2015.01.06 Tuesday
外伝『The Gardeners』(14)
八ツ谷の忍者たちは混乱していた。
ウサギ型モンスター・ルナティックの大群に襲われ、文字通り『もふもふ』にされながら、現状を理解しきれずに行動を停止してしまう。
忍者にしては珍しことといえた。
確かに、夕暮れの群衆に紛れ込んだ敵の忍者を見つけ出して攻撃する、その調教ぶりには感服せざるをえない。モンスターの中には、冒険者の身体・精神レベルを感知し、低レベルの者だけを選別して攻撃する習性を持つものがいるが、これはその応用と思われた。
もちろん通りに溢れる天臨館の学生達の中には、巻き添えを食らってひっくり返っている者もいるが、だからといって大怪我をすることも、もちろん死ぬ心配もない。何匹集まろうが、ルナティックの攻撃力などたかが知れているからだ。
群衆の中から危険度の高い者だけを選別し、一定時間動けなくする。その目的を達成する術としては、バカバカしいほどにシンプルで、そして有効な術だった。
だが勘違いをしてはいけない。
忍者が混乱しているのは、この術を食らったからではなかった。
忍者にとっては、こうしたモンスターを使役する術そのものは別段、目新しいものではない。確かに驚異的ではあるが、タネの底は割れているのだから、混乱して行動を停止するほどのことではない。
彼ら歴戦の忍者達を混乱させたのは、何よりもこれだ。
「瑞波一条家御庭番が一人、忍者・小手毬御弥(こでまりみいや)!」
八ツ谷の頭領を足下に踏みつけ、声も高らかに名乗りを上げた女忍者、これこそが異常だった。
そもそも忍者に『名』は無い。
忍者にとって名前とは、自分と他者とを区別するための『記号』に過ぎず、こうして他者に誇示するものではない。
何よりクリティカルなことは『姓』だ。
武士でも、まして貴族でもない忍者は、逆立ちしても『姓』は名乗れない。それはこの時代、わずか一握りの人間にだけ許された特権である。
しかも名乗った『姓』が、これまた半端ではない。
なにせ『小手毬』姓。『久世十四将』の一つに数えられる名門武家なのだ。天地がひっくり返っても、忍者が名乗っていい姓ではない。
加えて女忍者が翻すド派手な忍者衣装には、小手毬家が誇る『手鞠紋』、そしてなぜか並んで『透かし三つ巴紋』が、デカデカと染め抜かれている。
『姓』と『名』と『家紋』、それを誇示して戦場に立つことは、真に一握りの人間にしか許されない、まさに特権中の特権だ。
忍者たちの衝撃を例えるなら、市販車のレース会場に突然F1マシンが飛び入りしたとか、ヨットレースに戦艦で乗り付けるとか、もはや反則のレベルさえ軽く振り切った異常事態と言えた。
徹底した現実主義者である忍者をして、非現実なあまり動けなくなるほどの、それは衝撃であった。
忍者にして武士、すなわち『忍士(にんし)』・小手毬家の誕生には、次のような事情がある。
話は数百年も遡る。
アマツの都に、『久世喜孝(くぜよしたか)』という武将がいた。この喜孝、元々は時の帝の六男、つまり皇子であったのだが、武芸に秀で、ついでに乱暴者ということで皇籍を剥奪され、臣下に下されてしまったという。その際にもらったのが『久世』姓と、『透かし三つ巴』紋である。
この久世喜孝、後にアマツ初の『征夷大将軍』としてアマツの北方へ送られるのだが、
『どうも厄介払いをされたらしい』
とは瑞波の先君・一条銀の言葉である。もともと『乱暴者』のレッテルも濡れ衣で、並外れて知勇に優れた人物であったのが皇位争いのとばっちりを受けた、というのが真実であるようだ。長男や次男ならともかく、六男などに優れた人物が生まれても不幸しか呼ばない、皇位争いなどそんなものなのだ。
ともあれ、この『久世北伐(くぜほくばつ)』に付き従った十四の武士団が『久世十四将』で、この中に『小手毬』があり、同時に他でもない『瑞波一条家』もいた。
といっても一条銀によれば、
『本当に十四の武士団が同行したかどうか、それを示す記録はないのだ。進軍の途中で負けて従った土豪とか、下手をすれば夜盗山賊の類が数に入っていてもおかしくはないな』
だそうだ。
その辺はともかくとして、アマツ北方を平らげた久世家はそのまま土着し、配下の『十四将』もそれを取り巻くように領土を与えられ、北方に根を下ろした。
