2009.09.12 Saturday
第四話「I Bot」(1)
「聖戦」。
この世界に暮らす者なら、その遥か過去の戦いを知らぬ者はいないだろう。
その激烈を極めた戦いには、『聖戦に勝つために』多くの事物が投入された。
武器、システム、モンスター、そして人間。
それらの大半は激しい戦いの中で失われ、残ったものも長い年月の間に消え去った。
が、わずかながらそのままの姿で、現代まで残留した事物もある。
それらを総称して『戦前種(オリジナル)』と呼ぶ。
『戦前種』はいずれも、現代では失われた超科学や超魔法、果ては『神の奇跡』までつぎ込んで構築されており、現代の事物とは桁違いの『性能』を誇る。
だが、『聖戦の遺物』は『戦前種』だけではない。
戦前種そのものではないが、その技術や血筋がある人々によって現代まで伝えられ、戦前種を彷彿とさせる力を発揮するものがある。
それらの事物を『伝承種(レジェンド)』という。
さらに別種として、戦前種や伝承種の力を研究し、現代にその力を蘇らせようとする試みが常に行われてきた。
その結果、戦前種や伝承種の力を再現できたもの、あるいは『再現できてしまったもの』を、『再現種(リプロダクション)』という。
また再現種の中でも特に優秀で、時にユニークな独自の力を発現したものを『成功種(サクセス)』と呼ぶこともある。
そして、その全てにおける失敗作が『失敗種(エラー)』だ。
瑞波国の守護大名一条家。
その国事の大半を取り仕切る、筆頭御側役・善鬼は『伝承種(レジェンド)』である。
彼は『鬼の子孫』だ。
聖戦時代、魔物に対抗するために「人間を強化する」試みがいくつも行われた。
その代表的なものが「魔物との混血」。
彼の遠い先祖は、異世界から呼び出したモンスター(現代では『鬼』としか伝わっていない)と一族の女たちを『交配』し、『鬼の子供たち』を手に入れた。彼らは体力、戦闘力、魔力、いずれも常人を遥かに凌駕し、聖戦時代には傭兵として多くの戦場で戦ったと言われる。
普段は人と全く変わらないが、戦闘時には身体のどこかに『角』が出現し、力や耐久性が強化され『超人』となる。
ただその血は強い劣性遺伝であるため出生率は低く、また無事に生まれたとしても『鬼の血』が発現し角を持てる者は一握りであった。
聖戦後、『鬼の一族』はルーンミッドガッツ王国の『軍事機密』となり、多くは要人の警護役に雇われることになる。
この役目は『オマモリ』と呼ばれた。
善鬼もまた、少年期を終えて『鬼の血』が発現すると同時に、ある女性の『オマモリ』となる。
だが…。
彼とは別種の『伝承種』だったその女性を、善鬼は守ることができなかった。
そして、彼は鬼の一族も、王国も捨てて瑞波へ来た。
自分が守れなかった『あの人』が、この世に残した三人の娘を『今度こそ』守ること。
それが今の彼の全てと言ってもよい。
「…やはり苦しいな…」
広大な城の一角にしつらえられた執務室で、善鬼は一人ごちた。
主の謹厳な性格をそのまま写したような執務室には、一切の飾りも贅もない。座布団はあるものの全部が客用で、主の善鬼は畳に直接正座して執務を行う徹底ぶりである。
その静かな執務室で、善鬼は大量の文書に目を通し、訂正し、サインを入れる。
だがその目は険しい。
険しさの第一原因は瑞波の経済状況…といっても、貧しさではない。
(…国内にモノが溢れすぎている…)
それである。
瑞波は豊かな国だ。農地は広く肥沃で、鉱山も抱えており、それらを背景とした工業生産も盛んだ。特に絹、銀の生産では天津でも有数と言って良い。
先代当主・一条銀の指導の下、開発と育成に力を注いだ結果である。
ただ、それが実を結んだ今になって、別の問題が発生していた。
『生産したモノが売れない』のだ。
従来から取り引きのある天津の国々は、はっきり言ってどこも貧しい。豊かに発展している国は瑞波も含めて一握りであり、瑞波のモノが欲しくても買えない国の方が多い。
