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第十二話「The Flying Stones」(11)
  D1はその痛みをこらえ、目を逸らさず、ただ一心に内なる声に耳を傾ける。
 それは決して自虐のためではない。
 何もかも失ったゼロの自分を目見つめ直し、自分という存在を問い直すために。
 (ゼロの私……)
 どこまでも広がる、時に黒みがかってさえ見えるほどの青空。それを鏡のように見立て、今の自分の姿を思い浮かべてみる。
 それがどんなに惨めな姿でも、情けない姿であったとしても、受け入れる覚悟を決めて。
 (……?)
 だが、青空の向こうに現れた幻は、むしろ意外な姿だった。
 カプラのヘアバンドと制服に身を包んだシルエット。だがその背丈は今のD1の半分もない。
 子供用に仕立てられたフェイクのカプラ服を身にまとい、見よう見まねで気取って一礼する、それは、まだ幼い少女の姿。
 お辞儀に揺れる髪は、原初の太陽のような目映い紅玉。

 (あれは……あの姿は……!)

 じりり。
 側にある手すりに設置された伝声機がシグナルを発し、D1は幻から引き戻された。
 何事か、と伝声機を注視するが、呼び出しのシグナルは止まらず、甲板には他に受話器を取る者もいない。
 仕方なく受話器を取ると、相手はバークだった。
 「お邪魔して申し訳ありません、D1。翠嶺先生がお呼びなのですが」
 「わかりましたバーク船長。どちらへ行けばよろしいでしょう?」
 行き先を尋ねるD1に、バークは少しの間を置き、
 「部下がお迎えに参上するそうです。暫時お待ち下さい」 
 なぜか少し、笑いを含んだ声で応えた。
 暫時、とバークは言ったが、甲板の気密扉が開かれたのはほとんど直後のことだ。
 「お迎えに上がりました、D1!」
 よほど急いで来たのだろう、若くハンサムな副船長が息を弾ませながらドアを支えてくれている。
 「ありがとうございます」
 くるり、と身体を翻し、副船長の脇を抜けて船内に戻る。高空の風に晒され続けていた身体に、船内の暖められた空気が心地よい。
 羽織っていたコートをするり、と脱いで副船長に返す。が、副船長はなぜかコートを受け取る事も忘れ、D1の顔を見つめて固まったまま。
 「……? 何か?」
 D1が首を傾げると、ハンサムな若者は慌ててコートを受け取ると、
 「い、いえ、失礼しまひた! ご案内致します! こ、こちらへどうぞ!」
 沈着冷静な船長の右腕らしからぬ、噛み噛みの有様だ。しかも歩き出したはいいが、何かというとちらり、ちらりと後ろを振り向くので、危ないったらない。
 「ああD1、甲板にいたのですって? 寒かったでしょう? ちょっといらっしゃい」
 廊下出会った翠嶺が、そう言って彼女の部屋にもう一度招いてくれた時には、正直ほっとしたぐらいだ。
 化粧室を借り、一通りの身だしなみを整えて戻ると、 
 「……? D1、何かあった?」
 だが、翠嶺までがD1の顔をまじまじと見つめるではないか。
 「あの……私がどうかしましたでしょうか?」
 「綺麗になったわ、貴女」
 そこは翠嶺、微塵の遠慮もなく、つ、と手を伸ばし、D1の頬に手のひらを滑らせる。
 「え?」
 「消えかかってた残り火が、また燃え始めた、ってところかしら? 何か大事な事でも思い出した?」
 思い出した? 何をだろう?
 きょとんとするD1に、翠嶺がにっこりと微笑む。
 「あの湖で出会った時は、別人かと思うほどひどい有様だったけど。回復は順調、完全復活も遠くないようね。私も嬉しいわ」
 そう言われても他に答えようがないので、
 「ありがとうございます」
 あいまいに、そう返事するしかない。
 「さて、私の弟子を紹介しましょうか。貴女の役に立つといいけれど」
 翠嶺が先に立ち、少し歩いて一つのドアの前で止まる。
 「……そうじゃありません、草鹿さん。御本を横に積んじゃあいけない」
 そのドアの向こうから、ここ数日ですっかり聞き慣れた声が響いて来た。
 もちろん、無代だ
 「よろしいですか? 羊皮にインクで書かれた御本を、このように横にして積み上げますと、すぐページとページがくっついてしまいます。そうなったらもう大変、剥がそうったって剥がせるものじゃありません。ですから必ず縦に置く。しかも仕舞う前には一通り、こうページをめくって……そう、それでいい。そうやってページとページの間に風を含ませる。これがくっつくのを防ぎます。定期的に虫干しするのも大事です。……若先生! 架綯(カナイ)の若先生! 若先生もちゃんとお聞きんなって下さいよ! というか、若先生が一番気をつけて下さいませんと!」
 お説教の真っ最中らしい。
 「やってますね、無代」
 くすくす、と翠嶺が笑う。
 「では草鹿さん、あとはこれを洗濯に回していただけますか? 上等の生地ですので、丁寧にお願いしますと。あと襟巻きの縒れと毛玉をちゃんと取っていただくように」
 「はい、無代さん。……失礼します!」
 小気味好いやりとりが聞こえたと思うや、ドアが内側から開いた。当たり前だが、今度はちゃんと開く。
 「ご苦労様、草鹿君」
 「あ、し、失礼しました翠嶺先生!」
 翠嶺とはち合わせる格好になった草鹿が、あわてて敬礼。その胸にしっかりと抱かれた荷物は、綺麗に畳まれた教授服らしい。翠嶺が身に着ける鮮やかな青色のそれとは違い、色は地味などんぐり色。どうやら部屋の主だという『架綯(カナイ)』のものだろう。
 余談だが、この船では下っ端もいいところの草鹿の名前を、翠嶺までが憶えてしまったようだ。
 「翠嶺先生でいらっしゃますか?」
 部屋の中から無代の声が届く。
 「ええ。D1もいるわ。ご苦労様、無代」
 「お迎えに上がれず申し訳ございません。あらかたは片付きましたので、どうぞお入り下さい」
 草鹿と入れ違いに翠嶺とD1がドアをくぐると、そこは8畳ほどの、広めの船室だった。
 正面に窓があり、左の壁にベッド、右に机と壁一面の本棚。ちなみにドアの両側の壁も本棚だ。
 翠嶺達を迎えるためだろう、さきほどブリッジにあった小さなテーブルと椅子が部屋の中央に運び込まれているため、かなり狭く感じる。
 だがこの部屋で今、一番目を引くのはそのどれでもない。
 ベッドの上に、何か妙な物が乗っている。
 それは真っ白なシーツに包まれた、言い方は悪いが『芋虫』のような物だった。ベッドの端に腰掛けたそれの側には無代が立ち、シーツのあちこちを引っ張ったり調節したり。
 「どうぞお座りを」
 無代が作業の手を止め、翠嶺の椅子を引きに来ようとするのを、
 「構いません、続けて?」
 翠嶺は軽く手で制し、自ら椅子を引いて腰掛けると、そのすらりとした足をひょい、と組む。先ほどのブリッジではしていなかったが、無代とD1を連れ3人で旅をしていた時には、こうして足を組むのが常だった。リラックスしている証拠だ。
 D1も隣の席に座るが、さすがに翠嶺の隣で足を組む度胸はない。もっとも、別に足を組む習慣も癖もないのだけれど。
 ところで、部屋に入ったD1の姿を、無代までが一瞬、おっ、という顔で見る。……さて、そんなに違って見えるのだろうか。
 「さて、これでよし、っと。では若先生、せーの、で両手を伸ばしていただけますか?」
 無代の言葉に対し、『シーツの芋虫』がこくり、と頷く。
 「では参ります。せーの、ほい」
 すぽ、という間の抜けた音と共に、芋虫に手が生えた。もちろん人間の腕だ。
 「ほい」
 無代の手がもう一度動き、芋虫の頭を覆っていたシーツをすぽん、と後ろへはねると、今度は人間の頭が現れる。
 シーツを複雑に折り畳んで身体に巻き付け、簡易の病人服のように仕立てたらしい。例によって、どこで憶えたのか無代の芸だろう。
 「久しぶりね、架綯。朝食は済んだ?」
 「……はい」
 ぼそり、という形容詞がぴったりの声音は、明らかに少年の声だ。
 ふわふわした栗毛の頭に、目の色はやや煙ったグリーン。十六歳といえば、あの水夫の草鹿と同年代のはずだが、あちらが日々の労働で逞しく鍛えられ、肌も日焼けして見るからに健康的なのに対し、こちらは正反対。
 いつ陽に当たったのか思い出せないほど色は白く、身体の肉も薄い。骨格そのものは割としっかりしているため、逆に骨が浮き、肉付きの悪さが目立ってしまっている。
 けほ、と一つ吐いた咳の音が、深く粘っているのも気になる。病気とまでは行かないが、呼吸器系があまり強くないらしい。
 「若先生、これをどうぞ」
 咳き込む架綯に、無代が何かを差し出した。それは小指の先ほどの白い塊に、爪楊枝を刺したものだ。現代でいうならちょうど『棒付きキャンディー』そのものである。
 架綯が無言でそれを受け取り、ぱく、と口に入れ、もごもご。
 「ひょっとして『イグ種』? それ?」
 「左様でございます、先生」
 翠嶺の質問に答えたのは無代。
 「イグドラシルの種の殻を割りまして、中身を噛まないようにゆっくり舐めておりますと、咳などあっという間に。楊枝は間違って飲み込まないための用心でございます。咳き込んだ勢いで、間違って気管にでも吸い込みますと大変でございますから」
 この男の『生活密着型』は相変わらずのようだ。
 命にかかわるほどの傷さえ一発で治癒させる『イグ種』ならでは、咳などすぐに治まる。架綯が口から取り出した種を、無代が懐紙に包んでもう一度手渡し、
 「咳がぶり返しましたら、またお舐めになるとよろしゅうございます」
 架綯はそれを無言で受け取り、また無言でぺこ、と頭を下げる。
 元々無口な質のようだが、しかしそれだけではない。
 その表情は気の毒なほど意気消沈しており、それが余計に弱々しい印象を与えている。
 「架綯?」
 「……すいませんでした」
 またぼそり、と呟くように言うと、ぺこ、と頭を下げる。
 「本を出しっ放しで寝たこと?」
 ぺこ。
 「まあ、貴方もだいぶ懲りたようだし、そこの無代からも言われたようだから、私からはもういいわ」
 ぺこ。
 「後で船長にも謝っておきなさい」
 ぺこ。
 「……」
 ふう、と、翠嶺が微かなため息をつく。
 以前にも書いた通り、彼女はぺこぺこと人に媚びる人間が大嫌いだ。そういう人間は例外無く、彼女の名前や技術、つまり『価値』にしか興味がない。翠嶺自身はどうでもいい、彼女の持つ価値をいかに自分の価値に変えるか、という下心しかない。
 だが、架綯の態度はそれ以前の問題だ。媚びだの下心だの言う前に、『どうしたらいいのか分からない』のである。
 とはいえ賢者の塔では押しも押されぬ『翠嶺の弟子』で、歴とした助教授職まで拝命している。そろそろしっかりしてもらわねば困るのだが。
 「先生」
 翠嶺の沈黙にすっ、と無代が割り込んで来る。
 「若先生には一応、自己紹介を致しておりますが、よろしければ先生からも改めまして」
 紹介してくれ、という。そう言えば何も言わずに部屋に放り込んだのだった。
 「そうでしたね。架綯、無代からどこまで聞いた?」
 「……え?!……えと……」
 急に話を振られた架綯が、目をぱちくりさせながら、助けを求めるように無代の方を見る。
 「若先生。どうぞ手前が申し上げました通りに」
 無代が年長者らしい余裕を見せ、にっこりと微笑む。それに背を押されるように、架綯がやっと顔を上げる。
 「あの、『先生の新しい……』」
 右手の握りこぶしを前に出し、親指をぴん。
 
 「『コレ』です、って」
 

中の人 | 第十二話「The Flying Stones」 | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十二話「The Flying Stones」(12)
  「……という経緯よ。これでカプラ社の問題については、およそ分かったわね、架綯?」
 翠嶺の長い説明を聞き終えた架綯が、ぺこ、と頭を下げる。相変わらずの無言だが、さすがに事の深刻さは理解したらしく、表情にはかなりの緊張が見える。
 「あの〜翠嶺先生……?」
 「そこで架綯、お前には敵に奪われた『カプラシステム』の奪還を担当してもらいます」
 ぺこり。
 「翠嶺先生〜?」
 「カプラシステムへの介入は賢者の塔の禁則事項だけど、今は緊急事態。『放浪の賢者』の名において、私が許可しましょう」
 ぺこり。
 「翠嶺せんせ〜」
 「まずはここにいるD1が持つ、カプラシステムへのアクセスプログラムを解析する。もちろん本命は、彼女が与えられている『ユーザー権限』」
 ぺこり。
 「せーんせ〜」
 「私たち一般客が持つ『ゲスト権限』の上位にある『ユーザー権限』。これが手に入れば、カプラのメインシステムに侵入することはもちろん、制御を取り戻す糸口になる可能性も高い」
 ぺこ。
 「すいれ〜せんせ〜い!」
 「……無代、五月蝿い」
 『冬』に極めて近い、翠嶺の冷たい声でばっさり切られたのはもちろん無代だ。さっきから情けない声で翠嶺の名を呼んでいるが、まあ見事なくらいスルーを喰らい続けている。
 「黙って正座。姿勢を崩さない」
 「えええ〜」
 何と無代、床の上で『正座反省中』である。冷凍魔法並みに冷たい翠嶺の返答に、地味な抗議の声を上げるものの、もちろん無駄だ。
 「D1も、いい加減笑いすぎよ」
 「……はい……申し訳、ありません……賢者……さま」
 D1も翠嶺にたしなめられる。が、これは仕方あるまい。
 天下の戦前種を向こうに回し、無代が仕掛けた『親指小指』の悪戯。これがD1、よっぽどツボにハマったらしく、さっきからずっと笑いの発作に取り憑かれているのだ。俯いた顔にルビーの髪を前にばっさりと垂らし、懸命に笑い顔を隠しているが、ひくひくと震える滑らかな肩のラインは隠しようもない。
 確かに無代の悪戯も可笑しかったのだが、その仕込みに見事にハマった時の翠嶺の顔が傑作すぎて、思い出す度に笑いがこみ上げてしまう。
 「あの……賢者様……どうか許してやって下さい。これはその……私も悪いので……」
 D1が必死で笑いをこらえながら無代のフォローに回る。
 無代の悪戯は先ほど、『マグフォード』の艦橋で繰り広げられた『女たらし』騒動への仕返しだろう。翠嶺の部屋でシャワーを浴び、身だしなみを整えながら世間話の最中、つい無代が部下のD4と通じていた事を漏らしてしまった。まさか翠嶺がそこまで食いつくとは思わなかったし、まして大喜びで無代をからかうネタにするとは予想外だったのだが、この大賢者様、そういうところは意外と『お若い』。
 だが、そうなるとプライベートを漏らしてしまったD1にも責任の一端はある。
 「……お許しをいただけませんか、賢者様」
 「だめ」
 D1の取りなしを、だが翠嶺は即時却下する。
 もちろん、翠嶺だってD1の言いたい事は分かっている。さっき面白半分で無代をからかったのも事実だ。だから翠嶺だって、決して無代の悪戯に本気で怒っているわけではない。
 そうではなく、要するにバツが悪いのである。自分とした事が、あんなたわいもない悪戯に奇麗に引っかかり、とんだ恥をかかされてしまった。無代ごときに『上手いことやられてしまった』、その事が悔しくて仕方がない、ということなのだ。
 千年を生きた賢者とは言うが、その辺は本当に感性が若々しい。……というか、ぶっちゃけ『子供っぽい』というか。
 いっそ『大人げない』と言うべきか。
 じろり、と横目で無代を睨むと、こちらの視線を知ってか、やたら真面目くさった顔で正座を続けている。
 それがまた余計に癪に障るではないか。
 (本当に、コイツときたら……!)
 この無代という男が、翠嶺に対して常に礼儀正しく、また丁寧に接していることは嘘ではない。真面目で器用な働き者であるのも本当だ。
 だが、やっぱり油断はならない。ちょっと気を許すとコレである。
 『人に仕えても、隷属はしない』
 無代と出会った時に感じたあの感想が間違いではなかった事を、こんな形で確認するとは思いもしなかった。翠嶺に対する尊敬がいくら本物でも、だからといって頭から恐れ入ってなどいないのだ。
 そしてもう一つ、何より悔しいことがある。
 (私がこの程度の悪戯で本気で怒らないと、ちゃんと分かってやっている)
 それだ。
 もし怒ったとしても決して厳しく咎めたりしないと、無代に見透かされているのだ。
 無代と初めて出会ってから、まだ数日しか経っていない。だというのにこの青年は、どちらかと言えば扱いの難しい翠嶺という人間に対して、もうこれほどギリギリの悪戯を仕掛けるまでに、彼女の『ツボ』を心得てしまっている。
 よく言えば翠嶺という人格を理解し、寄り添っているとも言えるが、悪く言えばもう半分かた『たらし込んだ』とも言えるだろう。
 これに対して翠嶺、怒ってもいないし不快でもないが、大いに癪に障るという複雑な心境。
 まったくもって、一千歳を超えてもまだまだ若々しい賢者様なのである。
 「……あの、翠嶺先生」
 この消え入りそうなボソボソ声は架綯だ。
 声が小さいのはいつもの事だが、今はそれに加えて顔色もよろしくない。それというのも架綯、無代が怒られているのが自分のせいだと思い込んでいる。自分の代わりに無代が正座させられているように感じて、気が気ではないのだ。
 もちろん彼は『親指』の意味などさっぱり知らず、無代に言われるままにやっただけで、丸っきり責任は無い。ただ、確かに道義的には無罪と言い切れるかどうか微妙だ。それが証拠に、
 「気にしないで、架綯。お前は少しも悪くない」
 と、フォローしてくれる翠嶺の声の響きは、言葉の内容の割に決して優しくはない。
 「つまらない悪戯でお前を騙した無代を、むしろ怒っていいのよ?」
 むしろそう言って焚き付ける言葉の裏には、やすやすと無代に騙されて悪戯に加担してしまった架綯への微妙な叱責が確かに含まれている。
 「でも……あ……」
 それを敏感に感じた架綯。ちゃんと顔を上げられない、声も出ない。
 そんな若すぎる弟子に翠嶺もつい、少し強い口調になる。
 「架綯。お前だって賢者の塔の、しかも『翠嶺の弟子』の称号を持った助教授。そろそろ自覚してもいい頃じゃない?」
 「………はい」
 ぺこ、と頭を下げるだけだった返事に、辛うじて言葉が加わる。が、それが限界だ。
 「架綯……!」
 「少々お待ち下さいまし、翠嶺先生」
 とうとう叱責にまでエスカレートしそうになった翠嶺を止めたのは、意外な事に無代だった。 
 「差し出がましいようでございますが……」
 「ああ、差し出がましいな?」
 いつかの再現だ。
 「ですが先生。それは先生が間違っておられます」
 退かない無代もいつかの再現。しかも仰天、床に正座させられたままの無代が、あろうことか翠嶺を批判するではないか。
 しかもその声。
 「ガキに物の道理を教えもせず、勝手に大人の真似させておいて、代わりに大人が楽をするのは『手抜き』と申します。今の先生は『それ』でいらっしゃいますよ」
 無代、明らかに怒っている。
 「何?!」
 「先生」
 無代の声は大声でも激しくもないが、びり、と空気が震えるよう。
 「弟子を一人前にするのは、師匠の責任でございます。それは何も学問や仕事だけではございません」
 「……」
 「箸の上げ下ろしから挨拶の仕方まで、ガキがいっちょまえの大人になり、自ら食い扶持を得て、暮らし向きが立つまで面倒を見る。それが師匠の、大人の仕事でございます。そして一人前になったかつてのガキが、また弟子のガキを育てる」
 「……私がそれをしていないと言うのか」
 翠嶺が無代の方を見ることもせずに反論する。
 その声は固い。