そこから数百年、久世家と十四将家は融合や衝突を繰り返し、十四将家のうち実に十家は断絶。跡継ぎが無かったり、他家に攻め滅ぼされた。
結局、最後にアマツ北方をシメたのがご存知、我らが一条家ということになった。
一条家から見れば『主君』であり、皇統、すなわち帝の血筋を伝える久世家はすっかり勢いを失い、今は山間部の小さな一郷を領有するのみで、それさえ一条家から割譲されたもの、という有様だ。ちなみに一条銀・鉄兄弟の母親、つまり静ら一条三姉妹の祖母は旧姓を『久世』といい、この久世家の姫君である。
さて十四将の残る三家は、すべて一条家の配下となった。小手毬家もそれである。
ところが、この小手毬家に男子が生まれないことがあった。現代日本ではバカバカしい話だが、当時の武家においてこれは一族の存亡に関わる大事である。
何とか一人娘が生まれたので、これに養子を取って跡目とする手はずとしたが、不幸は続くもので、この娘が業病に罹った。全身の皮膚が膿んで崩れ、顔も片目を失うほどの有様だったという。
当時、この病気にかかることは絶望を意味した。
実際にはほとんど他者への感染のない病気なのだが、誤解や迷信から本人はもちろん、一族全体が『呪われた者』として扱われた。当然、いかな久世北伐以来の名門であっても、もはや婿はない。いや、家名目当ての卑しい婿なら星の数ほどもあろうが、当時の結婚は両家の『家格』が何よりも大切だ。
御家断絶。
誰もがそう覚悟した小手毬家に、ある日、不意の客があった。
一条銀とその妻・巴である。
『馬鹿者め! なぜもっと早く報告しなかった!』
銀は、もはや弱った身体ながら声を枯らし、小手毬の当主を叱責した。この開明の主君に、誤解や迷信は無縁のことだ。それがめったに感染しないことも、そして早期に適切な治療を受ければ完治も可能であると、ちゃんと知っていた。そして妻・巴の魔法技術こそ、それを可能にできることも。
巴は小手毬の娘を眠らせた上で、実に十人もの治癒術者を従え、娘の膿んだ皮膚をファイヤーボルトで焼いた。
威力を極微、ナノレベルまで絞り込んで放つ巴の秘儀『灼雨』だ。
病んだ細胞のみを焼き、焼いたそばからヒールで治癒をかける。これを繰り返し、娘の身体から全ての病巣を取り除いた。
だが、失われた片目はどうすることもできない。治癒可能期間を過ぎた器官は、ヒールの魔法を持ってしても治せないのだ。同時に、崩れた容貌を完全に元に戻すこともまた不可能だった。
これでは命は助かっても、やはり婿のあては無い、と、思われた。
だが、そこで一条銀が一人の若者を呼び出す。いささか表情に乏しいが長身、かつ逞しい若侍である。
何より驚いたのは、瑞波の殿様である銀が、この若侍に上座を譲ったことだ。
このアマツ北方において、一条家の主・銀よりも上座に座れる家格は一つしかない。
皇統『久世家』だ。
小手毬の家の者どもは、そろって目を剥いた。だが確かに若侍の着物には、一条銀のそれと同じ『透かし三つ巴』の家紋が染め抜かれている。
ここで『家紋』について、現代日本にも通じる一つの決まりを記そう。
家紋は、武家貴族の出自と由来を伝えるステイタスの一つであり、先祖から子孫へと伝えられるのだが、これが変化することがある。
最も多いのが、家に男子がなく婿養子をもらった時だ。
この場合、まず一時的に養子をもらった先の、男子の家紋に変紋となる。つまり元がA紋、婿養子をもらった先の婿実家をB紋とすると、A紋からB紋へと変化する。
この後、婿養子と娘の間に男子が生まれ、その子が無事に家を継げば、家紋は元のA紋へと戻すことができる。
だが問題は、この夫婦にも娘しか生まれず、再び婿養子をもらった場合だ。
この場合、もはや男子継承は失敗したとみなされ、A紋に戻すことはできなくなる。そして婿養子が再びB紋ならB紋へ、あるいはC紋やD紋ならそちらへと変紋することになる。
本来『姓』と『家紋』はセットだが、よくこれがズレるのはこのためである。
もっとも、本来は継承失敗を意味するこの変紋が、自分の家のステイタスを上げるために使われることもある。
実は一条家の『透かし三つ巴』がそれであり、元々は別の家紋だったものを、わざわざ久世家から何度も婿養子を跡目にもらい、わざと変紋した。皇統・久世家のステイタスを取り込んだのである。なぜか?
