2014.11.04 Tuesday
外伝『The Gardeners』(6)
「……また家出?」
佐里が、そう言って妙な顔をするのも無理はない。変な表現だが、最近の一条家はちょっとした『家出ブーム』である。
まず最初に三女・静、次いで次女・香が、相次いで家を出てルーンミッドガッツ王国へと向かった。それぞれ一条家の世継・流と、無代を追っての行動だ。
そして今、侍女である咲鬼までが家を出たという。
「トモエ、ひょっとして嫌われてる……?」
「私のせいじゃないわよ!!」
とんだ濡れ衣を着せられそうになった巴が、飛び起きて反論する。
「大体、静さんと香さんの家出は『男恋しさ』だし!」
まあ確かにそうだが、義母にそう言われては身も蓋もない気もする。
「じゃ、サキは?」
「あの子はね、『喧嘩』」
「喧嘩?!」
佐里が再び驚き、目を剥く。彼女も良く知る一条家の侍女・咲鬼は、誰に対しても優しく気立ての良い少女で、喧嘩して家を飛び出す、というのが想像できないのだ。
「喧嘩、って、誰と?!」
盛大に首を傾げる佐里に、巴は手酌で酒を注いで軽く煽ってから、答えた。
「綾さん」
話は3日前に遡る。
場所は一条家の居城・見剣城の三の丸、御側役筆頭・善鬼の屋敷。
「ですから綾様、咲鬼はもっと武芸を学びたいのです! 真剣に!」
「だからまだ早い、と申しておるのだ咲鬼!」
相対するのは一条家の長女・綾と、侍女の咲鬼。
間に善鬼。
「早くはありません! 和尚様も、『もう型稽古で教えることはない』と!」
「オレから見れば早い! お前はまだ子供なのだ。今はじっくりと……」
「咲鬼は子供ではありません!」
「子供だ!」
「違いますっ!」
押し問答だ。
この揉め事の元は、まあ二人の問答を聞けばおよそ分かると思うが、咲鬼の武術修行についてである。
故郷である『鬼の里』を抜け出して瑞波に渡り、善鬼の養女となった咲鬼は、既にだいぶ前から武術を習いはじめている。それも一条家の当主・一条鉄が推薦してくれた師匠の元で、基礎から徹底して教わる念の入れようである。
ただ、その教養課程そのものは、瑞波の武家の娘なら誰でも教わるレベルのものだ。
『型』を重視し、身体の姿勢や健康を正しく保つことを主とする、はっきり言えば『お嬢様芸』だ。ほとんど実戦を想定していない。
これに咲鬼、どうにも飽き足らなくなった。こんなものは武芸とは言えない、と気づいてしまったのだ。
この瑞波において、本気で武芸を身に着けるとなれば、こんな生易しい修行ではすまない。なにせ怪我をしても治癒魔法があり、回復剤もある。万一死んでも、蘇生まで可能なのだ。文字通り血反吐を吐き、骨を軋ませるような実戦そのものの、それこそガチの殺し合いレベルの修行が、普通に行われている。
普通なら咲鬼のような年齢の少女が、自らそれに飛び込もう、などと思いつきもしないだろう。いくら『武の国・瑞波』といっても限度というものがある。
しかしまず第一に、咲鬼は普通の人間ではない、『伝承種(レジェンド)』である。
聖戦時代、強力な魔物と人間とを交配して創り出された戦闘種族・『鬼』の末裔だ。この年齢でも既に身体能力、魔力、精神力、いずれにおいてもそこらの大人を上回っているし、その成熟の証である『鬼の角』が生えた暁には、女の身でもまさに一騎当千の超戦士となる素質を持っている。
並みの修行に飽きたらなくなるのは、むしろ当然と言えた。
そして第二に、咲鬼の周囲にいる一条家の人々も皆、そんな苛烈極まりない鍛錬を経て、今の自分を作り上げた強者揃いだ。
養親である善鬼、一条家の当主である鉄、その妻の巴。そして目の前にいる綾を含む一条家三姉妹もまた、それぞれに壮絶な鍛錬をくぐり抜け、ほとんど超人と言ってもいい力を身につけた大人たちである。
そんな連中に囲まれて育った咲鬼が、『自分もそうありたい』と思うのは自然。いや、むしろ『思うな』という方が無理というものではないか。
「咲鬼も、御家の皆様のようになりたいのです! それのどこがいけないと仰るのですか!」