 「では先生、これまでに若先生の声が小さいと、お叱りになったことがございますか」
中の人 | 第十二話「The Flying Stones」 | 00:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十二話「The Flying Stones」(13)
 「……」
 翠嶺としたことが、無代ごときの言葉に即答できなかった。言われてみれば確かに、架綯の声について指摘したことは過去、ほとんどなかったからである。
 言い訳になるが、この架綯という少年は本物の天才だ。
 単に『優秀』という観点から言えば、先代の『翠嶺の弟子』であった冬待(一条)巴の方がやや優るかもしれない。だがそれは、ボルトの超精密操作という彼女独自の魔法運用技術に加え、恵まれた身体能力まで含めた総合的な実践力で評価した場合だ。
 俗な言い方をすれば巴、『喧嘩が強い』のである。
 実際、彼女に思う存分に魔法を揮わせたら、戦前種たる自分ですら大損害は免れまい。
 (いや、こちらが下手を打てば、本当に負けるかもしれない)
 魔法を操る者多しと言えども、この翠嶺にそこまで覚悟させる相手は世界中探してもそう多くはない。まさに当代きっての喧嘩魔法使い、それが一条巴という天才なのだ。
 だが架綯という天才は、それとは真逆である。
 はっきり言って喧嘩は強くない。まかり間違って巴と相対しようものなら、それこそ問答無用で瞬殺されるだろう。
 だが当たり前だが魔術師の価値とは、何も喧嘩の強さだけで測れるものではない。
 話の腰を折る事になるのは恐縮だが、良い機会なので魔法について少し記そう。
 無代や架綯達が暮らすこの世界では、実は魔法はむしろ衰退期にある。
 魔法が絶頂期にあったのは聖戦時代、つまり遥か過去の話。かつて人類が魔物と戦うために編み出した強力無比の魔法は大半が忘れられ、個々の魔法使いが擁する魔力も減少の一途をたどっているのだ。
 理由は簡単、『必要ない』からである。
 聖戦が終わって平和な時代がやってくると、人々はあっという間に苦しい時代を忘れ、貴重な技術の継承や研鑽に対しても、急速にその興味を失っていった。一部の冒険者や軍隊などを除き、大規模な破壊や殺傷を目的とした術だの、習得に困難を極める特殊な術を、わざわざ苦労して学ぼうとする者はいなくなってしまったのだ。
 翠嶺やその仲間達が賢者の塔を建て、そこに魔法技術を集約しようとしたのも、せっかくの叡智が散逸するのを恐れたからだが、それでも、
 『魔法の衰退を食い止めるまでには至っていない』
 と、翠嶺自身が憂慮する、それが現代という時代なのである。
 だがその現代において全く新しい魔法を、それも複数編み出した人間がいる。しかも十代、ほとんど子供と言ってもいい年齢でだ。
 あまりの早熟ぶりに賢者の塔の教授会が良い顔をせず、本人が叩き出した成果の割には『助教授』という中途半端な地位しか与えなかったのも、逆の意味で彼の異能ぶりを示すエピソードだろう。
 賢者の塔に隠然と君臨する伝説の賢者が見かねて乗り出し、自らお墨付きを与えて直弟子としたのも、そんなつまらない大人達から守るため、という側面が大きいとされる。
 史上最年少の『翠嶺の弟子』。
 『呪文摘みの架綯(カナイ・ザ・スペルピッカー)』。
 既存の魔法を極限まで研ぎすまして使用する巴が技巧者(テクニシャン)なら、既存の魔法を徹底的に研究し、全く新しい魔法を生み出す架綯のそれは技術者(テクノロジスト)。
 現代に置き換えれば、天才ゲームプレイヤーと天才ゲームクリエイターのような関係、とでも言おうか。
 この世で彼だけが持つ異能のスキルについては少々置くとして、典型的な机上学究型・理論タイプの魔術師、それが架綯という天才であることを、今は読者の皆様にご承知いただきたい。
 いつもながら前置きが長くなり過ぎた。
 何が言いたいかと言えば、要するに架綯という少年、『頭が良すぎる』のである。
 翠嶺が何かを教えたとして、翠嶺が言った事は当然のように100%理解する。さらにそこから、教えていないことも理解する。だからいちいち分かった、分からないなどと返事をする必要はない。
 そして悪いことに、翠嶺もまた教師として優秀すぎた。
 生徒である架綯が何を理解し、何を理解していないか、架綯が言わなくても分かっている。いや『分かってしまう』。
 結果として言葉も極限まで合理的になるし、いちいち確認もしない。二人きりで行われる授業は、だから他人から見ればほとんど禅問答だ。最近ではほとんど言葉も交わされず、構築された魔法式と組上げられた魔法陣が二人の間をふわふわと行き交うだけ、ということも珍しくない。こうなるともう、人型をした超高性能のスパコンが2台、超高速無線で演算情報を交換しているようなもので、お世辞にも人間的なコミュニケーションとは言えない。いやはっきり『非人間的』と言っても過言ではないだろう。
 「翠嶺先生。架綯の若先生が今、なぜこんな格好でいらっしゃるのかお分かりになりますでしょうか?」
 無代の声にはっ、と我に返り、シーツ製の珍妙な衣服に包まれた架綯を見る。架綯は小さくうつむいたまま。
 「実は若先生、お着替えを一枚もお持ちでないのでございます。ゲフェンの学会へ2泊3日。ですが、お泊まりの荷物は替えの下着さえお持ちでない」
 「……」
 声そのものは平坦だが、無代の声は相当に耳に痛い。それに翠嶺とて、そこまで聞けば事情は分かる。
 架綯は元々、賢者の塔の一般学生からスタートを切っている。だから最初はジュノーにある学生寮で暮らしていた。
 学生寮というものには、いつの時代もベテランの寮母なるものが不可欠で、子供たちの母親代わりを務めてくれるものだ。 架綯が暮らした寮も例外ではなく、多少おせっかいであっても食事や身だしなみ、生活態度まで踏み込んで面倒を見てくれたし、必要ならば叱ってもくれた。
 ところが最近、架綯はその寮を出ている。
 別に追い出されたわけではない。一足飛びに助教授となったため、今度は教職員用の宿舎へ個室を与えられたからだ。
 衣食住の面倒を見てくれる専属の家政婦まで備えた専用の部屋は、賢者の塔で学ぶ者の憧れでもある。仲間からは羨ましがられたし、架綯自身も有頂天になったものだ。
 だが話はそう簡単にはいかなかった。
 大人の世界の暮らしは、架綯にとって決して快適なものではなかったのだ。
 賢者の塔の教授陣といえば名は『賢者』だが、中身は逆に気難しく人付き合いの苦手な人種も結構いて、そういう人間ほど生活に他人が介入するのを嫌がる。だから職員宿舎の家政婦はあまり出しゃばった事をしない。
 有能なプロフェッショナルではあるが、それゆえに主人との関係はビジネスであり、言うなれば上司と部下の関係だ。使いこなすには、使う方の能力も問われるのである。
 当然、架綯にその能力は無い。それどころか『他に何か御用はございませんか?』と聞かれても、黙って首を振るしかできない。まして『ゲフェンに出張するから荷造りを頼む』などとは口にも出せない。
 そもそも出張先のゲフェン魔法使いギルドでは、それこそ背中に苔が生えたようなしたたかな実践魔術師達を相手に、膨大な魔法の情報を交換しなくてはならない。架綯にとってはそれだけで正直、いっぱいいっぱいだ。変な言い方だが『自分の面倒を見ている余裕』などなかったのである。
 だが無代が怒っているのは、実はそのことではない。
 大人達が架綯の世話を焼かなかった、それを怒っているのではない。
 もっと根本的な翠嶺の間違い。
 大人の事情と論理だけが幅を利かす世界に、子供だけ放り込む愚行、それに怒っているのだ。
 「どんなにお頭の出来がよろしくてもガキはガキ。ちゃんとガキ扱いして、ガキなりの道理から叩き込むのが大人の仕事でございます」
 子供をちゃんと子供扱いしろ、と怒っている。
 声が小さい、顔が上げられないなど道理以前の問題ではないか。
 「『早く大人になれ』は大人の手抜き。格好だけ繕って大人の真似をさせても、それだけで大人になれるわけがございません」
 人を預かったなら手を抜くな、と怒っている。
 子供に家政婦という『部下』を付けて、それで何もかも安心とは片腹痛い。
 「人を育てるには手間と時間がかかるもの。しかしこの手間と時間を惜しんで、他の何に費やすと申されますか」
 人を作るより大事な事はないのだ、と怒っている。
 「……わかった」
 どうやら翠嶺の負けのようだった。
 また言い訳になるが、翠嶺もここ一年はエンジュとヒイラギの失踪、そして『BOT』の事件に没頭し、ジュノーにさえほとんど帰っていない。
 手紙をやりとりすることで、架綯の様子は把握していたつもりだったが、きちんと整えられた手紙の内容を読むだけで『良し』としていたのは結局、架綯という少年の優秀さに、逆にこちらが甘えていたのだ。
 思えば翠嶺が旅の供としていたエンジュとヒイラギも、同じように優秀な子供達だった。長くパートナーであった亡き瑠璃花(ルリハナ)の子供達なのだから当然だ。彼女がいちいち気にかける必要を感じなかった。
 いや、感じさせずにいてくれたのだ。
 (私は恵まれすぎていたのか)
 逆の意味の反省が、胸を刺す。
 (ごめんなさい。エンジュ、ヒイラギ)
 しばし目を閉じ、今も自分の近くにいるだろう双子の少年の魂に、内心で謝罪する。 
 そしてぱちり、と目を開けると、
 「……無代、教えて頂戴」
 「何でございましょう、先生?」
 床に正座したままの無代へ、翠嶺が肩越しに視線を投げる。
 「大人が子供に謝るには、どうすればいい?」
 翠嶺の声は優しい。
 「いかにも簡単なことでございます、先生」
 応えた無代、本当に腹の底から嬉しそうな笑顔。彼が翠嶺を尊敬していることは本心であり、その翠嶺がちゃんと分かってくれたことを心から評価しているのが分かる。
 「子供と話す時は、目の高さを子供に合わせる。それだけでよろしゅうございます」
 あとはどうぞお心のままに、と促された。もちろんそれだけで済む話ではあるまいが、この青年はそこまで手取り足取り教えてはくれない。自分が考えるべき場面で、代わりに考えてくれたりはしないのだ。
 椅子を立ち、テーブルを避け、ベッドの側に片膝をつく。架綯の顔が正面。だがその目はぺたり、と下を向いたままだ。
 「架綯」
 できるだけ優しく声をかけるが、その目は伏せられたまま。自分の事で、無代と翠嶺の間に強いやりとりがあった、その事が、この少年にはもう耐えられない。
 まして翠嶺が謝罪する、と言われても、どうしたらいいのか分からないのだ。
 「若先生、まずは目をお上げ下さい。先生の御前でございます」
 無代の声が届く。言葉は丁寧だが、その声は決して甘くはない。
 「……架綯。ここが頑張りどころだ、しゃんと目を上げろ」
 びり、とその声が響く。そう、この青年は優しいけれど、決して甘やかしてはくれないのだ。
 その声に首根っこをつかまれるような思いで、必死に目を上げる。
 目の前に、エメラルドの輝きを放つ宝石のような美貌。
 「……済まなかった、架綯。これからは私がちゃんと、お前を叱ろう。私が叱れない時は、叱れる者を側に付けよう」
 「は、はい……あの……あの」
 「若先生。お礼を申し上げねば」
 知らないことは、ちゃんと教えてくれる。
 「はいっ! あ、ありがとうございます、翠嶺先生……」
 叱ると言われて礼を言うのも変だが、何とかお礼は言った。
 だがちらり、と見た無代の顔を見て、また困惑する。
 (それだけでは足りないぞ)
 無代の顔がそう告げていた。ただお礼を言うだけでは、翠嶺の気持ちと行いに報いるのには不十分だと。
 しかし具体的にどうすればいいのか、それは教えてくれない。知らないこと、分からないことは教えてくれるが、考えれば分かることは教えてくれないのだ。

 それは自分で考えろ、と無代の目が言う。
 他ならぬ自分のために本気で心配し、本気で取り組もうとしてくれる人のために、何かを伝えなくてはいけない。
 何を言うべきか、どう言うべきか、必死に頭を回転させるけれど、考えれば考えるほど真っ白になっていくのは致し方ない。
 でも、その真っ白な頭で絞り出した言葉は、野暮で不器用きわまりないけれど、それでも本当の気持ちを伝えることはできた。

 「翠嶺先生……大好きですっ!!」

 そう、架綯の若先生、それだけは間違いなくできたのである。

 さてこの『事件』の後、架綯は他でもないこの飛行船『マグフォード』に預けられ、事実上この船の上で成長することになる。彼の成長を見守る大人として、船長であるバークとその部下達を、翠嶺は選んだのだ。
 そして心身ともに成長し成人した後も、彼は飛行船を降りず、その一生のほとんどを空で過ごした。もちろん遊んでいたわけではない。賢者としてあらゆる危険な場所へ率先して出向く、徹底した現場主義という生き方を貫いたのだ。
 その航跡は海を越え天津、モスコビア、アユタヤは言うに及ばず遥か次元の彼方、未踏の異世界にまで及んだという。

