2010.06.05 Saturday
第八話「Free Fall」(1)
「…さあ皆様、出来上がりましたよ!」
無代はわざと明るく、そしてできるだけ大きな声でそう告げると、蒸し器の蓋を取った。盛大な湯気と共に、胃袋を刺激する匂いが周囲に振りまかれる。
『肉まん』。
それは無代の得意料理の代表選手だ。かつて瑞波の天臨館を退学になった後、文字通り『屋台一つから身を起こし』、数年で店をチェーン展開するまでにした実力は本物である。冒険者となった今でも、カートの中には常にちょっとした店を開けるほどの道具と材料を欠かさず入れてある、それが役に立った。
「この無代、自信の一品でございます! 皆様、どうぞ召し上がって下さいませ! 遠慮は無用でございますよ!」
たちまち無代の周囲に人だかりができる。いずれも華やかな笑顔で無代に礼を告げ、熱々の真っ白な塊を手に、仲間同士さざめきながらまた散って行く。
全員が、柔らかいブラウンカラーの給仕服に白いエプロン。
白いヘアバンド。
そして若い女性。
カプラ嬢。
世界中の街角で、あるいはダンジョンの入り口で、冒険者の荷物を預かり、また別な街への空間転移サービスを行い、また緊急時の位置セーブポイントともなる。空間操作の魔法を操り、冒険者のサポーターとなる女性達。
『ディフォルテー』
『ビニット』
『ソリン』
『グラリス』
『テーリング』
『W』
その6人の『役』をそれぞれ襲名した『ナンバーズ』と、その交代要員である『ノーナンバー』のほぼ全員。
それが今、無代と共にこの場にいる。若く美しい女性達の中で、男は無代一人という実に羨ましい状況だ。
しかし、どうしてこんな状況になっているのか。それを語るのは少々、後回しにさせていただきたい。
「さ、暖かいうちに召し上がって下さいませ。味には少々、自信がございますよ? さあ、どうぞどうぞ」
無代の『名調子』が響く。かつて瑞波の街で屋台を引いていた時代に鍛えたものだ。
彼の所まで足を運んで来たカプラ嬢達に、熱い塊を一通り配り終えると、今度は無代自ら肉まんの容器を抱え上げた。少し離れた場所で地面にうずくまったり、座り込んでいるカプラ嬢達に、やや強引に肉まんを配っていく。
最初は力なく断る者もいた。が、熱く柔らかく、そしていい匂いのする塊を手渡されると、掌でその熱を感じたり、ゆっくりながらも口に運んでいく。
「…どうぞ、召し上がって下さいませ」
無代が最後に、一人のカプラ嬢の前に膝をつき、肉まんを差し出した。
返事は無い。
そのカプラ嬢は岩がむき出しの地面に座り込み、両手で両膝を抱え、その膝に顔を埋めたまま動かない。
「最後の一個でございます…ぜひ。暖かい物を召し上がれば、きっと元気が出ます。…『D1』」
「…その名で呼ばないで…」
今度は返事があった。
埋めた顔を微かに持ち上げ、しかし視線は下に落としたまま。
『D1』。
全てのカプラ嬢の頂点である『長女・ディフォルテー』。『D1』は、その名を襲名した者のさらに頂点。名実共に、現役最高のカプラ嬢であることを示す名だ。
本名をガラドリエル・ダンフォール。
無代とは、いささか荒っぽい出会いをした彼女だが、少なくともその時は、自信と自負に満ちあふれた『カプラ嬢の中のカプラ嬢』だったはずだ。
それが今は、面影さえ無い。
カプラ嬢にとって命の次に大切と言われる、その制服が汚れるのも構わず、地面に座り込んだまま。がっくりとうなだれたその姿は、出会った時の半分ほどにも縮んで見える。
「…元気出して、それでどうなるの…? ここで…『BOT』にされるのを待つだけの私たちに…」
D1の言葉に、しん、と沈黙が落ちた。
「…」
無代も黙ったままだ。配られたばかりの暖かい食事の効力で、多少なりとも湧き出していた活気が、嘘のように消えていた。
だが、それもやむを得ない事だ。
D1の言葉は真実であり、現実だった。
無代とカプラ嬢達は現在、囚われの身である。極めて厳重な方法で、この場所に監禁されている。といって、どこかの牢に入れられているわけでも、手枷・足枷をはめられているわけでもない。
というより、そんな物は必要なかった。まさに『この場所』そのものが、堅牢無比の牢獄なのだ。
この場所。それは地上2000メートルの空の上。
ジュノーフィールド。
空中都市ジュノーの中心に据えられた『戦前種(オリジナル)・ユミルの心臓』が引き起こす重力異常により、無数の岩塊が空中に浮遊する奇跡のエリア。あの『ヤスイチ号』を擁するレジスタンスの基地もこのフィールドにあることを、読者は既に御存知だろう。その基地とはかなり離れているが、ほぼ同等の大きさを持つ、直径500メートルほどの『浮き島』。どこかから風で飛ばされたか、あるいは鳥が運んだ種が芽吹いたのだろう、低い灌木や雑草がわずかに生えるだけの、巨大な一枚岩。
それがこの場所だった。
ただ風だけが吹き抜けるその岩塊に、無代とカプラ嬢達は放置されていた。今は全員が、岩塊の土手っ腹に掘った巨大な穴の中に避難している。無代の提案で、カプラ嬢達がその持てるスキルをフルに使い、力を合わせて硬い岩塊をくり抜いたのだ。吹きさらしの空の上、気候は極めて厳しい。風を避け、火を焚いて暖を採れるこの避難所はとてもありがたかった。無代の料理も、その火を利用したものだ。
この場所に来て丸一日、凍える夜も何とかやりすごせたのはこの穴のお陰と言えた。
「…でも、ここから脱出する手段は見つからなかった…」
D1が呟く。
「…考えられる事は全部試したけど…全員、位置セーブ先を消されてて蝶の羽もテレポも使えない。ワープポータルも駄目。もちろんカプラの転送フィールドも展開不能…」
D1が、ぶつぶつと呟く。
定められたセーブ位置に戻れるアイテム『蝶の羽』を使っても、同様の効果をもつ魔法である『テレポート』を使っても、結果はこの場に戻ってくるだけ。自由に行き先を決められる『ワープポータル』も、ワープ先を定める『ポタメモ』が消滅しており、どこへも転送できない。全員が外部から何らかの干渉を受け、セーブ先やポタメモを消されてしまっていた。
カプラ嬢と言えば全員が各職業のエキスパートであり、それがこの数だけ揃えばまさに精鋭。しかしそれでも、どうしても脱出法が見いだせない。
翼を持たぬ人間は、ここを出られない。
単純にして完璧な牢獄。
「…諦めるのはまだ早うございます、D1」
だが、この男に『降参』はない。
精鋭揃いのカプラ嬢達から見れば、見習いカプラにも劣る実力しかない、木っ端のような冒険者。だがその意志の火を消す事はもう、誰にもできない。
「まだ手はございます」
無代が、力のこもった声で言った。
「…え?」
今度こそ、D1がぐっ、と顔を上げる。
「最後のカードを、まだ切っておりません」
「最後…?」
思い切り眉を寄せるD1の鼻先に、無代が肉まんを差し出す。
「話は喰ってから」
「…どうするの…?」
「…」
無代は答えず、肉まんを差し出した手も動かさず、にっ、と微笑んで見せる。
D1の手がのろのろと動き、だがしっかりと肉まんを受け取る。
「…どうするって…言うのよ…?」
再度の問いに、無代はさらに大きな笑顔で答えた。
「『飛び降りる』のさ?」
無代とD1、そしてカプラ嬢たちがなぜ、どういう経緯でこの空の牢獄に幽閉されたのか、まずそれを語る必要があるだろう。
だがそれには時間を少々、巻き戻す必要がある。
