2009.08.07 Friday
第三話「mild or intense」(5)
『戦前種(オリジナル)』
その言葉を聞いて、翠嶺の笑みが深くなった。
「…そこまで知ってらっしゃるなら、もう言う事はありませんわね。…貴女からも、色々と聞かせてもらってよろしいかしら?」
香は静かにうなずく。まだ不明な点は多いが、それを補って余りある『救世主たち』なのだ。
断る理由はない。
「ってことで決まりですね、お嬢さん方?」
成り行きを見守っていたパラディンの声に、
「ええ船長。後はお願いしますね?」
翠嶺が応える。
「あいよ、お任せ下せえ。とっととラボの調査して逃げちまいましょ。お空へね」
「…空?」
香が驚いた顔をするのが、どうも面白かったらしい。『船長』と呼ばれたパラディンがひょい、と兜を脱ぐと、にかっと香に笑いかける。
いわゆる美男子ではないが、厳しい経験を積んだらしい頼もしさを感じさせる顔。それを何とも言えない愛嬌で包んでいる。
「そーそー。ご案内しますぜ、このクローバーと、あっしの船がね」
ごう!
珊瑚礁のヤシ林の向こうで、巨大な駆動音が響いた。
今まで何もなかったはずの空間に、湧き出るように巨大な物体が『出現』する。
(飛行船!)
真っ白な船体。巨大なプロペラ。
船腹には真っ赤な文字で「Safety First(安全第一)」
「セーフティファースト号。が、正しい名前なんすが…皆は『ヤスイチ号』としか呼ばねーんでさ」
クローバー、と名乗ったパラディンがわはは、と笑う。
「このクローバー船長が『発掘』した…音響・光学・魔法の三大ステルス機能を持つ永久飛行船。これも戦前種(オリジナル)ですよ? あれに乗ってしまえば安心」
驚いて声も出ない香に、翠嶺が片目をつぶってみせる。
「…『船長』以外は、ですけれど?」
「そりゃひでーよ、センセ!」
クローバーが猛抗議するが、本気で怒っていないのはわかる。
香が逃げ出して来た、クローバー達が『ラボ』と呼ぶ建物から、担架を携えた一団が出て来る。少女を回収したのだろう。
「では、お足元にお気をつけになって、御乗船下さいよ」
クローバーが手真似で飛行船を呼び寄せた。
純白の機体が、香の前にゆっくりと舞い降りる。
夜半を過ぎても、無代は宿に帰って来なかった。
静は、無代の人間的しぶとさを高く評価しているが、同時にその実効的な『武力』がイマイチなこともよく知っている。
主従の『主』として、『従』の身を案じるのはおかしいのだが、やはりすぐには眠れずに窓を開け放ち、夜の街を眺めていた。
石畳にまで魔法の灯火が仕込まれているプロンテラの街は、真夜中でも明るい。ただ、陽光が無い分だけ部屋の中は薄暗く、ベッドの側にはろうそくを灯している。
街から放たれる膨大な光量が、暗い夜の空から星を消している。
辛うじて見える、月の輪郭。
その不思議な光景を瞳に映しながら、静が一人、口を開く。
「…うき、でしょ?」
「あああ、バレてる〜!」
おどけた声と同時に、窓の外から逆さまに、アサシンクロス姿の女がぶら下がってきた。
「すげー! 静ちゃんすげー! まだ一度しか会ってないよね? しかも商人の時!」
アサシンクロス。それは『暗殺者』という職業だが、別に暗殺しかしないわけではない。
一度も剣を鍛えた事がない『鍛冶士』、ブラックスミスがいるのと同じで、別の仕事にそのスキルを生かしているだけ、という者も多い。
というか、そういう者の方が多いだろう。
それにしても、暗殺者がこうにぎやかなのも珍しいと言えば珍しい。静も苦笑する。
「わざと気配消さずに来たくせに…で、何?」
「んんー。…無代っち、帰ってないよね?」
帰ってる? ではない。帰っていない事をあらかじめ知っている質問。
「うん」
静はどきん、としたが、平静を装う。
「…ん。帰ってないなら、無代っちから伝言。『無代が夜半過ぎても帰らない場合、無代のことは心配せずにお寝み下さい』だってさ」
「…そう」
「心配?」
「ううん」
静は首を振るが、逆さまの目にじっと見つめられる。