 『虹渡りの賢者』

 賢者の塔に戻る事はおろか、地上に降りることすら稀だったことから、やがてそう呼ばれる事になる異色の天才。
 彼が少年時代に体験した、そしてその寿命の尽きるまで宝物のように語ったという、これが若き日の『やらかした記憶』である。
中の人 | 第十二話「The Flying Stones」 | 00:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十二話「The Flying Stones」(14)
 さて架綯の若先生の顔色が、D1の髪の色と同じくらいの真紅から、どうにか桜色ぐらいに落ち着くまで、結構な時間がかかってしまった。部屋の空気はまだざわついているものの、いつまでも寄り道しているわけにもいかない。
 「じゃあD1、カプラプログラムを調べますから両手の掌を広げて……下さい」
 懸命に取り澄ました声を出す架綯だが、盛大に恥をかいた直後だけに、どうも上ずってしまうのは致し方なかろう。
 頑張って体裁を整えようとすればするほど、余計に気まずくなっていく悪循環。こうなると助教授様の威厳もへったくれもあったものではない。
 「お願いします、架綯先生」
 そんな少年にどう接したらいいのか、D1もいまいち分からず、それでも言われるままに両手を出す。
 簡素なテーブルの上に広げられた手は、パラディンとして槍を握る手でもあるため、決して瀟洒とは言えない。だがそこはカプラの頂点、槍を使う時は常に厳重に手袋をし、爪や肌のケアにも徹底的に気を使っている。だからこの手は、ただ美しいだけで何も出来ない手とは根本的に異なる、明確な目的のためにきちんと磨き抜かれた、例えるならば高性能のスポーツカーか最新鋭の戦闘機のような逸品である。
 「……お、さすが仕事運すげえなあ。健康運も。あーでもココんとこで恋愛運が……うぉ痛えっ!」
 すぱーん! と小気味良い音を立てて頭を引っ叩かれたのは無代。
 「誰が手相を見ろと言った。お前は正座」
 引っ叩いたのはもちろん、翠嶺先生。
 「あ、いえ翠嶺先生、これが結構当たるんでございますよ? 瑞波でも名人と言われた手相見に習いましたので」
 「知らん。いいから座る」
 「ええー、でも先生、自分で言うものなんでございますが、さっきのイイ話で正座は帳消しでは?」
 「だめ」
 「何故に?!」
 「それとこれとは話が別。大体よく考えたら、お前に人の道を説教される義理はなかった。この女たらし」
 「非っ道ぇえっ!」
 架綯を巡るちょっとした幕間狂言を経て、お互いにいよいよ遠慮がなくなっている主従コンビ。その漫才のようなやりとりにD1、それに架綯までがくすくす笑う。
 もちろん無代だって今が切迫した状況だということは分かっている。だからこうして殊更にふざけているのはもちろんわざとであり、特に架綯が抱く気まずさをほどくためだ。
 無代に言わせれば、大人の真似事でしかない助教授様の威厳など糞喰らえである。十代の少年ならば不器用にぶつかり、笑われて恥をかき、顔を紅く染める今の方が、圧倒的に正しいのだ。
 外見ばかり気にして肩肘張って、それでいい結果など出せるはずがないではないか。
 そんな無代だからこそ、翠嶺もまた本気で怒ったり苛立ったりしてはいない。そうやってお互いを信頼した上での余裕を持ったやりとりは、見ていても心地よいものだ。
 「とにかくこれからが本番だ。邪魔せず黙って座っていろ」
 「………………鬼」
 「何か言ったか?」
 「は? いえ何も?」
 翠嶺に横目で睨まれ、しれっと真面目腐った顔に戻る無代に、D1がまだツボを突かれてくっくっと笑う。
 無代のそれが、場の雰囲気を和ますのが目的なのは間違いないが、それでもひょっとしたら半分ぐらいは単に面白がっているだけかもしれない。悪巧みや秘密主義といったネガテイブではなく、ポジティブな方で本音が読みにくい人間、というのも珍しい。
 思えば無代と共に『イトカワ』から落っこちて以降、ずいぶん自然に笑えるようになった気がする。あの牢獄に捕われていた時には当然、笑った事はなかったし、再び笑えると思えたことすらなかった。悲しみや悔しさや虚しさ、マイナスの感情ばかりだった。
 だが今はどうだろう。
 さっき架綯がやらかした『大好き宣言』にも、本当にこちらが参ってしまった。もちろん、良い意味でだ。
 言ってしまった架綯の顔、言われた翠嶺の顔、どちらも傑作どころの騒ぎではない。そして無代が大笑いしながら架綯の肩をばんばんと叩き、良く言った!!勇者だぜこの野郎!!と変な激励をするのも、翠嶺が苦笑いの一方でとても嬉しそうにほおを緩めるのも、真っ赤になって泣きそうな顔を、それでも一生懸命上げたままにする架綯も、誰もがとても好ましく感じられる。
 心が勝手にほかほかと暖かくなり、胸の奥に残ったマイナスの気持ちまでが、緩やかに溶けていくような。
 この場所で、この光景を見られた事を、誰かにそっと感謝したくなるような。
 「まったく、話が前に進まないだろう。架綯、構わないから始めなさい」
 「はい、翠嶺先生」
 「……何が可笑しいの?」
 「いいえ何でもないです先生。……じゃあ始めます」
 懸命に笑いをこらえながら、ごまかし半分で精一杯真面目な顔を作り、架綯が宣言する。どうやら気を取り直したようだ。
 「まずD1の掌にプリントされた『カプラプログラム』を可視化……します」
 架綯の手が、広げられたD1の両手の上をつい、と滑る。
 ぽう、と青白い魔法の光。
 つづいてぼわっ……! とD1の掌の上に浮き上がったのは、サッカーボールほどの大きさの『光の球』だ。
 「?!」
 息を飲むD1に、翠嶺が説明する。
 「これがカプラシステムへのアクセスプログラム『ゲートスフィア』。自分で見るのは初めて?」
 「……はい」
 D1の返答は小さい。
 自分の身体に、魔術式が仕込まれているのは当然、知っている。その魔法は一切のコピーが効かないため数が限られており、引退した先輩カプラ嬢から後輩へと引き継がれる習わしだ。余談だが過去、この限られたうちの数個がカプラ社からライバル社へ流出したことがあり、社内でも最大級の不祥事として封印されている。
 D1が持っているそれは、引退した先代のD3から受け継いだものだ。だがその引き継ぎ作業を見る事は許されておらず、彼女も目隠しをした状態で処置を受けたため、この状態を見るのは初めてなのだ。
 だが今、目の前にあるものは、彼女が想像していたものとはだいぶ違う。
 それは無数の小さな光の粒がランダムに、ざわざわと寄り集まった光の球で、美しいと言うよりはやや異様なものだ。
 「球の表面の一点をじっと見ていてごらんなさい」
 翠嶺に促され、目の前の光の玉を凝視する。と、いきなりその表面に変化が起きた。一見ランダムに見えた光の粒が、D1の視覚の中で一斉に整列したのだ。
 「え?!」
 D1が目を見張る。気づけば見つめていた一点を中心に、見事に複雑な魔法陣が描き出され、複雑な動きと回転を見せていた。
 だが、それだけではない。
 「そのまま球の上で、視線をずらしてごらんなさい」
 また言われるままに視線を動かす、するとどうだろう、球の表面に描き出された魔法陣もまた、D1の視線に追従するように、球面を滑らかに移動するではないか。
 「上下左右360度、どの方向から見ても同じ。私たちが普段使う魔法陣はただ水平面に描かれるだけだけれど、これは違う。三次元のあらゆる方向に対し、一切の死角なしに魔力を収束・拡散できる」
 翠嶺の声にも、微かな驚嘆の色が混じる。
 「『魔法陣(マジックサークル)』ならぬ『魔法球(マジックスフィア)』。現代ではもう組める者すらほとんどいない、超高度の集積魔法回路(インテグレィテッド・マジックサーキット)よ。私もこの目で見るのは数百年ぶり」
 聖戦時代の超絶技術を今に伝える、正真正銘の『戦前魔法(オリジナルマジック)』。D1はもちろん、無代でさえ茶々を入れるどころか声すら出せない。
 翠嶺が解説するところによれば、これを組んだのは翠嶺自身が魔法を習った事もある賢者だった。聖戦当時でさえ実現は不可能と陰口さえ叩かれた代物だったが、彼の友人や弟子達、総勢600人による同時多重詠唱(シンクロナイズド・マルチリーディング)を用いることで、見事構築に成功したという。
 「確かに理屈の上では可能でしょうけど、600人の術者が数百分の一拍も狂わず全く同じ呪文を詠唱するとか、技術というよりは力技だったわ。しかも詠唱に4時間近くかかる長呪文の同時多重詠唱なんて、現代で可能なのはせいぜい数人でしょう」
 規格外の術者がごろごろいた聖戦時代だからこそできたのね、と肩をすくめる。
 「その600人とやらに、翠嶺先生はご参加なさったので?」
 無代が興味本位で訊ねるのへ、
 「……んむ、先生に無理矢理引っ張られて、ね」
 翠嶺先生、遥か昔の事なのにここまでうんざりした顔ができるのは、どうやらよほど芳しくない思い出だったらしい。
 「さてこの魔法球、だからこそ千年近くも誰も破れなかったし、コピーすら不可能だったわけだけれど、それが破られた」
 翠嶺の視線が、若すぎる愛弟子に注がれる。
 「どうやって破ったか、お前ならどう考える? 架綯」
 「えと、さっき聞いた……お聞きした話から考えると……」
 「待って、架綯」
 魔法球から目を離すことなく応えようとする弟子を、翠嶺が柔らかく咎める。
 「こっちを見て話しましょう」
 「はい、先生」
  架綯が姿勢を正し、顔を上げる。そこは男の子、短い時間でぐっと成長するものだ。
 「検証が必要ですが、やはり同じ力技だと思います。先生」
 しっかりとした声で応える彼の周囲には、魔法球を探査するための複数の魔法陣が漂い、無代はもちろんD1にも全く理解不能な文字列や色光を放っている。その文字や光を顔に反射させた架綯の表情はもう、先ほどまでの未熟な少年のそれではない。この年齢にして助教授、いや実力なら教授職も何ら不足ではない、まさにプロフェッショナルのそれだ。
 「『力技』?」
 「BOT化されたカプラ嬢に命令して、一秒間に数百回という速度でカプラ倉庫を開け閉めさせる。しかもそれを数十人で一斉に、誰か一つの倉庫に向かって集中してやるんです」
 「……!?」
 「すると倉庫の開閉を担当する呪容体がオーバーフローを起こして破壊され、周辺の呪束帯に空白域が生まれる。通常これは時間が経てば自動修復するけど、その前に倉庫開閉命令に偽装したコード、それも侵入者の都合のいい命令を実行するコードを打ち込めば……」
 「カプラシステムに『穴』を開けて、そこからメインシステムに介入することも可能……か。何てこと、こうなると鉄壁どころかザルも良い所ね」
 翠嶺がふう、とため息をつく。
 「いいえ先生、そもそも呪容体に直接アクセスできる『ユーザー権限』を持ったカプラ嬢が、自分から侵入者になるなんてことは想定されてないと思う……思います」
 いかに分厚い城壁に守られた城も、城門の通行証を持った人間がスパイではどうしようもない。悠々と城内に入られた上に、警備の薄い城の内部から外へ向かって抜け穴を掘られ、悪意の敵を呼び込まれてしまったようなものだ。
 「しかも通常なら、受容体が破壊されるほどの無茶苦茶なアタックなんか絶対に不可能です。僕がやれと言われてもできません。『BOT化』された人間を無理矢理操るからできることで……」
 先ほどまでのたどたどしい喋りとは打って変わった、立て板に水を流す様な分析と論理。
 「確かにもう人間技ではないわね、それは」
 「カプラのアクセスポイントに立ってれば、アタックのための魔力供給もほとんど無限……無限ですし。ズルもいいところですそんなの」
 これこそが少年賢者・架綯の本来の姿……だとしても、それに少々異論のある者がいるようだ。
 「……あの、誠に申し訳ありません、若先生。翠嶺先生も、少々よろしいでしょうか?」
 今まで正座で黙って聞いていた無代が、軽く手を挙げて口を挟んだ。
 「何だ、無代?」
 「お邪魔を致しまして恐縮でございます。……大丈夫か、D1?」
 その一言で翠嶺と架綯、2人の天才がはっ、と表情を変えた。
 「大丈夫……大丈夫です、翠嶺先生。どうぞ私の事は気になさらないで」
 気丈に答えるD1だが、その目からは止めようのない涙がにじみ、頬の半ばまで濡らしている。こっそり拭おうにも、両手を差し出した姿勢ではままならず、隠す事ができなかった。
 架綯が分析するカプラシステム陥落の詳細、それはD1にとって、大切な物が奪われ陵辱される姿を、目の前で再現されるような苦痛を引き起こしたのだ。
 「ごめんなさい、D1」
 「すいません!」
 翠嶺に負けず劣らずのタイミングで、即座に謝罪できる分、短い間に架綯君も成長したものだ。
 ハンカチを手にした翠嶺が、D1の涙を拭ってやりながら、
 「……無代」
 「はい先生。少々お時間を」
 よどみなく立ち上がった無代が、早足で部屋を出て行く。どうでもいいがこの男、硬い床に長時間正座していても、足が痺れたりはしないらしい。
 「無神経だったわ。ごめんなさい、D1」
 重ねて謝罪する翠嶺に、しかしD1は強い目を向ける。
 「いいえ賢者様、泣いてしまったのは私の失態です」
 翠嶺のハンカチに目線で礼を贈り、しゃんと背筋を伸ばす。
 「申し訳ありません、架綯先生。せっかく分析していただいたのに、水を差してしまって」
 正面に浮かんだ魔法球越しに、架綯にも頭を下げる。
 「いえ……あの、少し休みますか、D1?」
 「いいえ、続けて下さい」
 心配そうに提案する架綯に、だがD1ははっきりと継続を願い出た。
 「なぜ負けたのか、それが分からなければ敵に勝つことはできません。お願いします、私のことは気にしないで、どうか続けて」
 「……!」
 初めて『勝つ』と口にしたD1の瞳、その強い視線に架綯はたじろぐ。机上での論争などはともかく、こういう直接的な戦意とか気合いといったものにはとことん慣れていない若先生だ。
 だが彼がたじろいだのはそれだけが理由ではない。
 (うわ……!)
 どきん、と、薄い胸の中の心臓が飛び跳ねる。
 カプラの頂点となるべく選び抜かれた抜群の容姿と能力、まさにハイスペックを極めた宝玉のような女性の本気の瞳。その迫力は、架綯のようないかにも免疫のない若い異性にとっては、ほとんど猛毒に近い。
 (うわわわわ……)
 いわゆる『キョドった』状態に陥ったとしても、そんな若先生を笑うのは気の毒だ。
 だが幸いな事に、助け舟はすぐに来た。
 「お待たせ致しました」
 待たせた、というほど待たせもせず、なかなかのタイミングで無代が戻って来た。その腕の中に、またいっぱいの荷物を抱えているのがこの男らしい。
 まず、どこから借りて来たものか大きなクッションを清潔なシーツで包み、これをD1の膝の上に抱き込ませる。テーブルの上には厚く畳んだタオルを敷いた。これで両手をテーブルに差し出した格好でも楽に、極端な話『居眠り』さえできるだろう。ついでにベッドに腰掛けたままの架綯にも、ベッドのマットレスを畳んで背もたれを作り、楽に座れるように細工してやることも忘れない。
 続いて施術の邪魔にならないよう、D1の艶やかなルビーの髪を一旦ヘアブラシで梳かし、後ろで大きな一本の三つ編みに結い落す。邪魔にならないように、というだけなら別に三つ編みにする必要はないのだろうが、最後に革紐で見事な蝶の姿を結び出す所まで、突っ込む暇すらない手際である。
 「……さぞや美女の髪で修行したのだろうな?」
 翠嶺が茶化すが、なぜか無代、これには乗って来ず、
 「いえ、誠に残念ながら先生、コレを修行しましたのは『野郎の髪』でございまして」
 と、むしろうんざりした顔をしながら、
 「もしこんな美女でございましたなら、しかし修行どころではございますまい」
 最後はにやり、と笑って見せたのだった。
中の人 | 第十二話「The Flying Stones」 | 00:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十二話「The Flying Stones」(15)
  髪を結い終えた無代が、D1の汗や涙をすぐに拭いてやれるよう、手にナプキンを引っ掛けたウエイタースタイルで、彼女の少し後ろに控えて立つ。さすがの翠嶺ももう『正座』とは言わないし、その位置に無代が立っているだけで、架綯も目に見えて安心しているようだ。
 無代がそこにいる限り、他の事は彼が何とかしてくれる。だから、架綯は架綯の仕事に集中すればいいのだ。
 最後に無代がD1へ短く耳打ち。彼女が唇の端に微かな苦笑を浮かべ、軽く顎を引いて応えたのを確認して退がる。
 くれぐれも余計なお世話ではあるが、耳打ちの内容は、
 「トイレは大丈夫か?」
 大丈夫、それはさきほど翠嶺の部屋で済ませてある。
 「……では続けましょう、架綯」
 「はい、翠嶺先生」
 「お願いします、架綯先生」
 全員の視線が再び魔法球に集まる。
 「じゃあD1、何でもいいので、カプラシステムにアクセスして……して下さい」
 「倉庫でいいですか、架綯先生? 今は開ける事はできませんけど……」
 少し前までは聞かれるのも辛い事実だったが、さすがに腹をくくったらしい。
 「大丈夫」
 「はい、では」
 D1の言葉と同時に、魔法球の表面に変化が起こった。
 彼女の正面方向に、その髪の色にも似た紅い光がぽう、と灯る。通常なら決して『見る』ことは不可能な、カプラシステムへのアクセスコマンドが可視化された光だ。
 だが真に驚異的なことは、そこから起きた一連の出来事だった。
 架綯の右手がひょい、と伸び、なんと指の先でその紅い光を『摘み取った』のだ。摘まれた光は無造作にぽん、と左の掌に乗せられる。
 「……?!」
 多少なりとも魔法の素養があるD1が、信じられないものを見る表情で、架綯の手元を凝視する。そもそも魔法が『見える』というのも異常だが、それを『手で摘む』というのはあまりにも常識外れだ。
 だが驚くのはまだ早い。
 掌の上の光に向けて、架綯の唇が微かな音を立てる。常人にはチッ、チチッ、キュッ、という鳥か虫の鳴き声のようにしか聞こえない、呪文の圧縮詠唱。
 架綯の魔法が発現する。
 掌の上の紅い光を取り囲むように二重、三重の魔法陣が描き出され、加速しながら回転・収縮していく。
 ぱちん!
 魔法陣の収縮が極小に達した瞬間、中心部の紅い光が一瞬、眩い光を放ち、その真紅の閃光が部屋の中を、そして無代やD1の目を打つ。
 光が消え、そして本当の驚異が姿を現した。
 「うお?! 何それ?!」
 無代でさえ、思わず言葉に『地』が出る。だがそれも当然の反応だった。
 光が消えた架綯の掌の上に、何かが乗っている。
 黒くずんぐりした身体に極短の四肢。というか、顔に直接四肢が生えているような異形の身体。手にはこれまた、役に立つのか正体不明の槍のような物を掲げている。見ようによっては可愛いと言えなくもない、ペットとして飼われることもある小型モンスターの姿。
 「『デビルチ』……?」
 D1が目を丸くする。
 「大丈夫、本物じゃない。さっきのアクセスコマンドを可視化して、さらにイメージ化したものです」
 架綯が、さすがにちょっと得意そうな声で説明する。しかし今はそれも許されるだろう。
 「『呪文摘み(スペルピッキング)』。この世の誰も持っていない、架綯のオリジナルスキルよ」
 翠嶺の解説が入った。
 「本来『概念』に過ぎない呪文を、まるで物体のように『手で掴んで』扱える。スキルとしては『マジックロッド』や『スペルブレイカー』、『ディスペル』の遥か上位ということになるかしら」
 『マジックロッド』、『スペルブレイカー』そして『ディスペル』は、架綯や翠嶺の職業『プロフェッサー』の下位職『セージ』のスキルだ。これらはそれぞれ、敵が使った魔法を魔力に還元して吸収したり、敵の魔法発動を妨害したり、既にかけられた魔法を解除したりすることが可能である。
 いずれも魔法理論に長けた賢者ならではの、精密な呪文制御あってのスキルと言えるだろう。
 だが架綯の持つこの『スペルピッキング』は、さらに別次元だ。
 呪文の綴りや踏韻といった、魔法の基礎となる部分を奇麗にすっ飛ばし、その結果だけをまるで玩具のように扱う。現代で言うならコンピュータープログラムの操作を無視し、いきなり画面上のゲームキャラクターを直接改造したり、動かしたりするようなものだ。
 極端な話、架綯の前では総ての魔法は玩具と同じである。
 要するに『反則』、まるで『魔法のような魔法』。
 「行け」
 掌の上の、通常よりだいぶミニサイズのモンスターに架綯が命令を与える。ぴょん、と飛び出したデビルチが一飛びで光の球に飛び込み、すうっ、と吸い込まれていく。
 「D1の『ユーザー権限』をそのまま持たせてあるから、そのままカプラのネットワークに入れるはずだけど……ですけど」
 架綯が手元の魔法陣を指で操作しながら、次々に浮かび上がる情報に目を走らせる。
 「……っと、止まった。ココだ」
 架綯が軽く手招きすると、光の球の中からデビルチが戻って来た。その口に何かを咥えている。
 「これがカプラネットワークに接続するための呪容体のコピー。ネットに接続できないのは、ココが破壊されているのが原因……です」
 架綯が説明するが、その目はデビルチの口に咥えられた、何かの欠片から離れない。しかもその表情が、みるみる険しくなっている。
 はっきり言うなら若先生、怒っていらっしゃる。