『カプラ嬢殺害』の濡れ衣を着せられた無代が、首都のカプラ支社で拷問を受けた日。
そしてD1に救われたあの日。
2人を空間転移させ、自らの元へ招いたのは、カプラ社の『相談役』を名乗る少年戦前種(オリジナル)だった。
天井の高い、だだっ広い空間。それは『部屋』というよりも、何かの『ホール』のようでもある。ぐるりを囲む壁にはいくつか、高い位置に窓があるが、いずれも『青空』しか映していない。
「…貴方が…『カプラ』?」
さすがの無代が、信じられないという表情で訊ねる。
「ソうデす、無代サん。カプラ社の相談役デ、名前も『カぷラ』」
そう言って微笑む少年の顔は端正で、珍しい青色の髪も奇麗にセットされている。
「そして、僕が『カプラそノモの』でス」
そしてまた笑顔。
少年とはいえスーツが良く似合い、それどころか『貫禄』さえ感じさせるのが不思議だ。もちろん『戦前種(オリジナル)』を名乗るからには、見かけが少年だろうが何だろうが、その年齢は並の人間を遥かに越えるはずなので、この貫禄はむしろ当然かもしれない。
「…『我ガ社』の社員ガ大変ゴ迷惑をおかケしまシた。マず服ヲ替えテ下さイ、無代サん」
少年の言葉と同時に、どこからか立派なスーツが出現し、無代の目の前にすとん、と落ちる。
「当社かラのお詫ビの一端デす。どうゾご遠慮なク。ソれと、貴方のかートもお返シしまス」
「…お気遣いありがとう存じます。では、お言葉に甘えさせて頂きましょう」
無代がスーツを拾うと、拷問でボロボロの服を着替える。さすがに異姓のD1の目をはばかり、わざわざ広い部屋の隅に行って着替えたのだが、当のD1は何とも思っていないらしい。
いや、というよりも『無代ごときの着替えどころではない』というのが本当だろう。
「…相談役!」
少年としか見えないカプラ社の役員に、長身の女戦士が縋り付かんばかりに詰め寄った。
「D1、君ニも苦労ヲかけたネ」
「いいえ! 『D1』はカプラ嬢の代表なのですから、当然の行動です。…でも…でも…」
「…D1…」
2人の間に沈黙が落ちる。その沈黙に、着替えを終えた無代が割り込んだ。
「お話の途中ではございますが、相談役…『カプラ』さん? 私をココへお招き頂いた理由をお聞かせ願えますか? 拷問の謝罪だけではないのでしょう?」
「…ハい、無代サん」
『カプラ』が、無代の方に向き直る。
「デもその前に、お二人に謝らナけれバなりまセん」
「『二人』?」
「そうデす。無代さン…そシて…D1ニも」
少年の姿の『重役』が、驚いた顔のD1をもう一度見る。
「ボくは、カプラ嬢殺害の犯人を知っテいマす」
「…え…?」
D1の表情が凍り付いた。
「ゴめン、D1。ボくは犯人を知っテいる。…いヤ、彼女が殺さレるコとも、実ハ知っテいタんだ」
静かな、しかし沈痛な告白。
「…」
D1も、無代も、黙って耳を傾けるしかない。
無代は真剣な表情。もう一方のD1の顔色は、真っ青。
「今、カプラ社に何ガ起きテいるのか、ボくは全部、察しガつイている」
少年は静かに続ける。
「…そシて、放置しテいたンだ」
『カプラ』の声が小さくなる。その声は少年のものだが、しかし今、その響きは遥かな年月を生き抜いた老人のそれだった。
「もウ、どうデもよクなっテいたんダ。会社も、カプラシステムも…ネ。ボくは長ク…生きすギた…」
「…相談役…」
D1が、混乱した表情で『カプラ』を見つめている。
「D1、良く聞イて。今回ノ事態の全テはアイダ専務、ソして社長たち役員ノ、陰謀かラ始まッタ事ダ」
「…役員…?」
D1は、一言も聞き漏らすまいという緊張した表情で、カプラの顔を見つめる。
「ソウ。彼らはボくかラ、『カプラシステム』を奪ウつもリだ。カプラ社を完全ニ自分たチの物にすルたメに。…そシて、殺さレたカプラ嬢ハ、その『道具』だっタんだヨ」
「道具?!」
「ソう。殺さレた彼女…カプラ嬢『シーリン』は…『BOT』だっタんダ」
『BOT』。
その言葉を静が、香が、ほぼ同時期に耳にし、その運命に大きく関わっている事を、もちろん今の無代が知るはずもない。
「BOT? それは何なのですか?!」
「…簡単ニ言うと、『魂を抜キ取らレて、誰かノ操り人形ニなっタ人間』」
「!?」
D1も無代も、思いがけない話に困惑を隠せない。
「…どコかかラ攫って来たリ『買っテきタ』人間カら、魔法ヤら科学やラを使っテ魂を抜キ取り、新しイ『プログラム』ヲ入れテ、思い通リに動かス。…聖戦ノ時代ニ開発サれ、密かニ現代ニ伝わッた技術デす」
「…ひでえ…」
無代が顔をしかめる。
元々『自由人』の気質が強い無代だけに、その『技術』とやらの思想に強い嫌悪を抱くのは致し方あるまい。
「…じゃあ…じゃあ…あの殺された娘は…」
「そウだヨ、D1。役員タちの手デ送り込マれた、彼ラの操リ人形ダ。仕込まれタぷろぐらむヲ使っテ、ボくのシステムに介入シ、ぼクの力ヲ奪うノが目的だっタ」
「…では、彼女を殺したのは…?」
黙り込んだD1に代わって、無代が話をすすめる。
「多分、『うろぼろす4』の『魔女』だネ」
「『ウロボロス4』?」
「ソう。『次の聖戦ニ備える』事ヲお題目ニ、色々ナ秘密活動をしテいる連中ダよ。ずーっト、昔からネ」
カプラの言う事がさっぱり理解できないのだろう。無代が眉間に皺を寄せて抗議した。
「申し訳ない、『カプラ』さん。よくわかりません。『ウロボロス』? 『聖戦』? なぜここにそんなモノが出てくるのです?」
「…『一番最初』カら、話さナいト駄目だろウね」
『カプラ』の言葉と同時に、ふわり、と部屋の中にソファーが出現する。空間を自在に操るカプラ社の、何かの技術だろう。
「座って下サい、無代サん。D1モ…」
二人の客をうながしておいて『カプラ』は語り始めた。
それは無代はおろかD1も、いや世界のほとんどの人が聞いた事すらない、遠い遠い昔の物語。
どことも知れない、遠い遠い世界で生まれた、小さな『魔物』の物語。
かつて『この世界』とは違う『場所』に、『別な世界』があった。
今となっては、その世界がどこにあって、それがどんな世界であったのか、それを知るすべはない。
なぜなら、その世界は消滅してしまったからだ。
消滅の原因はその世界に生まれた、ある『魔物』である。
『魔物』という言い方は、正しくはないのかもしれない。その存在は決して何の『悪意』も持っていなかったからだ。
例えば同じ微生物であっても、病気を引き起こす微生物を『病原体』、逆に人間に利益をもたらす微生物を『酵母』と呼ぶのに似ている。
存在そのものは同じだが、持っている力によって『魔』あるいは『神』とよばれる者達。
その『魔物』もまた、ある力を持っていた。
それは『空間を操る力』だ。
新しい空間を『創造』する。
空間のこちらとあちらを繋げる。
存在する空間を『削除』する。
お分かりとは思うが、最後の一つが問題だった。思うがままに、今ある空間を消滅させてしまう力。
その『魔物』に何の悪意もなかったとはいえ、この力が振るわれる事はまさに『災害』だった。
この力に対し、その世界に暮らしていた者達は即座に、『魔物』を排除する戦いを始めた。やむを得ないことだろう。
だが一方の『魔物』の方も、黙って消滅させられる理由はない。
激しい戦いの結果、その世界は魔物の振るう力によって『消滅』した。
一つの世界が、きれいさっぱり消えてしまったのだ。
『魔物』はどうなったのか?
