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第十一話「Mothers' song」(4)
  しかし、うきが悪態をついたのも一瞬だった。
 そこは熟練の暗殺者だ。いくら予想外の事態に驚いたからと言って、その程度で動きが止まるだの、まして勝負がひっくり返るなどという甘っちょろい鍛え方はしていない。
 しかも『滅失』の無敵時間はまだ残っている。即座に切り替え、足をさばいて次の攻撃に移ればいいだけだ。
 だが、うきが身を翻えそうとした瞬間、その胸元に、とん、と妙な感触が伝わった。
 (んん?)
 その感覚を正確に把握したうきの脳裏に、驚きと困惑があふれる。
 妙な感触の正体、それは『指』だった。
 静の、奇麗な桜色の爪を乗せた白く美しい右手の指。それがうきの胸元、アサシンクロスの特徴でもある大胆に開いた胸元ににつ、と触れたのだ。
 いや、それだけなら何のダメージにもならない、どうでもいいような接触に過ぎなかったのだが……。
 がきぃっ!
 その指が突然、うきの胸ぐらを引っ掴んだ。見かけの美しさなどただのまやかしだ。それは衣装どころか、その下に隠された豊かな乳房にまで容赦なく食い込む、ほとんど暴力的と言っていいほどの握力を発揮する。
 まさに『凶器』。
 (い!? 痛ぃだだだだ!!!!)
 冗談抜きで胸の肉ごと引き千切られそうな激痛。だがそれ以上にうきを慌てさせたのは、その指に『胸ぐらを掴まれた』という事実そのものだった。
 (アマツの柔術……! ちくしょー、そこは分かってたのにーっ!!)
 歯噛みしたい気分。素足はともかく、静が素手になった理由は、うきも既に見抜いていた。
 見えない相手なら、捕まえて倒す。
 アサシンとしての修行の一環として、天津に伝わる『柔術』の存在を、うきも心得ている。武器に頼らず敵と組み合い、投げ、絞め、極め、折る、独特の格闘技術体系。それはアサシンであるうきが身につけている、打撃を主体とした技術とは大きく異なるものの、術者の技量と条件次第では、それを上回る殺傷力を発揮する。
 しかしそれを知りながら、うきは警戒を怠っていた。『滅失』の技がある以上、自分が静に捕まり、組み打ちに持ち込まれるなどあり得ない、と高をくくっていた。
 (ナメてたのはアタシの方だってか!?)
 そう。ファーストコンタクトで簡単に一撃喰らわせたと言っても、やはりこの姫君を舐めてはいけなかったのだ。シメる、と宣言したその言葉に、偽りはなかった。
 するり、と静の身体が動き、同時にぐん、とうきの身体が流れる。
 (……投げ技!)
 そう察知したものの、それはうきの知るどんな投げとも違っていた。
 まるで軽快な音楽に乗って舞う踊り手に、知らぬ間に手を取られ、気づけば踊りの輪に巻き込まれて一緒に踊ってしまっている、そんな感触。