 「どうした、架綯」
 翠嶺が尋ねるが、やはり視線を動かさない。
 「いえ……すいません。ちょっと……ひどいので、頭にきて」
 「ひどい?」
 「ここ、呪容体の魔法式を書き換えるとかじゃなくて、ただ壊して放ったらかしにしてあるんです。それも多分、ハッキングした時と同じ力技で」
 架綯のいう力技とはつまり、BOT化したカプラ嬢を使い、強引にアクセス過多を引き起こすあれだ。
 「……自動修復プロセスまで壊すとか、えげつないことしやがって……」
 ぶつぶつ言いながら、デビルチから受け取った欠片を掌に乗せる。またチッ、チチッという鳥の鳴き声。再び魔法陣が起動し、光を放つ。
 「よし、これで……行ってこい」
 掌に残った欠片を再びデビルチに咥えさせ、光の球に放つ。
 「直せる?」
 「直します」
 架綯が翠嶺の目を真っすぐに見て即答する。
 「こんなレベル低い真似、許せない」
 珍しいほど架綯が熱くなっている。
 恩師である翠嶺さえ一目置くこの魔法球を、不細工な力技でこじ開けた上に、同じ手口で傷つけて平然としている。その低劣な行為に対して、まるで自分のプライドが傷つけられたように感じているのだ。魔法球を構築した大先輩達、その技術と志の高さを我がことのように感じられる架綯だけに、その怒りはなおさらだ。
 「……っと、アクセス!」
 架綯の周囲に浮かぶ魔法陣が、一斉にグリーンの光を灯す。
 「直ったの?」
 「はい。でも待って……下さい、ネットワークが敵に監視されているかも。チェックしますから」
 翠嶺に力強く頷いておいて、掌にまた鳥の鳴き声を吹きかける。するとそこに、今度はデビルチそっくりだがやや色の違うモンスターが大量に発生。
 『ミニデモ』だ。
 「行っけ!」
 ダース単位で出現したミニデモが、わーっという勢いで光の球に殺到する。同時に架綯の周囲に、監視の魔法陣が一斉に花開いた。あまりの満開ぶりに、周囲からは架綯の姿がよく見えないほどだ。
 「よっ……と」
 手元に次々と戻って来るミニデモ、その口に咥えられた呪文の欠片を受け取っては、細工をほどこして送り出す。
 そんな作業を10分も続けたろうか。
 「……ん、よし」
  仕事を終えたらしく、架綯が周囲の魔法陣が一斉に閉じられる。残ったのは大きめの数個だけだ。
 ずっと目の前に浮かんでいた魔法球も消える。
 「もういい……いいですよ、D1。あとはこっちから操作できます」
 ふう、とD1がため息をつくと、無代が素早くクッションを外し、タオルを渡す。用意済みだった冷たい紅茶が全員に配られる。
 「どうなの、架綯」
 「はい先生。まず、D1がカプラシステムを使えるように修復しました」
 翠嶺の質問に、もらった紅茶を一気に飲み干した架綯が答えた。空になったカップにはもちろん、すかさずお代わりが注がれる。
 「敵に気づかれて、また止められるんじゃない?」
 「大丈夫です」
 翠嶺が確認するが、架綯は自信たっぷりである。
 「敵がカプラのメインシステムに掘った穴を、逆にこちらが利用できるように細工したんです。これなら敵に気づかれることはない」
 架綯の指が、浮遊する魔法陣の上を滑る。
 「敵も同じ穴からアクセスされると思っていなかったんでしょう。何の監視もなかった……ありませんでした」
 例えば難攻不落の城壁に抜け穴を掘り、見事に城を落としてしまった敵に対して、今度は同じ穴から攻め込んで城を取り返そう、というわけだ。
 「いっそ穴を塞いでしまえないの?」
 翠嶺が提案するが、架綯は首を振る。
 「塞ぐ事はできますが、多分またすぐ掘り返されます。敵は今も力技を繰り返して、メインシステムを掘り返してる真っ最中のようですから」
 架綯の指が、魔法陣に浮き上がった文字列を示す。
 「……システムの『管理者権限』を奪うつもりね」
 「はい、多分。でもそうなったら厄介です。メインシステムを掌握されて、D1の『ユーザー権限』まで消されたら、今度こそ手が出せなくなります」 
 システムを管理するための最上位権限を持ってすれば、無理な力技でハッキングなどしなくても、D1を始めとするカプラ嬢の全員を簡単にアクセス禁止にできる。こうなると抜け穴を通るどころか、城壁に近づくことすらできなくなってしまう。
 「その前に何とかできる?」
 「無理です。パワーが足りない」
 架綯が首を振る。彼から見れば、はっきり言って敵の技術レベルは低い。しかし『BOT』化されたカプラ嬢数十人を操っての力技は、技術レベルの差を埋めて余りある脅威だ。架綯一人の魔力と技術で対抗するには相手が悪すぎる。
 「なら、パワーがあったら?」
 「少なくとも、これ以上穴を広げられないように防御はできる……できます」
 「よろしい。手を出しなさい、架綯助教授」
 魔法技術の頂点ともいうべき師弟の間で、話がまとまったらしい。
 翠嶺が自分の首に手を回し、その豊かな胸元からきらり、と輝く小さな首飾りを抜き出した。背後に軽く視線を送れば、それだけですぐに無代が飛んで来て、首の後ろにある鎖の金具を外してくれる。
 翠嶺が優美な指で首飾りを摘み、差し出された架綯の掌に落とす。
 「『放浪の賢者』の名において、『ユミルの心臓』の無制限使用を許可します。ジュノーに帰ったらすぐに、あらゆる手を尽くしてカプラシステムを守りなさい」
 「はい、翠嶺先生」
 架綯が緊張した面持ちで首飾りを受け取った時には、もう無代が彼の側に移動してしいる。そして頼まなくても首飾りを彼の首へ付け直してくれる。
 「それが『心臓』の内部に入るためのキーよ。一つしかない上に、私以外には複製できない」
 翠嶺の言葉は、架綯は当然承知していることなので、これは無代とD1への説明である。
 「さて、ではD1。カプラシステムを使ってみる?」
 翠嶺の言葉に、D1の顔がさっ、と強ばる。
 「はい……翠嶺先生」
 自分でも固いと分かる声しか出せない。
 一度疑いを抱いてしまったカプラシステムへのアクセス。覚悟を決めたつもりでも、やはりそれを目の前にすれば、恐れや迷いと無縁ではいられないのだ。
 それでも意を決し、背後の無代を軽く振り向くと、またすぐに飛んで来て椅子を引いてくれる。
 立ち上がり、テーブルから離れて背筋を伸ばす。カプラ嬢としてカプラシステムを使うなら、『座ったまま』はあり得ないのだ。
 翠嶺、架綯、そして無代の視線が自分に注がれているのを感じる。
 だがその視線を感じた瞬間。
 (……!)
 全身から冷たい汗が吹き出した。
 かつては数十人、多い時なら千人級の冒険者達に囲まれ、その視線と要求を一身に受けても、呼吸一つ、胸の鼓動一つ乱れなかったのに。
 ぎゅっ、と掌を握る。
 怖い。
 ずっと拒否され続けて来たアクセスが、本当に復活しているのか。架綯はああ言っているが、もしまた拒否されたら……。
 そして何より『カプラの魔』を根幹とした、そして既に敵の手に犯されてしまったカプラシステムに対して、再びアクセスする事にどうしても拒否反応がある。
 自分が清浄と信じてずっと飲み続け、人々にも分け与えてきた小川の清水が、実は得体の知れぬ異界から流れ出していたと知らされたような違和感と嫌悪感。
 目の前が暗くなり、嘔吐感すらこみ上げる。
 (……どうした! カプラの誇りを守るんじゃなかったのか、D1の責任を果たすんじゃなかったのか!)
 ひたすら自分を叱咤し鼓舞するが、やはり心は動かない。ただ思うだけでいい、もう息をするのと同じぐらい身に染み付いたアクセス。
 だが、それがどうしてもできない。
 頭がぐらぐらと揺れ、身体から力が抜けて行く。
 (……だめ……)
 ここで自分が倒れてしまっても、身体は無代がすかさず支えてくれるだろう。あのカツギの技で翠嶺の部屋に運び、ベッドを借りて寝かせてくれるだろう。しばらく休めば気持ちも、身体も落ち着くかもしれない。
 (だが私の心はもう、きっと二度と立ち上がれなくなる)
 はー、はー、という、滑稽なほど荒い自分の呼吸音。ぎーんと響く耳鳴り。
 ああ、おかしくなりそうだ。
 その時だった。
 こんこん、と、部屋のドアがノックされた。
 D1を含めた全員がはっ、と我に返る中、無代がまたするりと動き、落ち着いた声で応対する。
 ノックの主は草鹿少年。そして無代が仲介した用件は、
 「D1。バーク船長が、アンタに甲板へ来てほしいそうだ」
 その用件は、思いがけないものだった。
 「この飛行船に武装した鷹が接近している。それがどうも、カプラG1の鷹『灰雷(ハイライ)』らしい」
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第十二話「The Flying Stones」(16)
  先刻と同様にコートを借り、再び甲板に出てみると、またしても冷たい風がD1を出迎えた。髪は三つ編みに結ったままなので乱れる心配はないが、経験からフードは被りっぱなし。
 架綯の部屋で行われていたカプラシステムへのアクセスは一時中断、D1と翠嶺、そして無代の三人が、同じコート姿で甲板に移動している。
 架綯は洗濯中だった教授服が乾いたので、草鹿の付き添いで着替え中。ただ呼吸器の弱い彼に甲板の環境は過酷なため、着替えが済んでも部屋で留守番、という手はずである。もちろん留守番と言っても決して仲間はずれではなく、カプラネットワークの監視等、むしろ彼の仕事は多い。なお洗濯・乾燥がずいぶん早いのは、飛行船が太陽光線と風に不自由しない乗り物だからである。
 飛行船のエンジンは停止中。つかの間の静寂に包まれた甲板で、バークが出迎えてくれた。
 「こんな場所までお呼びたてして申し訳ありませんD1。翠嶺先生も、お邪魔してしまったのでは」
 申し訳なさそうに謝罪する。D1達と同じコートに、首から双眼鏡を下げたスタイル。彼の周囲では、やはり同じスタイルのクルー達が10人ばかり、周辺の監視や銃を持って警戒に当たっており、いかにも物々しい雰囲気だ。
 「大丈夫よ提督。ちょうど一段落ついたところでした」
 翠嶺の言葉はもちろん真実ではない。だがバークとD1、両方の立場を考えれば嘘でもない。
 「ところで『G1の鷹』ってどういうこと?」
 「はい。口で説明しますより、直接ご覧になって頂いた方が早いかと。あそこです」
 バークが指差す空は、どこまでも続く青色をバックに、いくつかの白い雲と浮遊岩塊が入り交じる不思議な空。
 そこに確かに、一羽の鷹が飛んでいた。
 まだ少し距離があるが、それでも翼を広げて悠々と滑空するそのシルエットから、かなり大きな鷹であることが見て取れる。しかも足や嘴に鋭い金属の輝きをまとうのは、狩りや戦闘に特化した『武装鷹(アームドホーク)』である証拠だ。
 そしてその翼。煙るような灰色に、純白の刺し色を纏った珍しい色。
 「あの羽毛の色。『グラリスNo1』の愛鷹は、我らジュニ(ジュノーっ子)にはお馴染みです。間違いないと思いますが、事態が事態ですので確認をと思いまして」
 確かにジュノー市民にとって、カプラ『グラリス』は見慣れたカプラ嬢だ。というよりジュノーっ子にとっては、カプラ嬢といえばグラリスのこと、と言っても過言ではない。なぜかと言えば、ジュノー市内3カ所のカプラポイント、その総てが『グラリス』の担当だからだ。ここまで集中的に同じカプラ嬢が配置されている街は、ジュノーの他に例がない。
 制服の肩に『螺旋』を持たない『無螺旋(ノースパイラル)』グラリス。
  そして、このグラリスチームを束ねるリーダーこそ、『鷹カプラ』ルフール・シジェン。
 恐らくは大陸一有名な鷹師、その人だ。
 全カプラ嬢の中で唯一、鷹と共に町角に立つ事を許されたこの希有のカプラ嬢は、フェイヨンの猟師出身。
 カプラの教導師範チーム『グラリス』の一芸枠で試験を受け、長い下積みの末にトップ嬢を勤めるまでになった。その経歴と実績、冷静沈着な人格には定評があり、D1を含めたカプラ嬢全員から実の姉のように慕われている。
 あの『イトカワ』に捕われていた時、無代も彼女と面識を得ているが、その際も離ればなれにされてしまった愛鷹を、
 『ちゃんと餌をもらえているといいけれど』
 と、常に心配していたのは記憶に新しい。
 「間違いありません。あれは確かにG1姉さんの『灰雷(ハイライ)』です。……でもなぜここに?!」
 D1がその姿を確認したその時だった。
 (……これは!?)
 身体に突き刺さる様な、強烈な視線を感じる。それは間違いなく、空を駆ける灰色の雷からのものだ。
 そしてその感覚には憶えがある。
 彼女が一人で、最初に甲板に出た時に一瞬感じた射るような視線。間違いなくあれと同じものだ。
 「……そうか、私の髪!」
 D1の脳裏に閃きが走り、ほとんど無意識にコートのフードを脱ぎ、三つ編みの髪を引っ張り出す。
 「無代!」
 声をかけるまでもない。すでに無代の手が、真紅の三つ編みを括る蝶の結び目をほどいている。さらにその手がささっ、と髪を撫でたと思うや、三つ編みがするするとほどけて風に舞う。
 「灰雷っ!」
 D1が空へ向かって叫んだ。
 一人で甲板に出て、洗ったばかりの紅玉の髪を風に任せたあの時。灰雷はこの髪の色を遥か彼方の空から、文字通り『鷹の目』で捉えた。その視力を持ってすれば、真紅の髪を持つカプラのNo1を特定するなど朝飯前だろう。
 この輝き、空にあるはずのない真紅の光が、あの鷹をここへ導いたのだ。
 しかしそれでも謎は残る。
 「……でも、あの子は姉さんが捕われた時、ジュノーの宿舎の鳥小屋にいたはずです。どうやってここに……しかも武装しているなんて、一体誰が?」
 確かにおかしい。
 鷹が自ら鳥小屋を破って脱走する、それはまあ可能性としてゼロではない。が、武装となると話は別だ。必ず誰か人の手が、それも鷹師の訓練を積んだ何者かの助けがなければ、鷹が自分で身体に武装を施すことは不可能なはずである。
 D1が見上げる中、灰色の鷹はついに『マグフォード』の直上に達し、そこで大きくぐるりと円を描く。
 「灰雷! こっちよ!」
 紅玉髪をなびかせながら頭上の鷹に呼びかけると、その声に導かれた灰雷が、甲板めがけて下降してくる。だがそれを遮るように、
 「待ったD1! 武装鷹がそのまま降りたらえらいことになっちまう!」
 無代の大声が甲板に響いた。
 D1、そして翠嶺が驚いて振り返ると、ちょうど無代が何かの準備を終えて立ち上がったところである。
 準備とは、自分の左腕を太いワイヤーでぐるぐる巻きにすることだ。無代達を山の上から甲板に吊り上げるのに使われた、あの荷役用のワイヤー。頑丈な針金を大人の親指より太く縒り合せて作られており、これを腕に巻けば即席の防具になる。
 「よぅし! お願い致します!」
 無代が後ろに声をかければ、背後に控えていた屈強の水夫2人が、無代の腰と左腕をがっちりと支える。一見すると暴れる無代を取り押さえているような、いっそ滑稽にさえ見える構図だが、本人達はいたって大真面目。
 「灰雷! こっちだ! 来い!」
 ばぁさっ!
 降下途中だった灰色の巨鷹が、人々の頭上で翼を一打ち。急激な方向転換で発生した突風が甲板を襲い、翠嶺が被ったコートのフードが後ろにはね飛ぶ。
 ばさばさばさっ!
 着地の軌道を変えた灰雷が、無代の腕めがけて着地する。
 ぐわっきぃぃん!!
 「うわわわ……っ!」
 ただ鷹が着地しただけのはずなのに、まるで艦上戦闘機が空母に着艦でもしたかのような金属衝突音。着地を腕で受け止めた無代はもちろん、それを支える巨躯の水夫達ごと、甲板をずざあ!!と後ずさる。
 「痛っ……てえ!!」
 無代の顔が苦痛に歪む。確かにちょっとした子供ほどもある大鷹は、その体重も半端ない。が、それだけではない。
 そこに止まったのは武装鷹(アームドホーク)。
 左腕に巻き付いたワイヤーをむんずと掴んだ両足は、その爪の先から足首、膝の関節に至るまで頑丈な金属のパーツでがっちりと鎧われている。鋭い嘴には、まるで短剣の切っ先のような金属の刃がインプラントされているし、羽も一部が金属に、それも剃刀のように薄く、強靭な刃に置き換わっている。さらに見た目ではわかりにくいがその目も、瞳を保護する特殊な魔法皮膜で覆われているのだ。
 それらはすべて、洗練を極めた軽量・高剛性の鎧(アーマー)。と同時に、恐るべき殺傷力を秘めた武器(ウエポン)でもある。
 しかも改めて近くで見ると、その大きさに驚かされる。体長は1メートル近く、翼を広げればその倍以上は軽くあるだろう。
 鷹の種類によってはもっと大きなものも存在するが、速度とパワー、そして機動力のバランスという観点から見ると、この『灰雷』のサイズはほぼ上限いっぱい。パートナーである鷹師とリンクした時の戦闘能力を想像しただけで、そら恐ろしい気分にさえなる。
 だが別に鷹師のサポートがなくても、その脅威が減じるわけではない。
 「無代、血が!」
 D1が声を上げた。灰雷を止まらせた無代の腕から、結構な量の血が滲んでいる。
 「ああ、参った。やっぱワイヤー巻いたぐらいじゃ駄目だわ。エルニウムの大弽(オオユガケ)でないと」
 たいがい我慢強いあの無代が、本気で顔を歪めながらぼやく。
 無代の言う『弽』とは、鷹を腕に止まらせる際に腕に装着する手袋のような道具のことで、一般的には革で作られている。しかしこの灰雷クラスの武装鷹が相手では、革だろうが即席のワイヤーだろうが、結局は紙と変わらない。耐久性に秀でた魔法金属であるエルニウムを加工した、特殊な防具が必要不可欠なのだ。
 「持って来ました無代さん!!」
 甲板への気密扉を勢いよく開けて現れたのは、少年水夫の草鹿だった。肩に無代の斧『ドゥームスレイヤー』を重そうに担いでいる。無代が架綯の部屋に伝令を頼み、武器掛けから持って来させたらしい。
 「ありがとうございます、草鹿さん。……んーと」
 腕に灰雷を止まらせたまま、無代がきょろきょろと甲板を見回す。
 「貸せ、草鹿」
 そんな無代の横をさっと追い越し、バークが草鹿少年に近づいて手を出した。
 「?! あ、はい、船長殿!」
 慌てて肩に担いだ斧を渡す。それを片手で受け取ったバークが、そのまま思い切り頭上に振り上げた。
 「バークさん?!」
 無代が目を丸くする。もちろん、止める暇などない。
 「むんっ!」
 ごすん!!
 巨斧のゴツい刃が真下、ぶ厚い木の板で作られた飛行船の甲板へ、深々と叩き込まれた。ちょうど斧の柄が甲板と水平になる。
 『呪い砕き』の名を持つこの巨斧は、巨大な刃を支えるために柄も相当頑丈に作られている。それも金属の箍を幾つも叩き込んだ、それ自体がちょっとした棍棒としても使えそうな代物だ。
 なるほどその太さといい、鷹を止まらせる止まり木にぴったりである。
 「こんなところでよろしいですか、無代さん?」
 「いや……あの、よろしいので? バークさん」
 無代の意図を察したとはいえ、自分で自分の船を傷つけてなお、平然とそう尋ねてくるバークに、むしろ無代の方が戸惑っている。確かに無代も、斧の柄を止まり木にするつもりではあったが、何か適当な台に固定しよう、と思っていただけで、甲板に直接叩き込もうなどとは思ってもいなかったのだ。
 だがバークは平気な顔で、
 「構いません。それに、これなら板を一枚交換すれば済む。あのまま着艦されたら甲板ごとズタズタにされるところでした。それを思えば安い物です」
 私とした事がうっかりしていました、とバークが苦笑いする。
 「そんなことより早く。無代さんの腕の方が心配だ」
 「ありがとう存じます。すまん灰雷、とんだ台架(ダイボコ)もどきだが、ちっと我慢してくれ」
 バークに頭を下げた無代が、一方で灰雷に謝りながら斧の柄に移す。『台架』とは、鷹を止まらせるための止まり木を指す言葉である。
 灰雷がひょい、と止まり木を移ると、さしもの巨斧がみしり、と軋みを上げた。しかし十分に深く打ち込まれた刃は、見事に武装鷹の体重を支え切る。
 「あぁ痛って……ぇぇ」
 代わりに無代が呻き声を上げながら左腕を押さえ、甲板にべったりと座り込んだ。見れば腕に巻き付けたワイヤーが見るも無惨に腕の肉に食い込み、あちこち紫色に腫れ上がって血が滲んでいる。しかもワイヤーをよく見れば、半ば千切れかかっている部分まであるではないか。
 武装鷹の爪の威力こそ恐るべし、まかり間違って素手にでも止まらせようものなら、一瞬で肘から先を千切り落とされるだろう。
 「ヒール!」 
 「うぎ……ゃっ!!」
 駆け寄って膝をついたD1がヒールを贈ってくれるが、ご存知の通り彼女のヒールは『殴り型』だ。爆発的に効く反面、傷口に消毒液を直で、それも高圧洗浄機か何かでぶっ放されたような衝撃があり、辛抱強さには定評のある無代ですら思わず悶絶、甲板をごろん、と一回転。
 「だ、大丈夫か無代?」
 「い、いや……大丈夫……」
 とは言うが、甲板に突っ伏してひくひく震えている様子から、どう見てもやせ我慢である。
 「……それよりD1、灰雷の足に通信筒が……」
 顔も上げられない無代が、辛うじて指だけで灰雷を指す。見れば確かに、武装で固めた鷹の両足一つずつ、小さな筒が取り付けられている。
 伝書に使われる通信筒だ。
 D1が恐る恐る一つの蓋を開けると果たして、くるくると巻かれた小さな手紙が入っている。もう一つの筒には数枚の『蝶の羽』。
 手紙を取り出して広げ、目を通す。
 甲板にいる全員の視線が、小さな紙片を握ったまま跪くD1に集まる。
 「……D1?」
 沈黙してしまったD1に、翠嶺がそっと声をかけた。が、D1はそれに応えず、しかし小さく唇を動かす。

