2015.09.01 Tuesday
第十五話 Crescent scythe(15)
ぴぴぴぴぃん!
大鎌・片菫が、アルナベルツの風を微塵に切り裂く。浅く湾曲した細身の刃身を、静は、まず槍の如く突いて使うことにした。
そもそも、槍のように『突いて』使う武器の極意は、その切っ先の行方を敵に悟らせないこと、つまり簡単に言えば『いつ、どこを突いてくるか分からない』ことにある。
どこを突くか分からなければ防ぎようがなく、かわしようもない。一瞬の後には急所を突かれ、死んでいる。
その点だけを言うなら、この三日月鎌は実に最適な武器だ。
湾曲した刃身は、わずかの捻りだけでその軌道を変え、喉を狙うと見せて胴へ、籠手を突くと見せて膝へと、変幻自在の動きを見せる。それも敵に対して半身青眼の構え、その後ろに隠した左手の操作だけで行う。敵から見れば、静の動きに1ミリのズレもないのに、その切っ先だけが別の意思を持つように流れ、致命的な一撃を送り込んでくる。
ぴぃぃん!!
今しもヴォーコルフの眉間を狙うと見せかけ、真の狙いは真下の太もも。
「ぬおおお!!」
ヴォーコルフが構わず前進する。持つ者に神の怪力を与える神器『メギョンギルド』、それを腰に2つ、いわゆる『ダブルメギン』装備のパワーを頼りに、重装甲の身体を砲弾と化す。
するん。
三日月の刃が音もなく、ヴォーコルフの太ももへと吸い込まれる。太ももには名前もそのまま『大腿動脈』が走っており、これを裂かれることはそのまま『死』を意味する。だが、
(即死でさえなくば! いや、即死でも!)
身体さえ動くならば。
「むん!」
静の籠手へと戦鎚を跳ね上げる。あえて静の身体を狙わず、最小限の動作。
しかし、それで撃たれる静でもない。
ぱんっ!
大鎌を握った右手で、柄を弾くように突き放す。右手と槍が、まるで喧嘩別れしたように左右へと弾け飛び、その間の空間を槌がすり抜けていく。
現代の剣道には決して存在しない一方で、古流には必ず含まれる『籠手外し』。真剣の常道である『籠手狙い』、その一撃をかわす動作もまた、静にかかればこのキレだ。
(……ちいっ!)
ヴォーコルフは歯噛みする。これでは太ももの撃たれ損だ。
『鎌』などという変則的な武器が、敵に回せばこれほど厄介とは想像しなかった。しかも、真に厄介なのは『突き』ではない。
『引き』だ。
ぴぃぃいいい!!
静が左手一本、三日月鎌を引き戻す。内月牙の鎌、その真の切れ味は、ここに発揮される。
しかも、その軌道はまたしても変幻自在。
まずは敵の肘。
手首。
親指。
捻りを与えられた刃が一息のうちに複数箇所を、それも、まるで切っ先に目がついているような正確さで刈っていく。
がり、ぎゃりん!
ヴォーコルフの腕を守るガントレットが、断末魔寸前の悲鳴を上げる。ちょいやそいの斬撃なら傷もつかぬ、比類ない堅牢さを備えるはずの防具も、流星を鍛えた異形の刃には無力もはなはだしい。
刈られた肘と手首から、太い血の川が流れ出す。
「ヒール!」
一瞬の隙をついての治癒魔法。
静に撃たれた太もも、そして腕の傷がたちまち治癒する。
「ずるい」
戦いの最中だというのに、静が口を尖らせるのがおかしい。
「馬鹿を言え」
ヴォーコルフも言い返す。だが静とは違い、その口調に余裕などない。
すべては駆け引き。
太ももを貫かれた傷を治癒する、そのヒールを唱える隙を作るために、肘と手首を犠牲にしたのだ。もちろん、ヒールが成功すればすべての傷は癒される。だが一歩間違えば手首から先が、あるいは肘から先が戦鎚ごと生き別れになる。万能の治癒魔法「ヒール」の力を持ってすれば、斬られた腕を『生やす』ことも可能だが、すっ飛んだ戦鎚までは回収できず、また隙も大きい。そこを見逃す静ではあるまい。
体の破壊を厭わず、ヒールを支えに突き進むのは僧侶系戦士の王道……とはいえ、ここまで身を削るようなギリギリの戦いを強いられるとは。
(ズル、はこっちのセリフだわい)
ヴォーコルフは毒づく。
自分で自分にかけたヒールの反動で、脚と腕が熱い。彼のヒールは、効きは良いが副作用も大きい『殴り型』。
反面、頭は氷のように、しんしんと冷えていく。そして、
(……勝てぬ)
その事実を、ヴォーコルフは認めた。目の前の少女戦士の力が、自分を上回ると認めたのだ。
どこでどんな育ち方をし、どんな修行を積んだのか。
ぴぴぴぃん!!
休む暇もなく、静の鎌が襲ってくる。隠した左手が導く、小さな竜巻のような軌道を予測することは不可能。まして『引き』の軌道まで加わるとなれば、その全てをかわし切れる武人が、果たしてこの世に存在するか。
(ゆっくり話を聞き、そして技を競ってみたかったのぅ)
脳裏に去来するのは、意外にもそんな感傷。
だが。
「があっ!!」
流星を鍛えた月牙の鎌が、ヴォーコルフの脇腹を外向きに裂く。腹筋の半分が力を失い、同時に残った腹圧が内臓を無残にも吐き出す。神器がもたらす異形の力、それが逆に持ち主に牙を剥いたのだ。
致命傷。しかし、男は止まらない。
がっ!
神の力で大地を蹴る。あまりの力に足元の岩が砕け、バランスを失いながら、しかし渾身の力で戦鎚を駆動する。
『飛び込み撃ち』
攻撃スキルを持たない僧侶であるヴォーコルフが、ひたすら修行の末に身につけた、全身全霊の『撃ち』。盾を並べて守りに徹する敵陣の、そのど真ん中に撃ち込んで切り裂く、勝利の一撃。
静と、ヴォーコルフの身体が交錯する。
ぶ!
振り下ろされる致命の戦鎚。その威力、防御は不可能。
(ならば!)
回避しかない。しかし戦鎚はかわせても、そのまま突っ込んでくる敵の巨体をまともに喰らう。
ん!
静が身体を低め、敵の脇腹を裂いた切っ先を引き戻し、同時に左手を回して石突き、すなわち鎌の柄の反対の先を敵に向ける。
がつん!!
鎌の切っ先が地面に、そして石突きが敵の胸に。ちょうどつっかい棒のように、カウンターで突き刺さる。
ぐるん!
ヴォーコルフの巨体が、いっそ滑稽なぐらいの勢いで仰向けにひっくり返り、
どざぁん!
地面に激突した。
勝負あり。
誰もが、静でさえそう思った、次の瞬間だった。
「猊下っ!?」
静の背後で叫んだのは、マリンだった。
「……!」
愕然と振り向く静には、しかし既に分かっていた。
ヴォーコルフの手に、戦鎚がない。
どべしゃっ!!
後から聞こえた、鈍く、そして湿った音。
壊れた人間が、地面に落ちる音。
そこに少女が死んでいた。
投げられた戦鎚を胸に突き刺したままの、アルナベルツ教皇が死んでいた。