2015.10.13 Tuesday
第十五話 Crescent scythe(19)
「アルナベルツ教国の乗っ取り。その陰謀が進んでいる」
少女教皇は、老神将の骸を前に語り始めた。
「教国を乗っ取るために、一番手っ取り早いのは何か、わかるかや?」
「……」
少女教皇の問いに、一同からの答えはない。問うた本人も期待してはいない。なぜなら、その答えはあまりに明白。
「妾を乗っ取ることじゃ」
ため息のような告白。
「『乗っ取る』?」
静が、ここにきてようやく問いを発した。
「そう、妾自身を乗っ取ってしまうのじゃ。外つ国の外法で、『BOT』という……?」
「うあ……」
今度こそ、マリンを除く一同から、ひどく濁ったため息。少女教皇は怪訝な顔。
「知っておるのか?」
「知りたくもなかったけどねー」
静は苦い顔。だが少女教皇は警戒。
「それは敵としてか、それとも……?」
その問いには静、決然として、
「真っ向から敵!」
言わずもがなの宣言。
「『BOT』なんて外道の技も、それを利用する連中も、一人残らずアタシらの敵だ」
ぎらり、と手の大鎌が光る。ここまで戦い抜いてきた静の怒り、そして嫌悪は本物だ。
そして、それを感じ取れない少女教皇ではない。
「良し」
細かい事情は置いて、今はそれだけでよい。
「とはいえ、気付くのが遅すぎた」
少女教皇が唇を噛む。
「誰が、どこで手を引いているかは分からぬが、人の魂を入れ替える技術によって、すでに教皇庁の神官の相当数が『別人』に変えられている。もうほとんど、誰も信用できぬ」
だから、あのニルエン大神官は、この少女教皇をマリンに委ねた。
といっても、別に信用したからではない。この研究バカの外国人が一番、敵の手が及んでいない可能性が高かった、それだけだ。あと、わずかの可能性ながら放浪の賢者・翠嶺の保護が間に合うかもしれない、という期待もあった。
教皇さえ無事なら、国家は再建できる。
女大神官の考えはそれだ。
だが老神将ヴァツラフ・ヴォーコルフはそう考えなかった。彼は考えた。
乗っ取られる前に、いや、すでに乗っ取られている可能性も否定できない以上、殺す。そして自ら『教皇殺し』の汚名を着て、死ぬ。
しかるのちに新たな教皇を、いや『真の』教皇を擁立する。
教皇さえいれば、国家は再建できる。
他所から見れば、どっちもどっちという話だ。あるいは目糞鼻糞、という話かもしれない。
だが結果、老神将は死んだ。
「……って、なーんか釈然としねー」
アルナベルツの老神将、その死を眼前にして、複雑なつぶやきを漏らしたのはアサシンクロス・うきだった。
「この爺ちゃん結局、良いモンだったん? それとも悪るモンだったん?」
うきが首をひねる。
「教皇タンを殺そうとしたけど、結局、自由にしてやろうとしたんでしょ? 教国の縛りからさ。んで、どっちみち責任とって死ぬつもりだったんでしょ? どうなん、それ?」
ひとつの戦いの結末に、あえて疑問を呈するうきに、その戦いの主導者であった少女は、
「良いか悪いかで言えば、そうじゃな、良い漢であったよ」
肯定で応えた。
「妾が小さい頃は、毎日のように抱っこされて庭を散歩してくれた。暗殺者の手から、身を呈して守ってくれたこともある。フレイヤ教の教えとアルナベルツの国を守る神将として、その忠義に一片の疑いもなかった」
少女教皇の言葉には、慈しみさえ感じられる。
「自分の家の金蔵の中身と、女のケツにしか興味のないクソ神官どもに比べたら、よっぽどマシな漢であったよ」
「き、教皇タンは『ケツ』とか言わない!」
なぜか耳をふさぐうき。
「ん? 知らんのか? アルナベルツの女神官、あのローブの下が『全裸』という決まりなのは、まくり上げればいつでも……」
「ええっ……?!」
少女教皇以外、全員が目を剥く。
「嘘じゃ。ちゃんと下着を着ておるわ」
「ふぉ……っ!?」
衝撃の連続に、さしも強者ぞろいの静たちの膝が抜けそうになるのへ、
「よし、ウケた……初めて」
少女教皇が小さくガッツポーズ。
「許せ。いっぺんやってみたかったのじゃ」
にた、と真っ白な歯を見せられて、
「くっそ……怒れねえ……っ!」
うきが何かと戦っている。
「とはいえ、この爺が妾の両親を殺した、それも動かせぬ事実じゃ。いまさら恨みはせぬが」
老神将の骸を見つめる少女教皇の瞳が深く曇る。
「だからといって許しもせぬ。未来永劫な」
「それでいいと思うよ」
