それだ。
 もともと生まれにくい鬼にとって、この能力が何にも勝ることは言うまでもない。
 だからこそ、『女の鬼』の運命は必ず悲惨なものになる。
 その一生をかけて、ひたすら鬼を生み続ける。
 いや、生み続けさせられる。
 できるだけ子孫に多様な血を残すために、可能な限り多くの男の鬼と交わる。
 いや、交わらされる。
 過去に生まれた女の鬼はだから、そのほとんどが二十代になる前に発狂した。それでも、母体能力がある限り生み続けさせられた。
 五歳になった咲鬼の頭に角が見つかった時、咲鬼の運命もそうなるはずだった。
 『大丈夫。貴女はきっと助けてあげる』
 咲鬼の運命に逆らい、そう言ってくれたのは、母だった。
 母は咲鬼の角を隠し、普通の子として育ててくれた。そしていよいよ隠しきれなくなったとき、母はまだ幼い咲鬼を一人、鬼の里から逃がしてくれた。
 『お母さんの弟…お前の叔父さんの所へ逃げなさい』
 天津の瑞波へ。
 弟の『善鬼』の所へ。
 母は咲鬼を抱きしめながら言った。
 『大丈夫、弟は優しくて強い。きっと貴女を守ってくれる』
 そして咲鬼は、一人旅立った。
 会った事も、見た事もない叔父に会うために。
 鬼の掟を裏切った、一人の『はぐれ鬼』に会うために。
 
 咲鬼の乗った船が天津・石田の港へ着いた時には、船倉を埋め尽くしていた巡礼の数は半分近くにまで減っていた。劣悪な環境の中で、衰弱と病気のために命を落としたのだ。
  何せ船主にとっては、巡礼の数が減る事は大したことではない。普通の物品の売買と違い、現地で積み荷を売るワケではない。もらう金はもうもらっているから、 実質的な損はないのだ。確かに巡礼の数が減って聖地に参拝する人数も減り、その分『功徳』とやらが減る理屈だが、実はそれは何とでもなる。着いた天津で、 追加の巡礼を集めればいいのだ。
 だから咲鬼が一人、天津の港からこっそり姿を消しても誰も気がつかないし、もしついていたとしても追っ手など来なかった。
 天津・石田城下の桜園、その向こうにある危険な神社が、巡礼達の目的地。だが、咲鬼は違う。
 彼女の目的地である天津・瑞波の国は、石田の城下からさらに遠い。母が持たせてくれたなけなしの路銀だけで、何としてでもそこにたどり着かねばならない。
 港を外れ、安い食べ物を求めて露店街にたどり着いた咲鬼を、美味そうな匂いが包み込む。
 焼き物、蒸し物、様々な屋台が軒を連ねる露店街を歩くだけで、長い事ろくなものを食べていない咲鬼は目が回りそうだ。
 (…でもお金はないんだから…)
 歯を食いしばって歩く。
 その時だった。
 「おい」
 ぞっ。
 声をかけられただけで、咲鬼の全身が総毛立った。
 「待っていたぞ。…やはりここへ来たな」
 目の前に、『鬼』が立っていた。
 外見は、ごく普通の若い男だ。どこにでもある着物を着、どこにでもいるような雰囲気で露店街の真ん中に立っている。
 だが、間違いようはなかった。
 乱鬼。
 そういう名前の、鬼の里でも指折りの手練。
 鬼の里から咲鬼を追って来たのだ。いや、今の話から見ると、追って来たというよりは先回りして待ち伏せていたらしい。
 幼い咲鬼の必死の逃亡など、結局のところ筒抜けだったのだ。

 (…ごめんなさい…)

 咲鬼の心を、絶望が埋めた。

 (…ごめんなさい…お母さん…)

 涙はない。泣いても無駄だからだ。

 (…ごめんなさい…おばあちゃん…)
 
 涙の代わりに、咲鬼の表情から表情が消えた。

 (…『大丈夫』じゃ…なかったよ…お母さん…おばあちゃん…)