 だがこの舞いを踊る事はこの場合、下手をすると死を意味する。
 静の身体が、うきの身体の下へ完全に潜り込み、同時にうきの片足が静の足に思い切り弾かれる。自分の体勢が崩され、体重が静の腰にそっくり乗せられる感覚。
 うきの背筋にぞくり、と戦慄が走った。敵に体勢を崩されれば、通常なら身体の自由を奪われ、後はただ投げられるしかないのだ。
 だが、その状況にあってさえ、実はうきにはまだ余裕があった。天津の柔術がいかに優秀でも、うきの卓抜した運動神経に裏打ちされたアサシンの体術だって、決して負けてはいない。
 この段階でうきにはまだ、2つの選択肢がある。
 一つは、自由な両手を使って静を攻撃すること。この密着した状態からでも、手刀化したその両手を錐の如く行使し、かなり深刻なダメージを与える事は可能だ。
 もう一つは、この投げから脱出すること。うきが自らの体術をフル活用すれば、静の投げから身体を振りほどくのは難しくない。その上で仕切り直して攻撃すれば、今度こそ静も打つ手を失うだろう。
 いずれにしても両手が自由、そしてまだ片足が地面に残っている今のうちに決断しなくてはいけない。
 (ぃ良しっ!)
 うきが選んだのは二番目の選択肢。
 投げ技から脱出し、静の攻めを正面から凌ぐ事で、その心を折る。それだ。
 うきは地面に残った片足、その足首の力だけで思い切り地面を蹴った。アサシンとして鍛え抜いた体術ならば、たったそれだけの動きでも、楽に全体重を宙に浮かせる事が可能だ。その跳躍力を利用し、静に投げられる前に自分から宙に飛ぶ。そして身体の制御を静から取り戻し、すぐさま反撃に移る。
 それがうきの描いた戦略だった。
 険しい岩場に暮らす野生の獣にも似た、猛烈なパワーと瞬発力を持つ足首が、その恐るべき力を一気に解放。ぐん! と、うきの下半身が持ち上がる。
 そのまま足から宙に舞い、空中で一回転して足から着地する……はずだった。
 だが、そうはならなかった。うきの戦略は、その初手からいきなり頓挫する。
 なぜなら、華麗に宙に舞うはずのうきの足が突然がくん、と止まったからだ。いや、止まったのではない。
 (止められた?!)
 足に伝わる予想外の感覚に、うきの脳が再び混乱する。地面を蹴ったのとは反対の足、つまり最初に静の足に払われた方の足が、何かに掴まれている。
 瞬きも間に合わぬほどの時間で、最初にうきが考えた可能性は、第三者による妨害だった。センカル、あるいはBOTにされた双子の少年のいずれかが、静に加勢する形で自分の足を掴んだのか?
 だが、うきは即座にそれを否定する。その3人は全く動いていない。いやたとえ動けたとしても、静とうき、2人の達人によるこの激突に、ちょっかいなど出せるはずがない。
 ならば今、自分の足を掴んで止め、投げ技からの脱出を妨害したのは何なのか。それに気づいた時、うきは今日何度目になるか分からない驚嘆に包まれていた。
 (ってまさかコレ……『足の指』ぃい!?!)
 そうだ。
 それは静の『足』。正確にはうきの分析通り、『足の指』だった。
 投げ技を仕掛けた静が、足で敵の足を払っただけでなく、何とその足を『掴んでいる』のである。
 (なんっじゃそりゃああ!!!)
 うきが脳内で絶叫したのも無理はない。天津柔術の心得があると言っても、こんな技は見るのも、まして受ける事など初めてだろう。
 というか、足の指で物を掴める人間というものを、そもそも想定しろという方が無理なのだ。
 だが、これは我々の先祖、かつての日本人ならば程度の差こそあれ、誰でも普通に出来た事である。明治時代、西洋文化の影響から『靴』を履くようになるまで、我々の先祖は『素足』を基本にして生活してきた。江戸末期でさえ、庶民はほぼ裸足で生活していた、と記録にある。
 靴を履くのに対して、裸足であることの最大の利点は、地面を掴むように踏ん張る、その『握力』にある。この力により、不安定な場所でも体勢を崩さず、足場に吸い付くように動く事ができるのだ。
 そしてこの足の吸着力を武術に生かした柔道技も、かつて存在したと伝えられる。
 私たち現代日本人には、もう望むべくもないこの能力を、この静という姫君はまだその身体に秘めているらしい。
 例えば。
 静が子供時代に遊んだ竹馬には、足を置くための横棒が無かったという。要するにただの一本の竹の棒を、足の親指と人差し指だけで掴み、それだけで全体重を支えて、すたすたと歩くのだ。これには、遊びに関しては兄貴分であった無代でさえ、呆気に取られたという。
 この姫様にかかっては、足の指だけで木に登るわ、天守閣の軒にぶら下がるわ、果てはおやつの栗の皮を剥くのさえ自由自在。ただし行儀が悪いにもほどがあるため、もし見つかろうものなら父の鉄や義母の巴から、それこそ大目玉を食らうのだが。
 しかしこの足があってこそ、アサシンクロス・うきでさえ回避不可能な、この必殺の投げ技が成立する。
 敵の足を払うだけでなく、ひっ掴んで逃がさない。いや逃がさないどころか、相手の足を掴んだまま持ち上げ、投げのベクトルに上乗せしていく。
 (嘘っそおぉぉ!!!!)
 びしっ! 静の足が、とどめとばかりに地を蹴った。うきの足を掴んだ足ではなく、地面をがっしりと掴んだままの軸足。その足首の力だけで、自分とうき、2人分の体重を宙に浮かせる。その爆発的なパワーは、決してうきに引けを取らない。
 静の身体が起こした猛烈な回転が、うきの身体を巻き込んでいく。それはまるで、大海の果てにあるという船喰いの大渦が巨大な帆船を捕らえ、海の底に引きずり込む様にも似ている。
 『戻り龍神』。
 後の世にそう名付けられ、天津柔術史上でも完璧な使い手は4人といない、とされた投げ技。
 その誕生の瞬間がこれである。
 なお『戻り龍神』とは、瑞波の国を流れる大河『剣竜川』が年に一度、潮汐の関係で大規模な逆流現象(南米アマゾン河の『ポロロッカ』が名高い)を起こす様を、龍神が海から河へ帰る様に例えた言葉だ。
 ちなみに静自身はこの技を、その生涯で二度と使う事はなかった。
 『場所も相手も違うのに、同じ事したってしょうがない』。
 彼女は後にそう語ったという。つまり静にとってこれは『技』ではなく、この日この時この場所で、うきという強敵を倒すためだけに取った『手段』に過ぎなかったのである。
 