その『魔物』は、消滅した世界から別な世界へと移った。『空間を繋げる能力』だ。
では、消えた世界の住人達はどうなったのか?
わずかに生き残った彼らもまた、戦いのために作られた強力な武器と共に、その『魔物』を追って来た。
それが『この世界』。
今、無代達が生きているこの世界だ。
彼らが降り立った『この世界』はその時、戦いの真っ最中だった。
『聖戦』。
人間と神と魔、その激しい戦い。人間もまた戦いのために強化され、今とは比べ物にならない力を振るっていた。『魔物を追う人々』は彼らの力を借り、ついに『魔物』を封印することに成功する。
魔物を滅する代わりに、極めて良く出来た『封印』に閉じ込めたのだ。
『魔物』の、空間を操る力はそのままに、『彼』に意志と目的を与え、その力を『人々の役に立つ』ように作り替える。
『病原体』を『酵母』に変えたのだ。
もうお分かりであろう。
新しい空間を作る力は『倉庫』に。
空間を繋げる力は「空間転送」に。
『魔物』はこうして、新しい名を得た。
『カプラ』
それがもう一つの、物語の始まりだった。
「では…その『魔物』というのは…」
無代の表情はもう、驚愕を通り越して呆然。
「そウでス。ボくがその『魔物』」
目の前の少年が、微かな笑みと共に名乗りを上げた。
「『カプら』。『皆の役に立つものであれ』と彼らガくレた、新しイ名前でス」
その名前。
その力。
かつて一つの世界を滅ぼし、今は世界中の冒険者達の礎となる者。
「『魔物』の時代ノ記憶ハ、ボくにハありマせん。『記憶スる能力』がアりまセんデしたかラ」
『記憶する事』、『他者を認識する事』、『コミュニケーションする事』。そのすべては、後に与えられたものだ。
それが『封印』。
「彼らモ、ボくの力ヲ全て消滅さセる事はできナかった。だかラ、人間の様ニ記憶し、学習シ、思ウ事が出来るヨうにしタのでス…多くノ犠牲を払っテ」
「…犠牲…?」
無代が訊ねるともなく呟く。
『カプラ』は、その犠牲が何であるかは語らない。しかしその表情から、それが熾烈を極めたものであろうことは、無代にも容易に想像できた。
「今ノボくは、かつテの力をほトんど使えまセん。正直、こコに『いるダけ』ト言っテも良イ。ソの力は全て、カプら嬢のみンなに分ケ与えらレていルのでス」
『カプラ倉庫』
『位置セーブ』
『空間転送』
カプラ嬢が操るそれらの力は、では元々は『魔物』の力だったのだ。
世界を滅ぼした魔の力。
「…」
D1も無代も、もはや言葉一つ出ない。
「そシて、コの力を誰も独占できナいように、『カプラ社』ガ作らレましタ」
それが『会社』の始まり。
確かに、これほどの力が何者かに独占されれば、それはもう世界を制したも同然だ。会社と言う組織でそれを防御する事で、世界に対する安全装置とするのは自然な行為だろう。
しかし。
「『カプラ社自身』が、ボくの力を独占しよウとする、そこマでは想定外デした…アイダ専務を始メ、現在ノ会社幹部は、ぼクから『魔』の力を奪イ…こノ力を自分のモのにすルつモりでス」
「…もしそうなったら…?」
無代が鋭く訊ねる。
「彼らハ、『世界を制すル力』を手に入れルでしょウ」
しん。
広い室内に沈黙が落ちた。
その沈黙を破ったのは、D1だった。
「…そこまで御存知で…なぜ何も…して下さらなかったんです…」
低い、熱の籠らない声。それは質問というよりも『詰問』に近かった。
「…さっキも言った通リだヨ。もう、諦めテいたンだ」
カプラが少年の姿で、少年の顔で、少年の声で、だが老人の響きの声で応えた。
「ボくがこコにいル限り、こノ力を求メる者が必ず現れル。ボクを守ルはずノ会社デさエ、ぼクを裏切ル。…そして…かプラ嬢サえ『BOT』にさレた時…何もでキないボくは、モう絶望すルしかナかった…」
カプラが遠い目をする。
「やハりボくは『魔物』ダ。『疫病神』…ト言う方ガ適当かナ。だかラ…」
それは小さな、小さな声で語られた告白。
「もウ消えてシまおウ、っテ、そウ思っタんだ…こレ以上、誰かを犠牲にスる前に」
「…『飛び降りる』?! 正気なの?! 地上までどれだけあると思ってるの! キリエかけててもアスムでも、とても耐えられるものじゃないわよ!」
D1が無代に喰ってかかった。無代の『飛び降りる』という言葉を、ただ無謀としか捉えていない。
が、それも当然の話だった。
D1の言う『キリエ、アスム』とは、僧侶系の術者が使う『キリエエレイソン』、『アスムプディオ』などのバリア呪文のことである。敵から撃ち込まれる剣や飛んでくる矢、魔法をある程度防ぐ呪文。だが…
「防御できるダメージには限度がある。地上2000メートルからの落下の衝撃なんか防げるはずがないわ!」
D1の、その判断は正しい。
だが、無代はじっと彼女の目を見て、反論した。
「アスム・キリエじゃない」
「え?」
D1が一瞬戸惑う。
「プリーストのバリア呪文じゃない。ソウルリンカーの『カウプ』を使う。それと『カイゼル』、『カアヒ』も」
「…!」
「カプラ嬢の中に、『魂』持ちのソウルリンカーが二人いる。条件は揃ってる」
『カウプ』。それは『ソウルリンカー』と呼ばれる職業の人間が使う術の一つだ。その効果は、『1度だけ、いかなるダメージも無効化する』。
『カイゼル』も同じくソウルリンカーの術で、『死亡しても一度だけ、即座に復活できる』。『カアヒ』は、身体に攻撃を受けるたびに、そのダメージを逐次回復してくれる呪文だ。
これらの術は非常に強力だが、基本的に『自分』、もしくは『家族』にしか贈れない。が、『ソウルリンカーの魂』という術を使う事により、全くの他人にも贈ることが可能である。
『魂持ちのリンカーが二人』、無代の言う条件とはそれだった。
「地上まで真っ直ぐに落ちて、一発で地面に着地できれば、理論上は無傷で降りられる。死んでもカイゼルで復活、って寸法だ」
どうよ、という顔の無代。
「オシリスカードの刺さったアクセサリーでもあればいいんだが…そこまで贅沢は言えんか」
彼の言う『オシリスカード』とは、並のモンスターよりも遥かに強力な『ボス』と呼ばれるモンスターが落とす、輪をかけて貴重なカードの一つだ。その効果は『死亡して復活すると、魔力体力を完全に回復する』。確かにそれがあれば、この高さからの落下して死亡したとしても『カイゼル』の効果で即復活し、生存できる可能性は高いだろう。
「実は、ここに来るまではそれ、T2(ティーツー)が持ってたらしいんだけどね。取り上げられちまったらしい。残念」
おどけて苦笑いする無代。だがそれを聞いたD1の眉間には、深い皺が刻まれる。
「…そりゃ…理屈はそうだけど…無謀だわ! 身体の損傷が激しすぎれば復活できないこともあるのよ…うまく行く保証なんかないじゃない!」
「保証?」
D1の反論に今度は、無代の眉間に皺が寄る番だった。
「そんなもん最初から無えよ。何するにしたってさ」
無代の顔に、今度は太い笑みが浮かぶ。腹の底から何か熱いものが噴き上げるのを、無理矢理抑え込むような強い微笑。
「だけど『保証がないこと』は、『やらない』理由にはならねえ」
はっ、とD1の目が見開かれる。
そして、目の前にいる男の顔を、もう一度見た。
