2016.02.02 Tuesday
第十五話 Crescent scythe(31)
「自分の命、粗末にするような奴が、いっちょまえに人の心配してんな! 馬鹿馬鹿!!」
静の罵声が、極寒の洞窟に響き渡り、凍てついた岩の床に転がった少女教皇を打った。
が、同時に、
「いやアンタが言うな」
「姫が言うことじゃないね」
「しーちゃん、ブーメランだよぶーめらん」
うき、フール、速水の3人から即座に、しかも全員真顔でツッコミが入る。静の『命知らず』に、毎度毎度つき合わされている彼らからすれば、むしろ自然な心の叫びだったろう。
実際この姫様ときたら、自分の命を目的を果たすために使用する武器の一つか、下手をすると備品ぐらいにしか思っていない節がある。蘇生魔法がある世界とはいえ、ここまで命を粗末にされては、ついていく方も神経が持たない。いっそ放っておけば楽なのだが、かといって放ってもおけない事情もあり、そして何より静自身が様々な意味で魅力にあふれたお姫様で、それに魅入られてしまったことが、いっそ彼らの不幸と言ってよかった。
はあ、と三人三様にため息。それへ、きっ、と振り返った静が、
「な、なによ! 文句があんなら、べ、別についてきてくれなくたっていいんだからねっ!」
美しく整った眦を吊り上げ、ちょっと涙目で怒鳴り帰す。
「はい『ツンデレ』! 本日一発目、いただきましたーっ!」
「……」
「あはははは」
うきは手を打ってニヤニヤ、フールは無言で苦笑、速水は爆笑と、反応は3人それぞれ。だが内心はそろって、
(コレだもんなあ)
結局、静姫には敵わない、というわけだ。
そんな、ある意味『呑気な』一幕を尻目に、
「あああああああ!?」
半分パニックなのがマリン。
怖い上司の大神官から預かった少女教皇が、こともあろうに静に平手打ちをくらい、洞窟の床に転がされたのだから当然だ。もしここが教皇庁だったら、静は当然として世話役のマリンも、周囲にいた無関係の者までが『教皇猊下に蛮行が及ぶのを止められなかった罪』で断罪されるだろう。
別に信心深いわけでもなく、そもそもフレイヤ教徒ですらないマリンだが、あのおっぱいの大きな大神官は本気で怖い。加えて、いかに学者バカとはいってもマリンも女性だ。賢くて気丈な少女教皇と、ここまで行動を共にし、苦難を乗り越えた旅路を思えば、『保護者』として多少の情が湧いたとしても無理はない。
事実、彼女マリン=スフィアーは後年、その人生のほぼ半分をアルナベルツで過ごすことになる。ジュノーの賢者の塔で、放浪の賢者・翠嶺を支える幹部教授となった彼女に、少女教皇から『専属教官』の招聘が送られてきたのだ。結果、マリンはその招聘を受諾し、一年の半分を法皇庁で、翠嶺に代わって少女教皇に魔法を教える教官として過ごした。
表舞台に姿を現わすことは決してなかったが、彼女が少女教皇の良き相談相手として、またジュノーの翠嶺や、アマツに帰った静との仲立ちとして、多くの見えない功績を果たした、と記録にある。
もっとも彼女がアルナベルツに移動する時期が、毎年ジュノーが厳寒期に入る秋から冬であることから、暖かいアルナベルツに避暑ならぬ『避寒』に行っていたのでは、と見る向きもあるようだが、まあ両方といったとことではないだろうか。
余談はこれぐらいにしておいて、氷の洞窟である。
思わず少女教皇に駆け寄ろうとしたマリンを、
「……うろたえるな、マリン神官。大事ない」
なんと、少女教皇自身が。見れば、分厚い手袋に床に両手をつき、よっこいしょと起き上がる最中だ。
少女教皇にとって、平手を食らうのも初めてなら、転んで『自分一人で立ち上がる』のだって珍しい。教皇庁の中なら、どこにいたって御付きの神官がすっ飛んできて起こしてくれる。いや、そもそも女神フレイヤ自身の生まれ変わりであるアルナベルツの教皇が『転ぶ』ということは『神に災いがある』のと同じだから、転ぶことさえろくに許されない。