久世家は皇統、つまり『征夷大将軍』となれる家格だ。つまり『幕府』を開くことができる。
家紋一つにも、彼らの長きに渡る野望が見て取れるのである。
ちなみにこちらの世界で過去、日本を支配した『徳川家』は『征夷大将軍』であったが、実はそれに見合う家格をもっていなかった。『源氏』つまり『皇統』を持っていなかったのである。そのため当時の帝を武力と経済力で脅し、かつ自らの血統を捏造することで強引に将軍職を奪ったとされる。
無駄話はこれぐらいにして、場面を戻そう。
『透かし三つ巴』紋を付けた若侍を上座に座らせた銀は、
『久世の分家・影久世(かげくぜ)の次男・真紅狼(しんくろう)殿である』
分家の場合、家紋は『丸』で囲む決まりだ。だから彼の『透かし三つ巴』は丸付きであり、正確には『丸に透かし三つ巴』となる。
だが、武家の超名門・久世家に『分家』があるなどという話は、小手毬の誰一人として知らない。大体そんなものがあれば、十四家と同等かそれ以上の大名として名を轟かせていなければならない。
その疑問に、銀は明快に応えた。
『影久世は、久世家を影よりお守りする御役目を与えられた忍者の家系である。かつて北方に棲んだ『白戸日(しらとび)忍軍』に、久世家から跡目を入れて創出された。あくまで影ゆえに姓も家紋も秘され、知る者も久世家ですらわずか』
銀はその事実を、久世家から嫁いだ実母より伝え聞き、以前から接触と交流を持っていたらしい。小手毬の者共は言葉も無い。
そんな連中を無視する勢いで、銀は真紅狼を引き連れて小手毬の娘・楓(かえで)の病床に押し掛け、
『どうだ?』
と問うた。無粋も極まる話ではあるが、当時の武家の結婚など、結婚初夜までお互いの顔も知らぬ、など珍しい話ではない。
『貴女が嫌なら、断ってよいのですよ』
楓の枕元では、銀の妻・巴がフォローを入れる。アマツの血筋ではあるが、ルーンミッドガッツ王国育ちの彼女にとっては、武家の仕来りがどうのこうのなぞクソ喰らえ。あくまで楓の味方であり、相手が銀でもそこは退くものではない。
楓はしばらく黙っていたが、巴の手を借りて寝床から半身を起こすと、傷つき崩れたその容貌を真紅狼に晒し、
『このような化物が嫁でも、よろしゅうございますか?』
気丈に、そう問いかけた。
これに真紅狼、眉一つ動かさず、
『……我ら忍者に、姿形など無意味』
そう答えておいて、
『しかし同じく、情や心も無意味に生きて参りました。私に、それを教えて下さるだろうか?』
なかなかの口説き文句と言えただろう。
二人は銀・巴の媒酌で夫婦となり、そして一女二男の子を成した。男子継承の予定が立ったことで家紋を『手毬』に戻せるところ、格上の『透かし三つ巴』を副紋として残すことも許された。忍者の家としては、まさに驚天動地のステイタスを得たことになる。
そして最初の女子が生まれた際は、一条銀、わざわざ城の病床に親子を呼んで祝福した。そして機嫌よく笑う赤子を、自ら胸に抱き、
『そうだ、笑え。笑うがいい。たとえ忍者とて、笑わぬ者は我が国に要らぬ者よ』
と、これも笑顔で語りかけた。
あり得ることではない。
皇統の分家とはいえ、これは忍者の子だ。それを一国の主が抱いて祝福するなど、到底あっていいことではなかった。
だがそんな薄暗い伝統ほど、この男が嫌う物は無いのだ。
『良き忍者に育てよ。名を与える』
ここに、アマツには決してあり得なかった忍者が誕生した。
瑞波・一条家の三姉妹と同格の家名、そして皇統の血を持ち、久世北伐以来の名紋『手毬』、そして『丸に透かし三つ巴』の両紋を翻す。その名『みいや』の名付け親は、神君・一条銀。その身分は歴とした『姫君』である。
八ツ谷の忍者達が、アマツの薄暗い闇から生まれた彼らが、ただ混乱するしかない凄まじいステイタス。
だが見よ。
真に価値あるものは家名だの、家紋だの、血筋だの、そんな血の通わぬモノではない。
そんなものは『添え物』だ。
暮れる夕日を押しとどめるような、その笑顔。銀から、巴から、そして誰よりも、今も仲睦まじい両親・真紅狼と楓から受け継いだ、その笑顔こそが。
「このまま大人しく帰れば見逃す。あくまで忍びの意地を通すというならそれもよし!」
みいやが、八ツ谷の頭領を踏みつけていた足をひょい、と、外す。家紋『透かし三つ巴』を模した巨大な三方手裏剣が背から抜かれ、瑞波の夕日に紅く煌めく。
後に一条流の天下取りを助け、静たちと共にアマツの山河を駆け抜ける『忍姫』の、これが今の姿。
「瑞波の忍びが名ばかりか否か、しかとその身で確かめるがいい!」
頭の上にルナティックを一匹、これでもかの笑顔を共に、そう言い放ったのである。