「確かに保証は無えし、成功する可能性だってホントは大して…いや全然無いのかもしれんさ」
そんな弱気な言葉は上辺だけだ。それが証拠に、無代の笑みはさらに太く、深くなる。
「だけど、人間の魂イジくって『BOT』なんてモノ作って、カプラ社ごと世界を牛耳ろうなんて連中が幅利かしたらどうなるよ?」
無代が立ち上がる。
「そうなったら本当に何の可能性も…『夢』だってろくに見られない世の中が来ちまうよ」
肉まんの容器を抱え、D1に背を向ける。
「俺にはこんな事しかできんけどさ。それでも出来る事があるんなら、せいぜい頑張ってみるさ」
「…そんな…馬鹿なっ!」
『カプラ』の告白に、D1は思わず叫んでいた。
『消えてしまおう』。それはまるで『自殺の告白』なのだから、彼女が叫ぶのも仕方ないことだ。
「ごメんネ、D1」
『カプラ』が、小さくつぶやいた。
「デも、『カぷラ社自身』がボくを裏切るナら、ぼクに出来る事はもう無イんダ」
『カプラ』の声はずっと小さいままだ。
かつて一つの世界を消し去った『魔物』。だが、その力には枷がかけられ、もはや自分で戦う事はできない。その力は等しく、カプラ嬢達に分け与えられている。
そして、当のカプラ嬢が『BOT』となってその力を行使するならば、彼にはそれを止める力すらない。
魔を神と言い換えるなら、彼はまさに『巫女に裏切られた神』であった。
偽りの神の声と、神の力を行使する巫女を、止める事も殺す事もできない神。
ならば、神として苦しむことをやめ、考える事もやめる。そう決断したとて、誰が責められよう。
「…! そんなことは私がさせません! 『BOT』なんて…そんなものをカプラ嬢にさせてなどおかない!」
D1が力強く宣言する。
「カプラ嬢を守るのが私の仕事です。その誇りを穢す者を許してはおきません…!」
「…だガ、君に何ガできル? D1」
「!」
「…ゴメんよD1、君ノ決意を馬鹿ニするつもリはなイんダ。でモ、この会社ぐるミの陰謀にハ、さしモのキミも…」
「そんなはずはありません! 『BOT』の存在を告発すれば…」
「どこニ告発すルの?」
「…え? …それは…王国の司法機関に…」
D1の言葉に、カプラが首を振る。
「…『BOT』の技術を伝え、そレを制作できルのは、王国の秘密組織『ウロボロス2』だケだ。…社長達の陰謀にハ、間違いナく王国そノものが関わっテいル。君ノ訴えハ無視されルか…君自身が『排除』サれてしマうだロう」
「…!」
D1の表情が固まる。代わって、それまで黙っていた無代が口を挟んだ。
「『ウロボロス』、その名前がまた出てきましたね? しかし、『ウロボロス』はBOTを殺す組織だったのでは?」
「『ウロボロス』は一つデはなイのデす」
カプラが無代に解説する。
「ぼクの知る限リ、9つノ組織ガそれゾれ、好き勝手ニ活動しテいる。カプラ社乗っ取りのタめにBOTヲ送り込んだノが『ウロボロス2』。それヲ阻止しヨうトBOTヲ殺シたノは『ウロボロス4』。まぐだれーな・ふぉん・ラウム、通称『四ノ魔女』という女性が率イる組織でス」
「…『仲間割れ』というワケですか」
「イいえ。彼ラは元々、仲間なンかでハありマせん」
カプラは真っ直ぐに無代を見る。
「『ウロボロス2』が『カプラ社』と接近すレば、ソの勢力が強クなりすギる。『四ノ魔女』ハそれヲ嫌っテいルだケです。しカし彼女モまさカ、『ウロボロス2』がカプラ社そのモのを手に入レようトしてイるとハ、気づイていナいでシょう」
「…」
今度は無代が黙る。
『ウロボロス』。
それが、無代がずっと探し続けた友『一条流』が現在、所属する場所とまでは、さすがの無代も夢想だにしない。しかも、正に今話題に上っている『BOT殺し』こそ、流たち『ウロボロス4』の仕業であるとは。
だが、無代の表情にははっきりと、何かの確信を掴んだ表情が浮かんでいる。
(…やはり、この線だ…!)
カプラガードから拷問を受けながら、それでも食らいついてたどり着いたこの場所。この情報。それが、追い求める何かに繋がっていることを、無代はほとんど確信していた。
「…では、その『BOT』を排除する『ウロボロス4』なら、私たちの味方になってくれるのでは…?」
D1がすがるような声を出す。
しかし、カプラは小さく首を振った。
「彼ラも、決しテ我々の味方デはありマせん。…それニ忘れテはいけナい。彼らハ『かぷら嬢』を殺しタ。例エそれガ『BOT』でモ…」
D1がぐっと詰まる。
全てのカプラ嬢の頂点である『D1』にとって、カプラ嬢の安全を守る事は至上命題である。確かに、それが『BOT』などという得体の知れないものであったとしても、カプラの制服を血で汚された事実に変わりはない。
「…ならば…ならば…」
D1の瞳に暗い火が宿る。
「…社長以下、陰謀に関わるものたちを、私が…」
『殺す』、そう言わんばかりの不気味な覚悟が、D1の身体から炎となって立ち上る。
「…ダめだよ、D1。ソの制服を自ら、罪の血で染めルことは…」
「でも…!」
「そレに、多分もう遅イ…」
「!」
カプラが目を伏せる。
「社長達はモう既に、相当数の『BOT』ヲ用意してイる。現役カプラ嬢の中にモ、もう相当数のBOTがいルはずダ。『ウロボロス4』が殺シたのは、そのホんの一部に過ぎナい。そシて…そのBOTを一気に『カプラシステム』に接続すレば、いツでもシステムを乗っ取レる。…今この瞬間デも」
「…では…諦めろと!」
「…」
「相談役!」
D1が今度こそ、少年に掴みかかった。『カプラ』の目の前に跪き、彼のスーツの裾を拳が白くなるほど握りしめる。
「…社長達ハ、とテも上手に事を運んダ。ぼクでさエ、気がつイた時にハ遅かっタ…」
カプラはD1に詰め寄られながらも、静かに語る。
「…彼らカら『カプラシステム』を守ル事は、今とナっては難しイ。…でモ、モし可能性がアるとスれば…」
「…それは!?」
カプラがぐっ、と唇を噛み締める。そしてD1と無代の顔を交互に見て、言った。
「あル場所へ行っテ欲しイ。D1。そシて無代サん。…そこデ『彼女』に会っテ欲シい」
「その場所とは?」
「ニブルヘイム」
無代の問いに、カプラの答えは短い。
「では…『彼女』とは?」
「『N0(エヌゼロ)』…ですね…?」
その問いに答えたのはカプラではなく、D1だった。
「『N0』!?」
「そうデす。生と死の狭間に立ち続ケる、『原初にシて永遠のカプラ嬢』」
『死の都ニブルヘイム』。
その街にも、カプラ嬢はいる。
永劫の暗闇の中、死者と魔物だけが徘徊する呪われた『死者の街』で、そこに挑む冒険者達をサポートするカプラ嬢。
ただし…。
「…彼女には交代要員のナンバーズも、ノーナンバーもいない…。ただ1人…たった1人で24時間…365日、あの場所を守り続ける。だから『0(ゼロ)』…」
D1が低くつぶやく。
「ソう。そシて彼女こソ、『カプラシステム』の番人でアり…『カプラの封印』の守護者』」
カプラも低く、つぶやく。
「そシて、史上最初のかぷら嬢、だカら…『0』」
無代はわざと明るく、そしてできるだけ大きな声でそう告げると、蒸し器の蓋を取った。盛大な湯気と共に、胃袋を刺激する匂いが周囲に振りまかれる。
『肉まん』。
