2015.05.12 Tuesday
外伝『The Gardeners』(31)
篝火に囲まれた厳忽寺の境内、その灯りの中に、一条綾は姿を現した。
全身を堅牢な鎧で包み、手には大薙刀。そして愛鳥・炎丸に騎乗した完全武装だ。
単騎の戦力としては、恐らく今の世で最強、無敵。
『鬼殺しの閃鬼』との決闘を制したばかりの咲鬼を、その両目でまっすぐに見つめながら、一直線に進んでくる。
その進路を、だが遮る者がいる。
「お止まり下さい、綾様」
まずは泉屋桐十郎。居合い抜きの神速に並ぶ者なし、と言われた剣豪が、愛刀『無反り村正』を腰にして、綾の前に立つ。
続くは泉屋の女中頭、一二音こと『フィフネ・アルフ』。もちろん愛鳥・『竜胆(リンドウ)』の背に跨った騎乗姿だ。
泉屋を拠点とする御庭番衆、その前衛両翼が、綾と咲鬼の間に立ちはだかった。
元は瑞波の町奉行であった泉屋桐十郎・『桐十』にとって、綾は『主君の長女』。一方、一二音にとっても綾は命の恩人であり、肝胆相照らす友人でもある。
だが今、二人の目に迷いは見られない。
妖刀・村正を、居合用に直刀へと打ち直した『無反り村正』、その鯉口は切られている。一二音の『鮮血喰い』も同様の臨戦態勢だ。二人の後方にはプロフェッサーの泉水が、万全の戦闘補助を敷いて控える。
気づけば女忍者・みいや、さやかの姿も消えている。おそらくは篝火の外の闇に溶け、仕掛ける機会を狙っている。忍者の仕事に一瞬の油断もない。
「無用。退け」
綾の言葉は短い。貴様らに用はないから消えろ、という。だが、
「退きませぬ」
桐十も、一二音も微動だにしない。闇に紛れたであろうみいや、さやかも、泉水も、ひまわりも、かいねも、境内に集った御庭番の誰も、動こうとしない。
彼や、彼女らは皆、ここで死ぬつもりだった。一条綾に歯向かって、生き残れるはずはない。
だがそれもやむなし。
綾が、咲鬼をどうにかするというならば、たとえ死すとも阻止する。目覚めたばかりの鬼の娘を、総掛かりで守りぬく。綾に勝てぬのは承知、咲鬼が逃げる、その時間さえ稼げればいい。
だが、そんな悲壮な覚悟とは裏腹に、彼らの表情には緊張も何も感じられなかった。
「暇つぶしなら、私と竜胆が相手になろう。なに、退屈はさせない」
一二音がかける言葉も、まるで休日の午後のように気楽で、軽やかだ。
死を覚悟した、いや『もう死んでいる戦人(イクサビト)』とは、まさにこういうものである。
日本の武士道を説いた書物『葉隠』の中の一節『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり』は有名である。武士の、死に対する美学を説いたものだが、その目指すところは苛烈だ。
生きるか死ぬか、という局面では、迷わず死ぬ方を取れ、という。
無駄死に、犬死になど考えていては死ぬ機会を逃し、それで生き延びても恥なだけ。だから、そんなことは考えず、とにかく死ぬ。
『犬死気違い』になれ、と説く。
狂気である。
だが戦人とは、その狂気と暴力の果てに生きる者のことだ。いつ殺し、殺されるか分からない、そんな時間の中で、十全の生を生きる者だ。
散歩に出るように戦い、深呼吸するように死ぬ。
(……すごい)
彼らの背中を見つめる咲鬼の瞳に映る、その姿はとことんまで非合理的で、そして不思議に美しかった。
そして同時に、彼らに対する抗いがたい共感をも呼び覚ました。
「……」
きっ、と唇を結び、『小鬼棒』をしゅっ、とひとつ扱いて握り直す。
彼らが死ぬというならば。
自分が彼らを守るのだ。
「死になさるか、咲鬼殿」
気づけば、でくらん和尚が隣にいる。
「死にます。お世話になりました、和尚様」
迷わず応える。
「角はしまっておけ」
これもいつのまにか、和尚とは反対の隣に閃鬼がいて、アドバイスをくれる。
「あまり出しっぱなしだと、鬼の性(さが)が強くなりすぎて、何もかも壊したくなる……俺のようにな」
その表情にも、言葉にも、もはや『鬼殺し』の殺気は感じられない。それでもさすがに、御庭番の衆が目を逆立てる。
「てめえ、いまさらシレっと先輩面しやがって……!」
詰め寄ろうとするひまわりを、しかしでくらん和尚がやんわりと止める。
「ま、ま。神仏の庭で、そう殺気立つものではない。争いは仏道に背く」
どの口が言うのか、という仲裁。
「もう勝負はついておる。この鬼の身は、拙僧が預かるゆえ、な」
にっこり、と微笑むでくらん和尚の笑顔に、さすがの御庭番衆も引き下がる。といっても、閃鬼を許したのではない。むしろ全員の顔に浮かんだのは、
(鬼、逃げてー!!!!)
