2017.03.14 Tuesday
『貴女は、未来を生きなさい』
弟子となったグラリスNo8チャンピオンに、尼僧は繰り返し告げた。そして、その言葉には2つの意味がある。
一つは、尼僧自身が歩んだ人間兵器としての過去に囚われないこと。
二つには、人が人に進化する前の、獣(ケモノ)の力に頼ることなく、人のまま人を超えること。
すなわち『自己進化』の達成だ。
数多くの失敗と犠牲を繰り返してきた尼僧には、しかし確信があったのだ。
『人を進化に導く扉、9番目のチャクラは存在する』
尼僧は既に、独自の鍛錬と瞑想の末、その端緒を掴んでいた。そして誰にも伝えるつもりのなかったその秘密を、最後の弟子・G8チャンピオンに託したのだ。
『人の脳には、龍が潜む』
尼僧が託した、それが口伝。
進化の当初、人間の脳は、ただの神経細胞の塊に過ぎなかった。だが発達の過程で複雑に分岐し、様々な役割を持つ部位へと拡大していく。
原始的な瘤のようだった脳から、まず二つの部位が分かれて上方へと隆起し、左右の頭頂葉へと進化した。そこから隆起は前方へと転じ、前頭葉が作られる。が、そこに至っても、人の脳はまだ拡大をやめなかった。行き場を求めた脳は後方へも拡大し、側頭葉と後頭葉が作られる。
結果、元の原始的な部位は、完全に新しい脳によって覆い隠されてしまう。
『脊髄の先端、獣(ケモノ)の尾から生まれた龍は、必ずそこにいる』
それは、新しい脳に覆い隠された古い部位、大脳辺縁系のさらに奥。
頭のてっぺんにある頭頂のチャクラ・サハスラーラ、気功術では百会と呼ぶ泉の、ちょうど真下。
『龍は、9番目のチャクラは、必ずそこにある』
尼僧は確信を持って示す。
『その泉を、龍泉と名付けましょう』
尼僧は、弟子となったG8に武術を教える傍らで、呼吸法と瞑想による『龍泉』の探索を日課とした。過去、何人もの犠牲を出した危険な鍛錬だったが、尼僧自身、たゆまぬ努力で技法を洗練し、もはや『荒瞑想』などの過度なストレスによらずとも目的に近づける。
やがて幾年かが過ぎ、老齢となった尼僧が肉体の衰えとともに病み、床につくことが多くなっても、師弟の探求は止まなかった。
そして、ある快晴の朝。
『御師さん、龍が見えました』
瞑想中だったG8が、ついに己の脳の奥に『それ』を見つけた。尼僧は、衰えた身体を寝床から引きずるようにして、
『そのまま、龍を見失わないように』
瞑想を続けるG8の後ろに立つと、残り少ない己の気を振り絞り、
『龍よ、天に昇れ!』
瞬間、両手の掌をG8の背中にふっ、と触れさせ、全ての気を若い弟子の身体に注ぎ込むと同時に、G8の身体が白熱し、どん! と、その身体の周囲へと衝撃波が拡散。その余波で、老いた尼僧が枯れ木のように吹き飛ばされ、荒れた岩山に転がる。
『御師さん!?』
G8があわてて跳躍し、師の身体を抱き上げた時には、老いた尼僧は既に手遅れの状態だった。高価な蘇生アイテムも、ここにはない。
『龍は、未来を示すもの』
苦しい息の下で、尼僧は最後の言葉を告げる。
『貴女は、未来を生きなさい。きっと楽しく、笑って生きるのよ』
そうして事切れた師の表情は、弟子のG8が初めて見る、穏やかな笑顔であった。
そう、彼女は優しい師であったが、彼女の過去がそうさせたのだろう、
彼女は、決して笑うことはなかったのである。
(御師さん、私は今、笑ってます)
巨大な敵に向かって、大空のど真ん中を落下しながら、G8チャンピオンが師に呼びかける。貴女の言いつけを守り、笑って、楽しくいます。
貴女がくれた生きる力で、未来を生きています。
「……『潜龍』」
風と雲が支配する世界で、G8は彼女の龍を呼び覚ます。
「『昇天』……っ!」
どん!
身体を捕えようとする風を吹き飛ばす、『爆裂波動』と呼ばれる凄まじい身体衝撃波がG8を包む。
G8の体内を龍が、活性化された気が駆け巡り、すべての細胞という細胞を活性化させる。
人の進化の可能性を信じた、一人の女性の遺産であり、未来への投資だ。
すうっ!
G8が高空の空気を吸い、そして吐く。呼吸によって気を練り、その気を気弾として身体の周囲に精製していく。その数はかつての5個から、最大の15個。
そして、師の問い。
『すべてのスキルの中で最強のスキルは何か、貴女は分かる?』
様々な異論はあれど、多くの人は、いやほとんどの人々が答える名はひとつだろう。
「『阿修羅』……」
G8が拳を握りしめ、全身の気を振り絞る。飛空戦艦『セロ』、その銀色の船体が視界を埋める。
「……『覇凰拳』!」
つづく
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