 ……かぷらしゃこうあんぶもんとりしまりやく、ひるめす・あいだによるしゃないてろはっせい
 (……カプラ社公安部取締役、ヒルメス・アイダによる社内テロ発生)

 かぷらじょうのたいはんがらちされ、じゅのーふゆうがんかいのいずれかにゆうへいされた
 (カプラ嬢の大半が拉致され、ジュノー浮遊岩塊のいずれかに幽閉された)

 がんかいのとくていときゅうしゅつはは、こうあんないぶのうらぎりによりしっぱい
 (岩塊の特定と救出は、公安内部の裏切りにより失敗)

 かぷらこうあんはかいめつ、もうだれもしんようできない
 (カプラ公安は壊滅、もう誰も信用できない)

 のこったのはわたしだけ、だがあきらめずたたかいつづける
 (残ったのは私だけ、だが諦めずに戦い続ける)

 ねがわくば、きぼうがいつもそばにいるように
 (願わくば、希望がいつも側にいるように)

 カプラ社公安部二課 エスナ・リーネルト

 「……」
 しん、と甲板に沈黙が落ちた。
 エスナと名乗る公安員の手紙は、短い上に文字も荒れ、推敲する時間もあまり無かったことがうかがえる。情報を伝えるにしても、正直言って要領を得ているとはいえない。情報部員としては失格もいいところだ。
 だが彼女を責めるのは酷だろう。
 この手紙を受け取る者が誰なのか、いやそもそも受け取る者がいるのか、書いた本人にさえ定かではない。そんな過酷な状況下で書かれたものなのだ。どうしようもない絶望の縁で、いるかどうかもわからない『誰か』に向けて放たれた言葉。
 だが、それは決して妄想でも、まして遺書などではない。
 襲い来る過酷な運命に対して叩き付けられた、それは宣戦布告の文書。
 和平も降伏も頭から拒否し、なお戦い続けることを、何よりも自分自身に宣言した血判の書状なのだ。
 エスナ・リーネルト。この手紙の送り主がまだ、たった一つの命を抱いて走り続けているか、それとも戦いの果てに逝ったか、今それを知る術はない。
 ただバークを始め、船員達は静かに敬礼を。
 翠嶺と無代は目を閉じて、彼女の幸運を祈る。
 そしてD1は。
 「無代」
 短い呼びかけと同時に、脱ぎ捨てた革コートを放り投げた。無代が急いで身体を起こし、両手で抱き込むようにキャッチ。
 手紙を丁寧に畳んでシルクローブのポケットにしまい、すらり、と立ち上がる。
 解放された紅玉の髪が、折しも吹き上げた甲板の風に乗り、まるで炎が立ち上るかのように天を突いた。
 蒼空の下の幻の炎。だが見る者が全員そう錯覚したのには、もう一つ理由がある。
 D1の身体から立ち上る不可視の、だがほとんど可視と言ってもいいオーラだ。
 イトカワに捕われて以来一度も見ることのなかった、カプラの頂点だけが持つ威容なる気配が見せる、それは炎の幻。
 (……戦っていた)
 胸ポケットの手紙を想う。
 それを送り出したカプラ公安部は、かつて自分が落ちこぼれ組と馬鹿にし、胡散臭いと排斥し、そして真っ先に裏切ったに違いない、と疑っていた者達だ。手紙の主エスナ・リーネルトとは面識もある。美しい紫の髪をした、感情の読めない女性スナイパー。それがまた胡散臭さに拍車をかけるような気がして、余計に反発を募らせたものだ。
 だが彼女は戦っていた。
 最後の一人になってなお、D1達を助けるため、カプラ社の闇に立ち向かっていた。
 その戦いがいかに絶望的だったかは容易に想像できる。公安部のトップであるアイダ専務自身が裏切っている上に、同僚達の肉体を乗っ取った『BOT』までが跳梁しているのだ。
 本当に、誰も信用できない戦いだったろう。
 そしてついにどうしようもない状況に追い込まれた時、彼女はおそらく最後の望みを託してジュノーのカプラ宿舎に忍び込み、鳥小屋に放置されていた灰雷を解放した。
 スナイパーである彼女なら灰雷を武装させる事も可能だし、鷹師の操る鷹は人語を相当なレベルまで理解できる。その知恵と翼を持ってすれば、この空のどこかに囚われている主人『G1』や、カプラ嬢達を見つけ出せるかもしれない。
 そのわずかな希望と、この手紙と、そして『イトカワ』脱出のための蝶の羽を持たせ、ジュノーの空へ送り出したのだ。
 (……ありがとう)
 D1の心に浮かぶのは感謝の言葉。
 結論を言えば、エスナの行為は無意味だった。
 もしこの蝶の羽が届いたとしても、『イトカワ』脱出は不可能だったからだ。捕われたカプラ嬢達は全員、カプラのユーザー権限を奪った敵によって、肝心のセーブ位置が消されてしまっていた。こうなってはアイテムを使おうが魔法を使おうが、空間を超えるその力は発揮できないのだ。
 だが。
 (ありがとう……エスナ)
 彼女の行為が『無意味』だったとしても。
 それは決して『無駄』ではなかった。
 なぜなら。

 そう、なぜならば。

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第十二話「The Flying Stones」(17)
 D1こと『ガラドリエル・ダンフォール』は、ルーンミッドガッツ王国の首都・プロンテラで生まれ育った生粋の『プロノ(プロンテラっ子)』だ。
 父は代々続いた教会の聖堂騎士で、彼女はその一人娘である。
 そして母は、若き日にD1への夢破れた、元カプラ嬢だった。だから、
 『娘をカプラ嬢に。そしてD1に』。
 それが両親の悲願となったのは、ごく自然なことと言えるだろう。破れたとはいえ母親は元D1候補、血筋に問題はないし、父親の家系も教会の保証付きだ。
 ただ、一家には別の問題があった。
 ガラドリエルがカプラ嬢になるにしろ何にしろ、女である以上家督を継ぐことはできない。だからそのままでは『ダンフォール』の家名は絶えてしまう。
 貴族社会ではこういう場合、一人娘であるガラドリエルに婿を迎えて養子とし、これを跡継ぎにして家名を継がせるのが一般的だ。
 だがその場合、今度は娘を『D1』にするという夢を諦めねばならなくなる。
 カプラ嬢が結婚すること自体は制度上、特に禁じられてはいない。確かに仕事と家庭を両立するのは大変だが、決して不可能でもない。事実、既婚のカプラ嬢は存在するし、出産し子供を持つ者もいる。
 ただし『D1』にそれは許されない。
 残酷とさえ評される道のりの果ての、絶対の頂点には決して許されることではないのだ。
 もし結婚するとしてもカプラ嬢を引退した後、となれば下世話な話だが40代を超える事すらある。そこから養子を迎えて跡継ぎを……というのは、重ね重ね下世話ではあるが女性にとっては過酷に過ぎるだろう。何よりも彼女の人格をほとんど否定し、道具か玩具のように扱うのと同じことになる。
 その現実を前にした両親はしかし、ほとんど迷う事はなかった。
 結論を先に書けば、彼らは夢を取ったのである。具体的には、他家の男子を彼女の『弟』として養子に迎えたのだ。
 『聖堂騎士団』という組織の性格上、養子を取ることは大して面倒な話ではない。何せガラドリエルの父が騎士団の上司に『養子を取りたい』と伝えた翌月には、別の上司の三男坊が養子として『斡旋』されてきた。ぶっちゃけこの組織には、家柄も実力も充分なのに、ただ長男ではないというだけで家を継げない、そういう男子はいくらでもいるのだ。
 しかしその行為は同時に、先祖伝来の大切な家名を赤の他人に譲り渡すことを意味する。
 だが両親は、
 『君は君の道を行きなさい、ガラドリエル』
 笑ってそう言ってくれた。
 そこまでして両親は娘のために道を拓き、夢を託したのだ。
 そんな思いの強さに反して、だが父と母は優しかった。幼い頃から様々な作法や知識を教えられたが、一度として声を荒げられた事も、まして体罰など受けたことはない。
 暖かく燃える暖炉の前、母のお手製になる子供用のヘアバンドとカプラ服を着て、見守る父の前で得意げにカプラの口上を延べ、一礼する。
 『とても上手(エクセレント)だよ、ぼくの小さなカプラさん』
 綺麗に整えられた口ひげが自慢の、子供の目にもダンディな父はいつもそう言って拍手し、目を細めてくれた。それが本当に嬉しくて、誇らしくて、何度も何度も繰り返した、幼い日の遠い記憶。
 だが、その父も今は亡い。
 彼女がようやく、カプラ志望の子供達が通う予備塾を卒業しようという頃、シュバルツバルド共和国の辺境で起きた戦いで戦死したのだ。
 その戦いこそ、あのウロボロス6『死神』クローバーが、一条静や香の母・桜の出身部族、霊威伝承種『御恵(みめぐみ)』を討った戦いだった、というのは運命の皮肉というべきだろう。
 だがガラドリエルやその家族は戦いの詳細を知らない。この戦いは教会の機密扱いとなり、家族にはただ『極めて凶悪な異端異教の蛮族を討ち滅ぼした栄光の騎士』という誉れの文書が贈られたのみで、遺体はもちろん遺髪遺品の一つさえ、家族の元に戻ることはなかったからだ。
 だから彼女達は空っぽの墓の前で、空っぽの気持ちを抱えたまま立ち尽くす、それしかできなかったのである。
 その後、ダンフォールの家名は滞りなく義弟に譲られ、義弟は妻を迎えて安定した家庭を築いた。めっきり老け込んだ母は今、彼らと同居して何不自由ない生活を送っている。そういえばもうすぐ義理の孫が生まれるはずだ。
 そしてガラドリエルは、もう後戻りができなくなった。
 D1になること。今度はそれが彼女にとっての悲願になった。父を失った空っぽの気持ちを埋める、唯一の手段になったのだ。
 だからこそD1への過酷な道も、挫けることなく走り通すことができたと思う。そしてついにD1の座を得て、母と共に嬉し涙にくれながら父の墓前に報告した時は、人生の総てを満たし切った、そう思った。
 (だけど、本当にそうだったのだろうか……?)
 胸の内にくすぶり続けていた思いが、とうとう形になる。
 (私は結局、あの時のままなのではないか?)
 目の前の空に、またあの幻が映る。
 子供用のヘアバンドとカプラ服を着けた、真紅の髪の少女。それは子供の頃のガラドリエル。
 彼女の原点。
 『イトカワ』で何もかも失って初めて思い出すことが出来た、遠い日の第一歩。
 『とてもいい。とても上手だよ、ぼくの小さなカプラさん』
 父の優しい声が聞こえる。嬉しさと誇らしさ。あの時の気持ちが生き生きと蘇る。
 それはずっと自分を支えてきてくれた、大切な宝物だ。
 
 (だけど私はもう、ここを出なくてはいけない)
 
 自分が何をためらっていたのか、彼女は今、はっきりと知った。何が心を引き留めていたのか、それを知った。
 暖かい暖炉の前の、彼女だけの場所。父の笑顔と拍手、そして『とても上手(エクセレント)』の言葉。
 それは一点の曇りもない、栄光と名誉に彩られた輝ける道だ。
 だが自分はもう、それだけを求めてはいられない。
 汚れのない優しさに包まれた、小さなカプラ嬢のままではいられない。
 『誇りを守る』だの『責任を果たす』だの、美しい言葉だけにすがりついてはいられないのだ。
 (……ごめんなさい、父様、母様)
 亡き両親の面影に告げる。
 (貴方の小さなカプラ嬢はこれから、貴方達の夢を裏切る事になるでしょう)
 ほんとうの告白、それは優しい世界への感謝と、そして決別の傷だ。
 (でも私は行かなければならない。たとえこの身が泥に、血にまみれても、行かなくてはならないのです)
 美しい両親の夢や、汚れのない幼い日の憧れを越え、少しも優しくない、刺だらけ、泥だらけの世界へ、汚れを恐れず歩み出さねばならない。
 『カプラの魔の力』。それはひょっとしたら『毒』かもしれない。
 (でも、それが毒というなら、私はその毒すらも飲み干しましょう)
 そのために人々から泥を、石を投げられ、この身を打たれようとも。この身体も、名声も泥にまみれ、血にまみれてしまっても。
 決して消せぬ地獄のような笑顔で、あの街角に立ち続けよう。
 やがて制服の肩に刻んだ『下向きの螺旋(ダウンスパイラル)』がすり切れ、冷たい石畳の上で斃れ果てる日が来ても。
 破れた心臓が最後の鼓動を刻むその瞬間まで、カプラ嬢として生きよう。

 (今この時から、それが私の望みです) 

 くるり、と青空に、そして幼いカプラ嬢の幻に背を向ける。
 そこは飛行船の甲板。灰雷が、クルー達が、バークが、翠嶺が、そして無代が彼女を見つめている。
 彼女がどんな有様でも、ずっと変わらず『D1』と呼び続けてくれた人々。
 脳裏をよぎるのは、彼らと過ごした時間。
 空から落ちて死にかけ、水に溺れてまた死にかけ、マント一枚の裸で地べたに転がった。今まで食べ物とも思わなかった魚や、草や、木の実を食べ、夜露を集めた水を飲み、獣の毛皮に包まれて、また地べたで眠った。間違いなく人生で最低の時間。
 だけど濃密な時間。
 地に落ちた堕ちた星は水に潜り、地に転がり、陽に養われ、そして今、新しい命に生まれ変わろうとしている。
 それはまぎれもない『再生』の物語。
 たとえ道標の北極星が輝きを消しても、空に輝くものだけが星ではない。
 そして人を導くのは星だけではない。
 差し出される手が。
 広い背中が。
 厳しい言葉が。
 力強い誓いが。
 一枚の手紙が。
 涙が。
 笑顔が。
 道は示さずとも、人を立ち上がらせ、顔を上げさせてくれる。
 そして、共に歩んでくれる。
 (見ていてね、小さなカプラさん)
 背を向けた大切な、遠い記憶に呼びかけ、姿勢を正す。
 何万回と繰り返し、もう命の一部となった、それは『カプラ嬢の姿勢』。
 