名君・一条銀は当然それも見越しており、対策は立てていた。
海外貿易である。
大型で高速の輸送船を数多く建造し、安全な航路を開拓し、海外の豊かな国にモノを売り込む。
となれば言うまでもなく、その最大のターゲットはルーンミッドガッツ王国しかない。
世界最大の人口と経済力を持つ大国にモノを売り、対価としてその進んだ技術や工業製品を輸入できれば、瑞波の更なる反映は約束されたも同然であろう。
が、これには障害があった。
『商業権』である。
ルーンミッドガッツ王国内での商業活動は、王国内の商人達による商業ギルドによって厳しく統制されている。要するに、商業ギルドの発効する『商業権』がないと、王国内で商売をすることができないのだ。
冒険者たちの露店程度は目こぼしされるとしても、店を構えたり、まして国家レベルの大規模な貿易となると、商業権なしでは不可能である。
そして瑞波は現在、王国での商業権を持っていない。一条銀の代から長年申請を繰り返し、政治的な働きかけも行っているが、未だに実を結んでいない。
結果として、瑞波の産物を王国に運ぶ事はできても、自分たちで売る事ができない。まず王国で商業権を持つ商人に買い取ってもらい、王国内で売ってもらうしかない。
これでは当然、立場が弱い。
中間搾取を受ける分、利益は少なく、最悪の場合買い叩かれても文句は言えない。
『王国の商業権確保』は瑞波の悲願と言ってもよかった。
ところで天津の国々で唯一、王国の商業権を持つ者がいる。
それが『芝村家』だ。
静が知り合ったプリースト、速水厚志が属する『家』である。
芝村家は、一条家のような喧嘩屋上がりの守護大名ではない。貴族である。
ルーンミッドガッツ王国が天津を『発見』した際に、その対応をしたのが芝村の先祖であった。
彼らはその立場を最大限に活用し、瑞波の珍しい事物を王国に売り込む『窓口』としての立場を手に入れた。瑞波を含む多くの国が、この芝村を通じて王国と貿易を行っているのが現状だ。
当然、芝村の評判はよろしくない。
『立場を利用して儲け口を独占した』『王国の言いなりのイヌ』とは良く聞かれる陰口だが、芝村にも言い分はある。
「もし芝村が矢面に立って、王国の急進勢力を抑えなければ…天津は王国に征服されていた」
それはまあ、決して嘘というワケでもない。
ルーンミッドガッツ王国の『覇権主義』は有名だ。
要するに軍隊を送って他国を征服、もしくは属国化し植民地化するのだ。
だが、芝村が王国と渡り合い、王国に十分な利益を与えている限り、天津は王国の軍事的侵攻を受けない。
「芝村こそ天津の盾である」
一理ある言い分ではある。
(…だが、その理屈もそろそろ限界ではある…)
善鬼の思考は、現状とその先を読む。
瑞波を筆頭に、豊かな国々は『豊かになりすぎて』きている。もっと売りたい、もっと欲しい、という欲求は強まるばかりだ。同時に芝村への、ひいては王国への不満も蓄積する。
『反芝村、反王国』、そして『天津統一と独立』
天津という器から溢れ出したエネルギーが、器そのものの破壊へと向う気配。
誰が天津を取り、王国に対してどう出るか。
(…王国も黙ってはいまい…。そして彼らが最も警戒するのが…)
善鬼が思考する。
(…我が瑞波と、芝村の同盟…)
『天津の盾』こと芝村と、『天津の剣』こと瑞波。その同盟は、かの王国さえ震撼させるだろう。
(…そしてこの時期に、『彼ら』の大半が瑞波にいない…)
瑞波の世継ぎ・一条流。
その許嫁で三の姫・一条静
二の姫・一条香
いずれも瑞波の明日を背負う異能の『成功種(サクセス)』…。
前鬼が知る限り、最初の二人は王国にいる。三人目もまた王国にいるか、そこを目指しているはずだ。
(…嵐が…来るな…)
善鬼の背中に、熱いとも冷たいともつかぬモノが流れる。
(…芝村巌(いわお)…瑞波をどう見る…?)
芝村の現当主、その食えぬ顔が善鬼の脳裏に浮かぶ。
(…あの男も…王国にいるのだぞ…? 見えているか…?)