だから、この咲鬼の言い分には、なるほど一理ある。
どちらかと言えば咲鬼の方が、があー! と吠えんばかりの勢いである一方、対する綾の方がやや押され気味、という珍しい構図なのはそのせいだ。
「咲鬼だって一条家の一員、せめて自分の身ぐらい、自分で守れなくて何とします!」
珍しく声を荒げる咲鬼に、だが綾も一歩も退かぬ。
「お前はオレが守る!」
だあん! と、綾の拳が畳をぶっ叩く。その勢い、咲鬼の身体がちょっと畳から浮いたほどだ。
「咲鬼、お前の身をどこの誰が狙おうが、このオレが指一本触れさせぬ!」
綾の拳がめり込んだ畳が、みきっ、と軋む。もちろん、綾が本気なら畳の一枚や二枚、指先一つで貫通してしまうから、これでもだいぶ手加減している。
「それは……ありがたく存じております」
さすがの咲鬼もこれには頭を下げる。
「であろう。だから咲鬼、慌てることはない。お前はもっとゆっくり大人になればよいのだ」
綾の声が優しくなる。
彼女だって、決して悪気があって咲鬼を止めているわけではない。
綾の実母である桜が亡くなった時、ちょうど今の咲鬼ほどの年齢だった彼女は否応なく、幼い二人の妹と家事能力皆無の父親を支えねばならなくなった。
その日から、一日も早く大人になり、すべてを背負えるようになりたいと、ずっと思い続けてきた。
(ま、それより何よりこの善鬼を一日も早く、オレの物にしたかったからな)
綾姫、とことん肉食女子である。
ともあれ本来なら楽しく、優しくあるべき子供時代を、文字通りかなぐり捨てるようにして、綾は大人になった。ならなければいけなかったのだ。
そんな半生を、綾は決して後悔してはいない。『後悔』などという言葉は、彼女にとって最も縁遠い言葉だ。
とはいえ、身内の養女となった咲鬼の成長を見るにつけ、
(もっと子供時代を愉しませたい)
どうしても、そう思ってしまう。
綾自身も気づかない心の奥底に、とうに捨ててきたはずの少女の心が、まだ微かに残っている、そういうことかも知れなかった。
いつか咲鬼にも、戦わねばならぬ日が来ることは疑わない。だがせめてその日までは、綺麗な着物を着、花や人形を愛で、淡い恋の一つもすればいい。
そのために、この自分の力を振るうことに、綾は何のためらいもない。
「そうとも咲鬼、お前はオレが守る」
力強く、そう繰り返す綾に、さすがの咲鬼もしんみりと黙る。綾の気持ち、真心をちゃんと受け止められる、彼女はそういう少女なのだ。
「お前は安心して守られていればいいのだ。……無代の兄ちゃんと一緒に」
満面の笑みで、綾がそう締めくくった。
が、これがいけなかった。
「……それはどういう意味でしょうか?」
神妙に黙りこんでいた咲鬼が、妙に腹の座った声で質問した。
「は?」
意味が分からず、綾がきょとん、と首を傾げた、その次の瞬間、
「……『無代さんと一緒』、とはどういう意味ですかっ!!」
ばあん!! 先ほどの綾もかくやの勢いで、咲鬼の掌が畳をぶっ叩いた。今日は畳にとって、ほとほと受難の日であるらしい。
「どういう意味ってお前……このオレがお前や、無代兄ちゃんを守るのは当たり前ではないか?」
困惑する綾に、咲鬼の膝がぐい、と迫る。
「つまり無代さんと咲鬼が同じと、そう申されるのですかっ!!」
がおー!! と、咲鬼が綾に噛み付く。
「はい……?」
綾にはわけがわからない。さっきまでしおらしかった咲鬼が、なぜいきなりキレたのか。
咲鬼も無代も、綾から見れば同じ、最も大切な保護対象だ。だからそう言ったまでのことである。
しかし、綾は知る由もなかった。
咲鬼がこうして『武術を極めたい』と思ったきっかけが、そもそも無代にあったとは、さすがの綾も思い至らなかったのだ。
「無代さんと同じ、それでは駄目です!」
天下の綾姫をぐい、と仰ぎ見ながら、咲鬼が今日一番の大声を張り上げた。
「無代さんは、咲鬼が守るのです! そのために、咲鬼は強くならねばっ!」
「何……?!」
綾が驚きに目を剥いた。ここでなぜ無代が出てくるのか、どうにも綾には分からない。