それは無代の得意料理の代表選手だ。かつて瑞波の天臨館を退学になった後、文字通り『屋台一つから身を起こし』、数年で店をチェーン展開するまでにした実力は本物である。冒険者となった今でも、カートの中には常にちょっとした店を開けるほどの道具と材料を欠かさず入れてある、それが役に立った。
「この無代、自信の一品でございます! 皆様、どうぞ召し上がって下さいませ! 遠慮は無用でございますよ!」
たちまち無代の周囲に人だかりができる。いずれも華やかな笑顔で無代に礼を告げ、熱々の真っ白な塊を手に、仲間同士さざめきながらまた散って行く。
全員が、柔らかいブラウンカラーの給仕服に白いエプロン。
白いヘアバンド。
そして若い女性。
カプラ嬢。
世界中の街角で、あるいはダンジョンの入り口で、冒険者の荷物を預かり、また別な街への空間転移サービスを行い、また緊急時の位置セーブポイントともなる。空間操作の魔法を操り、冒険者のサポーターとなる女性達。
『ディフォルテー』
『ビニット』
『ソリン』
『グラリス』
『テーリング』
『W』
その6人の『役』をそれぞれ襲名した『ナンバーズ』と、その交代要員である『ノーナンバー』のほぼ全員。
それが今、無代と共にこの場にいる。若く美しい女性達の中で、男は無代一人という実に羨ましい状況だ。
しかし、どうしてこんな状況になっているのか。それを語るのは少々、後回しにさせていただきたい。
「さ、暖かいうちに召し上がって下さいませ。味には少々、自信がございますよ? さあ、どうぞどうぞ」
無代の『名調子』が響く。かつて瑞波の街で屋台を引いていた時代に鍛えたものだ。
彼の所まで足を運んで来たカプラ嬢達に、熱い塊を一通り配り終えると、今度は無代自ら肉まんの容器を抱え上げた。少し離れた場所で地面にうずくまったり、座り込んでいるカプラ嬢達に、やや強引に肉まんを配っていく。
最初は力なく断る者もいた。が、熱く柔らかく、そしていい匂いのする塊を手渡されると、掌でその熱を感じたり、ゆっくりながらも口に運んでいく。
「…どうぞ、召し上がって下さいませ」
無代が最後に、一人のカプラ嬢の前に膝をつき、肉まんを差し出した。
返事は無い。
そのカプラ嬢は岩がむき出しの地面に座り込み、両手で両膝を抱え、その膝に顔を埋めたまま動かない。
「最後の一個でございます…ぜひ。暖かい物を召し上がれば、きっと元気が出ます。…『D1』」
「…その名で呼ばないで…」
今度は返事があった。
埋めた顔を微かに持ち上げ、しかし視線は下に落としたまま。
『D1』。
全てのカプラ嬢の頂点である『長女・ディフォルテー』。『D1』は、その名を襲名した者のさらに頂点。名実共に、現役最高のカプラ嬢であることを示す名だ。
本名をガラドリエル・ダンフォール。
無代とは、いささか荒っぽい出会いをした彼女だが、少なくともその時は、自信と自負に満ちあふれた『カプラ嬢の中のカプラ嬢』だったはずだ。
それが今は、面影さえ無い。
カプラ嬢にとって命の次に大切と言われる、その制服が汚れるのも構わず、地面に座り込んだまま。がっくりとうなだれたその姿は、出会った時の半分ほどにも縮んで見える。
「…元気出して、それでどうなるの…? ここで…『BOT』にされるのを待つだけの私たちに…」
D1の言葉に、しん、と沈黙が落ちた。
「…」
無代も黙ったままだ。配られたばかりの暖かい食事の効力で、多少なりとも湧き出していた活気が、嘘のように消えていた。
だが、それもやむを得ない事だ。
D1の言葉は真実であり、現実だった。
無代とカプラ嬢達は現在、囚われの身である。極めて厳重な方法で、この場所に監禁されている。といって、どこかの牢に入れられているわけでも、手枷・足枷をはめられているわけでもない。
というより、そんな物は必要なかった。まさに『この場所』そのものが、堅牢無比の牢獄なのだ。
この場所。それは地上2000メートルの空の上。
ジュノーフィールド。
空中都市ジュノーの中心に据えられた『戦前種(オリジナル)・ユミルの心臓』が引き起こす重力異常により、無数の岩塊が空中に浮遊する奇跡のエリア。あの『ヤスイチ号』を擁するレジスタンスの基地もこのフィールドにあることを、読者は既に御存知だろう。その基地とはかなり離れているが、ほぼ同等の大きさを持つ、直径500メートルほどの『浮き島』。どこかから風で飛ばされたか、あるいは鳥が運んだ種が芽吹いたのだろう、低い灌木や雑草がわずかに生えるだけの、巨大な一枚岩。
それがこの場所だった。
ただ風だけが吹き抜けるその岩塊に、無代とカプラ嬢達は放置されていた。今は全員が、岩塊の土手っ腹に掘った巨大な穴の中に避難している。無代の提案で、カプラ嬢達がその持てるスキルをフルに使い、力を合わせて硬い岩塊をくり抜いたのだ。吹きさらしの空の上、気候は極めて厳しい。風を避け、火を焚いて暖を採れるこの避難所はとてもありがたかった。無代の料理も、その火を利用したものだ。
この場所に来て丸一日、凍える夜も何とかやりすごせたのはこの穴のお陰と言えた。
「…でも、ここから脱出する手段は見つからなかった…」
D1が呟く。
「…考えられる事は全部試したけど…全員、位置セーブ先を消されてて蝶の羽もテレポも使えない。ワープポータルも駄目。もちろんカプラの転送フィールドも展開不能…」
D1が、ぶつぶつと呟く。
定められたセーブ位置に戻れるアイテム『蝶の羽』を使っても、同様の効果をもつ魔法である『テレポート』を使っても、結果はこの場に戻ってくるだけ。自由に行き先を決められる『ワープポータル』も、ワープ先を定める『ポタメモ』が消滅しており、どこへも転送できない。全員が外部から何らかの干渉を受け、セーブ先やポタメモを消されてしまっていた。
カプラ嬢と言えば全員が各職業のエキスパートであり、それがこの数だけ揃えばまさに精鋭。しかしそれでも、どうしても脱出法が見いだせない。
翼を持たぬ人間は、ここを出られない。
単純にして完璧な牢獄。
「…諦めるのはまだ早うございます、D1」
だが、この男に『降参』はない。
精鋭揃いのカプラ嬢達から見れば、見習いカプラにも劣る実力しかない、木っ端のような冒険者。だがその意志の火を消す事はもう、誰にもできない。
「まだ手はございます」
無代が、力のこもった声で言った。
「…え?」
今度こそ、D1がぐっ、と顔を上げる。
「最後のカードを、まだ切っておりません」
「最後…?」
思い切り眉を寄せるD1の鼻先に、無代が肉まんを差し出す。
「話は喰ってから」
「…どうするの…?」
「…」
無代は答えず、肉まんを差し出した手も動かさず、にっ、と微笑んで見せる。
D1の手がのろのろと動き、だがしっかりと肉まんを受け取る。
「…どうするって…言うのよ…?」
再度の問いに、無代はさらに大きな笑顔で答えた。
「『飛び降りる』のさ?」
無代とD1、そしてカプラ嬢たちがなぜ、どういう経緯でこの空の牢獄に幽閉されたのか、まずそれを語る必要があるだろう。
だがそれには時間を少々、巻き戻す必要がある。
『カプラ嬢殺害』の濡れ衣を着せられた無代が、首都のカプラ支社で拷問を受けた日。
そしてD1に救われたあの日。
