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第十一話「Mothers' song」(11)
  「はい、静ちゃん口開けてっ!」
 「は?……むぐっ!?」
 完全に虚を突かれ、ぽかんとなった静の口に、うきが何かをぎゅっ、とねじ込んだ。
 「はい食べてっ! んで、水っ!」
 うきが静に水筒を押し付けながら、静の口にねじ込んだのと同じ物を、自分の口にも放り込む。鮮やかな金色をした、小さめの桃ぐらいの果実。それは『イグドラシルの実』、通称『イグ実』と呼ばれる超高級回復剤だ。
 だが、うきが持っていた回復剤は全部、静が持って行ったはずで、しかもそれはエンペラーに破壊されてしまったのだが……。
 「さすが王国正規軍、イイもの持ってやがんねー」
 うきがもぐもぐと口を動かしながら、片手でごそごそ中身を探っているのは、何とエンペラーの鞍鞄だった。彼の騎鳥が下げていたものを、いつの間にやら強奪したらしい。
 「あ、種。アタシ割ったげるよ?」
 言いながらぷっ、とうきが空中に吐き出したのはイグ実の種、通称『イグ種』。梅干しの種ほどの大きさだが、これも実に準じる高級回復剤である。
 吹いた種がまだ宙にあるうちに、うきのカタールが閃く。かっ、と種が切断され、中からぽろり、とこぼれた乳白色の中身をぱくん、と口でキャッチ。
 「ほれ、種出しな?」
 うきが促すが、静は小さく首を振った。と、急に真剣な顔で口をもご、と一つ動かしたと見るや、
 ごりっ!!
 静の口の中から、鈍い破砕音が響く。奥歯で種を噛み砕いたのだ。ついでに種の皮までぼりぼり、ぼりぼりと咀嚼しておいて、水筒の水で一気にごくん、と飲み下す。
 「げ……!」
 うきが眉を寄せる。確かに『イグ種』の皮にも薬効はあるが、厚みがかなりあって意外に硬く、これを歯で砕くのは大の男でも難しい。だから一般に流通しているイグ種は、皮に切れ目を入れて剥やすくしたものだ。静の歯とあごの健康さには感服するが、正直言ってお行儀はよろしくない。ちなみに、このいらんことを静に教えたのも、かの無代である。
 「種の皮食べるとさ、盲腸んなるよ?」
 うきが渋い顔で指摘するのへ、静がひょいと顔を上げ、
 「……うき、それ迷信よ?」
 「えっ!? そーなん?!」
 本気で傷ついた顔のうきに、静がくすくすと笑う。
 「にひひ」
 つられて、うきも笑う。
 ここは戦場のど真ん中。だがうきと静の2人は、まるで幼なじみ同士が道草でも食っている、そんな自然さで笑い合う。
 古来、戦場にその命を燃やす男たちを『戦人(いくさびと)』と呼ぶ。
 ならばそれに劣らぬ強さに加え、花の彩りをも併せ持つ彼女らこそは『戦女(いくさめ)』と呼ぶにふさわしいだろう。

 静が急に顔をうつむかせ、ごしごしと手で顔をこすると、
 「……ありがと、うき」
 小さくつぶやいた。ほんの少しだけ、頬を紅く染める。
 「?! うわああ!! すげえ! 見た! 今いいもの見た!! ごちそうさまでした!!」
 「冗談はいいから!」
 静が真剣な顔でうきに向き合う。イグ実の濃厚な治癒効果で腕の傷も癒え、うきから返された愛刀・銀狼丸をその手に握り直している。片方脱げたブーツを拾い、これもきっちり履き直した。
 「来てくれて助かった。でも早く逃げて」
 「……静ちゃんは逃げないのかよ?」
 うきがエンペラーの荷物から『蝶の羽根』を引っ張り出し、静の鼻先に突きつけた。
 そうだ。このアイテムを使いさえすれば、次の瞬間には首都プロンテラの町中へ戻れる。あのD4・モーラ達が担っていた、プロンテラ中央のカプラ前へ。
 そこから宿屋へは歩いて数分。さらに宿の女将が用意してくれる天津・瑞波へのワープポータルに乗れば、故郷へ帰るのもあっという間だろう。そうすればまた、安全で快適な『姫君』としての生活に戻れるのだ。
 だが当然のように、静は首を振った。
 「フールを置いて行けない」
 その美しい、しかし意志の塊のような容貌に、笑みさえ浮かべて応える。
 力尽きたフールは、まだ地面に伏したままだ。エンペラーが一度死んだ事により、BOTモンスターの命令系統も乱れたらしく、まだ攻撃は受けていない。しかしそれも時間の問題だろう。
 「言うと思ったよ」
 にか、とうきも笑って、蝶の羽を引っ込めた。代わりにエンペラーの鞄から、イグ実を始めとする高価な回復剤やら強化剤やらを遠慮なく掴み出し、静の剣士服のポケットに勝手にねじ込み始める。
 「ちょ……! うき?!」
 「いいからいいから」
 いいからも何も堂々の盗品なのだが、さっさと詰め込むだけ詰め込んで、残りは自分が頂戴する。
 「さて、と」
 空っぽで用済みになった鞄をぽい、と放り捨てたたところで、ふっ、とうきのカタールが閃いた。
 ちん! という鋭い金属音。
 同時にぽろり、と地面に落ちたのは静の小柄。すなわちエンペラーの後頭部を貫いた、あの銘刃そのものである。静めがけて投擲されたそれを、うきがカタールで食い止めたのだ。
 となれば、投げたのは当然。
 「……やってくれたな、手前ぇ」
 エンペラーが立ち上がっていた。蘇生され、傷も癒えたらしい。静とうき、二人を睨みつけながら、むしろゆっくりと武装を整え、自分のペコペコを呼び寄せて騎乗する。
 その目は怒りと憎しみで煮えたぎるかのようだ。傷をつけられた、殺されたという事実より、狩ったはずの獲物に恥をかかされた、という気持ちの方が大きいと見える。
 BOTモンスターから差し出された新しい槍と盾をがしっ、と構える。
 「だが、ゴミ処理が先だ。……やっちまえ!」
 その言葉の意味を察し、静がはっと身構える。倒れたままのフールに止めを刺すつもりだ。虫の息のフールにこれ以上攻撃されれば、命がないだけでなく蘇生も難しくなる。
 「大丈夫、慌てない」
 駆け出そうとする静の肩を、しかしうきが軽く掴んだ。

 「え?」
 驚く静に、にやりと一つ笑って見せ、
 「『想定内だ』」
 どっかで聞いたような台詞と共に、結構な『ドヤ顔』を作る。
 「……!」

 その時だった。
 静の目が、その磨き抜かれた黒曜石のような瞳が見開かれた。

 見上げた空は夕暮れの、濃い紫色。
 その遥か高みに微かに残る、夕陽の光に照らされながら、それは舞い降りてきた。
 遠い日に聴いた、あの懐かしい歌の調べと共に。
 
 おやすみなさい かあさんの胸で

 悲しみやわらぎ 心やすまる
 
 アラル アラメ アラル アラメ 
 
 アラル アラメ アラル アラル アラメ

 舞い降りて来る。
 母の、いや母達の歌を、その翼に乗せて。
 輝く銀色の嘴。鋼の爪。
 そして真っ白な翼。
 鷲の頭部は純白。獅子の身体も純白。
 ただその瞳だけがルビーの紅。