 「いらっしゃいませ」

 ヘアバンドも制服もないけれど、この命と等価の言葉が光となるように。

 「カプラサービスはいつも皆様のそばにいます」

 何の作為もなく、心からの笑顔が湧き上る。

 「何をお手伝いいたしましょう?」

 一瞬の間。
 「倉庫、頼むよD1。工具箱を出したいんだ」
 無代の声が耳に聞こえるのと、意識のスイッチが入るのが同時だった。それはいつも通りの、彼女にとっての日常。
 『生きること』そのもの。
 ぽぉん♪
 一瞬の遅滞もなく、軽い起動音と共にカプラシステムとのリンクが確立。無代の目の前に、亜空間に拓かれた奇跡の扉が出現する。
 あれほど心に張り付いていた恐怖が、ためらいが、嘘のように消え去っていた。
 「よっ、と。ありがとう!」
 工具箱を手にした、無代の笑顔がある。
 力が戻って最初の客が、彼であった事がとても嬉しい。『必ず役に立つ』と言ってついて来たのに、迷惑ばかりかけた。
 (やっと役に立てた)
 心のつかえが一つ、ことりと音を立てて落ちる。
 「あ、すまんD1。……金が無え」
 無代が情けない顔で合掌し、こちらを拝んでいる。そういえば『イトカワ』から飛び下りて以来、金など使う機会もなかった。こんなところで抜けている所も彼らしい。
 だがD1は余裕の笑みで、
 「今は倉庫しか使えない半人前ですので、お代は頂きません」
 いつか誰かの背中で聞いた言葉と、これまた命と同じ45度のお辞儀で締める。それは何も特別な事ではない。
 花が咲くように、陽が昇るように、星が輝くように。
 フィールドに、ダンジョンに、そして町角に。
 いつも、いつだってそこにある風景。
 「このやろ」
 お株を取られた無代がまた笑う。
 「では、私も倉庫をお願いしようかしら」
 翠嶺が嬉しそうにリクエストをくれる。取り出されたのはミンクのコート。無骨な飛行船コートをバークに返し、見るからに暖かそうな自前のコートを満足そうに羽織る。
 そしてD1の肩にその優美な手を添えると、
 「お帰りなさい、D1」
 「ありがとうございます、賢者様」
 「もう泣かないのね」
 「はい、もう泣きません」
 そこにあるのは揺るぎない笑顔と立ち姿。

 『カプラディフォルテーNo1』、ガラドリエル・ダンフォール。
 彼女はこうして、あるべき場所に戻ったのである。

 「よろしい」

 翠嶺が大きくうなずくと、バークを振り返る。
 「行きましょう、提督」
 「承知しました、翠嶺先生……エンジン始動用意! エナーシャ回せ!」
 バークの指示に一斉に復唱が上がり、船尾4機のエンジンに、エナーシャ(慣性起動機)のクランクを手にした始動要員それぞれ一人ずつ取り付く。
 クランクをエンジンに装着すると、全身の筋肉を動員し、あらん限りの力でクランクを回転させる。
 慣性起動機、などと大層な名前がついているが仕組みは単純、つまりは重量のある金属の独楽である。まず人力でクランクを回してこれに回転を与え、次にプロペラと直結する。
 円盤が回る勢いでプロペラが回り出せば、その回転を使ってエンジンを点火。要するにバイクの『押しがけ』と同じ原理だ。
 エンジン4機の覚醒はほぼ同時、轟く咆哮は鉄と火と油の三重奏。真の動力を得たプロペラが大気を撹拌し、双胴の巨鯨を駆動する。
 「『マグフォード』発進。目標ジュノー」
 バークの落ち着いた指示が伝声管を伝い、ブリッジへ届けられる。もちろん分かり切った指示だけに、ブリッジで指揮を執る副官の手により舵が回され、既に回頭が始まっている。
 「では艦内へ戻りましょう」
 バークが一同を促すが、
 「あ、申し訳ございませんバークさん。もう少々」
 無代だ。
 甲板に叩き込まれた巨斧、それに止まった武装鷹『灰雷』の前にどっかと座り込み、倉庫から取り出したばかりの工具箱を広げて何やら作業中である。
 「よーし奇麗んなった。あ、ここ擦りむいてんな。おーい、D1。灰雷の足にヒール頼む」
 その辺の人間をすぐ巻き込むのはいつものことだが、こういう時に誰も断らないのがこの男の人徳というものか。
 「ケガしてるの?」
 D1が駆け寄って覗き込む。
 「いや、ケガじゃない。武装の爪をずっと付けっぱなしにしてたんで、留め具が食い込んで擦りむいたのさ。ちょっとネジの締め付けが強過ぎたみたいだしな」
 見れば無代の手に、取り外された武装鷹の金属爪がある。それを磨き布で奇麗に拭き清め、目の細かい仕上げ用のヤスリで研ぎの最中だ。
 「お前、鷹師の修行もしたの?」
 翠嶺がさすがに不思議そうに尋ねる。そのはず、鷹を武装させるのはデリケートな作業のため、本職の鷹師でもかなりの熟練が必要だ。実は鷹師の中にも愛鷹の武装を、専門の鷹師に委託する者もいるほどである。
 だが無代は笑って首を振り、
 「あー、いえ修行ではなく……鷹師様の手伝いをさせられた経験がございまして」
 D1がヒールを贈って治癒した灰雷の足に、例によって熟練の手つきで爪を装着、工具箱から選び出した細いドライバーでするすると締め付けて固定する。
 「キツくねーか? ちょっとコツがいるみたいだな、おまいさんの足は。よーしよし、これでいい。さて、あとは嘴だな」
 ごしごし、と両手をすり合わせて気合いを入れると、そうっと灰雷の嘴に手を伸ばす。
 武装鷹の嘴は、その身体の中でも最大の武器と言っていい。本来の嘴を少し削って加工し、そこに金属の刃を埋め込むように装着してある。だから脱着の際に鷹が不用意な動きをすれば、作業者を傷つけることもある危険な作業。 
 だが無代は手袋もせず、
 「ほい」
 と軽い調子でひょい、と刃を摘んで外してしまった。
 「餌がもらえないから、野生のモンスターでも喰ってたらしい。ほら、肉のカスがこびりついてる。一人でよく頑張ったなあ」
 そんな風に灰雷をねぎらいながら、左右一対の刃を爪と同じように磨き、またヤスリで手早く研ぎ上げる。ついでに嘴のほうも丁寧に掃除。
 それにしても、灰雷がえらく大人しい。
 武装鷹は優秀であればあるほど、主人である鷹師との結びつきが強くなり、主人以外からは餌も食べない、というのが普通だ。ましてこんな風に身体を触られ、武装の解除と装着を任せるなど尋常ではない。
 しかも無代の職業は鍛冶師、そもそも鷹師ですらないのだ。
 「なるほど、女だけでなく鷹まで『たらす』のだな?」
 「だから非道いですってば先生」
 翠嶺にまたからかわれ、無代が天を仰ぐ。
 「違いますって。ガキの頃に世話を手伝わされた鷹が、そりゃあもう飛び切りの性悪だったんでございますよ。お陰で頼みもしないのに鍛えられまして、気が付けばこの有様で」
 ほいっ、とまた軽い調子で手を動かし、あっという間に嘴の刃もはめ込んでしまう。
 「『灰雷は扱いの難しい鷹だ』って、G1姉さんが言ってた気がするけれど……」
 「何の何の」
 D1の不審に、無代がひらひらと手を振り、
 「あの性悪鷹に比べたら『箱入りお嬢』だぜこのぐらい。な、灰雷」
 無代が上機嫌でもうひと撫でしようと手を伸ばした、その時だ。
 しゃきん!
 灰雷の嘴が、その名の稲妻の如く閃き、無代の手をさあっ、と薙いだ。
 「いっ!?」
 付けられた傷は浅手、とは言っても、肘まで腕まくりした無代の腕からみるみる血が滲む。下手人である灰雷は、つん、と明後日の方向を向いて知らん顔。
 もちろん灰雷が本気なら無代の腕など奇麗に両断されていたろうから、これは単なる挨拶だ。ただし、相当に手荒い。
 まさに、
 『調子に乗るな』
 と言わんばかり。
 「……ヒール、いる?」
 「……頼む」
 やられた無代、情けなさそうに腕を出し、D1のヒールをもらったのである。

中の人 | 第十二話「The Flying Stones」 | 00:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第十二話「The Flying Stones」(18)
 『ジュノーを視認』の一報がブリッジから届いたのは、それからしばらく経ってのことだった。無代ら一同が架綯の部屋に戻り、バークを交えて今後の方針を話し合っている最中だ。
 『一同』といっても、鷹の灰雷は加わっていない。彼女は船内に入ろうとせず、そのまま『マグフォード』の甲板で水と餌をもらって翼を休め、気が向けば飛び立って船の付近を滑空する、という気ままな過ごし方を選んだのだ。
 「好きにさせておくほうが、彼女にとっても楽に過ごせましょう」
 手痛いしっぺ返しを食らったからでもあるまいが、灰雷の自由にさせた方が良いと無代。慣れて見えても、結局は飼い主以外に真に心を許すことはない、それが鷹師の鷹なのだ。
 「手前に心を許したのは飼い主と切り離された上に、カプラ公安のエスナ様から密命を与えられた重圧もあって、気持ちが参っていたのでしょう」
 とはいえそこは歴戦の武装鷹。D1という知己に巡り会い、無代たちも信頼できると分かれば、すぐに落ち着きを取り戻すに違いない。
 一方、洗濯乾燥を終えた教授服に着替え、それなりの姿に戻った架綯は、独自にカプラネットワークの調査を進めている。
 「今のところ、D1がネットワークに再アクセスして倉庫を起動したことを、敵に気づかれた様子はな……ありません」
 言いながら、架綯がテーブルの上に小さなアクセサリーを置く。それは『クリップ』と呼ばれるもので、この世界では魔力を込めることのできる最も基本的なアイテムの一つだ。
 「架綯先生、これは?」
 「ぼ……私が作った『ワクチン』です。持って行って下さい、D1。どうぞ」
 架綯がちょっと気取った風に胸を張る。
 「カプラ嬢がこれに触れてカプラネットワークにアクセスすれば、さっきD1のユーザー権限で行った修復操作を、それぞれのカプラ嬢の権限を使って自動的に実行します。恐らく皆、同じ方法でアクセスを止められているはずですから、それで回復できるはずです」
 しかも不正の原因となった呪容体を、強化する働きもあるという。
 「クラッシュを引き起こすような大量の同時アクセスを感知して、自動的にシャットアウトするプロセスを組み込みます。二度と同じ手口は食らいません」
 こうなるとまさに『呪文摘み(スペルピッカー)』の独壇場だ。
 「ありがとうございます、架綯先生!」
 D1がクリップを大事そうに押し頂く。

 「い、いえ……」
 架綯先生、真っ赤になってキョドってしまい、思わず棒付きのイグ種を口に咥えて誤摩化す。研究者として短すぎるキャリア、そしてずっと机の上で過ごしたこともあり、自分の仕事に直接感謝を受ける、という経験に免疫がないのだ。
 しかし魔法を扱う者にとっては、それこそが心を駆動する最大の糧となるもの。しかもD1という飛び切りの女性から感謝されたこの記憶こそ、後に彼がバリバリ現場主義の術者となっていく原点となっていく。
 「……えっと、でも悪い知らせもあるんです」
 架綯の顔が曇る。
 「カプラのメインシステム、敵に相当やられています。管理者権限を奪われるのは時間の問題かもしれません」
 しん、と部屋に沈黙が落ちる。
 もし敵にメインシステムの管理者権限を奪われ、それを使ってこちらのユーザー権限を消されてしまえば、もうメインシステムはおろかカプラネットワークにアクセスすることすらできなくなる。
 「何とか別の穴を開ける方法を探していますけど、やはりゲスト権限以下じゃ難しいです。外からは本当に鉄壁と言うしかありません」
 呪文に対してケタ違いの異能を誇る架綯がそう言うのだから、よほどのことだろう。
 「ふむ……」
 翠嶺もあごに手を当て思案の様子だったが、
 「カプラ『N0(エヌゼロ)』が持つオリジナルプログラムを受け取れ、そうカプラの魔が言ったのだったわね、D1」
 「はい、翠嶺先生」
 死の街ニブルヘイムにただ一人、交代要員もなく立ち続ける『N0』。カプラの魔たるカプラ社相談役は、D1と無代に対して彼女と会うよう頼んでいる。
 「『オリジナルプログラム』ねえ。架綯、お前はどう思う?」
 「はっきりとは分かりませんけれど」
 翠嶺の質問に、架綯は慎重に答える。
 「現在のカプラシステムの元となった、例えばβ版とか。だとすると現在の物より高機能だったり、より制限が少ないものだったりするかも……しれません」
 「だったら凄いわね。いずれにしてもわざわざ取りに行け、というからには、現状を打破できる何らかの価値があるのでしょう。そちらも早急に手を打たなければ」
 腕に巻き付いていた振り袖をするするとほどくと、
 「ジュノーに帰ったら大忙しね。皆、頼んだわよ」
 翠嶺がそう締めたその時、ドアがノックされ、もうおなじみの草鹿水夫が伝令に来たのである。
 直ちにバークがブリッジへ戻り、船は帰港準備を開始、無代ら一行も下船の支度に移った。女性2人はもう一度、翠嶺の部屋に戻って身だしなみを整え、無代は草鹿と共に架綯の支度を手伝う。
 「いよいよでございますねえ、若先生」
 窓の外に、目的地であるジュノーの姿が大きくなっている。

 空中都市ジュノー。

 それは『都市』と一口に言うが、実は3つの超大型浮遊岩塊を連結して形成されている複合島だ。
 大まかには、政府庁舎やセージキャッスルなど首都機能を象徴する施設がある『ソロモン』、共和国図書館、シュバイチェル魔法アカデミーなど研究・教育機関が集まる『ハデス』、そして一般市街地が広がる最大の岩塊『ミネタ』の3つ。他にもいくつかの小規模岩塊が衛星的に連結され、それぞれにシュバルツバルド国際空港や小さな研究機関などが設られている。
 都市の周囲は2000メートル級の山々が嶺を連ね、都市の遥か下部を白い雲が流れてゆく。
 無代も何度かこの都市を訪れていて、民間航路の飛行船から見下ろしたことも一度や二度ではないが、しかしこうして俯瞰するその風景は、何度見ても『奇観』というにふさわしい。
 そんな無代の興奮ぶりが可笑しかったのだろう、架綯や草鹿までが一緒に窓へ張り付き、
 「あそこが教員宿舎の自分の部屋」
 「自分が住んでいる船員アパートはあの辺。近くに美味しい定食屋があるけれど、時々ゲテ物が混じる」
 などと、口々に指差して教えてくれる。
 しかしジュノーが近づくにつれ、。
 「あれ? なんだか高度が下がっておりませんか?」
 無代が外を見ながら首を傾げる。確かに、先ほどまで眼下に見えていたジュノー市街が今は目線と水平に、そしてだんだんと上に見え始めているではないか。
 「あ、これでいいんです、無代さん」
 架綯が無代を振り向いて笑う。
 「この『マグフォード』の専用埠頭は国際空港がある島じゃなくて、その『下』にあるんです。一般航路を飛ぶ飛行船や、ジュノーの街からは見えない場所なんですよ」
 これは草鹿が説明してくれる。
 賢者の塔の専属であり、その最新技術を実験的に投入して建造されたこの船は、その存在と運用が秘密にされているのだそうだ。そのためわざわざ中規模の岩塊を一つ、国際空港下部の死角エリアまで牽引してきて連結し、専用の船着き場が建設されている。
 「まあそこまで極秘ってわけでもなくて、知ってる人は知ってる感じなんですが、あまり大っぴらにすると『自分も乗せろ』って言い出すお偉方が増えちゃうんで、うまいこと隠してあるんだって」
 草鹿の説明はいささかぶっちゃけ過ぎの気もするが、現場でも一番下っ端の言葉というのは案外、最も真実を突いているものなので、なるほど、と無代も納得する。
 『マグフォード』の高度はさらに下がり、ジュノーの下部をぐるりと回り込むように進む。
 巨大な氷柱のような巨岩が何本も、それこそ1000メートルの尺度で垂直に垂れ下がる荒々しい光景、その間を雲が流れ、岩の最下部は白く煙って見えない。地上からはもちろん、一般航路の飛行船からも見る事は不可能な、まさに奇観中の奇観だ。
 「これは凄い……」
 さすがの無代も声を失う。
 そんな恐ろしいような断崖絶壁だが、それでも所々に小さな扉や、岩にへばりつくように作られた人口の構造物が見える。
 「ジュノーの地下から外を観測したり、ちょっと危ない魔法を実験したりするところです。……おおっぴらに使うとヤバいヤツとか」
 架綯の説明も若干、ぶっちゃけ過ぎである。
 
 ぶおお! ぶおおおん! ぶおんぶおん!! 