 泣いても頭を撫でてくれる人はいない。涙を拭ってくれる人もいない。
 全てを諦めた。いや、諦めかけていた。
 自分の運命からは、決して逃れられないのだと諦めかけていた。
 「おーい、そこのチビ遍路さん」
 そんな咲鬼の真横から、気の良さそうな声がかけられた。
 ずらりと並んだ露店街の、露店の一つ。
 「巡礼に御報謝」
 『御報謝』とは、貧しい巡礼者に物を恵む事で、恵んだ者が功徳を積むという習慣のことである。
 ぽん、と、咲鬼の鼻先に白い塊が突き出された。ほかほかと湯気を上げる、大きな白い塊。
 「『肉まん』ってんだ。初めてか? 喰ってみなよ、美味いぜ?」
 ぱか、と、咲鬼の目の前で『肉まん』が2つに割られる。
 肉汁たっぷりの具が溢れ、咲鬼の鼻と胃を刺激する。
 咲鬼はちら、と乱鬼の方を見る。
 乱鬼は無表情。だが咲鬼がもしこの露天主に助けを求めたり余計な事を喋れば、咲鬼ではなくこの露天商が殺される。
 そういう事を平気でするのが『鬼』なのだ。
 「…ありがとう」
 咲鬼は小さな声で礼を言うと、割られた肉まんを受け取り、一口食べた。
 そして微笑んだ。
 「…美味しいです」
 嘘だった。
 味など分からない。
 ただ、すべきことをしただけだった。
 「…行くぞ」
 乱鬼が低く声をかけてくる。
 咲鬼はもう、逆らう事など思いつきもせず、それに着いて行く。
 露店主の顔も見ないで、軽く頭を下げて歩き出す。
 「…よう、ちょっと待ちなよ」
 そんな咲鬼の様子をじっと見ていた露店の主が、二人を呼び止めた。
 咲鬼が驚いて振り向き、乱鬼がゆっくりと振り向く。
 「…何だ?」
 低い声で、乱鬼が露店主に相対する。
 「…いけねえなあ…。いけねえよ、あんた」
 「…何がだ?」
 乱鬼の声が、さらに低くなる。用心深い者なら、それだけで避けて通るような剣呑なオーラが漂う。
 だが、露店の主は引き下がらなかった。
 「子どもにさ、そんな顔させちゃいけねえ」
 咲鬼は初めて、その露店主の顔を見た。
 若い。まだ20代になったばかりだろう。決して整った美男子ではないが、強さと愛嬌が同居した、なかなか印象的な容貌だ。そこそこ長身の身体は引き締まり、男として一人前になろうとする寸前、という雰囲気。
 「他所じゃどうか知らないが、天津じゃ子どもにこんな顔させるヤツは、大人とは呼ばねえんだぜ?」
 頭に巻いた頭巾、というかバンダナをぐい、と取ると、緑がかった黒髪がばさっと揺れる。
 「泣く事さえ諦めちまった、こんな顔をさ」
 「…」
 乱鬼の目から表情が消えた。露店主が、ただ言いがかりをつけているだけと判断したのだ。
 (…だめ…!)
 咲鬼の背中にイヤな汗が流れた。相手が誰でも、ここが人ごみでも、乱鬼はこの人を殺す。それどころか、貴重な女鬼である自分を連れ去るためには、この露店街の全員を皆殺しにすることさえ躊躇しないだろう。
 そして、鬼である彼を止めることが出来る人間は、まず存在しない。
 「アンタがこの娘の何かは知らないけどさ、こんな顔させてるようじゃお里が…!」
 ごっ!
 若い露店主は、言葉を最後まで言う事ができなかった。
 横殴りの裏拳。乱鬼のそれが、露店主を襲ったのだ。
 予告無しの攻撃に、露店主の身体が真横に吹っ飛ぶ。露店街の人ごみを巻き込みながら、地面にたたき付けられる。
 (…!)
 咲鬼は、露店主が死んだと思った。だが…。
 「…やりやがったなこの野郎!」
 がば、と、吹っ飛ばされた露店主が起き上がったとみるや、低い体勢から身体ごと、乱鬼の足に思い切り体当たりを敢行した。
 「…むっ!」
 意外な反撃だった。乱鬼でさえ、その反撃を躱しきれなかった。乱鬼の一撃を曲げた腕でブロックし、その上に自分から横に跳んで衝撃を殺したらしいのだが、それにしても大した根性だった。
 「こん畜生が!」
 乱鬼の足に両腕でしがみついた露店主が、乱鬼を倒そうともがく。だが、乱鬼は倒れない。そこは鬼の怪力だ。
 一方で乱鬼の方も、露店主をなかなか振り切れない。乱鬼の動きにしぶとく食らいつき、倒せないまでもその動きを上手く封じている。