 遠く氷の山脈に積もる処女雪、その白さにも勝る羽毛を、ラヘルの風になびかせる。

 それは純白の鷲頭獅子。
 奇跡のホワイトグリフォンの姿だった。

 どくん!
 荒れ野を包むように降り注ぐゴスペルの調べが、静の肉体を祝福で満たす。
 どくん!
 ただでも鋭敏な静の五感、それが爆発的な勢いで増幅されていく。
 その形のいい鼻に、エンペラーの怒りのアドレナリンが匂う。それはもう、犬さえ裸足で逃げ出す嗅覚。
 耳に聴こえるのはエンペラーの心臓の鼓動。そしてうきの鼓動。弱々しいながらも、フールの心臓が脈打つ音も、確かに聴こえる。ほとんど超音波の域まで拡大した聴力は、闇夜のコウモリさえも凌ぐだろう。
 掌の触覚は、握った銀狼丸の柄糸の一本、繊維の一筋まで数えられる。
 ぺろり、と唇を舐めた舌には、風に溶けた血と鉄の味。
 気づけば、まだ夕暮れのはずの空に、一斉に星が輝いている。
 野生の鷹すら凌駕した視覚が、その瞳に『昼間の星』を映し出したのだ。
 夕暮れの空、満天の星。
 夕日の消えた地平線から伸びる、長い長い天の川。
 静の黒曜石の瞳に、無数の宵の明星、その輝きが降り注ぐ。
 
常人には決して見ることのできない、それは奇跡の風景だ。
 そして。
 「…… ! ! ! ! ! ! ! ! 」
 戦士の咆哮が蘇った。
 フールだ。
 止めを刺そうと殺到する敵の眼前で、とうに力尽きたはずの青年騎士が、地面に突き立てた処刑剣を杖に立ち上がる。
 繰り返した特攻と、エンペラーの猛攻撃で半壊したはずの身体。
 その身体が回復している。
 フールが自ら発動したバーサークの効果は、まだ切れていない。ならばその身体はいかなる回復剤も、回復魔法すらも受け付けないはずだ。
 だが今、その傷が見る見る塞がっていく。肉体に刺さったままの槍が、矢が、超回復する筋肉に押し出され、バラバラと地面に振り落とされる。
 「! ! ! ! ! ! ! !」
 フールの咆哮が高くなる。
 バーサーク状態のロードナイトを回復させることは『不可能』だ。
 だが『不可能』を『可能』にする、『奇跡』だけは例外である。
 そう、聖歌・ゴスペルの治癒効果、それだけは別なのだ。決して回復できない狂戦士、それすら癒す奇跡の歌が今、聖なる愚者を立たせ賜う。
 「! ! ! ! ! ! ! !」
 同時に生きた三大魔剣がフールの元へ集結。局地災害クラスの制圧力が蘇る。
 エンペラーの命を受け、止めを刺そうと殺到して来た敵にとっては、まさに最悪のタイミングだった。高速で機動する重機並の破壊力、その迎撃を受け、死体と武具の残骸が一気に目の高さまで積み上がる。
 フールが鎧の腰に付けた水筒を引き千切るようにして、残り少ない中身をあおった。ラッパ飲みという言葉があるが、もしそれがラッパなら、その響きは天上にも届いたろう。
 奇跡の治癒で肉体の傷は塞がっても、出血で失った体液までは補充されない。下手をすると体液不足で重度の貧血を起こし、動けなくなることさえある。これを防ぐため、果汁や少量の塩を溶かした水分を補給し、肉体のコンディションを保つのは戦士の基本なのだ。
 「   !   !  !   !!!  ! !!」
 空の水筒を投げ捨てたフールの咆哮、それが激しく乱れた。
 「フール……?」
 静の目には、ゴスペルで増幅されたその五感には、フールの異常がはっきりと映る。

 泣いている。フールが吼えながら泣いている。

 笑っている。フールが吼えながら笑っている。

 なぜ泣くのか、なぜ笑うのか。言葉を発する事ができないフールに、それを伝える術はない。
 だが奇跡の五感を手にした今の静には、しかし言葉など必要なかった。
 
 (痛い……!!)

 フールの全身を、『痛み』が襲っている。
 『取り替え児』のエラーで、痛覚を失ったはずのフールの身体が、初めて痛みを感じているのだ。

 (痛い……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!!)

 それはゴスペルの効果。
 聖なる歌が起こした『奇跡』、いやこの場合は『副作用』と言うべきか。本来は祝福であるはずのゴスペルが、一時的にフールの身体を正常に戻した。

 (痛い痛い痛痛痛々痛痛痛!!!痛!!!)

 フールを襲う激痛。その元凶は、その手に握られた三大魔剣である。
 生きた魔剣は敵のみならず、その所持者にも苦痛を与え、これを喰らう。彼らを生きたまま所持することが不可能な、それが理由だ。

 『魔剣醒し』フールは無痛の身体ゆえに、魔剣を生きたまま操ることを可能とする。
 だが、その無痛が治ってしまったら?
 痛みを感じてしまったら?

 苦痛にその身を苛まれ、同時に最大の武器も失い、彼はもう闘えなくなるのではないか?
 いや、そうではない。
 そうではなかった。

 (これが……痛み……!)

 フールは始めて『痛み』を知った。
 魔剣が与える、純粋かつ桁違いの痛み。思考を止め、意志を破壊し、命すら奪う痛み。

 だがその痛みがフールに与えた物、それは苦痛ではなく、まして死でもなかった。

 (生きている)

 激痛で暗転しそうになる脳髄に、小さな火が灯る。

 (ボクは、生きている)

 小さな火が見る見る燃え広がり、心の暗闇を駆逐してゆく。それまで押さえつけてきた感情の爆発が涙となり、同時に笑いとなって湧き出す。
 咆哮となって噴き上がる。
 ずっと苦しかった。
 ずっと暗闇の中にいた。
 生の実感を持てない、痛みを感じぬ他人の身体で、出口の無い暗闇を歩き続けて来た。
 自分が生きた死体なのか、それとも生あるBOTなのか。
 闘えど闘えど、その答えは遠のいていくだけだった。

 だが今、その闇に光が差し込んでいる。失ったはずの感覚が、その痛みが、彼に答え運んで来たのだ。
 死体でも、BOTでもない。自分だけの生を、確かに生きている。

 生きている。

 奇跡の歌が蘇らせた痛み、それは真の祝福だった。

 主の側に戻った騎鳥・プルーフ、それに身体を預けるようにして、フールが再び鞍上に登る。その身体は苦痛に揺れ、震え、背筋を伸ばすこともままならない。
 「! ! ! ! ! ! ! !」
 しかしその喉を裂く咆哮さえ、今はまるで歌うように。
 魔剣の叫びすらも、かき消すほどに。
 愚者・フールの剣が、敵陣を叩き割っていく。
 響き渡るゴスペルの力は、決して味方の強化だけではない。敵に対しては感覚や思考・行動の鈍化をも引き起こす。さしも強力なBOTモンスターも、奇跡に足を引っ張られてはたまるまい。