善鬼の脳裏に、一対の瞳が蘇る。
『首だけ』になっても、自分を睨みつけていたその瞳。
無代。
若者の腕を、足を鈍器で叩き落とす、あの善鬼の『漢試し』。
多くの若者の四肢を『落とした』彼だが、『首を落とされても彼を睨み続けた』のは過去、たった一人だけだ。
(…無代よ)
剣も魔法も駄目な、伝承種にも成功種にもほど遠い男に、善鬼は語りかける。
(…世界を変えられるか…? その心根一つで…?)
心で世界を変える?
芝村は笑うだろう。
世界の誰もが笑うだろう。
(…そうとも…笑わせておくがいい…)
善鬼の顔に小さな笑みが浮かぶ。この男を知る者が見たらびっくりするような、それは優しく、夢でも見るような笑みだった。
その善鬼の耳に、足音が届く。
力と自信と生命力に満ちあふれた足音。そしてそれよりずっと小さな、軽い足音。
善鬼が筆を置き、机の上の文書を片付けて立ち上がるのと、執務室の戸が挨拶抜きですぱーん、と開けられるのが同時だ。
「戻ったぞ善鬼! しかしお前の出迎えがないのは不満だ!」
朱と金で飾られた見事な兜をがば、と脱ぎ、後ろに向ってぽい、と投げる。
主張の塊のような容貌があらわになる。
髪も。
眉も。
目も。
鼻も。
唇も。
濃く、強く、それぞれが圧倒的な存在感を主張している。
瑞波の太陽とも、向日葵とも、牡丹とも讃えられる美貌。
兜に続いて鎧も篭手もひっぺがし、同じようにぽいぽいと後ろに放る。
容貌に続いてあらわになる身体もまた、主張の塊だ。
180センチを超える長身、ボリュームの調整を間違えたとしか思えない胸、生命力を極限まで集約して形にしたような腰。
迫力、という言葉がこれほどふさわしい身体もあるまい。
二十一歳。まさにこれから花盛りを迎えんとする。
一条家の長女・綾である。
「お帰りなさいませ、綾お嬢様」
善鬼がすっ、と綾の前に両膝をつくと、両手を揃えて礼をする。
「…馬鹿丁寧な礼なんかいい。立て、ほら立て」
綾は気安く言いながら、最後の脛当ても外してぽい、と放る。
放られた後ろでは、小さな人影がほいっ、はっ、ほっ、と慣れた調子で防具を受け止めていた。
「…咲鬼、ご苦労」
「はい! 善おじさまもご苦労様です。では綾姫様、咲鬼は下がらせていただきます!」
綾付きの侍女、咲鬼がぴょこんとお辞儀をし、廊下の向こうへ消える。
名前で分かる通り、彼女も『伝承種』、『鬼』だ。
善鬼の姉の娘、つまり姪っ子である。
「…む、こら善鬼。姫へのねぎらいが侍女より後回しとはどういうことだ?」
両手を腰に当てたままの綾がつかつかと近寄ると、その豊かすぎる胸でどん、と善鬼をどやしつける。
長身の綾よりも、善鬼はさらに少し背が高い。
綾はその顔を、軽くあごを上げて見上げる格好。不満そうな表情を作っているが、目は悪戯っぽく輝いている。
「失礼致しました、綾お嬢様。国内視察、まことにご苦労様に存じます」
「別に。苦労なんかしていない。発生したモンスターもすぐ片付いたし、どさくさ紛れに瑞波へ侵入しようなんて不届き者どもも、奇麗に掃除した。東崎の国の忍びらしかったが…楽なものだ」
「…で、それが今回の戦利品でございますか?」
「ん? あ…こら顔を出すなと…!」
綾の懐から、柔らかい毛の塊が覗いている。
「…ルナティック…。連れてお帰りになったので…?」
「う…まあな…。その…なかなか見上げたヤツでな…可愛いし…」
綾がごにょごにょ言いながら、懐の毛玉をなでてやる。『ルナティック』はれっきとしたモンスターだが、外見はウサギに似て非常に可愛い。
「…片目がございませんね」
「…別のモンスターにやられたらしい。だが、決して怯まずに自分の仲間を守ろうと戦っていた。…つい…ぐっと来てしまってな」
ルナティックなりに精一杯戦い続けて、ボロボロになったところを綾に助けられたそうだ。
「…やっぱり駄目か…善鬼? お城で飼うのは…」