 さっき乱鬼の一撃を殺した体捌きといい、決して達人と言うワケではないにせよ、かなり『修羅場慣れ』しているらしい。何よりも、その思い切りの良さと捨て身っぷりが、いっそ下手な武芸者よりも厄介だ。
 「…ちっ」
 乱鬼が、露店主を振り切るのを諦めた。諦めたと言っても、それは露店主の安全を意味しない。
 振り切るより、いっそ殺そうと決めたからだ。
 ぐっ、と乱鬼の拳が固められる。
 (!)
 鬼の里で育った咲鬼は、その拳の威力を良く知っている。下手なハンマーそこのけの頑丈さと破壊力を持つ鬼の拳だ。振り下ろされれば、人間の頭などそれこそ熟した果実のように潰されてしまう。
 「…だめ…っ!」
 気がつけば、咲鬼は自分の身体を露店主の上に投げ出していた。
 鬼の拳が止まる。そのまま振り下ろせば、大事な咲鬼の身体を傷つけてしまう。
 「…お願い! この人を殺さないで! 行きますから! 咲鬼は貴方と行きますから!」
 「ふ…ざけんなっ!」
 咲鬼の必死の懇願に、しかし激しく反応したのは庇われた露店主の方だった。
 乱鬼の足にしがみついていた腕を放すや、がっ、と咲鬼の身体を抱きしめてごろん、と地面を転がる。スマートなやり方でなくとも、そういう泥臭い動作の一つ一つがやけに確実で、妙に頼もしい。
 「チビは黙ってろい! 今は大人の時間なんだよ!」
 馬鹿な、と咲鬼は思う。
 何を言っているのか、この若者は。
 明らかに死地にいるのに、それこそ袖が触れ合っただけの自分のために、命が危ないのに。
 長生きできないタイプ、というのが本当にいるなら、こういう若者の事を言うに違いない。
 だが、咲鬼は後に知ることになる。
 『長生きできないタイプが、必ずしも短命とは限らない』。そのことを。
 今度こそ、無慈悲な鬼の拳が若い露天商の顔面を襲う。確実に命を奪うための、撃ち抜く拳。
 「!」
 だが、その拳は逸れた。いや逸らされた。
 (…針…?)
 咲鬼の目にはそう見えた。
 さっきまで露店主が『肉まん』とやらを売っていた露店から、何かが電光のように滑り出て、乱鬼を横合いから襲ったのだ。
 針。
 そう見えたのはその『何か』が小さく、細い女性だったからか。
 あるいはその武器が、細く尖らせた掌だったからか。
 または、その冷たいとさえ見える美貌と、無感情な瞳がそう思わせたからか。
 例え鬼の身体でも、まともに喰らえば間違いなく致命傷になる『針掌』の一撃。それを躱すために、鬼の拳は逸れた。
 さらに、針が奔る。
 目、喉、心臓、みぞおち、脇腹、下腹部。確実に致命傷を与えるために、問答無用の急所だけを躊躇無く狙う。女性らしい優しさやたおやかさとは無縁の、無慈悲にして無感動な、機械のような攻撃。その正確さと強力なバネは、人間技の域を超えていた。
 さしもの乱鬼が下がる。だが下がると言っても逃走ではない。反撃体勢を整えるための一時的な退却にすぎない。事実、針の攻撃は一度も乱鬼の身体を捕らえていないのだ。
 「…ふっ!」
 鬼の拳が振るわれる。
 ぎん! という金属音にも似た風切りの音。針の女性は辛うじて躱したが、闇色の美しい黒髪が数本、引きちぎれて宙を舞う。
 ぎんぎんぎん!
 乱鬼の反撃が連撃となって女に襲いかかる。女はすべて躱した、が、さすがに反撃の隙はない。
 「…」
 今度は女がわずかに下がる。
 それを好機、と見たのだろう。女を一気に圧倒するために前進しようとした乱鬼の体勢が、しかしがくん、と突然乱れた。続いて脚に鋭い痛み。
 露店主だ。
 乱鬼の油断だった。女に気を取られている隙に、露店主が再び乱鬼の脚にしがみついたのだ。そして今度はしがみつくだけでなく、乱鬼の膝の裏に噛み付いたのだ。
 そこには、急所となる腱がある。露店主は躊躇無く、その腱を噛み切っていた。
 「ぐっ!」
 ぶん、と鬼の拳を振るい、下半身の敵を叩き潰そうとする。だが、先手を取った露店主の方がしぶとかった。しがみついた腕をさっさと離すと、またごろんと転がって拳の射程外に逃げてしまう。