 「畜生、何だよ!?」
 エンペラーが心底気持ち悪そうに叫んだ。
 「何なんだよ、テメエらはよ!」
 何かの悪夢を振り払うように、思い切り振ったエンペラーの剣。それをフールのミステルティンが受け止める。
 「! ! ! ! !」
 三大魔剣、そしてフール。今や一体となった異形の死神が、真正面からエンペラーに戦いを挑む。
 「……奇麗」
 静が小さくつぶやいた。
 紫紺の空と満天の星の下、命そのものを燃やして闘う騎士の姿が、この猛き姫君の心を打たないわけがない。
 その心を、震わせぬわけがない。
 銀狼丸を握る手に力がこもる。借りを返す時が来たのだ。
 ばさっ!
 静の真上、ついに舞い降りて来た巨大な影が、その翼を一打ち。風を旋に巻いて制動をかけ、そのままふわり、と着地する。
 猫科の下半身がその本領を発揮し、着地は無音。

 空に残る夕暮れの金色を脱ぎ捨て、地上を覆う夕闇の青に染まった純白のグリフォンが、静の眼前にす、と腰を下ろす。その巨躯が起こすふうっ、という風圧に、足下の石ころがぱらぱらと転がる。
 グリフォンの背に乗った『月』と『星』が、腰を滑らせて地上に降りた。二つの喉からほとばしる奇跡のゴスペルが、今は地上から天へ向って昇り、広がっていく。
 「さあ、カッコいいとこ見せてよ。静ちゃん」
 あくまで脇役に回るつもりらしく、うきが双子の身を引き寄せて、静に笑いかける。
 言われなくても、静の目はもうグリフォンから動かない。
 その大きさ、筋肉、骨格、羽毛、全てを目に収めようとするかのように、瞬きもせずに見つめている。

 その姿に、うきはぞくり、と背筋を震わせた。
 (ケタ違いの情報把握と学習速度)
 (経験からいきなり結果を導き出す)
 フランシア・センカルの言葉が蘇る。彼女の言葉が真実ならば、『成功種の中の成功種』の目は、始めて目にする鷲頭の獅子に何を見るのか。その脳内で一体、どんなシミュレーションが行われたのか。
 「……うん。よし、大体分かった!」
 「きたー!」
 静のつぶやきに、うきがにやり、と笑う。が、次の瞬間、
 「ちょっ!! 、静ちゃんってば、何してんの!?」
 うきは仰天した。いや、それも当然だろう。
 静がいきなり、履いていたスカートを脱ぎ捨てたのだ。
 丈夫さだけが取り柄の革製の剣士服。その腰に巻かれた太いベルトをすぽーんと引き抜き、下半身を包むスカートをすとーんと落とす。 一瞬も迷いの無い、潔いほどの脱ぎっぷりだった。
 スカートの下は、現代で言うショートパンツ型の下着一枚きり。ちなみにそこだけはお姫様らしく、かなり上等な絹製だ。宿の女将の心尽くしである。
 生まれ持った伸びやかな骨格と、たゆまぬ鍛錬によって見事にシェイプされた静の脚が、ラヘルの風に思い切り剥き出しになる。
 さらに何を思ったか、ブーツも脱いでまた素足。

 「何?! 何が始まるのこれ?!」
 見ているうきの方があわてている。が、静は平気の平左、どころかさらに驚きの行動に出た。
 まず、脱ぎ捨てた革のスカートに銀狼丸の刃を立て、そのままリンゴの皮でもを剥くように、ぐるぐると螺旋状に切り裂く。長くて丈夫な革紐が一本、あっという間に出来上がった。
 続いて引き抜いたベルトを縦半分に裂いて二本の革紐とし、その両端をそれぞれ結んで輪を作る。

 一本の長い革紐と、もう一本の革紐の輪が完成した。が、当然これで終わりではない。
 ベルトで作った革紐の輪、その端をグリフォンの嘴に固定して、反対の端を手元へ。
 ペコペコで言う、これは手綱になる。
 そしてもう一本の長い方の紐、その両端に結び目を作っておき、グリフォンの胴体にぐるりと回して固定する。
 純白の胴体の両側に、赤子の握り拳ほどもある結び目がぶらん、と垂らされた。
 さて、これは何か? 
 答えは、静が自ら示してくれた。
 その美しい素足をひょいと上げ、自慢の足の指で革紐を掴む。ちょうど素足に草履を履くように、親指と人差し指の間に紐を通し、その下にある結び目を踏みしめる。
 そしてぐっ、と力を入れたとみるや、
 「よっ! と」
 短いかけ声と共に、静の身体がひょい、とグリフォンに跨がった。同時にもう片方の足で反対側の結び目を踏みしめ、即席の手綱を握ってすっ、と背筋を伸ばす。
 惚れ惚れするような騎乗姿勢。
 一本の革紐と結び目二つ、たったそれだけで作られた、それは『鐙(あぶみ)』なのだ。
 さて、少々説明が必要だろう。
 『鐙』とは、人間が獣に騎乗する時、騎乗者の両足を乗せる道具である。ただし、単純に獣の背中に座るだけなら、特に必要な物ではない。

 この騎乗具が真の威力を発揮するのは、騎乗した状態での戦闘、まさにその時だ。
 人間の身体の構造上、獣の背中に座った状態で戦う事は、実は非常に難しい。特に両足を浮かせ、尻に全体重を預けた『ベタ座り』での戦闘は、極めて不利である。
 下半身の力が使えないベタ座りでは、どうしても上半身、つまり腕や肩の力だけで武器を振り回すことになり、結果として腰の入らない軽い攻撃、いわゆる『手撃ち』になってしまう。幼い子供同士が、両手だけをぐるぐる振り回して喧嘩する、その様を想像すればわかりやすいだろう。
 そんな子供の喧嘩ではなく、真に威力のある攻撃を撃ち出すためには、だから下半身の強力なバネと、体重の素早い移動が不可欠なのだ。
 そこでこの鐙の出番である。
 両足で鐙を踏みしめれば、騎乗中でも中腰、あるいは立ち上がる事さえ楽にできる。道無き道を走破するオフロードバイクの搭乗者のように、足から膝、腰のバネを使って身体のバランスを取りながら、前後左右の敵に自在に対応できるのだ。
 だがその鐙を革紐一本で、それも足の指で代用するというのはしかし、明らかに尋常ではない。まして生まれて初めて見る、しかも空を飛ぶ魔獣に騎乗して戦うなど、前代未聞にもほどがあろう。

 そんな事が可能な人間など、世界中探してもただ一人。
 一条静、その人だけだ。
 「ほええー、かっけえー!」

 ほとほと感心した、という声を出したのは無論、うきである。
 静がスカートを脱ぎ出した時には、さすがに気でも狂ったかと思ったが、こうしてグリフォンに騎乗して銀狼丸を構えた姿は、まさに見事の一言に尽きた。
 足は素足のままで、素晴らしく白い脚が太腿まで剥き出し。しかもここに至る激しい戦いで、身につけた衣服や身体のあちこちに、血の痕がべったりと散ったまま。だが、それが逆に、静が持つ野性的な勇壮さを際立たせ、まるで神話の登場人物のように見せている。
 翼ある鷲頭の獅子を従えた、太古の女戦士。いや戦女神。
 戦精。
 静が一度グリフォンを降り、鐙と手綱の具合を調節する。作業は極めて素早いが、この辺の入念さはさすがと言えた。
 そしてグリフォンの正面、顔の前に立つと、
 「あっちゃん、遅い!」
 びしっ、とデコピンを喰らわした。
 グリフォン、いや『グリフォンに進化した速水』が、ぴやっ! と全身の羽毛を逆立たせてビビる。
 どうやら速水、芝村本家への配慮からか、静に対しては正体を隠すつもりだったらしい。が、この姫様の目を誤摩化すのは簡単ではない。
 それでもなお、静から目を逸らしたりしてみたものの、