2人を空間転移させ、自らの元へ招いたのは、カプラ社の『相談役』を名乗る少年戦前種(オリジナル)だった。
天井の高い、だだっ広い空間。それは『部屋』というよりも、何かの『ホール』のようでもある。ぐるりを囲む壁にはいくつか、高い位置に窓があるが、いずれも『青空』しか映していない。
「…貴方が…『カプラ』?」
さすがの無代が、信じられないという表情で訊ねる。
「ソうデす、無代サん。カプラ社の相談役デ、名前も『カぷラ』」
そう言って微笑む少年の顔は端正で、珍しい青色の髪も奇麗にセットされている。
「そして、僕が『カプラそノモの』でス」
そしてまた笑顔。
少年とはいえスーツが良く似合い、それどころか『貫禄』さえ感じさせるのが不思議だ。もちろん『戦前種(オリジナル)』を名乗るからには、見かけが少年だろうが何だろうが、その年齢は並の人間を遥かに越えるはずなので、この貫禄はむしろ当然かもしれない。
「…『我ガ社』の社員ガ大変ゴ迷惑をおかケしまシた。マず服ヲ替えテ下さイ、無代サん」
少年の言葉と同時に、どこからか立派なスーツが出現し、無代の目の前にすとん、と落ちる。
「当社かラのお詫ビの一端デす。どうゾご遠慮なク。ソれと、貴方のかートもお返シしまス」
「…お気遣いありがとう存じます。では、お言葉に甘えさせて頂きましょう」
無代がスーツを拾うと、拷問でボロボロの服を着替える。さすがに異姓のD1の目をはばかり、わざわざ広い部屋の隅に行って着替えたのだが、当のD1は何とも思っていないらしい。
いや、というよりも『無代ごときの着替えどころではない』というのが本当だろう。
「…相談役!」
少年としか見えないカプラ社の役員に、長身の女戦士が縋り付かんばかりに詰め寄った。
「D1、君ニも苦労ヲかけたネ」
「いいえ! 『D1』はカプラ嬢の代表なのですから、当然の行動です。…でも…でも…」
「…D1…」
2人の間に沈黙が落ちる。その沈黙に、着替えを終えた無代が割り込んだ。
「お話の途中ではございますが、相談役…『カプラ』さん? 私をココへお招き頂いた理由をお聞かせ願えますか? 拷問の謝罪だけではないのでしょう?」
「…ハい、無代サん」
『カプラ』が、無代の方に向き直る。
「デもその前に、お二人に謝らナけれバなりまセん」
「『二人』?」
「そうデす。無代さン…そシて…D1ニも」
少年の姿の『重役』が、驚いた顔のD1をもう一度見る。
「ボくは、カプラ嬢殺害の犯人を知っテいマす」
「…え…?」
D1の表情が凍り付いた。
「ゴめン、D1。ボくは犯人を知っテいる。…いヤ、彼女が殺さレるコとも、実ハ知っテいタんだ」
静かな、しかし沈痛な告白。
「…」
D1も、無代も、黙って耳を傾けるしかない。
無代は真剣な表情。もう一方のD1の顔色は、真っ青。
「今、カプラ社に何ガ起きテいるのか、ボくは全部、察しガつイている」
少年は静かに続ける。
「…そシて、放置しテいたンだ」
『カプラ』の声が小さくなる。その声は少年のものだが、しかし今、その響きは遥かな年月を生き抜いた老人のそれだった。
「もウ、どうデもよクなっテいたんダ。会社も、カプラシステムも…ネ。ボくは長ク…生きすギた…」
「…相談役…」
D1が、混乱した表情で『カプラ』を見つめている。
「D1、良く聞イて。今回ノ事態の全テはアイダ専務、ソして社長たち役員ノ、陰謀かラ始まッタ事ダ」
「…役員…?」
D1は、一言も聞き漏らすまいという緊張した表情で、カプラの顔を見つめる。
「ソウ。彼らはボくかラ、『カプラシステム』を奪ウつもリだ。カプラ社を完全ニ自分たチの物にすルたメに。…そシて、殺さレたカプラ嬢ハ、その『道具』だっタんだヨ」
「道具?!」
「ソう。殺さレた彼女…カプラ嬢『シーリン』は…『BOT』だっタんダ」
『BOT』。
その言葉を静が、香が、ほぼ同時期に耳にし、その運命に大きく関わっている事を、もちろん今の無代が知るはずもない。
「BOT? それは何なのですか?!」
「…簡単ニ言うと、『魂を抜キ取らレて、誰かノ操り人形ニなっタ人間』」
「!?」
D1も無代も、思いがけない話に困惑を隠せない。
「…どコかかラ攫って来たリ『買っテきタ』人間カら、魔法ヤら科学やラを使っテ魂を抜キ取り、新しイ『プログラム』ヲ入れテ、思い通リに動かス。…聖戦ノ時代ニ開発サれ、密かニ現代ニ伝わッた技術デす」
「…ひでえ…」
無代が顔をしかめる。
元々『自由人』の気質が強い無代だけに、その『技術』とやらの思想に強い嫌悪を抱くのは致し方あるまい。
「…じゃあ…じゃあ…あの殺された娘は…」
「そウだヨ、D1。役員タちの手デ送り込マれた、彼ラの操リ人形ダ。仕込まれタぷろぐらむヲ使っテ、ボくのシステムに介入シ、ぼクの力ヲ奪うノが目的だっタ」
「…では、彼女を殺したのは…?」
黙り込んだD1に代わって、無代が話をすすめる。
「多分、『うろぼろす4』の『魔女』だネ」
「『ウロボロス4』?」
「ソう。『次の聖戦ニ備える』事ヲお題目ニ、色々ナ秘密活動をしテいる連中ダよ。ずーっト、昔からネ」
カプラの言う事がさっぱり理解できないのだろう。無代が眉間に皺を寄せて抗議した。
「申し訳ない、『カプラ』さん。よくわかりません。『ウロボロス』? 『聖戦』? なぜここにそんなモノが出てくるのです?」
「…『一番最初』カら、話さナいト駄目だろウね」
『カプラ』の言葉と同時に、ふわり、と部屋の中にソファーが出現する。空間を自在に操るカプラ社の、何かの技術だろう。
「座って下サい、無代サん。D1モ…」
二人の客をうながしておいて『カプラ』は語り始めた。
それは無代はおろかD1も、いや世界のほとんどの人が聞いた事すらない、遠い遠い昔の物語。
どことも知れない、遠い遠い世界で生まれた、小さな『魔物』の物語。
かつて『この世界』とは違う『場所』に、『別な世界』があった。
今となっては、その世界がどこにあって、それがどんな世界であったのか、それを知るすべはない。
なぜなら、その世界は消滅してしまったからだ。
消滅の原因はその世界に生まれた、ある『魔物』である。
『魔物』という言い方は、正しくはないのかもしれない。その存在は決して何の『悪意』も持っていなかったからだ。
例えば同じ微生物であっても、病気を引き起こす微生物を『病原体』、逆に人間に利益をもたらす微生物を『酵母』と呼ぶのに似ている。
存在そのものは同じだが、持っている力によって『魔』あるいは『神』とよばれる者達。
その『魔物』もまた、ある力を持っていた。
それは『空間を操る力』だ。
新しい空間を『創造』する。
空間のこちらとあちらを繋げる。
存在する空間を『削除』する。
お分かりとは思うが、最後の一つが問題だった。思うがままに、今ある空間を消滅させてしまう力。
その『魔物』に何の悪意もなかったとはいえ、この力が振るわれる事はまさに『災害』だった。
この力に対し、その世界に暮らしていた者達は即座に、『魔物』を排除する戦いを始めた。やむを得ないことだろう。
だが一方の『魔物』の方も、黙って消滅させられる理由はない。
激しい戦いの結果、その世界は魔物の振るう力によって『消滅』した。
一つの世界が、きれいさっぱり消えてしまったのだ。
『魔物』はどうなったのか?