「さすがにお城では不味うございますが…裏山に放してやりましょう。あそこなら危険な敵もおりませんし、片目でも生きて行けるかと」
「だからお前は好きだ、善鬼」
綾がにっこり笑うと、片手を善鬼の首に回し、つ、とキスした。
善鬼四十五歳。親子ほども年齢が違うが、この二人は恋人同士だ。
「オレが留守の間に、妹たちが心配をかけたらしいな」
「立て続けに姫様がお二人『家出』なさいましたので」
善鬼も苦笑するしかない。殿様と奥方様の『公認』があるとはいえ、家臣や領民に事実を発表する訳にもいかず、善鬼としてはなかなか頭の痛いところだ。
「ふふ、すまないな、善鬼。…でも大丈夫。二人とも、惚れた男に向って全速力で駆けている。…香ほどじゃないが、オレにだってそれぐらいは分かる」
「…そうか…それなら良い。安心したよ、綾」
善鬼も言葉を緩め、綾の腰に手を回す。綾の腕はとっくに、両腕とも善鬼の首に回っている。
と、そこで善鬼の腕がぴくり、と止まった。
「…綾…お前…ひょっとして…」
「…ふふん、やっと気づいたか。『父親』がそんな鈍感では先が思いやられるぞ、善鬼」
綾の笑みが大きくなる。
「…子供を…?」
「うん。妊娠した。男の子だ。オレにはわかる。よかったな善鬼」
綾が、自分より背の高い善鬼の頭を両手で抱え、自分の胸に抱きしめる。
「善鬼、これでもうお前は一人じゃない。子供も、妻もできる。ついでに義理だが両親も、弟妹もできる。きっとたくさん孫もできるぞ」
「…」
「心配いらん。オレは流産なんかしない。鬼の血なんか、オレには関係ない。必ず元気な子供を産んでやる。しかもこれで終わりじゃない。お前が根を上げるまで、何人でも生んでやるからな。覚悟しておけよ」
「…綾」
「それに、流義兄様や妹たちがいなくても、この国にはオレがいる。何が来ても大丈夫だ。『戦前種』だろうが『伝承種』だろうが『魔王』だろうが問題ない。最悪でも相打ちには持ち込んでやる。一人残らず、オレが守ってやるからな」
強がりでも願望でもない。この歳若い恋人はいつだって、やると言った事はやる。
底知れぬほどの強さと生命力。
最強の伝承種と謳われた善鬼でさえ、まだこの綾の『底』を見たことがない。
善鬼はふっと泣けそうになった。
鬼の一族に生まれた彼は、親を親と思った事はない。
母親はどこかの貧しい農村から買われて来た女で、『繁殖用』としての悲惨な日々の中で心を病んでいた。
一族の男全員と、妊娠するまで関係を持たされるのだから当然だ。そして善鬼を生んですぐ、自殺した。
当然、父親はわからない。一族の男の誰か、ということ以外は…。
ただ目的のために生み出され、目的のために死ぬ。
そこに喜びはない。
だが、喜びはあったのだ。
ここに。
「…さあ、お父様とお義母様に報告せねばならん。結婚の許しももらわねばな。善鬼、お父様にぶん殴られる覚悟はできているな?」
綾が笑う。
善鬼も苦笑する。
彼の『元上官』でもあり、今は『主君』でもある一条の殿様は、こんな男に娘を妊娠させられて怒るだろうか。
いや怒るまい。
それどころか、今夜は祝いの酒と歌で寝かせてもらえないだろう。その覚悟を先にした方がよさそうだ。
自分は酒に酔えない体質なので、逆に辛いのだが…。
「何をしている善鬼、行くぞ?」
「…綾」
「ん?」
とっとと先に行こうとする綾を、善鬼が呼び止めた。
「…よくやった」
「うん!」
誇らしく、綾がまた笑う。
(…来るがいい)
善鬼の心に、火が灯った。
(…どんな嵐でも、来るがいい)
この世の誰も知らない。
遠く聖戦から続く鬼の血。
それを『受け継がされた』孤独な一匹の鬼が今、ここに生まれ変わったことを。
夫として。
父として。
その呪われた血を祝福に変えてみせる。
善鬼の人生にもう一つ、目的が加わったのだ。
この世界に暮らす者なら、その遥か過去の戦いを知らぬ者はいないだろう。