 「頭の花飾り、着けたまんまだよ?」
 にやーと笑いながら静に指摘されてしまう。
 全身からだらー、だらーと変な汗をかくグリフォン、というのも珍しい見物だった。
 そんな速水を可笑しそうに見ていた静が、そっとその首に抱きつくと、 
 「……ありがと」
 そう呟きながら、その指を鷲の嘴に軽く滑らせる。激しい戦いで血まみれの手、そこから静自身の血が、ほんのわずかだが嘴に流れ込んでゆく。
 『リヴァイアサン』速水厚志。
 彼に自らの血を与える、その真の意味を静は知らない。だからその行動は無意識だ。
 静の心と身体が自然に、今やるべきことを導いた、とでも言うべきか。
 グリフォンの全身に、電撃のようなオーラが走る。かつて静の母・桜の血から、その強力な遺伝情報を読み込んだ身体。そこに再び、新たな情報がインプットされた。

 『成功種の中の成功種』・一条静。
 その命の欠片を、速水は『たべた』のだ。

 静が再び鐙に脚をかけ、その長い脚を高々と上げて速水に、いや白銀のグリフォンに騎乗する。その背中に腰は降ろさず、膝で体重を支えた中腰。
 ぐん、とグリフォンが立ち上がった。ペコペコを遥かに上回るその体躯だけに、ただ立ち上がるだけで相当の揺れが静を襲う。しかし静の騎乗バランスには一分の乱れもない。

 見よ。

 右手に銀狼丸、輝きは鋭く。

 左手に手綱、手繰る手は柔らかく。
 そして足下に鐙、革の軋みは高く。

 「はあっ!!」

 気合い一閃。びっ、と手綱が唸るのが同時。

 見よ。

 ばさあっ! 新雪の輝きをまとう巨大な翼が、ラヘルの風をその下に。

 たあん! 無双のパワーとバネを兼ね備えた獅子の下肢が、荒れた大地をその下に。
 静を乗せたグリフォンが、重力の鎖を苦もなく引き千切る。

 そして、見よ。
 
 気高くも猛き戦姫が今、ラヘルの空へ舞い上がる!
 
中の人 | 第十一話「Mothers' song」 | 20:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十一話「Mothers' song」(12)
 『ロケットスタート』という言葉がある。噴射推進機の凄まじいパワーで大気圏を突破し、遥か宇宙へと飛び出して行く、その離陸の様を表現したものだ。
 静と、彼女を乗せたグリフォンが見せたのは、まさにそれだった。
 片や百獣の王と謳われる猫科の肉食獣、その獅子の下半身が生み出す爆発的な跳躍力。
 片や蒼空の帝と謳われる最強の猛禽類、その鷲の翼が生み出す圧倒的な飛翔力。
 この二つを融合させることにより、鷲よりも速く、そして獅子よりも高い宙空まで、ほとんど一瞬のうちに上昇したのだ。
 澄み切ったラヘルの空を、翼を得た静が飛翔する。耳元を過ぎる風が、地上から響くゴスペルの音を溶かしながら、ひゅうぅぅぅと長い囁きを奏でていた。
 日没まであとわずか、地上を闇の帳が覆いつつあるが、昼間の星さえ映し出す今の静の目にかかれば、視界はほとんど昼間と変わらない。
 夕日に紅く縁取られた地平線。遥かに紅く染まる遠い雪の山脈。飛行船に乗るぐらいしか見る方法のない、この美麗極まる光景もまた、静の瞳にくっきりと映し出される。
 だが今の静に物見遊山の暇はない。

 その頭脳は今や、おんおんと音がしそうなほどフル回転中だ。
 実を言えばグリフォンという魔獣は、その飛行能力において鳥類に劣っている。同時に地上での走破能力や跳躍力、といった面では獣に劣る。よって、それぞれの単独の能力だけで戦おうとすると、空では鳥に負け、陸では獣に負けてしまうという残念な結果に終わるのだ。
 だからこそ、その真の強さを引き出すためには、鷲と獅子、二つの要素を上手くミックスさせる工夫が不可欠となる。
 広げた翼でグリフォンを滑空させながら、静は考える。
 (まずは、急降下)
 ついさっきエンペラーに対し、上空からの急降下攻撃を敢行した事を思い出す。この世のいかなる武術にせよ、武器にせよ、真上から敵が降ってくる、という局面はまず想定されていない。よってその死角を突く事は、妙な言い方だが正攻法である。
 静が即席の手綱をさばき、浮かせた腰を前傾して体重を前に。グリフォンが即座にその意図を理解し、翼を紡錘形に畳みつつ姿勢を変える。
 白銀の巨体が重力に身を任せ、戦場に向けて降下を開始した。
 ごぉうぅううう!!!
 耳元を過ぎる風の囁きが叫びに変わり、ゴスペルの調べをかき消すほどの轟音を巻き起こす。
 敵のひしめく地面が、まるで高速度カメラでズームアップするかのように急接近。眼球を引き千切られそうな風圧が、まともに静の目を襲う。ゴーグルが欲しい所だが、今は望むべくもない。
 だがそれでも瞬き一つしないで敵を睨みつける、そんな静だからこそ敵の迎撃行動を見逃さなかった。
 地上に金属の輝きが走る。槍だ。
 急降下してくるグリフォンに対し、一団の敵が長槍を真上に立てて迎撃の構えを見せている。このまま突っ込めばみすみす自ら串刺しにされ、ハリネズミのようになって墜死するだろう。
 (予測通り!)
 だが静はその唇に、不敵な笑みを浮かべる。誰がこのまま真っすぐ落ちると言ったか。エンペラーを上空から襲った時とは訳が違う。
 今の静には、翼があるのだ。
 「……!!」
 ラヘルの大気を切り裂く急降下の真っ最中、敵の鼻息すら聴こえそうなギリギリの位置で、静はグリフォンに合図を送る。すかさず巨大な羽根がずばっ! と展開された。
 片翼だけ。
 バランスを無視して広げられた一翼に、真下からの猛烈な空気抵抗が襲いかかる。ほとんど暴力的と言っていい風圧に、さしものグリフォンが一瞬で平衡を失い、きりもみ状態となってあらぬ方向へすっ飛ばされる。
 これが鳥なら、おそらくそのまま地面に墜落、それで終わりだろう。
 だがグリフォンは鳥ではない。半分は獅子。
 つまり『猫』だ。
 誰もが知っているだろう。猫ならばどんな高さから、どんな姿勢で放り出されようとも、必ず空中で姿勢を制御し。
 ぴたり、と音も無く着地する。
 槍を真上に構えた敵の一団、そこからわずかに横方向にずれた地上。グリフォンの着地点はそこだった。
 敵にしてみれば、まるでグリフォンの巨躯がいきなり消滅したように見えたに違いない。例えるなら一流の野球投手が投げる、超急落差の変化球を、思い切り空振りしたようなものだった。
 一方の静にとっては計算通り、いやそれ以上の成果だ。一瞬で敵の間合いの内側、それもほとんど脇の下と言っていい位置に移動し、しかも敵に気づかれていない。
 その強靭な後ろ足へ充分なバネを溜めたグリフォン、その背中で銀狼丸が光を放つ。