 「ざまーみろい!」
 捨て台詞も小面憎い。が、乱鬼は追撃できない。女の針が、再び乱鬼を襲う。露店主と女、なかなか見事な連携だった。
 いかに乱鬼といえども、膝裏の腱を噛み切られてなお、女の針掌を躱して反撃することは不可能だ。
 「…くそっ!」
 周囲にかなりの人だかりが出来ている。人の多い露店街でこれだけの騒ぎを演じたのだから当然だった。
 鬼の決断は早い。
 だんっ!
 残った片足で思い切り地面を蹴ると、一飛びで人垣を飛び越え、露店街から姿を消す。いずれ人間業ではない、モンスター級の身体能力に人垣がどよめく。
 すっ、と『針の女』が追おうとするが、
 「追うな、香!」
 ぴた。
 露店主の制止の声で、見事なぐらいあっさりと追跡をやめた。
 「ありゃマトモじゃねえ。下手に追いかけたらお前も危ねえよ」
 香、と呼んだ女の身を案じての制止だったようだが、そもそもそのマトモじゃねえ鬼相手に無茶苦茶な喧嘩をふっかけたのは彼の方だ。
 「…」
 気のせいか、無表情な女性の顔にも少々、うんざりした色がないでもない。
 「…お、チビすけ大丈夫か? ケガないか? すまねーなあ、妙な事になっちまってさ」
 露店主が、地面にへたり込んでいた咲鬼を抱え起こし、ぽんぽんと身体のほこりをはたいてくれる。が、彼の方こそ泥まみれで、あちこち出血やら打ち身の痣やらを飾っている。ひょっとしたら骨にヒビぐらい入っていてもおかしくない。
 「…だ、大丈夫です…。ありがとうございます! そ、それじゃっ!」
 咲鬼はその場を逃げるように駆け出そうとした。これ以上、彼らの迷惑にはなれない。さっきは確かに助かったが、あれで諦めるような鬼達ではない。おそらくは複数の鬼がこの国に入っているはずで、下手をするとその全員が今度こそ、咲鬼を捕まえるために襲って来る。
 この若い露店主はたしかにしぶとく、香という女性も異能の持ち主だ。だが、複数の鬼の前ではそんなもの、何の障害にもなりはしない。まさに鎧袖一触だろう。
 (…行かなきゃ!)
 礼儀を欠くことは承知で、しかし駆け出そうとする咲鬼の手を、だが露店主がしっかりと掴んだ。
 「おっと、行かせねーよ。チビさん」
 「!」
 「言ったろう? 子どもにそんな顔させるヤツは、一人前の大人じゃねえんだ」
 露店主がにか、っと笑う。
 「…でも…!」
 「ちょっと痛い目見たからって、出した手をあっさり引っ込めるようなヤツも、な」
 ぽん。
 露店主の逞しい手が、咲鬼の頭に乗せられた。
 「大丈夫、心配すんな」
 ぐりぐり、と頭を撫でられた。
 「『あんなの』よりもっと強くて優しいのが、この天津にゃごまんといるんだ。だから…」
 露店主はもう一度、にかっと笑う。
 「子どものくせに諦めてんじゃねえよ。大丈夫。大丈夫だ」
 自分だっていい加減ボロボロのくせに、やけに自信満々なのが不思議でたまらない。
 だが。
 
 (…大丈夫…)

 その言葉。

 (…大丈夫)

 信じたい。

 (…大丈夫…)

 その言葉を、信じたい。
 母から、老婆から、咲鬼がもらった言葉。
 それはただの言葉で、何の根拠も、まして力もありはしない。でも幼い咲鬼には、その言葉を信じて夢中で走る、それしかできなかった。
 だけど咲鬼には、その言葉がか細い、本当に細い糸となって咲鬼をここまで導いてくれた、そんな気がするのだ。
 そして今、目の前の若者から受け取った同じ言葉。
 
「俺は『無代』ってんだ。こいつは『香』。天津の、瑞波の国の住人だよ。大丈夫、信用してくれ」

 瑞波。
 それは咲鬼が向うべき場所だ。
 繋がるのだろうか。
 細い糸は、繋がるのだろうか。

 信じれば、繋がるのだろうか。

 「…あの…無代…さん」
 「ん?」
 絶望に塗りつぶされようとした心の底に、わずかに残った希望を、咲鬼は勇気に変えた。
 「瑞波の国の…『善鬼』という人を…ご存知ありませんかっ…!?」
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