それだった。
この和尚、いや『武術外道』に身を預けるということが何を意味するか、知らない瑞波人はいないのだ。
「咲鬼様、お弁当! お茶も!!」
「ありがとう」
御庭番が差し出す弁当箱から、好物の稲荷を取って頬張り、水筒の茶をあおる。その間にも、血まみれの身体をもみくちゃにされる勢いで清められ、なんか肩まで揉まれてしまう。
「角に心を預けず、制御することだ。角はあくまで、お前が生きるための道具だ」
閃鬼の言葉に、無言でうなずく。
「咲鬼様、身体に痛いところ、突っ張ったところはありませぬかな? 目と耳、左右の効きも確かめられよ」
でくらん和尚の言葉に、これも無言で従い、身体をチェックする。
なんというか、万全にもほどがある『ピット作業』だった。
それをじっと見つめていた綾の隣から、
「すねるな。お前には、俺がいる」
善鬼だ。
「すねてない」
「そうか」
「……笑うな。お前から潰すぞ」
「笑ってはいない」
いつもの馬鹿夫婦ぶりである。
「ありがとうございました、桐十様、一二音さん」
咲鬼の声に、前衛の二人が左右に割れる。
小さかった鬼の娘が今、戦場に立つ。
「よろしいのですか? 咲鬼様」
桐十が問う。
「遠慮は無用、加勢するぞ?」
一二音が申し出る。
だが、それをかき消すのは大音声。
「瑞波国の守護職、一条瑞波守鉄(いちじょうみずはのかみくろがね)が一女・綾である!」
びりびりと、天を裂く雷鳴にも似た綾の名乗りだった。
だが、それは単なる自己紹介ではない。
ここが彼女の戦場であること。
戦の相手が咲鬼であること。
その二つを同時に宣言する、それは名乗りだった。そしてそれは、咲鬼を一人の戦人として認める、その宣言でもあった。
でくらん和尚の元で修行を積み、そして『鬼殺しの閃鬼』と戦った。その力と意志を、綾はずっと見守っていた。何のことはない、この完全武装も、いざとなれば咲鬼を助けるための準備だ。
だが咲鬼は綾の助けもなく、自らの力で未来を切り開いて見せた。
綾は、咲鬼を認めたのだ。
咲鬼の名乗り。綾の想いを受け、これでもかと腹の底から声を絞り出す。
「瑞波一条家筆頭御側役・善鬼が養女……」
そこまで言った時だ。
「『娘』と」
静かな、しかし断固たる声が、咲鬼の名乗りをさえぎった。
善鬼だ。
「『養女』ではなく『善鬼が娘』と。これより、そう名乗るがいい」
「……」
さえぎられた咲鬼が、綾の傍らに立つ善鬼をぽかん、と見つめたまま、しばらく反応できない。そして彼女より先に、
「くぅっ!!!!」
感極まった、としか言いようのない唸り声に、人々の視線が集まる。
「いい話じゃねえか、なあ巴!!」
「左様でございますね、殿様」
これまた、いつのまにか篝火の輪の外でシレっと観戦していた一条鉄・巴の殿様夫妻である。
「な、なんかえらいことになってない、これ!?」
女忍者・みいやが臨戦態勢を解いて姿を現す。さやかの方は、例によって巨大ルナティック・マサムネとその配下のウサギたちによってもふもふ拘束。笑い事に見えるけれど、さやかにとって守護すべき咲鬼の相手が、よりにもよって一条家最強の長女となれば、その破壊衝動は楽に限界を突破する。こうでもして止めておかないと、その『祟り(タタリ)』の力は瑞花の街すら焦土にしかねない。
「善鬼が娘……!!」
気を取り直した咲鬼があらためて名乗る。
その言葉にどれほどの想いがこもるか、見守る全員が知っていた。
「善鬼が娘、咲鬼っ!!」
もう一度、噛みしめるように叫んでも、誰が彼女を笑うだろう。
ぱきん!! 咲鬼の頭に、再び角が出現する。
戦鬼(イクサオニ)、咲鬼が戦場へと舞い降りる。
しかし咲鬼は構えない。じっと綾を見つめる、その視線の意味をなんと感じたか。
「『腹の子』のことなら斟酌無用だ」
綾が言い放つ。
「むしろ『二対一』と心得よ」
ぶん、と大薙刀を振るってみせる。その声、その姿に驚いたのは咲鬼ではない、周囲を埋めた御庭番達だ。
「ええええええ!?!?!!」
「ちょ、今なんて!??!」
「綾様、ご懐妊?! マジかおい?!」
「あ、相手は……」
全員の視線が善鬼に集中。
「お……おめでとう存じます……?」
間の抜けた祝辞に、
「ありがとう」
まったく動じてない善鬼が返す。
一同、もうどんな顔していいのやら分からない有様。
「咲鬼様、頑張れっ!!!」
そんなムードを、ひまわりの一声が変える。
「そうだ、負けるなああああ!」
「いっけーえええ!! ラスボス倒せえええ!!」
「角出してええ!!」
歓声が爆発する。
あちこちで派手な魔法の花が咲き、しゃらりん♪ ごーん♪ と美しい起動音が鳴り響く。魔法の効果そのものより、発動時に副作用として発生する光や音を装飾として使う『呪囃子(マジバヤシ)』だ。
その騒ぎの中で、しかし咲鬼は一人、静かな幻の中にいた。
閃鬼との戦いの最中、かつてこの瑞波の国を作り上げた一人の男、その過去の幻と邂逅した。それは鬼の角が持つ、ある種の超感覚だったのか。
では今、咲鬼の目の前に立つ、この幻は?