 「っはぁ!!」
 どん!!
 獅子の下肢が思うさま大地を蹴り、静の身体を加速させる。
 槍を上空に彷徨わせたままの敵など、草を刈るより楽勝だ。
銀狼丸の一閃、二閃。そこにグリフォンの嘴が、爪が叩き込まれ、中にはその巨体をまともに喰らって吹っ飛ぶ敵までいる。蹴散らす、という言葉がこれほど似合う場面もない。
 周囲の敵がやっと静を捕捉して動き出したのは、彼女に襲われた敵の最後の一匹が倒れ伏した、その後だった。
 もちろん、もうそこには静もグリフォンもいない。次の獲物に向けてだだだっ、と大地を駆け出している。
 獅子の身体は言うまでもなく、地上でもかなり俊敏な動きができる。だが敵だってエンペラーを始め、視角に優れた者は多い。こうやってただ普通に地面を走るだけでは、いつかは捕捉されてしまうだろう。
 (だから、跳ぶ!)
 静が再びグリフォンにサインを送る。大地を疾走するグリフォンが、今度はその両翼を畳んだまま、ぐいっと前方へ伸ばす。
 「はいっ!」
 ばん!!
 グリフォンの下肢が唸り、巨躯が跳躍した。しかしそれだけなら、ただ大きな猫のジャンプだ。
 ばさぁっ!!!
 そこに加えられる翼の一打ち。巻き起こされた猛烈な風が揚力を生み、跳躍を飛翔に変換する。
 びゆぅううん!!!
 グリフォンの巨躯が高々と舞い上がった。地を蹴るだけの獅子には決して不可能な、見事なまでの放物線を描いて、敵の遥か頭上を飛び越えていく。
 だが敵も馬鹿というわけではない。
 静が放物線を描くなら、その着地点を狙う。無防備になるその瞬間を捕捉し、攻撃するのは当然の戦法だ。剣を、槍を、盾を構えた敵が、予測される落下点に殺到する。
 (ほいきた!)
 だがそれも、静にとっては読み筋である。むしろ物足りないぐらい、予定通りの行動だ。
 「ふっ!」
 もう合図も無い。ほんのわずかの気配、それで静の意志はグリフォンに伝わる。美しく描かれた放物線の頂点、そこでいきなり純白の翼が広げられた。
 ばさばさっ!! 二枚の翼が猛烈なパワーで羽ばたき、前方へ向けて急制動。放物線を途中でキャンセルしたグリフォンが、今度は真下へ落下する。
 当然、真下の敵に何の準備もない。グリフォンがど真ん中へ降り立っても、即座には対応出来ない。
 「うりゃああ!!!」
 銀狼丸を両手握り、真横へ突き出した静の気合いが響く。鷲の翼が左右バラバラ羽ばたき、獅子の下肢が踊るようなステップを踏む。
 ぶぅん!!
 静とグリフォンが、まるで独楽か竜巻のように旋回した。周囲の敵が、高速回転する丸鋸に放り込まれた棒切れのように、バラバラになって散らばる。凄まじいまでの範囲攻撃。銀狼丸の刃が描く真円は、まるで地上に降った満月の如し。
 やっと迎撃態勢を整えた敵が殺到する頃には、またひらりと大地を蹴り、槍はおろか弓すら届かない高空へ脱出。
 やりたい放題とはこのことだった。
 鳥にも獣にも不可能な、翼と下肢を同時に持つグリフォンだけが可能な三次元戦闘。
 グリフォンに乗ってわずか数分で、静はもう独自の『グリフォン騎乗術』を確立しつつある。
 もっとも、多少のインチキというか、反則がないわけではない。静がグリフォンに乗る前に与えた、少量の血液。分かりやすくパソコンに例えるならば、あの血液が『ドライバ』の機能を発揮している。
 静というユーザーの意志を、グリフォンというデバイスに効率的に伝える、その仲立ちをする機能が、『リヴァイアサン』の捕食進化能力を利用して組み込まれたのだ。
 それゆえに静は今、グリフォンをまるで自分の一部のように扱う事ができる。
 敵の頭上を悠然と滑空しながら、静が胸のポケットからイグ実を取り出す。うきがエンペラーの鞍鞄からかっぱらって、静のポケットに放り込んだアレだ。
 金色の果肉を少しちぎり、指で揉み潰した果肉を両目にぐりぐり。即席の目薬である。やはりゴーグル無しでの高速機動は、目に相当の負担がかかるらしい。
 ついでに口でひと齧りしてもぐもぐと噛み潰すと、あの革紐の鐙を指ではさんだままの素足、それをひょいと顔の前に持ち上げる。まるでヨガのポーズのような柔軟性。そして、
 「ふっ!」
 口の中の果実を足の指に吹きかけた。続いてもう片足。
 なにせあの無茶苦茶ともいえるグリフォンの機動だ。それに騎乗した身体を支えるため、鐙をホールドした足の指にかかる力は、もはや想像を絶する。
 事実、鍛え抜いた静の足でさえ、指の間からは血が滲んでいるのだ。ゴスペルの肉体強化と治癒効果がなければ、足の指ごと千切れてもおかしくなかった。

 とはいえこの足上げポーズ、どう見ても一国のお姫様のする格好ではないのだが……しかしここは戦場。戦女たるその身には、これが一番自然体なのかもしれなかった。
 「……よーし、全部わかった!」
 初めての、それも翼ある異生物を駆っての三次元戦闘。だがその手応えは掴んだ。口の中に残ったイグ種を、またぼりぼり噛み砕いて飲み込み、銀狼丸を構え直す。
 地上を見下ろせば、未だ戦いを続けるうきが、そしてフールの姿が見える。
 敵の数は未だ多く、そしてエンペラーは強敵だ。
 「よし、行っくぞー!」
 ぐん、と静が手綱をさばく。グリフォンの翼が力強く風を打ち、今度は加速しながら地上へ降下する。重力に翼の力をプラスした、いわゆるパワーダイブである。
 目標は、フールと激しく撃ち合うエンペラー。
 「うりゃああああ!!! 覚悟しろ、そこのスケベ野郎ぉー!!」
 せっかく空から不意打ちするのだから黙ってればいいものを、静は思いっきり雄叫びを上げながら突っ込んで行く。さっきエンペラーにしてやられたのが、よっぽど悔しかったのだろう。
 「何だよ!! んなの反則だろが畜生!!」
 空から降ってくる静に、エンペラーが毒づく。まあ今回ばかりは彼の気持ちもわからないではない。これを反則と言わずして、何を反則と言おう。
 エンペラーがフールに強烈な一撃を加えて牽制、即座に振り向いて静を迎撃する。