「…無代っちね、カプラガードにとっ捕まってるよ。商人仲間の情報。今はカプラの事務所に監禁中。あの連中荒っぽいから…おもてなしには期待できないね」
「…」
静が、逆さまの目を見つめ返す。
「…静ちゃんがそうしてほしいならさ。うきが仲間集めて、取り返してあげるよ?」
逆さまの顔がにっ、と笑う。
カプラ社が捕らえた人間を実力で取り返す。
冒険者に絶大な恩恵をもたらす、大陸最大の企業に喧嘩を売るということがどういうことか、静にもわかる。
それは冒険者という生き方を捨てることだ。
「…ありがと。でも無代なら大丈夫」
「…」
「ホントだよ。無代…兄ちゃんはね、一番カッコ悪いとこからが、一番カッコいいんだ。…今、もし本当に大変でも、絶対巻き返すから」
その言葉を紡ぎながら、同時に静の心は落ち着いた。
自分に言い聞かせるための言葉が、彼女に思い出させた。いつだって、無代は頭をかきながら帰って来た。
「無代の戦いはこれからだ」
「静ちゃん静ちゃん、それ、最終回フラグだから」
あはは、と逆さまの顔が笑う。
「…いいなー。何か信じ合っちゃってさ。アタシも無代っちみたいな執事がほしい! くれ!」
「駄目!」
「駄目か!」
わっははは、笑い声と同時にくるん、と来た時と反対に回転し、うきの身体が消える。
「…でもどうしてもヤバかったら言うんだよー。カプラガードなんか、このうき様が蹴散らしちゃる!」
「…ありがとう」
やっぱり無代は凄いんだ、と改めて思う。この街に来てたった半年で、こんな味方がいるのだから。
静の礼が聴こえたかどうか、もう辺りに気配はない。アサシンクロスが本気で気配を断てば、静とて容易には感知できない。
それでもしばらく、目を閉じて周囲の気配に感覚を解放する。
(…?)
その感覚に、別な気配が引っかかった。
ほとんどの客が寝静まった宿の中を、静かに移動する気配。そして玄関から音もなく、石畳の上に出て行く。
(…フール?)
フールだった。
昼間に見た、あの鎧姿。だが、携えた武装が格段にグレードアップしている。
(…あれって、『三大魔剣』…? 凄い物持ってるんだ…)
フールは静の視線には気づかず、玄関から宿の横手に回ると自分のペコペコを引き出し、武装の一部をその鞍に預けるとひらり、とまたがる。
都市の燐光の中、偽りの闇の中へその姿が消えて行く。
(…)
その後ろ姿を見つめる静の瞳が、普段と違う輝きを発した。
いや本当に光を発したわけではない。しかし、その生命力にあふれた黒曜石の瞳が、まるで別次元の『何か』に一瞬、変じたことは確かだ。
(…行かなきゃ)
静の意識の中に、逆らえない衝動がわき上がる。
姉の香と違って、彼女はそれを言語や数値として認識しない。
ただあいまいなイメージや、あいまいな衝動として認識する。そしてそれを分析などしないまま、そっくり受け入れてしまう。
寝床の脇に置いた履物を腰に結わえ付け、銀狼丸を帯び、アカデミー支給のヘルムを被ると、たたたっと短く助走して窓を飛び出す。
三階。
頭から落ちれば命に関わる高さ。姉の香ならば、さまざまな感覚器官からデータを集め、数値化し、自分の動きを計算した上で跳ぶだだろう。
だが、静はそういう計算を一切しない。そのくせ、動作にまったくためらいがない。
窓枠からとん、と上に跳んだところで、忘れ物に気づく。
(部屋の灯り、消すの忘れた)
くるり、と宙返りしながら襟の後ろの隠し小柄を抜き、ひょいと投擲する。
ぴしっ、と小柄が宙を裂き、部屋のろうそくを打ち消す。
す、窓からの灯りが消える。
宙返りの回転がまだ残る静の身体が、一度天を仰ぐ。
(…お月様…)
中天に、まっ二つの月。見事なまでの半月。
静の瞳にそれが映ると、まん丸の瞳が二分割されたようだ。
(…奇麗…)
静の脳裏に、イメージがわき上がる。
(…今なら、掴めるかもしれない)
しなやかな手を、月に向って伸ばしてみる。
殺されたカプラ嬢。
帰って来ない無代。
家出した姉。
行方知れずの義兄。
そして、夜に溶けたフール。
(…掴まなきゃ…)
夜空の一番低い場所で、静は精一杯、その手を伸ばす。