どうするかといえば、少女教皇が歩いていく少し前を、屈んで中腰になった下級神官が後ろ向きにちょこちょこと先導して歩き、少女教皇が転びそうになった瞬間、その床や地面に大きなクッションをさっ、と置いて受け止めるのだ。この役を『御受身役(おうけみやく)』といい、常に正面から教皇の顔を拝めることで人気があるが、もし万一でも受け止めに失敗すれば断罪、恐らくは斬首という過酷な仕事である。
そんな仕事も確かに大変だが、こんな環境で育っておいてマトモな人格を身につけた少女教皇も、よくぞ育ったもの、と言えるだろう。
「初めてずくめで目が回りそうじゃ」
そう言う少女教皇の目が燃えている。
「怒った?」
静が、いっそ馬鹿にしたように、その姿を見下ろしながら、ひょい、と大鎌・片菫の刃をたたむと、ぽん、とフールへ向けて放る。わざと少女教皇に背を向け、真後ろのフールに鎌を放ったのは、もちろん挑発だ。
「預かっといて」
「承知」
短いやり取りの後、再び少女教皇へと向き直る。
「……無礼者」
左右異色、少女教皇の瞳に灯った炎が温度を上げている。
「だから?」
静がふふん、と鼻をならし、べえ、と舌を出す。
少女教皇の生涯、ここまでされたことはもちろん初めて。そして心の底から湧き上がる熱。
それこそ、まさに初めての感情。
どうしようもなく破壊的で、どうしようもなく肥大していく、嵐のごとき制御不能の感情。それを名付けるならば、
「……ムカつく!!」
「上等!!」
少女教皇が冷たい床を蹴り、思い切り助走つけて静にパンチ。
ぽすっ。
軽すぎ、そして手袋が分厚すぎて威力なし。
「くっ」
悔しそうな少女教皇に、静が、
「猊下、ここ」
自分の向こう脛を指差す。
「斜め上から、体重を乗っけて撃ち抜くように」
なんと静、喧嘩のやり方を教えている。
「であ!!」
ごっ!!
言われた通り、ブーツの底が静の急所にヒット。
「つっ痛ぁ! OK! もっかい!」
静が逆の足を出す。
「だあ!」
ごりっ!
またヒット。少女教皇、筋力・持久力はともかく、なかなかの運動神経だ。
「次、あご! 拳じゃなくて掌底で! こう!」
静がわざわざしゃがんで、撃ち方のお手本を見せる。手首を曲げ、手のひらの底で顎を打ち上げる『掌底打ち』ならば、手袋をしていても威力がある。
「ふっ!」
ぽすん!と、静が顎の下に添えた掌に、少女教皇の掌底がヒット。
「もっと、最後は肘を伸ばして撃ち抜く!」
「はっ!」
ぱん! 音に重さが加わる。
「最後、いい? 肘を伸ばして撃ち抜くのと、軸脚を伸ばして地面を踏みつけるの、同時にやる。こう!」
ぱぁん!!!
静が、宙へ向かってお手本を見せる。その音の凄まじさ、何もない空気を打ったのに、まるで見えない何かが破裂したようだ。
「……すご」
見ていたマリンが目を剥く。離れて待機中の『聖槌連』にさえ、どよめきが走る。武術に長けた彼らだからこそ、静の動きの精妙さが鮮明にわかるのだ。
「『剄(けい)』ってヤツだね、あれ」
さすが、アサシンのうきは心得があるらしい。
「コンロンの拳士が使う、あれ?」
フールが確認するのへ、
「そうそう。痛いんだあれ」
食らったことがあるらしい、うきが顔をしかめる。
『剄(けい)』の打法はコンロンからアマツへ伝わり、そして拳骨寺のでくらん和尚門下で研究されたものを、静が学んだ。
その理屈は別に難しいものではない。
敵を撃つ瞬間、腕と、体と、足が一直線に、地面と敵を結ぶように撃つ。
要はそれだけだ。
難しいのはこの時、体が一直線になることと、敵を撃つことと、地面を踏みつけるタイミングを『完璧に一致』させねばならない、という点である。体の複数箇所を同時に動かし、かつ同時に『決める』。これが難しい。
だがもし完璧に決めることができたなら、敵はまるで『地面から生えた棒に、自分から激突したような』、身体の芯まで突き通されるような衝撃を感じ、悶絶することになる。
「やっ!」
ぱん!