 が、振り向いた先に静はいない。
 ぐるぐるん! 
 猛烈な落下速度と、絶妙な翼面のコントロール。それが今度は鮮やかなロール運動を生み出し、グリフォンの巨体をほとんど真横にスライドさせたのだ。
 戦闘機でいうシザー運動、いやそれ以上に高度な飛翔テクニック。
いかにエンペラーの目が優れていようと、こんな全く予測不能の動きをされては、どうしたって対応が遅れる。
 「バッシュ!!」
 「ぎっ……っつう!」
 ずがぁん!! 静のバッシュが、エンペラーの顔面を真横からぶち抜いた。高度な防具と防御魔法の力で致命傷こそ免れるが、下あごが切り落とされんばかりの斬撃に、エンペラーの頬から鮮血が散る。しかもピンポイントで顎を揺らされる一撃は……。
 「さっきのお返しってか!!」
 鍛えようのない脳を揺らされては、エンペラーとてまともな反撃はできない。隙に付け込まれる。
 だが、この危機すら罠に使うのは、さすがエンペラーだった。
 「マグナムブレイク!!」
 だあん!! 脳を揺らされていようが、照準不要の全方位攻撃なら問題ない。静が攻撃してくる、そのカウンターを取る。
 荒野の真ん中でナパーム弾を炸裂させたような、激しい炎と爆風がまき散らされる。まともに喰らえば身体が爆散し、そうでなくても全身火傷、眼球・呼吸器への深刻なダメージは避けられない。グリフォンといえども全身の羽毛を焼かれ、一瞬で火だるまだろう。
 だがまたしても、そこにグリフォンはいなかった。
 「残っ念っでしたー!」
 ひゅううん!! グリフォンと静がエンペラーに顔を向けたまま、猛スピードで遠ざかって行く。マグナムブレイクの発動寸前に、獅子の脚で後ろへ跳躍しながら、鷲の翼でさらに後方へ飛翔したのだ。
 まともな生物では、そしてまともな乗り手では絶対に不可能な、真後ろへの大ジャンプ。
 「ざっまぁあああ!!!!!」
 静の悪態が長く尾を引く。いやエンペラーでなくても、これは相当にうざい。
 「ぶははははは!! いいぞー、静ちゃんー!」
 そんな静を見て爆笑しているのはうきだ。少し離れた場所で双子を守って戦っているが、ゴスペルの強化がツボにハマっているらしく、どれほど敵に囲まれまくってもかすり傷一つ負わず、涼しい顔で敵をなぎ倒している。
 「こ……の……!!」
 エンペラーが憤怒で目を真っ赤にしているが、どうなるものでもなかった。そもそも自由自在に空を飛ぶ静を相手に、何をどうすればいいのか。
 「どーだこの野郎ぉー! 何が『オレのガキ産め』だあ!? 誰がてめーのモノなんぞくわえてやるかー! メスとヤりたきゃそのへんのポリンにでも突っ込んで、一人寂しくイってろ下種!! それともアンタのケツから刀ぶち込んで、裏口から玉ぁえぐり出して去勢してやろうか!……ん?」
 ひらり、とグリフォンを着地させた静の素足を、誰かがちょんちょんと突く。
 フールだ。
 何かを伝えたいようだが、バーサーク状態のため喋れない。

 「何よ、フール?」
 グリフォンに騎乗した静は、ペコペコに乗ったフールと目線が同じ。
 その静に向かって、フールが人差し指を一本ぴんと立て、自分の唇に当てる。
 『ちょっと黙って』
 多少うんざりした表情からして、静の悪態がよっぽど聞いていられなかったらしい。お姫様がはしたない、というわけだ。
 静もその意味をすぐに察した。だがこの姫様、基本的にお説教されるのが大嫌い。
 即座にフールと同じく人差し指を一本立て、こちらはそれを目の下に当てて真下へ引っ張り、舌をぺろんと出す。

 「べーぇえ、だ!」
 実にお見事な『あっかんべえ』を決めると、とっととグリフォンを空へ飛び立たせる。
 ふう、とフールが肩を落とす一方で、うきがひーひー笑っている。
 「ぎゃはは!!! し、静ちゃん……アンタ最高……っ!」
 腹筋がー、腹筋がー、と苦しみながら闘うその頭上を、静のグリフォンがひらり、と一回り。
 「フール! 行くぞ、ついてこい!!」
 文字通りの上から目線で、静の声が空から降ってくる。
 ふう、とフールがもう一度、ため息をつく。
中の人 | 第十一話「Mothers' song」 | 20:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十一話「Mothers' song」(13)
 フールがプルーフの手綱をさばき、荒野の上を走り出した。
 そのフールに並ぶように、静がグリフォンの高度を下げる

 ペコペコとグリフォン、2匹の騎乗魔獣が肩を並べ、ラヘルの荒野を突き進んで行く。
 「ナメやがって!! スパイラルピアース!!!」
 真っ直ぐ突進してくる2匹を迎え撃つように、エンペラーが槍を撃ち込んで来た。
 だが当然、当るような2人ではない。
 フールの合図を受けたプルーフが、片翼をひょいと広げる。片方だけのエアブレーキ、その空気抵抗を利用して急角度で進行方向を変える、ペコペコ騎乗の高等技術だ。
 静のグリフォンも同じく片翼を展開するが、こちらは単なるブレーキではない。広げた翼に揚力を発生させて巨体を浮き上がらせ、そのまま鮮やかなバレルロールを決めながら、フールとは反対方向へスライドしていく。
 それぞれに鮮やかな回避行動を取った2匹の間を、エンペラーの槍が虚しく通り抜ける。
 同時に静とフール、2人の挟み撃ちが完成。
 先手は静。

 「行っけぇ!」
 ずばん!
 グリフォンの全身の羽毛がびぃん! と逆立ち、猛烈なエネルギーが前方へ放出される。ウィンドアタック。空気の流れを操って爆風、というより空気の砲弾を打ち出す、風のモンスター・グリフォンのスキルだ。
 だが攻撃はそれだけでは終わらない。

 「バッシュ!」
 ウインドアタックの空気弾、その発射に被せるように、静の銀狼丸が唸る。自分の体重と、体内の生命エネルギーを打撃力に変え、敵に向かって叩き込む剣士の基本スキル。
 その打撃力がウィンドアタックの風に乗り、銀色のアーク光を放ちながら飛翔していく。
 ぎぃぃぃぃん!! 大気を引き裂くような金属音。
 「なぁっ?!」
 エンペラーが驚愕したのも当然。剣士である静には、遠距離から敵を攻撃するスキルはないはずだ。だがこの戦闘の申し子のような姫君は、わずかの時間でグリフォンの全能力を把握し、しかも自らのスキルと融合させた新技すら編み出している。
 「うりゃうりゃうりゃあああ!!」
 ぎん、ぎん、ぎぃいん! 銀狼丸が立て続けに閃き、アウトレンジからの連続攻撃がエンペラーを襲う。
 その一撃一撃のパワーは決して大きくない。が、だからといってうかうかと喰らえば眼球を潰され、鼓膜を破られ、武器を握った指を折られる。下手に動脈や急所に当れば致命傷にもなりかねない。
 それに何より危険なのは、撃ってくるのがあの静だということだ。この少女をナメるとどうなるか、さすがのエンペラーも身を持って経験済みである。
 エンペラーをしてここは慎重に、堅牢無比の盾を掲げて防ぎ、槍を剣に持ち直して撃ち落とす。そこは最強の『取り替え児』、未知の攻撃にもすぐに対応してくるのはさすがだ。
 新たな静の攻撃も半数が空を切り、残りは完璧に防御されてしまう。