 『マグフォード』のエンジンが不規則な音を立て始め、船体にもこれまでとは違う揺れが伝わる。複雑といえばここまで複雑な地形もないだけに、通り抜ける風も一筋縄ではいかないらしい。
 だがそこは『提督』アーレィ・バーク、そんな性悪な風の中でも、導く針路に微塵の破綻もない。
 「いったん深く潜って、浮上しながら埠頭に着岸します。これができるのはシュバルツバルドの飛行船乗りの中でも、ウチのバーク船長だけなんですよ」
 草鹿が目を輝かせて説明してくれる。
 己の技を磨き、与えられた仕事を全うしてきた大人達の背中、それに憧れ、遥かに仰ぎ見ながら、しかしその背中にいつまでも追いつけないような不安を抱えて走り続ける。
 そんな少年時代を思い出し、無代もつい嬉しくなってしまう。
 「若先生も草鹿さんも、これっぽっちも間違いのない立っ派な師匠をお持ちだ。人としてこんな幸せなことはございません。うらやましゅうございますよ」
 ぽんぽん、と2人の頭を叩いて激励する。架綯も草鹿も、こういう少々暑苦しいコミュニケーションには慣れていないのか、くすぐったそうである。
 「あ、見えて来ました。あれが『マグフォード』の専用埠頭です。名前は『タネガシマ』」
 草鹿が窓の上方を指差す。
 そこに、直径100メートルほどの中規模岩塊が一つ、都市下部の氷柱垂岩に連結された形で浮いていた。
 空中へ水平に数十メートルも突き出した桟橋や、整備のためのクレーン、燃料タンクらしき構造物などを所狭しと乗せている様は、まるで熟練の職人の作業台を思わせる。雑然として見えて、実は使う者にとって極限まで合理的な事物配置。
 埠頭からもこちらを認めたようで、監視塔らしい小さな建物から、せわしない発光信号がちかちかと瞬く。おそらく『マグフォード』からも負けじと信号が送られているはずだ。言葉のない、ウインクだけで会話する恋人達のようなコミュニケーション。
 いよいよ下船も近いと、荷物を持って甲板へ出る。架綯の荷物を草鹿が、無代は自分のドゥームスレイヤーと翠嶺の二槍を担いで気密扉を潜れば、そこにはもう翠嶺とD1の姿があった。
 だが2人を見た途端、
 「うお?!」
 「わ?!」
 「?!」
 無代と架綯と草鹿、3人が思わず感嘆の声を上げてしまう。
 翠嶺とD1、エメラルドとルビーの髪を従えた天性の美貌が、さらに煌びやかに飾られていた。
 うっすらと頬紅を吹き、やや濃いめのルージュをきりりと掃いた貌は花の如く。
 ゆるやかに眉を引き、微かに影を挿した双眸は月の如く。
 翠嶺が貸したものだろう、桜貝のような耳にはそれぞれの髪色に合わせたイヤリングが揺れ、首元にも星をちりばめたような首飾りが、空の青を映して美しい。
 上陸に向けて女2人、今度こそ本気で身支度を整えたようだ。
 「困りました。またしても無代、寿命が延びまして。このままでは不老不死とやらも夢では」
 ございません。と無代、真顔でぽんぽん、と柏手を打ったものだ。
 「冗談はいいから、ちょっとここを結んで頂戴、無代」
 翠嶺が教授服の振り袖の先を指差す。
 それは、さっきまで彼女が着ていた旅装用の教授服と違い、生地は薄く柔らかで、紺碧の色も鮮やか。どうやら船室に常備してあったフォーマルなものらしい。
 また『振り袖』を始めそこかしこに『飾り紐』が装われているのは本来、そこに様々なアクセサリーを留めるための仕掛けだが、翠嶺が無代に命じるのはもちろん、それではない。
 「承知致しました、先生」
 無代がその手をするすると働かせると、たちまち振り袖の先に、結び目の蝶が舞う。彼のオリジナルという『羽に星入り』のクリーミーを、翠嶺の全身の六カ所に結い終わると、その髪や服の緑色と相まって、まさに春の野を思わせる趣である。
 「セージキャッスルの年寄りから政府の連中まで、しっかり働いてもらわないとね」
 翠嶺が人差し指を唇に当てる悪巧みのポーズでにやり。
 なるほどこの姿の翠嶺がハッパをかけ、加えてD1が沈痛な面持ちで事情を説明すれば、いかな賢者だろうが老獪な政府高官だろうが、押っ取り刀で飛び出さぬ男はいないだろう。とはいえ一千歳を超える自分の年齢を棚に上げ、人を『年寄り』呼ばわりはどうかと思うが。
 『マグフォード』がついに着岸した。
 エンジンが停止し、太い繋留索が接続され、頑丈なタラップが降ろされる。
 既に発光信号であらかたのやり取りが済んでいたらしく、岸壁に設置されたクレーン群が一斉に動き始めた。一つは燃料パイプを牽引して船体に接続。もう一つのパイプは水だろう。別なクレーンが船体に装着を始めた細長いタンク状の部品は、長距離を飛ぶための増槽、つまり予備の燃料タンクだ。
 地上要員と甲板員の動きもあわただしい。まるでスポーツレースのピット作業のよう。
 そのはず、『イトカワ』に捕われたカプラ嬢達を救出するため、今は非ん限り迅速に補給を行い、対王国レジスタンスの本拠地である浮遊岩塊『リグロー』へ向かわねばならないのだ。
 接岸指揮を終えたらしいバークが、見送りのために甲板に姿を見せた。
 翠嶺と架綯はここで下船。D1と無代はこのまま『マグフォード』に残り、カプラ嬢救出に向かう手はずである。
 「では提督、あとはお願いするわ。D1も、今夜にはシュバルツバルド政庁で閣議を開かせるから、演説考えておいて頂戴。感動的なやつをね」
 「お任せ下さい、翠嶺先生」
 「はい、賢者様」
 バークとD1にはそれぞれ言葉を。そして無代には無言で視線を送り、ひとつ頷いただけ。扱いに差はあるが、この男にはこの程度で十分なのだ。それが証拠にちゃんと笑顔と礼、そして、
 「行ってらっしゃいませ、先生」
 見送りの挨拶が帰って来る。
 『行ってらっしゃい』と、なぜかそっちが『ホーム』っぽくなっているのが謎ではあるが。
 セージキャッスルと行政府の両方から迎えが来る手はずの翠嶺に先んじて、まず架綯が下船して行った。宿舎までは草鹿が荷物を運び、そこからは一人、『ユミルの心臓』を使っての作業に入る。
 「行ってらっしゃいませ若先生! あ、ちゃんとお昼ご飯を召し上がって、それからにして下さいませよ! あとイグ種をお忘れにならいように!」
 2人の少年の姿が桟橋の向こうへだいぶ小さくなってまで、まだあれこれ世話を焼こうとする無代に、振り返った架綯が手を振って応える。その顔、さぞ苦笑している事だろう。
 「……にしても遅いわね、迎え」
 行動するとなると途端に気短になる翠嶺が文句を言い出した。
 「先に帰らせた伝令が、およその帰港時刻を知らせたはずなのですが」
 バークが首を傾げる。
 思えばこの時、全員の心を小さく刺した違和感、そしてそれに続く、無代の叫び。
 「……バークさん! 船の真上に何かおります!」
 それが始まりだった。

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第十二話「The Flying Stones」(19)
  無代の緊迫した声に、バークはもちろん翠嶺やD1までが瞬間、天を仰ぐ。だが、
 「……何も見えないわよ?」
 翠嶺が青空に手をかざしながら、その美しい目を細める。バークも首から下げた双眼鏡を空に向けるが、何かを見つけた様子はない。
 そもそも無代は武術の達人でも、監視の名人でも何でもないのだ。それが誰よりも早く異変に気づく、それ自体が異常なこと。
 だがこれにはカラクリがある。
 「姿は見えませんが、間違いなく何かがおります! 灰雷がぶつかって、攻撃しているんです!」
 その言葉に、今度こそバークの双眼鏡がぴたり、と動きを止めた。レンズ越しに見える雲を浮かせた空に、武装鷹の灰雷が激しく何かを攻撃している様子が映し出される。
 そう、無代は異常だの、まして敵だのを探していたのではない。ただ雰囲気に違和感を感じ、無意識に周囲の『仲間の無事』に気を配っていただけなのだ。翠嶺、D1、バーク、そして灰雷もまた、今の彼にとっては身内。
 そうして身内の世話を焼く時にのみ、この男の感覚は常人を上回る。
 「翠嶺先生、あれはひょっとして……」
 双眼鏡から目を離したバークが翠嶺に質問する。が、その質問を最後まで言う事はできなかった。それよりも、翠嶺が快哉の声を上げる方が早かったのだ。
 「『ヤスイチ号』!」
 翠嶺の声を受けるように、今まで何も見えなかった空に巨大なシルエットが出現する。
 この世界のあらゆる常識を無視した、それは奇跡の姿。
 葉巻型、純白の船体。『光学・音響・魔法』の三大ステルス能力を有する、異世界の飛空戦艦。
 「連絡が間に合ったようね。とうとう本当にツキが回って来たのかも」
 翠嶺の声が軽いのも無理はない。
 『マグフォード』からワープポータルを使い、先にセージキャッスルへ帰還させた伝令。それが順調にレジスタンスの本拠地『リグロー』へ伝わり、見事ぴったりの時間に遭遇できたのだ。
 「では先生、あれは味方なのでございますね」
 「そうよ無代。あれが飛空戦艦ヤスイチ号、正しくは『安全第一(Safety First)号』……ああ、灰雷に攻撃しないように伝えないと」
 言われて見上げれば、姿を現した純白の巨体の周囲を、警戒するように激しく旋回する灰色の姿がある。
 「呼び戻しましょう。久しぶりですので、錆び付いてないとよろしいのですが……少々失礼しまして」
 無代が指を曲げて口に入れ、何度かぴー、ぴーと試し鳴らす。
 指笛。
 大きく一呼吸。

 ぴぃーぃぃぃぃいいいぉぉぉおおお!!!

 浮遊都市を支える巨岩と、それを囲む峨々たる山々に、見事な笛の音が轟いた。
 遥か上空に音が届くまで待つこと二拍、灰雷がひらり、と翼を返して『マグフォード』へ降下を始める。
 「相変わらずお見事で」
 その降下を見守るバークが賞賛すると、
 「いえいえ、デカいばかりで品のない音だと、いつも叱られてばかりでございました」
 無代の苦笑がある。
 「槍を、無代。クローバーを紹介しよう」
 翠嶺が槍を受け取り、ひらりと身を翻してタラップを降下。しなやかな脚を閃かせるように桟橋を走り、『タネガシマ』の端で立ち止まる。
 槍の鞘を払ってきらり、きらりと空の戦艦に合図を送れば、純白の船体は音もなく降下を始めた。『マグフォード』のようなガス浮力の飛行船と違い、未知の超技術による浮遊力場で飛翔するその船体は、風や地形に関係なくどこでも降下が可能だ。
 全長80メートルの船体が陽を遮り、『タネガシマ』を横断するようにしてゆっくりと降下してくる。
 無代は『マグフォード』の甲板から、その様子を身動きもせずに眺めていた。一見すれば、異世界の超技術によって建造された戦前機械の凄まじい迫力に、すっかり圧倒されているとも見えたが……。
 「バークさん」
 急に隣のバークに顔を向け、低めの声をかける。
 「何でしょう、無代さん?」
 「あの船の船長、クローバーという方を、バークさんもご存知とおっしゃいましたね?」
 「はい、存じ上げておりますが……何か?」
 バークが首を傾げる。それというのも、無代の声が若干の不審を含んでいることに気づいたからだ。
 そしてバークは直後、再びこの無代という青年の眼力を知ることになる。
 「そのクローバーというお方は、翠嶺先生の御前に船を着けるのに『陽回し』をしないで、しかもお頭の真上を通るようなお方ですか……?」
 「!?」
 バークが一瞬、虚を突かれたような顔になり、そして電光の早さで『ヤスイチ号』を、そして翠嶺を見る。飛空戦艦の純白の巨体が作る巨大な黒い影が、ちょうど翠嶺の優美な肢体を包み込んだところだ。だが、それはまさに『ヤスイチ号』が翠嶺を迂回することもなく太陽を背に、しかも頭の真上を通過した証拠。
 無代が指摘した通りの、礼の欠片もない航跡そのものだ。
 「……違う!」
 それだけで、たったそれだけでバークは断定する。
 「違います、無代さん! あれはクローバー船長ではない! ありえない!」
 だんっ!
 バークの返事が届くか届かないうちに、無代が脱兎のごとく走っていた。信号係のクルーが下げた光信号機をひったくると、発光レンズを翠嶺に向ける。
 「駄目だ、無代さん。先生があちらを向いていらしては!」
 バークが指摘する通り、確かに光信号を送ろうにも、翠嶺は『マグフォード』に背を向けたままだ。
 だが無代それには答えず、しかし別な形で答える。
 背中が膨らんで見えるほどの、大きな呼吸を一つ。

 ぴぃーぃぃぃぃいいい!!!!

 風を切り裂く指笛の音。その響きに『品とやら』があるかないか、それは門外のバークには判定できない。が、とにかく音量が十分であることは間違いなかった。
 翠嶺のエメラルドの髪がぱっ、と揺れ、こちらを振り向くのが見える。と、ほどんど同時に、待ち構えていた無代の腕が、ばばばっばばばばっばっ!!! と信号灯の開閉スイッチを連打。叩き出される光信号は、『マグフォード』の通信員さえ目を見張るほどの速度。そして同時に、
 「バークさん! 船を!」
 後ろも見ずに叫ぶ。
 「無代さん!?」
 「ただの勘違いなら、手前が恥をかけば済むこと! 船の皆様やレジスタンスとやらに、土下座でも何でも!」
 さしものバークも一瞬の迷い。だがそれも本当に一瞬。
 がんっ!!
 その逞しい腕が、手近な伝声管の緊急レバーをぶん殴る。

 ぶぅぉぉおおおおおおおおお!!!!

 全艦に響く緊急ブザー。飛行船乗りが聞けば、たとえ泥酔中でも一瞬で酔いが醒めるという非常のサインが轟く。
 「『マグフォード』、緊急発進(スクランブル)!」
 サイレンに続いてバークの咆哮が伝声管に叩き込まれ、補給作業中だった乗務員と地上作業員が一斉に、引っ叩かれたように行動を開始する。
 「補給中止、全バルブ閉鎖! 地上要員は退避! エンジン全機、エナーシャ回せ! まだ始動するな! 気嚢全室、隔壁閉鎖ぁ!」
 各部署からの復唱が間に合わないほどの、ガトリング砲のような指示が飛ぶ。
 一方の船内からは、何があったのか、など説明を求める声は一切ない。クルーが一人残らず、船長であるバークを信頼し切っているのだ。だからこそ今はすべての思考を止め、ただ目的のために身体を駆動する。
 世に稀な双胴の巨鯨を、未知の脅威から退避させるために。
 そして無代。
 その腕から凄まじい速度で送られる光信号、その内容を理解するのに、翠嶺ほどの頭脳が多くの時間を必要とするはずもない。はっ、と頭上の『ヤスイチ号』を見上げ、即座に身を翻して『マグフォード』へ走り出す。
 だが遅かった。すべては遅すぎた。
 この結果を翠嶺の油断、と言うのは少し酷かもしれない。緊急時とはいえ全幅の信頼を置く『マグフォード』に保護され、ホームであるジュノーに到着したばかり。そこへ、これまた深く信頼する『ヤスイチ号』が現れたのだ。聡明さ、経験の豊富さでは人後に落ちないこの戦前種をして、敵の偽装に騙されてしまったとしても、それは致し方あるまい。緊急のために常に持っているべきテレポートアイテム『蝶の羽』を、転送を司るカプラ社が信用できないという理由から一枚も持っていなかったことも、不運と言えば不運だ。
 とはいえ、結果として引き起こされた事態は余りにも重大だった。
 ばしぃっ!!
 『ヤスイチ号』の船体後部から光の翼が一筋、真っすぐに吹き上がる。
 いや、その船を『ヤスイチ』の名で呼ぶのはここまでだ。もちろんそれはクローバーの駆る『ヤスイチ号』ではない。
 
 飛空戦艦『セロ』。

 『ヤスイチ号』の姉妹艦であり、反王国レジスタンスの首領から秘密組織『ウロボロス』に寝返ったブロイス・キーンの駆る戦前機械。
 野望と、裏切りと、そして冷徹の翼。その唯一にして最大の武器『エネルギーウイング』は、フル展開の『モード・ルシファー』で12枚の威容を誇るが、今はただ一枚のみ。
 しかし、それで十分。
 逃げる翠嶺に向け、非情の翼が総てを断ち切って振り下ろされた。
 「翠嶺先生ぇっ!」
 無代の喉から、悲鳴に似た声がほとばしる。だがその声は届かない。
 ずっがぁああん!!!
 全長100メートルの『タネガシマ』が、エネルギーウイングのたった一撃で、ほとんど両断された。そのケタ違いの破壊力の余波で、『マグフォード』の航海を支える倉庫や燃料タンク、港湾施設のすべてが一瞬で崩壊する。両断された浮遊岩塊はバランスを失い、タンクから溢れ出した燃料が滝のように空中へ落下していく。
 引火。
 燃料の滝は瞬く間に炎の舌となり、倉庫やクレーンの残骸をなめ尽くしながら、無惨に宙へ消えていく。
 その炎の向こうに、ばったりと倒れ伏した翠嶺の姿が透けて見えた。幸いにしてまだ火炎に巻かれてはいないが、美しいエメラルドの髪は炎の赤に照らされてどす黒く、両手の槍はどこかにすっ飛んだらしい、どこにも見当たらない。
 「先生!! お気を確かにっ! すいれいせんせえいっ!!」
 無代の叫びも、破壊の轟音と『マグフォード』の乗員達の叫びにかき消される。
 「桟橋が落ちるぞ! もやい綱を切れ!」 
 『マグフォード』と『タネガシマ』を結ぶ空中桟橋が崩壊していく。もともと浮遊岩塊である『タネガシマ』は両断されても落下はしないが、人工物である桟橋はそうはいかない。このままでは落下する桟橋もろとも、『マグフォード』は地上へ引きずり落されてしまう。斧が持ち出され、桟橋と飛行船の連結が次々に切断される。
 一瞬。まさに一瞬のうちに描き出された地獄絵図。
 だがそれは始まりに過ぎない。
『セロ』が炎の中を悠々と降下し、倒れ伏した翠嶺の至近距離へ降下するのが見える。
 「……畜生っ! あいつら先生を!」
 無代が思わず、手すりを脚で蹴り上げた。だが『タネガシマ』への桟橋は破壊され、『マグフォード』さえも墜落の危機にある中ではどうしようもない。
 落下する桟橋から船体を切り離す作業が間に合わず、引きずられた船体がきしみを上げて傾いていく。
 「無代さん、D1、船内へ入って下さい。ここは危ない」
 バークが、それでも落ち着いた声で指示を出す。船長たるもの、船が沈む瞬間まで冷静でいなくてはいけない。無代の見込んだ通り、この男は骨の随まで船長(ふなおさ)なのだ。
 「バークさん!」
 「……正直、今あの『ヤスイチ号』に襲われたらひとたまりもない。向こうもそれが分かっているので放置している」
 バークの声は落ち着いているというより、もう鋼か何かのようだ。
 「この隙に何とかこの場を脱出する。この船は決して沈めん」
 船の傾斜はひどくなる一方だが、バークはまるで岩にでもなったように動かない。
 そう、動かない。