だが、今の咲鬼には極めて自然なことだった。
彼女にとって無代という青年の存在は、余りにも大きい。
鬼の里からの追っ手を逃れ、アマツの港に降り立ったあの日、絶望に飲み込まれそうになる自分を救ってくれた恩人。そして一条家の一員となって以降も、ほとんど毎日のように無代の店・泉屋に入り浸り、無代の後にくっついては料理や、下らない下町の遊びや、異国の話を教わって過ごしてきた。
歳の離れた友人であり、兄でもあり、師であり、また父でもあった。
そして咲鬼自身は気づいてはいないけれども、少女としての微かな憧れもあっただろう。
そんな大切な人間でありながら、どうにも無代という青年は『危なっかしい』。
少女である咲鬼から見ても、
(いつどこで死ぬか分かったものじゃない)
そんな不安がある。
なにせ無代、自分は大して強くもないくせに、何かと厄介事を背負い込む。
一介の平民でありながら、一条家の姫君を想い人にしている、それだけでも十分に厄介だ。アマツで絶賛売り出し中の暴れ大名、その『婿』という身分を狙う者共に、いつ殺されてもおかしくない。
だというのに無代ときたら、大人しくするどころか、日々新たな厄介事に首を突っ込むのだ。困っている人間を見れば放っておけず、揉め事を見れば仲裁に入らずにはいられない。
咲鬼が無代と知り合って以降も、何度ボコボコにされ、死にかかったか数えきれない。そのたびに一条家や、泉屋の連中が助けているからいいようなものの、それがなければとっくに墓の中だ。
お人良しの上にお節介、しかも喧嘩っ早いときているから、本当に始末におえない。
もっとも、そのおかげで咲鬼も助けられた。ひまわりやかいね、泉屋に集まる者達も同様だ。
無代は、ああいう男だからこそ無代。
(なら、咲鬼が無代さんを守ればいい。そのために強くなればいい)
咲鬼がそう考えるようになったのは、当然の帰結であった。
こんな年端もいかない少女に、保護対象扱いされる無代も無代だが、いまさらそれを咎めても詮無い話。
そしてそこにはもう一つ、『鬼』として生まれた咲鬼という少女の、自分自身に対する複雑な想いが絡んでいる。
鬼として、特別な力を持って生まれた少女が、ようやく自分の存在意義を掴みかけた瞬間。
自分の力は、このためにあるのだと肯定できた、その瞬間。
鬼の宿命を背負った少女と、『角』にまつわる物語。
だが、それはもう少し後に語ろう。
話を戻す。
そんな咲鬼だからこそ、今や彼女の保護対象となった無代と、自分が同列に扱われたことに納得がいかなかった。
自分という存在を、無代ごと否定されたような気がした。
自分は何のためにいるのか。
なぜ鬼に生まれたのか。
生まれてしまったのか。
「……分かりました」
ぷい、と咲鬼が立った。頬を思い切りふくらませ、口をこれでもかと『への字』にして。
「?!」
突然キレ、また突然立ち上がった咲鬼に、さしもの綾が目を白黒。
だんだんだん、と畳を踏み鳴らし、咲鬼が善鬼の座敷を出て行く。
「お、おい咲鬼?! どこへ行く?!」
腰を浮かせかける綾に、咲鬼がくるっ、と振り向いてひざをつき、両手もついて一礼。
「叔父上様、綾様、長らくお世話になりましたっ!!!!」
ほとんど怒鳴り声で挨拶、そしてまたどたどたどだっ!! と、後も見ないで駆け出す。
どたどたどたどた……咲鬼の足音が遠ざかる。
綾が、ほとんど呆然と、
「……どうしたのだ、咲鬼は?」
これが戦場なら、どんな敵も逃しはしない瑞波大将軍殿をして、大変な失態であろう。
「なあ、おい善鬼……善鬼?」
今まで、咲鬼と綾の間にいながら、まるで空気のようであった想い人・善鬼に問いかけ、そして異変に気づく。
「おい、善鬼」
「……」
綾が、眉の間にシワを寄せ、剣呑な表情で善鬼に詰め寄る。
が、善鬼は答えない。
いや、答えられない。
瑞波の守護大名・一条家を支える筆頭御側役として、鬼と恐れられる男が。
「善鬼……貴様、何がそんなに可笑しい!!!!」
必死で笑いをこらえていたのであった。
つづく。