 良い機会なので、静の武術について少し記そう。興味の無い向きには飛ばして頂いても差し支えない、いわゆる『余談』である。

 さて、静が身につけている武術には、いわゆる『流派』というものが無い。  
 というかこの時代の瑞波、いや天津にはまだ、『流派』と呼ぶべき武術体系が存在していない、というのが正しい。流祖がいて、それを継ぐ者がいて、さらにその弟子が、という流れが存在していないのである。
 これは天津が、未だ天下の定まらない戦乱の中にある事と無関係ではない。いや戦乱の世ならば武術が台頭するだろう、という考え方もあろうが、実を言うとそれは逆である。
 なぜなら戦乱の世である以上、腕に覚えのある者は、戦に出て武功を立てれば良いからだ。何も弟子を取り、それを育てて月謝をもらい、などというまどろっこしい事をする必要は無いのである。
 皮肉な事に、『武術の流派』などというものが台頭してくるのは、むしろ戦が減り、武術が役に立たなくなった時代、つまり泰平の世が見え出してからだ。腕っ節だけで身を立てるのが難しくなった連中が、その腕一本で飯を喰う手段として考え出したのが、つまり武術指南というモノなのである。
 過去の日本でも、いわゆる『武術の流派』が台頭してくるのは戦国末期。剣で身を立てる事が難しくなってからのことであり、それが最も隆盛したのは江戸時代、泰平の世になってから、という史実を見てもそれが分かるだろう。
 一条静が生きたこの時代、瑞波の国はちょうどその過渡期にある。
 そしてその中でも、静が生まれ育った一条家は、武術に関してユニークなアプローチをした事で知られている。
 一条家率いる瑞波の国は、天津の覇権を巡る戦に積極的に関与する中で、他国と同じく多くの腕自慢の武術家を召し抱えている。当然、戦で戦わせるのが第一目的だ。
 ただ一条家が他国と決定的に違うのは、例えば負傷したり老齢になって闘えなくなった者も放逐せず、そのまま国内に留まらせて扶持、つまり給料を与え、若い世代にその技術を伝えさせた事である。ちょうど出来上がったばかりの教育機関『天臨館』にも、彼らの一部が教師として赴任している。
 『個人の経験を情報として蓄積し、全員で活用する』
 『賢公』の名をほしいままにした一条家の先代当主・一条銀が、その国づくりの根幹の一つとして挙げた家訓である。
 それまでの、一人の人間の一代限りの経験と記憶に頼るやり方ではなく、それを蓄積して広く共有すること。武術のみならず、銀は政治経済文化あらゆる事物において、詳細な記録とその継承を徹底させた。
 もちろんそれは、瑞波が経済的に豊かで、国家経営に余裕があったからできたことである。経済という絶対的な土台の上に、情報という城を築いたわけだ。
 『天井裏の魔王』一条銀という天才君主が、その短い生涯を捧げた『富国』。それが単に経済的な面だけに止まらず、遥かに多彩な成果を残した、そのことは特筆されてよいだろう。
 そして一条静。
 彼女こそはその最初にして最高の結晶、精華と呼んで良い存在なのだ。
 一条家の居城・見剣の城に集められた選りすぐりの武術家達。彼らがその豊富な戦闘経験の中から編み出した、今だ荒削りな『技』を、静は幼少の頃から学び、片っ端から吸収した。
 『BOT製作者』フランシア・センカルを驚愕せしめた、その恐るべき心身能力をベースに、本来なら数十年の時を費やして経験していくはずの実戦情報を、同時に数十人分もインプットしていったのである。
 それも後世のような、教育システムが充実してからの教え方ではない。
『教える』どころか、ほぼ完全な実戦形式である。
 十にもならぬ少女を相手に、それこそ背中に苔が生えるほど戦場を渡り歩いた古兵達が、真剣から刃を削っただけの刃引き太刀(竹刀はおろか、木剣すら使われなかった)を手に、その経験の全てを叩き込む。その様を想像しただけでも、壮絶の一言しかあるまい。道場には常に腕利きのプリーストが、それも複数侍っていた、というのも頷ける。
 こうして完成された静の武術は、だから現状では『何流』でもない。そして同時に、今は誰もそれを継ぐ事が不可能な、彼女唯一人のための体系なのである。