 たとえ、翠嶺を見捨てて行くことになるとしても。

 「バークさん……では『今』でなければ、あの『ヤスイチ号』に勝つ方法はあるのですか?」
 「……勝つのは難しいが、対抗手段はある」
 正面を見据えたまま、バークは口だけを動かして応えた。
 「だが、港に停泊している船は死んでいるのも同じだ。これではどうにもならん。何が何でも空に還ってやる。早く中へ入れ。船長命令だ」
 「分かりましたバーク船長」
 非情とも言える指示に、むしろ静かな声でそう応えたのはD1だった。
 もちろんD1は、バークの目が炎の向こう、倒れ伏したままの翠嶺をじっと見つめていることに、とっくに気がついている。
 本当は泣きたい気分だろう。
 手すりをぶっ叩きながら、叫び出したい気分だろう。もし翼があるならこの場を捨てて、彼女の側へ飛びたい気持ちだろう。
 だが彼は船長だ。この船と、乗組員と、乗客の命を、安全を守らねばならない。そこに甘っちょろい私情など挟む余地はないのだ。
 そしてD1にも、それが痛いほど分かる。
 今の自分が、全く同じ気持ちだからだ。
 翠嶺を失いたくはない。できるなら命を賭けてあの場所に駆けつけ、彼女を救い出したい。
 (……でも、私はここでは死ねない)
 瞬時に、胸が張り裂けるような決意を固める。
 だって自分はもう決めてしまったのだ。
 カプラ嬢のトップとして、カプラ社を取り戻すと。たとえどんなに汚れ果て、地獄の業火に焼かれようとも、カプラ嬢として戦うと。
 あの町角を取り戻すと。
 だから、たとえそれが翠嶺の屍であっても踏みつけて、その血にまみれた脚のまま進まねばならない。
 (……)
 翠嶺に詫びる言葉はない。涙もない。
 だって約束したのだ。
 あの美しくて聡明な、翠嶺その人に。
 『もう泣かない』と。
 それが甘い道でないことは覚悟していたが、こんなに早く、しかもこんな形で試されるとは残酷だ。
 
 あまりにも残酷すぎるではないか。

 崩壊した『タネガシマ』の残骸が、周囲の空へ散って行く。小石サイズから家一軒分まで、様々な大きさの浮遊岩塊がゆっくりと、崩壊時の慣性と風の力を受けて流れてゆく。
 倒れ伏した翠嶺のそばに船を降ろした『セロ』が、船腹のハッチを開くのが見える。彼女を収容するつもりだろう。
 その場所まで、『マグフォード』からは100メートルもない。だがその間には、翼のない人間には越えられない空が広がっている。
 D1がバークの指示に従い、船内に戻るために決然と甲板に背を向けた。できれば最後まで目に焼き付けたかったが、気持ちを同じくするバークに従うべきだと思ったのだ。
 だがその時だった。
 「D1、こんな時ですまんが、倉庫を頼む」
 無代から、何でもないような調子で送られたリクエスト。それに思わず応えて倉庫を起動させてしまったのは、染み付いたカプラ嬢の性か。
 倉庫から取り出されたのは、数本のホワイトスリムポーション。瓶に小さく銘が刻んであるところから、普通の物より治癒効果の高い、いわゆる『名入り』の逸品だろう。
 「D1、バークさん。お二人とも、お気持ちをお察しいたします」
 高価な薬液をツナギのポケットにしまいながら、無代が頭を下げる。
 「レジスタンスとやらがなぜジュノーを襲うのかわかりませんが、恐らくは我々が目指す敵と無関係ではないはず。今となってはもはや、このジュノーも安全ではない。残された希望はこの船と、『イトカワ』のカプラ嬢の皆様のみ」
 『タネガシマ』に到着した翠嶺への迎えが、いくら待っても来なかった。いまさら言っても遅いが、その段階で事の重大性に気づくべきだったのだ。
 「どうか必ず、本懐をお遂げ下さい。この無代、心よりお祈り致しております」
 それはまるで別れの挨拶。
 岩のように動かなかったバークさえ、目を剥いて振り向く。だがそこに、もう無代はいなかった。
 二人に背を向け、甲板を走り、その右足を蹴り上げる。狙いは甲板に深く食い込んだままのドゥームスレイヤー。灰雷の止まり木となっていたその柄を、足で思い切り跳ね上げて自由にし、あっというまに腰に背負う。
 「無代さん?!」
 「無代?! 何を?!」
 バークとD1、二人の驚愕の声が上がる。無代が何をするつもりなのか、この二人のプロフェッショナルをして混乱させているのだ。
 しかし二人には失礼だが、『何をする』もくそもなかろう。
 この無代という男は、英雄でもなければ勇者でも、まして賢者でもない。
 だからこの男のすることはいつだって無勘定で、無鉄砲で、無思慮で、無策で、無我で、無垢で、そして無茶苦茶だ。
 誰が止める暇もない。甲板の手すりにひょい、と足をかけ、
 「よっ、と」
 大して気合いも感じられない抜けたかけ声と共に、その身を空中に投げ出したのである。
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第十二話「The Flying Stones」(20)
 無代が落ちる、と誰もが思ったのは、一瞬のことだった。
 その身体がすとん、と、拍子抜けするほどあっさり空中に『着地』したのだ。
 「……あ」 
 D1が呆れたような声を漏らす。と言っても無代に呆れたのではない、『その手があったか!』という自分への呆れ声だ。
 無代が着地したのは、『タネガシマ』が崩壊した時に飛び散った、その残骸の浮遊岩塊。未だジュノーの重力異常を受け続ける、直径1メートル強の空飛ぶ岩の上に、無代は苦もなく飛び乗っていた。着地の衝撃で岩塊が一瞬だけ大きく揺れるが、無代が両手と両足でがっちりとしがみつくと、その揺れもすぐに治まる。
 だが正直そこまではいい。
 『マグフォード』のすぐ側まで流れて来ていたその岩塊を見つけ、うまいこと飛び乗る。そこまでは誰にでも出来る。
 むしろ問題はここからだ。
 なぜなら無代が飛び乗った岩塊は、ただそこに浮いているだけで、なんの推進力も持っていないからだ。だから乗っただけではどこにも行くことはできないのである。例えばこれが海ならば、腕で水を掻き、あるいはバタ足でもして進むこともできるだろう。しかし残念ながらここは空の上、プロペラか翼でもない限り、推進力などどこからも得られない。
 そう、翼でもない限り。
 「灰雷っ! 頼む!」
 無代の叫びが、その翼を呼んだ。
 周囲の誰でも勝手に巻き込むいつもの手管、そしてこの男を知る者はまず、その頼みを断らない。そしてそれは出会ったばかりの、しかも全くの他人と契約済みの武装鷹であっても例外ではない。
 ……とは言え、さすがの灰雷もちょっと迷いはしたようで、彼女が無代の元へと飛来するまでにはわずかの間があった。
 だが無代の気迫に引っ張られたか、それともあまりの無謀を見かねたか。
 とうとう最後にはその翼を貸すと決めたらしい。灰色の稲妻が無代の元へ殺到し、その武装の足でがっちりと捉まえる。
 捉まえた、と言ってもその爪は無代が研ぎ上げた鋼の逸品、もし無代の身体のどこかを掴んだなら、間違いなく大ケガだ。だから掴むのは、無代が腰に背負った呪いの巨斧の柄だ。
 「済まねえ灰雷! 恩に着るぜ!」
 その礼に応えるように、
 ばさぁっ!
 強靭無比の武装鷹が風を巻き上げる。
 ぐんっ!
 斧を背負った腰に強力な推進力が加わり、無代は振り落とされないよう、歯を食いしばるようにして小さな岩塊にしがみつく。
 鍛え抜かれた武装鷹の翼を持ってすれば、子供の一人ぐらいなら楽に持ち上げて飛行が可能だ。が、斧を抱えた大の男を運べ、となるとさすがに無理がある。
 しかし今の無代と浮遊岩塊のように、こうして元々宙に浮いている物体をただ引っ張るだけ、というなら話は別だ。水上スキーを飛行機で牽引するような……というほどスタイリッシュではないが、しかし理屈としては同様の、単純にして原始的な推進方法。
 びゅぅぅぅ!!!
 無代の耳元で風が鳴く。
 鷹と、人と、斧と、岩。三位、いや『四位一体』の奇々怪々な飛行物体が今、地獄と化した『タネガシマ』へ向かって飛行を開始する。
 「ば……!?」
 バカな、と言おうとしてやめたのはバークだ。しかし最後までバカと言い切ってしまったとしても、大して不都合はなかったろう。実際、それはバカとしか言いようのない行為だった。
 例えるなら完全武装した最新鋭の戦艦に向かって、イルカに引っ張らせた丸木舟で特攻を仕掛けるような、いや、いっそその方がよっぽど文明的に思えるほどの泥臭さ。せめて戦艦を一撃で沈められる爆弾でも抱えている、とでも言うならともかく、当然ながら無代にそんなものはない。それどころか『セロ』が操る『エネルギーウイング』で軽く突かれただけで、跡形もなく消滅してしまうような、あわれなほど貧弱な存在にすぎない。
 だがそれでも無代、
 「うぉおおおおおお!!!! 待ちやがれぇ手前ぇらあああああ!!!」
 毎度のことながら、気合いだけは百人前。岩にしがみついた情けない格好でも、その目をかっと引き剥き、怒号を張り上げながら、灰雷の翼だけを頼りに突き進む。
 「汚ったねえ手でウチの先生に触ってじゃねえぞこの外道ども!! この無代様が今ブッ飛ばしてやるから、そこ動くなド畜生めら!!」
 聞いているこっちが恥ずかしくなるような、オリジナリティの欠片もないベタベタの脅し文句を並べ立て。
 『飛行物体・無代号』がジュノーの空を行く。
 その姿に『マグフォード』の乗組員はもちろん、翠嶺を収容するために『セロ』の船外に出た数人のレジスタンスまでが、

 (えええええええ……?)
 
 という、何とも言えない空気に包まれた。
 この変な男、こいつが何のために、何をどうしたいのか。そしてこちらはそれをどう処理すべきなのか。
 何とも始末に困る、言うなれば『気まずい』空気が流れる。
 だが、実を言うとそれこそが無代の狙いそのものだ。
 「あっ、こらそこの手前ぇっ!! 先生に触るなっつってんだろ聞こえねえのか!! 誰に断って『俺の女』に手ぇ出してんだごるああ!!!!」
 どさくさにまぎれて好き放題言いながら、なおも宙を飛ぶ無代。
 だが一見無謀なその突撃も、よく見れば実はなかなか理にかなっている。
 無代は今、倒れた翠嶺と『セロ』を結ぶ直線の延長線上を真っすぐに進んでいる。それは単純な突撃に見えて、実はあの恐るべき威力を誇る『エネルギーウィング』を避ける、唯一の道でもあるのだ。
 『セロ』に乗り込んでいる敵は、明らかに翠嶺を捕らえるのを目的としている。だが、このコースを進む無代を『エネルギーウイング』で攻撃すれば、間違いなくその翠嶺を巻き込んでしまう。同じく横殴りに攻撃しようとしても、無代が地面すれすれの低空を飛んでいるために、やはり翠嶺を傷つける。
 だから今、無代を攻撃しようとすれば、『セロ』は一度地上を離れるしかない。しかしそうすると今度は、翠嶺を船内に収容するのが遅れることになる。
 ではどうするか。いっそ放っておくか。放っておいても大した問題にはならないのではないか。
 微妙に迷う。困惑する。
 そうなればある意味、無代の『思うつぼ』だ。
 敵が手をこまねいているうちに、一定のラインまで翠嶺との距離を詰めてしまえば、今度こそ翠嶺を巻き込まずに無代だけを殺す手段はなくなる。助けるべき翠嶺自身を盾として使う、そのやり口はとてもスマートとは言えないが、しかし敵にとっては実に厄介。そして無敵を誇る『セロ』の『エネルギーウイング』を、何とも微妙ではあるが、確かに封じることができるのだ。
 「いいぞ灰雷、このまま先生の目の前に俺を落とせ! そしたらお前は逃げるんだ! いいな!」
 あともう少し進めば、翠嶺のすぐ側に降りる、というか落ちることができる。
 そこからは無代の仕事だ。
 翠嶺の周囲には現在、5人の武装したレジスタンスが展開していた。典型的な『前支魔』構成、つまり騎士が敵を足止めし、僧侶が支援し、魔法使いが仕留めるという、面白みはないが手堅い人員配置だ。そして前衛の騎士2人が既に、翠嶺の両脇を抱えて引きずり起こしにかかっている。
 一方の翠嶺はまだ意識が無い様子で、その細い首が力なく前に垂れ、エメラルドの髪がばっさりと流れ落ちているのが正面から見えている。
 「翠嶺先生っ!! お気を確かに!! 無代が参ります!! おら、手前ら!! 先生から手ぇ離しやがれ!!」
 いまだ威勢は百人前の無代。しかし彼ら5人と正面切って戦えば、まず勝ち目はない。徹底的に訓練を受け、実戦も十分に経験しているに違いないレジスタンスの戦士が相手では、せいぜい街の喧嘩レベルの武力しか持たない無代に勝機など皆無である。
 だが勝ち目がないことぐらいは、無代だって百も承知だ。
 今ここで、あえて無代の狙いを明らかにしよう。
 一つにはまず、翠嶺が『セロ』の船内に捕われるのを妨害し、できるだけ時間を稼ぐこと。
 そうしておいて二つには、翠嶺の意識を取り戻させること。
 この無双の魔力を駆使する戦前種が目を醒しさえすれば、『セロ』には対抗できなくとも、この場を切り抜けて脱出できる可能性は十二分にある。
 三つには、脱出のための『蝶の羽』を翠嶺に渡す。未だカプラシステムが信用できないとはいえ、この緊急時。『セロ』に連れ込まれるよりは、まだしも脱出の可能性はある。
 そして四つ目。
 こうして無謀な騒ぎを起こすことで、一分、一秒でも長く、敵の注意を無代に引きつけること。
 それによって『マグフォード』が脱出するための時間と、あわよくば隙を作る。
 つまりはオトリになるのだ。
 以上四つ。
 そして無代はこの四つのために、掛け値なしに自分の命を投げ出す覚悟だった。
 覚悟といっても、無代とて決して死にたくはない。心残りだってたくさんある。
 想い人の香も、『BOT』にされてしまったD4・モーラも、プロンテラの街で別れたままの若い主人・静も、行方不明の友・流も、結局のところ自分にはどうしてやることも出来なかった。真っ暗な迷路を、出口を探して右往左往するだけだった。
 だが今、運命の導きによって翠嶺や、D1や、バークや、架綯と巡り会い、暗い迷路に道を切り開く希望を得たのである。
 だからもし、この危機から翠嶺を、そしてD1を乗せた『マグフォード』を脱出させることができたなら、無代が解けなかった迷路も、彼らがきっと切り開いてくれるに違いない。
 逆に言えばここで無代が生き残ったとしても、肝心の翠嶺達が倒れてしまったならば、結局は暗い迷路に戻るだけになってしまう。
 敵の王手をかわして王将を生かし、次の局面に進めるための駒を『捨て駒』という。
 だからこそ、あえてその駒となる覚悟を決めていた。
 (だけど『捨てられ甲斐』はある!)
 無代の腹は、とっくに据わっている。
 (翠嶺先生、D1、バークさん、『マグフォード』。香に流に静、モーラ、そしてカプラ嬢の皆)
 脳裏に浮かぶ人々の姿、その一つ一つがこの世界にとって、どれほど価値のある命であるか。
 とるに足らない凡人である自分と、それらすべてを交換できるとしたら。
 (そりゃデカいだろ実際!!)
 引火した燃料が燃え盛る『タネガシマ』の上を、炎を切り裂くように滑空する無代の顔に、凄まじい笑みが浮かぶ。かつて最強の伝承種である鬼の脚にすら噛み付いた、あの時と同じ笑みだ。
 ここぞという土壇場でいつも、いつだって捨て身の生き様を見せつけてきた男の笑みだ。
 炎のカーテンが切れる。翠嶺の元まであと少し。
 「翠嶺先生ぇっ!!」
 しがみついた岩塊からいよいよ地面に落下する、そのタイミングを計りながら無代が叫ぶ。
 その無代の叫びが、とうとう耳に届いたか。
 左右二人の騎士に両脇を抱えられた翠嶺の体に、ふ、と微かな痙攣が走った。のろのろ、とその顔が上がる。煤と泥ですっかり汚れてしまったエメラルドの髪を透かし、美しい瞳がゆっくりと開くのが見える。
 「先生っ! 無代でございます! 今そこへ参ります!」
 翠嶺の覚醒を確認した無代の声に、明らかな喜びが混じる。その声が、その姿が、翠嶺の瞳にどう見えたのか。
 今は薄汚れた戦前種の表情に一瞬、驚きが浮かび、すぐに呆れたような、しかし同時に限りなく優しい微笑に変わった。
 そして。
 騎士に抱えられたままの翠嶺の右手が、す、と上がる。力なく伸ばされた人差し指、それが示す方向は、まるで関係のない右の方角。
 その意味はわからず、しかしほとんど無意識に、無代は翠嶺の指差す方を見た。
 そして。
 「……っ!?」
 その方向に何を見たのか、心底からの驚きと、そして今にも泣き出しそうな顔で、無代は翠嶺に視線を戻す。
 そこには、変わらぬ翠嶺の微笑み。
 諭すような、叱るような。
 そして励ますような。
 「う……あ……」
 無代の顔が歪む。その目に涙があふれる。
 「……が……あああああああああああ!!!!!!!」
 無代が叫んだ。これでもかと開けた口から、内臓ごとちぎって吐き出すような悲痛な叫び。
 「灰雷っ……左だ!!!方向転換っ!!」
 あまりの涙声のため『ひだり』は『びだじ』、『ほうこうてんかん』が『ばうごでんがん』としか聞こえない。だが灰雷は確かにそれを聞き届け、その翼を強引に左へさばき、無代を乗せた岩塊を一気に急旋回させる。
 無代から見て左、翠嶺から見て右。
 その方向には、『タネガシマ』とジュノーを結ぶ短い橋と、その先に穿たれた深いトンネル。ほんの少し前に架綯と草鹿、二人の少年が歩み去ったあの道だ。
 翠嶺へと続く最短コースを完全に逸れた無代が、そのトンネルへ向けて飛翔する。
 その先、暗いトンネルの壁面にもたれるように、一つの人影が倒れていた。
 「……草鹿さんっ!!!」
 無代の声が、トンネルの中まで響き渡る。

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