その『魔物』は、消滅した世界から別な世界へと移った。『空間を繋げる能力』だ。
では、消えた世界の住人達はどうなったのか?
わずかに生き残った彼らもまた、戦いのために作られた強力な武器と共に、その『魔物』を追って来た。
それが『この世界』。
今、無代達が生きているこの世界だ。
彼らが降り立った『この世界』はその時、戦いの真っ最中だった。
『聖戦』。
人間と神と魔、その激しい戦い。人間もまた戦いのために強化され、今とは比べ物にならない力を振るっていた。『魔物を追う人々』は彼らの力を借り、ついに『魔物』を封印することに成功する。
魔物を滅する代わりに、極めて良く出来た『封印』に閉じ込めたのだ。
『魔物』の、空間を操る力はそのままに、『彼』に意志と目的を与え、その力を『人々の役に立つ』ように作り替える。
『病原体』を『酵母』に変えたのだ。
もうお分かりであろう。
新しい空間を作る力は『倉庫』に。
空間を繋げる力は「空間転送」に。
『魔物』はこうして、新しい名を得た。
『カプラ』
それがもう一つの、物語の始まりだった。
「では…その『魔物』というのは…」
無代の表情はもう、驚愕を通り越して呆然。
「そウでス。ボくがその『魔物』」
目の前の少年が、微かな笑みと共に名乗りを上げた。
「『カプら』。『皆の役に立つものであれ』と彼らガくレた、新しイ名前でス」
その名前。
その力。
かつて一つの世界を滅ぼし、今は世界中の冒険者達の礎となる者。
「『魔物』の時代ノ記憶ハ、ボくにハありマせん。『記憶スる能力』がアりまセんデしたかラ」
『記憶する事』、『他者を認識する事』、『コミュニケーションする事』。そのすべては、後に与えられたものだ。
それが『封印』。
「彼らモ、ボくの力ヲ全て消滅さセる事はできナかった。だかラ、人間の様ニ記憶し、学習シ、思ウ事が出来るヨうにしタのでス…多くノ犠牲を払っテ」
「…犠牲…?」
無代が訊ねるともなく呟く。
『カプラ』は、その犠牲が何であるかは語らない。しかしその表情から、それが熾烈を極めたものであろうことは、無代にも容易に想像できた。
「今ノボくは、かつテの力をほトんど使えまセん。正直、こコに『いるダけ』ト言っテも良イ。ソの力は全て、カプら嬢のみンなに分ケ与えらレていルのでス」
『カプラ倉庫』
『位置セーブ』
『空間転送』
カプラ嬢が操るそれらの力は、では元々は『魔物』の力だったのだ。
世界を滅ぼした魔の力。
「…」
D1も無代も、もはや言葉一つ出ない。
「そシて、コの力を誰も独占できナいように、『カプラ社』ガ作らレましタ」
それが『会社』の始まり。
確かに、これほどの力が何者かに独占されれば、それはもう世界を制したも同然だ。会社と言う組織でそれを防御する事で、世界に対する安全装置とするのは自然な行為だろう。
しかし。
「『カプラ社自身』が、ボくの力を独占しよウとする、そこマでは想定外デした…アイダ専務を始メ、現在ノ会社幹部は、ぼクから『魔』の力を奪イ…こノ力を自分のモのにすルつモりでス」
「…もしそうなったら…?」
無代が鋭く訊ねる。
「彼らハ、『世界を制すル力』を手に入れルでしょウ」
しん。
広い室内に沈黙が落ちた。
その沈黙を破ったのは、D1だった。
「…そこまで御存知で…なぜ何も…して下さらなかったんです…」
低い、熱の籠らない声。それは質問というよりも『詰問』に近かった。
「…さっキも言った通リだヨ。もう、諦めテいたンだ」
カプラが少年の姿で、少年の顔で、少年の声で、だが老人の響きの声で応えた。
「ボくがこコにいル限り、こノ力を求メる者が必ず現れル。ボクを守ルはずノ会社デさエ、ぼクを裏切ル。…そして…かプラ嬢サえ『BOT』にさレた時…何もでキないボくは、モう絶望すルしかナかった…」
カプラが遠い目をする。
「やハりボくは『魔物』ダ。『疫病神』…ト言う方ガ適当かナ。だかラ…」
それは小さな、小さな声で語られた告白。
「もウ消えてシまおウ、っテ、そウ思っタんだ…こレ以上、誰かを犠牲にスる前に」
「…『飛び降りる』?! 正気なの?! 地上までどれだけあると思ってるの! キリエかけててもアスムでも、とても耐えられるものじゃないわよ!」
D1が無代に喰ってかかった。無代の『飛び降りる』という言葉を、ただ無謀としか捉えていない。
が、それも当然の話だった。
D1の言う『キリエ、アスム』とは、僧侶系の術者が使う『キリエエレイソン』、『アスムプディオ』などのバリア呪文のことである。敵から撃ち込まれる剣や飛んでくる矢、魔法をある程度防ぐ呪文。だが…
「防御できるダメージには限度がある。地上2000メートルからの落下の衝撃なんか防げるはずがないわ!」
D1の、その判断は正しい。
だが、無代はじっと彼女の目を見て、反論した。
「アスム・キリエじゃない」
「え?」
D1が一瞬戸惑う。
「プリーストのバリア呪文じゃない。ソウルリンカーの『カウプ』を使う。それと『カイゼル』、『カアヒ』も」
「…!」
「カプラ嬢の中に、『魂』持ちのソウルリンカーが二人いる。条件は揃ってる」
『カウプ』。それは『ソウルリンカー』と呼ばれる職業の人間が使う術の一つだ。その効果は、『1度だけ、いかなるダメージも無効化する』。
『カイゼル』も同じくソウルリンカーの術で、『死亡しても一度だけ、即座に復活できる』。『カアヒ』は、身体に攻撃を受けるたびに、そのダメージを逐次回復してくれる呪文だ。
これらの術は非常に強力だが、基本的に『自分』、もしくは『家族』にしか贈れない。が、『ソウルリンカーの魂』という術を使う事により、全くの他人にも贈ることが可能である。
『魂持ちのリンカーが二人』、無代の言う条件とはそれだった。
「地上まで真っ直ぐに落ちて、一発で地面に着地できれば、理論上は無傷で降りられる。死んでもカイゼルで復活、って寸法だ」
どうよ、という顔の無代。
「オシリスカードの刺さったアクセサリーでもあればいいんだが…そこまで贅沢は言えんか」
彼の言う『オシリスカード』とは、並のモンスターよりも遥かに強力な『ボス』と呼ばれるモンスターが落とす、輪をかけて貴重なカードの一つだ。その効果は『死亡して復活すると、魔力体力を完全に回復する』。確かにそれがあれば、この高さからの落下して死亡したとしても『カイゼル』の効果で即復活し、生存できる可能性は高いだろう。
「実は、ここに来るまではそれ、T2(ティーツー)が持ってたらしいんだけどね。取り上げられちまったらしい。残念」
おどけて苦笑いする無代。だがそれを聞いたD1の眉間には、深い皺が刻まれる。
「…そりゃ…理屈はそうだけど…無謀だわ! 身体の損傷が激しすぎれば復活できないこともあるのよ…うまく行く保証なんかないじゃない!」
「保証?」
D1の反論に今度は、無代の眉間に皺が寄る番だった。
「そんなもん最初から無えよ。何するにしたってさ」
無代の顔に、今度は太い笑みが浮かぶ。腹の底から何か熱いものが噴き上げるのを、無理矢理抑え込むような強い微笑。
「だけど『保証がないこと』は、『やらない』理由にはならねえ」