 さて、では最後に飛び切りの『余談』を一つ記す。

 この静の武術を後に、唯一継承した人物がいる。
 それは彼女がその生涯に唯一、その腹から産み落とした実子。
 伝説ともなった壮絶な家督争いの末、見事に一条家当主の座を掴み。
 重代の家宝『大太刀・月咬銀狼丸(おおだち・つきかみぎんろうまる)』の初代所持者となり。
 そして関白太政大臣となって、天津の位人臣を極めたその男。

 人呼んで『剣大臣(ツルギノオトド)』。
 一条鋼(いちじょう はがね)、その人である。
 
 静とうきの対決に話を戻そう。
 『戻り龍神』の体勢が完成してしまっては、さしものうきも逃げることは不可能だ。両手の手刀で静を攻撃しても、投げで地面に叩き付けられるのは避けられないだろう。この岩場で自分と静、2人分の体重を乗せたまま落ちれば、いずれにしてもタダでは済まない。
 (受け身!)
 うきに残った選択肢はそれしかなかった。
 柔術の心得がある、というのは決して伊達ではない。投げを食らった時、腕で地面を叩く事でそのダメージを最低限に抑える技術が、うきにはある。さすがに無傷とはいくまいが、たった一撃でも反撃できる力が残っていれば、その後に静を仕留めるのに不自由はない。
 うきは地面に叩き付けられるタイミングを測り、手刀化した両手をゆるめて、受け身の体勢を取った。
 だが、うきがその受け身の技術を発揮する事は、ついにできなかった。
 「南無……」
 静の呟きの意味を考える時間すらない。
 ごっきん!!!!
 その時、うきがまず感じたのは、後頭部から伝わるカッ、という熱さだった。直後、それが頭全体に衝撃となって伝わる。『目から星が出る』というあの感覚。
 後頭部が何かにぶつかった。いや、ぶつかった、などと言うお優しいものではない。それはまさに激突。シャレにならないほど重く、堅い物が、後頭部にまともにヒットする感覚。
 (はいぃ?)
 うきがその正体を知った時は、もう何もかも遅かった。
 ごきん、と何かが砕ける感覚。首が折れた。めしっ、と何かが軋む感覚は、頭蓋骨が砕けたらしい。
 (あー、さっきヘルム被せてた、あの岩かぁ……)
 残った数千分の何秒か、その時間にうきが考えたのはそんな呑気な分析。
 戦いの直前、静が脱いだヘルムを被せた、あの地面から高く突き出した岩。
 そのてっぺんに向け、うきの脳天を叩き付けるように投げれば、なるほど受け身の取りようはない。岩にヘルムを被せたのは、その岩を『凶器』として使う意図を隠すためだろう。

 一切の手加減なし、それは静も同じ。いや、それ以上に情け容赦ない、殺す気満々の投げ技を、何のためらいもなく仕掛ける。
 それが一条静という『武人(もののふ)』なのだ。
 (怖っえぇぇ……)
 アサシンクロス・うきは腹の底からそう思う。
 そしてそれを最後に、彼女の思考はぷっつりと途絶えた。
中の人 | 第十一話「Mothers' song」 | 20:07 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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