その激烈を極めた戦いには、『聖戦に勝つために』多くの事物が投入された。
武器、システム、モンスター、そして人間。
それらの大半は激しい戦いの中で失われ、残ったものも長い年月の間に消え去った。
が、わずかながらそのままの姿で、現代まで残留した事物もある。
それらを総称して『戦前種(オリジナル)』と呼ぶ。
『戦前種』はいずれも、現代では失われた超科学や超魔法、果ては『神の奇跡』までつぎ込んで構築されており、現代の事物とは桁違いの『性能』を誇る。
だが、『聖戦の遺物』は『戦前種』だけではない。
戦前種そのものではないが、その技術や血筋がある人々によって現代まで伝えられ、戦前種を彷彿とさせる力を発揮するものがある。
それらの事物を『伝承種(レジェンド)』という。
さらに別種として、戦前種や伝承種の力を研究し、現代にその力を蘇らせようとする試みが常に行われてきた。
その結果、戦前種や伝承種の力を再現できたもの、あるいは『再現できてしまったもの』を、『再現種(リプロダクション)』という。
また再現種の中でも特に優秀で、時にユニークな独自の力を発現したものを『成功種(サクセス)』と呼ぶこともある。
そして、その全てにおける失敗作が『失敗種(エラー)』だ。
瑞波国の守護大名一条家。
その国事の大半を取り仕切る、筆頭御側役・善鬼は『伝承種(レジェンド)』である。
彼は『鬼の子孫』だ。
聖戦時代、魔物に対抗するために「人間を強化する」試みがいくつも行われた。
その代表的なものが「魔物との混血」。
彼の遠い先祖は、異世界から呼び出したモンスター(現代では『鬼』としか伝わっていない)と一族の女たちを『交配』し、『鬼の子供たち』を手に入れた。彼らは体力、戦闘力、魔力、いずれも常人を遥かに凌駕し、聖戦時代には傭兵として多くの戦場で戦ったと言われる。
普段は人と全く変わらないが、戦闘時には身体のどこかに『角』が出現し、力や耐久性が強化され『超人』となる。
ただその血は強い劣性遺伝であるため出生率は低く、また無事に生まれたとしても『鬼の血』が発現し角を持てる者は一握りであった。
聖戦後、『鬼の一族』はルーンミッドガッツ王国の『軍事機密』となり、多くは要人の警護役に雇われることになる。
この役目は『オマモリ』と呼ばれた。
善鬼もまた、少年期を終えて『鬼の血』が発現すると同時に、ある女性の『オマモリ』となる。
だが…。
彼とは別種の『伝承種』だったその女性を、善鬼は守ることができなかった。
そして、彼は鬼の一族も、王国も捨てて瑞波へ来た。
自分が守れなかった『あの人』が、この世に残した三人の娘を『今度こそ』守ること。
それが今の彼の全てと言ってもよい。
「…やはり苦しいな…」
広大な城の一角にしつらえられた執務室で、善鬼は一人ごちた。
主の謹厳な性格をそのまま写したような執務室には、一切の飾りも贅もない。座布団はあるものの全部が客用で、主の善鬼は畳に直接正座して執務を行う徹底ぶりである。
その静かな執務室で、善鬼は大量の文書に目を通し、訂正し、サインを入れる。
だがその目は険しい。
険しさの第一原因は瑞波の経済状況…といっても、貧しさではない。
(…国内にモノが溢れすぎている…)
それである。
瑞波は豊かな国だ。農地は広く肥沃で、鉱山も抱えており、それらを背景とした工業生産も盛んだ。特に絹、銀の生産では天津でも有数と言って良い。
先代当主・一条銀の指導の下、開発と育成に力を注いだ結果である。
ただ、それが実を結んだ今になって、別の問題が発生していた。
『生産したモノが売れない』のだ。
従来から取り引きのある天津の国々は、はっきり言ってどこも貧しい。豊かに発展している国は瑞波も含めて一握りであり、瑞波のモノが欲しくても買えない国の方が多い。
名君・一条銀は当然それも見越しており、対策は立てていた。
海外貿易である。