はっ、とD1の目が見開かれる。
そして、目の前にいる男の顔を、もう一度見た。
「確かに保証は無えし、成功する可能性だってホントは大して…いや全然無いのかもしれんさ」
そんな弱気な言葉は上辺だけだ。それが証拠に、無代の笑みはさらに太く、深くなる。
「だけど、人間の魂イジくって『BOT』なんてモノ作って、カプラ社ごと世界を牛耳ろうなんて連中が幅利かしたらどうなるよ?」
無代が立ち上がる。
「そうなったら本当に何の可能性も…『夢』だってろくに見られない世の中が来ちまうよ」
肉まんの容器を抱え、D1に背を向ける。
「俺にはこんな事しかできんけどさ。それでも出来る事があるんなら、せいぜい頑張ってみるさ」
「…そんな…馬鹿なっ!」
『カプラ』の告白に、D1は思わず叫んでいた。
『消えてしまおう』。それはまるで『自殺の告白』なのだから、彼女が叫ぶのも仕方ないことだ。
「ごメんネ、D1」
『カプラ』が、小さくつぶやいた。
「デも、『カぷラ社自身』がボくを裏切るナら、ぼクに出来る事はもう無イんダ」
『カプラ』の声はずっと小さいままだ。
かつて一つの世界を消し去った『魔物』。だが、その力には枷がかけられ、もはや自分で戦う事はできない。その力は等しく、カプラ嬢達に分け与えられている。
そして、当のカプラ嬢が『BOT』となってその力を行使するならば、彼にはそれを止める力すらない。
魔を神と言い換えるなら、彼はまさに『巫女に裏切られた神』であった。
偽りの神の声と、神の力を行使する巫女を、止める事も殺す事もできない神。
ならば、神として苦しむことをやめ、考える事もやめる。そう決断したとて、誰が責められよう。
「…! そんなことは私がさせません! 『BOT』なんて…そんなものをカプラ嬢にさせてなどおかない!」
D1が力強く宣言する。
「カプラ嬢を守るのが私の仕事です。その誇りを穢す者を許してはおきません…!」
「…だガ、君に何ガできル? D1」
「!」
「…ゴメんよD1、君ノ決意を馬鹿ニするつもリはなイんダ。でモ、この会社ぐるミの陰謀にハ、さしモのキミも…」
「そんなはずはありません! 『BOT』の存在を告発すれば…」
「どこニ告発すルの?」
「…え? …それは…王国の司法機関に…」
D1の言葉に、カプラが首を振る。
「…『BOT』の技術を伝え、そレを制作できルのは、王国の秘密組織『ウロボロス2』だケだ。…社長達の陰謀にハ、間違いナく王国そノものが関わっテいル。君ノ訴えハ無視されルか…君自身が『排除』サれてしマうだロう」
「…!」
D1の表情が固まる。代わって、それまで黙っていた無代が口を挟んだ。
「『ウロボロス』、その名前がまた出てきましたね? しかし、『ウロボロス』はBOTを殺す組織だったのでは?」
「『ウロボロス』は一つデはなイのデす」
カプラが無代に解説する。
「ぼクの知る限リ、9つノ組織ガそれゾれ、好き勝手ニ活動しテいる。カプラ社乗っ取りのタめにBOTヲ送り込んだノが『ウロボロス2』。それヲ阻止しヨうトBOTヲ殺シたノは『ウロボロス4』。まぐだれーな・ふぉん・ラウム、通称『四ノ魔女』という女性が率イる組織でス」
「…『仲間割れ』というワケですか」
「イいえ。彼ラは元々、仲間なンかでハありマせん」
カプラは真っ直ぐに無代を見る。
「『ウロボロス2』が『カプラ社』と接近すレば、ソの勢力が強クなりすギる。『四ノ魔女』ハそれヲ嫌っテいルだケです。しカし彼女モまさカ、『ウロボロス2』がカプラ社そのモのを手に入レようトしてイるとハ、気づイていナいでシょう」
「…」
今度は無代が黙る。
『ウロボロス』。
それが、無代がずっと探し続けた友『一条流』が現在、所属する場所とまでは、さすがの無代も夢想だにしない。しかも、正に今話題に上っている『BOT殺し』こそ、流たち『ウロボロス4』の仕業であるとは。
だが、無代の表情にははっきりと、何かの確信を掴んだ表情が浮かんでいる。
(…やはり、この線だ…!)
カプラガードから拷問を受けながら、それでも食らいついてたどり着いたこの場所。この情報。それが、追い求める何かに繋がっていることを、無代はほとんど確信していた。
「…では、その『BOT』を排除する『ウロボロス4』なら、私たちの味方になってくれるのでは…?」
D1がすがるような声を出す。
しかし、カプラは小さく首を振った。
「彼ラも、決しテ我々の味方デはありマせん。…それニ忘れテはいけナい。彼らハ『かぷら嬢』を殺しタ。例エそれガ『BOT』でモ…」
D1がぐっと詰まる。
全てのカプラ嬢の頂点である『D1』にとって、カプラ嬢の安全を守る事は至上命題である。確かに、それが『BOT』などという得体の知れないものであったとしても、カプラの制服を血で汚された事実に変わりはない。
「…ならば…ならば…」
D1の瞳に暗い火が宿る。
「…社長以下、陰謀に関わるものたちを、私が…」
『殺す』、そう言わんばかりの不気味な覚悟が、D1の身体から炎となって立ち上る。
「…ダめだよ、D1。ソの制服を自ら、罪の血で染めルことは…」
「でも…!」
「そレに、多分もう遅イ…」
「!」
カプラが目を伏せる。
「社長達はモう既に、相当数の『BOT』ヲ用意してイる。現役カプラ嬢の中にモ、もう相当数のBOTがいルはずダ。『ウロボロス4』が殺シたのは、そのホんの一部に過ぎナい。そシて…そのBOTを一気に『カプラシステム』に接続すレば、いツでもシステムを乗っ取レる。…今この瞬間デも」
「…では…諦めろと!」
「…」
「相談役!」
D1が今度こそ、少年に掴みかかった。『カプラ』の目の前に跪き、彼のスーツの裾を拳が白くなるほど握りしめる。
「…社長達ハ、とテも上手に事を運んダ。ぼクでさエ、気がつイた時にハ遅かっタ…」
カプラはD1に詰め寄られながらも、静かに語る。
「…彼らカら『カプラシステム』を守ル事は、今とナっては難しイ。…でモ、モし可能性がアるとスれば…」
「…それは!?」
カプラがぐっ、と唇を噛み締める。そしてD1と無代の顔を交互に見て、言った。
「あル場所へ行っテ欲しイ。D1。そシて無代サん。…そこデ『彼女』に会っテ欲シい」
「その場所とは?」
「ニブルヘイム」
無代の問いに、カプラの答えは短い。
「では…『彼女』とは?」
「『N0(エヌゼロ)』…ですね…?」
その問いに答えたのはカプラではなく、D1だった。
「『N0』!?」
「そうデす。生と死の狭間に立ち続ケる、『原初にシて永遠のカプラ嬢』」
『死の都ニブルヘイム』。
その街にも、カプラ嬢はいる。
永劫の暗闇の中、死者と魔物だけが徘徊する呪われた『死者の街』で、そこに挑む冒険者達をサポートするカプラ嬢。
ただし…。
「…彼女には交代要員のナンバーズも、ノーナンバーもいない…。ただ1人…たった1人で24時間…365日、あの場所を守り続ける。だから『0(ゼロ)』…」
D1が低くつぶやく。
「ソう。そシて彼女こソ、『カプラシステム』の番人でアり…『カプラの封印』の守護者』」
カプラも低く、つぶやく。
「そシて、史上最初のかぷら嬢、だカら…『0』」