静だ。
巨大ポリン・マスターリングの上に座った少女教皇は、ちょうど彼女と目線が合う。静の黒曜石の瞳が、少女教皇の左右異色の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「武人の善悪なんか、見る者によって変わるのが当然。ある人間にとっては神でも、別な人間にとっては悪魔だったり、そんなの普通」
「うむ」
「だったら、自分の納得の行くように生きるだけ。そうとしか生きられない」
そうとしか生きられない、それは一条静、彼女自身の告白でもあっただろう。
人間社会とは、究極的には『共生』を指向するものだ。人間として生まれてきた全員が、誰も傷つけず、誰にも傷つけられないまま寿命を迎える、それを究極の理想とする。とはいえ現実、そこには犯罪があり、あるいは国家や宗教や民族による戦争が絶えず、結果として静のような暴力のスペシャリスト・武人の需要が発生するのだ。
そうして良くも悪くも必要とされる彼女たちが、しかしどこか『異質』であることも否定できない。本来は必要のない、必要とされないことが理想とされるもの。
『必要悪』
そんな言葉でさえ表現される武人という存在は、人間社会の中で、最後には『仲間はずれ』となる。
人間社会の中で、究極的には居場所のない者たちだからこそ、彼らは自分自身の存在と向き合い続けねばならない。
たった一人で。
「この老人は納得していた。納得して戦った。貴女のご両親を殺したことも、貴女を守ったことも、そして貴女を殺したことも」
「静、お前に負けたことも、な」
「当然」
とん、と大鎌の鐺で大地を叩く静。
「だから、その死をグダグダ語るのは無駄。弔いも、無用」
一人の武人が、武人らしく死んだ。
それでいい、それだけでいい。
いつか、自分が死ぬ番が来ても。
「……聞いてくれ、静」
そんな静を前に、少女教皇は、くっ、と眉を固くして言った。
「妾はな、ずっと考えていたのだ。アルナベルツ建国の、あの神話を」
荒野に追放され、日々の生活にも困窮する民衆は『神はどこにある?』と問うた。それに対して、指導者たちは『ここにある』と左右異色眼の赤子を示し、それが初代の教皇となった。
「だがな、それが間違いだったと、妾は思う。間違いの始まりだったと思うのだ」
少女教皇の言葉は、あまりに衝撃的な自己否定でもある。
だが静は怒らないし、もちろん笑いもせずに、
「聞かせて、貴女の考えてきたことを」
目を逸らさず、耳を澄ます。
「妾は思う。最初の指導者たちは、そうすることで民を騙した。いや、『甘やかした』のだ。民の必死の問いの前に、分かりやすい答えだけを示すことで、それにすがり付かせた。そして暗に、他の選択肢を奪った」
教皇自身による、教皇神話への痛烈な批判。皮肉にしても皮肉が過ぎる。
「妾は思う」
少女教皇の瞳は、静のそれを見つめながら、だがもはや静だけを見てはいない。
「神話の指導者たちはあの時、民の問いに対してこんな色の瞳や、こんな色の髪の毛を示すべきではなかった」
少女教皇は否定する。
「妾は思う。『神はどこにある?』と問う民には、きっとこう答えるべきだった」
その時、静の唇が動いた。
「『神はどこにある?』」
いつか遠い日の、その原初の問いに、少女教皇は答える。
「『自分で考えろ』」
神も、人も、国も、命も、争いも、愛も、死も。
自分自身で考え、納得するまで考えろ。
「もしあの時、民にそう言ったならば、あるいはアルナベルツという国は成らなかったかもしれない。いや、成らなかっただろう」
求心力を失った民は散り散りになり、ルーンミッドガッツとシュバルツバルト、二つの国に再び吸収され、消滅していったかもしれない。
「だがそれでも、釈然としない理由で妾の両親が殺されることはなかった。その爺が死ぬことも、なかった」
自分で考えず、国に、神に、教皇にすがり付くだけの人々が、そうさせてしまったかつての指導者たちが、巡り巡ってこの少女教皇の運命を狂わせた。
悪と呼ぶなら、その巡りこそ『悪』。
「今の妾なら、そう言うだろう。そして、あるいは怒った民に圧し殺されるかも知れぬが、悔いはすまい」
自分で考えたことだから。
言い終えて、ふう、と大きく息をついた、その少女教皇の体を、がば、と静が抱きしめた。
「?!」
「貴女と」
目を丸くした少女教皇に、静は言った。
「貴女と出会えて嬉しい」
そして、二人の少女は友となった。