2015.08.11 Tuesday
第十五話 Crescent scythe(12)
ぽよん。
巨大なマスターリングの身体が小さく弾むと、静は少女を抱いたまま、いったん地面に降りた。そして改めて少女をマスターリングのてっぺんに座らせ、自分はその正面にひざまずく。
腰の銀狼丸を鞘ごと抜き、眼前の地面に横たえる。
次いで頭に巻いたターバンをくるくると解き、艶やかな黒髪の流れるままに、一礼。
「これなるはアマツ・瑞波の守護職、一条瑞波守鉄(いちじょうみずはのかみくろがね)が三女・静。まずは数々のご無礼をお許しください」
両手両膝を突くアマツ式の礼ではなく、片膝・片手の大陸式だが、そこは静、厳かな中にも隠しきれぬ優雅さをまとう。
が、返事がない。
顔を上げてみると、当の相手の少女は返事どころか、
「お……と……と……!」
マスターリングの上で、右に左にバランスを取ろうと大わらわの真っ最中だ。軟体モンスターであるポリンの、さらに巨大版であるマスターリングの上は、およそ人が座るには柔らかすぎるらしい。今までは静に抱かれ、その完璧なバランスの上で保護されていたが、一人で座れと言われると簡単ではない。
まして、両手に抱えた細長い包みが、実は相当に重いらしい。
「あらら」
静があわてて立ち上がり、
「ご無礼」
よろよろと揺れる少女のそばに寄ると、その細い腰の辺りにつ、と手を添える。
ぴたり、と揺れが止まった。
何ほどの力を込めているとも見えないのに、手のひらひとつ添えただけで、人間一人のバランスを整えてしまうあたり、静の達人ぶりも堂に入ってきたというべきか。
「お怪我はございませんか、猊下」
「うん、大事ない。一条静、大儀である」
これが、二人が交わした最初の会話。
この先、世界を巻き込んだ激動の時代のど真ん中を良き友として、あるいは良きライバルとして鮮烈に生き抜いた二人の女性。一条静と、アルナベルツ教皇フレイヤ・ブリーシング、その出会いはこのようであった。
『フレイヤ・ブリーシング』は、もちろん少女の個人名ではない。
その身がアルナベルツ国教の主神・フレイヤ女神の化身とされることから、神名『フレイヤ』をファーストネーム、そして女神の象徴ともいうべき『ブリーシング(あるいはブリーシンガ)=炎』をミドルネームに冠した『象徴名』だ。
彼女自身がこの名を名乗ることはなく、周囲もただ『猊下(ユア・ホーリネス)』と呼称するのみで、そういう意味でいうなら彼女は女神の魂を入れる『器』に過ぎず、限りなく『名無し』に近い。
もちろん、かつて人として生まれた時につけられた名前は、とうに消されている。
ここアルナベルツの最高指導者『教皇』の選び方は非常に特殊だ。
女神の化身たる教皇が死ぬと、すぐさま国中に御触れが出され、『女神フレイヤ』の転生探しが行われる。女神の魂は不死であり、常にアルナベルツの国民と共にあると信じられているのだ。
そして国中の赤子の中から、女神を象徴する身体的特徴を持つものが選び出され、次代の教皇として一生を捧げることになる。
その身体的特徴とは、
月光を梳いたような銀色の髪。
そして右に紅玉(ルビー)、左に青紫玉(サファイア)を嵌めた、左右異色の瞳。
実際の女神フレイヤがそうであったという伝承も何もないのだが、アルナベルツではいつの頃からか、それが女神の魂を宿す器の証とされ、そして不思議と教皇の代替わりの時期には、この証を持つ赤子が見つかるのだという。
この国において教皇が持つ絶対的な権威を考えれば、そこに争いや流血が生まれないはずはなく、事実、古来から多くの争いと流血を招いた『教皇選定』のシステムではあったが、今、静のそばで小柄な身体を息づかせる少女には、少なくとも血の匂い、暴力の気配は微塵もない。
先刻から激しい戦闘をくぐり抜け、すでに全身血まみれの静と比べるのも不公平だが、この少女教皇の持つ美しさは、女神の化身云々の与太話を抜きにしても、どこか人間離れした非現実性を帯びている。
例えるなら静の姉、香がまとう神秘性に似ているが、香のそれが闇夜の深淵とするなら、この少女教皇のそれは月光の銀沙。
その姿を見る者、近く接する者の上に、極微の光沙をしらしらと降らせる。
「一条静」
「恐れながら猊下、どうぞ『静』とお呼び捨てに」
「では、静」
銀の髪と、左右異色の瞳を持つ現人神が、静の名を呼ぶ。
「はい猊下(イエス、ユア・ホーリネス)」
聖なるかな、尊きお方、と静が応える。