大型で高速の輸送船を数多く建造し、安全な航路を開拓し、海外の豊かな国にモノを売り込む。
となれば言うまでもなく、その最大のターゲットはルーンミッドガッツ王国しかない。
世界最大の人口と経済力を持つ大国にモノを売り、対価としてその進んだ技術や工業製品を輸入できれば、瑞波の更なる反映は約束されたも同然であろう。
が、これには障害があった。
『商業権』である。
ルーンミッドガッツ王国内での商業活動は、王国内の商人達による商業ギルドによって厳しく統制されている。要するに、商業ギルドの発効する『商業権』がないと、王国内で商売をすることができないのだ。
冒険者たちの露店程度は目こぼしされるとしても、店を構えたり、まして国家レベルの大規模な貿易となると、商業権なしでは不可能である。
そして瑞波は現在、王国での商業権を持っていない。一条銀の代から長年申請を繰り返し、政治的な働きかけも行っているが、未だに実を結んでいない。
結果として、瑞波の産物を王国に運ぶ事はできても、自分たちで売る事ができない。まず王国で商業権を持つ商人に買い取ってもらい、王国内で売ってもらうしかない。
これでは当然、立場が弱い。
中間搾取を受ける分、利益は少なく、最悪の場合買い叩かれても文句は言えない。
『王国の商業権確保』は瑞波の悲願と言ってもよかった。
ところで天津の国々で唯一、王国の商業権を持つ者がいる。
それが『芝村家』だ。
静が知り合ったプリースト、速水厚志が属する『家』である。
芝村家は、一条家のような喧嘩屋上がりの守護大名ではない。貴族である。
ルーンミッドガッツ王国が天津を『発見』した際に、その対応をしたのが芝村の先祖であった。
彼らはその立場を最大限に活用し、瑞波の珍しい事物を王国に売り込む『窓口』としての立場を手に入れた。瑞波を含む多くの国が、この芝村を通じて王国と貿易を行っているのが現状だ。
当然、芝村の評判はよろしくない。
『立場を利用して儲け口を独占した』『王国の言いなりのイヌ』とは良く聞かれる陰口だが、芝村にも言い分はある。
「もし芝村が矢面に立って、王国の急進勢力を抑えなければ…天津は王国に征服されていた」
それはまあ、決して嘘というワケでもない。
ルーンミッドガッツ王国の『覇権主義』は有名だ。
要するに軍隊を送って他国を征服、もしくは属国化し植民地化するのだ。
だが、芝村が王国と渡り合い、王国に十分な利益を与えている限り、天津は王国の軍事的侵攻を受けない。
「芝村こそ天津の盾である」
一理ある言い分ではある。
(…だが、その理屈もそろそろ限界ではある…)
善鬼の思考は、現状とその先を読む。
瑞波を筆頭に、豊かな国々は『豊かになりすぎて』きている。もっと売りたい、もっと欲しい、という欲求は強まるばかりだ。同時に芝村への、ひいては王国への不満も蓄積する。
『反芝村、反王国』、そして『天津統一と独立』
天津という器から溢れ出したエネルギーが、器そのものの破壊へと向う気配。
誰が天津を取り、王国に対してどう出るか。
(…王国も黙ってはいまい…。そして彼らが最も警戒するのが…)
善鬼が思考する。
(…我が瑞波と、芝村の同盟…)
『天津の盾』こと芝村と、『天津の剣』こと瑞波。その同盟は、かの王国さえ震撼させるだろう。
(…そしてこの時期に、『彼ら』の大半が瑞波にいない…)
瑞波の世継ぎ・一条流。
その許嫁で三の姫・一条静
二の姫・一条香
いずれも瑞波の明日を背負う異能の『成功種(サクセス)』…。
前鬼が知る限り、最初の二人は王国にいる。三人目もまた王国にいるか、そこを目指しているはずだ。
(…嵐が…来るな…)
善鬼の背中に、熱いとも冷たいともつかぬモノが流れる。
(…芝村巌(いわお)…瑞波をどう見る…?)
芝村の現当主、その食えぬ顔が善鬼の脳裏に浮かぶ。
(…あの男も…王国にいるのだぞ…? 見えているか…?)