 「んで、こっちかよ!」
 振り向き様に掲げた盾に、今度はフールの処刑剣が絡み付いた。静の攻撃に乗じ、一気にエンペラーの間合いの内側へ入り込んだのだ。
 Khyahahaaaaaa!!!!
 魔剣の放つ異形の叫びが、エンペラーの耳元で炸裂する。ここまで間合いを詰められたのは、エンペラーにして始めての経験だった。
 「 !! ! !  !  !!」
 「はあ!? 何言ってんだかわかんねえよ!」
 バーサーク状態のフールが、エンペラーに向かって何かを叫ぶ。その間にも、左腕のミステルティンをねじ込ませ、空を走るオーガトゥースをエンペラーの背後からけしかけていく。
 Gahyuauaauauuu!!!!
 「っぜえ!!」
 エンペラーの目がオーガトゥースの軌道を苦もなく見切り、その神速の剣で地面に叩き落とした。ついでに左腕の盾に肩を入れ、ペコペコを駆って零距離突撃。自重をたっぷりと乗せた体当たりで、フールをプルーフごと突き飛ばす。体勢を崩したフールに、さらに情け容赦ない剣戟を叩き込む。
 すっ、フールが退がる。が、逃げたのではない。
 今やエンペラーの盾、剣の全てが、フールの操る三大魔剣への対応に忙殺されている。
 フールが身体を張って作り出した隙、それを逃す静ではない。
 (ケリをつける!)
 静がグリフォンの手綱を放し、銀狼丸を両手に構えた。
 いくら静でも、グリフォンを手綱なしで操るには限界がある。つまり、ここからは小細工無し、ということだ。
 銀狼丸の刃を敵に向けたまま、その美しく引き締まった顔の真横までぎゅっ、と引きつける。双手突きの構え。
 「……っ!」
 合図はまたも気合いのみ。
 すばん! と、グリフォンのウインドアタックが発動し、風の砲弾がラヘルの大地を奔る。

 次の瞬間、その真後ろを追うように、今度はグリフォンと静が奔った。空気の砲弾が通り抜けた直後の、空気抵抗が激減したその空間を、爆発的な跳躍力で駆け抜ける。
 静の頭の中からは、既にいかなる雑念も消えている。
 BOTの事、取り替え児の事、エンペラーに組み伏せられ、磷り付けにされたことさえ、もう頭の中にはない。当然、怒りや恨みといった感情も、どこかにすっ飛んでいる。
 自分と、グリフォンと、銀狼丸。そしてゴスペルの調べ。
 それらが一つに融合し、今まで感じたことのない、恐ろしいほど純粋な『力』となって爆発する。
 ただし、万一にも外したら二度目はない。
 まさに乾坤一擲。
 「でええぃっ!」
 
静の素足が鐙を踏みしめ、むき出しの両足がそのパワーを解放。グリフォンの加速度を踏み台に、さらに速度を上乗せした渾身の突きが放たれる。
 ぱぁん!!
 むしろ軽快とすら感じる攻撃音は、銀狼丸の切っ先が音速を超えた証拠だ。撒き散らされたソニックブームの余波で、静の黒髪が幾筋か宙を舞う。急ごしらえの革の鐙が下半身の踏ん張りに耐えかね、ついにばちん! と千切れ飛ぶ。
 魔獣グリフォンの速度と質量、それに静の卓抜した技量が加わった神速・神威の突攻撃。それはエンペラーの目にすら捉え切れず、もし捉えたとしても回避も、防御すら不可能な、まさに必中の一撃だった。
 そしてその威力にも偽りはない。
 「がっ……は!」
 静の一撃を喰らったエンペラーの巨体が、ペコペコの上から吹っ飛んだ。そのまま受け身も取れず、ラヘルの荒野に打ち付けられる。超級の防具に守られたエンペラーの屈強な肉体、それが紙のように貫かれ、破壊されていた。
 右の鎖骨から肩にかけての肉と骨が、鎧ごと綺麗に消失している。腕は何とかくっついているものの、ほとんどぶら下がっているだけ。
辛うじて心臓への直撃を外したのはエンペラーならではだが、その身体はほぼ死に体と言ってよかった。
 鮮やかな赤色の動脈血が吹き出し、荒野を異様な色に染め上げて行く。
 一敗地に塗れる、とはまさにこの様を言うのだろう。
 「もうよせ、エンペラー! もう十分殺したろう!」
 やっとバーサークの効果が切れたらしい、フールがエンペラーに向かって叫んだ。その声に、勝ちを誇る響きはない。
 それどころかこの青年騎士は、ここに及んでもまだ、エンペラーを『止める』つもりなのだ。

 「どれだけ殺せば気が済む?! どこまで恨めば止まる?! もう終わりにしろ。でなければ永久に、お前は止まれなくなる!」
 三大魔剣を3振りながら突きつける。
 心と身体を入れ替えられた2人の若者、その視線が絡み合い、白熱する。
 「うるせえ!! まだ足りねえ! ……全っ然足りねえんだよ!」
 美しい顔を歪みに歪ませて、エンペラーが叫び返した。だがその声に、さすがに力はない。肺が破れて血が流れ込み、呼吸困難を起こしている。
 「お……ぼえてろよクソがああ!!」
 ふっ、とその捨て台詞が途切れる。どこかに隠し持っていた蝶の羽を発動させたのだ。
 「あ、逃げやがったあの野郎!」
 ふわ、とグリフォンを着地させた静が、悔しそうに口を尖らせる。会心と言っていい攻撃をぶち当てておいて、まだ足りないらしい。
 だが、止めを刺さなかったフールを、しかし責めてはいない。

 「ま、いっか。借りは倍返してやったしね」
 ひとつ肩をすくめ、ふう、と一つ息を吐く。それでもう、エンペラーには興味を失ったようだ。終わった戦の勝ち負けは引きずらない、それが戦人の生き方というが、それにしても見事な切り替えっぷり。
 グリフォンに乗ったまま、銀狼丸の刃を丁寧に拭い、刃こぼれを確かめる。

 「あちゃー、だいぶ無理させちゃった……。申し訳ございません、銀の叔父上様」
 逃げた敵よりそっちの方がよっぽど気になるようで、今は亡き剣の鍛ち手に謝罪する。
 「ちょっとお二人さん、まだ敵いるんだけどー」
 ひと仕事終えた雰囲気の静とフールに、文句を垂れたのはうきだ。が、静は平気な顔で、
 「平気よ。そいつらもう殺気ないし。アイツがいなくなったからじゃない?」
 「へ?」
 そういえば、あれほどしぶとく闘い続けていたBOTモンスターが、今は武器をだらんと下げ、てんでバラバラに動き回っている。いわゆるノンアクティブの状態だ。最後まで闘え、とは命令されていないらしい。
 「あ、ほんとだ……じゃ、まあ放っといていいか」
 うきもあっさりとカタールを仕舞う。。
 静がグリフォンを降り、千切れた鐙を足の指から引き抜いてブーツを履き直した。それにしても、革紐が千切れるほどの負荷がかかったにも関わらず、足の指を離さなかったとは、まったく呆れるほどの『握力』だ。
 ちなみに、引き裂いて紐にした革スカートの替えはない。そのため静姫、下半身は下着に生足、それにブーツという何とも素晴らしい格好である。
 白銀のグリフォンがぷしゅう、と縮み、僧服の速水に戻った。もう変身を隠す気はないようだ。
 「ふーちゃん、遅れてごめんね」
 「いや……来てくれて助かった。ありがとう、速水クン」
 こちらも魔剣を仕舞い、プルーフから降りたフールが、逆に速水に頭を下げる。
 しかしその姿。身体の傷こそ癒えているが、装備もなにもかもボロボロで、衣服は乾いた血でどす黒く染まっている。