逞しい身体、両肩には角。
『鬼』だ。
咲鬼を遥かに越す長身ながら、咲鬼には見慣れた面影を宿すその顔には、まだ若干の幼ささえ残っている。
その少年が、咲鬼を見つめている。
その視線の強さに、咲鬼の心が一瞬、わけもなくざわめく。
少年の唇が動いた。
声は聞こえない。だが、唇の動きが、その言葉を咲鬼に届けた。
『「咲鬼姉(さきねぇ)」』
少年の幻は、確かにそう告げて、消えた。
先に見た幻が過去ならば、ではこの幻は。
だが咲鬼がそれを知り、彼を、そして自分の運命を知るのは、まだ遥かに先のことになる。
今は。
そう今は。
騎乗の綾が大薙刀を引っさげたまま進んでくる。
咲鬼が小鬼棒を構える。
今は、戦(いくさ)だ。
「……う、ぉおおおおおお!!!!」
咲鬼が吠える。
出し惜しみも、駆け引きもない、最初から全力。
秘伝花技(ヒデンハナワザ)の『終(ツイ)・『杜若(カキツバタ)』
神速を超えた六連撃をまとい、咲鬼が襲いかかる!
そして。
「……」
ぽかり、と咲鬼が目を開けた。
夜空。いや、そこはもう星の数をすっかり減らし、微かな紫色に染まっている。
もう夜明けが近いのだ。
厳忽寺の境内。篝火はすべて燃え尽き、そして無人。
ひとり咲鬼だけが、仰向けに地面にひっくり返ったまま。
角も消えている。
「……負けた」
ぽつり、とつぶやく。
何とか数発は攻撃を通した記憶はあるけれど、綾にはまるでダメージを与えられなかった。逆に、骨まで砕けるような攻撃を、その数十倍も喰らいまくった。そしてどうやら最後は気を失い、こうして放り出されたらしかった。
右手に、小鬼棒の感触。
気を失っても、最後まで得物を離さなかったのはせめてもの意地か。
綾を相手に、そりゃ勝てないことは分かっていた。それでも意地は示せた。
精一杯、やった。
ひっくり返ったまま、小鬼棒を空に掲げる。だが。
「……?!」
棒は、もう棒ではなかった。
コンパクトにアレンジされた先端の飾りは砕け落ち、棒自体も真ん中と、手元で変な方向に曲がっている。本来、木で出来た『催眠術師の杖』が曲がることはないが、瑞波の武器職人の手によって金属で強化されたため、木の部分が砕けても、まだ形を保っている。さながら、出来の悪い現代アートのような有様だった。
そして、もはや武器としては二度と使えまい。
この時、まだ『小鬼棒』という名はない。初代・小鬼棒は、こうして名もないまま、短い一生を終えたのだ。
咲鬼と共に歩んだ、あまりにも短く、しかし激しい一生を。
「……っ!!」
ぐしゃっ、と、咲鬼の顔が崩れた。
ぼろぼろぼろぼろ、と、両目から涙があふれる。
「……ちくしょお」
小鬼棒を握った腕で涙を拭うけれど、それは後から後から溢れ出て、止まらない。
「ちくしょお!! ちくしょおおおおお!!!!!!」
咲鬼は、とうとう叫んだ。
涙も、声も、もはや止まらないし、止める気もなかった。
『負けたが、意地を示せた』? 『精一杯やった』?
ふざけるな。
ふざけるな。
負けた。
自分は負けたのだ。これでもかというほど、『こてんぱん』に負けたのだ。
「悔しい!!」
口に出して、余計に悔しくなった。
相手が地上最強だろうがなんだろうが、全力でぶつかって、そして砕け散るほどに負けた。加えて、どうせ手加減されたのだ。そうでなければ、こうして五体満足で生きていられるはずがない。
「……ああ!!」
涙に濡れた顔が真赤になる。
「あああああ!!!!」
言葉にならない。
「ああああああ!!!! あああああああ!!!!!!!」
思い切り口を開け、空に向かって叫ぶ。
ばきん、と角が出現する。
あちこち痛む身体を無理やり叩き起こし、仁王立ちになって、また叫ぶ。
「見てろよお!!!!」
ぶん!! と、壊れ果てた小鬼棒を天にかざす。
「今に、見てろよおおおおお!!!!!!!」
全身全霊、それに角まで加えて、咲鬼は叫んだ。
こうして小さな鬼の娘は、子供であることをやめた。
そして『青春』。
そのまっただ中へと走り出したのである。
おわり
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