善鬼の脳裏に、一対の瞳が蘇る。
『首だけ』になっても、自分を睨みつけていたその瞳。
無代。
若者の腕を、足を鈍器で叩き落とす、あの善鬼の『漢試し』。
多くの若者の四肢を『落とした』彼だが、『首を落とされても彼を睨み続けた』のは過去、たった一人だけだ。
(…無代よ)
剣も魔法も駄目な、伝承種にも成功種にもほど遠い男に、善鬼は語りかける。
(…世界を変えられるか…? その心根一つで…?)
心で世界を変える?
芝村は笑うだろう。
世界の誰もが笑うだろう。
(…そうとも…笑わせておくがいい…)
善鬼の顔に小さな笑みが浮かぶ。この男を知る者が見たらびっくりするような、それは優しく、夢でも見るような笑みだった。
その善鬼の耳に、足音が届く。
力と自信と生命力に満ちあふれた足音。そしてそれよりずっと小さな、軽い足音。
善鬼が筆を置き、机の上の文書を片付けて立ち上がるのと、執務室の戸が挨拶抜きですぱーん、と開けられるのが同時だ。
「戻ったぞ善鬼! しかしお前の出迎えがないのは不満だ!」
朱と金で飾られた見事な兜をがば、と脱ぎ、後ろに向ってぽい、と投げる。
主張の塊のような容貌があらわになる。
髪も。
眉も。
目も。
鼻も。
唇も。
濃く、強く、それぞれが圧倒的な存在感を主張している。
瑞波の太陽とも、向日葵とも、牡丹とも讃えられる美貌。
兜に続いて鎧も篭手もひっぺがし、同じようにぽいぽいと後ろに放る。
容貌に続いてあらわになる身体もまた、主張の塊だ。
180センチを超える長身、ボリュームの調整を間違えたとしか思えない胸、生命力を極限まで集約して形にしたような腰。
迫力、という言葉がこれほどふさわしい身体もあるまい。
二十一歳。まさにこれから花盛りを迎えんとする。
一条家の長女・綾である。
「お帰りなさいませ、綾お嬢様」
善鬼がすっ、と綾の前に両膝をつくと、両手を揃えて礼をする。
「…馬鹿丁寧な礼なんかいい。立て、ほら立て」
綾は気安く言いながら、最後の脛当ても外してぽい、と放る。
放られた後ろでは、小さな人影がほいっ、はっ、ほっ、と慣れた調子で防具を受け止めていた。
「…咲鬼、ご苦労」
「はい! 善おじさまもご苦労様です。では綾姫様、咲鬼は下がらせていただきます!」
綾付きの侍女、咲鬼がぴょこんとお辞儀をし、廊下の向こうへ消える。
名前で分かる通り、彼女も『伝承種』、『鬼』だ。
善鬼の姉の娘、つまり姪っ子である。
「…む、こら善鬼。姫へのねぎらいが侍女より後回しとはどういうことだ?」
両手を腰に当てたままの綾がつかつかと近寄ると、その豊かすぎる胸でどん、と善鬼をどやしつける。
長身の綾よりも、善鬼はさらに少し背が高い。
綾はその顔を、軽くあごを上げて見上げる格好。不満そうな表情を作っているが、目は悪戯っぽく輝いている。
「失礼致しました、綾お嬢様。国内視察、まことにご苦労様に存じます」
「別に。苦労なんかしていない。発生したモンスターもすぐ片付いたし、どさくさ紛れに瑞波へ侵入しようなんて不届き者どもも、奇麗に掃除した。東崎の国の忍びらしかったが…楽なものだ」
「…で、それが今回の戦利品でございますか?」
「ん? あ…こら顔を出すなと…!」
綾の懐から、柔らかい毛の塊が覗いている。
「…ルナティック…。連れてお帰りになったので…?」
「う…まあな…。その…なかなか見上げたヤツでな…可愛いし…」
綾がごにょごにょ言いながら、懐の毛玉をなでてやる。『ルナティック』はれっきとしたモンスターだが、外見はウサギに似て非常に可愛い。
「…片目がございませんね」
「…別のモンスターにやられたらしい。だが、決して怯まずに自分の仲間を守ろうと戦っていた。…つい…ぐっと来てしまってな」
ルナティックなりに精一杯戦い続けて、ボロボロになったところを綾に助けられたそうだ。