 愚者の戦い、それがいかに激しく、そして無謀なものだったか。
 そして辛いものだったか。
 それぞれに激しい戦いをくぐり抜けた静達でさえ、かける言葉を失う。
 「……姫、博士は?」
 それでも、むしろ静を気遣うように訊ねるのがフールという青年だ。
 「あー、……っと」
 うきが困ったように頭をかいた。静からセンカルの身柄を預かったのは自分だ。しかし正直言って、これは説明しづらい。
 どう言ったものかと慌てて思案を始めた、その時だった。
 「センカル博士なら、僕知ってるよ?」
 いまいち空気を読んでいないっぽい、むしろ呑気な声が上がった。
 速水だ。
 (って、おい……?!)
 うきが内心で冷や汗をかく。まさか速水厚志、ここで正直に『自分が食べた』と告白するつもりなのか。
 だがそれは、いくら何でも残酷過ぎはしないか。
 
フールにとっても、センカルにとっても、また静にとっても、余りにも過酷な告白ではないか。
 だが、うきの予想は外れた。
 速水がそこで言ったのは告白ではなく、次の3つの言葉だった。

 いや、3つの『嘘』だった。

 「博士は一人で、遠くへ行っちゃったよ」

 「ふーちゃんに『ありがとう』、『ごめんなさい』って」


 「そして『さよなら』って、言ってたよ」


 そう、速水は嘘をついた。しかも、とてもへたくそな嘘。
 事情を知るうきはもちろん、フールも、静にも、それが嘘だとすぐにわかる。
 そして速水の言葉と、真実が真逆であることも、すぐにわかった。
 ウロボロス2『BOT製作者』フランシア・センカルは、もういないのだと。
 どうしようもない罪を背負ったまま、謝罪も、感謝も、別れも、何も言わずにこの世界から去って行ったのだと。
 だが。

 「そう……ありがとう、速水クン」
 それを知りながら、しかしフールは速水を問いただす事もなく、それどころかもう一度、頭を下げた。
 フールにはわかったのだ。

 速水がその嘘で、自分を救おうとしてくれたことを。

 償い様のない罪を背負った、フランシア・センカルの人生。
 フールはそれを、彼女ごとまるまる背負い込むようにして、生きて来た。
 彼女を守り、支え、そして
彼女の罪や、彼女の罰までも肩代わりするように、その身を削って戦い続けた。
 

 だが、もういい。もう、終わっていいのだ。

 センカルの罪は彼女の物であり、また彼女の罰は彼女が受けるべきなのだから。
 そして彼女の死もまた、フールが背負う必要はないのだから。
 罪人は一人、感謝と謝罪の言葉を残して、いずこかへと去った。『そういうこと』にしておけばいい。
 そうすれば少なくとも、フールだけは救われる。これからの人生を、自分のために生きる事ができる。
 
だから速水は嘘をついた。フールが、もう自由になれるように。
 そしてフールは、その嘘に身を委ねたのだ。
 『優しい嘘つきになりなさい』、速水にそう教えてくれたのは、静の母・桜だった。
 しかし彼女が言わなかった事がある。

 『優しい嘘』は、嘘をつくだけでは完成しない。
 
嘘つきよりも、もっと優しい人が側にいて。
 嘘を、嘘と承知で騙されてくれる、優しい人が側にいて。
 初めて嘘つきは、嘘つきになれる。

 だから速水厚志はその日初めて、本当の『優しい嘘』をついた。

 気づけば夕暮れは夜に、夕陽の代わりに月がその姿をのぞかせている。

 青白い月明かりの下、静も、うきも、もう何も言わなかった。
  
 こわがらないで ヘロデのことを

 この子守唄を 聴いておやすみ

 アラル アラメ アラル アラメ

 アラル アラメ アラル アラル アラメ

 『月』と『星』の歌う母の歌が、その最後のリフレインを歌い、そして終わった。
 静の母・一条桜の歌が。
 双子の母・瑠璃花の歌が。そして……


 そして、どうしようもない罪を背負ったまま、永劫の獣の中に取り込まれた、一人の女の歌が。

 その子守唄に歌われるユダヤの王・ヘロデは、『新たな王』すなわちキリスト誕生の予言を怖れ、二歳以下の男子を全て殺したという。真偽は定かでないが、その数、実に6万4千人との伝承もある。
 狂王ヘロデ、その罪が消える日は永久に訪れないだろう。その罪が忘れられる日も、決して来ないだろう。
 しかし時は過ぎ、今その禍名は子守唄に歌われ。
 そしてヘロデの名を怖れる幼子は一人もいない。

 罪は消えず、赦されず、そして忘れられることもなく。
 しかし子守唄の調べに、幼子の眠りを守る。

 そんな結末も、あっていいのだろうか。

 「あっちゃん、フール」
 静がいきなり速水を、そしてフールの首をいっぺんに両手に抱きしめ、ちょっと気取った声で、
 「両名とも、大儀であった」
 そしてびっくりした顔の二人の頬に、その花のような唇を寄せると、代わる代わるキスを贈った。
 「!?」
 「!!」
 目を白黒させる二人の若者に、静は極上の笑みを贈る。そして、
 「赦す」
 その黒曜石の瞳が、見えない光を放つ。
 フールも、速水も初めて見る、意志と優しさを結晶化させたような、瞳の輝き。
 「みんな、アタシが赦す!」
 言葉だけ聞いたなら、どこの国の暴君か。
 しかし余りにも過酷な戦いを、それでも生き抜き、戦い抜いた姫君に与えられた、ここは小さな国。
 うたかたの領土。
 一つの物語に幕を降ろす資格ぐらい、あってもいいだろう。

 嘘つきの魔物も、優しき騎士も、罪ある女も、そして嘘も。
 全ては猛き姫君の、赦しのキスに。

 「光栄に存じます、姫君」

 フールと速水が声を揃える。
 感謝の言葉で終わり、そして続いて行く物語なら、それは上々と言っていいではないか。

 
「あー、さて。じゃアタシはこの辺で……」
 空気を察し、そーっとフェードアウトしようとしたうきの背中に、しかし何かがびとっ! と張り付いた。
 「ぎゃあああああ!!  何!? 妖怪?!」
 もちろん妖怪ではない。
 静だ。
 「うき! アタシ達、もうマブダチだよね!!」
 「え!? ……えっ?」
 混乱するうきの首っ玉にかじりついた静が、にかーっと白い歯を見せる。
 「熱く拳で語り合って、言葉を超えた友情とか育んだよね!」
 「……やだ、なにこのお姫様こわい」
 あわあわ、と静を振りほどいて逃げようとするが、あのグリフォンに楽々と騎乗する静が、少々の事で離れるはずもない。
 「アタシ達と、あっちゃんと、フールとで、こっから悪いヤツらと戦うんだよね!!」
 「ひ、ひいいい!! た、助け、助けてー!!!」
 藁にもすがる気持ち、とはこの事だろう。うきがフールと速水に助けを求める。
 だが二人の若者は揃って、そっと目線を逸らし、

 「南無」

 笑いをこらえて、そう声を揃えた事だった。
 夜の闇がラヘルの荒野を包み込む。
 だが満天覆う星の海は明るく、往く月の舟はなお明るく。


 つづく。
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