「はっ!」
ぱん!
「ふっ!」
ぱぁん!
さすがの少女教皇も、これは一朝一夕とはいかない。だがその目の炎はやまず、むしろ激しく、狂気にも似た色を見せ始める。静の、この後に及んで余裕たっぷりに『指導』する、その上から目線がムカつく。
それにわざわざ乗って、バカのように練習を繰り返す自分にムカつく。
それを黙って見守る連中もムカつく。
こんな状況に陥ってしまった自分の運命も、本当はムカつく。
そして。
「畜生おおお!!!!」
少女教皇は生まれて初めて、本当の意味で『爆発』した。理性も何もかも吹き飛ばし、身体と感情のおもむくまま、他者を攻撃したのだ。
『剄(けい)』の要領はそのままに、掌底より威力のある動きを本能的に選択し、目の前の『敵』、すなわち静の顎に叩き込む。
『頭突き』。
がつん!!!
「おご!?」
静の身体が、顎の下のに添えた掌ごとぶち抜かれる。さすがの反射神経で身体を伸び上げ、後方に衝撃を逃すが、それでも無傷とはいかなかった。
でえん、と静の身体が仰向けにひっくり返る。そこへ、目を血走らせた少女教皇。
「あああああ!!!!」
馬乗りに飛びかかり、静の顔面へ拳を打ち下ろす。
ごっ!
ごっ!
ごっ!
衝動のままに叩き込まれる拳は、軽いといえど、それなりに効く。これには静も、
「こんのっ!!」
平手で反撃。
ばん!!
一撃で、再び少女教皇の身体が真横へだん、と倒れる。
「あ」
撃った静がちょっとあわてて、立ち上がるなり少女教皇を抱き起こす。明らかにやりすぎた。
だが少女教皇は静の手を振り払う。
自分で起き上がる。一瞬、その動作が止まったが、意を決したように、
「……っ!」
立ち上がった少女教皇の、頬の辺りに小さく血がにじんでいる。
「?!」
それを認めた静が顔色を変えるのへ、
「大事ないと言う。お前に打たれた傷ではないわ!」
少女教皇が言い返す。床に倒れた時、極低温の岩盤に頰の皮膚が触れてしまい、一瞬で張り付いたのを、自分で引きはがしたのだ。
「なるほど、こうなるワケじゃな。次は気をつけねば」
うんうん、と一人でうなずく少女教皇。言ってはなんだが、図太くなったものである。この隙に静が速水に目配せ。
「『ヒール』!」
駆け寄った速水から治癒魔法が贈られる。
「ごめん」
静が謝罪する。平手打ちしておいて今さら、とも感じるが、少女教皇の顔に傷でも残った日には国家的一大事だ。ちゃんと手加減したにもかかわらず、怪我をさせてしまったことは静の落ち度でもある。
「ほう? ならば『負け』を認めるか?」
じろり、と静をにらみ上げる少女教皇に、だが静は、
「いや、それはない」
即座に否定。
「猊下、アンタはさっき、死のうとしてた。アタシはそれを許さない」
神の化身たる少女教皇を、傲然と見下ろして宣言する。
「死のう、などとはしておらぬ」
「いいえ。少なくとも『死んでもかまわない』と思ってた。『自分の命と引き換えが条件なら、喜んで差し出す』つもりだった。違う?」
「……」
沈黙は肯定だ。静は『ほら見ろ』の顔。
「それじゃ、最初から死んでるのと同じ。交渉にもならないし、望みもかなわない」
静は言い放つ。
「生きろ、猊下。アタシと一緒に!」
つづく
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