「…やっぱり駄目か…善鬼? お城で飼うのは…」
「さすがにお城では不味うございますが…裏山に放してやりましょう。あそこなら危険な敵もおりませんし、片目でも生きて行けるかと」
「だからお前は好きだ、善鬼」
綾がにっこり笑うと、片手を善鬼の首に回し、つ、とキスした。
善鬼四十五歳。親子ほども年齢が違うが、この二人は恋人同士だ。
「オレが留守の間に、妹たちが心配をかけたらしいな」
「立て続けに姫様がお二人『家出』なさいましたので」
善鬼も苦笑するしかない。殿様と奥方様の『公認』があるとはいえ、家臣や領民に事実を発表する訳にもいかず、善鬼としてはなかなか頭の痛いところだ。
「ふふ、すまないな、善鬼。…でも大丈夫。二人とも、惚れた男に向って全速力で駆けている。…香ほどじゃないが、オレにだってそれぐらいは分かる」
「…そうか…それなら良い。安心したよ、綾」
善鬼も言葉を緩め、綾の腰に手を回す。綾の腕はとっくに、両腕とも善鬼の首に回っている。
と、そこで善鬼の腕がぴくり、と止まった。
「…綾…お前…ひょっとして…」
「…ふふん、やっと気づいたか。『父親』がそんな鈍感では先が思いやられるぞ、善鬼」
綾の笑みが大きくなる。
「…子供を…?」
「うん。妊娠した。男の子だ。オレにはわかる。よかったな善鬼」
綾が、自分より背の高い善鬼の頭を両手で抱え、自分の胸に抱きしめる。
「善鬼、これでもうお前は一人じゃない。子供も、妻もできる。ついでに義理だが両親も、弟妹もできる。きっとたくさん孫もできるぞ」
「…」
「心配いらん。オレは流産なんかしない。鬼の血なんか、オレには関係ない。必ず元気な子供を産んでやる。しかもこれで終わりじゃない。お前が根を上げるまで、何人でも生んでやるからな。覚悟しておけよ」
「…綾」
「それに、流義兄様や妹たちがいなくても、この国にはオレがいる。何が来ても大丈夫だ。『戦前種』だろうが『伝承種』だろうが『魔王』だろうが問題ない。最悪でも相打ちには持ち込んでやる。一人残らず、オレが守ってやるからな」
強がりでも願望でもない。この歳若い恋人はいつだって、やると言った事はやる。
底知れぬほどの強さと生命力。
最強の伝承種と謳われた善鬼でさえ、まだこの綾の『底』を見たことがない。
善鬼はふっと泣けそうになった。
鬼の一族に生まれた彼は、親を親と思った事はない。
母親はどこかの貧しい農村から買われて来た女で、『繁殖用』としての悲惨な日々の中で心を病んでいた。
一族の男全員と、妊娠するまで関係を持たされるのだから当然だ。そして善鬼を生んですぐ、自殺した。
当然、父親はわからない。一族の男の誰か、ということ以外は…。
ただ目的のために生み出され、目的のために死ぬ。
そこに喜びはない。
だが、喜びはあったのだ。
ここに。
「…さあ、お父様とお義母様に報告せねばならん。結婚の許しももらわねばな。善鬼、お父様にぶん殴られる覚悟はできているな?」
綾が笑う。
善鬼も苦笑する。
彼の『元上官』でもあり、今は『主君』でもある一条の殿様は、こんな男に娘を妊娠させられて怒るだろうか。
いや怒るまい。
それどころか、今夜は祝いの酒と歌で寝かせてもらえないだろう。その覚悟を先にした方がよさそうだ。
自分は酒に酔えない体質なので、逆に辛いのだが…。
「何をしている善鬼、行くぞ?」
「…綾」
「ん?」
とっとと先に行こうとする綾を、善鬼が呼び止めた。
「…よくやった」
「うん!」
誇らしく、綾がまた笑う。
(…来るがいい)
善鬼の心に、火が灯った。
(…どんな嵐でも、来るがいい)
この世の誰も知らない。
遠く聖戦から続く鬼の血。
それを『受け継がされた』孤独な一匹の鬼が今、ここに生まれ変わったことを。
夫として。
父として。
その呪われた血を祝福に変えてみせる。
善鬼の人生にもう一つ、目的が加わったのだ。