「これを遣わす。取るがよい」
うんしょ、と、下手をすると自分の身長より長い包みを、静に差し出す。
「頂戴つかまつります」
頂戴、は目上の者から物や食事をもらうことをへりくだって言う表現で、それにつかまつる、を付ければ二重表現となるが、相手が教皇すなわち帝であれば二重敬語も間違いではない。
教皇その人から何かを拝領するのに、さすがに片手というわけでにはいかない。
静が少女の腰に添えた掌を離す、が、驚くなかれ、少女の身体はぴたりと揺れを止め、それどころかいっそ悠然と、巨大な軟体モンスターの王に腰掛けている。静は何もしていない、少女自身がわずかの間にバランスを取る術を身につけたのだ。
ただ美しいだけにあらず、この少女教皇、どうやらただ者ではない。
静が改めて少女教皇の前にひざまずき、包みを両手で捧げ持つ。
「包みを解き、中を改めるがよい」
「御意」
静がするり、と包みを解く。
「これは……?」
出現したのは、明らかに『武器』。長柄に、これまた長い刃が、今はジャックナイフ型に畳まれている。
「ええと」
少女教皇が、包みに付属していたとおぼしい書付を広げ、
「刃を開くには……そこだ」
「……ここ?」
「ちがう、そこ」
「ここ?」
「その下」
「これ?」
「んー、もーちょい下」
何か雰囲気が変わっている。
「……ちょっと、それ見せて?」
「ん」
「んー? あ、なんだコレか」
ばしゃん!!
静の手の中で巨大な刃が、その顎を開いた。
「おおおおお?!」
長柄を両手で構え、刃をかざす。長柄の先端から、三日月のような刃がすらり、と伸びている。
「薙刀……それも内刃か」
静はその武器を『薙刀』と見た。
『薙刀』はアマツの武器で、長柄の先に和刀様式の反りを打った刃を取り付けたものである。元は『長刀(ながなた)』と言ったが、いわゆる長刀と区別するため『薙刀(なぎなた)』と呼称するようになった、とされる。ちなみに我が国では、この刃の細身なものを、かの九郎判官源義経が愛妾・静御前にちなみ『静(しずか)型』、厚みのものを朝日将軍源義仲が便女(びんじょ)・巴御前にちなみ『巴(ともえ)型』と呼称する。
ついでに『便女』とは文字の通り『便利な女』を意味し、戦においては男と同等に戦い、本陣では武将の身の回りの世話(当然、性的奉仕も含む)をする女性のことをいう。通常は美童すなわち美少年を持ってこれに当てることが多かったとされるが、女性の場合も美女が多く、現代の語感とは違い『便女=勇ましい美女』の意である。
一条静の一生を思うとき、常に夫である一条流の側にあり、その身を守って戦い続けた姿はまさに『便女』そのものと言って差し支えあるまい。
さて今、静が手にしている武器は確かに『薙刀』に似ているが、通常の薙刀よりも刃身が長く、そして何よりも刃が違う。
その武器は内刃、つまり、反りの内側に刃を付けた、いわゆる『逆刃』であった。
内刃の大薙刀、それは敵の首を掻き取ることから『掻刃(かきなた)』とも、敵の命を刈り取ることから『刈刃(かりなた)』とも呼ばれた。あるいは勝利を掬い取る『匙刀(さじなた)』、『鈎刀(かぎなた)』とも。
だが、世に最も知られることとなる呼び名は『鎌』。
剣妃・一条静が振るう、欠けた月の刃を持つこの大鎌を、敵は死神の印と恐れ、味方は戦天の守護とも崇めた。
そして逆刃の不思議とともにもう一つ、その鎌は裏表で色違いの刃を持ち、表すなわち右が白銀、そして裏、左が薄紫という。
「菫(すみれ)色。貴女の瞳と同じだね」
あっという間にタメ口になった静が、少女教皇に笑いかける。
少女教皇も笑い返す。
静の従者・無代もまた、人に慣れることにかけては一流だが、この姫の人懐こさはちょっと次元の違う、いっそ神がかり的なものがあるようだ。
「これ、もらっちゃっていいの?」
「うん、お前に授けた。存分にするがよい」
好きに使え、と少女は告げた。
なお古来、薙刀に号を付けるには、女性名をもってするのが習わしである。
「『片菫(カタスミレ)』」
今、静の口から、その号が告げられた。
一条静が生涯、一人息子の出産においてさえ身から離さなかったとされる愛槍。
この世に二つと無い、神の色を戴く無敵の刃。
瑞波国宝『戦鎌大三日月・片菫(イクサガマオオミカヅキ・カタスミレ)』
その恐るべき威力が今、アルナベルツの戦場に解き放たれる。
つづく
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